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2021年12月 | ARCHIVE-SELECT | 2022年02月

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吉田修一   「熱帯魚」(文春文庫)

処女作「最後の息子」につぐ2作目。3作が収録されている中編集。

本のタイトルになっている「熱帯魚」も大工の大輔が変わっていておかしく書かれ面白かったが、最後に収録されている「突風」を紹介したい。

 ひさしぶりに少し長い休暇のとれた主人公の新田は、パーティー コーディネーターとの約束を断って、一人で愛車にのり、千葉房総に向かう。

 そこで目にとまった民宿にゆき、雇ってもらえないか主人に尋ねる。主人はすぐにでも働いてほしいと採用し、泊まりはバイト専用の離れの家を用意する。

 そして、ベッドメイキングなど、即働く。とても、不思議なことだが、民宿は夫婦でやっているにも拘わらず、奥さんは民宿の2階にいて、何もしない。だから新田が、客用の食事を作ったり、片付けや掃除などをやらされる。

 たまに、奥さんが、主人と新田のためにまかないの食事を作ってくれる。すると高級牛肉のすきやきとなる。主人がしかりつける。使用人が客より高価な飯など食ってはいけないと。

 奥さんは、この仕事がきらいという。毎日知らない人に会い、サービスしたり会話がいやと。主人ともうまく行ってないと不満ばかり。

 それである晩、新田が奥さんを誘う。「東京まで行きましょう。」
奥さんは待っていましたとばかりに、助手席に乗ってくる。東京までドライブする間、奥さんは夫への不満ばかりを口にする。運転しながら、新田は奥さんの手を握ったり、肩を抱いたりする。
奥さんも新田にしな垂れかかる。

 車は新宿までやってくる。さあと奥さんがその次を期待していた時に、新田が言う。
「今は夜11時。まだ房総への最終電車は間に合う。さあ車を降りて帰りな。」と。
 奥さんはがっくりきて新宿駅にむかう。

最近は、こういう場合、いつも男が突き放され、どつぼにはまる話ばかり。
 すこしこの作品で、溜飲をさげた。

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| 古本読書日記 | 05:54 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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荻原浩   「それでも空は青い」(角川文庫)

 7作品が収められている短編集。

「ダブルトラブルギャンブル」が少し面白いかな。

高橋仁、礼兄弟は一卵性双生児として生まれた。
両親でも、蒙古斑の形で見分けるくらい、そっくり。着るものを決めて着せないと、どちらが仁なのか礼なのかわからない。

 それで2人は、これを利用してうまいことをやる。

仁は算数、数学が得意。礼は国語や社会が得意。小学校のとき、サッカー部の先生が、算数で50点以上とらないと練習に参加させないと言われ礼はこまってしまい、仁に代わりにテストを受けてもらい、高得点をとる。

 中学校に入ると、サッカー部が人気で、マラソンで30位以内に入らないと、入部できないことになっていた。それで2人は中間点の木の陰に片方が隠れていて、半分だけを走ってゴールし、礼はサッカー部にはいる。

 大学入試も私立文系と国立理系が試験日が違っていたので、互いに替え玉をして、入学合格となる。

 ところが大学に入ってコンビニ店員をしている女の子を礼も仁も好きになる。

最初は、2人交代でデートをする。この場合、前のデートでどこへ行き、何を話したか情報交換しておかないと、実際のデートのときとんでもないこととになる。

 でも好きという気持ちはこんなデートでは我慢できなくなる。するとぬけがけが始まる。
こうなれば、デートをした時、へんてこな会話になり、彼女も不自然と思うようになる。

 それで、2人はカードで勝負して大きい数字をひいた方が彼氏になり、一方は大学をやめて家に帰ることにすることを約束する。 

 最初礼が引くと4.そして仁がひくと4。それでまた礼がひくとK。そして仁もK。次はどちらも9。
 それで2人はこれはダメダと思い、3人でデートをすることにする。

コンビニの彼女はどうするのだろう。少し気になる。

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| 古本読書日記 | 12:41 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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朝倉かすみ    「平場の月」(光文社文庫)

主人公の青砥は、病院に行ったとき、売店にいた静子に中学時代以来30年ぶりに出合った。中学時代青砥は静子が好きで、告白したが振られた。

 青砥は静子を誘って、駅前の居酒屋に行く。二人とも離婚をしていて、子どもは無かった。
そんな会話をするうちに、二人は恋に陥った。

 この物語は不思議で、冒頭静子ががんで無くなってしまうところから始まる。ということは、どんな恋物語が展開しようが、最後は静子が死んでしまい終わることが読者は最初からわかっていることになる。

 作品は、愛や憎しみ、嫉妬など感情が現実を超えて、高ぶったりすることは無く、平凡な50歳の恋愛を、あるがまま、自然に描く。50歳の恋といっても、いろんな出来事があるわけでもなく、変わらぬ暮らし営みがあるだけ。その抑えた表現が素晴らしい。

 静子と青砥が二人で暮らすアパートに引っ越す。その初めての日の静子の思い。

「ここで、生きていくんだなあって、不動産屋さんと一緒に初めてこの部屋に入ったとき、ベランダの窓を開けて、知らない景色を眺めて、わたし、死ぬまではここで生きていくんだなあ、って思ったんだ。感傷的と言うんじゃなく、積極的でも消極的でもなく、何なら受動的でも能動的でもなくて、決定的事項のたしかさでそう思った。ということはいつか死ぬんだなと。」

 恋の前に、まずは変わらぬ暮らしがあり、それがこれからずっと続くのだ。

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| 古本読書日記 | 07:43 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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秋山駿    「信長」(新潮文庫)

 司馬遼太郎の表現によれば、日本史上、初めてでた「革命家」である、天才児織田信長の桶狭間の戦いから本能寺の変までの生涯を扱った作品。

 その天才性を明確にするために、ブルターグの「英雄伝」やスタンダールの「ナポレオン」で引き合いにだしてスケールを大にして描く。

 この作品は、不思議な作品だ。信長を非現実の徹底した実現者と規定する。随所に言葉は事大的で勇ましい。常に現在を否定して新しい姿を求め実現してゆくのが革命者信長。

 その基本になる史料は太田牛一の「信長公記」。
この太田牛一の作品に、信長の人生を忠実に描いている作品。だから、信長の人生観や、目指す理想社会像は描いているわけではない。

 そして秋山のこの作品も、「信長公記」に書かれていることを年代を追って記述しているが、それでは、信長の天才、創造者としての実像を描けない。それで、突如その天才、創造者としての有り様を公記から飛躍して描く。

 この部分が、全く具体性がなく、観念的な言葉を並べ、大げさに描く。
例えば、光秀が本能寺の変を起こす。この光秀の動機について、次のように描く。

「信長は、新秩序を創始し、現実に強行している。光秀の眼の中で、信長が、戦争の天才というより政治的独裁者へと変じてくる。信長の現実改変は、日本の旧来の伝統と社会の秩序を破壊する。・・・・信長には超人的な何ものかがある。ところが信長が強力に開始しつつある新秩序は、光秀が考える日本のイメージ、いわば国体といったものを、損なうものだ。」

 だから信長を討たねばならない。
全く凡人の私には、こんな思いで、信長を殺害しようなんて思うことが理解できない。

 巷に溢れている歴史小説では、こんな観念的な動機は書いていない。

今のままでは、光秀が信長に殺される状況や心理が描かれ、それが信長討ちの動機になっているとそれならわかるというものが全て。
 すべてが、現実感が乏しく、読むのが辛い。何だか作者に馬鹿にされているような気持ちが残った。

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| 古本読書日記 | 07:40 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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今村夏子    「こちらあみ子」(ちくま文庫)

 芥川賞作家、今村のデビュー作。

私は、田舎の小さな村の出身。本当に純真無垢な小学生だった。そして、殆どの子供が純真無垢だった。

 小学校の体育の時、体操用のショートパンツに着替えて、授業を受けるのだが、何人も、
パンティーのままで授業を受けていた。平気だった。

 前の東京オリンピックの時、家の前の道路がデコボコ道から舗装道路になった。それがうれしくて皆、一里ほど裸足で学校に通い叱られた。

 少し年齢が上の兄さんたちに、猥歌を教わり、学校からの帰り道、みんなで大声で歌いながら帰った。

 良いこと、悪いことの区別があまりなかった。好き放題楽しく遊んだ。
この作品のあみ子に似ていた。しかしあみ子のように一人きり天然無垢では無かった。みんな天然無垢だった。 

 あみ子は学校にもあまり行かず、風呂にも入らないので、みんなに臭いと嫌われていた。
それでもあみ子は、全く気にせず、みんなのそばに行ったりする。

 学校へ来ると、上履きが無くなっていた。しかたなく裸足で過ごす。

違う生徒から聞かれる。
「靴どうしたの。」
「無くなってたの。靴下は家に忘れちゃった。」
「ほー、それで足踏まれてみい。泣くで、踏んじゃろか。画鋲踏んだら痛いで。試しにやったろうか。うそうそ。
 でもなんかうらやましいな。自由の象徴じゃのう。ま、いじめの象徴でもあるけどな。」
「自由」という言葉が光っている。

 こんな純真な子は今はいないだろうな。小学校時代がなつかしい。いつから純真さが無くなり、私は魅力の無い大人になってしまったのだろうか。

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| 古本読書日記 | 09:19 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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海堂尊     「氷獄」(角川文庫)

 中編、短編4編が収録されている。本のタイトルになっている「氷獄」も読みごたえがあり面白いが、心に残ったのが「黎明」という作品。

 嫁のお父さんが、年齢の所為もあったが、10年前くらいから身体の調子を崩し、遅漏不能のガンも見つかり、総合病院の主治医から、老人専用病院を紹介され転院した。

 そこの病院の院長から転院したその日に言われた。
「ずっと穏やかで、静かな日を送っていただいて、天国に送り出してあげましょう。」と。
それにお母さんがかみついた。

 病院というところは、治療して病気を治すところではないのか。もうここへ入院したら、死ぬまでこの病院にいて、死んでしまうしかないのか。そして、滂沱の涙を流す。

 主人公の妻千草は、体調が優れなくなり、東城大病院にかかる。そこで検査の結果、ステージⅣの治療不能のすい臓がんが発見される。

 そして医者から、大学が運営しているホスピスを紹介される。
そこで、ホスピスの外来窓口になっている不定愁訴外来の田口医師を紹介される。

田口医師は言う。
「現代医学を西洋医学に基づいて、診断治療を行います。治療はさまざまな治験、統計データにもとづいて行われます。しかしデータには揺れがあります。どうしてなのかわかりませんが、亡くなるのが早い人もいれば、長く生きる人もいます。
 長く生きる人には傾向があるようです。何か夢中になるものがある人です。だから、ホスピスに入所されて、自由に自分のなさりたいことをしてください。」と。

 そして、千草はその日に入院する。
そこには、黒沼看護師長がいて、若い看護師に指示する。
「お客さんをお部屋にご案内してください。」

主人公はびっくりする患者ではなくお客さんという。
 「ホスピスは静かに死を迎える覚悟を作るところなのです。」

 主人公は千草に精一杯なことをしてあげようと思っている。別の病院でセカンドオピニオンを聞かせたり、丸山ワクチンやアガクリスやサメ軟骨も試してあげたい。

しかし、看護師長はきっぱりと言う。
「人間は例外なく死ぬものです。奥さんは今がそのときです。静かに見守ってあげましょう。
 痛みの緩和は行いますが、他の治療は一切行いません。それが受け入れられないのなら、即退所してください。」

 誰もがそうだとは思わないが、千草は夫に反対して、入所しますときっぱりと言う。
死ぬ覚悟を決断するのがホスピスに入ることなのだ。

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伊東潤    「走狗」(中公文庫)

 薩摩藩で身分の低い準士から、西郷隆盛、大久保利通に見いだされ、彼らの飛脚となった川路利良。
ここで飛脚というのは、薩摩の意見を持って、敵や相手方に走り、相手方の意見を聞き、それを持ち帰り、大久保や西郷に言う仕事のことを言う。この際、西郷や大久保の意見はそのまま言い、相手の返答もそのまま言うことが求められる。絶対に自分の意見は言ってはならないし、相手の意見を憶測を入れて言ってはならない。

 これを忠実に遂行し、その後、禁門の変や、戊辰戦争、西南の役でめざましい功績をあげ、最後明治、日本最初の警視総監となり、日本警察の父と言われる川路利良の生涯を描く。

色んな国家でのクーデターや紛争を見てきて、いつも不思議に思うことがある。

 警察は、市民に躊躇なく銃をむける。自分たちの中にだって、クーデターによって樹立された政権に不満をもつ警察官もいるだろうし、ましてや一般市民を射殺するなんて、哀しみや痛みを感じないものだろうか。と。

 日本の警察システム、機構はフランスを真似て造られた。
だから、川路は当然フランスに派遣されている。

この時、当時フランスに滞在して、フランス語も堪能な友人である西園寺公望に案内されて、元警視でシークレットポリスだった、ジャン・ジャック・デュシャンに会いに行く。

 その時デュシャンの言ったことが強い印象に残った。
「シークレットポリスの存在意義は、金をかけずに国家権力を守ることにある。」
フランスで警察の師として尊敬されているのがジョセフ・フーシェ卿である。

デュシャンが続ける。
 「わが心の師であるジョセフ・フーシェ卿は、時の権力者のために、働きに働いた。それが共産主義者であろうが、王政復古主義者であろうが、ブルジョア共和主義者だろうが同じことだ。つまり政治信条を持たないものだけが、シクレット・ポリスができるのだ。
 もし、時の権力者が明らかに次の権力者に変わることがわかっている時は、仕事はサボタージュするんだ。危険なときは仮病を使うのだ。」

 なるほど、昨日までアウンサンスー・チー側についていた警察が一夜あけるとそのまま、軍部クーデターに機械的につくのか。

 警察というのは恐ろしい。
この作品を読むと、主人公の川路も、身分の低い階級から、とにかく正しい、正しくないは関係なく、誰が強い権力を握るのか、見極め、その権力者の走狗になり、最後警視総監まで上り詰めた。権力者にとって模範的警察官だったのだ。

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佐藤雅彦     「毎月新聞」(毎日文庫)

 コピーライター、グラフィックデザイナーで多くの素晴らしい作品を世に送り出してきた佐藤雅彦が毎月1回毎日新聞の夕刊に「毎月新聞」というタイトルの短いコラムを掲載、そのコラムを集めた作品集。ユニークな作品ばかりで、面白い。

 今はどうか知らないが、野球で巨人が大人気で東京ドームの切符がなかなか手にはいらなかったころ、佐藤さんの母親が大の巨人ファンで、毎年1回佐藤さんは何とか切符を2枚手に入れ母親を東京ドームに連れて行ってあげてた。

そんなある年、内野席の指定された席に母親と座って観戦していた。満席なのだが、彼の一つ前の席が2枚空席になっていた。

 しばらくすると、会社員の男2人がその空いていた席に座った。当時多くの席が会社によって年間予約席で買い占められており、会社が客の接待で使用していた。

 その2人もそんな間柄だった。

接待していた男が巨人ノーアウト満塁のチャンスの時言う。
 「このチャンス、巨人の得点はせいぜい一点どまり。何とか外野フライで一点ははいるが、
その後はダブルプレー。」それが当たる。「このチャンスでは松井歩かされて、その後清原は凡打」。聞くに堪えないことばかり、それがことごとく当たる。

 ひどいことばかり言うなあと思っていたら、その接待男、「ちょっと約束があるので」とお客に対して言い、「このチケットは立ち見の人にあげるから、誰か来ても驚かないでください。」と球場を後にする。

 すると接待をされていた男が立ち上がり隣の男の子に
「私はこれで帰るから、チケットをあげる。」子供は喜んで立ち見をしていたお母さんを大声で呼び寄せる。

 接待する側もされる側も、巨人の野球には興味が無かったのだ。
 プラチナ チケットなのに、こんな使われ方が多かったのだろう。
皮肉だけど、いかにもありそうとニヤっと笑ってしまった。

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| 古本読書日記 | 06:01 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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村田沙耶香   「変半身」(ちくま文庫)

 村田さんはどの作品も、一般の人達の枠からはみでたところに村田さん自身が身をおいて、そこからの発想を駆使して作られる。

 この本も2作品収められているが、少し突き抜けすぎではと思われる。特に後半に収められている「満潮」。夫も妻も、潮吹きをしてみようと試みる物語は異常に思えてしまう。特に男である夫が潮吹きに挑戦するとは。
本のタイトルになっている「変半身」。

 海に浮かぶ孤島、千久世島で行われる奇祭、「モドリ祭」。14歳の男の子をいけにえにして、火を浴びせる、さらに、その祭りに選ばれた14歳の女の子のモドリ。その火の周りを全裸で回り、島の男に身体を捧げる。

 とんでもない奇祭であり、その日は島外から人はいれず、祭りの内容も島外の人には喋ってはいけない。

 それで、こんな祭りどうして始まったかと思うと、実は島の男たちがエロコミックを神社で読んでいた時刺激を受けて始まった。

 この奇祭の会った時、中学生でモドリになった女の子、陸と花蓮、そして男の子高城君は島外へ脱出する。
そして10年後に島に帰る。するとモドリ祭りは無くなっていて、全く違う祭りになっている。新しい祭りが有名になっていて、海外からも観光客がやってきていて、島は活気に満ちている。

 驚くことに、この祭り島が3000万円を支払い、プロデューサーに依頼して作りあげていた。
そうか、いろんな祭りも専門のプロデューサーが作っているのだ。

 日本の伝統と言われる祭りも元をたどればエロ漫画やプロデューサーによって作られたものが多いかもしれない。
私の街でもB級グルメを標榜して、」ある料理を街おこしに使ったが、プロデューサーを使わなかったために、まったく全国にひろまらなかった。

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村山由佳    「はつ恋」(ポプラ文庫)

 南房総の海沿いの街に暮らす、小説家のハナ、2度の離婚を経験して、幼馴染の同じ2度離婚経験のあるトキヲと偶然出会い、恋愛が始まる。そんな大人の恋愛を描いた小説。

 村山さんの作品に時々みられるが、恋愛の背景を想像力を強くして、描くが、それが誇張しすぎて、現実離れし、上手く物語と調和しない、この作品も残念ながらそうなってしまった作品だ。最後まで、物語に入り込めなかった。

 ハナが出版社の打ち合わせの後、電車に乗り、家に帰る。

そのとき、別の席に乗った男にあう。
その男が、通路ごしにハナに話かける。
「実は私事業に失敗しましてね。」
ハナがびっくりして、「こちらに来ます?」と。老人はハナの向かいの席にやってくる。
「それで、婚約者にも逃げられましてねえ。」
「みんな、僕を恨んで罵るんですけどね。いや、もちろん、それで当然なんです。・・・・それで、千葉の元婚約者の両親に謝りに行くんです。」
「今まで、事業に失敗したこと誰にも言えませんでした。やっとあなたに話せて、楽になりました。聞いて頂いてありがとうございます。」
と言って、元の席にもどる。

え~。聞いてもらって?どこが聞いてもらってか、まったくわからない。もっと聞いてもらうなら具体的に苦しい気持ちをこめて、あれこれ話すだろう。

 こういうところが、読者を突き放し、溝ができる。

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志駕晃   「絶体絶命ラジオスター」(毎日文庫)

 ドッペルゲンガー(分身)と時間の移送を使ったミステリー小説。

AMラジオ局のアナウンサーDJの主人公垣島は平日夜10時から2時間「ショッキングナイツ」という番組でDJをしている。

 ある日、静岡沖でマグニチュード6.6の地震があり、東京も5.5の大きな揺れが起き、公共交通機関は全面ストップ、道路も大渋滞や通行止めの箇所が多数発生、DJの垣島は自分の番組に出演が不可能になる。局に電話もつながらず、出演できないことの連絡ができず、やっと電話が通じたのが、番組終了直前。

番組ディレクターにつないでくれと電話にでた人間に言うと。「あんた誰?」と言われる。
「垣島だ」と言うと。「何言ってるの。垣島は今生放送中です。」
愕くことに垣島には、もう一人の垣島がいて、番組でDJをやっていたのである。

 番組を終えたもう一人の垣島から本当の垣島に放送後電話があり、横浜M埠頭に来るよう指示がある。「2人も垣島はいらないから。」

 そしてM埠頭で2人の垣島は決闘して、本来の垣島が血を流して死んでしまう。
その死んだ垣島が、不思議(最後に真実が明かされるが)ユキという番組大ファンの家にタイムトラベルがあり、それに乗り死ぬ3日前に移動する。

 SFでは「因果律」という決まり事がある。3日後の死ぬということがわかっている場合、それを避けようといろんなことをやっても、死ぬ運命は変えられない。そんなトライが色々描かれる。

 結局、一般のSF作品同様、垣島は死なないで助かる。その謎解きが最後に行われる。
リスナーとDJの関係がリアルに描かれ、昔の深夜放送を思い出させた。

高校時代深夜放送を聞いていたのだが、長野の山奥に住んでいたが、夜中になると大阪や九州のラジオ放送がクリアにはいり、よく聞いた。

 この本によると、夜になると電波を反射する上空の電離層が薄くなり、遠くの放送が聴こえるようになるということだった。初めてからくりを知った。

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毎日新聞科学環境部  「理系白書」(講談社文庫)

 この作品、2日前に手にした、同じ毎日新聞から出版された「大学病院って何だ」と同様

理系に携わる研究者が、不遇であるとか国の政策として理系を軽視しているなど、理系にたいする処遇、政策にたいし批判する作品となっているかと思ったが、多くの問題を、偏った考えを排除して、ありのままに学者、企業人、官僚に語らせ、好感が持てる本になっている。

 この本の出版が2003年のため、少し現在とは異なっているとは思うが、問題や傾向は大きく現在と変わってはいない。

 まず、生涯賃金なのだが、20代では、理系の人が文系の人より多いが、30代で逆転して、そのまま差が開き、両者の差は生涯で5000万円の開きとなるそうだ。

 これは一般企業における出世のスピードが文系のほうが速く、更に重役以上の経営層の多くが文系で占められるからだ。

 今も変わらないと思うが、2003年当時は、金融、商社などの賃金は、理系が主に就職する、製造業に比べ、高額なことも影響している。官僚の世界になると、理系は技官どまりが大勢、トップ層はすべて文系が占め、理系をコントロール下においていることも影響している。

 日本の文系優位が当たり前かと思っていたら、驚くことに、2003年当時の中国の指導者層は、主席も含め殆ど理系が占めている。

 上手く理解はできないが、中国の強さの秘密がここにもあるような気がする。

九州大学を卒業して、アメリカのワシントン大学、シカゴ大学で研究生活を送って、30年ぶりに日本に帰国2003年当時産業技術総合研究所部長である倉地博士の話がぐっと胸につきささる。

「30年ぶりに日本に帰ってきてカルチャーショックを受けました。変貌ぶりではなく、変化のなさにです。まるで着せ替え人形、着るものは変わったが、中身は変わっていない。
 日本は物づくりの国です。そこから脱皮していない。トヨタもホンダもすばらしいが、車は車以上にはなれない。日本は過去の財産を食いつぶして生きている。枯渇する前に独創的なアイデアを育てる必要があります。」

 その通りなんだよね。でも独創的な人を造り、育てるシステムや方法が今でも日本はわからないんだよね。

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内田樹 池上六朗   「身体の言い分」(毎日文庫)

 哲学者であり武道家の内田と、話を聞いただけで一瞬で身体を治す革命的治療家池上とのロング身体論対談集。

 私が身体について、今まで読んで得た知識と真逆なことを内田がこの対談集で言っている。

 私は、例えば脳がないと、いくら手を傷つけても、痛いと反応することは無いと思っていた。傷つけられた瞬間、超高速でそのことが脳に伝わり、そこで脳が反応して痛いと感じるもの、痛いとか熱いというのはすべて脳によって発せられると思っていた。

 ところが内田によると、「水を飲みたい」と思ってコップをつかむという動作では、コップを掴むという動作が始まって、少し遅れて脳内で「水が飲みたい」という思念が発生すると言っている。水を欲しがるというのは身体であって、脳じゃない。身体がまず水を求めて動き出し、その動きをみて、脳が「俺はいったい何をやっているんだ」という疑問を持って「それは俺が水を飲みたいからだ」と解釈して、整合化を企てる。

 だから何か重大なことが現場で起こったら、上部の指令を待たずに、即現場で対処することが肝要。
 熱いフライパンに触ったとき、「このままでは火傷をするが、どうすべきか指示をしてほしい」なんて上司に判断を仰ぐなんてことは、あり得ない。即フライパンから手をどける。

 企業で大切なことはよくホウ・レン・ソウと言われるが、このホウ・レン・ソウという伝達形式は最もよくない。

 例えば、イワシは大きな群れをなして行動するが、あれで、イワシ同士がぶつかるということは無い。さりとて、イワシにリーダーが存在するのでもない。本能として、整然と行動する。こういう集団を機能集団という。本来人間も含め、生物は言葉の無い時代には、機能集団として行動していた。

 こんな場合、イワシのどれか一匹が、事故にあっても、機能として修正が本能的に行われ、誰かの指示を待つことはない。

 本当のような気もしないではないが、脳の指令が無くて行動を起こすというのはまだ信じられない。

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毎日新聞科学部   「大学病院ってなんだ」(新潮文庫)

 本作品は出版が平成10年と古く、現在とは病院の状況は違う。

それでも、一番驚いたのは、日本で一番外来患者が多いのは慶応義塾大学病院で4000人/日以上。今はかかりつけ医の紹介がないと、総合病院の初診料が高く、さすがにこんな大量の外来患者は来ないかもしれないが、何とこれだけ患者が殺到しても慶應義塾大学病院は赤字なのだそうだ。2時間待って1分診療。これだけ回転しても、赤字とはどういうことなのだろう。残念ながらこの作品では原因は明らかにされない。

 今の医学は、講座、医局制の上に成り立っている。治療より、研究のほうが重んじられ、医局の教授になることが、研究医の目標となる。

 研究主体になるため、どんどん専門的になり、それに従い診察も細分化され、病院に行っても、どこの科で診察すればいかわからなくっている。数時間待合室で待ち、やっと診察がまわってきても、別の科にゆくようにと冷たく指示されることも頻繁におき、がっくりくることが多い。

 それに伴い、学会の数がやたらに多い。主なものだけで89あるらしい。その学会の研究発表会が1350回も毎年ある。1日平均3.7回。多いときでは17回も開かれることもあるそうだ。こんなに学会が多い理由は派閥とポスト争いが激しく、どんどん学会が新設されるから。

 それも、学会の研究発表会は超一流ホテルで行われる。でも心配ない、その費用は殆ど医療器械、薬品製造会社が負担する。

 発表会への出席、交通費、宿泊料も上記会社が負担する。建前は自前になっているが。

この作品、最初読みだしたときには、大学病院の暗部を抉り出し、告発書かと思ったが、読み進めていくと、大学病院で働く人々の職種や、現在の抱えている問題を偏ることなく、紹介し、大学病院紹介、入門書となっていて、非常に良心的な作品になっている。少し古いが、大学病院の現状がよくわかった。

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井上荒野  「その話は今日はやめておきましょう」(毎日文庫)

 最近は、定年が60歳から65歳になり、65歳になっても、それで仕事をやめることは殆どなく、たいていは70歳まで働く。

 60歳で仕事を辞めると、まだ体は元気だし、中年という感じで、とても老人だという気分にはならない。だから60歳から70歳までが会社という頚城がとれて、充実した活気ある日々が送れる。

 しかし70歳まで働いて、自由になると、その途端、老人になったなあという雰囲気になる。
新聞の訃報蘭に目が行くようになり、70歳代で亡くなる人もめずらしくなくたくさんいる。

 私は朝4時に起きて、犬の散歩をする。この間、ほぼ同い年の散歩をしている人に出合う。その人は左足が少し不自由で、リハビリのために歩いているようだった。

 その人が歩道にある花壇につまずいて、バタンと倒れた。びっくりして、助けねばと思い近寄ると、顔から血をながしている。そして驚いたことに、涙をいっぱい流して、大声をあげ泣いていた。

 その人には、今までにも散歩でであったが、その日を最後に散歩で出会ったことは無い。

 この物語は、仕事をやめた71歳の昇平と69歳になる妻のゆり子、それに、この家庭にお手伝いとして通う一樹、それぞれが順番に視点が変えて、描かれている。

 ゆり子の昔の恋人で、家も建ててもらった尚也に階段の手摺をつけてもらうことになった。尚也はそのとき膵臓癌になっていて、手遅れ状態だった。無理して造作を依頼して、
しばらくしたら亡くなった。

 葬式に参列した、昇平、ゆりこ夫妻が帰りに和食屋にはいり食事をする。
そこでの会話。

 「人は死ぬものなんだなあ。」
 「それで最後は一人で残されるんだなあ。」
 「そろそろ一人になることや、死ぬ覚悟をしなきゃあいけないわね。」
 「俺のあとをたのむよ。」 
 「何言ってるのよ。私のほうがさきに死ぬかもしれないのに。」
我が家もこんな会話をする日が近くなってきた。

 物語は、3人の視点がテンポよく変わり、いつもの井上作品より面白く読めた。

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| 古本読書日記 | 06:02 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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きくちいま   「着物がくれるとびきりの毎日」(知恵の森文庫)

 私の子供の頃、村では子供を別にすれば、洋装の女性は殆どみかけなかった。子供部屋の隣の和室で、街にちょっと出かけるとき、小ぎれいな和装によく母やおばさんが、着替えていた。

 著書きくちいまさんは、イラストレーターと同時にエッセイストでもある。一年中どんなときも、どこへいくにも着物、和装で通す。
 友達3人とケーキ屋にゆく。

ひとりは、白っぽい紬に赤い半幅帯、もうひとりは茶色の小紋に白い帯、そして、きくちさんは黄色い紬に薄いベージュの帯。
 3人は、それぞれ味わうケーキが決まっている。
1人目の女性はイチゴショートケーキ。2人目の女性はチョコレートケーキ。そしてきくちさんはチーズケーキ。

 へえ、何だか楽しそう。

この作品は、着物の着付けから装飾品。それらの選ぶ小物。履物についてなど、着物すべてについて、イラスト付きで説明している。

 しかし全く私には着物についての知識が無いので、理解不能。

でも、さすがにエッセイスト。秋に着る着物についての説明は素晴らしい。

「9月には、ベージュのきものに、薄い黄色の半えりをします。お月見シーズンということで、うさぎの柄もよく使います。うさぎ柄には本来季節はないんですが、大きめな水玉模様の帯を月にみたてて、うさぎの帯留めをしたりすると楽しい!10月はもみじや栗の柄を半えりにして。11月にはイチョウの柄を半エリにして。」

 秋は本当に着物が映える季節だということが手にとるようにわかる。

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| 古本読書日記 | 06:25 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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銀色夏生  「毎日はシャボン玉 つれづれノート③」(角川文庫)

 詩人、作詞家、写真家、エッセイストと色々な顔を持つ銀色の日記風エッセイ。

変わったエッセイだ。通常エッセイというのは、ここで笑ったり、感動してほしいという場面を用意して書かれる。しかし、このエッセイは、全くそんな部分はなく、本当に日記のようにその日、やったことをただ淡々と描いているだけ。それでつまらないかというと、流石詩人であり作詞家。読んでいてどうしてかわからないけど心地よい。不思議な本だ。

 この作品は今から30年以上に書かれている。銀色さんは結婚して、子どもが生まれて一年もたっていない。
 しかし、溜息がでるような、銀色さんの暮らしぶり。

赤ちゃんであるアーちゃんとの暮らしが中心なのだが、とにかく毎日の暮らしは気のむくまま。深夜までテレビを視たり、本を読んだり。それから眠る。だから、目覚めるのは、いつも正午か午後。友達が近くにいて、しょっちゅう、互いの家で酒を飲み遊ぶ。で、アーちゃんはどうするか、心配なし。ベビーシッターを頼むから。

 軽井沢に別荘があり、海外旅行にもしばしば行く。

すごいなと思うのは、宮崎シーガイアとハウステンボスに行く。東京に帰る日は決めている。
で、普通は、すべての日程、飛行機チケットはとってゆくものだが、宮崎で佐世保に行く飛行機チケットを買いに行く。しかし、飛行機はキャンセルされていて、シーガイアにもう一泊とまる。東京に帰らねばならないという拘束がない。自由だ。

 それにしても、何をしているのか定かでないが、当然銀色さんにはむーちゃんという旦那さんがいる。殆どエッセイには登場しないが。

 どうも2人は、家事は完全に分担しているようだ。例えば、食べる物は別々に買ってきて、自分の分だけ料理して食べ、使った食器も自分で洗う。

 だから銀色さんが、家事育児で大変なところは何も描かれない。だから、銀色さんは自由気まま。これを読んでいて銀色さんに憧れてしまう、そして実に心地よいのだ。

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| 古本読書日記 | 06:23 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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タカナシ    「神様のお膳 毎日食べたい江戸ごはん」(ことのは文庫)

 派遣切りにあい、おいつめられた主人公楠木璃子。 ソバ屋のビルの屋上にある神社にゆくと、神様であるイケメンの伊吹にあう。璃子は強引に伊吹に頼まれ、彼が主人をしている、ビルの谷間にある「たまゆら旅館」の女将の候補となる。

 このたまゆら旅館は現世(うつしよ)と霊界(かくりよ)のはざまにある。
神様伊吹は、璃子に結婚をせまってくる。しかし、伊吹はこの世の人でない、神様である。

とても恋をして、妻になるなんてことは素直に受け入れられない。なにしろ、神様は奥さんがいたことはないのかと璃子が聞くと、300年前に離婚したことがあるが忘れたなど、理解不能なことを言う。

 また、伊吹の母親がいまだに大女将と君臨している。その大女将は、女将として、吉乃というすこし飛んでいる女の子を連れてくる。これに対し神様伊吹がしっかりと対応できない。だから混乱ばかりおきる。

 さらに料理長の藤三郎が、職人気質で頑固。少し気に入らないと、職場を捨ててどこかに消えてしまう。それで、璃子が賄いごはんを創ることになる。

 この璃子の創る料理が、おいしそうに読んでいて思えてくる。

最後には、璃子が前に働いていた会社の先輩の女の子が登場して、璃子と伊吹の間を引っ掻き回す。
 いつもてんやわんやの騒ぎが起きてばかりいる。璃子の初恋物語と同時に人生リスタートの物語である。

 藤三郎によると、江戸時代はごはんは日に一回しか焚かなかったそうだ。
江戸は朝ごはんを焚くから、最後にはお茶漬けになった。関西では、昼にご飯を炊く。だから翌朝硬くなるので、おかゆになったそうだ。

 時々こんなライトノベルでも楽しい知識が獲得できうれしい。

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| 古本読書日記 | 05:52 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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朝日新聞取材班   「相模原障碍者殺傷事件」(朝日文庫)

 平成28年7月26日未明、相模原にあった知的障碍者福祉施設「津久井やまゆり園」に刃物を持った男が侵入して、職員、入所者を次々刺して、19人を殺害、26人に重軽傷を負わせる事件が発生。犯人はこの施設で働いていたことのある植松聖。

 この作品は、植松の殺害の動機をじっくり調べ、そして、長期にわたる裁判経過をその動機を軸にして描いた作品である。

 この作品では、我々現代人が持つ倫理観、常識ではあり得ない異常者が起こした事件という概念が一貫して貫かれている。

 だから、植松は当時、精神破綻状態だったのではと何人もの医者により精神鑑定が行われる。また裁判では、被害者の遺族が証言台にたち植松の極悪非道について、怒りの声を浴びせる。

 この声を背景にして、弁護人が植松に尋ねる。
「障碍者に愛情を持っている家族の声があるのに、どうして殺害したのか。」

植松が答える。
「お気持ちはわかるんですけど、お金と時間を奪っている限り、愛してはいけないと思っています。人間は自分で働いて生活することが大事。働けない人を守るから、働かない人が生まれる。支給されたお金で生活するのは間違っている。障碍者にはお金がかかっている。安楽死させれば、借金は減らせるし、みんなが幸せに生活できると思います。」

 植松は精神異常なんかでない。人間は、障害の有無は関係なく、みんな平等で生きる権利がある。人間の命は何よりも重い。こういう道徳、論理を常識人たちは雨降るように植松に浴びせる。

 植松の主張は、間違っていると責める。
しかし、読み進むと、朝日新聞記者の一般人と同じ主張が、どことなく観念論で植松をとても説得できるようにはならない。正直筋は植松のほうが通っている。

 そんなことになったら、私のような年金生活者こそ、まっさきに安楽死されねばならない。恐ろしい。

 当然、裁判官、検察、植松の主張はかみ合わず、現在の道徳、倫理により、植松は死刑判決を受ける。

 今の人間が作り上げた道徳、倫理が続くことを切に希望する。

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| 日記 | 06:06 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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石原加受子  「もうムリ!しんどい毎日を変える41のヒント」(祥伝社黄金文庫)

 仕事場で発生する、仕事はもちろん、人間関係について、困難に直面したとき、見方、思考法を少し変えてみれば、困難が克服できるという生き方についての指南書。

 もちろん著者の石原さん、日々悩みを抱えている人に出合い、解決を多数導いた経験、蓄積から、集大成としてこの本を出版したとは思うが、正直この本を読んで、悩んでいる人が
悩みから解放されて、解決することはあまり無いように思う。

 例えば、人間は少しずつでも常にらせん状成長している。それを上からみれば、同じ円を描いているようにしか見えないから、成長していることがわからない。それを横から見れば、回転しながら成長している姿がわかる。だから、人生を横から見るようにしなさいと石原さんは言う。
しかし人生は目に見える形をしているものではない。それを上から横から見ればということが全くわからない。

 連日の重労働で、身体が重い。できたら休みたい。しかし、周りの人も仕事が多く疲れているから休みを言い出しにくい。他の人に迷惑はかけられない。それで、無理をして休みをとらない。こんなときは休みをとるために、こんな風に思いなさいと石原さんは言う。

「今は体力も気力もなくなっている。抵抗力も低下しているから風邪菌にも感染しやすくなっている。今だったら、すぐに体調を崩せそう。大きい病気はイヤだけど、風邪をひいたら、休もうという希望はかなえられるぞ。」
 こういう考え方をすれば、望み通り、風邪をひき、会社を休めるようになる。

 すごい自論だ。どこが解決になっているのか、全くわからない。

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| 古本読書日記 | 05:57 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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江上剛    「トロイの木馬」(朝日文庫)

 一昨年4月、韓国が福島を中心に8県の農産物輸入禁止している問題で、日本がWTOに提訴していたが、韓国輸入禁止は正当との判定が下され、日本が敗訴した。

 私たちは、マスコミの報道により韓国の訴えが不当でWTOも組織が偏っていておかしいと思っていた。しかし、その時いかにWTOが偏っていようと、判決には何らかの根拠があったのではと少し頭のかたすみをよぎったことを覚えている。と言って、今まで何も調べてはいないが。

 日本は放射能などの汚染物質はアンダーコントロールされているとして、震災はすでに過去、復興五輪を通じて震災問題から目をそらせようとしていた。

 福島原発がメルトダウンにより、冷却水がセシウム、ストロンチウムなどに汚染されてしまった。現在汚染水はALPSという新しいシステムにより、放射性物質の除去を行っている。しかしこの方法ではトリチウムが除去できない。そのため、汚染水は放出できず、原発敷地内のタンクに入れられ保管されている。しかし、保管場所が敷地内ではおさまらず、海への放出が検討されている。

 原発反対立場の朝日新聞が、タンクの汚染水を調査したところ、基準値の2万倍の放射性物質が検出され、ALPS処理が済んだ汚染水の80%が基準値を超えて存在していたことを報道した。

 原因はさまざまあろうが、未だにこれだという原因は特定されていない。
とてもアンダーコントロール状態ではない。政府はこの事実をできるだけ隠そうとしている。

 更に汚染土の問題がある。汚染した土や草木は、黒い袋(フレコンパック)に入れられ、一時保管として、多くの所に放置されている。

 最終的保管場所が見つからないのである。人の住居の近くに漫然と放置されているのである。

 この物語は希代な詐欺師が登場する。通常詐欺師の物語は、見事な詐欺の手口を使い、大金をせしめ、悪の存在としての物語になる。

 この物語、鮮やかな手口は、通常の詐欺師物語と同じなのだが、その詐欺の手口を使い、「東北大震災で発生した汚染物質に対し何もしないで放置している」と正義の集団として登場、悪の政治家を追い詰める、変わった物語だ。

 しかし、やっぱり詐欺師は悪の知恵者。悪知恵を発揮し何もしない政治家を追い詰めて大金を貪る。

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| 古本読書日記 | 06:41 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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岡本太郎   「沖縄文化論 忘れられた日本」(中公文庫)

 岡本太郎、あのいかつい風貌、常識からはずれた芸術家、そんな印象から興味が沸き手にとった作品。驚いた、格調高い文章、理路整然とした表現、素晴らしい沖縄文化論に仕上がっている。流石、作家岡本かの子の息子ということなのか。

 歌というのは、どこから生まれてきたものだろうか。

沖縄や周りの島々は薩摩藩の長い間領土になっていた。

 薩摩藩は沖縄の島々に過酷な人頭税を課した。普通の状況でもやっと納められるかどうかの税金。不作になったり、疫病がはやったり、何かちょっとした不測の事態になると、途端に納税ができなくなる。結果、家族が養えなくなり、餓死が日常風景となる。

 ある農家で、とうとう飯がたべれなくなる。毎晩腹がすく中、子どもたちが斧を懸命に研いでいる。そしてある日、子どもが斧を父親にさしだして、これでひと想いに殺してくれと懇願する。

 そこには道徳、倫理は無い。

薩摩藩は、島民が文字を使用することを禁じた。だからすべて口伝えとなる。口伝は文章と異なり、心の発露となる。どうしても、言葉が激情となる。叫びとなる。

 岡本は歌は人々の叫びから生まれているという。
歌もそうだが、沖縄の踊りは、本能的にこの激しい歌にあわせて踊る。悲しみ、切なさ、喜びをみんな自然に発露する。

 岡本は、日本の芸術は、古くは飛鳥から江戸まで、すべては中国、韓国から渡来したもので、貴族、武士など、高い地位の人々によって作られてきたものとして、優れた文化芸術として評価しない。

 真の文化芸術は、一般の苦しい生活を強いられた人々の怒り、悲しみからうまれてくるものと言う。
 なるほど岡本の型破りの造形物は、この強い思い、信念から生まれているのだ。

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| 古本読書日記 | 06:38 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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司馬遼太郎   「司馬遼太郎全講演4 1988(Ⅱ)―1991」(朝日文庫)

 司馬遼太郎1988年から1991年の間で行われた全講演集。

ヨーロッパでも、紀元後しばらくは神はたくさんいた。それは妖精。しかし、それをいちいちつぶしていったのがローマからやってきたカソリック。

 あがめるべきは神のみ、神は絶対。

 ローマの神学校では「神は存在する」という神学が千数百年も行われ続けた。

空洞の竹筒を強い糸で巻く。この糸は論理であり、修辞であり、哲学である。どんどん巻いて太くして、中にがらんどうがあるとはとても思えなくなるほど巻いたものが神。

 こんなふうに司馬は言う。これはすごいことを言う。

そしてヨーロッパでは糸巻きをしている間に、文明が発達する。
見えないもの、神の存在を、説明しようとするから、言葉が発達する。そして、文学も哲学、絵画など芸術も発達した。これらが文明。

 そして、その土壌から生まれたのがマルクス・レーニン主義。共産主義である。
共産主義も目指すのは、神の世界の実現に似ている。

共産主義も、唯一無二、絶対正しいものとして、他の主張を認めないし、当然自分は全き正しいものとする。中国、北朝鮮、かってのソ連のように、その思想に疑問があると口にするだけで、排斥、排除される。そんな国は、これらの国の他にもある。

 そして、大国となった中国から、世界にむかって染み出している。

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司馬遼太郎 「司馬遼太郎全講演3 1985-1988」(朝日文庫)

 司馬遼太郎、1985年から88年まで全国での講演を収録。

司馬は、1980年代にスペインのバスク地方を旅行している。
バスク地方には、戦国時代に宣教師として日本にやってきたフランシスコ ザヴィエルの生誕地である。

 ザヴィエルの実家は普通の商人だったが、ザヴィエルはイタリアの大学にゆき、卒業して帰ってくると、バスクの王様から、大蔵大臣になるよう命令される。そして、大蔵大臣になるのだから、貴族の嫁をもらえと言われる。

 その嫁が嫁入り道具として持参したのが、ザヴィエル城というお城。

欧州で城、キャッスルというのは、街を囲む城壁のこと。実際の城というのはダンジョンといい砦。

 日本でも城というのは、砦のことをいい、戦いで守ったり、攻めたりする所で、山の中腹あたりにあった。

 司馬はザヴィエル城を見学する。すると城の土台は大きな石からなり、天守閣もあり、日本によくある城にみえた。

 それで司馬の想像がふくれあがる。
石垣を積み上げ、天守閣の城を初めて造ったのは信長。安土城。
 信長は、スペイン人宣教師に城の設計をさせ、それをもとに安土城を造ったのだろうと。
バスクにやってきて、司馬はそのことを確信する。

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ディーン・R・クーンツ  「ベストセラー小説の書き方」(朝日文庫)

 モダンホラー作家、ベストセラー作家の誉高い、クーンツのベストセラー作品を創作するための方法をあますところなく明かす、小説書き方論。

 社会人になってから、古希に至るまでに読んだ本が、この間20000冊を超えた。

現在「本が好き」の書評ブログに参加していて、他人の書評ブログを読むが、私のレベルが低く、とても手が届かないレベルのブログを掲載している人達がいることを知って、感心している。

 レベルが異なる人たちのブログは、まず何よりも本からの知識が豊富で、自ら、本への批評の切り口を持っている。何だか違った世界におられる人たちのように思える。

 私は本の中身を考えず、慰み物として、ブックオフから購入して読んでいる。この姿勢では本にたいする見識もできないし、なにより情けないのは、本の内容を読む端から、忘れてしまう。読書が全く無為になっている。

 しかし、クーンツがこの本で慰めてくれる。本の内容は、多くの読者が感動するものでなければならない。読者があってこその本。それは大衆エンターテイメント小説であり純文学では無いと言っているところ。

 それから、素晴らしい小説は第一にプロットがしっかりしているところと指摘している。

時々、小説家で、登場人物が知らぬ間に1人で勝手に動き出し、その時がいい小説ができたと感じるという人がいるけど、正直そういう作家の小説は読んでいてもまとまりがなく面白くない。まずプロットと構成がなければ、筆が動くままというのはよくない。
それから、できるだけ偶然性は排除して、主人公の行動の結果がある結論を導く作品を欲する。

 追っ手に追いかけられ、捕まる寸前に200両もある貨物列車が通過して難をのがれたとか、追い詰められた警官である主人公が、拳銃で撃ち返そうとしたら、あろうことか拳銃を携帯することを忘れていたなんてことはできるだけ避けてほしい。都合のいい偶然を乱発してはならない。

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中村文則   「その先の道に消える」(朝日文庫)

アパートの部屋で、男が殺される。この男は、緊縛師だった。

 緊縛師の名前は吉川一成。この緊縛の世界で何人かが殺され、ミステリーの体裁をとりながら、内容は緊縛の世界に生きる、あるいは、夢や希望とは縁のない人々の生きる基盤はどこにあるかを追求してゆく。

 吉川は、どんどん転落していって最後、緊縛師になるのだが、吉川は人生の記録帖を残している。その記録帖の中の、緊縛をされている女性の独白が、私の想像を超える。

「私は縄で縛られると・・・・強く抱きしめられるみたいで、解放された気持ちになる。
 固まっていたものが、フワっと、軽くなる・・・。お互い同意の上でも、無意識には、性への抵抗があったりする。でも、縛られると、もう・・・・どうしようも、ないでしょう?抵抗する気持ちもなくなるの。そして、自分が、どれだけ感じても、許されるような、気持ちになる。縛られて、抵抗できないのだから、普段と違う自分になることを、許せる。自分が解放される。」

 常識的には、緊縛されている女性は、快楽はあるかもしれないが、痛みもあるし、苦しさもあると思うのだが、中村はそれを突き抜けて、人生が頚城や辛さから解放されて、最も自由で幸せな状態になると緊縛を描く。今までにここまでSM緊縛を想像した作品は読んだことが無い。

 それと、緊縛に使う麻縄。麻縄は神の領域と現世を隔てる境界で、麻縄で囲まれた場所は神域で、神様が降臨することもある。
 そして、緊縛の場面で、麻縄が意志をもって動き、女性を縛りあげてゆく。この場面には驚いた、読んでいると、縛られている女性が降臨した神に思えてくる。

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上野千鶴子   「国境お構いなし」(朝日文庫)

 若い時代に世界を巡り、そこから異色の社会学者上野千鶴子が出来上がってゆく過程を描くエッセイ集。

 メキシコの中流家庭のパーティーに上野さんが招かれる。そこには家事をしたり、家回りの仕事をするお手伝いがいる。メキシコではアパートにも女中部屋が片隅につけられている。夫も妻も当然家事など一切しない。だから、妻は、洗濯機など手に触れたことはないし、ましてや操作方法なんて全く知らない。だから、女性である妻も、外で働く環境は整っている。

 私の勤めていた会社でも、後進国に勤務する人は、どこの家庭にもお手伝いさんがつく。
日本に帰任すると、奥さんが、後進国の生活になれ、家事、買い物をしなくなり、これで夫婦間がおかしくなり、別離してしまったなんてことが時々あった。

 女性の社会進出が、いろいろやってみても、日本ではなかなか実現してこない。
男も女も、平等に社会にでて、結婚してもダブル インカムの生活をする。家庭、育児などは、その収入で、別にお手伝いさんを雇って行ってもらう。海外から雇い入れても構わない。

 そして社会は完全に性差のない実力社会を実現する。
そうしなければ、どうにも男女平等社会は実現しないような思いがしてしまう。
こんなことを言えば、強烈な非難をたくさん浴びること間違いない。
それでも、時々寝物語で考えてしまう。

 アメリカなど先進国に進出している企業は、ローカルでその国に居住している日本人女性を採用している。

 アメリカなどでは、お茶くみはもちろんコピーなどの仕事を女性や部下に頼むことはできない。それで、ローカルの日本女性を雇い、職掌にない、上記仕事をお願いと駐在員が頼む。

 そうか、これでは、男女格差社会の実現は程遠いか。

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高橋克彦   「ジャーニー・ボーイ」(朝日文庫)

 この作品は、シティトラベラーの草分け的存在であるイギリスのイザベラ・バードの「日本奥地紀行」をベースに書かれている小説である。同じ題材を扱った小説に中島京子の「イトウの恋」がある。

 イザベラ・バードは1831年イギリスの牧師の家に生まれている。病弱で、22歳のとき、医師の勧めで、療養をかねてアメリカを旅行。その紀行記を本にして出版しベストセラーを手に入れる。その後オーストラリア、ハワイを旅して紀行記をものにし、トラベラーの地位を獲得して明治11年、日本にやってくる。この前年には西南の役があり、翌年大久保利通が暗殺。まだ日本組織体制が揺れ動いていた時代だった。

 こんな中、イザベラは東京―日光―会津―新潟―東北-北海道を旅する。

この紀行に案内役、護衛役として面接で選ばれたのが伊藤鶴吉。物語は都会ではなく、田舎の庶民の暮らしを見たいと希望するイザベラと田舎は不潔、みすぼらしい暮らし、それに護衛するにしても危険で避けようとした伊藤の想いとがすれ違い。イザベラにどんどんひきずられ、そのわがままにふりまわされる伊藤の苦闘を中心に物語は描いている。

 日光までは比較的平穏だったが、会津から新潟までは、山々が連なり、道なき道を進み、谷間の危険な道の連続、どうなるかとひやひやする物語が連続。そして作品は新潟までで終了している。

中島さんの「イトウの恋」では、イザベラと伊藤の淡い恋を扱っているが、この作品では武士浪人がイザベラ刺殺の命をうけ、繰り返し伊藤をふくめ、伊藤の護衛役との戦いが頻発する。

 小説を読む感度が乏しくなった所為か、何故イザベラの命が狙われなければならないのか、よくわからないまま戦いだけが描かれ、話にはいりこめなかった。

 物語の終わりに、どういう人間がイザベラを襲ったのか書かれているが、それも抽象的で首をかしげる内容だった。

 もっと前の段階で、刺殺団の詳細を明らかにし、そこから幾つもの手に汗にぎる戦いの場面を描いたほうがよかった。そうすれば緊張感がある物語になったのに。構成に失敗している。

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村田沙耶香   「しろいろの街の、その骨の体温の」(朝日文庫)

 今週の最初に 辻村深月の「嚙み合わない会話と、ある過去について」を読んだ。この作品は主に、小学生の時に、いじめに合い、辛い日々を過ごした子が、社会人になってアイドルやカリスマ経営者として成功。その成功者が、小学校時代にいじめをした相手(当人はあまり覚えてはいないのだが)に対し、これでもかと復讐といえるくらい、怨念を持って責め上げるという物語を幾つか収録されていた。

 この作品、少年、少女から脱皮して思春期に突入する経過と心の変化を丁寧に描いている。さらに、中学生で作られるカースト制についてもリアルにその実態を描いている。

 私の小中学校時代には、カーストという制度は無かったように思う。かりにあったとしても、トップの身分にたつ生徒がその傍若無人の態度で権力をふりかざし、他の生徒を従えるということは無かった。

 まあ平穏な学生生活を過ごした。だから、その時代に何があったのか、同窓会、同級会を開いてもそれほど思い出が語られない。

 この物語では、中学生の信子という生徒が最下層にいれられ、ブスだの臭いなど、徹底して疎外され、いじめられる。
 その信子が言う。「同窓会や同級会が楽しみだ。そこで社会で成功した自分をみせつけ、復讐したい。」と。

 すごいなあ。中学時代に受けた屈辱を、仔細に覚えていて、それをバネにして社会を駆け上がる。そして、復讐する。
 私の時代には考えられない。

中学生時代の女の子が好きな男の子は集中する。その状態を村田さんはぐっとくる表現をする。
 「写真をこっそり撮ったり、放課後に教卓の中から好きな人の書いたプリントを探し出して読んだり、ささやかな発情を重ねながら、私たちの恋は膨張してゆく。」

 見事。こんな表現は村田さんしか書けない。

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松岡正剛   「知の編集工学」(朝日文庫)

 この本はこんな定義から始まる。

「編集は人間の活動にひそむ最も基本的な情報技術である。」

編集という概念から、思い浮かべるのは、新聞の記事で何を選択するか、その記事の見出しをどのようにするか、そして記事はどこに割り付けるかなど新聞テレビなどでの、編集について思い浮かぶ。そしてその技術編集力について描いている作品かと思って手に取った。

 しかし、内容は科学、社会工学における編集技術の追求する作品、情報処理するネット、アークテクチャーを解説する作品で、全く人文とはかけはなれた作品になっていて、とてもついていけなかった。
 
最新は横文字、カタカナ言葉が氾濫し、著者松岡さんは、都度ちょっとした解説を付記してくれるが、解説なしの言葉も多く、それは、一般的に知りうる言葉なのだろうが、私には未知の言葉が多く、とても、この本の適切な読者では無く申し訳ない気持ちになった。

 頭脳というのは、中枢編集装置である。

例えば、昨日、あなたは何をしたか順に教えてくれと質問される。だいたい睡眠時間を除くと、15,6時間起きて何かをしている。だから、一日について説明すると、10時間以上はかかることになる。

 しかし人間は昨日のことを頭で編集して、長くても1時間、数十分程度で話す。これが脳が編集する装置であると松岡さんは言う。

 この脳がすごい。
脳では、大半の情報が管理され、交換され、解釈されている。情報が集められ、並べられ、選択されて、関係付けられている。

 そのために1000億以上ものニューロン(神経細胞)が活躍する。ニューロンとニューロンの間にはシナプス連結という仕組みがあって、伝達されるべき電気信号を化学信号に変えている。大脳皮質だけでも十万X百億のシナプスがあるのだから、その結合の組み合わせは数字に表せないほど膨大になる。

 で、そのシナプス連結の端末包からは、胞子のようなニューロトランスミッター(神経伝達物質とニューロモデレーヤーという化学分子が放出されて、それによってさまざまな「意味」が編集されている。

 巷間いわれるAIとかスーパーコンピューターの能力はどれくらいすごいものか知らないが、しかし、脳における編集力のほうがよりすごいようにこの作品を読むと思った。

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| 古本読書日記 | 06:34 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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