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増田俊也   「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」(上)(新潮文庫)

戦争を挟んで15年間不敗記録を持つ、柔道家であった木村政彦七段。「木村の前に木村なく、木村の後ろに木村なし」鬼の木村と異名をもつ持っていた。

 その木村も世間から忘れられた存在になっていたが、この本が大宅壮一ノンフィクション賞と新潮ドキュメント賞のダブル受賞を獲得、ベストセラーとなり復活。そして、史上最強の柔道家としての名声も確立。

 木村が、講道館柔道の支配にいやけがさし、プロ柔道連盟を設立。その後、格闘技決戦といわれた力道山との対決を軸に、木村の柔道、格闘家としての生涯を描いている。

 全体の感想は、下巻を読了してから書く。

それにしても、武術、武士道がまだ社会に色濃く浸透していた昭和初期の木村の毎日の稽古がすさまじい。これだけ行えば、最強の柔道家になるだろうが、並みの選手であれば多分死んでいると思う。

 柔道の段取り。5時間が限界といわれている。しかし、木村は毎日朝十時に警視庁に出稽古。昼食を食べて拓大で三時間。そして夕方6時から講道館、その後深川の義勇軍道場、生活場所としていた牛島塾に戻ってくるのが毎晩23時。それから夕食をかっ込むと、うさぎ跳びをしながら風呂に行き、またうさぎ跳びで戻ってくる。すぐに腕立て伏せを千回やって、その後バーベルを使ったウェイトトレーニング、巻き藁突きを左右千回ずつ、更に立ち木への数千本の打ち込みを行う。布団に入るのは午前2時過ぎ。そこから頭の中でイメージトレーニングが始まる。眠そうになると、顔を抓って目を覚まさせる。これが4時まで続く。

 これを一日も欠かさないのである。

重量挙げの練習場にでかけ、スナッチで100kgのバーベルをあげ、そのバーベルを首から腕に何回もごろごろ転がした。夏の暑い日、師匠である牛島から団扇で扇いでくれと頼まれると、畳を持ち上げ、その端を持って、上下に扇いだ。
まさに怪人である。


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| 古本読書日記 | 06:05 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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