FC2ブログ

PREV | PAGE-SELECT | NEXT

≫ EDIT

島田荘司 綾辻行人   「本格ミステリー館」(角川文庫)

名探偵論、トリック考、或いは古今東西のミステリー小説などの考察、分析を含め本格ミステリーとは何かを論じ合う、2人のミステリー作家の対談。
 ミステリーは清張以前と以降でくっきりと分かれる。清張以前は本格探偵小説や、奇想、怪奇をベースにしたミステリー小説が全盛だった。しかし、まずは人間を、社会を描き、そこに事件があり、解決がある社会派ミステリー、推理小説でなければならないという小説、いわゆる社会派ミステリーが清張により書かれ、それが時代からうけいれられ、その後は社会派ミステリー一色に染まる。そして、その傾向は今でも圧倒的主流を占める。

 探偵小説、奇想、トリックを駆使したミステリーは完全に駆逐された状態だったが、ここにきて、純粋トリックを使ったミステリー小説が、少し息を吹き返してきた。

 その先頭を走っているのが、この対談に登場している、島田や綾辻、有栖川有栖、法月綸太郎、安孫子武丸など。

 よく小説は現実の人間が描けなければならないと言われている。

人間や現実を描くということでの綾辻の考え方が素晴らしい。
現在の社会が所与としている人間を描いても、書き手も読み手も興味がわかない。「こんなやつ確かにいるぜ。」「こういうことって確かにあるうだよな。」なんてことを書いてもしかたない。暴力団とつるむ悪徳刑事、金と権力に取り込まれた権力者や政治家なんか描いてもしかたない。

 人間を描くということは、人間なんてつまらない存在なのだが、狂いかたによっては、こんなにまで狂ってしまうものだという人間を描くことだ。

 確かに綾辻の館シリーズ、霧越邸事件では、館の設計あり様から狂気が発せられ、そこに登場する人物はまさに狂った人たちである。
 ミステリーとは、社会秩序という館が犯罪によって破壊される。そこに名探偵が登場して真実を摑み、壊れた秩序を構築しなおす、これが常道。

 しかしこんな枠に人間の狂気はおさまらない。人間を描くということは、この極限の狂気をあますところなく描くことと綾辻は言う。だから、「霧越邸」では探偵である槍中も、最後は死ぬしかなかった。

 綾辻作品は人間を描く。その描くすさまじさに綾辻作品の魅力があることを知った。

ランキングに参加しています。
ぽちっと応援していただければ幸いです。
にほんブログ村 本ブログ 読書日記へ

| 古本読書日記 | 06:05 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

COMMENT














PREV | PAGE-SELECT | NEXT