FC2ブログ

PREV | PAGE-SELECT | NEXT

≫ EDIT

堀越二郎  「零戦 その誕生と栄光の記録」(角川文庫)

 著者は、戦争中世界最高性能の名機零戦を始め、いくつかの戦闘機を設計開発したチームのリーダーを務めた人である。彼を主人公にして作られた動画が宮崎駿の「風立ちぬ」。宮崎は零戦と開発者の堀越に心酔していた。

 この著書からは、開発の苦闘の連続が描かれていて、宮崎が語る堀越の零戦開発に対する強い思い「海軍航空廠からでた新型戦闘機の計画要求書にあわせながら、堀越は自分が作りたかった戦闘機を作ろうとしたのではないか。それは美しい戦闘機だ。」は、なるほどそうなのかと宮崎の言葉に感心した。

 零戦の試作機が試験飛行で空を舞ったときの堀越の感慨が書かれている。

 「私はその空気の振動を全身に快く感じながら、首の痛くなるのも忘れて空を仰いでいた。試作機は、やっと自由な飛行が許された若鳥のように、歓喜の声を上げながら、奔放に、大胆に飛行を繰り返した。ぴんと張りつめた翼は、空気を鋭く切り裂き、反転するたびにキラリキラリと陽光に反射した。
 私は一瞬、自分がこの飛行機の設計者であることも忘れて、
『美しい』
と、喉の底で叫んでいた。」

 欧米が次々性能のアップした戦闘機を開発して投入してくる中、大戦中殆ど零戦だけで日本は立ち向かった。

 零戦は昭和16年3月に戦線に投入され、同年の8月までに、撃墜した敵軍機は266機。一方失った零戦は3機。それも空中戦で撃ち落とされたものは無く、地上砲火で失ったものだった。

 戦争当時は零戦のすごさは日本では殆ど知られておらず、欧米でその怖さが広く知れ渡っていた。零戦を発見したら戦闘をせずに逃げろという指令まででていた。欧米では零戦は「zero」とか「zero fighter」と呼ばれていた。こんな米人が書いた文もある。

 「『女を口説き落とすのはそんなにむずかしくないが、zeroを落とすことは容易ではない』
『あの女はzeroよりも手ごわい』という言葉が流行った。」

 こんな零戦が、戦争末期には神風特攻隊として若き青年とともに、敵艦にぶつかって玉砕してゆく。開発者堀越さんの切なさと慟哭が最後に切々と描かれる。

ランキングに参加しています。
ぽちっと応援していただければ幸いです。
にほんブログ村 本ブログ 読書日記へ

| 古本読書日記 | 16:05 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

COMMENT














PREV | PAGE-SELECT | NEXT