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伊集院静    「ノボさん」(下)(講談社文庫)

 子規と会えば誰もが子規に魅了される。子規には人を引き付けるものを自然に備えていた。だからいつも多くの人に囲まれていた。
 漱石は子規の生まれた地、松山で中学の教師をしていた。子規が汽車にのり、故郷松山にでむいた。そして2階に住んでいた漱石の貸家の1階を借りて住んだ。その期間が50日ほど。漱石と子規が同じ家に住んでいたのだ。
 そして、50日が過ぎて、子規は東京へ帰る。子規はすでに重い肺結核を患っていた。医者からは真っ直ぐ東京へ帰るように言われていたのだが、途中、京都、奈良に寄り道をした。この旅程、子規にとっては初めてといっていいくらいの一人だけの旅、結核を抱え、今と将来を一人で見つめなおす旅となった。

 肺結核は重く、時々客血もする。今まであじわったことのない寂しさ、孤独をひしひしと感じる。

 奈良は当時大柿の産地だった。少し街を離れるとあたり一面の柿が秋の青空のしたに実っていた。旅館で柿を所望した。可愛らしい女中さんが盆一杯の柿を持ってきてくれた。
柿を頬張る。障子を開けると月あかりに柿の実った木を照らしている。秋はそれでも寂しい。

 晩鐘が鳴る。東大寺の鐘である。それが、身に一層の淋しさを募らせる。

 柿くえば 鐘がなるなり 法隆寺(東大寺ではない)

 今まで私はこの句に感動はしなかったが、物語を読んでからは、子規の孤独、わびしさの心情がひしひしとせまってきて、ぐっとこの有名な句が迫ってみえてきた。

 伊集院が明治をこう物語のなかで称している。
 「明治という時代の強さは、清廉はこころ、自分の信じたもの、認めたものに向って一見無謀に思える行為を平然となす人々がまだあちこちにいたことが挙げられるかもしれない。
何よりも清廉、つまり損得勘定で動かなかったところに行動の潔さがあった。」

 その象徴こそ正岡子規であった。

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