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田中康夫   「33年後の、なんとなくクリスタル」(河出文庫)

田中康夫は、高校では優秀な生徒で、卒業後は東大を受験。しかし、第一次試験で落ち、その後予備校で一浪後、一橋大学法学部に入っている。

 何があったのかわからないが、大学4年の時、事件に巻き込まれ、停学を1年間くらい就職に内定していた日本興業銀行へは入れなかった。

 1980年、この停学期間に予備校時代をモチーフにして創作した「なんとなく、クリスタル」が芥川賞候補作になるとともに、爆発的に売れ100万部を突破、この作品に登場する、高級なブランドを身に着け、とても学生身分では入れないような高級レストランを男性に導かれ出入りする女子大学生。当時、この本から「クリスタル族」と名付けられた。

 それにしても、田中の父は信州大学教授だったのだが、予備校生であれ大学生であれ、息子である田中が、クリスタル族といわれるような生活ができたのか、当時作品を読んで、本当に不思議に思った。

 この作品は、主人公である田中康夫と1980年当時、一緒に遊びお付き合いをしたもう一人の主人公百合を中心にその後の2人の人生を追い、33年後にどう変わったのかを描く。

 1980年の2人の気分と行動
「なんとなく気分のよいものを買ったり、着たり、食べたりする。そして何となく気分のよい音楽を聴いて、何となく気分の良いところへ散歩しにいったり、遊びに行ったりする」
 まったくゴージャスな暮らし。しかし、10年後に自分たちはどうなっているのだろう、という不安が「喉の渇き」「サースティ」となり横たわっていた。

 百合は学生時代モデルとして活躍していたが、卒業後にはモデルをやめ、化粧品会社に就職した。彼女は、豊かさを人々に届けることを信念にして、会社をやめ、ロンドン大学に経営を学びに2年間自費留学。そして帰国後ファッション関係にとどまらず、様々な広告業務を支援する会社をたちあげ、その延長で南アフリカにゆき、捨てられた高級眼鏡を配給ではなく、安価であっても購入してもらう「流通型」システムを企画実行した。

 33年をかけて彼女の信念になった言葉。「微力だけど無力じゃない。」経済活動と社会貢献を結び付け必死に頑張っている。

 私たちの世代の次に登場した、田中のような種族は、全く宇宙人だった。
私たちの時代は「連帯を求めて。孤立を恐れず」が信念だった。しかし田中の時代には「自立を求めて、連帯を恐れず」となった。個人の個性自立が最も大切な信念になった。

 33年たっても、バックボーンはよくわからないが、田中のみならず、男に寄りかかり贅沢三昧をしていた女性たちも今でも「クリスタル族」の生活ができている人がたくさんいる。うらやましい限りだ。

 田中には神戸の震災の時のボランティア活動を綴った「神戸震災日記」がある。
この作品を読むと、震災の当日、田中はやはり神戸のホテルに女性といたとのこと。田中の下半身のしまりのなさに唖然とした。

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| 古本読書日記 | 06:03 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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