fc2ブログ

2022年03月 | ARCHIVE-SELECT | 2022年05月

| PAGE-SELECT | NEXT

≫ EDIT

上橋菜穂子   「闇の守り人」(新潮文庫)

 「守り人」シリーズは10巻の長大物語。それでも、1巻、1巻が独立していてどの巻から読んでも構わないと思っていた。確かに独立はしているが、この2巻を読んで、このシリーズは話が繋がっていて、1巻から順番に読んでいかなくてはならないことを知った。

 この小説では、今後出版される「守り人」シリーズで活躍する人物の来歴が描かれる。

主人公の女用心棒のバルサは、幾つかの国のうちの、最も北の国カンバル国で生まれる。
バルサの父カルナはカンバル国王ナグルの主治医をしていたが、暗殺される。また国王ナグルも次の国王ログサムにより暗殺される。

 カルナは危ないと思い、幼少の娘である主人公バルサを短槍使いの名人ジグロに預ける。
ジグロはバルサの養父となり、バルサに短槍使いの奥義を教え込む。

 そして2人は放浪逃亡の末、25年ぶりにカンバル国に帰ってくる。

その時、カンバル国王ログサムは姦計により殺され、国王はログサムの息子ラダールに変わっていた。そして、ジグロの弟ユグロが短槍の最高の使い手として君臨して国民の英雄になっていた。

 暗殺や姦計はすべてユグロによってなされた。ユグロは嘘の話作りがうまく、口も達者で、国民はその嘘を信じた。

 ユグロは、ロシアのプーチン大統領に印象が重なる。
物語のクライマックスは悪党ユグロと主人公バルサの対決と、ユグロの嘘を暴く、ムサ氏族長の手紙の少年カッサによる国民の前での朗読。

 ウクライナの悲劇も最後は、この物語のようになって欲しいと心から思う。

ランキングに参加しています。ぽちっと応援していただければ幸いです。
<

| 古本読書日記 | 06:24 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

森絵都    「出会いなおし」(文春文庫)

 珠玉の6編の短編集。
感傷的になりそうな物語をさらりと書く。うまいものだなあと感心する。

主人公の私がイラストレーターの仕事を始めたのは、まだ学生で21歳の時。ある女性編集者に見込まれて、雑誌のイラストを描く。これが評判をよんで、大学卒業時には下北沢に2LDKの部屋を借りられるまでになる

 しかし、本当に実力が伴っているのか、かなり批判的な評価も多く、悩みも深い。
そんな状態で3年過ごした後、週刊誌の雑誌社から電話があり、連載小説の挿絵を描いて欲しいとの依頼がある。打ち合わせに現れたのが、私があだ名をつけたナリキヨさん。

 ここが上手いなあと思うのだけど、毎週挿絵をバイク便で送るとナリキヨさんから必ず「届きました。ありがとうございます。」と電話がくる。そしてナリキヨさんから、「バイク便にあずけたら、今発送しました。と電話を下さい。」と。そんなことメールでいいのにと思ったのだが、毎週の電話のやりとりが楽しみになる。ナリキヨさんがそのうち「食事に行きましょう」と言い、私も「はい。」と答える。しかし何回も約束が繰り返されるが、実現したことはない。

 この仕事が終わった時、ナリキヨさんから、2人の女優対談の企画があり、そこにイラストを描いてほしいとの依頼がある。引き受けて始めたが、女優同士の仲がこじれて、掲載は中止となる。

 すぐ別の注文がナリキヨさんからきたが、それを断って、本来やってみたかった立体彫刻の勉強にパリへ行く。

 2年後、勉強から帰ったが、ナリキヨさんは雑誌社にはいなかった。

それから7年、立体彫刻の個展を開く。場所は田舎の実家の倉庫。そこには来ないと思っていたナリキヨさんが現れる。ナリキヨさんと話していると大事な招待者がわり込んでくる。ナリキヨさんが「じゃあ、また。」と言って、帰ってゆく。

 あわてて追いかける。そして大声で叫ぶ。
「ナリキヨさーん。今度食事に行きましょう。」「おお」と答えがかえってくる。

出会い、別れ、そしてまた出会い、別れ、再会、別れ。年を重ねてゆく。それが少し切ない。

ランキングに参加しています。ぽちっと応援していただければ幸いです。
<

| 古本読書日記 | 06:20 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

文芸春秋   「昭和天皇独白録」(文春文庫)

 昭和21年3月18日から5回にわたり、大東亜戦争から終戦までについて、昭和天皇が侍従次長ら周囲5人に語った記録。御用掛だった寺崎英成が記録していた。この記録が、30年後に見つかり、1990年に各新聞や文芸春秋に掲載され、1995年に文春文庫で発売された。
 100万部以上を販売、大ベストセラーとなった。

 戦前は、重要な国策は、枢密院議長を除く、閣議、閣僚連絡会で決定され、その後に天皇に上奏され最終決定する。質問は枢密院議長がするだけで、天皇は何ら疑問をはさめない。だから完全に形式的なもので、上奏された通りに天皇は裁可の印を押すだけである。

 では、天皇は、国策について何も言えなかったかと言えばそうではない。
折に触れ、意見を大臣や陸海軍参謀長に言ったり、質問したりする。特に大臣などの人事については、自らの主張が通る場合が多いが、国策については、天皇が主張しても、大臣や参謀は聞かないのである。

 この作品に書かれている、昭和天皇の独白が事実だったかどうかは不明な部分が多い。自分には責任も権限も無かったと戦争責任を他に転嫁しているのではと勘繰れないこともない。

 しかし、天皇が、欧米を敵にまわして戦っているドイツに対し、日独、日独伊同盟を締結することに強く反対したことは事実だ。
 昭和天皇は時の近衛首相にたいし言っている。

「この条約のため、アメリカは日本に対して、すぐにも石油やくず鉄の輸出を停止してくるかもしれない。そうなったら日本はどうなるのか。この後長年にわたって、大変苦境と暗黒のうちにおかれるかもしれない。ドイツやイタリアのごとき国家と、このような緊密な同盟を結ばねばならぬことで、この国の前途はやはり心配である。私の代はよろしいが、私の子孫の代が思いやられる。本当に大丈夫なのか。」

 重い言葉だ。天皇がここまで言っても、どうにもならなかったのか。天皇はやはり、無力だったのだと感じる。

ランキングに参加しています。ぽちっと応援していただければ幸いです。
<

| 古本読書日記 | 06:33 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

澁澤龍彦   「快楽主義の哲学」(文春文庫)

 面白い。人間が生きてゆく目的。そんなものは、人間も動物、動物にはそんな目的は無いのだから、食って、寝て、性交して、寿命がくれば死ぬだけ。

 で、人間の幸福とは何か。満ち足りた生活を実現していること。この人間の幸福には2種類ある。1つは、消極的幸福。それにもう一つは積極的幸福。

 前者は、痛い目にあうよりも、あわないほうがいい、失恋するよりもしないほうがいいという消極的な考え方。一方後者は、血の滴るようなビフテキを食いたいとか、世界一周旅行をしたいとか、恋人と一晩豪華なホテルで過ごしたいとか、これらは積極的考え方である。

 前者は苦痛を回避することによって幸福を得る。後者は進んで快楽を獲得しようとする。この本では前者を幸福への欲求。後者を快楽への欲求と定義して、快楽の欲求こそが歓び、真の幸福の実現ができるということで快楽論を具体的に展開する。

 私の故郷の隣村で毎秋、豊年、五穀豊穣を祝って、神社のお祭りをする。この神社に祭ってあるのが、男根。この藁を結って出来上がった神男根を若い衆がかついで町中を練り歩く。

 それなりだけど、どこか空しい。何かが欠けている。おそらく、この祭りが始まった遠い昔には、無礼講で村の男女が大騒ぎの中で快楽を貪ることがあったように思う。

その交わり、快楽が禁止されているので、虚しさを感じるのである。明治になり、西洋の規範が入ってきて心からの快楽、喜びを表現できなくなった。

 快楽は、平等を基本とする。金持ちも貧乏人も、上位階級の人も下位階級の人も皆、裸になる。武器も持たない。快楽、喜びは平等で平和なのである。

 作品では、こんな快楽主義論が展開され、歴史上快楽を実行した人物を活写する。

本当に痛快な澁澤の快楽論。しかし、規範を守るべきことが最上のものとして人生を送ってきた、小心の私など、とても快楽主義は憧れるが、実行はできない。

ランキングに参加しています。ぽちっと応援していただければ幸いです。
<

| 古本読書日記 | 05:59 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

岡本太郎    「青春ピカソ」(新潮文庫)

 この作品、ピカソのことについて書かれているが、ピカソを通して、岡本太郎の目指す芸術とは何かを描く作品になっている。

 岡本太郎は18歳の時である昭和5年、一平、かの子両親に連れられ初めてパリに渡る。翌日両親は仕事のためにイギリスに行く。その後岡本太郎は昭和15年までパリで1人ですごす。

 この本で初めて知ったのだが、岡本はピカソと親交があり、ピカソのアトリエや陶器窯まででかけ、ピカソとの直接話をしている。

 さて、岡本はパリ滞在の最初ルーブル美術館にでかける。そしてそこで鑑賞したセザンヌの絵に涙を流す。美しい!タッチの豊潤さ、諧調の明快さ。日本でみた複製とは全く異なっていた。

 岡本は絵画を鑑賞して2回泣いている。このセザンヌとピカソだ。しかしピカソの絵に涙を流すのはルーブルでセザンヌに涙してから2か月半後だった。

 どうしてセザンヌ、ピカソに涙したのか。もちろん絵画の素晴らしさもあったが、彼らの作品が岡本の生活と肉体に染み入ってきたからだ。

 セザンヌは19世紀美学の破壊者と言われているが、実際は建設者だと岡本は言う。
セザンヌやゴッホの前では、岡本は希望的であるのだが、ピカソの前では、未完成に見えているのだが、すでに完成していて、そこには希望ではなく虚無しかない。

 その絵の前ではピカソのみが輝いていて、そのまわりは漆黒の闇になっている。
その闇はピカソ自身が自ら超えて新しい最高の芸術を創造するしかないと岡本は言う。しかし岡本は同時に宣言する。そのピカソを超えていくのはピカソの他には岡本がやるしかないと。

 そうか、あまたある燃え滾った岡本の作品は、尊敬するピカソを超えてみせた作品だったのか。

ランキングに参加しています。ぽちっと応援していただければ幸いです。
<

| 古本読書日記 | 05:45 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

上橋菜穂子    「夢の守り人」(新潮文庫)

 ファンタジー小説はどうも苦手だ。あり得ない世界で、妖怪や天使、悪魔が縦横無尽に動き回り、いろんな妖術を駆使して、戦う。こういった世界の映像がどうも私には上手く描けず、読んでいるうちについていけなくなり、読むのをあきらめてしまうのがしばしば。

 上野さんの有名な「守り人」シリーズ。食わず嫌いは良くないと思い、やっと手に取ってみた。「守り人」シリーズは10巻まであり、アニメ映画化も進んでいるそうだ。今回読んでみた作品は第3巻。最初から順番で読んでいかないとは、私はやはり天邪鬼だ。

 この作品には、現実に生きている世界と夢の世界と2つの世界がある。夢の世界は一面花の世界。人は起きている時は、魂も体も一体になっているが、眠ると魂は身体から離れて、花の世界に飛んでゆく。そして、その花の世界で現実とは別の人生を歩む。これが夢である。

 たいていの人は現実の世界で辛く苦しいことに抗いながら生きている。そして大概夢の世界でも、同じような辛い生活をしている。

 ところが、この物語では、花園の入口には夢の守り人がいて、飛んできた魂が見る夢を幸せに包まれた夢にしてしまう。こうなると、その魂は、目が覚めるとき、残してきた身体に帰って、苦しい生活をするのがいやになり現実世界に帰ろうとしなくなる。

 こうなると現実に残された身体は魂がないため、ずっと寝たままとなる。だから、生きた活動はしなくなる。食事もしなくなるから、やせ細り、5日もすれば、死んでしまう。

 事実、この物語でも、第一の皇子の母一ノ妃、第二皇子のチャグム、薬草師タンダの親戚の娘カヤたちの魂が現実の世界に戻ってこなくて、眠ったままになる。

 この戻りたくない魂を説得し、現実の世界に戻すのが、聖導師と組む呪術師の役割。

呪術師トロガイが最後に言う。
 「したたかな人びとでも、ふっと迷うときがある。昼の力ではおさえておけない夢をかかえることがある。呪術師はね、そんな人たちが、思いっきり飛ばしてしまった魂を、死の淵ぎりぎりのところから、連れて帰らなければならない。夜の力と昼の力の境目に立っている。わしらはね、夢の守り人なのさ。」

 上野さんの構想と、わかりやすい文章で面白かった。完全に食わず嫌いだった。

ランキングに参加しています。ぽちっと応援していただければ幸いです。
<

| 古本読書日記 | 05:59 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

押川剛    「子供の死を祈る親たち」(新潮文庫)

 押川のこの本以前に読んだ作品のタイトルが「子供を殺してくださいという親たち」。
紹介本もそうだが、どちらもまったくおぞましい、過激なタイトルだ。

 押川は精神障碍者移送サービスを行っている。精神障碍者と思われる人を、強制ではなく、本人や家族、関係者を説得して、医療施設につなげるサービスである。

 この作品は、実際の移送ケースをいくつも詳細に紹介し、それに基づいて現在の障碍者問題を説明しその解決を提示している。

 正直、問題とその解決方法については、圧倒的な恐ろしい現場、現実に驚愕してしまい、読んでもなかなか頭に入ってこない。
家族が崩れてゆく過程は、お金によることが多い。

「〇〇をしなさい。」と親や回りの人から言われ、それを実現、実行できないと子供は強迫観念症に陥る。強迫観念を回避するために、子どもは親にお金を無心するようになる。そして部屋にひきこもりが始まる。最初は小使い程度、ゲーム機や化粧品代くらいから始まる。親もそれで外へでるようになれば、気分転換になるのならという気持ちからお金を与える。

 それがだんだんエスカレートする。要求に応えなければ、親への暴力が始まる。
そして、凶器をふりかざして、預金通帳を奪い、年金も取られてしまう。
立場は逆転して、親が子供から生活費をもらう。

最後には、親が建てた家を追い出される。親はアパートを借りて住む。「ひきこもり」が「たてこもり」に変わってしまう。完全に子供が親を支配する。

 すごい、現実におきているホラーの世界。湊かなえや真梨幸子の小説より恐ろしい。

ランキングに参加しています。ぽちっと応援していただければ幸いです。
<



| 古本読書日記 | 05:56 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

原田マハ 原作村上たかし  「星守る犬」(双葉文庫)

 「ほんが好き」のブログに載せられている書評ブログの多くは、文学としてもレベルが高く、深い内容の作品を取り上げられ、書評の質が高い。

 私のように読むはしから内容を忘れてゆくような読者、通俗作品ばかりの読んでいる読者の書評は、載せるのが本当に恥ずかしい。

 今回紹介する作品。典型的な通俗小説。レベルは低いが、私のような平凡人には大きな感動を与えてくれる作品。でも平凡な読者である私には、こんな作品があう。

 この小説は漫画化村上たかしの作品を原田マハがノベライズしている。
漫画はどうか知らないが、小説の冒頭が良い。

ある男性が車を運転している。すると電光ニュース版に記事が流れる。

 「原野に放置されていた車から男性の白骨死体が発見される。亡くなった男性は死後一年以上がたっている。その男性の傍らに、一部白骨化した犬の死体も発見された。」と。

 一部白骨化した犬の死体? 私は驚く。何?男性は完全白骨化している。ということは一緒にいた犬は男性が死んだ後、生きていてずっと男性の遺体に付き添い、同じように死んでしまったのだと。

 その冒頭が終わって、急に男性と犬が亡くなる物語が始まる。

少女のみくちゃんが、白い捨て犬を拾ってくる。「「ハッピー」と名付けられる。みくちゃんは最初は可愛がったが、すぐ世話をしなくなり、お父さんが散歩や世話をするようになる。

 お父さんはやがて心臓に病気をかかえ会社を退職する。再就職活動をするがうまくいかない。

 そしておかあさんから離婚を言われる。そして、お母さんは娘のみくちゃんを連れて実家にかえる。

 無職で一人になったお父さんは犬のハッピーを連れ、有り金をもってワゴン車で旅にでる。

 途中ハッピーがひどい下痢になり、動物病院にかつぎこむと、入院と手術が行われる。

そして直後お父さんの心臓発作が起きる。もうお父さんの心臓は限界に近付いている。
 お金も底をつきかけ、最後の食事をレストランでする。
そして行き着いた野原でガソリンも無くなる。

 そしてお父さんに発作がおき、ついに死んでしまう。ハッピーにはお父さんが亡くなったことがわからない。ハッピーは野原の虫たちを食べ、お父さんがよみがえるのを待つ。

 ある夜、そのお父さんがよみがえる。そして、ハッピーは大好きなお父さんに連れられ、夜空の星に向かい、旅立つ。

 我が家にも犬がいる。野犬の子供だった。でも、犬というのは、この物語のように飼い主とずっと何があっても一緒にいてくれる。本当にいい小説だった。

ランキングに参加しています。ぽちっと応援していただければ幸いです。
<

| 古本読書日記 | 06:25 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

真梨幸子   「初恋さがし」(新潮文庫)

 初恋さがしを看板にして、女性ばかりのスタッフで、主人公ミツコが率いるミツコ調査事務所。そこで依頼された人探しを描く7編を集めた作品集。

 その中で、面白いかなと思ったのが「トムクラブ」。
依頼者は主婦の近藤美里。

 彼女は、いろいろあった会社で課長までいったのだが、退職。それまで住んでいた賃貸マンションをでて、新たにマンションを購入移り住む。そのマンションを不動産業者を仲介にして売却。そして更に別のマンションを購入して移り住む。前のマンションの購入者は鰻上雅春。購入者の名前が珍しいこともあり、美里はネットで検索。そして雅春のブログに行き着く。そのブログにはロックがかかっていたのだが、彼の生年月日を入力すると解除され、ブログに入り込めた。

 そのブログ名が「トムクラブ」。イギリスで起きた有名なピーピングトムから名前はきている、覗き魔のブログである。ブログには女性を盗撮した下着の写真がいくつも貼り付けてある。それだけならまだよいのだが、風呂場で全裸の女性死体を切り刻む場面も貼り付けてある。殺人事件である。しかも、その殺人場所と死体を切り刻んでいる場所が何と前に美里が住んでいたマンションの部屋。

 そして、新聞に身元不明の切り刻まれた全裸の顔なし死体が発見される記事が載る。
今のマンションの持ち主鰻上雅春を探し出し、警察に連絡したいから調査をたのむと。

美里の依頼の直後に鰻上より美里を探してほしいとの依頼がミツコ調査事務所にある。
依頼時に鰻上がミツコに説明する。

 鰻上はカメラマンでエロ雑誌に女性の下着写真を投稿、更に警察につとめる人から、全裸殺人の写真を密かに入手して雑誌に載せたという。

 その直後、全裸で切り刻まれた女性が発見される。名前は近藤美里。
首をかしげる内容の小説だ。

何も近藤美里は、鰻上の調査をミツコ事務所に依頼する必要は無い。警察に直接届ければよい。事務所に依頼すれば調査費も請求されるのだから。

 作者真梨さん少し疲れているのでは。イヤミスは少しやめて普通の小説を書いたほうが良いと思う。何だかネタもつきてきたし・・・。

ランキングに参加しています。ぽちっと応援していただければ幸いです。
<


| 古本読書日記 | 06:21 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

ポール オースター   「ブルックリン・フォリーズ」(新潮文庫)

 主人公ネイサンは、大病、退職、離婚ののち、疲れ切って、故郷ブルックリンに帰ってくる。そして持て余す時間を使ってこれまでの自らのバカげた行動を「愚行の書」として書きだす。

 いろんな個性的なブルックリンに住む人たちが、ネイサンの他にも登場する。過去に懲りずに、悪だくみを行う、古書店主ハリー。その古書店でネイサンと働くデブの30男独身のトム。

 ネイサンが昼飯を食べに行く食堂のウエイトレス。密にネイサンが想っている。またトムが恋心を強く抱いている、幼稚園バスの娘を送りだす、超美女のBPMなる人妻。

 そして、行方不明になっているトムの妹オーロラ、その娘の小娘ルーシー。
ブルックリンに住む彼らがおりなす、トラブル、出来事をオースターには珍しくコミカルで軽妙なタッチで描き出す。

 そんなブルックリンってどんなところ?オースターの素晴らしい描写に感動。

「白、茶、黒の混ざり合いが刻々変化し、外国訛り何層ものコーラスを奏で、子どもたちがいて、木々があって、懸命に働く中産階級の家庭があって、レスビアンのカップルがいて、韓国系の食料品店があって、白い布の身を包んだ長いあごひげのインド人聖者が道ですれちがうたびに一礼してくれて、小人がいて障碍者がいて、老いた年金受給者がゆっくり、ゆっくり歩いていて、教会の鐘が鳴って、犬が一万匹いる。」

 そして極めつけ。ルーシーを連れて母親オーロラに会いに、トムとネイサンが行く。ルーシーが母親のところへ行きたくなくて、途中でトムたちに内緒で、たくさんのコーラを車のガソリンタンクに流し込む。それを知らないトムが車のエンジンをかける。そのエンジンの音についての表現。

「しわがれ声のクスクス笑い?しゃっくりのピチカート?高笑いの狂騒曲?窒息しかけた」ガチョウか酔っぱらったチンパンジーの口からでたかと思われる音。やがて高笑いは、引き伸ばされた一音に、騒々しいチューバのような、人間のゲップの音と言っても通りそうな噴出音に変わっていった。・・・消化不良の産む緩慢で苦しげなゴロゴロ、末期的な胸やけを患った男の喉から漏れてくる低音の空気だった。」

エンジントラブルについてのこんな見事な表現ははじめて。オースターと訳者柴田元幸の素晴らしいコラボ。

ランキングに参加しています。ぽちっと応援していただければ幸いです。
<
 

| 古本読書日記 | 06:14 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

糸井重里 池谷裕二  「海馬 脳は疲れない」(新潮文庫)

 本の出版当時2005年、東大薬学部助教授で、脳の研究に携わっていた池谷と、コピーライターの糸井が、脳の働きについて語りつくした対談集。

 この本のタイトルにあるよう、脳は毎日24時間生涯働いていて全く疲れることがない。疲れたというのは、目など身体の機能する部分が疲弊した症状を言い、脳は疲れを知らない。

 人間が、取り入れた脳の海馬が取捨選択し、記憶として認識させるための工程を主に人間が睡眠している間に行うため、睡眠が人間にとって必要不可欠な行為となる。最低6時間は必要。この海馬の作業によって、夢があらわれる。夢は人間の記憶から造られているそうで、全く記憶から切り離された夢は見ないそうだ。

 この海馬は記憶の創造工場であって、必要な記憶を脳に記憶させる。そして、必要に応じて人間に1000億個あるという神経細胞を通じて、必要な部位に伝送する。

 では、海馬はどんな基準で記憶を取捨選択するかというと、人間が生きてゆくために必要と海馬が判断するものが優先的に脳に記憶されるそうだ。

 そうか、だから、受験勉強、歴史上で起こった大きな出来事について年号を覚えなければならないが、それは生きてゆくために全く必要のない記憶。だから、海馬に切り捨てられ全く覚えがないことは、道理がかなっている。

 だけど、学生の中には、無駄な年号を記憶している人も多い。どうして、こんな差が起きるのだろう。
 脳の中には偏桃体といって、人間の興味、好き嫌いをつかさどる部分がある。この偏桃体が、受験勉強が何よりも大切で大好きと思い、信じ込んでいると、海馬の記憶の優先順位が上がるようだ。

 私は、受験勉強が嫌いだった。その本質に海馬が応えてくれたわけだ。

ランキングに参加しています。ぽちっと応援していただければ幸いです。
<

| 古本読書日記 | 06:14 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

小杉健治    「死者の威嚇」(祥伝社文庫)

 小杉5冊目の作品。小杉のミステリーはどの作品も奥行きとリアリティーがあり、感服するのだが、特にこの初期作品は、情熱と意気込みが尋常ではなく、本当に感動した。

 大正12年9月1日。関東大震災が発生。ちょうど昼飯時だったため、多くの家が火を使っていて、火災があちこちで発生。死者、行方不明者は10万5千人にのぼり大災害となる。

 このミステリーの起点は、関東大震災から始まる。作品を動かす大震災の内容は次の3点。

大震災では、戸籍が火事により紛失。だから、新たな戸籍造りは、役所への自己申告により再作成された。ということは、亡くなった人を語って申告ができ、震災前と別人が震災後生まれた。

震災直後から、朝鮮の人々が日本人を虐殺しているというデマが流され、日本人は街で自警団を作り朝鮮人を虐殺する。

 この作品で知ったのだが、虐殺は正当化され、殺人事件とはならず、むしろ虐殺は警察も含め奨励され、虐殺をすると虐殺した人は日本人から賞賛された。ひどい時代があったのだ。

 朝鮮人か日本人かを見分ける時には、自警団は対象と思われる人に「15円50銭と言ってみろ」と言う。朝鮮の人は「チュウコエンゴチッセン」と言う。すると即座に刺殺される。

 当時は、日本も方言をしゃべる人がたくさんいて、特に東北人は、うまく標準語を発音できず、朝鮮人とみなされ殺された人がたくさんいた。

 この作品は昭和60年が舞台となっている。ということは、関東大震災を経験し、自警団で朝鮮人や東北の人を殺害した人、あるいは殺害されかかった人、震災を契機に別人となった人が多く生存していた時。

 過去をひたかくして生きてきた人、震災での出来事がそのまま今に引き継がれ、新たな事件を引き起こしてしまう人が、折り重なり、重厚な物語になっている。

 小杉の深い思考と物語にかける強い情熱が迸り、感動を呼び起こす素晴らしい作品になっている。

ランキングに参加しています。ぽちっと応援していただければ幸いです。
<

| 古本読書日記 | 06:06 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

凪良ゆう     「流浪の月」(創元推理文庫)

 映画化され、37万冊販売、しかも本屋大賞受賞作、大ベストセラー作品。

「でも多分、事実なんてない。出来事にはそれぞれの解釈があるだけだ。」
事実と解釈の解離がこの作品のテーマ。

主人公の更紗は、父親が幼いとき亡くなる。母親は自由奔放で、付き合っている男と失踪、それでおじさんの家に預けられる。

 その家の一人息子孝弘が、更紗に乱暴をする。時には襲おうともする。それに、おばさんともぎくしゃく、おじさんの家に更紗はいたくなくなる。

 ある日、公園で本を読んでいると、若い男に声をかけられる。少し会話をして更紗は言う。
「家に帰りたくないの。」青年に「じゃあ、うちにくる。」更紗はうなずいて、青年についてゆく。

 青年の部屋はいごこちもよく、青年は優しく、孝弘のように身体を触ったり乱暴するようなことは全くない。更紗はずっとここにいようと思う。

 しかし、おばさんが警察に捜索願いをだし、それがニュースとなる。ここから、マスコミは、目撃者の証言から、更紗は拉致され、犯人はロリコンで更紗は部屋で虐待され性的暴力を受けているというステレオタイプの解釈を流す。

 青年と更紗は部屋にいるところを発見され、警察、マスコミ、群衆のステレオタイプの解釈に巻き込まれる。その時、更紗は自分が自ら青年に付いていった。青年は優しかったと言わねばならないと思ったが、言葉にできなかった。そのため、更紗は解放されたが、青年文は警察に連行される。

 そして2人は引き離され、10年後に文のやっている喫茶店で再会することになる。

文は更紗に身体を合わせて更紗の思いに応えてあげられない。更紗も文に恋心は抱くことはできない。でも、更紗は文のそばにいたい。

 2人の関係について、世間は全く理解できない。雑誌が、ロリコン少女暴漢魔が、かって凌辱した女性と一緒に住もうとしていると何週にもわたり特集をくみ扇情的に書き、これにネットが追従する。更に、その時付き合っていた亮も更紗に暴力を振るう。
 ネットで、今はこういうことだろうが、いつのまにかこういうことだと断定的に言われ拡散する。

 この物語でもう一つ象徴的に描かれていることが、更紗は夕食にいつもアイスクリームを食べたいという。そんなことはあり得ないと、皆から否定される。どうしてアイスが食べたくなるか、まわりは誰も聞こうとしない。

 常識、圧迫感、ネット、マスコミが特異の人を彼らの決めつけた解釈で責め上げる。恐ろしさを感じた作品だった。

ランキングに参加しています。ぽちっと応援していただければ幸いです。
<

| 古本読書日記 | 06:07 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

堀江敏幸    「オールドレンズの神のもとで」(文春文庫)

 堀江さんの作品を、いつも渇望して待っている。堀江さんの作品は、ドラマチックな場面は皆無。しかし日常を描くと、その中に他の作家が書けない奥深い感動がさしはさまれる。これが、本当に心地よい。

 この本には掌編と短編が18編、収められている。
堀江さんの特徴が、どの作品にもよく表れている。

 主人公の私は交通事故を起こし、会社をしばらく休職している。その間リハビリを兼ねて安木夫妻が飼っている2匹の犬「オクラ」と「レタス」の散歩を引き受ける。

 この散歩の最中のちょっとした出来事、街の風景の描写がすばらしい。

家を建てている大工さんに会う。煙草を吸って休憩中の大工さんが主人公に声をかける。
「名前なんて言うの?」
「飯島と申します。」
「ちがうよ。犬の名前。」
「そちらがオクラで、こちらがレタスです。」
普通は犬の名前を聞かれたら、間髪いれずにオクラとレタスと答える。ところが、物語で堀江さんは間髪の間に見事な場面をさしはさむ。
「前歯の一部が欠けている。大工をしている友人も、以前、こういう歯をしていた。振り下ろした金槌が木の節の固いところに当たって、跳ね返った拍子に自分の歯を割ってしまったのだ。保険が無いからそう簡単には歯医者に行けないと、ずいぶん長いこと放っておいたようだが、欠ける、折るではなく、歯を割るという表現の生々しさに感じ入った覚えがある。」

 この文章が大工さんと主人公の簡単な会話にはさまり、物語に深い感動を生じさせている。

ランキングに参加しています。ぽちっと応援していただければ幸いです。
<

| 古本読書日記 | 06:07 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

村山由佳    「まつらひ」(文春文庫)

 神秘の祭りとそれからいざなわれる性愛が織りなす6編の作品集。

私が住む、地方都市の中の一つの地区。1000人ほどの住民が住んでいるが、江戸時代には13戸の家が集まる集落だった。一軒は庄屋だったが、残りは全部百姓だった。その後、明治大正と農家は増加し、全部で30軒余になったが、今は全く農家は無くなった。

 畑だったところは宅地造成されて、新しい住民がやってきた。またそれ以外では多くのアパートが建った。

 もう農家を継ぐという人は希少価値になり、殆どは都会にでて、別の職業につくのが当たり前の時代になった。
私も男3人、女1人の4人姉弟で、大きな農家をしていたが、男3人は誰も家業は継がなかったし、親もそれを求めてはいなかった。

 この作品集の第一話「夜明け前」。主人公の女性は、幼馴染のレタス農家の次男に嫁ぎ、厳しい農業に従事している。
 物語は何十年も前の話のように思える。

レタスの収穫は、毎朝午前3時から始まる。これが収穫期の夏は毎日。とても、こんな農家に嫁さんは来ない。私の若い時代でも、農家はフィリピンや中国に嫁さんを求めていた。

 物語では、次男に子種が無い。ところが、嫁さんは妊娠する。そして流産する。
どうして、夫に子種が無いのに、子どもができたのか。ときどき、主人公の嫁は、夢のなかで、どぎつい性愛を行う。どうも、これが夢ではなく、長男の一臣が帰省したとき、弟の夫に代わり、次男の妻と性行為をしていて、それを夢のように妻は錯覚していたらしい。
 しかも、この作為に義母も手伝っていた。

村祭りの日。帰省した兄一臣と夫と主人公3人、ライトバンで祭りに行く。その帰り、道をはずれて、草地にとまり、荷台で一臣にセックスを強要される。夫は脇でそれを見ている。

 帰ると、レタス収穫が始まる。疲れ切った嫁に義母が言う。
「早く後継者を作ってね。」この一言が恐ろしい。

だけど、現在ではこんな話は殆どありえない。だからまったくせまってこない。

ランキングに参加しています。ぽちっと応援していただければ幸いです。
<

| 古本読書日記 | 05:52 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

畠中恵    「やなりいなり」(新潮文庫)

 「しゃばげ」シリーズ10作目。10作目か。さすがの畠中さんも少し息切れしたように思う。それほどポンポンとアイデアが浮かぶというわけにはいかない。

 その手をぬいたかなと思ったのが収録されている「からかみなり」。
空に雲はあるが、雨は降っていない。しかし、その状態で大きな雷の音が江戸に鳴り響く。こんな雷を「からかみなり」という。

 そんな雷の中、薬師問屋兼廻船問屋、長崎屋の主人藤兵衛は小僧梅丸を連れて、外に用事にでていた。からかみなりが轟いたとき、藤兵衛が寄りたいところがあるから、店に帰りなさいと小僧梅丸に言う。
 それから藤兵衛が、店に帰って来ず、行方不明となる。
長崎屋では、主人藤兵衛はどうしたのか若だんなの部屋にみんなが集まり、相談する。

ここからが畠中さんの手抜き。

 貧乏神の金次。妖の屏風のぞき。兄の佐助。それぞれが自分の想像をしゃべる。
この想像に20ページ以上畠中さんは使う。

 その行方不明になるきっかけから、実際の不明にいたるまでの経過を微細に、それぞれが想像を話す。
 でも、どの想像話はどれも真相とは全く関係ない。
つまり、この部分20ページ余は、まったく読み飛ばしても、読者は問題ないのである。

ベストセラー作品を間断なくうみださねばならない宿命を背負った畠中さん、本当に大変なんですね。

ランキングに参加しています。ぽちっと応援していただければ幸いです。
<


| 古本読書日記 | 05:57 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

畠中恵    「すえずえ」(新潮文庫)

 「しゃばげ」シリーズ13作目の本。素直に一作目から順番に読めばいいのに、手に入った順に読んでいる。この本には5つの中編が収録されている。

 上手いと思ったのは「おたえの、とこしえ」。

主人公の若だんな一太郎の父藤兵衛は、薬師問屋兼廻船問屋の長崎屋を営んでいる。今は上方で大きな商売があり、持ち船の常盤丸に乗り上方に出張している。

 そこに、上方の商売相手の赤酢屋七郎右衛門が訪ねてくる。上方の米会所の仲介をしている、つまり相場師である。主人藤兵衛が不在のため、妻のおたえが応対する。

 20日前に、ある藩主から依頼された商品を上方で、藤兵衛の長崎屋に販売したのだが、その商品が10日で江戸には運べるということだったが、20日たった今でも藩主の所に着いていない。すでに約束の納品期限を過ぎている。それで藩主よりお金の回収ができなくなっている。それで、長崎屋を赤酢屋に譲って欲しいと。

 藤兵衛は上方に行ったきり、何の連絡もない。いったい上方で何が起こっているのか、病身の若だんなと守り役として、長崎屋に住みついている妖の守狐と一緒に、長崎屋の持ち船神楽丸で上方に向かう。

 そこで、若だんなは赤酢屋が米相場で大失敗をして、長崎屋の常盤丸に操作して沈めようと細工し、江戸に運べないようにしていたことを知る。しかし藤兵衛がその細工を何とか克服して、今常盤丸は江戸に向かって帆を進めている。

 このことを早くおたえに知らせねばならない。
しかし江戸時代は連絡手段は特急飛脚しかない。これだと半月かかる。そんなには待てない。

 驚くことに赤酢屋の悪事は、若だんなが真相を入手後数時間後には長崎屋おたえが知ることができた。

 守狐とその仲間の狐たちが木にのぼり、その天辺で旗を振る。それが手旗信号になっていて、その信号をそれぞれの天辺にいる狐が引継ぎ江戸のおたえの所に届けたのである。

 畠中さんの発想が実に素晴らしい。

ランキングに参加しています。ぽちっと応援していただければ幸いです。
<

| 古本読書日記 | 05:53 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

三浦しをん    「人生激場」(新潮文庫)

 三浦さんが作家初期の頃、発表したエッセイ。力が入りすぎ。三浦さんとて、一般の人と変わらない日々を坦々と送っていた頃。もちろん、面白い事象や変わった事象に遭遇することはある。その変わった事象を、現実の120%ほどに膨らませ、あくまで現実ばなれしないように描くのが面白いエッセイのこつ。

 しかし、このエッセイでは、これ以上ないくらいに、三浦さんは膨らませるだけ膨らませ、完全に現実から遊離してしまい、何となく吉本新喜劇を見ているような思いになる。

 中華料理屋に少し大人数で行く。丸テーブルにつく。料理が次々並べられる。しかし困ったことに箸が異様に長い。これでは、自分の目の前の料理はつまめない。仮につまめても、自分の口近くには持ってこれない。

 それでどうなるかというと、向かいの人のために料理をとってあげ、食べさせてあげる。しかし、向かいの人が親切な人であれば問題ないのだが、料理をとって自分に食べさせてくれなかったら、どうしよう。自分はひたすら向かいの人に食べさせてあげるだけになってしまう。

 こんな妄想、エッセイがもりだくさん。

ランキングに参加しています。ぽちっと応援していただければ幸いです。
<

| 古本読書日記 | 06:06 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

ブレイディみかこ   「THIS IS JAPAN」(新潮文庫)

 「ぼくはイエローで、ホワイトで、ちょっとブルー」でベストセラーを獲得したブレイディ。現在イギリスに住み保育士資格を取って、最底辺保育所に勤務しながら作家活動をしている。

 そのブレイディが、一か月間日本にやってきて、保育所やホームレス、最底辺で暮らす人たち、それらを支援している人達を取材。その取材内容をまとめた作品。

 日本では、大きなデモがなくなった。
そういえば、立憲民主、共産党の幹部をみても、働く人たち、活動家の匂いのする人がいなくなった。強いていえば、共産党を除名された筆坂秀世がそんな匂いがするくらい。

 平和、平等、ジェンダー、SDG’S、女性の社会進出の促進などお題目を並べるが、本来社会の助けをもっとも必要としている人達の中にはいり、問題を拾い上げデモなどの活動につなげ、その圧力で政府に改革を求めていく活動は、政治家や個別の党とは切り離されてしまっている。

 更にこの作品では、山谷を中心にホームレス支援活動をしている人達とシングルマザーを支援するグループが話し合いをしているが、自分たちの活動内容を語るだけで、共通の課題、目標を見つけてともに活動しようという会話には全くならず、それぞれが孤立してしまっている。

 今は6軒に1軒は貧困家庭と言われる時代。政治も活動団体も孤立していて、つながらない。何か悲しい。

ランキングに参加しています。ぽちっと応援していただければ幸いです。
<

| 古本読書日記 | 06:03 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

筒井康隆   「ロートレック荘事件」(新潮文庫)

 工藤忠明は同い年の従兄浜口重樹と八歳のとき、近くの公園の滑り台で遊んでいた。

滑り台の高さは4mあり、重樹はそのとき中間にある踊り場のような場所に座り、止まっていた。忠明は尻にローラーを敷いて、てっぺんからすべりだす。勢いがついて、踊り場で止まっている重樹を思いっきり突き飛ばす。重樹は踊り場から放り出され地面にまっさかさまに落ちる。これで重樹は脊髄を壊し、生涯、重い障害を持っての暮らしを余儀なくされる。

 忠明はそこから重樹に寄り添い、重樹を支え暮らすことを誓い実行する。

そして、28歳の夏、重樹と忠明は、木内文麿が所有する高原の館、ロートレックが多く飾ってあるロートレック荘に招かれ過ごす。

 忠明はその時大学の講師をしていて、自分が教える美人の生徒3人牧野寛子、立原絵里、そして木内夫妻の娘、木内典子を誘う。別荘では招かれた5人とともに木内夫妻、それから別荘番を20年も続けている馬場金造が一緒に過ごすことになる。

 ところが、この館で3人の女学生が次々銃で撃たれ、殺されてしまう。
犯人は、別荘で一緒に過ごしている人間しかありえない。誰が犯人か、推理小説ではよくあるパターンである。

 物語では、重樹を障碍者にしたのは忠明であると読者を誘導するが、読み進むと俺と名乗る人間が登場、これが忠明のようにも思えるし、違う人間のようにも思える。

 物語の半分を過ぎたくらいに、突然修という人間が登場する。
ややこしいのだが修が滑り台から転落して、転落させたのは忠明ではなく、兄の重樹だということが徐々に明らかにされる。

 そう。別荘には忠明と重樹だけでなく、もう一人の男が客として泊まりにきていたのだ。

この作品200ページの作品で、それほど長い作品ではない。しかし筒井は作品が完成するまでに2年半かかったという。

 それはそうだ、3人の女性の銃殺、それぞれのトリックも考えねばならないし、何よりも別荘にやってきた男は忠明と重樹の2人だけと読者に思わせるよう、実はもう一人やってきた男がいることさとられないよう、細心の神経を配って、各場面を描かねばならない。これは2年半かかるわけだ。

ランキングに参加しています。ぽちっと応援していただければ幸いです。
<

| 古本読書日記 | 06:24 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

河合隼雄 村上春樹  「村上春樹、河合隼雄に会いにいく」(新潮文庫)

 人見知りが強い作家村上春樹には、本当に珍しい臨床心理学者の権威河合隼雄と京都で一緒に二泊したときの対談集。
 この作品は平成8年に出版されている。阪神淡路大震災の直後で、村上は当時「ねじまき鳥クロニクル」を執筆中。

 村上がこの対談で、自分の小説について語っている。

自分の小説はどうしても長編になる。小説を執筆するときは、どんな構造にするか決める。構造とは2巻で止めるか、3巻にするかということ。おおまかなストーリーはあるが、殆ど何も決めないで執筆する。でも、自分はプロだから、最後はしっかりとカタルシスで締める。

 途中で執筆していてある行動を登場人物がする。そこで、村上は考える、どうしてこいつはこんな行動をとったのだろうか。それを解析して、次へ進む。

 これはどういうことなのだろうか。そのヒントがその少し前に村上の小説の真髄として語られる。

「ぼくという人間は、自分ではある程度病んでいると思う。病んでいるというより、むしろ欠落部分を抱えていると思います。人間というのは、もちろん多かれ少なかれ、生まれつき欠落部分を抱えているもので、それを埋めるためにそれぞれにいろいろな努力をするのですね。僕の場合は、30過ぎて物書きをはじめて、それがその欠落を埋めるためのひとつの仕事になっていると思うのです。」

 そうか、物語を書いていると、しょっちゅう欠落がいろんな形で執筆中に発生して、それをどうやって超えていくのかを創造する、その積み重ねが小説なのか。
 村上の小説を読む前に、このことを知っておけば良かった。ちょっと気が重くなるけど村上を再読してみようか。

ランキングに参加しています。ぽちっと応援していただければ幸いですうだ。
<

| 古本読書日記 | 05:43 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

星新一     「つねならぬ話」(新潮文庫)

 奇抜な着想、空想で読者を不思議なワンダーランドにいざなう52編の小説集。

二人の囚人が十メートル四方の部屋を鉄格子で仕切られ、隣り合わせで収容されている。
食事も支給され、一日中何の悩みもなく、ごろんとして過ごし、日が暮れると眠り、夜明けとともに目覚める健康的な生活。体調もすこぶる良い。
 囚人が隣の囚人に話しかける。

「俺たちが刑務所にはいってどのくらいたったかのう。」
「もうわすれたよ。それにしても長い」
「このまま釈放されても、とても世間ではやっていけない。」
「そうだよ、ここは本当に居心地がいいからなあ。」
「たまに思うんだが・・・」
「なんだ、とても言いにくそうだな。思い切って言ってみろよ。」
「実は、俺たちとっくに死刑にされて、死んでいるんじゃないか。」
「いやそうかもしれない。過去の記憶はないし、未来もきにならず、現在には悩みが無い。
 だれが覗いても、俺たちは見えないじゃないか。」
「そうだよな。この刑務所も見えないだろうな。」

なかなかシュール。収録されている作品「部屋」より。

ランキングに参加しています。ぽちっと応援していただければ幸いですうだ。
<

| 古本読書日記 | 06:18 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

柳井正     「一勝九敗」(新潮文庫)

 ユニクロ創業者で、現在も社長をしている柳井が経営の真髄を描く。

 この本は2003年に出版されている。当時ファーストリテイリングは4000億円の売り上げに急成長、それで柳井はこの時1兆円企業を目指すと宣言している。それで、直近の決算ではすでに1兆円は超えて、2兆円企業になっている。

 ユニクロの成功は、フリースという登山用の素材をファッションに起用したこと。
それから、1995年に全国紙、雑誌に「ユニクロの悪口を言って100万円」という広告を打って、これにより1万通のクレームを受ける。
「一回洗ったら糸がほどけた。2回目は脇に穴があいた」「Tシャツを一度洗っただけなのに、首のところが伸びた」など品質問題を指摘する大クレーム。

 当時ファッション販売会社というのは、商品の企画をするが、製造はすべて外注に発注する完全ファブレス。
 しかし、ユニクロはこのクレームにより、企画開発、生産、物流、販売のすべてのプロセスを自らコントロールすることになる。

 私が定年退職してから、ある会社にアドバイザーとして勤めた。700億円くらい売り上げのある伸び盛りの会社なのだが、完全のファブレス企業。品質不良、欠品、生産遅れで苦しんでいる。ユニクロの全プロセスを自らコントロールする着想は当時、すごい発想だった。

 それから、会社で一番重要な役割をつかさどるのは各店の店長。店長は単に販売を行うだけでなく、店の経営そのものを担う。ユニクロで社員の最終目標は店長になること。
 それで報酬も成績が優秀な店長は年収が3000万円ということもあるそうだ。

  ユニクロでは、この最も会社で重要な役割を担う店長は20代か30代が殆ど。問題が噴き出すのは店。だから経営者は常に店や現場をフットワーク軽く行かねばならない。そして経営者が、それができ、現場の店長と会話できるのは、社長は40代か、50代前半までと柳井はこの本で言う。それに従い、この本の出版直後、現在ローソンの社長をしている玉塚に社長の座を譲っている。しかしその3年後、玉塚は社長を退任して、柳井が社長に復帰して、現在70歳を超えても、社長として君臨している。やっぱし、人材の育成は柳井は苦手? 

ランキングに参加しています。ぽちっと応援していただければ幸いですうだ。
<

| 古本読書日記 | 05:54 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

西村淳  「面白南極料理人」(新潮文庫)

 猛威をふるう、ウィルスの存在さえゆるさない。平均気温-57度の世界。知らなかったのだが南極の日本の基地は昭和基地だけだと思っていたが、何と昭和基地から1000KMも離れた、3800Mの高地にドーム基地があり、そこで選り抜きの食材を使い、料理を提供する作者が、第38次南極越冬隊に参加して、越冬隊メンバー9人の仲間とともに暮らした記録を綴る。
悲壮感はなく、ユーモア溢れている。

 食材選びの工夫。よく提供される国民食はカレー。最近は一般味のカレーは好まれず、インドなどアジア風の味が求められる。その味は、普通の固形カレーに太田胃散を混ぜればそれなりの味がでるそうだ。

 レクレーション、屋外で、ソフトボールをする。9人だから、4人ずつ別れ、チームを結成して、残り1人は審判。回数は3回で、三角ベース。

 打ったボールはグローブで捕球できない。はめたグローブは広がったままコチコチに凍って、閉じることができない。ゴロは上からグローブで覆って止めるしかない。金属バットでボールを打つのだが、決してカキーンなどというクリアーな音はしない。金属バットの鋼柔性がなくなり、ボールも凍ってバットに当たると、「バキッ、ベキッ」と音がして、その度にバットが、へこむか折れるか、ひびがはいる。

 -50度以下、3800Mの高地での野球。3回もやると、くたくたに疲れる。延長は絶対不可能。

 一番怖い病気が凍傷。この病気にかかると、タイムリーに手当しないと、壊死になってしまう。
 この凍傷を防ぐ一番いい方法は、パンツの中に手をいれ〇玉を握って暖をとることだそうだ。

 こんな我々には想像できない世界を面白くリアルに描いて楽しめる作品になっている。南極にぐっと近付けた。

ランキングに参加しています。ぽちっと応援していただければ幸いです
<


| 古本読書日記 | 05:33 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

星新一    「盗賊会社」(新潮文庫)

 私は経験ないが、コロナにより社会で急速にひろまったテレワーク、実施している人達の心境はどんなものだろうか。
 サボルなんてことはないのだろうか。会社に行って、仕事仲間に会っていないと不安にならないだろうか。

 この作品集の「あすは休日」によると、2027年には会社の仕事はすべてAIが行う時代になっている。だから働かなくても、国から生活に必要なお金は払われる。

  主人公N氏は朝、やさしい女性の声で起こされる。
 「おめざめの時間です。今日はお勤めの日です。」
これで起きないと、強烈なベルが鳴る。それでも起きないと、ベッドが揺れ動き、N氏はベッドから振り落とされる。あるいは、N氏の鼻にむかって刺激臭をぶっぱなす。

 これでやっと目覚めて、朝食をとって会社に向かう。同じ通勤する近所の会社員の人に
「お互いに昇進できませんねえ」などと愚痴りながら。
そして会社では、書類作成や整理で失敗して、上司から厳しい叱責を受ける。
 やっと退社時刻がきて、家に帰る。そこで、飲んでいた薬の効力期限がくる。

 この薬を飲んでいると、会社通勤、仕事をしている夢をみる。夕方その夢から目覚める。

 この薬のおかげで、週末の休みがくるのが待ち遠しくなる。
この薬が無いと、人間は生きる楽しみがなくなる。最高の皮肉。

ランキングに参加しています。ぽちっと応援していただければ幸いです
<

 

| 古本読書日記 | 05:46 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

畠中恵   「たぶんねこ」(新潮文庫)

 私の娘が畠中さんの大ファンで、よく読んでいる。変なライバル意識が邪魔をして、娘の好きな作家の本など読めるかということで今まで畠中さんは殆ど読んだことは無かった。

 今まで1万5千冊の本を読んできた。さすがに読む本を探すのが大変になってきた。
そこで変な意識を捨てて、畠中さんの作品を手に取った。

 この作品はかの大ベストセラー「しゃばげ」シリーズの第12作目。「しゃばげ」シリーズはシリーズ20作が出版されていて何と総販売数は870万部ととんでもない記録を樹立している。

 5つの作品が収録されている。

  主人公は廻船問屋兼薬種問屋の息子一太郎。身体が弱く、しょっちゅう病気になり、床に伏している時が多い。一太郎の祖母が妖で、この一太郎も妖。一太郎の家にはたくさんの妖がいて、一太郎にはその存在が見えるのだが、一般の人達には見えない。

 最後に収録されていて、本のタイトルにもなっている「たぶんねこ」では妖でなく月丸という幽霊が登場する。この月丸が猫に化けようとする。姿、形は猫なのだが、犬と大きさは同じ。この化けた猫を襲う生きた猫が登場する。思い切り月丸に襲いかかるのだが、そのまま月丸の身体を通り抜けてしまう。

 月丸幽霊が面白い。自分の居場所を懸命にみつけようとする。幽霊は、どこでも好きな場所にでることができ、場所など求めることはないはずなのだが。

 さらに自らの生きがいが何かを追求する。幽霊はすでに死んでいるし、生きがいを求めるなんてありえない。その生きがい探しに主人公一太郎が応援する。

 このユーモアがたまらない。幽霊、妖がふんだんに登場するが、リアリティがあり、確かに面白い。

ランキングに参加しています。ぽちっと応援していただければ幸いです
<

| 古本読書日記 | 05:42 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

伊坂幸太郎編   「小説の惑星ノーザンブルーベリー篇」(ちくま文庫)

 伊坂幸太郎は小説の魅力溢れる作品を「小説の惑星」というタイトルの元に「ノーザンブルーベリー篇」「オーシャンラズルベリー篇」と2冊の本にして紹介している。

 その紹介のまえがきで彼が思いを語っている。

「よく言われるように、今はたくさんの娯楽があります。時間は限られていますし、その中で無理やり、小説を読んでもらいたいという気持ちはありません。誰もが自分の好きなものを楽しめばいいなといつも思っています。・・・・ですので、このアンソロジーは、例えば『いくつか売れている小説を読んだのだけれど、面白いと思えなかったんです。』であるとか『ストーリーやどんでん返しは面白かったけど、それだったらアニメや漫画、映画、ゲームでもいいかと思った。』であるとか『あなたの書いた小説がどうにもつまらないので、もう小説という娯楽には手をださないことにします。』であるとか、とにかく、そう思ってしまった人たちに『小説を見限るにはこれを読んでからにして!』という本を目指しました。つまり、『これで小説はもういいかな、と思われたのなら仕方がない』僕は諦めがつく。そういった作品たちです。」

 そして、短編なのだが、なるほどと面白く、文学の香り溢れる作品がこの本には収録されている。

そんな中で異色なのが宮部みゆきの「サボテンの花」。小学6年1組とあと2日で校長になれず定年退職する権藤教頭の少し霞がかかった話。

 学園ものというのは、よく学校や父兄を生徒が振り回す出来事が起きるが、最後はハッピーエンドで終わる感動作品が多い。
 そして「サボテンの花」もまさに典型的な学園もの。少し、哀歓を帯びるが最後は感動を誘う物語。うんうん唸って読む作品ではなく、気持ちを楽にして読める作品だ。

 こんな作品を名作の中に入れるとは。ところが伊坂は言う。この作品を大学時代に読み大感動。自ら目指す小説。小説家になる原点になった作品と言う。

 そうだよ。肩肘はらずに読めて、感動を与えてくれる。それが読者をひろげる。
伊坂が次々ベストセラー作品を生みだしている、原点が「サボテンの花」にはある。

ランキングに参加しています。ぽちっと応援していただければ幸いです
にほんブログ村 本ブログ 読書日記へ<

| 古本読書日記 | 06:46 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

恩田陸   「不連続の世界」(幻冬舎文庫)

 恩田が描くトラベル・ミステリー中編集。どの作品も、すごく面白いというわけではないが、その中で、強いてあげれば、最後に収
録してある作品「夜明けのガスパール」面白いかなと思った。

 学生時代の仲間、主人公の多聞、黒田、尾上、水島が中年になって、変わった旅行を計画する。香川まで讃岐うどんを食べにゆく旅。この旅程が変わっていて、東京を夜行列車ででて、香川まで行き、讃岐うどんを食べて、飛行機で東京に帰るという旅である。

 そして、夜行列車のなかでは、4人それぞれ、遭遇した怪談を披露することになっている。
多聞は、夜行列車の窓に映る自分の顔が嫌いだ。死に顔に見えるのだ。そして4人の死人が
怪談を喋りあっているのが気持ち悪い。

 多聞は何を話そうか、東京駅の待合で悩む。そして妻ジャンヌのことを話そうと無理やり決断する。

 妻ジャンヌは一年前、突然実家に帰ると宣言し、失踪する。多聞は、実家のフランスまで行ったがそこにはおらず、全く居所がわからない。

 そのうちに毎月ポラロイド写真が、封筒に入って送られてくる。ジャンヌからだと思いその写真がどこなのか懸命にチェックするのだがわからない。一枚の写真には、見知らぬ女の子がうっすらと幽霊のように写っている。水島や黒田に言われ、写真と封筒をみせるがやはりどこから送ってきたのかわからない。

 こんな話が終わり、残りの3人がそれぞれ遭遇した怪談話を披露する。その間、たびたび電話と言って多聞は席をはずす。
 その様子をみて、水島が皆の怪談話が終わったとき、多聞に言う。
「失踪したのは、お前だろう。お前が失踪先で写真をとりお前あてに送り付けていたのだろう。お前の妻と母親は伊豆の病院で倒れたお前の父親の面倒をみている。かかってきている電話はすべて妻から。それをお前は無言で答えているのだ。」

 そりゃあ、そうだ。そんな怪奇話、簡単には作れないよ。他の3人の話もあやしいものだ。だから、種明かしなんかしちゃだめだよ。一緒になって怖がらなくっちゃ。

ランキングに参加しています。ぽちっと応援していただければ幸いです
にほんブログ村 本ブログ 読書日記へ<

| 古本読書日記 | 06:43 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

伊坂幸太郎編  「小説の惑星 オーシャンラズベリー篇」(ちくま文庫)

 最近とみに思うのだが、例えばジェンダーとか沖縄普天間問題とか、それにすべてをかけて主張行動する人たちと、趣旨は理解するけど、そこまではできないという人たちの間に大きく深い溝ができていること。

 この本はミステリー短編集。大江健三郎の「人間の羊」が印象に残った。

 物語の時代は戦争直後でGHQが日本を統治している時代。

 主人公の僕は、バスに乗る。日本人は後部座席に座ることが求められている。幾つかめの停留所でアメリカ兵3人と日本人女性が乗ってくる。4人は酔っていた。アメリカ兵が日本女性を抱こうと引き寄せたが、女性はそれを振り切って、後部座席の僕のところにやってきてしがみつく。

 アメリカ兵は怒る。そして僕はズボンとパンツを脱がされ、通路にお尻をだして四つん這いにさせられ、時々尻を叩かれる。気が付くと、あと2人の日本人が僕の前で尻をだして四つん這いにさせられている。ある停留所で、アメリカ兵と日本人女性はバスを降りる。

 僕を含めて3人はズボンをあげベルトをしめる。

 そこに教員の男が登場する。男は泣き寝入りはいかん。警察に訴えましょうと熱弁をふるう。
しかしガソリンスタンド前の停留所で尻を出させられた2人を含め殆どの乗客は降り、乗客は教員と僕だけになった。

 教員は警察署のある駅前の停留所にバスが止まると、僕の腕を引っぱって、警察署に連れてゆく。そして、バスの中で起こったことを警察に説明する。警察は命を取られるようなことをされたわけでもないし、被害届をだしても取り上げられるかわかりませんよ。と言う。

 すると教員は激高して警察に詰め寄る。僕はもうそんなことはどうでもいいと思い、被害届はださないと言い、警察をでる。

 教員が追いかけてくる。僕の名前と住所を教えてくれと。明日でも間に合うから被害届をだそうと、そして自分は残りの被害にあった2人、そしてアメリカ兵も調べ上げて、警察だけでなく、バスの出来事を世間に話す。と。

 もういいと言ってるじゃないかと、僕は教員を振り切ろうとするが、必死で教員はついてくる。

 凝り固まった正義は本当に鬱陶しいものだ。

ランキングに参加しています。ぽちっと応援していただければ幸いです
にほんブログ村 本ブログ 読書日記へ<

| 古本読書日記 | 05:56 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

荻原浩   「極小農園日記」(毎日文庫)

 荻原初めてのエッセイ。

このエッセイで知ったのだが、荻原はオギワラ。多くの人が苗字が萩原ではないかと錯覚しているようだが、荻原と萩原ではオギとハギは字が異なる。恥ずかしい話だった。そうなんだ。

さて、荻原、自宅に小さな庭があり、その中の畳2畳ほどの広さのところに農園を作り野菜栽培にのりだす。

 連作障害というのがある。同じ土地で毎年、同じものを作れない野菜がある。土壌で必要な養分をたくさん野菜が吸うので、連作ができないのである。このことは知っていたのだが、一年おきに同じ野菜を栽培すればよいとずっと思ってきた。

 しかし、このエッセイによると、それは違っているようだ。
カブは1~2年、キュウリは2年~3年、トマトは4~5年、ナスは6~7年間をおかないとダメなのだ。

 私の家の近くで90歳のお婆さんが、野菜を栽培しているが、そんな周期で栽培地を変えているようには思えないんだが・・・。ひょっとしたら、栽培前に土壌を変えているのかもしれない。

 荻原さんソラマメの栽培もしている。ソラマメはあまり汎用的な食材ではなくて、ビールのつまみか、中華料理」に入れるくらい。しかも、色んな野菜をたった2畳ほどの広さの菜園で栽培しているのだから、ソラマメ栽培も数本。

 この栽培がやっかいなのだ。すぐアブラムシが寄生する。アブラムシがじわじわと茎を弱らせる。そのアブラムシの退治が大変。

 退治には牛乳を霧吹きで吹き飛ばすのが効果がある。ところがこの霧吹きが詰まる。しかたないので、牛乳を口に含んで、バーとまく。

 菜園の隣には、普通の通りがある。道行く近所の人が何を狂ったことをしているのだろうと怪訝な顔をして通る。それがとても恥ずかしい。

 そんな思いをしてまで、収穫しても、獲れる量は少ない。でも、美味しくビールを飲むためには、そらまめが絶対必要。

ランキングに参加しています。ぽちっと応援していただければ幸いです
にほんブログ村 本ブログ 読書日記へ<

| 古本読書日記 | 05:47 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

| PAGE-SELECT | NEXT