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津村節子   「娼婦たちの暦」(集英社文庫)

「かなの兄弟姉妹たちは、四人までが生後十日、二十日、一番長くて四歳までに死んだ。村の女たちは日頃から満足なものを食べていないうえに、妊娠しても体をいたわることは出来ず、出産間際まで重労働を続けるので、生まれてくる子供はみな虚弱である。・・・
 かなはその年の暮れ身売りをした。人口九百余人の村で、春から暮れまでに100人近くの娘が売られて行ったのである。口減らしのために十二歳の娘を十円で手放した親もあった。」

 それで100人近くの売られて行った娘の誰一人も村には帰ってこなかったのである。

この作品によると、特に東北、山陰から売られた女性が昭和初期には多かったようだ。

 それで、売られた娘は、悲しく不幸のように思うが、死ぬまで重労働でこきつかわれている上に、白い飯などみることもなく、大根の葉や、野草を食べ飢えをしのぎ一生を送ることから見れば、体を売ることへの見返りとして、腹いっぱい白いご飯は食べられるし、きれいな着物を着られるし、夜以外は比較的自由である娼妓が哀れなのだろうかとこの作品を読むと思う。

 売られた娘たち、性病を移されたり、たくさんの男を一晩でとらされたり、不幸だった娘も多々いたが、そんな娘たちが、では、また田舎の寒村に戻りたいと思うか、それはあまりなかった。それほどに、田舎の村の生活はみじめだった。

 私達は、今の生活水準や、それに支えられた価値判断で、昭和、戦前の時代をみるが、どうも、こういう作品を読むと、悲しいことではあるが、その判断が正しくないようにみえてしまう。娼妓になることは、その時代、結構当たり前のことであり、娼妓は女性蔑視、不幸の象徴と断じることは難しい。

そういう時代を経て今があると思わざるをえないように思う。

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| 古本読書日記 | 18:50 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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