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宮脇俊三   「増補版 時刻表昭和史」(角川文庫)

列車大好き、時刻表大好きの宮脇俊三が、少年の眼を通して昭和という激動の時代と家族の風景、青春の日々を綴った体験的昭和史。

 戦前の海外への旅は遠かった。昭和12年宮脇の父が世界一周にでかけた。その時の時刻表をみると東京発午後0時30分発横浜港行きの電車がある。この電車には注釈がついていた。「日本郵船会社桑港航路汽船横浜出航日ニ限リ運転」と。

 上海への通常ルートも遠かった。東京発午後11時の急行に乗る。22時間かけて翌日午後9時に下関に到着する。関門連絡船で門司に渡り、門司発11時の長崎港行きの列車に乗る。

この列車が翌朝の7時35分に長崎港に着き、それから午後1時発の上海丸に乗船して翌日の午後3時に上海へ到着するのである。ヨーロッパへはすべて船で渡る場合もあったが、結構一般的だったのはシベリア鉄道を使って行く行程。この場合は敦賀まで汽車でゆきそこから船に乗り換え、朝鮮の2つの港を経由してウラジオストックまで行きそこからパリ行きの列車に乗ってヨーロッパを目指すのである。

 戦前は驚いたのだが電化されていた区間が少ない。省線と言われていた東京、京阪神を走る近距離路線。それ以外は、横須賀線。東海道の沼津まで。中央線の甲府まで。それに信越線の横川―軽井沢間。それから上越線の水上―石打間。軍部が発電所が攻撃された場合ひとたまりもないということで電化を制限したからだそうだ。

 どうして水上―石打なんて辺鄙な区間が電化されていたかというと、この間には当時日本一長い清水トンネルがある。この区間を蒸気機関車で走ると運転士が煤煙に巻き込まれ失神する恐れがあったからだそうだ。

 宮脇は幼いころから汽車が好きで、よく作文に汽車のことを書いた。そして父親から手直しされた。
 丹那トンネルを旦那トンネルと書いてしまったり「フルスピード」を「古スピード」と書いたため。
 当時車の新車は静かにゆっくりと走った。しかし古びた円タクなどはスピードをあげガムシャラに走った。それで古いは速いということだと思っていたからだ。

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| 古本読書日記 | 06:32 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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