沢木耕太郎 「旅する力 深夜特急ノート 」(新潮文庫)
沢木は、このヨーロッパ ロンドンまでのバスの旅を26歳の時にしている。まだバックパッカーの時代はやってきてはいない、沢木の持ち物リストもパンツではなく猿股、トイレットペーパーではなく落し紙、カレンダーではなく日めくりと書いてある時代。
私が26歳のときは、私が勤めた会社の製品の90%が国内で販売、輸出は10%。海外市場へはついでに販売していた時代だった。その時、私は貿易部門の管理担当だった。
ヨーロッパで主力製品の品質問題が発生した。そこで、その対応に技術スタッフがヨーロッパへ出張することになった。しかし品質部門の担当者は、英語ができないし、東京へも数回しか行ったことがない、まして海外など宇宙に行くようなもの。それで、貿易部門に誰か引率者をと部門長を通じて依頼があった。部門長が私にお前行くかと聞いてきた。
私も技術者と同様、海外など行ったこともないし、言葉もできないから断った。
しかし、席に戻って考えてみたら、ヨーロッパにただで行ける。生涯ヨーロッパにはゆけないだろう。こんなチャンスは逃してはいけないと思い、部門長のところへとって返し「ヨーロッパへの出張の話受けます。」と返事をした。
海外に行くなどまれなこと。社長から「海外出張を命ず」なる辞令をもらい。部門では、送別会まで開いてくれた。女性社員からたくさんお金を渡され、当時は全く知らなかったのだが、ルイ ヴィトン、エルメス、グッチ、セリーヌの店にゆき買ってくる買い物リストを手渡された。
夜パリではバスに乗り、クレイジーホース、ムーランルージュに出かけパリの夜を満喫した。まったく仕事をしない旅だった。
それから、40年、海外での売り上げが70%となり、海外出張は当たり前の時代になった。
沢木の26歳の旅は、本当に貧乏旅行だった。「深夜特急」は「紀行文学大賞」を受賞した。受賞パーティで選者の小説家阿川弘之に言われる。
「今度は飛び切り贅沢の両行をしたらいかが」
それに対して沢木が書く。
「贅沢旅行とは、金をたっぷり使う大名旅行、例えば、豪華客船の旅や、ファーストクラスでの世界一周旅行などをいう。金を使うということは、旅をスムーズにさせる快適な旅を保証する。しかし、それが旅を深めてくれるかというとそう簡単なものではない。少なくても『深夜特急』の場合には、金がないため摩擦が生じ、そのおかげで人との関わりが生じ、結果として旅が深くなるということがよくあった。」
『深夜特急』を読んで、多くの日本の若者が海外へ、貧乏旅行へ飛び出した。
『深夜特急』が出版された時、『深夜特急』をイメージした猿岩石の「貧乏旅行」がテレビで放映され、脅威の人気番組となった。でも猿岩石は短い間で消えてしまった。
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| 古本読書日記 | 05:56 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑