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池波正太郎   「私が生まれた日」(朝日文芸文庫)

  池波が多く書いたエッセイから、食べ物、散歩、旅、下町、家族、新国劇舞台、映画に関する厳選62作品を収録。

 池波は大正12年1月25日に生まれた。雪が降っていたそうだ。その日、父親はたまたま会社を休んで、家の2階で酒を飲んでいた。酒が切れそうになったので、母親に酒を買いにいかせる。酒屋に到着したところで、産気付く。あわてて産婆を呼ぶ。

 そして「オギャー」という産声とともに池波が生まれる。産婆が2階で酒を飲んでいる父親に男の子ですよと呼びにゆく。父親が答える。
 「今日は寒いから、明日見に行くよ。」すごいお父さんだ。

  このお父さん、小出商店という綿糸問屋に勤めていたが、そこが倒産。その後、ビリヤード場をやるが、こんなところに埋もれる人間ではないと、母親と離婚して家を飛び出る。

 母親は、姑と折り合いが悪く、年がら年中嫁姑で大ゲンカばかりする。

 ある日、正太郎が堪忍袋の緒が切れて、母親を投げ飛ばす。すると姑である祖母が言う。
「裏の大川(隅田川)は蓋がしてないから、大川に放り投げておくれ。」

 お母さんも、離婚後男を作り家をでて、池波は祖母に育てられる。そのお母さんは、男に捨てられ、やがて家に戻ってくる。そのとき新たな子供を連れ帰った。

 池波のエッセイを読んでいると、自分の幼いころをくっきりと思い出す。

 昔は、一家に祖父母、父母、子供3世代が同居するのが当たり前、というより同居しないと家族が持たなかった。

 さすがに小さいころはすでに水道が通っていて、井戸は廃墟になっていたが、洗濯は裏の河原で行っていた。ご飯炊きや料理はすべて竈で火をおこして行っていた。調味料である味噌も醤油も自家製だった。家事、育児は祖母と母が共同しておこなわないとやりきれなかったし、母は祖母からすべてを教えてもらって初めて一人前となった。

 池波も書いているが、炭屋、油屋、服屋、弓師、仏師、鍛冶屋、下駄屋、駄菓子屋、酒屋が街にはあった。

 一日は納豆売りの少年の声から始まった。季節には、金魚売り、苗売り、さお竹売り、蟹売り、朝顔売り、薬売り、威勢のいいあさり売りが軒を回っていた。

 まだ家の前の道路は未舗装。殆ど車も通らなかった。だから、道路は子供たちの格好の遊び場だったし、たき火場所だった。

 隣の家との間に垣根はなく、子供たちは同じように入り乱れて遊んだ。そして、食べ物、家庭用品は頻繁に融通しあった。どんなに貧乏であっても、年末には畳を変え、新年を新しい気持ちで迎えた。

 池波は、こんな日常が無くなってしまったことを嘆き、このままでは日本は滅亡すると声高に言う。

 池波は30年近く前に没している。更に池上の思いとかけ離れた今の世界を見ていたらどんな風に言うのだろうか。想像ができない。

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| 古本読書日記 | 06:15 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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