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村田喜代子     「ゆうじょこう」(新潮文庫)

からっとしている。最初、読みだして、娼妓になるための教科書、マニュアル本ではないかと思うほど淡々と物語が進む。正直淡々すぎて、つまらなさを感じる。

 しかし、そこに村田の目論見があったことが全てを読んでみてわかった。
遊技、娼妓を主人公にした作品は雲霞のごとくある。男目線から言えば、伝統的な芸妓、芸者文化、それにどっぷりとつかり、娼妓とのささやかな交流に漬かる姿を描く。女性作家は娼妓の切なさはうたいながらも、その辛さを、強く、明るく克服していこうとする姿や、娼妓同士の燃え立つような憎悪のぶつかる姿をこれでもかと描く。

 いずれにしても、悲しさは基軸にはなろうが、やはり淡い恋や、恋情が、そしてそれから派生する嫉妬などが物語のテーマとなる。

 この作品は、そんな人間的な生き様など、売春、娼妓の世界には微塵もないことを描こうとしている。人間を売買する。それは、牛馬の売買と同じ。娼妓は、人間ではないのである。

 この作品に福沢諭吉の言葉が多くでてくる。平等、自由、学問のすすめ。それらには、
 貧乏人や娼妓は含まれてはいない。貧乏人は社会より排除すべきことを福沢は言っている。

 牛馬には、人間的考え、感情の発露、それによる起伏ある物語の創造など皆無なのである。だから、村田の表現が娼妓入門読本のような単調文になっているのである。その単調さの連なりの中から、娼妓たちの怨念や悲しみが湧き出ている。

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| 古本読書日記 | 06:25 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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