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中脇初枝     「みなそこ」(新潮文庫)

 本を買ってからAMAZONの書評コメントをみたら、一点台。今まで書評コメントのなかでも見たことの無い最低の評価。これは大変な本を買ってしまったと嘆く。しかし読んでみるとそれほど酷くはなく面白く読めた。

 主人公のさわは10歳になった娘みやびとともに夏休みを利用して沈下橋の先にある、故郷の小さな村「ひかげ」に帰省する。そこにはさわの同級生で隣の家に住んでいる幼馴染で、離婚して戻ってきている、ひかると息子の13歳のりょうがいた。

 私も山国の出身で、小学校にも中学校にもプールは無かった。泳ぎはもっぱら村の裏を流れる川。この物語のように、欄干の無い橋から飛び込んで泳ぎは覚えた。川の中にはやまめやはやがたくさん泳いでいた。
 やまの子供たちのりょうや弟のしんに連られて、沈下橋からみやびが飛び込むところでは自分の子供時代を思い出した。

 村に帰ると、子供たちが、昔から伝わっているわらべ歌を歌いながら遊んでいる。この村からでてゆく決意をしたさわの両親が住んで、さわが育った家にみやびと眠ると、古くから村に伝わっている民話を古い家が思い出させ、みやびに寝物語に聞かせる。

 そしてさわに、幼い時代から今までの、ピアニストにはなれなかったが、懸命に頑張ったひとこまひとこまを思い出させる。

 故郷の村に流れる川。それの源も知らなければ、終わりの場所も知らない。しかし、その川には今までに死んだ人たちがいる。おばあちゃんも、ひかるのおばあちゃんも、金田のおばあちゃんも。知っている人たちだけではない。旅の途中で死んだお遍路さん(高知ではおへんどという)。産み落としたが育てられるずに亡くなった子。生まれる前に流された子。

 そんな亡くなった人たちを迎えるのがお盆。その厳かな村の儀式の描写が美しい。その儀式は、変わることなく村人たちにより伝えられてゆく。

 川は、物語を読むと、亡くなったひとたちがいる場所ではなく、その人たちの無数の記憶が留まっている場所だと中脇さんは描く。さわが村に帰ってきて思い起こす記憶。そんな記憶が引き継がれて今から未来にむかってひたすら川は流れる。

 その流れの記憶には、主人公のさわと13歳のりょうと恋も刻まれた。

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| 古本読書日記 | 06:00 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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