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平岡陽明    「ライオンズ、1958。」(ハルキ文庫)

戦争直後の焼け跡で始まったプロ野球。その最大のヒーローは青バットで有名な大下弘だ。
戦争が終わった翌年1946年大下は20本のホームランを打つ。当時は試合数も少なく、プロ野球全体でのホームラン数が211本。大下は全ホームランの9.5%を一人で打った。

 ケン坊は、孤児院みその苑にいた。空襲の衝撃で口がきけない。苑は、戦争直後で運営費が足らない。だから、収容児が働いてお金を稼がないと運営できない。ケン坊は八歳から新聞配達を始め、11歳になった今まで1度も休んだことがない。

 ケン坊は野球が好きだった。毎日のように川原で三角ベースの野球をしていた。ある日から、体形には少し合わなかったがみんなユニフォームを着てゲームをしだした。大下がユニフォームや野球道具を寄付してあげたからだ。
 ケン坊は、身体も華奢で、野球も上手にはなれなかった。でも、夢は一回でいいからホームランを打つことだった。

 そんな、みその苑チームと、大下が率いるチームが野球で対戦することになる。その日のために、みその苑チーム懸命な練習をしてきたのだが、対戦の3日前、ケン坊は交通事故にあい、右足を複雑骨折して、野球はできなくなる。

 試合は西鉄ライオンズのエースの稲尾が審判をする。みその苑チームがエラーや四球の連続で大量リードを奪われ、勝敗が決していた最終回、大下が稲尾に「代打 大下」と告げる。大下チームからそれはきたないと。それじゃあこちらは「ピッチャー稲尾」と大声で言う。

 大下が稲尾に指示する。ここに投げろと真ん中を指す。稲尾がそこに投げる。大下がバットを振る。弾丸はグランドをはるかに超え、住宅の屋根を飛び跳ねる。大ホームランだ。

 すると大下は、車いすのケン坊のところに駆け寄り「君のホームランだ」と言って、ケン坊を背中に背負ってダイヤモンドを一周する。

 大下が引退して九州を去る汽車のプラットフォームで記者から質問を受ける。
「たくさん打ったホームランのなかで、最も印象深いホームランはどれですか。」と。
大下が答える。「それは、ケン坊が打ったホームラン」だと。

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| 古本読書日記 | 06:05 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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