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宮脇俊三      「室町戦国紀行」(講談社文庫)

室町幕府ができあがるまでは、紆余曲折があった。

鎌倉幕府を崩壊に追い込んだのは新田義貞だった。そして、崩壊後は室町幕府が即誕生したのではなく、後醍醐天皇による日本統治が続いた。

崩壊2年後、鎌倉幕府の末裔、北条時行は諏訪大社に隠遁いていたが、出兵し、鎌倉奪還を目指す。この時、鎌倉を治めていたのが足利尊氏の弟直義。時行と闘ったが敗れ、鎌倉は再度北条家に奪取される。

 後醍醐天皇により、鎌倉へ派遣された尊氏は、直義とともに北条時行と闘い、鎌倉を奪還した。この時尊氏は一緒に戦った武将に論功行賞をした。これが後醍醐天皇の逆鱗に触れる。
論功行賞は統治者である天皇が行うと。

 元来尊氏と後醍醐天皇の間には大きな溝があったのだろうが、このことが完全分裂の引きがねとなる。尊氏は京に攻め上げる。後醍醐天皇は比叡山に逃げる。

 これで尊氏の天下がやってきたのかと思うとそうではない。奥羽鎮守していた北畠顕家が後醍醐天皇の命により京に攻めあがる。これに新田義貞、楠木正成が加勢する。何回かの戦いを経て、尊氏は敗れ西へと逃走。北九州まで逃げのびる。

 ここから尊氏は各武士団に対し、天皇により没収された所領を自分の軍に入れば回復させると宣言し、多くの武士団を味方に引き入れる。
 そして尊氏、直義の逆襲が始まる。このとき、後醍醐天皇側近の楠木正成は、尊氏は天皇に謀反を働く考えは無いから、和議を結ぶべきと進言したが、受け入れられず、天皇の命により負けることは明白だったが西に向かう。

 「太平記」では足利軍50万に対し楠木は7百。これは大げさとは思うが、多勢に無勢であったことは間違いない。
 両者は湊川で戦う。楠木は大いに善戦し、一時直義軍を敗走させるところまでゆく。しかし、兵力の差はいかんともしがたく、最後は自害して果てる。これにより、ようやく室町幕府が成立するのである。

 小学校のころ、二宮金次郎と並んで楠木正成の像がある学校があった。戦前の皇国史観のもと、天皇に忠誠をつくし、負け戦とわかっていても天皇のため戦場に赴き戦ったということで、「忠臣の鏡」「日本人の鏡」と修身の教科書にも載り崇められたからだ。

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| 古本読書日記 | 06:18 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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