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坂東眞砂子     「岐かれ路」(新潮文庫)

月別に描かれている江戸時代の浮世絵春画に坂東が触発され綴った12の短編集。

八代将軍吉宗の時代。朝廷の権力は根こそぎはく奪され、本来朝廷行事である大嘗祭などいくつかの行事も幕府に阿りやっと許可されるありさま。しかし、世の中、百姓は重い年貢の取り立てに喘いでいるなど、決して幕府は安泰ではない。左大臣八辻重遠のところにまで、年貢の軽減を直接訴えてくる百姓もいる。

 それで、徳川時代もそれほど長くは続かないと考える同志の公家もたくさんいる。

今日は、陣定の日。月に2,3度開催される公家の会合が行われる。朝廷が権力を持って入れば、国の統治や行政について決定する日である、しかし、今はそんな権力は全くないので、下世話の話や愚痴で終わる、公家たちが屈辱を感じる日である。

 この会議で、いつもは前に陣取り、あれやこれやとうるさく発言する右中将立科明胤が後方に控え隠れるように座っている。そういえばここ数回も陣定を欠席している。

大原にでかけ百姓の苦しい現状を調べると言ってからの欠席である。
 しかも面を上げずにじっと下をむいたまま。

重定がせっついてもなかなか顔を上げなかったが、しつこく命令するとやっと面をあげる。

驚くことに左頬に3つの生傷がある。2筋は頬を斜めに横切り、1筋は耳の付け根から下顎までしゃくれるように刻まれている。刀で切られた傷ではない。

 実は大原を御幸しているとき、出会わせた百姓のぬいを押し倒し、無理やり襲おうとする。当時は身分の違いがあり、このような場合女性は抵抗をしないのだが、ぬいは懸命に抵抗。

 大声をあげ、ひるんだ明胤の右頬を爪を立て思いっきり引っ掻いた。

重定が、明胤の傷をみて言う。
 「大原で一揆に遭遇したのか」
そして笑いながら
 「右中将は、間違った相手に戦さを仕掛けたとみえるな」と。

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| 古本読書日記 | 05:54 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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