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新田次郎    「ある町の高い煙突」(新潮文庫)

主人公の関根三郎は、秀才で英語もでき、東大を受験して合格。三郎は、当時田20町歩、山林数十町歩を常陸入四間村に所有地を持つ大地主関根家の養子となっていて、両親がいない関根家の幼女みよの許嫁となっていた。

 この入四間村から一山越えた所に、1500年代から銅が試掘されている赤沢鉱山があり、当時スウェーデンから招かれていた鉱山技師チャールズ・オールセンに村を代表して、英語ができるということで、「銅がとれる山で毎日煙がでているが、悪い影響がでることはないか」三郎が尋ねることから物語が始まる。明治36年のことである。

 明治37年、38年には日露戦争が起こり、銅の需要は急増して、それに連れ、赤沢銅山は拡張に拡張木原組の木原吉之助に経営が移り、木原銅山と改称され、村が煙銅で覆われる事態に陥る。

 それに連れ、山林は枯れ、田圃の稲や畑の作物も育たず、蚕もダメになり、村は存続の危機に陥る。村では、東大合格をしていた三郎に入学を断念させ、村の代表として三郎に木原組と交渉にあたらせる。

 当時は、古河の足尾銅山、住友の別子銅山に大公害が起こり、多数の死者が発生、山林、田地田畑が耕作不能となった。田中正造が天皇に対応を直訴するまでに至っていた。

 木原銅山では、三郎や会社側の技術者が高い煙突を建てることが検討されていた。
しかし、高い煙突では更に被害が広範囲にわたるのではないかという疑問。吐き出された煙は、ある程度までの高さまでは達するが、その後逆転層という層にぶつかり、また地上に戻されるのではないかという疑問があり、対応がとられなかった。

 その後、第一次大戦が起こることが確実となり、更に銅の需要が拡大されることが予想された。

 どうしようもない時にあの技術者のオールセンから三郎に手紙が届き、スウェーデンでは煙害被害を防ぐために、高い煙突を建設し対応したことが書かれていた。

 その手紙をよりどころに社長である木原吉之助が社内の反対を押し切り、煙突の建設の決断を下す。煙突は156mもあり、膨大な費用もかかる。

 これで、煙害が防げないとなると、木原組は倒産となる。そんな中での背水の陣の決断だった。

 そして、この決断は正しく、公害の除去が実現した。大煙突は今でも現存している。

 ここで描かれている木原組というのは現在の日立製作所の原点にあたる。
もし吉之助の英断が失敗していたら、今の日立は存在していなかったかもしれない。

 新田の文体は稚拙だが、真摯でひたむきさが溢れ、しらないうちに引き込まれている自分に気がつく。

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