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2022年03月 | ARCHIVE-SELECT | 2022年05月

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荒木飛呂彦原作 乙一 「The Book」( 集英社文庫)

 映画をノベライズするとか、小説を漫画化するというのは時々みかけるが、この小説は漫画「ジョジョの奇跡な冒険」を乙一が小説化している極めてめずらしい作品。
 この小説ホラーサスペンスに分類される。

 そして、重要な役割をするのが、自分の魂、心の意志を具現化するスタンドという存在。
スタンドは自分から離れて、人によって別の形になって現れ、その人の思いに忠実に行動する。この存在は、普通の人には見えない。だから何が起こっているか全くわからない。

 琢馬は自分の生きてきたすべての起こったことを、文章に変えて本のなかに記憶として埋め込むことができる。そしてその記憶は必要に応じてとりだして使うことができる。これが一種のスタンドでこの本のタイトルになっている「The Book」。

 例えば、最終場面で宿敵億奏と戦う。その前に、幾つかのナイフを手にいれる。そして、木を標的にしてナイフを投げる練習をする。しかし、なかなかうまく標的に刺さらない。
 しかし100投目くらいに、ピシっと刺さる。これを「The Book」に記憶して、その後、取り出せば、相手に間違いなく刺すことができる。

 一方相手の億奏のスタンドは「ザ ハンド」というもう一人の人間。

 これが、面白い。対決場面で危ないと思った拓馬がとびのく。ところが、何と遠のいたのに実際は近付いている。あるいは、そのまま動かないでいるのに、「ザ ハンド」が手を動かすと、相手億奏の身体がものすごく大きくなる。知らないうちに億奏に拓馬は近付いているのである。
 物語では、この拓馬と億奏の対決が読みどころ。

 漫画は知らないが、多分2-3ページで闘いは終わると思うが、小説ではこれを言葉で表現することになる。それゆえ、10ページくらいにわたることになる。
 漫画に比べれば間延びしてしまうのだが、乙一はこれを見事に表現して、読者を興奮させる。

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| 古本読書日記 | 05:53 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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乃南アサ    「犬棒日記」(双葉文庫)

 乃南さんが電車の中やちょっと出かけた先で出会った変わった人についてのエッセイ。

久しぶりにちょっとした病気をして、2回ほど大病院に行った。
このエッセイで乃南さんが言っているように、男性の患者、特に少し年配の患者には必ず女性の人がついてきている。そして、患者の男性はしょぼくれているか、いばっている。

「俺をこんなとこに連れてきやがって。」
「落ち着いてちょうだい」となぐさめる。
「何が落ち着けだ!俺のことをだましやがったな!このクソ婆!」
「俺のどこが病気だってんだ!」
「落ち着いて!何も怖いことないんだから。ほら思い出してこの前も平気だったでしょう。」
看護師さんも男性を知っているようで
「〇〇さん、怖くないですよ。先生にちょっと会ってお話するだけですから。」

するとこれを見ていた、別の男女連れの女の人が、男の人に言う。
「可哀想にね。あの患者さん、息子さんなんだって。若いのに認知症なんだって。あんたはあんなふうにならないでよ。面倒みきれないんだから。」

 夫婦参加のツアー旅行に行く。
仲良くなった奥さん同士が、旦那さんに言う。
「今夜は、男性同士で寝て。」
どひょ―。結構がっくりくる。

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| 古本読書日記 | 05:51 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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梶山三郎   「トヨトミの逆襲」(小学館文庫)

 覆面作家梶山三郎がトヨタをトヨトミと名を変えて、トヨタの内幕を暴く小説「トヨトミの野望」に続く第2弾。

 今、自動車業界は完全にガソリンから脱却する車の開発生産を求められている。トヨトミは、燃料電池を用いて車を走らせるFCV車の開発を行い、ティアラを開発販売したが燃費が悪く、それを解決するためには、複数の電池を搭載せねばならないため、FCV車開発を断念した。その間に世界の趨勢はEV電気自動車の開発生産に移っていた。

 トヨトミはEV車では周回遅れの状態になっていた。ここで、EV車開発生産で失敗すれば、世界一の自動車メーカーといっても、市場から追放され、倒産してしまう。

 社長の豊臣統一は、トヨトミの開発陣の力を持ってすれば、EV車の開発はできると確信し、2017年の記者発表で2022年までにEV車を開発販売すると発表する。

EV車の欠点は、一回の充電での走行距離がせいぜい400KM、それに充電時間が長いこと。豊臣統一はトヨトミ開発するEV車は一回の充電で600KMから1000KMまで走行できる車になる。充電時間が長くても、走行距離が長くなれば、問題は解消できる。

 それから、これからの車は、単に移動するだけでなく、自動運転、コネクテッド、ライドシェアが出来なくてはいけなくなる。そのためにはITの技術が必須となる。
 そのため、日本最大のIT会社であるワールドビジョン(ソフトバンクのこと)と提携する。

 しかし、どうやっても、満足できるEV車、一回の充電で600KM~1000KMを走行できる車開発できない。

 ところが、トヨトミの4次下請けの小さなモーター製造会社が、これを可能にするモーターを開発に成功していることがわかった。

 しかし、購買担当の浅井重役が、子会社尾張電子時代に、仕様書を入手して、これを長野にある会社にメール転送して、製造を委託。この会社から重役個人に3000万円の見返りをもらう約束をしていた。それで、浅井は4次下請け会社に取引打ち切り通告。しかし長野の会社は、自分の会社では開発製造できないと断ってきた。それでその4次下請け会社が開発したモーターは沢田自動車(ホンダ)にわたることになる。

 取り残されてしまったトヨトミ自動車はどうなるかが作品の読みどころ。
企業小説でのワンマン社長と忖度役員陣の関係も面白く描けている。

 それにしても、購買部門というのは、個人の私腹をこやすためこんなこともやるのか。しかし何となく多くの会社でもありそうな気がしてくる。

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| 日記 | 05:58 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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三島由紀夫  「豊饒の海(一)春の雪」(新潮文庫)

 今頃になって、林真理子が日本文学史の最高傑作だとネットで激賞していたので、この作品を手にとってみた。物語は明治維新の功臣を祖父に持つ侯爵家の嫡子、松枝清顕と伯爵家の美貌の令嬢綾倉聡子の決して結ばれることのない恋、最後は破滅の運命に導かれるまでを描いた物語。

 恋愛小説としては、ありきたりの中味なのだが、文章が優雅絢爛でずっと感動したまま最後まで読んだ、まさに日本文学の神髄。これほどの作品にはなかなか出会えない。

 例えば、清顕と聡子が初めて結ばれる、その導入の部分は圧巻。

「清顕はどうやって女の帯を解くものか知らなかった。頑ななお太鼓が指に逆らった。そこをやみくもに解こうとすると、里子の手がうしろに向かってきて、清顕の手の動きに強く抗しようとしながら微妙に助けた。二人の指は帯のまわりで煩瑣に絡み合い、やがて帯止めが解かれると、帯は低い鳴音を走らせて急激に前へ弾けた。そのとき帯は、むしろ自分の力で動きだしたかのようだった。それは複雑な、収拾しようのない暴動の発端であり、着物のすべてが叛乱を起こしたのも同然で、清顕が聡子の胸もとを寛げようとあせるあいだ、ほうぼうで幾多の紐がきつくなったり、ゆるくなったりしていた。彼はあの小さく護られていた胸もとの城の逆山形が、今、目の前にいっぱいの匂いやほのかな白をひろげるのを見た。」

あ~あ、ただただため息。

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| 古本読書日記 | 06:15 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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宮部みゆき   「平成お徒歩日記」(新潮文庫)

 江戸時代の史跡を徒歩で歩く。そして、江戸時代にタイムスリップして、江戸の暮らしを想像する旅エッセイ。

 地下鉄日比谷線小伝馬町駅前の階段を上がって左に折れると見えるのが小さな十思公園。
そこにあるのが「伝馬町牢屋屋敷跡」。江戸時代は、刑罰はある刑期はない。あるのは、追放とか遠島とか、入れ墨とか、磔とか、獄門などの刑罰。牢屋屋敷というのは、刑罰が確定してその執行を待つ間、留め置かれた場所。

 江戸時代には、定められた刑罰に加えて付加刑という刑があった。死刑が執行される前の江戸引き回しが付加刑にあたる。

 この付加刑には他に次のようなものがある。
恐ろしいのは「鋸引き」
道に穴を掘って罪人を埋めておき、通行人に鋸でその首をひかせる。
さらに「晒」。
心中未遂の男女。橋の上など通行人の多いところに引き据え、脇に捨て札を立て、衆人の目にさらす。
それから「闕所」。財産没収。

ところで驚くのは江戸時代には「死刑」以上の刑罰が3つあった。
まずは「磔」
十字に組んだ材木に罪人を張り付け、槍で付く。

それから「火罪」
張り付けた罪人を焼き殺す。

そして「獄門」
斬った首を刑場にさらす。
江戸時代の刑罰は重く、えげつないのだ。

江戸城を作ったのは家康。ブー。太田道灌なんていうなぞなぞがある。

実は江戸城の原型は、平安時代末期、坂東平氏の流れを組む江戸重継という人が今の皇居の場所に居館を造ったのがはじまり。江戸と言う名前も重継からきている。江戸重継は繁栄した一族だったが、室町時代に分裂して滅びる。その跡地を太田道灌が目をつけ、城を造ったのだ。

 宮部さんのこのエッセイは知識を増やしてくれる。

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| 古本読書日記 | 06:13 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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朝吹真理子    「きことわ」(新潮文庫)

 芥川賞受賞作。

 貴子と永遠子。葉山の別荘で、同じ時間を過ごした2人の少女。その別荘が解体されることになり、その直前、25年ぶりに2人は、その別荘で再会する。

 そうだったとかみあうが、そんなことあったけと食い違う記憶。交錯する夢と現実。そんな記憶の中を2人で彷徨っていると、記憶が時間とともに溶け合ってゆく。

 そうこの物語の主人公は、溶け合う時間だ。その時間が鮮やかな表現で綴られてゆく。
月は年間3.8CM,地球から遠のいている。だから、恐竜時代、古生代にオウムガイを浴びていた月は今よりずっと大きかった。

 時の流れについて、本当に感動してしまう見事な表現。
「ていねいに巻かれた柱時計の振り子がしきりと揺れている。ひとしく流れ続けているはずの時間が、この家には流れそびれていたのか、いまになってすこし多めに時を流して、外と帳尻を合わせようとしているのかもしれなかった。待ち合わせの時間までにこの家の時間は外に追いつくのか。何の書き込みもないまま、うっすら黄ばんでいるカレンダーが壁にかかっている。貴子は、身のうちに流れる生物時計と、この家の時刻と、なべて流れているはずの時間が、それぞれの理をもってべつべつに流れていたように思えた。また時計が鳴る。やはり鳴りすぎると貴子は思った。」

 幼い記憶がはっきり思い出せるのは、別荘が25年前と寸分たがわずに、そのままの姿であるからだと思う。それにしても、久しぶりに卓越した文学表現にであった。

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| 古本読書日記 | 05:57 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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島本理生  「わたしたちは銀のフォークと薬を手にして」(幻冬舎文庫)

 女性は30歳を過ぎると、人生の曲がり角を迎え、そこで苦悩の道やあせりの中にはいる。
その曲がり角にどう対処してゆくか。そんな女性たちの苦闘とあがきを描く物語。

 この苦悩の中にある主人公の知世は、ITエンジニアの椎名と大恋愛の最中に、椎名がエイズであることを知らされる。それでも、知世は椎名と添い遂げたいと願う。

 そんな椎名が、知世に言う。
「君が好きなんだ。俺にはもったいないと思ってる。一緒にいれば楽しいし、大事で仕方ないし、きちんとしたい。だからこそ、大事にしたい相手を傷つけるかもしれない自分が歯がゆいだけで、そう、本当はずっと、よそになんて行かないで、俺とずっといてほしい。できないことばかりで申し訳ないけど、それでも残りのできることで、全力で幸せにするから」

 島本さんが、懸命にひねりだした、最高の宣言。
しかし、その前に知世は考える。
エイズの本を読むと、日常生活では感染しません。
だけど、人間にとって、性的な接触は日常ではないだろうか。恋人同士にとって、あるいは夫婦間。本当はすべてが日常なのだ。だからこそ大変苦しい。

 この後、椎名の決意があり、知世も椎名と生きてゆく決意をする。しかしどこか切ない。

 30歳を過ぎると、出合い頭の男の誘いにのりやすくなる。知世の友達飯田が中年の桐生の誘いにのり、高級ホテルで抱かれる。そのときの島本さんの表現は本当に面白い。

 「ダブルベッドの脇で立ったまま抱き合うと、おもむろにシャツを脱いだ桐生さんの裸を見て、正気に返った。見苦しいほどじゃないけど、中途半端に崩れた筋肉とお腹まわり。
 そうか、文系男子ならまだしも文系が中年になるとこうなるのか・・・と私は悟りを開いた。」

 まいるなあ、島本さんには。

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| 古本読書日記 | 05:54 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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堂場瞬一   「警察回りの夏」(集英社文庫)

 ジャーナリスト小説といっていいのか、メディア小説というべきか、新聞記者南の苦闘と活躍を描く、3部作の最初の作品。この作品の後「蛮政の秋」「社長室の冬」と続く。
 3つの作品の中では、最初のこの作品が最もよくできている。

 甲府支局に勤める日本新報新聞記者主人公の南は、新人で甲府支局に赴任して6年、殆どの新人記者が本社に異動しているのに、自分は未だに地方の甲府支局勤め、かなりあせっていた。

 そして、幼い姉妹が殺害される。職もなく、生活も乱れていた母親が犯人ではないかと思われたが、その母親は失踪して行方不明。警察は行方を懸命に捜査するが発見できない。

 そんな時、県警幹部の石澤が南に行方不明の母親が発見され、事情聴取が始まっている、というニュアンスのことを呟く。
 これに南はとびついて、2姉妹殺害事件、母親が逮捕され、聴取が始まっているという記事を書く。地方版だけでなく、全国版社会面第一面に記事が載る。

 ところが、県警から翌日、未だに母親は見つかっておらず、しかも母親を犯人と警察は判断しているわけではないと発表がなされる。

 大誤報である。これで南は大窮地においやられる。それにしても県警の石澤は、何故嘘の情報を南に呟いたのか。

 ここからが、堂場のこの作品も他の2作と同じようによくない。突然山梨県選出の重鎮で警察官僚OBの大物政治家三池が登場。三池は自らが進めるメディア規制法を国会で通すために、この法律の実現をしようとする警察幹部を使い、今回大誤報事件を引き起こしたとなる。しかも、姉妹の母親も三池の采配で匿う。

 そんなやばい道を政治家が自ら手を下すなんてことをするわけがない。するかもしれないが、それが三池にどれほどの利益を生むのか、そこまで行う価値があるのか、ここを詳細に記述しないと肝心なところが茫漠としてしまっては現実感が全くなくなる。とにかく、堂場は肝心なところで安直に悪玉政治家を登場させすぎる。

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| 古本読書日記 | 06:05 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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