甘糟りり子 「マラソン・ウーマン」(幻冬舎文庫)
当然、完走までには、それなりの苦闘、それに伴う心の浮き沈みはあるが、アディダスの専用スタッフがつき、徹底的なトレーニングを施し、シューズもウェアもアディダスの最高の品が提供され、さらにR-BODYというトレーニングと専用の講師が用意される。
さらにフィンランド製の特殊心拍計、スント72000円を身に着け、走りのトレーニングの課題、問題が検討され、次への練習に反映されていく。全く至れり尽くせりである。
こんな状況の中、甘糟当人の辛さをどんなにデフォルメして表現しても、これだけの支援と条件の中で、ロンドンマラソン完走は予定調和の中で達成されるのは、読者にはわかっていて、甘糟の苦労の叫びは正直伝わってこない。
正直、こんなことを本にしてはいけないなあと感じてしまった。
そんな中、このマラソンとは関係ないが、甘糟がファッション誌などにエッセイを書きまくっていたとき、小説家として甘糟を世に送り出した、幻冬舎の編集者石原の言葉が心に残った。
「甘糟さんは、もしかしたら、小説家に向いているかもしれない。」
「どうしてですか?」
「あのね、甘糟さんは言葉が意識の外にあるタイプだと思う。」
よく作家は、小説を書いているとき、登場人物が自分に住みついて、勝手に動きだし、そしてその時言葉も勝手に生まれてくる時があり、そうやって書き上げた作品は素晴らしい作品になると小説家は言う。
なるほど優れた作家というのは、言葉が意識の外にあるのか。こう表現した編集者石原の言葉はすごい。
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| 古本読書日記 | 06:07 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑