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宮脇俊三   「旅は自由席」(新潮文庫)

学生時代の北海道は遠かった。青森から函館までは船、青函連絡船で渡った。何しろ、船の所要時間が、一番短くなっても3時間50分も要した。

 私が初めて北海道に渡った昭和48年が、連絡船輸送実績のピークだったらしい。定員1140名。当時の連絡船は7隻。従って、乗り遅れると何時間も次船を待たなければならないので、青森駅から桟橋を争うように走った。「桟橋マラソン」と呼ばれていた。

 そんなピーク時オイルショックがあり、その翌年には輸送実績が半減。青函連絡船が廃止されるころには、北海道への輸送は飛行機が95%で連絡船は5%までに変化した。1140名の定員に乗客が100名にも満たないことが常態化した。

 宮脇は飛行機嫌いもあるが、昭和17年を皮切りに7-8回青函連絡船で北海道に渡っていて、ことのほか青函連絡船に愛着を持っていた。

 だから、飛行機で北海道に渡るなど言語道断。いろんなエッセイで飛行機客を非難して、連絡船のすばらしさを伝えようとした。
 「青函連絡船は北海道というオペラの序曲である。そして、函館から札幌までの函館本線がその第一幕だ。しかるに飛行機で一気に千歳に着くとは何事であるか。第二幕からオペラを見るようなものではないか。」

 「北海道は遠いところなのだ。その遠さを実感させてくれるのが青函連絡船である。飛行機では不可。」

 こんな卑猥な文章もある。
「前戯なしで北海道へズバリ乗り込むのはよくない。北海道に対し失礼にあたる。」

 こんな連絡船も1988年に青函トンネルができて、廃止になった。もう船の時代のことは知らない人たちが多くなった。トンネルどころか、今は北海道まで新幹線で行ける時代になった。墓の中から宮脇の嘆きが聞こえてくる。あちらの世界で宮脇は今でも連絡船の旅を楽しんでいるのだろう。

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| 古本読書日記 | 06:04 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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