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萩原浩   「逢魔が時に会いましょう」(集英社文庫)

大学4年生の高橋真矢は、映画研究会に入っている、その腕を買われて、やりたくもないのだが、アルバイトの金額になびかれて、民俗学者布目準教授のフィールドワークに動向する。

 そして、架空の創造物とされている、座敷童、河童、天狗が出没すると言われている場所を訪ねる。真矢の役割は、架空物が現れたときの写真を撮ること。

 坂東眞砂子が「恍惚」という作品で書いている。江戸鎖国時代でもオランダとは通商をしており、出島のオランダの通商代表とその部下が定期的に幕府拝謁のために江戸に来ていた。

 異人の行列がやってくると、一目異人さんをみようとする見物人が通りを埋める。茶色や金色の髪や眉。深く落ちくぼんだ目。天狗のような鼻。おまけに、眼窩で光っている目の玉ときたら、茶色や青色だったりする。あんな目玉で、本当にものがみえるだろうかと不思議な思いがする。とても、人には見えない。獣のようなめずらしい動物のように見えてしまう。人間をとらえて食べるのではないかとか空を飛ぶのではと思われていた。

 こんな知識があると、昔の伝説より、萩原が描いた天狗の源の説のほうが説得力がある。

戦国時代、戦いのため、鉄砲をはじめとした武器の製造が急増した。ここが本当かなと思うのだが、当時鉄の採掘、加工技術で先端をはしっていたのがタタール人。そこで各戦国武将はタタール人技術者を招いて鉄の採掘にあたらせた。鉄の採掘は深い山林の中。そこで、火をおこし、鉄を採取鋳造。この場所のことをタタール人からとって、たたら場というのだと萩原は説明する。

 そんな山の中で、高い鼻をして、目の青い大柄な鬼のような人間に出会う。彼らを見た人は度胆をぬかれたと思う。それで、彼らが天狗伝説を作り出した。なるほどと、思わずうなる。

 江戸幕府が鎖国を実施する前は、主に宣教師なのだが、たくさんの西洋人が日本にやってきた。
ポルトガルから来た宣教師はザビエルの姿を思い出せばわかるが、トンスーラといって凍頂部分は剃髪していて、黒いマントを羽織っている。

 日本人が宣教師に出会い、お前は何なのだと人差し指を指して聞く。問われた宣教師が羽織っているマントのことを聞いていると思う。実はマントをポルトガル語で「capa」というので「カパ」と答える。

 ここから河童が生まれた。愉快だけど、ひょっとすれば真実かもしれないと唸ってしまう。

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| 古本読書日記 | 05:58 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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