fc2ブログ

2022年09月 | ARCHIVE-SELECT | 2022年11月

| PAGE-SELECT | NEXT

≫ EDIT

垣谷美雨   「あなたの人生片づけます」(双葉文庫)

 「部屋を片づけられない人間は心に問題がある。」と考える片づけ屋の主人公大庭十萬里が断捨離を具体的に指南する、短編片づけ作品集。

のっけから驚愕する。その大げさぶり。

 主人公の春花が帰宅して1LDKの部屋を見回す。

「そこには、空き箱、レジ袋、ブラウス、毛皮のコート、紙袋、ボールペン、裾に泥がついたままのジーンズ、段ボール、封書、ワンピース、雑誌、クリップ、布団乾燥機、ホッチキス、写真、ジャケット、薬箱、ハンガー、再訪箱、セロテープ、靴下、バスタオル、本、工具箱、値札のついたままの帽子、毛布、ポケットティッシュ、サングラス、髪の毛がついたままのヘアブラシ、ネックレス、CD、スカーフ、黒の礼服、造花、ガムテープ、またしてもホッチキス、化粧ポーチ、バンドエイド、ホットカーラー、ぬいぐるみ、茶色いバッグ、青いバッグ、乾電池、アイロン台、霧吹き、コピー用紙、便箋、ノート、手鏡、カレンダー」

すごいゴミの山。そして、南側の窓の外には出窓があり、そこまでは獣道ができている。

そして別の物語、主婦の主人公三枝泳子。十萬里の指導で高額品を骨董屋に引き取ってもらう。
泳子が聞く。

「結局、全部でいくらくらいになりますか。」
骨董屋が答える。
「衣服が段ボール5箱分、新品の引き出物、新品の鍋とフライパン、掛け軸と陶器類、布団16組、羽枕が16個、座布団50枚、電子レンジ2台と冷蔵庫1台で・・・だいたい全部で5万円くらいですね。」
「えーえ、5万円。そんなに安いの。」
「えー、特別安い価格です。」
「何!安いって。」
「そうです。引き取り料です。」

何!買取価格じゃないの。目が丸くなる。
と、物語の最後はこうなってしまう。日々、断捨離、清掃をこころがけ実行しましょう。

ランキングに参加しています。ぽちっと応援していただければ幸いです。
<

| 古本読書日記 | 05:59 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

石井光太    「遺体 震災、津波の果てに」(新潮文庫)

 2011年3月11日東日本大震災が発生。その直後から被災地釜石にはいり、それから3か月、200人の人達に取材をし、被災の真実をルポした作品。

それにしても、石井は、すごい。震災の現実の取材は、被災者はもちろん、救助隊だって、大変な仕事、そんな時に、マスコミの取材が、最も邪魔で、被災関係者と取材陣はしばしば対立し、被災地で取材陣は歓迎されるものではない。

 更に石井は、作品を創るという観点からの取材で、大手マスコミの看板は背負っていない。
それにも拘わらず、この作品、被災者は、もちろん、救助隊を含め、石井との人間関係が作られ、細部に至るまで、深く取材されている。そして、その内容は、悲劇を強調するような感情的なところはなく、あくまで冷静な取材に徹している。

 こんなことがどうしてできたか、そこについては、何も語られていない。それだけに、石井のルポライターとしての力量に感心することしきりだ。

 自衛隊員や消防団員、警察はその使命として、被害者捜索、遺体捜索は当然のように行うが、例えば、遺体搬送を命じられた、松岡は市の生涯学習スポーツ課の係長、何故自分が?というスタッフはたくさんいた。

 また歯型照合を行った鈴木勝。歯型照合はDNA鑑定より、遺体人物特定に役立つのだが。
歯医者に遺体人のカルテが無いと照合はできない。

 鈴木が歯科医をしている場所は、釜石の高台にあり、津波被害がなかった所だが、被害が甚大だった海岸に近い低地は町そのものが無くっている。

 そこの患者が当然通院している歯医者は、同じ低地にあり、歯医者そのものも、被災しており、照合するカルテも消失している。鈴木は無駄なことをやっているなあと愚痴を言いながらも歯型鑑定をする。

 感動、頑張り場面ばかりが覆われた震災後の場面ばかりでなく、石井はそんな人間の心にまで分け入った、場面をきちんとルポしている。

ランキングに参加しています。ぽちっと応援していただければ幸いです。
<

| 古本読書日記 | 06:14 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

村上龍   「MISSING、失われているもの」(新潮文庫)

 この作品は読み始めて大いに戸惑った。村上龍の作品は構成、テーマ設定がいつもはっきりしていて、読んでいてわかりやすく痛快なところが特徴。

 ところが、この作品は、村上の幼い時から50歳までの小説家としての、精神遍歴が時に迷いながら、苦悩の色が濃く、延々と描かれる。しかも、それが村上自身の咆哮ではなく、別の人間や動物から語られるという独特の方法で進んでゆく。

 この作品に登場する、女優真理子、猫のタラ、そして極めつけは母親。もちろん実在の人物もいるが、いずれもその語りは、村上の苦悩、記憶を呼び覚ましてくれる人、動物となって現れている。

 村上は深い苦悩のため、心療内科にかかる。この若い心療内科医が村上の文学の本質を語っている。

「あなたは、無自覚に、自ら安堵を拒否し、放棄しているんです。安堵することを自分に禁じているんです。安堵がない状態はとても苦しいので、あなたは、表層で、安堵が欲しいと思っています。でも、心の深い部分で、安堵する自分を許せないと決めています。表現に関する問題だと思われます。あなたの人生の中核にあるのは、言葉による表現ですよね。あなた自身の表現活動が安堵の問題と深く関わっていると思っているんです。」

 感情に対する対応についての心療内科の医師の見方は村上の文学に対する姿勢をよく表している。

普通人間は感情に対し、自分から切り離そうとする。しかし、村上は感情を無視せず対応しようとする。しかし、このことは一般の人には難しく、多くの人は逃避したり、間違ったロジックを勝手に作り信じ込む。結果他人を非難したり、暴力を振るったりする。最悪の場合自殺したりする。これらはすべて逃避。村上が苦しむのは逃避しないで、対応しようとするから。これは非常に貴重なこと。他人や周囲をまきこむことなく、やがて感情を客観視できる可能性が生じてくる。

 これを、物語で村上自身が語るのではなく、第3者に言わせていることで読者をうならせる。

ランキングに参加しています。ぽちっと応援していただければ幸いです。
<

| 古本読書日記 | 06:10 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

伊藤たかみ   「ミカxミカ!」(文春文庫)

 伊藤たかみは「八月の路上に捨てる」で芥川賞を獲った。この芥川賞獲得には驚いた。芥川賞は、短編で格調が高く芸術性も高い作品に与えられるものだと思っていた、

伊藤たかみの作品は、もちろん物語としても出来あがりは素晴らしいが、すらすら読めて、しかもユーモアたっぷり。完全に面食らったが、しかし、本当に面白い作品ばかり。こういう楽しい作品が芥川賞を獲ったことが当時嬉しく感じた。

 作品はミカ、ユウスケの双子の兄妹と友達のヒロキの3人が活躍する。小学生の頃は、ミカはオトコオンナといわれ少女、女の子という雰囲気には体形、性格から遠い存在。一方、ヒロキは逆にオトコオンナ、細くてナヨナヨしている。

 この物語で、ユウスケとミカが飼っているインコのシアワセが逃亡する。そのシアワセを追いかける場面がある。先頭で追いかけるミカはぐいぐい、早いスピードで追いかけるがそれに続く、ヒロキは志村けんのヒゲダンスのように、腕を前後に振るのではなく、横に振って走る。そうそう女の子に特徴的な走り方。思わず笑ってしまう。

 3人、小遣いが余ったので、カラオケに行く。
そこで、ヒロキの持ったマイクがミカの頭にあたる。エコーが効いた、ボコー、ゴッツーンと大きな音が鳴り渡る。怒ったミカが真剣にマイクをヒロキの頭にたたきつける。盛大にボコ!ゴッツーンが鳴り渡る。とてもカラオケどころではなくなる。

 しかし、少し時がたつと、3人はあんな歌の無いカラオケ。面白かったなあなつかしく思い出す。

 作品では、あのオトコオンナのミカがスカートをはく。それどころか化粧までするようになる。ヒロキはミカが好きだが、告白できない。ミカはヒロキではなく別の同級生に恋人同士になって、何とキスまでしてしまう。

 中学生同士の、ぎこちなく進展してゆく初恋の姿が、生き生きと描かれる。
楽しく、思わず微笑んでしまう。

 伊藤たかみは女性大作家の角田光代と結婚したが短い期間で破局してしまった。この破局は私には悲しかった。

ランキングに参加しています。ぽちっと応援していただければ幸いです。
<

| 古本読書日記 | 06:51 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

フレデリック クレインス、磯田道史 「江戸の災害」(講談社現代新書)

 平成、令和と災害が多発した。同じように江戸時代も災害が多い時代だった。

災害の江戸時代を、いかに人々は生き抜いたのか、当時のオランダ商館長が克明な日記にして残しておいた。それがオランダ ハーグの国立文書館に所蔵されていた。それを知った歴史家磯田道史が作家フレデリック クレインスに当時の商館長日記を現代文に書き起こすことを勧めてできあがった作品。磯田が都度簡単な解説を差しはさんでいる。

 オランダ東インド会社の日本商館長に任命されると、商館長は長崎出島に赴任する。その直後に江戸徳川将軍に謁見することが義務付けられていた。それで、謁見の承諾が得られると、商館長は出島、長崎をでて江戸に向かう。幕府に大量の貢ぎ物をするため、多くの人工が必要となり、規模の小さい大名の行列くらいになった。一行は長崎から船で大阪まで行き、そこからは東海道を江戸に向かって進む。

 この本で知ったのだが、謁見がすごい。大井川や富士川を渡り、箱根の山を越えやっと江戸に着く。そして宿泊場所の旅館長崎屋に宿泊。そこから、謁見日を幕府役人と調整。これにも結構日にちがかかる。

 そして謁見日が決まる。その当日、貢ぎ物を持って江戸城に向かう。貢ぎ物は別の場所に置かれ、謁見部屋の隣部屋で待機する。そこには謁見を待つ人が何人かいて、順番が来るのを待つ。長い待機を終えて、部屋に入る。将軍がはいってくると大目付が、商館長の名前を言い、商館長は腰を曲げて、顔を畳にくっつけ礼の姿勢をする。すると将軍は立ち上がって消える。これだけ。将軍から何の言葉もない。長崎から一か月以上もかけてやってきたのに。

 そしてしばらくして、また江戸城から呼び出しがくる。指定された部屋に行くと、幕府からの返礼品があり、また一月以上かけて長崎に戻る。すごい威厳だ、徳川将軍は。

 江戸は大阪などに比べて、火災が非常に多かった。これは大阪が商人の町で手代や番頭が主人から厳しく火に気を付けるよう指導されていたから。一方江戸は流れ者や職人の長屋の一人住まいが多くて、それで火災が多発した。

 オランダの商館長も日記に書いているが、焼野原になっても江戸は復興が早かった。火災を見越して、深川に貯木場が整備されていた。それで、深川では材木商人が多く住み、宴会も盛んに開かれた。それで、深川は多彩な江戸前料理が生まれた土地となった。

  それからオランダ人が驚いたこと。被災翌日には大量の食事を作り幕府が被災者にふるまったこと。こんな被災者救済はオランダには無かった。

 こんなことを、作品から知った。

ランキングに参加しています。ぽちっと応援していただければ幸いです。
<

| 古本読書日記 | 06:48 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

磯田道史   「日本史の内幕」(中公新書)

磯田は、教科書や歴史本からは、真の歴史はわからない。それは、埋もれている古文書を探索して、そこででてきた古文書を読み解くことに歴史の真実はわかると言う。
磯田がそんな古文書から見つけ出した多くの真実を描いた作品集。

磯田が見つけた、会心の古文書が仙台藩史料集「仙台叢書」。浅野屋甚内と穀田屋十三郎の伝記が面白い。そして、磯田の他の歴史研究家と異なる凄さ、現在生きている穀田屋十三郎の子孫を探しあて取材に行くところ。
穀田屋が生まれたのは、今の宮城県大和町吉岡。そこは江戸時代小さな寒村宿場町だった。

仙台藩の重税に耐えられず、旅館や店を閉じて廃業する店ばかり。店や住人の数がどんどん減少しわびしい町になる。
これを何とかしなければと立ち上がったのが、穀田屋を初め9人の商人。倒産覚悟で金を出し合う。死に物狂いで出し合った金が、今のお金の換算で3億円。

この3億円を仙台藩主に、年利10%で貸し付ける。その利息が年3000万円。これを当時宿場町に住む家100軒に30万円に配り、衰退する町を救う。

重税で苦しめられている藩主から、町民が逆手をとって、藩主から金を獲得する。その過程は苦労の連続だったが、発想が痛快。

この話は、磯田の「無私の日本人」に所収されている。そして「殿、利息でござる」というタイトルで映画化されている。どういう風に描いているか知らないが、この映画を観た人の多くが涙を流したとのこと。

 尚この映画で、仙台藩主を演じたのがフィギアスケートの大スターの羽生結弦。
機会があったら是非とも観てみたい作品である。

ランキングに参加しています。ぽちっと応援していただければ幸いです。
<


| 古本読書日記 | 05:58 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

石井光太   「ルポ餓死現場で生きる」(ちくま新書)

 世界の貧困、餓死現場を歩き、時には共に生活して、その体験をもとに、ルポした作品。

 飢餓、無教育、売春、子供を兵としての強制連行、悲惨さがこれでもかと言うくらいに赤裸裸に描写される。

 アフリカの貧困の原因は、多くの子供を産むために発生するということがある。子供が10人もいるということも珍しくない。また見境ない性交がHIV患者を発生させる。

 欧米のNGOが、ある村にはいった。家族計画とHIV感染防止を教えるために、コンドームの使い方を教える。

「男性のペニスから、精子が発射されても、女性の子宮に届かなければ、子供はできません。だからセックスする時は、ペニスにここにあるコンドームをかぶせましょう。」

 そういって、木でできている、男性のペニスの模型にコンドームをはめて実演する。

そして、その模型を使って、模型にコンドームをはめる実習をしてもらう。それが終わった後で、たくさんのコンドームを無償で提供する。

 数か月後、村をNGOスタッフが再訪する。
すると、至る所の木の枝にコンドームが被せてあった。

 アフリカの貧困村では、病院などは無く、病気治療は呪術によって行われるところが多い。
子供ができるメカニズムを説明しても、理解ができない。子供を作らないためにはコンドームを木の枝にかぶせることが有効という部分だけしか記憶されないのである。

 石井さんの作品を集中して読んでいる。
救いようのない現実に心が痛い。しかし、この現実をどうすれば克服できるのか、困難とは思うが、その方法の提示が全くない。
石井さんは、悲惨さを知ることが大事と書く。しかし、それだけでは、気分が重くなるばかりだ。

ランキングに参加しています。ぽちっと応援していただければ幸いです。
<

| 古本読書日記 | 05:48 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

中山七里   「毒島刑事 最後の事件」(幻冬舎文庫)

 この作品は「作家刑事毒島」に次ぐシリーズ第2作。「最後の事件」というから、残念だが、毒島シリーズはたった2作で終わりのようだ。確かに、強烈な個性的な人物毒島刑事は物語の最後、刑事を辞職している。

 作品は4つの事件を短編で描き、最後5編目でそれぞれの事件の共通している真実を暴く体裁になっている。

 この4作のうち、1作目と2作目のテーマが共通している。
どちらの主人公も、学生時代は優秀な生徒で、有名大学にはいり、豊かな人生を歩むことが約束されていると確信している。

しかし1作目の主人公は、就職時期が大氷河期にあたり、多くの会社の入社試験を受けたが、すべて落ち、2年間大学院に行って就職に臨んだが、これも失敗。ここを過ぎると新卒入社試験の権利は無くなり、中途採用試験となり、こうなるとますます就職は難しくなる。

 結局食っていかねばならないから、中華食堂の下働きになり、主人や店員からバカ呼ばわりされる毎日を送る。
2作目の主人公は女性。有名大学で心理学を学ぶ。精神医療のエキスパートになることを目指すが、試験に失敗。その後2年間で介護士の資格をとり、老人介護施設にはいり、介護士として働く。そこは、失禁・脱糞・罵倒・セクハラ・異臭と大変な職場。それでも入所者は大事なお客様として扱わねばならない。そんな入所者の中に、有名になった悪人、人殺しをした老人がいた。主人公もその極悪人は知っていた。その悪人が、ある日主人公の顔面に脱糞をした。顔が糞だらけになっても、大切なお客様扱いしないといけないと言われ、極悪人に対しても我慢せねばならないことに怒り疲れ果ててしまう。

 この2人は、事件を起こすのだが、それでも人間は犯行を犯すことは殆どない。
実は、犯行の背中を押す人間が最後に登場する。ここが中山七里のすごいところ。

 佐木隆三の大ベストセラー作品に「復讐するは我にあり」という作品がある。この作品のタイトルは聖書からきていて、復讐は人間がしてはいけない。過ちを犯した人間に対する復讐は神がする、という意味。

 最後にとんでもない神父が登場。その神父は自分が最も偉く、神自身だと言う。それで神父が事件の犯人の背中を押す。

ランキングに参加しています。ぽちっと応援していただければ幸いです。
<

| 古本読書日記 | 06:13 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

歌野晶午    「間宵の母」(双葉文庫)

 ホラーミステリー作品。

  この作品がミステリーなのだが、ホラーとしての色合いが濃いのは次の2点があるからだ。

 私はもちろん経験が無いので、麻薬を取り込むと人はどんな風に変わるかわからない。
この作品が読者を幻惑させるのが、麻薬の作用。

 物語は主人紗江子の小学校時代から始まるが、その紗江子が大学生になる。紗江子は、風采も上がらず、誰とも交わらず、特にキャンパスクィーンと言われている夏純とその取り巻きから徹底して嫌われている。

 同じ学生の元彦は、夏純を恋しているが、夏純は全く振り向いてくれない。そこで、夏純が嫌っている紗江子の家に忍び込み、紗江子を退学させようとする。

 ところが忍び込んでいるところを、紗江子に見つかる。
それで、弱って、「紗江子が好きだから忍び込んだ。」と咄嗟に言ってしまう。すると紗江子から「好きである証拠をみせろ。」と言われ、紗江子を夏純だと思い込み、紗江子を抱く。

  そして、行為が終わって知る。横にいるのは紗江子ではなく夏純であることを。
麻薬の効用が切れたら、横にいるのは誰になるのだろう。

  紗江子の父親は間宵夢之丞といい、母親の二回りも年下。夢之丞はアイドル並みの美貌とスタイルを持ち、紗江子の学校の生徒の母親たちの憧れ。しかも、夢之丞は、様々な話を創作し、その語りが最高に面白い。彼の話を聴いていると、お姫様も王子も小人たちも目の前に登場する。

  魔法のよう。それで、子どもたちから、話をしてくれることをせがまれ大変。
 しかしそんなアイドルのような夢之丞がなんで2回りも年上の女性と結婚したのか。

  実は、夢之丞はロリコン大好き。つまり、紗江子を始め、紗江子の同級生を毒牙にかけたかったから。その時、毒牙にかかった子供たちはあこがれの王子やお姫様に逢える。麻薬を使って、幻覚をみせているのである。

 それから、もうひとつ。特殊な能力を持つ和香奈。まだ小学生なのに、声も表情も祖母になりきれる。

 この2つが、ミステリーとホラーを融合させる。それなりに、面白い。

ランキングに参加しています。ぽちっと応援していただければ幸いです。
<

| 古本読書日記 | 06:13 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

磯田道史   「日本史の探偵手帳」(文春文庫)

 現在の日本と日本人の問題を考えると、江戸時代のことを考えざるを得なくなる。当代随一の歴史学者である磯田が江戸時代から明治時代までの古文書を徹底的にひもとき、現在どのようにして、人々は生き抜くべきかを伝える作品。

 子供のころ、親戚が集まり、よく宴会があった。その時、大人たちが声をあげて歌った歌が、私の故郷の土地柄、武田信玄をたたえた「武田節」。それと詩吟の大好きな人がうなった詩吟

 「鞭声粛々、夜河を渡る」の一節。

この詩吟は、有名な川中島合戦の一節で、短い文章の中に上杉軍が竹田軍の裏をかいて、犀川を渡る様子を詠っている。
 詩吟もそれなりに上手だったが、その日本語の格調の高さに子供ながらに感動した。

この詩を造ったのが、江戸時代後期に活躍した歴史家頼山陽である。

 頼山陽5歳のとき、父が旅から帰る予定日に途中まで頼山陽(幼名麦)が迎えに行ったが父が帰って来ず、一人で帰ってきた。

 母親がどうしたのと聞くと、頼山陽は声をあげ答えた。
「家君、不返。唯麦帰」
返答にも母親は驚くが、表現が簡潔なことにも驚愕する。

 頼山陽は大歴史書「日本外史」を著わし、この本が大ベストセラーになる。この作品で頼山陽は、日本は元々朝廷、つまり天皇が治めていた史実を雄弁に語り、そのため、作品は幕末の志士たちのバイブルになった。

 ベストセラーになったのは、その思想にもあったが、文章が簡潔でわかりやすかったことも大きな要素だった。
 この作品から、現代の日本語がたくさん生まれ、夏目漱石、正岡子規に大きな影響を与えた。

 頼山陽って歴史教科書に名前がのっており、多くの人が名前は知っているが、何をした人物か知っている人は少ない。
 恥ずかしながら私も磯田のこの本で知った。

ランキングに参加しています。ぽちっと応援していただければ幸いです。
<

| 古本読書日記 | 06:08 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

磯田道史  「武士の家計簿」(新潮新書)

 「金沢藩士猪山家文書」というものが手に入ったと神田の古書店から連絡が磯田のところに連絡がある。何と、天保13年から、明治12年までの藩士猪山家の克明な家計簿が記載されていた文書。いったい武士の暮らしの費用はどうなっていたのか、更に武家社会が終了して明治になった後それはどんな変化をもたらしたのかがわかる貴重な文書である。

 それを磯田が調査して、明らかにした作品である。貴重なこの作品は、何と映画化までされている。

 この作品で最もおもしろいと思ったところ。

武士における給料支給日にあたるのが俸禄支給日である。この俸禄の配分が面白い。生活費は別として、家主直之が家族全員に配っている。この支給が、妻、そしてすでに婚出している姉、直之の娘にまでなされているのである。

 江戸時代の武家社会では、女性の財産権が確立されていたようだ。

宇和島藩の記録がある。藩士32人の結婚後を追跡すると、13人4割が離別していた。そのうち5人は離婚を2回経験している。
 江戸時代は結婚したら一生添い遂げるという気運は乏しい。

 更に、宇和島藩の調査では、結婚後3年で死別する夫婦が4割近くいた。20年以上一緒だった夫婦は2割だけだった。

 妻は結婚して子供ができないと、実家に帰らされることが多かった。それで妻、女性の財産の独立権があった。

 武士の結婚は、結納をした後でも、結婚するとは限らなかった。熟縁という期間がそれから半年は続く。その間、新婦は毎月末夫の家に宿泊に行く。更に結婚式の一か月前には2週間夫の家に泊まりにゆき、その上で結婚する風習が一般的だったそうだ。

 きちんとお試し期間をとって、結婚に晴れてこぎつけるのである。

 面白い習慣だ。結婚前破局もたくさんあっただろうな。

ランキングに参加しています。ぽちっと応援していただければ幸いです。
<


| 古本読書日記 | 06:11 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

石井光太   「世界『比較貧困学』入門」(PHP新書)

 驚くことに現在日本は世界3位の貧困大国になっているそうだ。貧困層が2000万人もいて、ホームレスの人達も日本には存在している。この本は、日本の貧困層と海外の貧困層の実態を比較検証している。

 海外の貧困層、スラム街やストリート チルドレン、確かに貧困なのだが、子どもたちは活発で元気にたくましく生きている。一方充実していると言われている社会保障を受けられず、孤立化して絶望の中を生きている日本の貧困層の人達。

 海外の貧困層はスラム街の住人であろうが、路上生活者であろうが、家族更に親族が肩寄せ合って暮らしている。しかし、日本のホームレスの人達はコミュニティーや家族から切り離され、孤独な生活を強いられている。

 海外の貧困層の一番の問題、貧困層が集まるスラム街には、別の国から逃げてきた難民、あるいは、少数民族が入り混じって集まっていること。

 2007年南アフリカのスラム街で大暴動が発生した。2週間で40人以上の人が亡くなった。
このスラム街には、外国人労働者が25000人いた。モザンビーク、ジンバブエ、マラウイなどからやってきた人達だ。

 南アフリカの公用語、共通語はアフリカーンス語か英語である。しかし南アフリカで使われている言語は10以上ある。

 石井が現地で、どうしてこんな暴動になってしまうのか聞く。その答え。
「スラムに暮らす南アフリカの人間も、外国からやってきた貧しい人達も、どちらもまともな教育を受けていないんだ。言葉も、文化も、民族も違う。だから、何があっても膝を突き合わせて話し合って問題を解決をするという選択肢がないんだよ。だから、何か気に入らないことがあれば、暴力で相手を倒すしかないんだ。」

 言葉が通じない。コミュニケーションがありえないのだ。話し合いによって解決が不可能。
この点が日本の貧困と異なっているところなのだ。

ランキングに参加しています。ぽちっと応援していただければ幸いです。
<

| 古本読書日記 | 06:08 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

石川好   「中国という難問」(NHK出版生活人新書)

 中国の近代史、その特質を論じながら、この超大国とどう付き合うかを考察した作品。

中国の陸地における国境線は二万二千キロにも及び、接している国は、ロシア、カザフスタン、キルギス、タジキスタン、アフガニスタン、北朝鮮、モンゴル、パキスタン、インド、ネパール、ブータン、ミャンマー、ラオス、ベトナムと何と14か国もある。しかも未定国境の場所も結構あり、しばしば国境を巡って紛争が起きている。陸地以外では、尖閣を巡って国境問題が日本ともある。

 しかも、中国は現在多民族国家である。
朝鮮族の住む吉林省、黒竜江省、モンゴル族の内蒙古自治区、寧夏回族自治区、新疆ウイグル自治区、チベット自治区、少数民族の宝庫といわれる雲南省、チワン族自治区、これにメインの漢民族。
 なにしろ中国の紙幣には、漢字以外にモンゴル文字、ウイグル文字、チベット文字、アルファベット表記でのチワン語が印刷されている。
こんな中国を統一支配するためには、専制、権威主義国家でなければならない。

 国境紛争、多民族国家に加え、中国には農村部と都市部での巨大な貧富格差の問題がある。
農村では、」横穴式住居に暮らす農民が多数存在する。

 この3つのいずれかの問題で、中国が瓦解する可能性がある。特に貧困問題で農民が決起し、現中国体制を転覆させる可能性があると筆者は論じる。

 しかし、私にはそうは思えない。まず、農民や民族問題で国家が転覆することなど現在ではみたことはない。

 やはり、中国が崩壊するのは、共産党が支配している、人民解放軍が権力に刃をむけたとき、それしかありえない。その可能性は今の所殆ど無い。台湾併合を企て、これにアメリカを中心とした勢力と戦いになった時にその可能性があるかも知れない。

 農民の反乱など、人民解放軍が弾圧すればすむ。何しろ人権など考えない国だから。

ランキングに参加しています。ぽちっと応援していただければ幸いです。
<

| 古本読書日記 | 06:17 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

半藤一利他   「『昭和天皇実録』の謎を解く」(文春新書)

 87年の生涯にわたり、日々の動静を克明に記した「昭和天皇実録」。史実として認められたことも書かれているが、書かれなかった内容も収録されている。この実録を、知識、経験豊富な4人が、1万2千ページに及ぶ実録を読みつくし語った作品。

 色んな作品で、明らかにされているが、昭和天皇、先の大戦を苦しみ、苛立ち、あらゆるものと戦い、最後ポツダム宣言受諾を軍部を抑えて決断したことも、本書には描かれるが、面白いと思ったことは、幼い時代のことが、「実録」に描かれ、流石天皇家は、我々庶民とは違うわと感じたところ。

 誰の作品か忘れたが、先の明仁天皇の皇后、美智子妃は、民間人から嫁がれた、本当かどうか知らないが、美智子妃は、皇室に入ってノイローゼになられたと書いた作品があった。

 入浴する際、侍女がはべって、衣服から下着まで全部脱がしてくれ、体を洗うのもすべてやってくれ、風呂上りには丁寧に体を拭いてくれ、衣服も身に着けてくれる。

 民間では想像もできない。これだけではないかもしれないが、日常の暮らしを天皇家の仕きたりにあわすことを強いられストレスに見舞われたとのこと。

 昭和天皇は明治34年に誕生されている。
昭和天皇もちろん少年時代はやんちゃで、物を投げ壊したり、友達つきあいで乱暴な言葉使いをしたこともある。
 この乱暴な言葉使いについて「実録」で御用掛が諫めたことが描かれている。

「お相手の用いる『こやつ』『ヤイ』『ウン』等の言葉をご使用につき、皇孫御養育掛長丸尾錦作より、御使用を慎むべき旨の言上を受けられる。」

 だめだよ、そんな言葉はやめなさい。
が、実録となるとこんな言上を授けるとなる。天皇家の普段の会話がどうなっているか、覗いてみたくなる。

ランキングに参加しています。ぽちっと応援していただければ幸いです。
<

| 古本読書日記 | 06:14 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

アンソロジー  「だから見るなといったのに」(新潮文庫)

 9人の作家による、短編奇譚集。
残念ながら、これは群を抜いてる発想と思われる作品は無い。しかしどの作品もそれなりに面白い。

 新卒で入社して、初めてのプロジェクトを成功させた住野は、ご褒美として部長、課長とともに神楽坂の料亭「とわの家」へ連れていかれる。

 当然料亭など初めて。あや乃という芸者をはじめ数人の芸者のお座敷芸を楽しんだり、お酒をお酌してもらいながら夢のようなひと時を過ごす。

 宴会がお開きになり、部長がタクシーで送ってくれるということになり、タクシーに乗り込んだとき、店に携帯電話を忘れたことに気付く。
 神楽坂から自分のアパートの駅まで3駅。気持ちがいいから歩こうと決めて、部長のタクシーには自分を乗せずに行ってもらう。

 携帯を取り戻して、駅に向かって歩く。ところが神楽坂は路地ばかりで、いくら歩いても見たことのある大通りに出られない。そんな時、女性に声かけられ、大通りまで導いてもらう。その女性が美しく、名前を聞くと、あや乃と同じ置屋に所属する糸香という芸者だと言う。

 翌日住野は糸香に逢いたくなり、お礼を持って糸香の置屋にゆく。糸香は不在だったのでお礼を置いて、帰りだすと自分を呼んで糸香が駆けてくる。それで糸香を喫茶店に誘う。

 そこにあや乃が老人と客としていた。糸香と別れると、その老人がやってきて、「とわの家」の芸者に恋をしてはいけない。そういえば会社の瀧本部長からも住野は同じことを言われていた。

 しかし住野と糸香はその後デートを重ね、お互いが愛し合っていて、糸香が芸者をやめられる時が来たら結婚することを約束する。

 ある日、住野と糸香は丸の内にあるビルの最上階のレストランで食事をする。そのビルのバーで2人で飲んでいて、また住野はまた老人と会う。

 老人は言う。絶対糸香の肌に触れてはいけないと。触れたらどうなるのか住野が聞く。
老人が答える「死ぬ」と。

 そんなことを聞いても、二人の恋の炎はおさまらない。
2人は糸香の部屋で激しく抱き合う。そして朝を迎える。住野が目覚めて横の糸香を見る。
糸香は冷たくなって、仰向けになった瞳は開いたまま動かなくなっていた。

織守きょうやの「とわの家の女」」より。少しひねりがあったかな。

ランキングに参加しています。ぽちっと応援していただければ幸いです。
<

| 古本読書日記 | 05:44 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

磯田道史    「素顔の西郷隆盛」(新潮新書)

 磯田は対談集で、相手の疑問に回答したり、テーマごとに短い単元で区切った論文は、非常にわかりやすく、なるほどと思える作品が多いのだけど、本書のような一つのテーマで一冊の作品となると、中身がぼやけて、話が散漫になり、掴みどころが無くなる傾向が強い。

 この作品も、これぞ西郷隆盛と思える部分が無く、あれもこれもと羅列気味で、隆盛の魅力が伝わってこない。ただ一か所、これは面白い隆盛の特徴を描いてると思った所を紹介する。

鳥羽伏見の戦いで、西郷は徳川幕府軍を打ち破る。敗れた徳川慶喜は海路で逃走し、江戸に戻ってくる。
 当然、隆盛軍は江戸を目指し、徳川慶喜の首を取る戦いをしようとする。

このまま江戸決戦となると、江戸は火の海になる。それで幕府側の代表勝海舟は、山岡鉄舟を交渉役にしたて、江戸にかけのぼってくる西郷隆盛と決戦にならないよう交渉をする。

 交渉は何回も行われ、山岡はその度に、西郷の居場所と江戸を往復する。

そしておよそ内容がまとまった時、高輪の薩摩藩邸で最終交渉が行われる。しかしそこで決めることはできない。交渉結果を京都に持ち帰り、木戸、大久保、岩倉など朝廷側の了解をとらねばならない。西郷は取って返し、京に帰り、江戸無血開城についての交渉結果を木戸等にする。

 当然木戸等は納得しない。ワーワー非難を浴びる。しかし西郷は持って生まれた人柄を駆使し彼らを説得する。

そんな西郷の人柄について磯田が作品で言う。
「私は、西郷とは餅のような男であるという説を唱えたくなるのです。つまり西郷と言うのは空間的に離れて、誰かの所へ行くと、その誰かと同じ気持ちになる性質を持っている。同じ空間で横に並べておくとだんだん膨れ上がってきて、やがて隣の餅と一緒になり、混然一体となっていく。」

 面白い。勝海舟と西郷隆盛の会話はそれぞれの餅が膨らんで、一つになったということか。

ランキングに参加しています。ぽちっと応援していただければ幸いです。
<


| 古本読書日記 | 06:14 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

石井光太   「僕らが世界に出る理由」(ちくまプリマー新書)

 「物乞う仏陀」「絶対貧困」など社会に衝撃を与えてきた、ルポルタージュ作家が送る青春世代への熱いメッセージ作品。

 石井は大学一年生の時、初めて海外旅行をする。友達がインドに行くと言う。じゃあ、インドじゃなくて、だれも行かないようなところへ行こうと、行先はパキスタン、アフガニスタンにした。ここで、手足を失ったり、眼を失った、多くの難民に出合い、衝撃を受け、高校のころから考えていたルポルタージュ作家になろうと決意をする。

 しかし、いくら悲惨な事態をみても、それで作家になり、次々作品を産み出すことにはならない。

 どのようにしてベストセラー、ルポルタージュ作家は生まれたのだろう。

そこで、彼は決めた。父親は毎日1冊本を読み、それを10年続けろという。しかし10年は長すぎる。それで10年を縮めるために毎日3冊の本を読み、一週間に1冊の本を模写、一か月に一本は作品を書くと決め、それを実行してきた。

 本は時に一日に2冊しか読めないときがある。それで、翌日4冊読み、決めたことはくずさなかった。信じられない。こんなことを必ず実行してきたとは。

 才能とは、血の滲むような努力、修行によって生まれるものだとつくづく思う。

この本で、南アフリカの売春婦と石井が会話する場面がある。

 売春は、HIV感染になる可能性があるからやめようと石井が売春婦に言う。

売春婦が答える。

 「この国の路上やスラムでは、レイプが横行していて、誰でもHIVに感染する可能性があるわ。私は数年間売春をしてお金を稼ぎ、こんな国を脱出するか豊かな地区に移り住むことができれば、その危険性はなくなる。だから売春してるの。」

HIV感染者にならないために、売春をするとは、石井は何の言葉も発せられない。

世界は理解を超えて、深い。

ランキングに参加しています。ぽちっと応援していただければ幸いです。
<

| 古本読書日記 | 05:53 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

喜多嶋隆   「潮風メニュー」(角川文庫)

 とれたての魚介類と地元の有機野菜を使った料理が評判の、主人公海果が葉山でやっている食堂。ようやく軌道にのりはじめていた。海果は中学一年の女の子愛と2人暮らし。

愛の母親は重い病気にかかって、ずっと入院している。

 そんな海果の店に地元銀行の担当者がやってきて、海果の父がこの店を始めた時に貸したお金を返済して欲しいと要求してくる。何とか毎月15万円を返済することで了解をもらう。しかし15万円の返済は、暮らしを困窮させる。

 海果と愛は、毎朝魚市場に行く。そこで、傷があったりして売れなくなった魚を拾い集めて食材としている。

 海果は、愛にアルバイト代として600円あげている。愛はそれを筒の箱にいれ貯めている。ところがある日そのお金がどんどん減っていることに気付く。

 母親の入院治療費にあてているのだ。とても間に合わないと思い、海果はアルバイト代を700円にしてあげる。

 この海果の店で、映画の一シーンが撮影される。この映画の主役を海果も知っている。店にたまにやってくる慎一だ。この映画は評判になり、慎一は一躍スターになるが、その時慎一はアジアに旅行していて日本には不在。

 慎一が帰国して、写真集をだすと海果に言う。写真集のタイトルは「生きている」。
アジアの農村や貧民街で、懸命に働き生きている人々を撮影している。その写真集に海果と愛が市場で朝、捨てられた魚を拾い集めている写真がある。

 愛の中学校で修学旅行がある。北海道に行くのだ。しかし愛には旅行のお金がなくて、修学旅行には行かれない。
 ここからがクライマックス。

喜多嶋さんの作品は、発想にすごさはないが、挿入されるBGMとともに淡い映画をみているようなシーンが続く。いつも引き込まれ、印象がさわやかで、暖かい。

ランキングに参加しています。ぽちっと応援していただければ幸いです。
<

| 古本読書日記 | 06:04 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

猪瀬直樹 磯田道史  「明治維新で変わらなかった日本の核心」(PHP新書)

 猪瀬と磯田による平安時代から江戸時代までを読み解く討論集。
統治制度、社会構造の変化についての説明は説得力があり面白いが、その中でもこれは面白いと感じた部分を紹介したい。 

 1500年から1700年までの200年の間に日本は大きく変わった。

それまでは、中国を中心に、多くの物品外国から輸入した。日本では輸入代金に値する物品が無いので、かなりたくさんの人身を外国に差し出した。」

 それまで甲斐の金山はあったが採掘量は少ない。ところが16世紀初頭石見銀山が発見され、その埋蔵量が膨大だった。何しろその当時日本の銀の産出量は世界の三分の一を占めていた。
 これで、輸入代金支払いができるようになった。

当時中国は先進国だった。だから色んな工業製品を日本は中国から購入した。

 しかし、日本人は中国製品を研究して、多くの製品を自前で生産できるようになった。どうやって調べたかわからないが、1700年になるとGDPは中国を追い抜いたそうだ。

 銃火器の生産、蚕を使った絹織物の生産が飛躍的に伸びたが、中でも特筆できるのが綿花の栽培と綿製品の加工生産だった。

 それまでは、農民は寒い冬を越せず、凍死する者が多かった。寝るとき暖をとるのは、土間に積んだ藁束。その束の中に体を入れて眠るのが一般的だった。

 それで、多くの人達が結婚もできないまま凍死した。

 しかし綿製品の製造により、布団が登場。みんな布団にくるまって寝るようになった。
おかげで農民の寿命は飛躍的に長くなった。それまでは、農民は奴隷のような扱いだったが、布団のおかげで、独立自由民になった。

 綿が日本を変えた。

ランキングに参加しています。ぽちっと応援していただければ幸いです。
<

| 古本読書日記 | 05:47 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

アンソロジー  「YOUMING TRIBUTE STORIES」(新潮文庫)

 ユーミンのデビューから50周年を記念して、一流女性作家が自分の大好きなユーミンの作品をモチーフにして描いた物語集。

 私の大学卒業時にユーミンが登場した。就職すると音楽を親しむ習慣が殆ど無くなっていたので、悲しいかなユーミンへの思い入れがあまりない。老人になってユーミンの曲を楽しむという状況。
 それで、殆どの物語が、あまり共鳴できず、著名な作家たちに申し訳ない気持ちになってしまった。

 それでも、小池真理子と桐野夏生は私と同世代で通じるところがあった。ここでは小池さんの「あの日にかえりたい」という作品をとりあたい。

 主人公のタカコは二流の私大にはいり、サイゼリア ハウスという学生アパートに入居する。アパート代は月7500円。ボロアパート、風呂なし。しかし1970年代前半の学生アパートはそんなもん。私は学生寮だったが、朝夕食2食つきで6000円だった。

 この物語にあるように、大家さんに最初にあいさつに行くと、女子学生は必ず言われた。
「大事な娘さんを親御さんから預かっている。はめをはずす行動は絶対謹んでください。」

大学3年のとき、私は寮をでて、アパートに移った。隣部屋の医学部の学生の部屋に、しょっちゅうミッション系高校の女子高生が遊びにきていた。いまでは死語になった「同棲時代」という劇画が大ベストセラーになった。

この物語では、美男子カズヒコに、ミチコ、ハルコ、そして 主人公のタカコが絡む。
カズヒコが君たちにはステディの人はいるかと質問する。3人の女性は即いないと答える。
 するとカズヒコがそれは国家的損失だと言う。タカコがふざけて言う「異議なし」と。

そう当時はまだ学生運動の名残があって、何かにつけ「異議なし」と声をあげた。なつかしい場面だ。

 同棲なんて言葉が流行りだったが、男女が体の関係をもつことは、汚らわしいこととして、学生や親たちは忌避する道徳観が強かった。

 この物語のように、カズヒコとタカコは2人だけでひと晩をすごすが、別々の場所で寝て、体の関係を結ぶことは無いことがしばしばだった。

 それでも、その行動が嫉妬、誤解を生み、結果ミチコが自殺してしまうのが悲しい。でも、それがあの頃の青春だった。

ランキングに参加しています。ぽちっと応援していただければ幸いです。
<

| 古本読書日記 | 06:24 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

磯田道史   「歴史の読み解き方」(朝日新書)

 近代日本が出来上がった土台がどこにあったかを解明する歴史書。

10万人当たりの殺人発生率を比べると、アメリカは年間7人、台湾が8人、韓国は1.6人。
これに対し日本は0.5人と圧倒的に少ない。日本は世界屈指の安全国家であるが、どうして日本がこんなに安全な国になったのか。

 江戸時代大好きの磯田は、そのルーツは江戸時代にあると規定する。しかし、この作品を読んでも、あまりすっきりした説明になっておらず、少し首をかしげた。

 江戸時代の行政を司るのは武士。今は公務員。江戸時代の100人当たり武士は2人。戦後日本の100人当たり公務員は4人。

 およそ江戸時代には公務員である武士が行政サービスを行うという概念は無かった。武士が行うのは、藩主を警護し、藩主が生きてゆくためのサービスを行うというのが仕事。

苛酷な年貢米をとるのは、領民へのサービスをするためではなく、藩主を支え、そのための武士を養うためのもの。

 もちろん、事件を捜査し、犯人を逮捕して、裁判を行う制度は存在したが、この過程を踏むのは被害者の家族からの訴えがあるときに限り、道端に殺された人がいても、訴えが無い限り捜査は行われない。
 そして裁判になると、どんな罪でも死罪になる確率が多かった。

それで事件が起こると、庄屋など町の有力者が事件当事者を説得して丸くおさめてしまうのが一般的だったようだ。

 やはり、日本での犯罪件数が少ないのは、隣組という監視制度と庄屋など有力者の教育指導にあったと思う。そして戦後GHQによって確立された警察制度にあるように思う。

ランキングに参加しています。ぽちっと応援していただければ幸いです。
<

| 古本読書日記 | 06:21 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

今村翔吾   「湖上の空」(小学館文庫)

 「塞王の楯」で直木賞を受賞した今村の初エッセイ本。
今村は小学5年生の時、池波正太郎の「真田太平記」12巻を読み感動して、小説家になろうと思った。

 しかし関西大学を卒業して、父親がやっているダンススクールのインストラクターになり、将来は父親を継ごうと考えが変わっていた。
このダンススクールはもちろん普通の子や大人もいたが、主に、学校で落ちこぼれ問題児たちが中心のスクールだった。

 今村が30歳の時、夜半、スクールに通っている女子高生が失踪した。家族が携帯に電話しても、電話にでない。今村が電話をすると彼女はでた。

 彼女の居場所を確認して、彼女を拾って家まで送り届ける。車中何もしゃべらない。
しばらくするとまた失踪する。以前より少し遠くなる。
そして、同じことを何回も繰り返す。

 たまらず、車中で今村が聞く。
「将来やりたいことはないのか。」
「あるけど言えん。」
彼女は母子家庭。夢をかなえるためには、専門学校に行かねばならない。だけどそんなお金は無い。家族を犠牲にしてまで、やりたい訳ではない。と言う。

 そして
「先生だってやりたいことがあるのに、何でダンスインストラクターなんかやってるの。」と言う。

 この言葉に衝撃を受ける。そしてその夜今村は今後を考える。
 数日後、父親にインストラクターをやめ小説家をめざすと告げる。父親もわかっていた。そして父親は頷く。
直木賞作家今村の背中をおし誕生させたのは、家出を繰り返す女子高生だったのだ

ランキングに参加しています。ぽちっと応援していただければ幸いです。
<

| 古本読書日記 | 06:01 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

半藤一利他  「司馬遼太郎リーダーの条件」(文春新書)

 江戸末期から明治維新、それから明治終わりまで、多くの著作を残している大作家司馬遼太郎が描いたこの国のリーダーの条件とは何であったか、著名な論客が語り合った対談集。

 文芸春秋が識者200人に明治から今までに後世に残すべき作品は何かアンケートをとったところ1位は「坂の上の雲」2位は西田幾多郎の「善の研究」3位が「吾輩は猫である」だったそうだ。

 司馬遼太郎は、それまで影に隠れて脚光を浴びていなかった人物を、類まれな指導者として世に送り出した。

 その筆頭は何と言っても坂本龍馬。

そして坂本龍馬は希代の人たらしで、人たらしこそ最高のリーダーの条件と言う。人たらしとはどういう人間か司馬が言う。
「龍馬ほどあかるく、これほど陽気で、これほど人に好かれた人はいなかった。」

いくら高邁な思想、国の在り方を語っても、陰気で嫌われる人はだめ。評価は分かれるけど安倍元首相や小泉元首相は明るく人なつっこい。それに比べ今の岸田首相は、もう一つ。

 それから司馬が発掘した卓抜な指導者は越後長岡藩牧野家の家臣河合継之助。作品「峠」で描かれ、映画にもなった。

河合は司馬が作品で描くまでは、地元長岡では藩を荒廃させたと、どちらかといえば評価しない人が多かった。しかし司馬の作品により、評価と人気は180度逆転した。

 「峠」を読んだ時、河合はものすごいことを考え、実現しようとしていたことを知り驚いたことを覚えている。
 何と長岡藩を永世中立国スイスのようにする。つまり日本から独立して武装中立国にしようとしていた。明治維新の時にこんなすごいことを考えていたのだ。

 それからリーダーでは無いけど、司馬は「花神」で驚愕な人を登場させている。

宇和島藩で細工物製造販売をしていた嘉蔵である。藩重役が、自動で動く帆船の製造を命じた。嘉蔵はからくり技術を利用してその帆船を作る。

 驚いた重役は、長崎に行かせて、蒸気機関を研究させ、蒸気船の製造を命じ、2度の留学の後、嘉蔵は見事に純国産の蒸気船を完成させ、瀬戸内海を走らせた。まだ明治前の安政時代の話である。

 この物語を読んだ時、小説は事実から飛び出し、空想を描くものと考えていたから、司馬もとんでもない空想を書いたものだなと思っていたら、嘉蔵は実在していたし、蒸気船製造も本当のことだったと知り、ぶったまげたことを思い出す。

 この本は、そんなことを思い出させる。

ランキングに参加しています。ぽちっと応援していただければ幸いです。
<

| 古本読書日記 | 05:59 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

山田詠美   「ファースト クラッシュ」(文春文庫)

 タイトルの「ファースト クラッシュ」は初恋のことだ。

 高見澤家の主人は、しばしば神戸へ泊りで出張していた。そんな父親がある日突然、新堂力という少年を連れてきて、今日から一緒に暮らす力だと紹介する。力は主人が神戸で愛人との間にできた子だった。

 高見澤家には、3人の娘がいた。娘たちは今まで恋をしたことがなかった。無菌状態で免疫の無い3姉妹は力に対してたちまち恋におちた。これに、3姉妹の母親が加わる。

 初恋についての、山田さんの表現がすばらしい。
3女の薫子が、姉の咲也に初恋について聞く。咲也が答える。  

 「ファースト クラッシュって、人生で最初の脳みそ破壊だよ。」

 で次の恋からは、またクラッシュされて、恋の上書きが起こる。そしてファースト クラッシュはただの記念碑になる。

 その脳みそを破壊するクラッシュとはどんなものか。次女咲也のクラッシュが最高。
高見澤家には、植物を栽培しているサンファームが庭にあった。そこで力が水やりの水を頭から浴びる。この部分はまさに山田さんしか書けない表現である。

 「力はシャワーを浴びるかのように、水の噴き出す先端を自身に向けて楽しんでいた。目を閉じ、口を開け、足を踏み鳴らし、あたかも雨乞いに成功した原始人のように歓喜の中にいた。
 呆然としたまま、私は、ただ力に心奪われていた。やがて、猛烈な喉の渇きを覚えて我にかえった。あれほど旨そうな水を見たことがなかった。飲みたい!ごくごく喉を鳴らして、飲みたい。どんな泉からわくのより、たぶん、はるかにおいしい水。」

 彼の体から、ほとばしり流れる水。飲みたい。これこそ最高の恋の味。

 こんな卓越した表現がたくさん散りばめられている見事な作品だった。

ランキングに参加しています。ぽちっと応援していただければ幸いです。
<

| 古本読書日記 | 05:54 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

石井光太  「それでも生きる 国際協力リアル教室」(ちくま文庫)

 世界に溢れかえっている貧困チルドレン。その実態を綴った貧困子ども問題入門書。
石井光太が書いた当初の同じテーマの作品「物乞う仏陀」「絶対貧困」は驚愕した。そのルポルタージュには石井の嘆き、絶望、怒りが迸っていた。

 それから大分時間が経って発表されたこの作品は、だいぶおとなしく、静かな作品になっている。

 この作品を読むと、絶対貧困家庭に生まれた子供は大半がどうなるかがわかる。
女の子は子供の頃からブローカーに売られ、売春婦になる。

そして貧困子どもが溢れかえる国は、たいてい国のなかが内紛状態になっている。男の子は政府に抵抗するゲリラ軍にとられてゆく。

 石井が見聞きしたウガンダの子供のことを書く。

その子は、村の子と遊んでいたとき、突然武装兵に囲まれ、ついてこいと脅され森の中に連れていかれる。そこで、兵に囲まれ、銃を渡され、向こうの村をこれから襲う。

 銃など手にしたことはない。一緒に遊んでいた友達は怖がって足がでない。すると兵士は銃を放って友達を目の前で殺してしまう。

 村人が命乞いをしながら出てくる。

兵士は村人を撃てと命令する。しかし、恐ろしくてとても撃てない。兵士が言う。

「人殺しなんて慣れだ。一度やればあとは平気になる。」

村人は懸命に命乞いをする。どうしても撃てない。兵士が子供の手をつかんで、引き金を一緒に引く。村人は血を吹き飛ばして目の前で死んでゆく。兵士が言う。

「おまえは人を殺した。あとは何人殺しても一緒だ。村に戻って降伏しても、殺人で処罰され死刑になるだけだ。だから俺たちの下で兵士として一生暮らすしかない。」

悲惨な映画を見ているような思いになる。

ランキングに参加しています。ぽちっと応援していただければ幸いです。
<

| 古本読書日記 | 06:22 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

磯田道史  「江戸の備忘録」(文春文庫)

 信長から秀吉、家康の秘話に始まり、江戸時代を通じての面白話を語ったエッセイ集。

幕末の大発明王といえば、九州久留米に登場したからくり儀右衛門。

江戸時代の寺子屋は無法地帯で児童はおとなしく机について勉強はしない。儀右衛門は悪い子に筆や墨を盗まれた。

 そこで儀右衛門はひらめく。盗まれない筆箱、硯箱を作ればいいと。儀右衛門9歳の時である。

 そして、つまみをいくらひねっても、開かない物を作った。今の金庫である。9歳の子が金庫を作ったのである。

 江戸時代には、西洋にあるものは殆ど日本にもあった。ただ、蒸気機関やエンジンなどの機関は無かった。儀右衛門はこれに挑戦した。最初に造ったのがからくり人形。小野小町が傘をさしている。その傘から雨がしたたり落ちている。

 この天才に目をつけたのが佐賀藩。ここで、蒸気機関を作り蒸気船を完成させる。アームストロング砲、自転車も作った。そして何と驚くことに通信用電信機まで拵えた。

 この儀右衛門の発明の部屋は明治維新後工場となる。そして東芝になってゆく。
大発明家儀右衛門がルーツである東芝。その東芝の昨今の凋落ぶりは悲しい。

 江戸人は猫は10年生きれば、人語を話すと信じていた。そして、特に小石川あたりの猫はよく人語を喋った。

 ある寺で、猫が鳩を狙っていた。これを和尚がみて「あぶない」と叫ぶ。鳩はすんでのところで逃げ、命を拾う。猫がその直後「残念なり」と声をあげる。

 隣家の猫がきて、我が家の猫に「ニャア」と声をかける。すると我が家の猫は「来たな」と答える。

 そんな事があってから32年後に小石川である男の子が誕生した。この子は小さい頃から猫は人語をしゃべるものと聞いて育った。

 そしてこの子は大きくなって猫が喋る名作を書いた。夏目漱石「吾輩は猫である」。

ランキングに参加しています。ぽちっと応援していただければ幸いです。
<

| 古本読書日記 | 06:00 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

磯田道史   「徳川がつくった先進国日本」(文春文庫)

 この本を読んでも、このタイトルが本当かなあと思ってしまい、正直徳川が創ったのでなく、徳川260年間国が平和で安定し、そこから人民が自然と明治維新に繋がる革命の基盤が出来上がり、幕府が創ったようには思えなかった。

 天下の悪法として名高い5代将軍徳川綱吉が制定した「生類憐みの令」。この法令は巷間言われるように犬の命だけを尊重しようという法令では無かった。

 具体的条文では
犬ばかりに限らず、惣ての生類人びと慈悲の心を本といたし、憐み候儀肝要事

 この法律は生きとし生けるもののすべてを将軍が保護するという法律。
この法律により、老人を姥捨て山のようなところに捨てることは禁止。また病人や行き倒れになった人の治療を放棄して打ち捨て、殺してしまってはいけないと解釈、規定されているのである。

 この法令は20年にわたり続けられる。その結果「命を大切にする」という価値観が根付く。
 これは政治・統治の面から見れば、「殺す支配」から「生かす支配」への大きな転換だった。

 お代官さまという制度があった。よく悪代官といわれあまりイメージは良くない。
お代官というのは、例えば、領主が江戸に滞在するとき、領主に代わって、国を治める役人で、幕府より派遣されていた。

 松平定信の時に、このお代官を世襲のような武士から選ぶのではなく、能力、人間性から選抜。この結果多くの名代官が誕生し、地方は実のある改革がなされた。

 この選抜が明治維新の新たな体制、人材配置にも生かされた。
こう磯田は言うが、徳川幕府を評価しすぎと思ってしまった。

ランキングに参加しています。ぽちっと応援していただければ幸いです。
<

| 古本読書日記 | 05:35 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

磯田道史  「『司馬遼太郎』で学ぶ日本史」(NHK出版新書)

 司馬作品からひもとかれた日本史について描く。

私も、司馬作品を殆ど読んだが、司馬は明治維新を革命と位置つける。
そして、大村益次郎を描いた名作「花神」でも書いているが、革命は3段階を経て完成されるという。

 「大革命というものは、最初に思想家があらわれて非業の死をとげる。日本では吉田松陰のようなものであろう。ついで、戦略家の時代にはいる。日本では、高杉晋作、西郷隆盛のような存在でこれまた天寿をまっとうしない。三番目に登場するのが、技術者である。蔵六(大村益次郎)が後年担当した軍事技術である。」

 そして社会や会社とはそういうものであるが、その果実をすべて受け取ったのが陸軍元帥山県有朋。
 その果実を受け取った者から腐敗は始まる。

高杉の作った奇兵隊の戦士だった三浦梧楼陸軍中将が、ある日、本営にいる山県のところへ給料をもらいにゆく。

 そのとき給料はわずかだったが、もう一袋交通費と言って、別袋を渡される。これには多くのお金が入っていた。
 表にはだせないお金だと三浦は思う。そして三浦は自分たちがやってきたことが、だんだん変質してきていると思う。

 明治の日露戦争を描いた大傑作「坂の上の雲」。この作品のタイトルに込めた司馬の思い。
明治時代の人達が懸命に目指したのが「坂の上の雲」。しかし残念だけど、いくら目指しても「坂の上の雲」まで到達することはできない。

 山の頂上まで行けば、後は下るしかない。下った先には、暗い軍国主義国家である昭和が待っていた。すごいタイトルだといつも感じる。

ランキングに参加しています。ぽちっと応援していただければ幸いです。
<

| 古本読書日記 | 05:51 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

磯田道史  「歴史の愉しみ方」(中公新書)

 磯田が日本全国を巡って探し当てた古文書をベースに、歴史の見方、面白さを描いた作品。

関東で元禄16年に大地震が発生、大きな被害をもたらした。その4年後に、今まさに心配されている南海トラフ大地震になぞらえられる、宝永大地震が起きた。この地震では大津波が起こり、最も被害が大きかったのが浜名湖エリアだったそうだ。私が住んでいる近くだ。

 磯田は、それにしては多大な被害を受ける浜松、浜名湖エリアは地震に対しての危機感が殆ど無い。それを嘆き、地震の恐怖を伝えるために、浜松にある静岡文化芸術大学に准教授として移ったそうだ。

 江戸時代以前武士は前頭部から頭部中央にかけて、髪を剃り上げた。月代である。これは兜をかぶった時、蒸れないようにしたためである。

 宣教師ロドリゲスがこの風習について書き残している。
それによると、何と秀吉以前は頭から髪の毛を引き抜いて月代にしていたそうだ。それで月代にするときは、頭から多くの血が流れ、血だらけになったそうだ。

 秀吉以降、剃刀が開発され、剃刀で剃ったそうだ。頭に月代を創ることは大変だったのだ。

 徳川幕府は、多くの甲賀忍者を抱えた。この甲賀忍者が住んでいたのが当時「青山甲賀町」。これがどこなのか調べたところ、神宮球場のライトスタンドの裏側あたり。今はヤクルトスワローズの選手が走っている。

 そうかヤクルトがセリーグ2連覇を果たしたのは、ヤクルトの選手が忍者だったからなのかもしれない。

ランキングに参加しています。ぽちっと応援していただければ幸いです。
<

| 古本読書日記 | 05:52 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

白石一文   「君がいないと小説は書けない」(新潮文庫)

 小説家を目指してから、小説家となり還暦を迎えるまでの自伝的小説。
白石は、父親は時代小説作家の白石一郎、双子の弟も作家の白石和郎で完全な作家一家である。

 この小説600ページを超える大作。白石が文芸春秋に大学をでて、就職。その文春時代を経て、作家になり、還暦を迎えるまでを綴ったところまでは、文学とは、作家とは、人間の死とは、と色んな経験をベースに思索。この部分は、興味が募り、面白かったが、この作品のタイトルになっている2番目の妻「君」との物語はやや通俗的になり、少しがっかり。

 人間の死はいつやってくるのかという問いかけが面白かった。人間は物理的に死んでも、その時点では完全に死んではいない。それは、死んだ人と関わり合った人の記憶の中に、生きているから。だから、記憶、思い出を持っている人が死んだときがきて、初めて人間は死んだことになる。

 イエスキリストは、復活して完全に神となった。だってキリスト教が存在する限り、信者の記憶にはイエスキリストは刻まれていることになるから。

 この作品で、思わずその通りと思ったのは、小説家になるためには人生が必要だというところ。
 最近は若い人が芥川賞などを受賞し、はなばなしく作家デビューをするが、そういう作家たちは2作目以降から苦しむ。彼らには人生が無いからだ。

 作者は言う。
「還暦を迎える年齢になって私が痛感しているのは、若い時期だからこそ掴める真理、生かせる知見といったものは殆ど皆無に等しいということだ。」

 例えば物理や自然科学という世界では、若くても天才であれば、新しい真理を発見することができる。しかし文学の世界では、作者の視座の大きな深み、精度は年齢を経て獲得、そして進歩してゆく。

 作者は言う。
「私自身、若いときに考えていたことで、今の自分の考えよりも優れているなと思えるものはほとんど見当たらない。」

 作家はこうであって欲しい。だから白石作品から離れられない。

ランキングに参加しています。ぽちっと応援していただければ幸いです。
<

| 古本読書日記 | 05:49 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

| PAGE-SELECT | NEXT