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高峰秀子   「私の梅原龍三郎」(文春文庫)

高峰秀子は、大正13年に北海道函館に生まれている。生家は「マルヒラ砂場」というそば料理の料亭をしていた。4歳の時に母親が病死、父親の妹しげの希望により、しげの養女となる。

 しげは17歳のとき、函館にやってきた活動弁士萩野市治と駆け落ち、市治は活動弁士を廃業、興行ブローカーとなり家には全く寄り付かず、しげは針仕事で生計をたてた。

 こんな事情で、高峰は父親を知らないで育つ。父親が欲しかっただろうし、憧れが強かった。

 梅原龍三郎は高峰にとって父親代わりだったように思う。高峰の龍三郎への気配り、世話はこの作品を読むと、度が過ぎている。夫の松山善三も梅原の艶子夫人も内心は穏やかではなかったのではと思ってしまう。

 イタリアとスイスにまたがっているマジョール湖の畔のベンチで休んでいるとき、艶子夫人が暑い、暑いを連発するので、高峰が何事かと思い、夫人を大木の陰に連れてゆく。艶子夫人が、ふうふう言いながらほどいたしょいあげの、帯のかわりに、新聞紙にくるんだ弁当箱大の100ドル紙幣札が汗を吸って固まっていた。

 艶子夫人いわく
次々画商がやってきて、絵画の前金だとおいてゆく。しまうところがないので、帯にしょっている。こんなものを背中にしょっていると重くて と言う。

  当時の1ドルは360円である。4、5百万円を常に体に巻き付けていたのである。
全くびっくりする。

 梅原には2人の娘さんがいる。その娘さんの旦那さんに、柏戸か加藤一二三がいいと言っている。加藤一二三は最近有名で人気のある将棋のヒフミンのことである。

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| 古本読書日記 | 06:12 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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