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百田尚樹   「フォルトゥナの瞳」(新潮文庫)

自分ではなく、他人が近々死んでしまうことがわかってしまうことになったら、その人の心境や運命はどうなってしまうのだろう。百田が想像の限りをつくして、この作品で挑戦している。

 自動車のコーティングをしている主人公の木山は、街や電車のなかで、手が透けて見える人や、顔や上半身が透けてみえる人にであう。そんな人は、時間がたつにつれ、段々体全体が透け、そして、必ず死んでしまう。だいたい手から透け始めて、一か月で死んでしまう。

 他人の不幸を見過ごせない木山は、時に透けてみえてしまう人を、死に至る事故に故意にでくわさないよう操作して、救ってやる。そんなことをすると、必ず自らが心臓をしめつけられ、失神して倒れる。特に、その後、恋人となる携帯電話販売営業所の女性を救ったときは、木山自身もうすこしで死ぬというところまで至る。

 まだ、透けてみえる人がポツリ、ポツリだったら、どうということはなかったのだが、ある日から、あっちでも、こっちでも手が透けてみえる人たちに会うようになる。そして、クリスマスイブに走るある列車が、事故にあい、そこで大量の人が死ぬことがわかる。しかも透けてはいないのだが、自分の恋人もその列車に乗ることがわかる。

 そして、木山は自分の人生をかけ、その列車が事故現場に到達できない行動をする。
この作品は、一瞬先の未来であれ、未来というものがわかってしまうことは、人間世界ではあってはならないし、わかってしまうことは必ず不幸を呼び込むと語っている。

 百田は、起こっている事象、あるいは起こった出来事、経験を膨らませて描くと、素晴らしい作品を創造するが、すべてが想像のみの作品となると、凡作になってしまうと、この作品で感じた。

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| 古本読書日記 | 07:21 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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