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水木しげる  「水木サンの幸福論」(角川文庫)

水木さんの傑作「ゲゲゲの鬼太郎」。水木さんの本名は武良茂。名前の茂が幼いころ上手く発音ができなかった。「げげる」と発音。ここから「ゲゲゲ」は生まれた。

 幼いころは殆どしゃべらなかった。気ままで自分本位。好きなことだけにとことん熱中。
外へでれば、目の前に海が広がり、山も野原もある。動物がいる。虫もいる。魚もいる。草や木も生きている。明るい太陽が輝き、闇もある。目に映るものすべてが、驚きに満ち、輝いている。水木さんには驚く力、見る力が普通の子どもの3倍はあった。

 だからしゃべる暇がなかった。両親は茂は知恵おくれじゃないかと思い、小学校の入学を一年遅らせた。しかし型破りではあったがバカではなかった。

 戦争でラバウルにゆき、そこで終戦。帰国してから「ゲゲゲの鬼太郎」まで貧困が続く。それが長かった。1965年「少年マガジン」に掲載され爆発的な人気を博しやっと漫画家として独り立ちした。そのときすでに水木さんは43歳になっていた。

 戦後特に、紙芝居の漫画を描く前の2年間はどん底だった。傷痍軍人(水木さんはラバウルの戦闘で腕を片方無くしている)として全国をまわり、お金を恵んでもらい何とか食べていた。そして最後は神戸、兵庫区に行きつく。そこで、崩れかけていた家を自分の貯金と家から無心して頭金20万円をつくり購入、アパート経営をはじめる。

 変な住人しかいなかった。空き巣夫婦にストリッパーとその夫。

あるときその場末のストリップを見に行く。夫が横で下手なラッパを吹く。やおら桶にはいっている奥さんが着ているものを脱ぐ。そして後ろを向いて座るだけで終了。兵隊のときのラッパを思い出し切なさが募る。

 そのアパートは水木通りという通りにあった。紙芝居の弁士、勝丸さんと組んで仕事をしていた。勝丸さんは、水木さんのことを本名の「武良」で呼ばず、いつも「水木」と呼んだ。
 いちいち訂正するのが面倒になり「水木」でいいやとしたのがペンネーム「水木しげる」が生まれた。

 波乱万丈の生涯や、手塚治虫についての話など、興味が尽きないエピソードが満載の一冊である。

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