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酒井順子   「下に見る人」(角川文庫)

 酒井さんが指摘しているように、人間は、自分より下に存在すると思われる人をよりどころにして、あの人よりは自分は恵まれていると思うことで精神の安定を得ている。人間はみな平等なんてことを根本にすえたりすると、社会の発展は止まるだろうし、そんな世界は想像もつかない。平等な社会がかりにできても、やっぱし個々の人間は他人と比較しながら生活を営む。差別、苛めは人間の持つ本質の醜い部分が現れている現象。それは、小中学校時代に特徴的にあるものではなく、大人の世界でも普通にある。

 酒井さんが歩んできた道をふりかえりながら、区別、差別、いじめについてこの本は論じている。社会は大きく変化するから、酒井さんの生きてきた時代を照射しながらの論はすこしのずれと違和感を覚えるが、そこを抜きでも結構面白い。

 酒井さんの子供時代は「八時だよ全員集合」が最も人気のあるテレビ番組だった。そこに差別、苛めの原形がある。加藤茶、志村けんは苛められ、差別の対象。ぶったたかれたり、やかんが天井からおちてきたりして、痛めつけられ、それが快感となり喝采をあびる。たまに、いかりや長介も、苛められ役の逆襲にあい、そこも楽しい。そこまでは、私も酒井さんにほぼ同じ考えだ。

 最近テレビを全く見なくなった。加藤茶、志村、高木ブー、荒井注はしゃべらなくても存在するだけで楽しく、面白く笑えた。最近は、お笑いタレントがやたら知的になった。どんなに馬鹿なコントをしても、根っからでなく、馬鹿を演じていることをありありと感じる。

 今の社会は加藤茶のような人間の存在を受け入れなくなったように思う。大学が山ほどあるから、かなりの学生が大学にゆく。大学に行ってもだめな人間はもちろんいるが、高卒の人たちの多くを社会自体が無視し存在をなくしてしまっている感じがする。

 私たちの学生のころは、職人という道があった。大工、寿司職人、建具屋、織物、染色、鍛冶屋など学歴などなくても、技術を頑張って磨けば、社会にあるきちんとした存在を示すことができる道があった。

 しかし、今はそんな腕で生きてゆく道は殆どなく、実に険しい。芸人も殆どが大卒になった。そして、そこからこぼれ落ちた人は、存在さえも認められなくなった。安倍首相は頑張れば報われる社会を実現するというが、安倍首相の頭のなかに頑張っても存在すらしていない夥しい数の人々が今は存在しているし、そんな人々が日々増加しているように思えて仕方がない。

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| 古本読書日記 | 08:56 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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