fc2ブログ

2022年06月 | ARCHIVE-SELECT | 2022年08月

| PAGE-SELECT |

≫ EDIT

黒木亮    「国家とハイエナ」(下)(幻冬舎文庫)

最近スリランカが国家破産を宣言した、破産はあんまりないと思っていたが、この作品によると、破産に瀕している国は結構存在していて、この作品は西暦2000年頃を舞台にしているが、その当時でも、破産に瀕している国はアフリカでは33か国もあったそうだ。

 ハイエナファンドが最貧多重債務国から、金をむしりとる方法は債務国相手に裁判を起こし、100%勝訴して、それを背景に金を得る。この物語でも、多くの債権者が少しでも金を回収できれば御の字として、債務国と交渉によりお金を幾ばくか回収するが、ハイエナファンドは一切の交渉は拒否して解決は裁判によってなされる。

 実は、国際慣習法で、国家は他国の裁判に服することはないと決められている。これはソブリン・イミュニティと言われる慣習法である。これで、どうしてハイエナ・ファンドが存在する国で、裁判ができるのか不思議に思うのだが、債権者は債務国と売買契約や投資受入れ契約を行うときにそっと、このソブリン・イミュニティ条項を削除しておくのだそうだ。

 これに従い、ハイエナ・ファンドはイギリスやアメリカで裁判を起こす。そして絶対勝訴する。必ず勝訴するといっても、債務国が要求通り、債務を支払えないこともある。その場合、ハイエナ・ファンドは債務国の対外資産を事前に調査して、差し押さえる。

 この作品でも、航行中のタンカーと石油が途中の寄港地で差し押さえられたり、飛行中の飛行機が途中の空港で差し押さえられ、その先に進めなくなったことが起きている。

 どうして、国が最貧国でお金が無いのに、巨額な投資を受け入れたり、物品を輸入したりするのだろうか。それは権力者は、全く国民のことなど眼中になく、いかに売買や投資の間に入り金をくすねるかしか関心が無いからである。

 権力者にとっては、国民はハエや蚊程度の存在。世界ではハエや蚊が夥しい数、存在する。

ランキングに参加しています。ぽちっと応援していただければ幸いです。
<


| 古本読書日記 | 06:52 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

黒木亮   「国家とハイエナ」(上)(幻冬舎文庫)

 この小説は3つの物語が折り重なって進行する。そして、この物語は、実際に起こったことを著者黒木が取材により創作したもので、ほぼ真実だそうだ。

 まずは、主人公のサミュエル・ジェイコブスが率いるジェイコブス・アソシエイツは債務を支払えなくなった国家の相手方の債権を安価で購入、これを債務国家に元の元本で売り、更に金利まで含め、購入価格の十数倍で回収し、大儲けをする投資ファンド。

 ハイエナファンドという名前は、黒木がつけたらしいが、通常ハゲタカファンドに含まれるファンドだが、小説を読んで「ハイエナ」とはふさわしい命名だと思った。その会社のハイエナぶりが描かれる。

 次にこのハイエナに対抗するジュビリー2000という活動を国際的に行っている組織を率いる沢木の活動が描かれる。

 ジュビリー2000というのは「旧約聖書」で示されている「ヨベルの年」をさしている。「ヨベルの年」というのは、7年周期で訪れる。そして7年目の翌年では、全ての奴隷は解放され、背負った債務からも解放されるという予言からくる。重債務貧困国では、日々1ドルにも満たない金額で生活を強いられている多くの国民が存在していて、餓死者も大量にだしている。多重債務を債権者が放棄すれば、そうした苦しい人々を救うことができる。だから債権国や債券を有している輸出者に、債権の放棄を促す運動をしている組織。

 そんなあこぎなハイエナファンドの物語に、異色の物語が被さって進行する。

主人公のジェイコブスの長男が結婚相手をジェイコブスに紹介する。この相手が何と男性。住んでいるニューヨーク州では、同性婚は認められていない。ジェイコブスは、最初は同性婚を否定し、長男を非難するが、最後は認め、同性婚を認めるようものすごい金を使いロビー活動をして、最終的には新しい法律を成立させる。

 お金のためには、相手を地獄まで突き落とす冷酷なジェイコブスなのだが、同じ金の力だが、少し血の通った姿を見せるのが物語の救いになっている。

ランキングに参加しています。ぽちっと応援していただければ幸いです。
<

| 古本読書日記 | 06:49 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

江戸川乱歩    「江戸川乱歩傑作選」(新潮文庫)

 乱歩の作品から選りすぐった9作品を収録している。殆どの作品は既読なのだが、「二廃人」という作品は既読かもしれないが、記憶に無いのでここで取り上げる。

 湯治にやってきた主人公の井原は、湯治場で斎藤という男と遭遇する。
斎藤は、戦争で大きな傷を負い、そのため湯治に来ているが、廃人のような状態にある。実は、井原も現在廃人のような状態にあったので、思い切ってその状況を斎藤に語る。

 井原は、その時夢遊病で苦しんでいた。
夢遊病というのは、寝ている時、当人はまったく記憶にないのだが、とんでもない行動をしてしまい、それを朝他人から指摘されて、初めて知るという病気である。

 井原には、そんなことが小学生の時からあった。
ここ最近どんどん症状が悪化していると同宿している木村に指摘され。いつか殺人などを起こさないか恐怖の中にいた。
 そんな時、下宿に泥棒が入り、主人が殺害され、主人の財産が入っていた風呂敷包が盗まれる。そして井原が目覚めると、その風呂敷包が井原の枕元にあった。

 井原は自分が泥棒をして、主人を殺害したのだと観念して警察に自首する。
しかし、井原は父親の支援で、夢遊病では罪が問えないことになり釈放される。

 斎藤は、木村が井原を夢遊病者に仕立て上げ、事件を起こしたのだと言いおいて宿を去ってゆく。

 読者は、途中から斎藤が木村だろうと気付くようになる。そして、2人とも今は救いようのない廃人であることに切なさを深くする。
 単純なミステリーなのだが、段々読者が真相を知りつつ、最後にいたるまで恐怖が高まってゆく筆運びが素晴らしい。

ランキングに参加しています。ぽちっと応援していただければ幸いです。
<

| 古本読書日記 | 06:03 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

畠中恵   「ちんぷんかん」(新潮文庫)

 「しゃばげ」シリーズ第六弾。この本も5つの短編が収録されている。

本のタイトルになっている「ちんぷんかん」が面白い。この作品を紹介する前に、基本的なことを抑えておきたい。私自身、申し訳ないが「しゃばげ」シリーズの熱心な読者ではない。思いついたとき手にとるのだが、その時、基本的な物語の前提がうろおぼえで、前提が整理されていないと、頭が混乱しついていけないことがしばしばある。何しろ年をとったものだから。

 主人公は廻船問屋兼薬種問屋の長崎屋の若だんな一太郎。とにかく身体が弱くその弱さは江戸だけではなく、蝦夷地まで評判になっているというから半端でない。

 作品には妖怪と思われる妖が登場する。人間の姿をしている者もいる。 さてよくわからないのが、一太郎が店の若だんなと言われていることである。妖が人間として生きている場合は、普通の人間は人間としての妖を見ることができるが、人間の姿をしていない猫又や河童などの妖は見ることはできない。

 読んでいて不思議に思うのが、主人公の一太郎が若旦那と言われていること。物語には佐助、仁吉という兄や達と呼ばれる、一太郎の身の回りにいて懸命に一太郎を世話する人達が登場する。兄や達と言われているのだから、一太郎の兄たちと思い、弟の一太郎が店の後継者として若旦那と言われるのが不思議に思えてしまう。

 この佐助、仁吉は兄ではなく、店の手代。兄弟と錯覚してはいけない。

で、一太郎に兄はいないのかと思うと、これがいるのである。名前は松之助。では、松之助は何故店を継げないのかというと、母親の子でなく、妾の子であるため。母親は妖の血を引いているが、父親は普通の人間。

 だから松之助は、どこかの養子となり、いずれ店をでなければならない。

紹介した「ちんぷんかん」はこの松之助をめぐる婿入り騒動。和算指南屋を営んでいる、六左衛門の娘おかのは、松之助に恋をしている。和算指南屋とはそろばんや算数を子供を集めて教室を開いている商売。松之助は美男子で婿にとりたいという縁談話は山ほどある。

 家の格から言ってもとてもおかのの家の縁談には応じられない。ところが、このおかの、春画が大好きで、春画に描かれている男と、春画の中に入り、抱き合い、松之助と結婚できないのなら、春画の男と添い遂げると言って親の言うことをきかない。

 絵の中にはいりこんでしまった後、この絵からどうやってぬけでるのかということが、物語の肝。ここが本当に面白く愉快に描かれている。

 上野広徳寺の妖高僧、寛朝とその最初の弟子俊英の活躍が楽しい。

ランキングに参加しています。ぽちっと応援していただければ幸いです。
<

| 古本読書日記 | 06:01 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

畠中恵    「うそうそ」(新潮文庫)

「しゃばげ」シリーズ第5弾。この本はめずらしく、「しゃばげ」シリーズは大抵短編集なのだが、一冊まるごと長編小説になっている。

 更に他作品と変わっているのが、身体が弱く殆ど寝たきり状態の主人公一太郎が湯治のために、兄松之助、兄や達、妖の佐助、仁吉4人で箱根に旅する。

 旅行といっても、小田原までは、一太郎の店の船で行き、小田原からは殆ど駕籠で移動したり、松之助や兄や達が一太郎をおんぶして運んだりする旅。

 それでも、箱根では大変な事件の連続。だから、病弱の一太郎が走ったり、長い距離を歩いたり、天狗に襲撃され、けがをしたり、とても病弱ではありえないような行動をする。
 もちろん、その後は、死んだように寝込むが・・・。

この物語にはお比女(おひめ)という女の子が登場する。

 箱根ではその昔、天候不順で作物がとれない年が続き、稗や粟で飢えをしのいでいたが、それも底をつき、餓死者がでるようになる。

 これは山の神にお願いするしかないということになる。このお願いには、女の子を生贄として、山の神にさしださねばならない。しかし、自分の娘を率先して差し出すような親はない。そこで、すでに親がなく、差し出しても差し支えがないだろうということで妖であるお比女が差し出されることになる。

 ところが、お比女は妖で山の神の娘。それで怒った山の神が、大地震を起こし、山が崩れ芦ノ湖の半分が埋まってしまうということが起こった。

 そして、一太郎の旅行中にも、箱根では頻繁に地震が起きていた。どうもこの地震は山の神が起こしているのではなく、その娘であるお比女が起こしているのではと思われる。お比女を生贄にするわけにはいかないので一太郎が生贄になりそうになる。

 当然お比女は、その昔、生贄で山の神に差し出された女の子と同じ少女。そう、妖はとんでもないほど長生きなのだ。

 物語の中で、一太郎が数年まてばお比女も年頃になる。お嫁さんにどうかという話になる。
そこで一太郎が言う。
「お嫁さんだって。何言ってるの、年の差が1000年もあるんだよ。」

変な世界、妖の世界って。頭がくらくらする。

ランキングに参加しています。ぽちっと応援していただければ幸いです。
<

| 古本読書日記 | 06:10 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

畠中恵   「ひなこまち」(新潮文庫)

 「しゃばげ」シリーズ第6弾。5作の短編が収録されている。

「しゃばげ」シリーズでは、主人公一太郎とともに活躍する妖怪、妖が登場するが、この怪以外のたくさんの鳴家(やなり)という可愛い妖怪が登場する。おかしや飴をあげるときだけ、がやがや集まってきて「きゅわ、きゅわ」と言って喜ぶ。鳴家だから、家をわさわさ揺さぶったりするが、怪異現象や事件の解決に殆ど貢献しない。

 しかしこの「ひなこまち」ではこの鳴家が活躍する。

浅草にある人形問屋平賀屋が江戸じゅうから、美人娘を募集して集めた美人を相撲取りのように東西番付けを行い、ここで一番に選ばれた美女は「雛小町」として、作られた人形とともに、大名と面談、その結果大名の側室に選ばれる栄誉が与えられるという美女コンテストを行う。

 側室だから正妻ではなく、ただ大名に抱かれるためだけの妾になることになるわけなのだから、そんなに魅力あるとは思えないのだが、大名の側室になるということは大変なことで、贅沢三昧の暮らしが保証されるため、たくさんの自称美女が応募する。

 応募するには、豪華で高価な衣装が必要となる。だから古着屋が大流行。

そこに目をつけたのが悪党上方屋。盗賊を雇い、古着を大量に盗む。それを路上に飾り販売する。きれいな衣装に注文は殺到する。しかし、古着が注文する娘さんにピタっと合うことはない。それで仕立て直しが必要となる。そこで上方屋は、衣装代と仕立て直し代金を前金でもらう。

 しかし上方屋は衣装を客に引き渡さない。墨田川岸の倉庫に衣装と大金を保管。
そして、ある時、衣装と大金を舟に積み込み、店がある上方にトンズラしようとする。

 ところが衣装やお金を詰めた箱が、やたら重くて持ち上がらない。そう鳴家が引っ張って、持ち上がらないようにしているのだ。鳴家は、妖怪なので、姿は、人間の目には見えない。だから、盗賊や上方屋は、何故箱が持ち上がらないのかわからない。

 ここがクライマックスで面白く読み応えがあるのだが、この作品では他にも鳴家が活躍していて楽しい。

ランキングに参加しています。ぽちっと応援していただければ幸いです。
<

| 古本読書日記 | 06:15 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

畠中恵     「てんげんつう」(新潮文庫)

 大ベストセラーになっている「しゃばげ」シリーズ第18弾。5つのやや長めの短編が収められている。

 この作品の奇想天外のところは、主人公の廻船問屋兼薬種問屋、長崎屋の若旦那一太郎と兄やんの佐助、仁吉を含めすべて登場人物が、妖か鳴家(やなり)、要するにお化けであること。そして、そのお化けたちが異常に長生き。なにしろ、一太郎の祖母おぎんは3000年を生きてまだ健在。

 だから誰か同じ妖に通りで出会った時、あいつには会ったことがあるなあ。そうだ平安時代に一回会ったことがある。こういう話がポンポン飛び出す。それが本当に面白く魅力的だ。

 てんげんつうとは天眼通のことで、今までに辿った人生、そして今から遭遇する人生、更に他人の心の中まで見通せる力を持つ者のことを言う。

 ある日、そんなてんげんつうを持った男が一太郎を訪ねてくる。自分の左眼は、ある猫又からもらいうつしたもの。これがてんげんつうだった。

 この男が一太郎に言う。
「このてんげんつうのおかげで、他人の心やこれから起こる不幸が全て見えてしまう。それを黙っておけないので、喋ると、みんなから嫌われ、誰も喋ってくれない。生きるのが苦しい。何とか救って欲しい」と。

 一太郎は方策を考えるがいい案が浮かばない。それから色々おこるのだが、最後に一太郎とてんげんつう男が対決。ここで一太郎が、思いきり、てんげんつうの後頭部をぶったたく。するとてんげんつうだった左眼がとびだして、ふっとぶ。

 てんげんつうは嘆く。てんげんつうをずっとつけていたかったと。
私たちはどうだろう。何でも見えちゃう眼がついていたほうがよいだろうか。うーん難しいな。

ランキングに参加しています。ぽちっと応援していただければ幸いです。
<

| 古本読書日記 | 06:09 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

北杜夫    「どくとるマンボウ回想記」(日経文芸文庫)

 日経新聞にかって連載していた「私の履歴書」を本にまとめたものだ。

北杜夫は旧制松本高等学校をでている。松本にはこの高等学校の記念館があり、何度か見学に行った。

 当時の寮の部屋が復元されていて、北はこんなところで戦時中青春を送ったのだとふすまへの落書き、小さい部屋、薄い布団を見て、自由だけど苦しかっただろうと思った。

 元々、小説家にはなろうとは思っていなかったが、この高等学校で辻邦夫と知り合い友達となり、そのことが小説家を目指すきっかけとなったようだ。

 北杜夫には作家仲間の仲良しで、阿川弘之、遠藤周作がいた。遠藤は、イタズラ好きで、いつも笑いをとろうと懸命に考え実行していた。しかし、北はそのままが変わっていて、行動、言動そのものがおかしかった。

 北は「夜と霧の隅で」で芥川賞を受賞しているが、執筆が遅々として進まず苦戦した。
そんな時水産庁の調査船昭洋丸の船医の募集に応じて、船医となって、インド洋から欧州にかけ乗船した。

 中央公論から、航海記を書かないかとすすめられ、これは、起こったことを書けばいいから簡単と引き受け作品にした。この本が「どくとるマンボウ航海記」となり、爆発的ベストセラーを記録し、北杜夫はベストセラー作家として地位を築いた。

 北杜夫は、強い躁うつ病で、躁状態の時はとんでもなく活発な活動をする。なにしろ、金を借りまくって株に注ぎ込みその金額3億円を全部パーにし、破産までしている。

 そして、驚くことに南極探検船にのり南極まで行ったり、アメリカの最初の人間月面着陸船の打ち上げまで見学に行っている。また、未踏峰のヒマラヤ、ディラン峰の登山隊に参加している。躁状態の行動は異常である。この登山記を書いた、「白きたおやかな峰」、あまり評価は高くないが、北作品の中で、私は一番好きだ。

ランキングに参加しています。ぽちっと応援していただければ幸いです。
<

| 古本読書日記 | 06:19 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

谷川俊太郎  「これが私の優しさです」(集英社文庫)

 谷川の代表的な詩を中心に短いエッセイを収録している。
感動した詩も多くあったが、一番最後に収録されている散文「コカコーラ レッスン」が印象的。

 その少年は、ある朝突堤の先端に腰かけ、足をぶらぶらさせていた。その時頭に言葉が浮かぶ。その言葉は「海」と「僕」。
 すると「海」という言葉は、目の前に広がっている、海がのしあがってきて、海という言葉は実際の海に飲み込まれ溶け合う。

 「僕」は、どんどん小さくなり、海に浮かんだ頭からお腹の中心に降りてゆき、やがて海と溶け合いプランクトンのように浮遊する。
 「海」と「僕」どうなっているのだろうと考え、手元にあったコカコーラの缶の栓を抜く。すると缶の中から、膨大な量の言葉が噴き出てくる。その言葉がまたひるがえって、缶に吸い込まれてゆく。

 「海」も「僕」も消してしまいたくなる。何か言葉を思い浮かべると、頭が爆発するのではと思い恐怖が襲った。ひとつ言葉を思い浮かべるとそれが世界中のありとあらゆる言葉に結びつき、いきつくところ自分は死んでしまうのではないかと感じた。

 そんな栓の抜いた缶から、しばらくして茶色の飲み物を飲んだ。そして単なる缶じゃないかと何回も缶を踏みつぶした。ちょっと前まではそれは化け物だったのに。

 それから何十年もたった後、通りで空のコカコーラの缶を見つけた。彼は、空の缶を拾って、「ただの萌えないゴミさ」とゴミ箱に投げ入れた。

 それぞれの人に言葉が生まれ、そしてそれへのアプローチ。それが使い古され最後はゴミ箱に。言葉と人生の生涯のかかわり方が鋭い表現で語られた散文だった。

ランキングに参加しています。ぽちっと応援していただければ幸いです。
<

| 古本読書日記 | 05:46 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

黒木亮    「アジアの隼」(下)(幻冬舎文庫)

 2000年近くに起きた、ヘッジファンドによるアジア通貨の一斉売りは、東南アジア、東アジア諸国の経済をどん底に突き落とした。

 当時、私の会社では、かなり規模の大きい工場をインドネシアに建設していた。それでしばしば出張していたのだが、ドルや円を現地通貨ルピアに変えると、バックパックに入りきれないほどのルピア紙幣をくれた。あんな量の札束を手にしたことは無かった。

 そしてホテルでコーヒーを飲むと、その札束が見るまにどんどん減った。その時独裁者スハルト政権に対し、市民の暴動が頻発し、ジャカルタは危険な状況になった。本社から駐在員、出張者は一時シンガポールに退避するよう指示がでた。しかし、肝心の航空券が手にはいらない。

 この物語で、主人公の真理戸もハノイからシンガポールに脱出をしようとしたが航空券入手が難航。やっと入手できた航空券を持って、空港に行くと、黒山の人だかり。殆どが中国人家族。真理戸が「よく航空券が手にはいったね。」と中国人に聞く。

 すると「中国人はいつでも、その国を脱出できるようオープンチケットを購入しておくのだ。そのチケットの期限がくると、延長申請している。」と答える。そう、アジアの国々の経済はその多くを中国人が牛耳っている。だから暴動が起きると、まず中国人が標的にされる。このエピソードよくわかる。

 それから更に驚いたのが、当時バブルが崩壊して、銀行は大量の不良債権を抱え、都市銀行であった北海道拓殖銀行が倒産した。

 拓殖銀行は、支払い金確保のため、持っている資産を安値で売却したり、強烈な貸しはがしを実行して資金を集めた。この作品で、必要な資金2000万円が手当できず、拓殖銀行は行き詰まったと書かれている。大の都市銀行が2000万円のために倒産したのかと驚いた。

 物語では銀行は仮名でなく実名で登場するのだから本当のことだろうと思いタメ息がでた。

 この物語で、日本長期債券銀行とアジアの隼とうたわれたペレグリン倒産の原因について、黒木が書く。
「両社の共通点が多い。どちらも営業部門が審査権限を持ったため、実質無審査で不良債権の山を築いた。成果主義を強調しすぎた人事システム。確定するまで悪いニュースが報告されない企業風土。そして何とか生き残ろうと他の外資に縋ったが、海千山千の外資に最後まで翻弄された。」

 即断即決、決めたらつっぱしれ。そんな経営が当時は確かにもてはやされた。

ランキングに参加しています。ぽちっと応援していただければ幸いです。
<


| 古本読書日記 | 06:15 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

黒木亮   「アジアの隼」(上)(幻冬舎文庫)

 共産主義体制のもと、日本では想像できない商習慣や文化の中、ベトナムハノイに事務所開設に奮闘する日本長期債券銀行の主人公真理戸潤の物語と、これは仮名ではなく、「アジアの隼」と異名をとった、香港の投資会社「ペレグリン」の栄光と凋落を描いた物語。

 ちなみに、真理戸の勤める日本長期債券銀行も、この物語では、最後まで描かれていないが、最終的には破綻したが現存していた銀行がモデルとなっている。

 前にも書いたかもしれないが、黒木さんの作品は、経済戦争を生き生きと描くだけでなく、物語の舞台になっている国や街を活写し、それが、物語に滋味を与え、感動を深くさせているのが特徴で、いつも感心してしまう。

 この作品で驚いたのだが、ベトナムで、官僚の出世は、上司の引きや人脈がもちろん大切なのだが、それ以上に部下や、周りの評価が大切なのだそうだ。部下の評価、評判が悪いと、どんなに人脈があっても、昇進はできないそうだ。

 作品では、驚くようなベトナム、ベトナム人の異常な行動が、描かれ、それがいかにひどいものかが強調されているが、日本の会社も変だと思われる行動も描かれる。

 真理戸は苦労してベトナム事務所開設にこぎつける。そして事務所開所式に銀行の会長がやってくる。早速、本社秘書室より連絡、指示がある。

「会長が宿泊するホテルの部屋の温度に注意し、シャワーを浴びて部屋に戻ったとき、寒いと感じない温度に設定すること。禁煙ルームであること。二間続きで来客と面談できるスペースがあること。部屋はそのホテルで最高級の部屋にすること。冷蔵庫にバナナを入れておくこと。麻雀セットを用意しておくこと。」

 銀行のトップとはすごい待遇なのだ。更にこれに加え、ベトナムの共産党書記長と面談はできないかと要求してくる。

 銀行のトップ。数人の規模の事務所開設なのに、日本を代表しているがごとく、思いあがっている。

ランキングに参加しています。ぽちっと応援していただければ幸いです。
<

| 古本読書日記 | 06:11 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

近衛龍春   「裏切りの関ヶ原」(下)(日経文芸文庫)

 秀吉は晩年に誕生した秀頼を自らの後継者にして、秀頼が一人前になるまでに秀頼をサポートする体制を組んだ。それが5大老、5奉行制だった。

 5大老は、徳川家康、毛利輝元、上杉景勝、前田利家、宇喜多秀家の大名。

 5奉行は、
 浅野長政 甲斐22万石、前田玄以(丹波亀山5万石)、 石田三成(近江佐和山19万石)
増田長盛(大和郡山22万石)、 長束正家(近江水口5万石)

 5大老は、原則、5奉行の決定を追認。すべての豊臣の下知は5奉行で決定され指示がなされた。
 この下知は秀吉から受け決定指示がなされたのもあったが、多くは石田三成が決め、指示がなされた。だから秀吉死後の指示は、実質三成が決めていた。

 これを苦々しく思っていたのが増田長盛。そして、理不尽な指示を受けざるを得なかった各大名たち。

 家康は、秀吉死後すぐ、各大名と縁戚を結んだり、自らの陣営に引き入れる活動を開始した。
 それにしても、関ヶ原の戦いで、いくら小早川秀秋の裏切りがあったとしても、西軍が敗戦したことが腑に落ちない。

 何しろ、三成率いる西軍には、巨大大名、薩摩の島津、長州の毛利がいる。こんな大大名がいるのに、何でわずかな時間で家康東軍に負けたのか。

 当時島津は、九州制圧で多大な戦費を使い、戦費が続かず、結局関ヶ原の戦いに参加した人員は千人にも満たなかった。また長州の毛利輝元は、すでに徳川と通じていたのか、関ヶ原の戦いには参戦せず、伏見城で秀頼を警護するだけ。もちろん毛利秀元が参戦したのだが、輝元から戦闘には加わらないよう指示されていた。更に、西軍率いる石田三成が徹底的に嫌われていた。

 なるほど、これでは西軍は勝てないわけだ。
更に、三成を嫌っていた5奉行の増田長盛は西軍の情報を家康に都度密使を送り流していた。

 それで、裏切りの小早川や、長盛はその功績に家康が徳川時代になって 報いたか。
実は小早川は筑前から備前岡山に改易。石数を減らされている。
そして、長盛は裏切り者は許さんということで、大名はく奪、最後は何故自分は家康から嫌われたのだろうと悩みながら自害をする。

 家康は氷のように冷たい。

ランキングに参加しています。ぽちっと応援していただければ幸いです。
<

| 古本読書日記 | 06:53 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

近衛龍春    「裏切りの関ヶ原」(上)(日経文芸文庫)

 関ヶ原の戦いについては司馬遼太郎の長編を読んで売るが、真剣に読んでいないので、備前岡山城主である小早川秀秋が西軍を裏切って、家康の東軍についたため、東軍が勝利に至ったくらいしか記憶に残っていなかった。

 多くの人が知っていることだろうと思うが、小早川秀秋が西軍を裏切ったその遠因はどこにあったのかこの作品で知った。
 秀秋は、秀吉の正室、北の政所の甥であり、兵庫亀山の城主をしていた。

秀吉は子供に恵まれなかった。養子で息子はすでに2人いたが、57歳の時、初めて自分の血を分けた子が生まれた。相手は側室の茶々。秀吉が死ぬ5年前に誕生した子であった。

 当時は、42歳以上で授かった子は、捨てるという意味で「お捨」と名付けられ、一旦養子にだされた。このお捨がやがて秀吉のもとに戻され、秀頼となる。 

 もう秀吉には嫡子はできないだろうと思い、親戚の子などが、秀吉の後継者になれるかもしれないということで活動していた。
 ところが、秀吉に男の子が誕生。それでも晩年の子で即秀吉の後は継げない。しかし秀吉はこの男の子秀頼を後継者にしたかった。それで後継者になりそうな関係者を排除にしだした。

 小早川秀秋もその犠牲者の一人で、備前岡山に養子として出されたのである。そうか秀秋の秀は、豊臣家につなっていたのだ。

 悲劇だったのは、秀吉の姉の長男だった秀次。秀吉も後継者は秀次と決めていたようで、秀次には「関白」の称号を与えていた。
 しかし、秀頼が生まれたため「関白」をはく奪。高野山に出家させ、最後には自殺まで追い込んだ。

 秀秋も秀次も、秀頼が一人前になるまでのピンチヒッターで後継者を自分が継ぐと考えていたのかもしれないが、何しろ秀吉57歳の時の子供。一人前になるまでに自分の命が持たず、そうなると豊臣家の行く末がわからない。だからどうしても直接秀頼に継がせねばと思ったのだろう。

 このことが、小早川秀秋の秀吉裏切りに繋がっていたのだ。

ランキングに参加しています。ぽちっと応援していただければ幸いです。
<


| 古本読書日記 | 06:49 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

田中啓文     「漫才刑事」(実業之日本社文庫)

 上方腰元興業所属の漫才コンビ「くるぷよ」のボケ担当、くるくるのケンは亡くなった母、父それぞれの希望に従い、漫才師の他に大阪府警難波署の刑事をしている。このことは相方にも内緒。彼の本名は高山一郎。だから、警察では高山刑事として勤務している。彼はそれがばれないように、漫才を演じている時は眼鏡をかけ、レンズに渦巻を描いて、実際の顔がわからないようにしている。

 この秘密を、実は交通課に勤務している城崎ゆう子だけは知っていて、そのことをゆう子から高山にバラすといつも脅迫され、食事をしょっちゅうおごらされている。

 この本では6作品のミステリーが収録されている。
どの作品も、プロット、トリック、動機もきちんとしっかりしていて、久しぶりに読み応え十分の作品ばかりだった。それに、城崎ゆう子とのやりとりが、笑い満載でエンターテイメントしても堪能できた。

 本来なら、それらの作品を紹介するところだが、それは読んで頂くとして、読んでいてなるほどと思ったことを書く。

 漫才師というのはとにかくたくさんいる。こんなにいて、どうやって暮らしていけるのかと思っていたら、その一端がこの作品でわかった。

 老人ホームや介護施設、あるいは各種施設、保育園などでの公演が年がら年中あるのだ。

介護施設や特殊施設では、反応がとぼしい施設もあるが、総じて老人であっても元気がよく、反応もよいそうだ。しかし、老人たちは現在活躍している有名人や芸人などは知らないからネタにできない。それで、自分たちは全く知らない、石原裕次郎や勝新太郎、美空ひばりなどを調べてネタにするが、それでも観客からは、そんなニュースターのことなど知らん、わしらの頃は、アラカン、チエゾー、大河内伝次郎、バンヅマでなきゃあいかんと怒られる。そして、彼らをネタに観客が互いにしゃべりだし、そちらの方が、舞台の漫才より面白くてわきかえる。

 この作品に鶴一、貴美子という漫才コンビが登場する。鶴一は腰元興業最高齢の漫才師で、ボヤキ漫才で名をはせている。この漫才の実演が作品で再現され、最後にいつものキメぜりふ「責任者でてこい。」が発せられる。なつかしい。この漫才師は人生幸郎、生恵幸子の漫才をモデルにしている。

 50何年以上前、修学旅行で関西に行った。自由行動の日、京都花月で観客数人で寄席をみた。
この時初めて人生幸郎、生恵幸子のボヤキ漫才を一番前の席でみた。その迫力と面白さに度肝を抜かれた。

ランキングに参加しています。ぽちっと応援していただければ幸いです。
<

| 古本読書日記 | 06:05 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

畠中恵    「えどさがし」(新潮文庫)

 畠中の代表作で大ベストセラーになった「しゃばげ」シリーズの外伝として出版された本。表題作以外に五編が収録されている。

 どの作品も相変わらず、妖や鳴家たち、幽霊のような面々が活躍するが1作品「たちまちづき」だけがまったく妖、家鳴が登場しない変わった作品。

 上野広徳寺の高僧、寛朝から祈祷をしてもらい妖封じの護符をもらうと禍々しいものから襲われることがないと世間では信じられている。

 このことをおおいに広徳寺は宣伝して、大名や商人を中心に護符を販売して大儲けをしている。

ある日、口入屋、大滝屋の主人大滝安右衛門が女房お千に連れられ、寛朝のところに祈祷、護符をもらいにやってくる。しかし、寛朝には、妖たちが見えるのだが、この夫婦のどちらにも妖たちの姿は見えない。
つまり、二人には妖はとりついてはいない。

相談は一方的に妻のお千が、速射砲のごとくしゃべりまくり、主人の安右衛門はお千の横で、ちんまりと控えているだけ。

 お千が言うには、
「旦那の安右衛門は、気が小さくて、商売相手とまったく上手く話せないし、おとなしすぎて商売にならない。今は番頭の梅造が何とか店を回してくれているが、この先今のままの安右衛門では商売が心持たない。安右衛門がこんなに気が小さく、おとなしいのは安右衛門に女の妖がとりついているからだ。だから寛朝様に追い払って欲しい」と。

 しかし、おとなしくさせるためにとりつく女の妖は世の中に存在しない。
そのうちに、安右衛門が夜、何者かに襲われ大きな傷を負い、寛朝の広徳寺で療養することになる。
すると、番頭梅造をさておいて、お千が得意のしゃべりで大活躍して、商売を切り盛りする。

 しかし、番頭に相談しないため、さる大名に斡旋した2人の用人が、喧嘩をして、高価な進物用の花瓶を落としてしまい、壊してしまう。このままでは、大滝屋は倒産するかもしれない。

 ここで寛朝とその弟子秋英が、見事に真実を暴き、解決する。そこにいつもの妖は登場せず、
正統派ミステリーに近い作品になっている。読者を幻惑する畠中さんの得意顔が目に浮かぶような作品だ。

ランキングに参加しています。ぽちっと応援していただければ幸いです。
<

| 古本読書日記 | 06:24 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

領家高子    「向島」(日経文芸文庫)

 自分とは全く関係ない空間で生きている人達がいて、喋ることも、生活も、行動も全く違う。その一つが芸者と、芸者遊びを楽しむ男達の世界。

 主人公の芳恵は、向島の芸者の娘に生まれ、大学には行かず、高校を卒業して芸者の道にはいる。
ある日、大企業の偉いさんと、財務省官僚の宴席に、芳恵が芸者としてでる。そこで、高校の時だいすきだった木村君が財務官僚として出席していた。そして、食事にゆくことを約束。その食事の後、2人は熱い口づけをする。

 ところが、その熱い接吻の翌日、朝から和菓子屋の御曹司黒川が芳恵の家まで迎えにきて、一泊二日で軽井沢の高級ホテルに行く。黒川は朝10時に高級スポーツカーでやってきた。

 黒川は芳恵より30歳年上。そして今夜生まれて初めて男性に抱かれる。
しかし、芳恵に全くの躊躇は無い。覚悟を決めて黒川に抱かれる。それにしても、和菓子屋というのはそんな贅沢ができるのか。不動産をあちこちに持っているのか。

 それで、木村君などすっかり忘れて、芳恵は黒川を心の底から愛する。木村君は私と同じ世界の人なのか。それはない。だって、20代半ばで向島の芸者遊びの宴席にでているわけだから。

 芳恵はめくるめくような恋の世界に浸る。
その姿を見ていた、向島の長老沢木老人が黒川に会って話をする。
沢木老人は、実は芳恵の母親は三芳という向島芸者だったが、ある男の子供身ごもる。実はその男は最高裁判所の判事だった。そう芳恵は最高裁判事の娘なのである。

 沢木老人は芳恵は三芳によく似ているから心配だと言う。
芳恵の母親三芳は、生まれた子供は誰の子か絶対明かさなかった。もし知った人がいても、父親には絶対言わないように頼んだ。

 それを相手が知ったり、噂になったら相手の判事の人生に傷をつける。それだけはしてはいけないと。老人はその母親の生き様を黒川に訴える。30歳年上、遊び人に見える黒川に。

 この沢木老人の真剣な話が読者の心を揺さぶる。
でも、その凄みにしては、結果は平凡。

 しかし、作者領家さんは、芸者の街、向島を印象深い表現で丁寧に描く。その描写はため息がでるほど、素晴らしい。

ランキングに参加しています。ぽちっと応援していただければ幸いです。
<


| 日記 | 05:57 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

宇江佐真理    「酒田さ行ぐさげ」(実業之日本社文庫)

 江戸人情噺を書いたら右にでる小説家はいないと言われる宇江佐真理の傑作人情小説集。

「花屋の柳」が印象に残った。
最初の入りがよくできている。
日本橋の路地の一角にある「千花」という花屋。
こんな川柳がある
 幽霊のとまり木花屋門へ植え

花屋というのは、陽射しが直接店に差し込むと、店の花が涸れる。それで、それを防ぐために、簾をつるしたり、柳を植えて防ぐ。
そんな蘊蓄から物語は開始する。

店の主人は滝蔵。それに妻おこの。長女15歳のおけいと12歳の息子幸太の4人家族。
幸太はいつも不思議に思う。花の仕入れに滝蔵は、隣町の染井町に大きな花の卸屋、「植勘」があるのに、そこからは仕入れずわざわざ一日がかりで、遠方の巣鴨の花卸屋まで行く。

ある日母親おこのの実家の父親が危篤に陥る。おこのは、母親はすでになく、父親の面倒を観るために実家に帰る。ここで話がおかしくなる。おこのは、一人っ子で、父親の面倒をずっとみるから、家には帰らないという。

 おこのは実は、「植勘」の一人娘だった。滝蔵は、おこのを追わない。長く父親の面倒をみるということは、滝蔵とは離縁するということなのだ。

 幸太は、おこのを追いかけて「植勘」まで行く。そこでデジャヴを観る。入口に簾があり柳が植えられている。そこで、父親滝蔵は今の店「千花」の前は「植勘」にいたことを知る。

 実はおこのは、別の有名な花屋の息子を、「植勘」にむかえ結婚するが、夫と死に別れる。養子をもらう前から、「植勘」で働いていた滝蔵とおこのは愛し合っていた。そして、前夫の死をきっかけに、おこのと滝蔵は駆け落ちして、花屋「千花」を始める。

 滝蔵も大切だが、自分を育ててくれた父親の最後の面倒をみるのは私しかいないとおこのは思い詰める。これで2人の子供を残して、おこのと滝蔵は別れてしまうのか。はらはらする読者に、おこのの父親が大きな決断をくだす。

 話はありふれた人情噺だが、物語の構成が上手い。

ランキングに参加しています。ぽちっと応援していただければ幸いです。
<


| 日記 | 05:53 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

司馬遼太郎   「東と西」(朝日文庫)

 内外の著名な歴史研究者を中心に招いて、司馬と語り合う、対談というより論壇集。

作家開高健とモンゴルについての論壇が面白かった。

モンゴル人の食事は完全にモノカルチャー。羊の細切れ肉を、川の水を汲んできて焚いて、そこへ岩塩をひとつまみ落とす。これだけ。バターもチーズもあるが、何かと一緒にとか何かをつけて食べるということは無く。独立して、それだけを舐めたり食べたりするだけ。

 だけど不思議だ。日本では栄養学が盛んで、栄養士は盛んに、肉だけでなく色んな野菜も取り混ぜて食べないと健康な身体にならないと言う。モンゴル人は、羊の肉が食事の殆ど。しかし、がたいはしっかりしていて、日本人より強く、健康そうに見える。何となく、日本の栄養学に疑問を持つ。

 蒙古民族はチンギスハンを初め、強大な力を持ち、中国を支配下にしたり、西アジアを征服したりした。その時、80年間のうちに、北京という都を造っている。

 中国は食文化の発達した国。食材だけでなく、料理方法も、煮る、焼く、蒸す、あぶる、干すなどいろんな方法を採用する。当然蒙古民族もそれを味わったはずなのだが、全く中国料理に目を向けない。

 これも不思議だ。
中国人は、広大な牧草地をそのままではもったいないと思い、土を掘り起こして耕作地にしようとした。
モンゴル人は土をひっくり返す者を、低くみてバカにする。
牧草地は一旦掘り起こすと、夏の強烈な熱さで、土が熱したフライパンの上の細かい粒になり、最早もとにはもどらず、砂漠と化してしまう。

 ひょっとするとモンゴル地区の砂漠の多くは耕作地にしようと思って耕したためにできたのかもしれない。

 モンゴル人は多くの羊を連れて移動するが、羊はバカだから、ひと所にいるとそこの草を全部食べてしまい二度と生えないようにしてしまう。それで、数匹ヤギを群れにいれると、ヤギにつられて、羊も移動しだすそうだ。

 この談論は、30数年以上前に行われている。現在のモンゴルの風景とは、少し異なるかもしれない。

ランキングに参加しています。ぽちっと応援していただければ幸いです。
<

| 古本読書日記 | 06:06 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

夏川草介     「臨床の砦」(小学館文庫)

 今年の一月末、急に腹が痛くなり、がまんできずに、その日が休日だったので、市の救急診療所に駆け込んだ。1月末はコロナで非常事態宣言がだされていて、全国、コロナ蔓延のピークで大変な時だった。

診療所では対応不能ということで、市の中核病院の救急センターに連絡するが、救急は受け付けストップということで拒否される。隣の市の総合病院は、病院自体でクラスターが発生して診療事態がストップ。

 何とか診療所の先生が頑張ってくれたおかげで、2市隣の病院に頼み込んで、受け入れをしてもらった。その病院の受け入れ説得に3時間。生まれて初めて、救急車に乗せられ、1時間以上ノンストップで搬送された。

 そこでお腹を大きな検査機で検査し、その場で緊急手術が決定。それから手術まで3時間痛い腹に我慢しながら手術を待った。

 未明に手術が終わり、そのままICUに入れられ、数時間すると一般病室に移される。ここがすごい。一般病棟は一部屋4-5人が定員なのだが、コロナのため病室が逼迫していて、12人が身動きとれないほどに詰め込まれていた。そして、この蚕棚のような病室で一泊だけ、尻をかれ部屋を追放され、退院させられた。

 本当に個人的には凄まじい体験だった。

この作品は、長野県の松本を舞台にしている。コロナ患者を受け入れた中規模の総合病院の奮闘を物語にしている。

 まず、驚いたのは、コロナ患者を受け付ける病院が、少ないということ。松本では物語の舞台となった中規模総合病院と市の総合医療センターのみ。松本には伝統のある信州大学医学部があるが信州大学がコロナ患者受け入れを拒否しているように書かれている。これ本当?何のための大学病院?

 それから、当時コロナ患者用の病床確保率が53%とか発表されていたが、これは53%の病床がコロナ患者専用で空いているということではなくて、コロナ患者受け入れ対応がとれ、そのためのぎりぎりながらスタッフの準備ができている部屋があるということを示している。当然通常患者がその病室には入院している場合があり、コロナ患者受け入れは、通常入院患者を別の部屋に移して、コロナ患者の処方処置にあてることができた場合に、初めてコロナ患者を受け入れる。 ということは、通常患者を移せる部屋が無ければ、病院はコロナ患者を受け入れない。53%の部屋がコロナ専用で空き部屋になっているわけでは無い。

 この物語は、コロナの対応で医療現場は大混乱しているが使命感が強い医師スタッフの情熱でギリギリ対応してきたことがよくわかる。緊迫場面の連続。

 夏川はこの作品を今年の4月に上梓している。まだ3か月前だ。夏川の情熱には頭が下がる。筆も乱れもなく、しっかりとコロナに対する奮闘をあらゆる場面を取り上げ描写している。素晴らしい作家だ。
 こんなに大変だったのか。そして、自分がそんな中手術で助かったことに改めて医療スタッフに感謝の念を思った。

ランキングに参加しています。ぽちっと応援していただければ幸いです。
<


| 古本読書日記 | 06:00 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

井上荒野    「あたしたち、海へ」(新潮文庫) 

この作品は、女子中学生のいじめを扱っている。しかし、この作品を読むと、人間関係というのは、砂上の楼閣のようなもので、ちょっとした思い込みや、軽はずみな発言で、簡単に壊れるもの、だからそうならないように、中学生だけでなく、あらゆる世代の人達が、毎日間違いないように汲汲として生きていることがわかる。

 その気使いが、家族など、集団の絆までおかしくしてしまうことがしばしばあることも、物語では書かれている。

 女子中学生の友達同士、水明瑤子と小川有夢、それに野中海の3人はいつも一緒に行動している。瑤子と有夢は、他人や他人のグループと摩擦を起こさないよう、細心の注意を常に払っているが、海は曲がったことが嫌いで空気を読まないで口にだしてしまうタイプ。

 クラス対抗のリレーマラソン大会が開催される。30人のクラスから10人の選手を選ぶ。誰も選手にはなりたくないから、くじ引きで選ぶ。有夢は当たりくじを引き選手となる。また海もくじ引きに負けアンカーとなる。

 しかし、このくじ引き、エルカが率いるグループは、ユニフォームのデザインを担当したとの理由でくじ引きから除外される。これに海がかみつく。みんな公平にくじ引きをせねばならないと。そして、大会当日怒った海は学校にやって来なかった。
 これにエルカとその取り巻きが怒り、海を徹底的にいじめる。やがて、海は学校に来なくなり、家も引っ越し、別の公立中学校に転校する。
 しかし、エルカは、転校しても学校に通っている海が憎い。その学校からも追放せねばならない。こと、海が卑劣なやつで、とんでもない非人間とビラを造り、これを海の中学校で有夢と瑤子にまくように指示する。指示しただけでは、本当に撒くかわからないので、撒いているところをエルカに写メを送ることと、それを報告することを厳命する。

 しかし、一回のバラまきでは、海は学校から追放されない。だから、エルカは繰り返し、バラマキヲ有夢と瑤子に要求する。有夢と瑤子は学校でもエルカにいじめられる。

 そしてこれから逃れて幸せになるには、有夢と瑤子は自殺するしかないと実行日を決める。
このまま井上さんは、自殺させて物語をしめくくるかと思ったが、井上さんにはめずらしく最後に救いを用意していた。その救いに読者の私も、心から良かったと感じた。

 物語はありがちなものだったが、井上さんの筆は、いつものように淡々としているのだが、その淡々さが私の首をだんだん締め上げてきて苦しかった。

ランキングに参加しています。ぽちっと応援していただければ幸いです。
<

| 古本読書日記 | 05:53 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

木皿泉     「カゲロボ」(新潮文庫)

  何者でもない自分の人生を、誰かが、この作品の場合はカゲロボ(影のようなロボット)が、いつも見守ってくれて、ともに怒ったり、寄り添い、ぎりぎりのところで悪いことをしないように導いてくれる。そんなカゲロボと共に人生を送る9つの短編連作集。独立した物語もあれば、同じ人物が登場する物語もある。

 登場するカゲロボは、Gという女性に扮したロボットだったり、金魚だったり、ネコ、箱、突起物のあるシート、アンドロイド、植物、ペットで登場する。
 
 アイドルの世界は想像できないほど、大変な世界だ。人気順位のようなものは、先月に比べどうだったか、どんなに激しくても、昨日に比べどうだったかと測るものだと思ったら、今5位だったものが、数分後には100位と落ち、それで消えてゆくアイドルもいる。普通の精神状態では耐えられない世界。

 そんなアイドル世界で分単位の浮き沈みのプレッシャーと戦っていた明日美に寄り添っていたのがハクマイという猫。ハクマイはアンネコ。アンネコとはネコのアンドロイド。そのハクマイが壊れた。夫が手をつくし直そうとしたが、かなわない。

 その壊れてしまったハクマイを前に、主人公の明日美の述懐が心に残る。
「ハクマイのおかげで、未然に防げたできごとがあったのだろうか。そのことで、たくさんの人の命が助かったということがあったかもしれない。
 あったことの陰に、なかったことも、同じ数だけあるのではないか。世の中に、何かが起こっているなら、何かが起こっていないことも、同時にそこにあるはずだ。私たちは、『ある』と『ない』が重なった上を生きていて、たまたま『ない』方に目を向けたとき、あるいは『ある』方にいると実感したとき、怒ったり、喜んだり、嘆いたりする。しかし、もしかしたら、そんな必要などなかったのではないか。『ある』も『ない』も、同じところにあるのだから。」

 明日美はハクマイとともに、10代の『ある』ためだけの人生を送った。そして30年後、ハクマイを失うことになった。でも、それで、落胆することは無かった。

ランキングに参加しています。ぽちっと応援していただければ幸いです。
<

| 古本読書日記 | 05:51 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

今村夏子   「むらさきのスカートの女」(朝日文庫) 

 言わずと知れた、大ベストセラーで芥川賞を受賞した作品。

今村さんの作品は、「星の子」「こちらあみ子」でもそうだが、私たちが普段接している世界では、存在しないような人物が登場する。その人物は全く異なった人ではなく、ほんの少しの違い。その造型された人を想像力で膨らませて、今村さんは縦横無尽に動かす。そこに、大きな魅力がある。

 この作品の主人公の私、会話もできず、全く影の薄い女性。どこにいても存在を感じさせない。それで、むらさき色のスカートの女性をしつこく追っかける。そして、ホテル掃除係をしているが、ホテルでの従業員や所長がどんな会話しても、それらはすべて主人公の私には聞こえてしまう。

 それどころか、むらさきのスカートの女性と所長との密会の会話も聞こえてしまう。全く、聞こえないものはありえない。こんな不思議な人にでくわすことはない。

 この本に今村さんのエッセイが収録されている。

今村さんは19歳の時、人との交流、人前にでることができない上に、摂食障害を患い、とても普通の仕事はできないと思い、絵本作家を目指す。しかしうまくいかず、次に漫画家を目指す。これもうまく行かず、仕方なく色んなアルバイトを経験する。どれもいやで辛かったが、その中では、26歳の時経験したホテルの掃除係だけは面白かったと書いている。

 ということは、物語の主人公は今村さん自身を投影しているのか。
主人公、この世の中には存在しない人だと思って作品を読んだが、実は存在している人だったのか。
これは本当に驚いた。でも、今村さん、主人公はやっぱし今村さんが造り上げた人ですよね?

ランキングに参加しています。ぽちっと応援していただければ幸いです。
<

| 古本読書日記 | 05:37 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

山田宗樹    「グッバイ マイヒーロー」(ポプラ文庫)

 主人公の僕が小学校3年の時、公園でいじめにあい、パンツを脱がされ、下半身を裸にさせられる。その時、ウルトラマンの安い仮面をかぶって、いじめっこを「ヒーロー仮面」だといって、追い散らしてくれたのが、僕のヒーロー清次郎おじさん。

 清次郎おじさんは、定職につかず、いつもブラブラしていて、兄の僕の父親からは、嫌われていた。
中学2年のとき、おじさんに連れられて、ストリップ劇場に行く。そのとき警察の手入れがあり、僕とおじさんは劇場のトイレの窓から飛び降り逃げる。おじさんのアパートに着くと、おじさんと同居している霧江さんがいる。その霧江さんに向かっておじさんが指示する。僕を男にしろと。そして僕は男になる。

霧江さんは、九州で不幸な家庭に育ち、中学を卒業すると上京。仕事もなく風俗、売春とおきまりな道を歩む。そんな風俗でおじさんと知り合い、おじさんと同居する。
 そして、しばらくすると霧江さんは自殺する。

霧江さんも、おじさんも人間のクズである。一旦クズの道を歩みだすと、どうやってもクズからぬけだせない。
 霧江さんは、クズの無い世界に行きたいと遺書を残して死ぬ。

それじゃあ、大学に行って、大きな企業にはいればクズにならないで済むのか。
しかし企業も変転の道を歩む。希望退職という名のもとに、たくさんの人に退職を迫る。もちろんそれだけで、クズまで落ちる人は少ないかもしれないが、時々ホームレスの人に元大企業従業員という人がいる。

 事実、主人公の僕も大学卒業後、日本の四大証券の一社に就職する。ところが、その大証券が倒産して、会社が無くなる。

 人間のクズの駕籠が、おいでおいでと誘っている。
 主人公の僕は何とか外資系証券会社に就職できたが、一歩まちがえば、人間のクズになるところだった。

ランキングに参加しています。ぽちっと応援していただければ幸いです。
<

| 古本読書日記 | 05:34 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

風間完    「エンピツ画のすすめ」(朝日文庫)

 エンピツ画の大家が、エンピツ画の描き方を、その対象選び、画材選びなどを詳細にわたって、綴ったエッセイ集。

 申し訳ないが、全く絵画に関心の無い私、そのエンピツ画の描き方の詳細、読んでみたがかなりチンプンカンプン。とても、この作品の紹介評価はできない。肝腎のところは避ける。

 ごくたまに、地区で主宰している読書会に参加する。参加者は、60代以上が中心だが、中には数人20代の人もいる。
しかしいつも雰囲気がもう一つ。私より年上の人が、知識を背景に読み方、本の解釈の仕方をとうとうと述べ、若い人の意見は反射神経的に否定。年寄りの老害を振りまくからだ。

 この本で風間さんは言う。
「絵の道に限ったことではありませんが、ものごとを簡単に判ったと思わぬことが肝要です。つまり仕事の道に深くはいりこんでゆくことにお利口さんはむいていないということが言えます。
実際絵描きを長くやっている人たちの多くは、自分のことをバカだと思っている人が多いのです。それでも心ない人から面とむかってバカと言われたりすれば、やはり嫌な感じがするのです。」

 読書会はまさにこんな雰囲気。
サマーセット・モームが「月と六ペンス」で、画家ゴーガンはどこにいるときも、堅い木に自ら好んで腰かけるようにしていたと書いている。

 ならば、人は年を取ると、柔らかい椅子にふんぞり返り、他の人を見くびって発言するくせがある。
私はそんな地位を獲得できなかったので、心配する必要は無いが、常に自戒していたい言葉だ。

ランキングに参加しています。ぽちっと応援していただければ幸いです。
<

| 古本読書日記 | 19:06 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

戸塚隆将   「世界のエリートはなぜ、この基本を大事にするのか?」(朝日文庫)

 著者戸塚さんは、大学卒業してゴールドマンサックスに勤務、そこを退職してアメリカ ボストンのハーバード ビジネススクールに自費留学しMBAを取得、そして帰国してマッキンゼーに勤め、現在は起業してベリタス株式会社の社長についている。

 この本を読むと、会社設立するまでの3つの経歴は、人生で成功するための、鉄板の経歴、最強の経験だと戸塚さんは言う。

 私の会社時代、新しくついた社長が、会社を変革せねばならないと考え、その指導をマッキンゼー社に依頼したことがあった。私は幹部では無かったので、直接マッキンゼー社の指導を受けたことは無かったが、指導を受けた選ばれた幹部は苦しそうだった。

 それで、マッキンゼー社の指導を受け始めてから、偶然だったかもしれないが、会社の業績がおかしくなった。結局、マッキンゼー社のおめがねに叶った能力のある人材がわが社にいなかったのだろう。

 変だと思ったのは、マッキンゼー社の指導をやめて、社長が交代すると、会社の業績が上向きはじめたことだ。

 この本を読んでいると、できるエリートは、仕事の優先度を整理して、スーパーマンのように仕事をすることがわかる。
 私には、そのスーパーマンの存在することが理解できないのだが、このスーパーマンが想像の人間ではなく、実在していること。読んでいるだけで眩暈がしてきた。

 例えば、会議でパワポを使って、企画者が説明する。するとマッキンゼー社の社員はその内容を自分のノートに書き留める。
 そのノートが、企画者の企画とそれに対する自分の考えが、書かれてゆくのだが、そのノートをそのままパワポに打ち込めば、反論と新たな企画案のパワポになっているのだそうだ。

 恐ろしや、マッキンゼー社の社員。よかったこの本を現役の時読まなくって。

 それから、この本に書かれているが、会社を辞めるのは退職であってはならず、卒業でなければならないとのこと。会社を去る人、退職ではなく卒業と言える人はどれだけいるだろうか。

ランキングに参加しています。ぽちっと応援していただければ幸いです。
<

| 古本読書日記 | 19:03 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

矢月秀作   「闇狩人 バウンティ・ドッグ」(朝日文庫)

読みどころ満載のハードアクション小説。

 新宿の公道で、若者が次々殺し合う事件が、起きる。この原因が、サンダーという新しい強力な麻薬によってひき起こされていることがわかる。このサンダーは、殺し合いをした者の一人が渋谷で美しい女性の売人から手に入れた。

 この売人である謎の女性と、サンダーを供給している組織の捜索に、元傭兵でP2、主人公の城島恭介が活躍する。P2というのはアメリカで生まれた制度で、警察が雇った民間人で、警察とともに、暴力組織に立ち向かう制度。

 サンダーを供給している組織に、驚くことに、警察組対課主任の井藤がはいっている。よくあるパターン、暴力団に取り込まれ、その暴力団の指示により動かざるを得なくなったと、思いきや、全く違った。

 最後井藤が城島に捕まったとき、サンダーに手を出した動機を語る。
「薬物事案の現状を知っているか?売人も使用者もたいした罪に問われず、すぐ世の中に出てくる。そしてまた、薬物を売買し、俺たちに追われることになる。いたちごっこなんてものじゃない。無限ループだ。薬物依存から立ち直った連中なんて数えるほどだ。それほど一度ヤクに染まると抜け出せないんだ。その抜け出せない連中が売人の格好のカモになる。この繰り返し。捜査する側は命を危険に晒してまで、連中と渡り合っているのに、連中は意にも介さない。このループを止めるにはどうしたらいいか。わかるか城島よ?
 ヤクに染まった連中を殺しちまえばいいんだよ。買うやつがいなくなれば、売るやつもいなくなる。といって、俺が一人一人殺して回るわけにもいかない。そこに登場したのがサンダーだ。こいつをかってにばらまけば、ヤクに関わる連中は勝手に死んでゆく。」

 確かに面白い発想だけど、ヤクは殺し合うものだけでもないし、まして殺し合う麻薬など、麻薬常習者であっても手にはださないだろうから、これは有り得ない。ちょっと発想に無理がある。
 この作品、劇画のような作品。さくさくと読めてしまう。なかなか変わった作品だった。

ランキングに参加しています。ぽちっと応援していただければ幸いです。
<

| 古本読書日記 | 18:59 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

| PAGE-SELECT |