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2021年05月 | ARCHIVE-SELECT | 2021年07月

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柚木麻子    「踊る彼女のシルエット」(双葉文庫)

 私が会社時代の部下の女性だった人が、60歳の定年になり、お世話になったからお礼をしたいと言われて、この前食事をした。

 この人、本当に優秀な人で、ドイツにしばらく駐在し、本社に復帰。やがて、会社で最も大きな子会社に重役で出向し、そこ定年をむかえた。重責を担う仕事にうちこむため、電車で30分ほどかけて実家から通っていたが、終電車までに仕事が終わらないと言って自費で会社の近くにマンションを借りるほどだった。

 40歳のころ、結婚相談所に登録、そこで知り合った男性と結婚。理由はわからなかったが、わずか一月足らずで離婚してしまう。
 私が会社に入ったころは、女性で大学まで行く人は少なく、だいたいが短大どまりだった。

で、会社に入ると、遅くとも24歳までに結婚するのが普通だった。女性社員は仕事が終わると、料理、お花、お茶と花嫁修業にでかけた。

 今は男女平等社会、女性の結婚適齢期なるものは無いが、それでも35歳以上になって独身だと、社会から変わっている目で見られる。

 この物語で、主人公佐知子の親友、実花。アイドルグループのマネージャーをしていたが、気が付くと35歳。とても、結婚願望などありそうもない女性なのだが、結婚相談所に登録して、自ら男性を捕まえプロポーズする。しかしいずれもうまく行かず、結婚には至らない。

 女性は結婚して、子どもを出産し、育児、子育てを担い、家庭を支える安定した人生を送るのが一番幸せ。こんなことを書いたら、今時噴飯ものと大きな叱責を食らうこと間違いないのだが、しかし社会の空気はこれが女性のあるべき人生であるという無言の圧力は強い。

 30歳半ばになると、結婚相談所に登録する女性が急に増えるそうだ。
物語の実花もそんな一人。私の部下だった女性も40歳で申し込みをしている。

 食事の途中で元部下の女性にはしたないことを聞いた。40歳過ぎてから恋はしたの。そしたら、彼女最近まで長い間恋をしてました。と。
 ふっと良かったなと思った。

物語でアイドルグループのメインだった女の子が、グループを解散。それでこれからどうするのと聞くと、「喫茶店をしたいな。」と言う。あーあどこかで現実を離れてまだ夢をみていたい元アイドルだなあと思ってしまった。

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堀川アサコ   「おちゃっぴい 大江戸八百八」(角川文庫)

 連作ミステリー集。どの作品もよく考えられていて佳品ばかりになっている。
特に2作目「太郎塚」はできが他作品より抜きんでている。

 薬種店の結城屋。大きな屋敷と3つの蔵、それに庭園。そして庭園の隅に謎と言われている太郎塚。

 結城屋の今の主人は由十郎。実は由十郎は次男坊で、由十郎の前の主人は長男の長兵衛。

長兵衛は、少し変わっているところもあるが、人当たりもよく、頭脳明晰で結城屋の商売を大きくした。しかし生きたミイラを発見して新しい薬を作ると言って山の中にはいり、猪の牙に突かれて、大けがをする。

 この時女房のおシゲが長男太郎を産む。手代の与茂吉が、赤子の長男の肝臓を取り出し児肝という薬を造り、これを長兵衛に飲ませ、長兵衛を救う。妻おシゲは産後の肥立ちが悪く死んでしまう。

 自分の長男から肝臓をもらう。長男を犠牲にして、生きることができた、長男だけでなく愛する妻も失う。これにショックを受けた長兵衛は庭の隅に掘っ立て小屋を造り、完全に小屋に引っ込んでしまい店の主人をやめる。それで庭の隅の塚を太郎塚と言う。

 ある日、謎の無名居士という男が、江戸の剣道場六道館にシゲという子を連れてやってくる。シゲは捨て子。是非面倒を見てほしいと。六道館は捨て子や孤児を多く引き受けていた。

 ヤンチャ坊主になったシゲは子供のいない、結城屋に養子として引き取られ名前はシゲでは無く、亡くなった太郎に改名させられる。太郎は実に優秀で、主人由十郎は自分の後継者にするべく育てる。

 その無名居士がまた結城屋にやってくる。無名居士を見てびっくり、それは何と手代与茂吉だった。与茂吉は驚くことを言う。

 実は長兵衛に処方した薬は、太郎の肝臓から作ったのではなく、猪の肝臓から作ったもの。生まれたばかりの赤子は与茂吉が引き取って亡くなった母親のためにシゲと名前をつけ、旅に連れて歩き、やがて六道館にゆくゆくシゲは結城屋に引き取ってもらうことを条件に預けられる。

 それぞれの出来事が鮮やかにつながり見事。

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| 古本読書日記 | 06:13 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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黒川博行    「絵が殺した」(角川文庫)

 黒川は美術界のことについて本当に詳しい。と思ったら黒川は京都の大学美術学部の出身だった。
 このミステリーは絵画の贋作ミステリーとなっている。

黒川の作品は必ず主人公の刑事と別刑事とのコンビが活躍し、このコンビがどの作品でも、そこらの漫才より面白い会話がふんだん組み込まれていて、それがたまらないのだが、この作品も吉永刑事と駆け出しの小沢の迷コンビの会話が面白く、それだけでも読む価値がある。

 物語でなるほどと思ったのが、政治献金で絵画を使う方法。これは別の黒川作品にも登場するが、政治家に絵画をプレゼントする。しばらく政治家は保管するが、その絵画をプレゼントした人間に返す。その時返された人が絵画代金を支払う。これが献金となる。

 それから密室トリック。これもしばしば色んな物語で同じ方法がみられるのだが・・。

ロッジで密室状態で、殺人が行われる。犯人がガスボンベが倒れたと係員に電話する。犯人はガスボンベから離れたところに隠れる。係員がやってくる。係員は当然ボンベがあるところの探索に集中する。集中している時に、入口からでてゆく。そして、その後係員は死体を発見する。

 読んでいて、ビックリしたのが次のトリック。
実は被害者はロッジ内、密室状態で感電死して自殺したことになっている。犯人は皮手袋をはめて絶対部屋から指紋がみつからないようにする。

 感電死させるためには電気コードを切断して、着ている衣服にコードを絆創膏でとめて電気を流す。これを自殺では被害者自身がせねばならない。円形の絆創膏をはがすとき、例えば右手で絆創膏をはがす場合は、左手は絆創膏テープを2つの指で挟む。とろがこの絆創膏には左手部分は片方しか指紋がついていない。これはおかしいと。ここから物語が回転しだす。面白い。

 黒川作品は会話の面白さばかりが強調されるが、仕掛けもよく考えられている。

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藤沢周平     「天保悪党伝」(角川文庫)

 江戸幕府の若年寄の配下に加役、火付盗賊改という組織がある。この組織は、江戸市中を見廻り、盗み、火付け、賭博の現場をみつけ取り締まる組織である。犯罪を取り締まる組織は他にもあるが、この組織は、犯行現場に遭遇すれば、犯人を問答無用で刺殺できる権限を持っている。

 献残屋(大名、幕府に献上された品物のうち残った商品を払い下げてもらい、市中に販売する商店)で富豪になった森田屋清蔵。

 実は、清蔵の父親は本庄藩の足軽だった。藩主の鷹狩に随行したとき、飛んでる一羽の鶉をみつけ、手元の鷹を放つ。鷹は見事に飛んでる鶉を捕まえるが、誤って落としてしまう。

 落ちた鶉を清蔵の父親が追いかけるが、狐に攫われる。父親は狐を追いかける。しかし狐は逃げ去ってしまう。藩主は清蔵の父親を成敗しろと指示し、父親は役人に殺される。

 処置はそれだけに留まらず、清蔵一家は藩内から追放にあう。家族は離散する。
清蔵はその後江戸で懸命の努力し、献残屋で成功して、森田屋の看板をあげる。しかし森田屋清蔵は本庄藩への恨みは消えない。

 本庄藩は幕府から東叡山の普請を命ぜられていた。数万両の金がいる。しかし手元には三千両しかない。すでにあらゆるところから金を借りていて、利息も払えない状態。

 そこに森田屋清蔵が現れる。密輸品と、禁輸品 7箱の商売をしましょうと。これが成功すると、普請金が賄えて、お釣りもくる。
 荷揚げされた、禁制品は本庄藩江戸屋敷に運ばれてくる。これを4日後に安房屋が即お金を払うから荷物を安房屋に渡してほしい。と森田屋清蔵は言う。

 安房屋という店は架空。清蔵は取り締まりをしている加役の屋敷の天井裏から、4日後の本庄藩の屋敷で禁制品の取引が行われると投げ文をする。

 連作短編集の中の、「赤い狐」より。緊迫感があり、見事な作品だった。

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藤沢周平    「初つばめ」(実業之日本社文庫)

 元NHKの名アナウンサー、松平定知がチャンネル銀河の「藤沢周平を読む」という番組で朗読した藤沢短編作品を収録。殆どが既読。未読の「夜の道」が印象深い。

 主人公おすぎ、洗濯が終わって洗濯物を運んでいたとき、40歳くらいの品のいい女性から声をかけられる。あなたは、私が15年前に別れた娘おすみじゃないかと。

 おすぎは確かに、小さいとき、迷子になり通りで泣いていたら、巳之吉に拾われ、巳之吉は育てられないから、弥蔵夫婦に預けられ育てられた。女性はおすぎにそのことを覚えてないかと聞くが、3歳ころの話で全く記憶がない。

 女性は、娘おすみと別れた場所までいけばおすぎが思い出すのではと思い、おすぎを連れてゆく。しかし、おすぎは思い出さない。

 実は、女性は伊勢屋という大商人の奥さん。その日、旦那と大喧嘩をして、「もうでていく」と言って、伊勢屋を飛び出る。その時、一人娘のおすみがずっと奥さんを「おかあちゃん」と叫びながら追いかけてくる。それを振り切って女性は走る。そして追いかけてくる娘の声がある場所で聞こえなくなる。振り返ると、娘おすみが消えている。それから女性は懸命に探したのだが、見つからない。それから15年ずっと女性はおすみを探し続ける。

 おすぎはその後、奉公していた雪駄製造の店の職人幸吉と結婚する。そして息子が生まれる。

 結婚5年後、家族3人で向島に桜を見に行く。おすぎはそのために、自分と息子の着物をあつらえる。幸吉が自分の着物をあつらえないことと、桜見物だけのために着物をあつらえるとは何事だと怒り、お杉と喧嘩になる。

 おすぎは着物を返してくればいいのでしょう。と怒って、家をでて、着物を返しに行く。
そのおすぎを息子が追いかける。その声を聞きながら、走る。そして、追いかける息子の叫び声を聞いていると、突然、幼い時お母さんを追いかけて、叫んだことの記憶が浮かぶ。
そして、追いかけてきた息子を力いっぱい抱き上げる。

 そして幸吉にことわって、女性のいる伊勢屋に駆けていく。そして女性を見つける。「おかあさん」と声をあげ縋り付く。

 平凡な物語だが、藤沢の文章力により、味わい深い作品になっている。

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| 古本読書日記 | 06:25 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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彩瀬まる    「不在」(角川文庫)

 ひねくれた人生を送ってきたからか、どうも、のべつまくなし涙を流したり、愛だ、癒しだ、優しさだ、家族だという言葉をふんだんにまき散らして、苦労はするが、最後は優しさや愛のおかげで幸せになるという物語に共感をできなくなった。

 主人公は31歳の人気漫画家明日香。母親は父親とは離婚するのだが、その父親が死んで、父親の遺言状により、明日香はかって家族で住んでいた屋敷のような家を相続することになる。

 明日香には5歳年下の恋人冬馬がいる。小さな劇団に所属している。少し前までは、劇団員だけでは食べていけないから、夜間バイトをしていたが、明日香の漫画が売れ、バイトをしなくても、生活ができるので、今はバイトはしていない。

 2人が屋敷にやってきて、父の遺品を整理する。そして、整理している間に、2人で屋敷に住み、結婚の約束をする。「結婚しよう」と言ったのは、明日香。

 明日香は冬馬が心底好き。だから、冬馬を何とかして俳優で売れるよう、支援したいと頑張る。

 明日香の母親が骨折して入院する。冬馬が毎日のように見舞いをして、洗濯物をコインランドリーで洗濯をしてあげたり、母親の世話を何でもしてあげる。明日香がどうしてそこまでするのと冬馬に問いかける場面。

「あなたが困ってるからでしょうが、ここんところずっと忙しくてピリピリしていたし、分担したら、少しは楽になるだろう。」
言われて何故かポカンとした。親切だとまず思う。嬉しいな、とあとからじわじわと思う。そして、その喜びに、奇妙な失望が混ざっている。肩透かしをされたような、なんだろうこれは。
助けられたのに落ち着かない。もっとわかりやすいのがいい。私が、ただただ冬馬を助け続ける、そんな構図がいい。

 冬馬をマスコミや出版社の集まる食事会に連れてゆく。冬馬は自己紹介しただけで、後は全くしゃべらない、それに明日香は憤りを感ずる。

 なぜこんなチャンスを利用しないのだ。突然冬馬をみて、あなたのような人を待っていたんだなんてことは起きない。自分でこういう機会を利用して積極的に売り込む。後から売れて、それはあの時の食事会があったからと思い出す。何でこんなことがわからないのか。と叱責する。

 しばらくして、冬馬は屋敷をでてゆく。自分の愛がわからないことが明日香には切ない。
人生は長い。幸せも不幸もいつも変転とする。幸せで物語は終わらない。その幸せの先まで描くこんな物語がいい。

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| 古本読書日記 | 06:30 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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小杉健治     「邂逅」(集英社文庫)

 小杉のミステリー作品はいつも素晴らしい。突拍子もないトリックや作者が意識して、読者を故意に惑わす叙述トリックもない。すべてがこれならあり得るというトリックで読者をうならせる。

 この作品、アパートで一人住いの女性が花瓶で殴られ殺される。犯人になる手がかりはみつからない。捜査が暗礁にのりかけていたときに、目撃者が現れる。そして、水道工事業者が犯人として逮捕される。

 世の中には似た人がいる。この目撃者は、水道業者が犯人として逮捕後、それは見間違いで偶然、本当の犯人と遭遇する。

 誤認逮捕された犯人の家族は犯罪家族として社会から裁かれる。冤罪で捕まった水道業者は刑務所で自殺する。水道業者の姉は結婚が決まっていたが、先方から結婚を断られる。姉はそのショックに耐えられず、自殺をはかる。自殺は未遂に終わったが、寝たきりになる。
 弟は、養子にだされ、名前を変える。

目撃者は、無残な家族に自分の偽証でおとしめられたことに苛まれ、それが収まるどころか、ますます大きくなってゆく。
 落とし前をつけねばならない。どうやって落とし前をつけるか。犯人に殺人をしてもらう。
そして、殺されたふうに装って、偽証の目撃者は自殺する。

 殺人を確固たるものにするために、本当の犯人に、殺されたようにみせかけたところを水道業者の弟に写真を撮ってもらう。

 偽証が、普通の家族を破壊する。警察は、うその犯人でも、犯人として逮捕すれば、捜査は終了。それゆえ、偽証者は、何としても、本当の犯人に、人殺しをしてもらうことを計画実行。それを確認して、安心して自殺。どこか、悲しく、切ない。

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ジェイムス・エルロイ   「血まみれの月」(扶桑社ミステリー)

 ロイド・ホプキンス刑事シリーズ3部作の1作目。

主人公はロス市警部長刑事のロイド・ホプキンス。身長が2mもありいかつい強面。しかし、頭脳は明晰でするどい洞察力、分析力で数々の事件の犯人をあげる。

 でもかなりの変人。妻を愛し、家族を愛しているが、たくさんの女性と不倫を繰り返す。
しかも、子どもに、殺しの凄惨現場について、妻がやめてと言うのに詳細に話す。

物語は若い女性が続けて2人殺害される。犯人は自らを詩人と称する。ロイドが記録を調べると、この15年間に未解決の女性殺人事件が16件発生している。しかし、調べてみるが共通項は何もない。

 長編サスペンスは最初事件が起こり、捜査が試行錯誤して、なかなか真相に近付なくて、読んでいてあくびがでる。

 ところが、殺害事件現場から盗聴のための録音機が発見される。盗聴のテープレコーダーが70年代半ばに登場した日本の渡辺オーディオ製で最高級品AFZ999。高価な商品で、殺人事件エリアで販売されたのが31台。(渡辺オーディオは今も健在。ただオーディオ製品よりギター販売が中心になっている。)

 おおーとここで、目が覚める。販売先リストはあるが、そこをあたっても、犯人につながる可能性は低い。もうひとつ、合わせ技で何か必要だなと思って読み進む。犯人は詩作に凝っていることがわかっている。そこで犯行エリア内で詩の本や雑誌を中心に売っている書店はないか調べる。すると、それにあてはまる本屋がみつかる。その本屋は店主が女性で、自ら詩をつくり同人誌で発表している。

 女性店主は学生時代詩の創作クラブに入っていた。毎年部員の記念写真がある。そこで、テープレコーダーの販売先と記念写真の名簿をつきあわせる。そこで犯人がわかる。

 こういうわかりやすいミステリーは良い。気分スッキリ、後味爽快。

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| 古本読書日記 | 06:14 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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原田マハ   「モネのあしあと」(幻冬舎文庫)

 印象派誕生以前のフランスの画壇は、フランス芸術アカデミーが権威を持って支配していた。それに敢然と対立し当時絵画界の反逆児と言われたのがモネ。

 印象派という名称はモネの「印象―日の出」という作品が由来。
19世紀後半印象派は芸術革命を起こした。

 その起爆となった要素は3つ。

イギリスで起こった産業革命がフランスでも起きる。何と言っても、鉄道の敷設、普及が大きい。
 それまでは、旅にあこがれるが、その手段が無い。だから、貴族階級はお抱え画家に観光場所を絵画にしてもらいそれを豪邸の壁に飾る。それから、肖像画や宗教画を画家が描く。

 画家は、一枚のカンバスにすべてが収まるように、まず構図を決めて描く。その絵画で起承転結が完成する絵だ。

 次に写真撮影が盛んになったこと。

 写真は風景など、一つの枠に収めることは難しい。端が切れていたり、別のものが映ったりする。つまり、写真は自然の動きや背景の広がりが大きく深い。それが自由だし、より自然。

 例えば、この本の表紙に載っているモネの「舟遊び」。舟の端が切れている。しかも、舟が構図の中心からはずれている。そして、はずれているところには、湖や水面が描かれる。この結果、本当に舟が動いているように見える。

 それから、何と言っても日本の浮世絵。それまでの、西洋絵画では、人間描写は写実。
ところが、浮世絵では眼が細かったり、体形がデフォルメされたり、降る雨が線にするその表現にフランス画家に強烈な衝撃与える。

 ホイッスラーの「陶器の国の姫」や、ロートレックの「喜びの女王」は、日本の浮世絵にインスパイアされている。

 原田さんの別の作品で知ったのだが、日本文化の象徴は陶器なのだが、それを包装している包装紙に浮世絵が印刷されている。その包装紙が西洋絵画に影響を与えたというのが面白い。

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レイモンド・カーヴァー   「CARVER’S DOZEN」(中公文庫)

 村上春樹が敬愛するアメリカの作家レイモンド・カーヴァーの短編、エッセイ、詩12編を「村上春樹ベストセレクション」として、村上自らの訳によって収録した作品集。

 文体、表現が村上の作品に似ていて、どれも面白い作品ばかりだったが、「大聖堂」がその中でも面白かった。

 主人公パブの家に妻の友達であるロバートが西海岸の街から、飛行機、電車を乗り継いでやってくる。ロバートは盲人だった。妻が西海岸の街で就職活動をしていたのだが、就職口が見つからなくて、新聞で盲人に対し、本を代読したり、生活を支援したりするスタッフ募集があり、それに応募して採用され活動していたときに支援し友達なったのが盲目のロバート。

 ロバートは眼が見えないから、パブはうまく会話ができない。もっぱら妻が相手をする。しかし、酒がだいぶ入りすぎて、妻は休憩と言って寝室に行ってしまう。居間にはパブと目の見えないロバートだけ。気詰まりな雰囲気。

 テレビでその時、有名な大聖堂の紹介をしていた。ロバートが聞く。
「大聖堂は存在は知っているけど、どんな建物なの。」
「ものすごく大きく高い建物なんだ。人々が少しでも神に近付きたくて、高い建物にしたんだ。」

 こんな説明をしても、ロバートには全くわからない。
するとロバートが言う。
 「ねえ、2人で一緒に大聖堂を描いてみようよ。」
 びっくりしたが、パブはペンと紙を持ってくる。

ロバートが紙の端を手でさわり、紙の大きさを確認する。
そしてパブに「さあ描いてみて。」「僕がパブが描いた後をなぞるから。」
最初は自分の家といっていいくらいの小さな家を描く。そこに屋根をつける。そして、その上に大きな尖塔をつける。

 ロバートがなぞりながら
「いいねえ。その調子だよ。」
 パブはアーチ型の窓を描いたり、大きなドアも描く。大聖堂が一応完成する。

ロバートは大聖堂は人の集まるところ、建物だけでは寂しい。と言いながら何人もの人を描く。

 今いるのは、小さな家の中なのだが、だんだん大聖堂にいるような気分になってくる。
気詰まりの2人が、無我夢中になって大聖堂を描く姿の描写が素晴らしかった。

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川上未映子  「ウィステリアと三人の女たち」((新潮文庫)

 記憶に取り込まれた女たちを描いた4編の短編集。本のタイトルになっている「ウィステリアと三人の女たち」も印象に残る素晴らしい作品だったが私は「彼女と彼女の記憶について」が強く印象に残った。

 会社定年60歳になって、急に始まったのが、同級会開催の知らせだった。故郷を離れて40年以上。全く学生時代の人達とは交流が無かったので、はがきで案内がくるのは、欠席で断ろうとしたのだが、小学校から大学まで、どうやって知るのかしらないが、携帯に電話かかってしつこく誘われるので、小学校、中学校、高校、大学とすべての同級、同窓会に出席した。驚くことに、保育園の同級会にもしつこく誘われたが流石にそれは断った。

 しかし高校からは色んな出来事の記憶が五月雨しきに残っているが、小学校、中学校の記憶は全くと言っていいほど無い。

 この物語主人公の私は定年後ではなく、30歳で田舎の小学校の同窓会に出席する。主人公の私が女優で、テレビにもでたことがあるので、同窓会ではあちこちから声がかかる。しかし、うっすらと輪郭は思い浮かぶが小学校時代の記憶は全然浮かんでこない。

 同窓会を中座して化粧室に行く。そこで女性から声をかけられる。
「黒沢さんおぼえてる?」
そこで朧気ながら黒沢さんのことが私に浮かんでくる。
遠足で一緒に行動したこと。しかし、小学校までは、交流があったが、中学校になって黒沢さんは学校に来なくなった。
「黒沢さん、3年前に死んだのよ。」
「えー、何か病気。それとも事故?」
「それが餓死だったんだよ。」

この「餓死」という言葉が、主人公の私と黒沢さんの淫靡な関係をリアルに思い起させた。

私の小学校の同級会。何の記憶も浮かんでこない。小学校高学年ときまゆみという子が東京から転校してきて、村の製材工場の社員用アパートに家族で住んだ。つぎはぎだらけの服やズボンを着ていた洟垂れ少年少女だった私たちは驚いた。着ているものから違うし、何よりも美人だった。さらに小学生なのに、大柄で体形も完全な女性。高校生のお姉さんに見えた。

 話題が無いので、「あの美人のまゆみさんはどうしてるの?」と聞いてみた。
そしたら一斉にみんなから、
「何言ってるの。まゆみさんは森で死体で発見されたじゃない。」と。
びっくりした。そこから小学校の記憶がよみがえった。

先生が生徒の前で、
「まゆみさんは、また東京にかえりました。」と言ったはずだ。

でも、何となくうっすらと殺されたんだという記憶がもくもくとよみがえった。
強烈な言葉が埋もれていた記憶を連れてくる。

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マーガレット・トレイシー   「切り裂き魔の森」(角川文庫)

 1983年アメリカのアメリカ探偵作家クラブの最優秀ペイパーブック賞受賞作品。
この作品はサイコサスペンス作品。

  作品の登場人物も少なく、内容がダイナミックに変転するわけでもなく、それでいて300ページを超えている。内容からすると半分の150ページで十分に感じる。

 ところが不思議なのだが、全くだらける部分が無く、最後まで緊張しっぱなしで読んでしまう。

 コネティカット州スタムフォードとニューヨークの両都市の郊外に位置する田舎の村にニューヨークからポール・ホワイトと妻ホワイト夫人が越してきて、理想的な借家を見つけ住む。

 ポール・ホワイトは独り立ちした大工で、毎日修理する家にでかける。

  ある日、ポールは「今日は仕事で遅くなる。」と言ってでかける。ホワイト夫人が夕食の支度をしようとして、材料が足りないことに気付き、ポールに帰り道にスーパーによって、材料を買ってきてもらおうと修理の家に電話をすると、その家の奥さんが、もうポールは帰宅しましたと答える。

 ホワイト夫人はポールが浮気しているのではと疑うが、それをポールに問いただせない。

  そのうちに、大家さんから、最近、このあたりで主婦殺害事件が2件続けて起きていることを知らされる。そして、その2つの事件が起きた日はポールが仕事で遅くなると言って出て行った日であることを知る。しかも、倉庫内のロッカーから血のついたコートとナイフを見つける。もう自分の夫が主婦を殺害していたことは間違いない。

 悩んだ末、警察にポールが修理に行っている現場を、名前も告げず連絡する。「そこに殺人犯がいると。」しかし、警察はそんな不確かな電話を取り上げない。

 そのうちに、ある日ポールが「今日は遅くなる」と言って現場へでかける。

  ここからの物語の盛り上がりは見事。

 浮気の疑惑から殺人への転換、それからのホワイト夫人の動揺とそれに伴う、不安と恐怖いっぱいの行動。その描写と夫人の心の動きが読者にぐんぐん迫ってくる。

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星新一  「悪魔のいる天国」(新潮文庫)

 卓抜なアイデアと透明な文体を駆使して描きだす、ショートショート36編を収録している。抜きんでてこれはという作品は無いが、ショート短編を味わうならこの作品かと思えたのが「シンデレラ」。

 大邸宅の応接室で大富豪の老人と一人の男がむきあっている。男は探偵事務所を営んでいる。

 老人が、君の調査はいつもいいかげんで不十分。もう君を使わないようにするつもり。

男が縋り付く、
「そんなこと言わないでください。次はきちんと調査し、ご期待に必ず沿うようにします。」
「それじゃあ、調査をお願いするから、今度はきちんと調べてください。実は私には2人の子供がいて、長男にはこの事業を継承してもらって、長女にはこの屋敷をあげようと思っている。

 ところが20年前、長女を産ませた女とはそのとき手を切った。母親はすぐに死んだようだが、長女がどうなったかわからない。その長女を探してほしい。」
 「それだけでは、探すのは難しい。何か手がかりはありませんか。」
「長女はうまれてすぐに事故にあって、親指が無い。さらに尻の右側に火傷をおっている。今20歳。これだけあれば何とか探せるだろう。」

 調査費を前金として渡す。
「はい、何とか今度は探しだしてみせます。」

 数か月後、探偵が一人の女性を連れて老人の前に現れる。
「いろいろ大変でしたが、何とかお嬢さんを見つけてきました。」
女性には親指が無かった。「お尻もみますか。」「いいよ、そこまでしなくても。」
老人が言う。
「あの話は作り話だよ。何にも成果なしで、調査費をあげたら君の自尊心を傷つけると思ったから、作り話を話したんだよ。それにしても君はすごいね。本当に該当する女性を探してくるんだから。」

 こんな感じの話が36篇。少し収録数が多すぎる気がした。

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ピエール ルメートル 「その女アレックス」(文春文庫)

 イギリス推理協会小説賞受賞作品。日本でも翻訳小説部門で大賞受賞、週刊文春ベストサスペンス賞など数々の文学賞を受賞している名作。

 この作品は驚愕だ。

主人公の女性アレックスが、ある男に拉致され木枠の檻に入れられ監禁される。犯人はお前の死ぬところがみたいと言って食料も殆ど与えず、どんどん衰弱してゆく。警察が拉致場所を探すが、なかなかみつからない。やっと居場所を見つける。衰弱していたアレックスは何とか木枠から脱出する。アレックスは警察に保護されるが、犯人は走ってきたトレーラーにひかれ死んでしまう。これから、犯人を追いかけ、真相がわかってくる過程が描かれると思っていたが、いったいこの犯人とアレックスとの関係はと思っていたところで、犯人が死んでしまう、どうなるのこの小説、ここまで小説の殆ど半分が使われる。

 そして後半も面白い手法がとられている。
主人公アレックスの視点と、警察、主にカミーユの視点から章をわけて描かれる。

 そしてアレックスが男5人と女1人を殺害する。その一つ一つの殺害が、殺害に至るまでの過程と殺害方法が生々しく描かれる。ということは、読者は殺人事件の犯人は知っていて作品を読み進むことになる。

 これを警部カミーユが追うことになる。読者は殺人犯はアレックスとわかっているが、何でアレックスが何ら人間関係を持たない被害者たちを殺すのかが全くわからない。

 カミーユは殺された6人の繋がり、共通性を必死に追及する。そして、その共通性がだんだん明らかにされてくる。その真相に読者は驚愕する。

 時々、ルメートルのような手法で描くサスペンスに遭遇するが、ルメートルのように成功した作品にはなかなか遭遇しない。
 推理、サスペンスの両面から卓越した見事な作品になっている。

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星新一    「ノックの音が」(新潮文庫)

  すべての作品が「ノックの音がした。」から始まるショート ストーリー集。
どの作品もユニークで面白い。その中の「現代の人生」をとりあげる。

 主人公の山下友彦は27歳の男性。深夜、ベッドに入って眠ろうとしているが底深い悩みに襲われ全く眠れない。

 そんなとき玄関のドアを叩く音がした。それは鳴りやんだが、しばらくすると窓を揺さぶる音がする。驚いて布団にうずくまっていると、窓から男が侵入してきた。

 そして男は自分は泥棒だと言って、刃物を突き付けて金をだせと脅す。
友彦は「見ての通り、盗めるような物は何もない。なんでもいいからすきな物を、持っていってくれ」という。

 泥棒は部屋を探すが何もない。けちな部屋にはいってしまったと嘆く。そして友彦をみて
「顔が青白い。彼女にふられたという顔だな。」という。
友彦が「その通り。もう生きていてもしょうがないという気持ちだ。」と答える。

しばらくすると、また玄関をたたく音がする。
そして「警察です。山下さんドアを開けてください。」と声がする。

泥棒が驚く。友彦が言う。
「何もいいませんから、洋服ダンスに隠れてください。」
「そんなことを言って、俺を警察にさしだすつもりだな。」
「そんなことはしませんよ。そんなに疑うなら私が洋服ダンスにかくれます。あなたが山下になればいいじゃないですか。」と言って山下は洋服ダンスに隠れる。

 山下になりすました泥棒が、玄関をあける。
「山下ですが、何かあったんですか。」
警官がはいってきていう。
「女性の水死体があがりました。山下さん、殺人で逮捕します。」
泥棒は殺人犯で連行される。

 ウィットに富んでいて、楽しい作品だ。

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| 古本読書日記 | 06:34 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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アンソロジー    「時代小説の楽しみ2 闇に生きる」(新潮文庫)

 縄田一男が選ぶシリーズ忍法小説傑作選。
早乙女貢の特徴である色仕掛け小説「血汐鷹」が面白い。

秀吉の時代に外国貿易を認可された船にご朱印船というのがある。秀吉が与えたご朱印状をもっていないと貿易ができない。このご朱印船に9隻が認可された。認可をもらうためには、膨大な賄賂がいるが、認可されるとその利益もものすごい。

 豪商神谷宗湛はご朱印船の認可を受けられなかった。何とか、認可を受けるために謀を関係が深い石田光成と行う。そのために朱印船を認可されている、茶屋四郎次郎の追い落としを狙い、その代わりに認印状をもらおうと。

 戦いに顕著な業績があったり、秀吉に大きな利益をもたらすと、その見返りに俸禄をあげたり、領地を秀吉が与える。この場合、領地や俸禄だけでなく、秀吉のいらなくなった側女を分け与えられる場合も多い。

 小笛は鷹狩のとき秀吉の目にとまり、小笛が飼っている鷹とともに側女として召し上げられる。小笛が16歳の時、小笛を抱いてもいつも石ころのようになって歓びを発揮しない。秀吉は飽きてしまい、四郎次郎にあげる。

四郎次郎が小笛を自分の床によぶ。ままごとのような行為をしていると、宗湛の放った忍者才兵衛が四郎次郎を襲う。才兵衛はまず裸の小笛に体を合わせる。それを見た鷹が小笛を守ろうとして才兵衛を襲う。驚いた才兵衛が手裏剣で鷹の眼玉を突き刺して退散する。

 秀吉から賜った女が襲われ、鷹の眼が潰されたことがわかると四郎次郎は商売ができなくなる。
 四郎次郎も武芸者を雇い、才兵衛討ちをはかるがうまくいかない。

ある日、小笛が鷹の快癒を祈願しに、八坂神社までやってくる。宮司が社殿の中に案内する。宮司は才兵衛の仲間。才兵衛は小笛を裸にして襲う。すると鷹が才兵衛を襲おうと飛ぶ。

 小笛が大声で鷹にやめてと叫ぶ。鷹がやめると、小笛が懸命に才兵衛にしがみつく。
これは才兵衛を守るため色仕掛けの忍法?そうではなくて・・・。

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| 古本読書日記 | 06:31 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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トルーマン カポーティ  「ティファニーで朝食を」(新潮文庫)

 映画「ティファニーで朝食を」は高校生のとき観た。しかし、全く話の内容が理解できなかった。私の家は、都会とは縁のない、田舎の百姓だった。青っ洟をいつも垂らして、下駄で学校に通う高校生。恋物語がまず全くわからなかった。更にニューヨークの社交界。

毎週のように、しゃれたパーティが開かれ、洒脱な会話と豪華な酒がふるまわれ、美しい女性たちが、金持ちの男性に群がり、媚を売ることが繰り広げられる世界が、この世のものかとても信じられなく、画面をみてどこの世界のことだろうと溜息ばかりをついていた。

 映画は最後、ヘップバーン演じる、ホリーが可愛がっていた猫をタクシーから放り出し、主人公である僕ポールがタクシーから降りて、猫を探そうと走り出す。それを見ていたホリーが懸命にタクシーを降りて、ポールを追いかける。そして路地裏で猫をみつけたポールに追いつき、2人は雨の中でキスを交わすところで終わる。

 映画は、ホリーとポールのラブコメディとして描かれる。

 しかし、実際の小説とは全く異なる。
社交界のセレブの海の中で泳いで暮らすホーリーは何も働かず、男が貢ぐお金と高価な贈り物によってニューヨークで暮らす。一方、ポールは小説家を目指しているが、まだ一冊も世の中に作品を発表できていない貧乏遊民だ。

 物語はポール視点で描かれるので、ホーリーの本当の気持ちはわからないが、ポールは、ホーリーを心から愛しているが、ホーリーは愛してはいないように思えた。ホーリーの関心は、金持ちに取り入り、いかにお金をまきあげるかだけで、ポールなどは青臭く使い走りくらいにしか考えていないのではと思える。

 ホーリーに健気に接する男にしかみえない。

小説でも最後、タクシーから愛する猫をホーリーが放りだし、それをポールが追いかける。ここは映画と同じだが、この場面は、実はホーリーがブラジルに去ってしまった大富豪ホセを追って飛行場にホーリーをポールが送ってゆくところ。

 小説ではホーリーはタクシーは降りず、そのままブラジルに行ってしまう。ポールは猫だけ拾って自分の部屋に帰ってくる。

 その後日本の記者からアフリカでホーリーを見たとの情報がもたらされたが、ポールと再会するようなことは無かった。

 田舎の洟垂れ小僧は、美しい音楽ムーンリバーと永遠の乙女オードリーヘップバーンに完全に心を奪われる。あのヘップバーンがこんな汚れ役をやるわけがないという刷り込み状態で見たから、実際の原作に驚くばかりだ。

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| 古本読書日記 | 06:02 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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木皿泉     「木皿食堂」(双葉文庫)

 テレビドラマの夫婦脚本家、木皿泉のエッセイ、対談、ロングインタビューなどを収録。
木皿泉がギュっと詰まった一冊。

 ロングインタビュー、対談を読んでいると、木皿泉の脚本創造での苦闘、情熱が詰まっていることがわかる。しかし、何とも世界の片隅のなかで、語っている印象が強く、小さな世界の皮を破って、広がっていくような感じがしない。その小さな世界に共感する人たちだけと語り合っているからなのだろう。これがテレビドラマ創造の世界なら、テレビドラマの将来はあまり明るくないように感じる。

 木皿が、ダンボールで作られている財布を購入した。生ビールの生が切り取られて、財布に「生」の文字がついている。にせものの財布である。

 この財布に紙幣やカード、小銭をいれる。すると財布に入っている紙幣が偽物にみえてくる。そうするとうれしくなる。こんなものに人生がふりまわされている。それから解放されたような気がする。

 今はなんでもかんでも真実、本物でなければ社会が受け付けない雰囲気がある。

スーパーで安いカラスミを売っている。こんなに安くてほんまもんだろうかと疑ってしまう。それで、カラスミは買わずにカニカマを買って安心した気持ちになる。

 ドキュメンタリー作品といっても本当の瞬間など撮れることは少ない。それで、実際経験した人にその瞬間を実演してもらう。日本でこんなことをしてばれたら、ヤラセと大批判を受ける。

 東日本大震災直後、自治体が毎日の放射能を計測して発表していた。これが信じられないからといって、東京のある主婦が7500円で計測器を買って、毎日公園で放射能を計測していることが報じられていた。

 真実、本物はもちろん大切。しかしこんなせちがらい世の中、少し肩の力を抜いて、段ボール製の財布が欲しくなった。

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藤沢周平   「龍を見た男」(新潮文庫)

 短編集。「逃走」が面白い。

 主人公の銀助は、2つの顔を持つ。小間物を売りながら町を歩く。その町を歩きながら、盗みのできる家を物色する。盗人である。
こんな人間だから女房もいなくて、独り身だ。

 更に最近は、盗みを働いているのじゃないかと、目をつけられ岡っ引きの権三にずっと尾行されている

 ある日、銀助が通りを歩いていると、人だかりがしていて、その人だかりの前の家から大声の赤ん坊の声が聞こえてくる。そして、その家の夫婦が大げんかをしている。そして、夫は家を出て行ってしまう。

 その後銀助は、その家が心配になり、2回みにきている。1回目は子供は静かに寝ていて、母親が縫物をしていた。2回目に来た時は、子どもは大声で泣いていた。

 そして母親は夫とは別の男といた。母親は「別れるとわかっている男の子供を産むなんて」と嘆く。男と「こいつを殺すか。どこかへ捨てるか」と言い合っている。

 銀助は本職は盗人、男と女に気付かれないように、赤ん坊を盗み出し、背中に背負って、長屋に連れて帰る。
その途中でつけている岡っ引きの権三に会う。

 権三は赤ん坊をどうしたのだと聞く。「拾ってきたんだ」と銀助が答える。権三はそれ以上は何も言わず、にやっとして立ち去る。
長屋のおとらが、旦那が1週間ほど家を留守にしているということで、赤ん坊を預かってくれる。

 しかし旦那が帰ってくる日になる。乳はあげられるけど、預かることはできない。
仕方なく、赤ん坊を抱いて家をでる。

 盗人の得意技。何と岡っ引きの権三の家に忍び込み、赤ん坊を置き去りにして逃げる。

 権三と女房の声が聞こえる。
 「どうしたの。この赤ん坊」
 「捨てられていたので、拾ってきたんだ。」
女房が声をあげる。
 「わあうれしい。あたし子供が欲しかったんだ。」

 銀助が思わず微笑む。これで安心、もう権三も尾けてはこないだろうと思う。

 銀助と権三の関係が鮮やかに描かれている。

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森下典子   「日日是好日」(新潮文庫)

 この大ベストセラーの名エッセイが出版されておよそ20年がたつのか。

 大学3年性だった作者森下さんが従兄妹のミチコさんに誘われ、家の近くの茶道教室に通い、いろいろ人生にはあったが、25年ずっと通い続ける。長い茶道人生と重ね合わせ、茶道について15章で語りつくす。

 通常本を手に取ると、ここは作者が力を込めて書いているとか、鮮やかな表現だと感動する部分に遭遇する。それを知りたくて本を読む。つまり、作品は盛り上がったり、普通のトーンになったりと抑揚を繰り返す。

 しかしこの作品。すべての章が、印象深い内容、言葉がつまっていて、全く普通に流れる部分が無い。流石にこんな作品にであったことは無い。

 茶道はごくわずかの男性を除いて、習っているのは圧倒的に女性である。しかし歴史物を読むと、信長や秀吉、戦国武将は茶道に強い情熱を持って嗜んでいる。かって、茶道は男、武士の嗜み、教養の象徴だった。

 若い頃、親しい女性に誘われ、茶室に行ったことがある。茶室は小さな部屋で、入口は躙り口と言いちいさく這ってはいらなければならなかった。その躙り口には刀掛けという刀を置いておく場所があった。敵将であっても茶を楽しむ場合は、決して襲いませんということを示すため、と躙り口刀掛けについてはよく歴史物に書いてある。

 茶には「松風」という風の音が常に鳴り続けている茶釜がある。
お湯がわきはじめると、松風が「し、し、し、し」と鳴る。それが、時間がたつと「ヒェー」と変わる。

 その松風の音を聞いていると、瞬間、安寧が訪れる。心地よい無の瞬間である。
武士は外にあっては、常に死と向い合せにいる。
この茶室で、静かな安息、平穏をしばし味わう。

 だから、茶は男の嗜みだったのだ。

 それから森下さんのこの作品で感慨深く感じたところ。

 教育というのは、他人との比較でできるか、できないかを決める。それも期間が定められている。しかし茶道の世界では、20年前に先生の言ったことが、自分の人生と重ね会って、20年後にこういうことだったんだとわかる。つまり茶道は他人ではなく、昨日の自分との比較であるという。

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司馬遼太郎  「越前の諸道 街道をゆく18」(朝日文庫)

 福井県、越の国越前を縦横に歩く。

 福井県は越前紙で有名。

 紙は、平安から鎌倉時代にかけて、日本全国で作られるようになった。写経に使用するが非常に貴重品だったが、みつまた、こうぞを原料で製造するようになり、一般社会に普及した。

 それは、みつまた、こうぞを原料として使用すると、復元力が強く、大量に生産でき、安価になったからだ。

 室町時代にはすでに、懐紙、いわゆる鼻紙として一般に使われるようになる。紙はこの時代貴重品で鼻紙に使うことなどとても西洋では考えられない使用方法だった。

 江戸時代には寺子屋など学び舎がたくさんできた。この時代の日本の識字率は世界一だった。それが可能だったのは、紙が安価で作られていたからだ。

 一乗谷に城を構えた朝倉氏。この遺跡を発掘すると、多くの将棋盤、駒がでてきた。

 将棋はインドでうまれたものだが、西に流れてチェスになり、東に流れて将棋となった。

 平安時代の将棋は大将棋と呼ばれ、何と駒が68枚もあった。その中に「酔象」という駒があり、これが王のまわりを固める。「酔象」という意味は、王子という意味。仮に相手に王をとられても将棋は終わらない。この「酔象」が王に即位するのである。

 これは勝負が決まるまで長い時間がかかっただろうなと思う。

 神社の神はずっと大明神と言われてきたが、平安期、神仏習合が行われ、権現という仏教職の感じられる呼称が生まれた。
 秀吉は死後豊国大明神になったが、家康は秀吉と同じ称号になることを嫌い、東照大権現となった。

 司馬遼太郎の街道をゆくシリーズは知識の宝庫である。

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藤沢周平   「暁のひかり」(文春文庫)

 人足、荒くれなど、巷のはぐれ者たちの哀切を描く短編集。
2作目の「馬五郎焼身」が印象に残る。

  ほおずき長屋に住む、馬五郎は長屋の嫌われものである。誰彼の見境いなく口論し、ある時などは殴りつけ片輪にした相手がやくざ者で、次の日の夜、そのやくざ者の身内だというオオカミのような連中に囲まれ危うく命を落としそうになる。そんな馬五郎を長屋の住人は怖くて近寄らない。

 しかし、馬五郎は昔からこれほど酷い人間では無かった。変わったのは、6,7年前、女房おつぎと別れたころからである。

 馬五郎はおつぎと12年前ほおずき長屋にやってきた。そのころの馬五郎は木場人足で長屋から休まずに木場に通い、口数は少なく、まじめな人足だった。二年目には子供が生まれ、夫婦は子供をお加代と名付け可愛がった。

 そのお加代が4つの時、おつぎがお加代を連れ親戚の家に行った帰り、横川の橋で知り合いにあう。おつぎが話に夢中になり、気が付いたらお加代がいなくなっていた。おつぎは懸命に探したがみつからない。そして横川の橋にもどってきたとき、知らない男が水死体になっていたお加代を抱き上げてやってくるのを見た。

 馬五郎はそこから荒れた。人殺しとおつぎをののしり毎日おつぎを殴り倒した。おつぎは殴られても、殴られても、馬五郎に謝り許しを得ようとした。おつぎは馬五郎を心から愛していた。しかし見かねた家主の説得で2人は別れた

 それから、馬五郎は飲み屋の酌婦お角と知り合う。お角に結婚してもよいとの言葉を聞いてうれしくなった。しかしお角はいつ結婚するか問いつめても、確定したことは言わない。

 ある日やくざのような男と体を寄せ合っているお角を馬五郎が見る。馬五郎は怒り、男に向かって殴りかかったが、男に返り討ちにあい、完全にうちのめされ、血だらけになって意識がなくなってしまう。

 気が付くと、おつぎが懸命に馬五郎を手当していた。おつぎは、馬五郎が動けるようになるまで馬五郎の家にいると言う。

 そして、今結婚相手を紹介されていると言う。馬五郎は「いい話じゃないか。」おつぎは涙をためて「今でもあんたが好きだ。」というが「無理だよね」と言って馬五郎の傷が癒えたとき家をでてゆく。

 馬五郎がある日、通りを歩いていると火事になっている家の前を通る。女が家の前で「おみつ」と絶叫している。集まっている人たちはもう無理と言い合っているが、馬五郎は燃えあがっている家の中に飛び込む。しばらくすると小さい子を抱いた馬五郎が家の仲から飛び出てくる。幼い子はお母さんに抱きすがる。

しかし女の子を抱いてきた馬五郎は崩れ落ち、そのまま火にくるまれ死んでしまう。
 こんな話を、藤沢の端正な文章で描かれたら、たまらなくなり、ずっと余韻が収まらない。

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| 古本読書日記 | 06:25 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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藤沢周平  「人間の檻 獄医立花登手控え四」(文春文庫)

 人気シリーズ立花登シリーズ第4作目。短編連作集。
 
 畳表問屋大黒屋、主人の吉兵衛は3年前から腎の病で寝たきりになっている。それで店の切り盛りは女房のおむらがしている。その大黒屋で商用でやってきていた同業の槌屋彦三郎が殺される。殺害者は大黒屋の手代新助である。

 この事件。起きた時間が今の夜9時。手代の新助が打ち合わせのため、おむらの部屋を訪れると、彦三郎がおむらの上にのり、いやがるおむらを犯そうとしていた。それで手代の新助が彦三郎の首を締め上げ殺害した。さらに、彦三郎が持ってきた百両が消えていた。

  この百両、槌屋の帳簿にも、大黒屋の帳簿にも載っていない。

 新助は人殺しで、当時の刑罰は死刑相当なのだが、おかみさんの危機を救ったということで島流しに減刑され、八丈島に送られる日が迫っていた。

 この事件には2点の疑問がある。

 だいたい、商用の打ち合わせに夜しかも9時にやってくるものだろうか。ということは、おむらと彦三郎はもともと男女関係があったのではないか。しかも、手代の新助が偶然におむらの部屋の前を9時に通り異変に気付くことも不思議。おむらが予め9時に部屋に来るように新助に指示していたのではないか。

 更に百両はどうなったのか。
これに立花登が挑む。

 結果。おむらは夫が長い間患い、ずっと夫婦の交わりがなく、欲求不満だった。それで彦三郎に百両で身体を売る。

 当然手代の新助とも関係があったと思えるが、そこははっきりさせていない。しかも新助は流罪になる。しかしおむらは大丈夫だ。すでに奉公人の竹次郎と良い仲になっている。

 何だか、大黒屋主人の彦三郎が気の毒になる。
 しかし、こんな話は今の時代、いたるところでありそう。

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| 古本読書日記 | 06:21 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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藤沢周平    「市塵」(下)(講談社文庫)

 新井白石が将軍家宣時代に行った改革は主に3つ。

通貨吹きかえ。長崎貿易の縮小。朝鮮通信使の待遇の簡素化。
この中で、面白いと思ったのが、白石が行ったのではなく当時勘定奉行だった萩原重秀が行った政策。これに白石が反対した。

 綱吉時代に大きな普請を行い、幕府の資金は底をついていた。新将軍家宣が正室を迎えるために江戸城の改築が必要となった。しかしその費用をどうするかを白石が勘定奉行萩原重秀に尋ねると、金庫はからっぽでそんなお金は無いと言う。

 しかし重秀は言う。
 お金は中身ではなく、幕府が発行するから、人々は信用して使う。先代に使われていた元禄通貨と今の宝永通貨の金銀の含有量を減らす。例えば、含有量を三分の二に減らせば、通貨の枚数は1.5倍、500万両のお金が750万両に化ける。化けた250万両を幕府の金にすればいい。

 しかし、同じお金でも、明らかに先代の通貨とは違った。こんなことを、人々が知ると、モノの価値はさがり、ものすごいインフレが社会を覆った。人々の暮らしが一気に窮迫してしまった。

 白石は市中の通貨を回収して、金銀先代と同じ含有量の通貨をふきかえ製造してインフレを防いだ。

 このからくりが他の老中にはわからない。お金がたくさん生まれるのならとみんな萩原に賛成する。これを白石が老中間宮を使って説得する。説得が難しい。

 萩原重秀は通貨の吹き替えをどうしてもやりたい。作った通貨は幕府にも収めるが、自らの懐には、金銀でいれるから。悪の典型。萩原重秀。
 どこかの国でも行っていそうだ。

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| 古本読書日記 | 06:24 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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藤沢周平     「市塵」(上)(講談社文庫)

師匠儒学者木下順庵の推挙により、徳川天領地甲府藩の仕官となった新井白石。当時徳川将軍だった綱吉の後を継いだ甲府藩藩主徳川家宣とともに江戸に登り、幕府に老中間部詮房とともに登用され正徳の治を行った新井白石の半生を綴った作品。
白石が「進呈之条」で書いている。

「いにしへを知るといへども、今を知らざれば所謂春秋の学にあらず。」

歴史や古典をいくら極めても、今を知って批判変革できねば、「春秋」を作った孔子の志に悖ると多くの儒学者を批判して、積極的に白石は政道に参画してゆく。
白石の業績も素晴らしかったが、上巻では先代将軍綱吉の悪政ぶりの描写に目が点になった。

  治政より徳目を重んじる政治だった。この場合、治政者が冷酷無比だった場合、政治は苛政の相を帯びる。

 綱吉が将軍だった29年間に取り潰し、減封、免職を受けた藩主、藩は46家にものぼった。

 そして最悪の法律が「生類憐みの令」だ。人間より犬、猫の命が大切という法律。この法律により、処刑されたり、処罰された人は数十万にのぼった。

 噛みつく犬を斬ったため八丈島に遠島になったもの、吹きやでつばめを射落としたために、死罪、流罪になった武家の親子、顔を刺した蚊を手で打ってつぶしたのを見とがめられて、伊東淡路の守は処罰され、一緒にいた朋輩の井上彦八はその報告をしなかった罪で閉門となる。

 江戸の庶民は家の前に水をまくのをやめた。水をまくとボウフラが沸く。それを誰かが踏みつぶすと、家のものが踏みつぶしたと思われ処罰されるからだ。

 そして本命は犬。人々は犬とかかわるのを極端に恐れた。それで野犬が溢れ、幕府は中野に16万坪、大久保に2万5千坪に犬小屋をつくり、野犬を収容した。その数は4万8千7百匹に達した。

 この犬を一日10匹あたり、白米三升、味噌百匁、干井鰯一升を与えて養った。犬の食料は年貢、税金とは別に人々から取り立てまかなった。

 ひどい悪政だが、世界のどこかにこんな国がありそうだし、またちょっと間違えばこんな国になってしまいそうとも思ってしまった。

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宮本輝    「野の春」(新潮文庫)

 会社に入って最初の赴任地が大阪だった。そこで一緒だった1年先輩の人が、彼の兄が売れない作家の支援をしているということで、確か伊丹のアパートにその作家を訪ねたことがあった。お兄さんはこいつは大作家になると彼に発破をかけていた。

 その人が作家宮本輝だった。

 しばらくして、「泥の河」で太宰治賞、「蛍川」で芥川賞受賞。大作家への道を歩みだした。そんな経過から、宮本作品は全作読んできた。

 それから10年近くたって新潮文庫より「流転の海」がでた。作品は松坂熊吾(宮本輝の父がモデル)焼け跡大阪駅に立って、戦前からやっていた自動車部品販売の松坂商会を再立ち上げするところから始まる。この昭和22年に息子伸仁(宮本輝がモデル)が誕生している。この物語は壮大なドラマでここで紹介した「野の春」で完結。実に9冊に及び「流転の海」から34年の歳月を経ている。

 偉大な作家というのは、文章力がすごいのは当たり前、最も重要なのは類まれな想像力を持っていることだ。

 これだけ大河小説を書けるのだから、お父さんとは親密な関係だったと想像する。しかし、そうは言っても、お父さんやお母さんをはじめ登場人物が遭遇した出来事を詳細に語ってくれるとは思えない。

 並んだ箇条書きのようなものが目の前に置かれる。この箇条書きの間を宮本さんのたぐいまれな想像力が埋める。それが実に効果的に埋まる。まさに想像力が結実した大作だ。
 
熊吾が伸仁になべ焼きうどんを食べながらいう。
「わしは若い頃からお天道さまばっかり追いかけて失敗した。お天道様は動いちょるんじゃ。ここにいま日が当たっちょるけん、ここに座ろうと思うたら、坐った途端にもうそこは影になっちょる。慌ててお天道様の光を追って、いまおったところから動いて、日の光のところへやっと辿り着いたら、またすぐにそこは影になった。そんなことばかり繰り返してきたんじゃ。じっと待っちょったら、お天道様は戻ってくる。お前は、ここに居場所を決めたら、雨が降ろうが氷が降ろうが、動くな。春夏秋冬があっても、お天道様が必ずまたお前を照らす。」

 物語の最後近くの父親の人生を振り返っての言葉だ。近いことを熊吾がしゃべったとは私は思えない。父親の人生を振り返り宮本さんが総括した言葉だと思う。

 熊吾が体が不自由になり、病院のベッドで動けない状態になる。伸仁が行くと、いつも汚物でマットやシーツが汚れてしまっている。伸仁が叱る。そのためにブザーがあるんじゃないか。これを押せば、看護師さんがきてくれるのだ。

 すると父親熊吾が言う。
「看護師は他人じゃ。」この場面もいいな。

宮本さんの34年間の偉大な業績を讃えたい。

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菊池寛     「受難華」(中公文庫)

 昼ドラで有名になった菊池寛の「真珠婦人」。それを凌ぐとも言われている大正時代エンターテイメント作品。

 女学校の卒業を控えて、友達同士の照子、寿美子、桂子の3人は、「三人が皆結婚してから、一年目に、三人で会って、結婚生活の報告をすること。」と約束を交わして、女学校を卒業する。

 結婚は絶対しないと言っていた寿美子。いつも、朝駅でであう法政大学の男性から声をかけられ、恋に陥るが、その男性には妻子があった。それで、いろんな魅力いっぱいの見合いが申し込まれるが、すべて断る。父親がかって事業での失敗を助けてくれた大銀行の頭取の息子、父親から強く懇願され、愛のない結婚をする。

 桂子は、結婚後、京都より女性が赤子を連れて現れ、夫には女性がいて子供までいることがわかり、絶望的な結婚をしてしまったと悟る。

 最も大正時代と思わせるのが照子。結婚を誓いあっていた男性が外交官でフランスの大使館に赴任する。赴任する前夜に二人は愛の交歓をする。ところが男性はフランス赴任中に病気で死亡。そのことを日本に帰ってきた同僚が知らせる。その知らせた男性と結婚する。

新婚旅行の初めての旅館で、相手の男性が「自分は女性と何人か過去に関係をもっている。」と告白する。それで桂子も思い切って「実は自分もパリに赴任した男性と関係した。」と告白する。大正時代には女性が結婚前に男性との関係があることは、男性にとってはあってはならないこと。男性は新婚旅行をとりやめ、東京に帰ってくる。

 この3人の女性たちの受難を克服してゆく姿が、ユーモアを交えて描かれる。

妻子がありながら交際をしていた、寿美子が結婚後にあった、初恋の男の寿美子への語りが印象深い。

「何も愛し合っているからと言って、無理をしてまで夫婦になる必要はないと思うのです。世の中に、何物よりも僕を愛してくれるあなたが存在するということは、僕にとって、一つの力です。信仰です。
 われわれの運命が、めぐまれないからといって、ジタバタとさわぐより、じっとそれを堪え忍んで行くところから。本当にわれわれの運命が拓かれていくのではないでしょうか。僕は、あなたがほかの方と結婚したからといって、あなたを失ったという気は、ちっともしないのです。あなたも、僕があなたと結婚しないからといって、僕があなたのものでないとお考えにはならないでしょう。」

 大正時代では真剣な告白になるだろうが、現代では調子のいい無責任な別れの告白になるだろう。

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藤沢周平   「義民が駆ける」(講談社文庫)

 天保一揆、天保義民事件といわれている、三方国替え、越後長岡藩への転封を強いられた荘内藩の顛末を作品にしている。

 川越松平藩は借金が膨大になり、お金が底をつき、藩の運営ができないところまで追い込まれていた。そこで、幕府から借りたたくさんのお金を老中に賄賂として贈り、それをてこに当時裕福だった山形荘内藩への転封願いを申し出ていた。川越藩は14万5千石、荘内藩は15万石しかし実際は20万石あった。

 賄賂により、幕府は申し出を受け入れようとしたが、何の理由もなく転封を命令するのはまずいということで、転封対象を三藩で行うことにする。

 川越藩は荘内藩へ、荘内藩は長岡藩に、長岡藩は川越藩にと。しかし、荘内藩は15万石の藩だが、長岡藩は7万石。この転封は荘内藩が大損となる。そのため荘内藩の転封に理由をつけなくてはいけない。

 荘内藩主酒井忠器が酒田を視察した際、酒田の豪商本多が華美な接待をした。当時は老中水野忠邦が「倹約令」を発布していて、これに違反するということを理由付けにした。しかし忠器の酒田接待は、三藩転封を命じた十年前のこと。しかも、接待くらいで転封されるなんてありえないこと。明らかに川越藩の賄賂にこたえるための命令だった。

 ここからが、そんなことあり?の世界が展開される。
何と農民が、百姓たりといえども二君にはつかえずとの声をあげ、長岡への転封に反対してたちあがる。

 そして、百姓が波状攻撃のように次々江戸にでて、老中が駕籠で移動中に、嘆願書をわたす。

 この百姓の姿や意志が強く変わっていく様を簡潔に鮮やかに藤沢が描く。
「百姓たちは、大吹雪の中を何度も強風に転び、腹の底まで凍えながら、髭につららを下げて山を越え、秋田領に抜けた。そのあとも雪に悩みながら、眼もくらむような谷を見下ろす道をたどって、漸くここまで来たのである。彼らは今、その辛苦をいとおしんでいた。それがむなしいものになることに抗っていた。そしてじっさい、彼らは辛苦に鍛えられて、わずかに驚くほど意志強くもなっていたのである。」

 それにしても、藩主がかわるだけで、百姓がこんなに大騒ぎするものだろうか。違和感があり、物語に入っていけない。

 そして、唖然としたのは、百姓たちの抵抗だけの理由ではないが、何と幕府が一旦だした命令を撤回したのである。
 藤沢周平の想像物語も現実ばなれしていると、がっかりしていたら、何とこの物語が実話だったと知り、びっくり仰天。

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藤沢周平   「周平独言」(文春文庫)

 藤沢周平初めてのエッセイ集。

私の家は里山部落の百姓だった。会社を退職して、結構たくさんの知り合いが土地を借りて小さな農業をしている人がいる。健康のためにやったらと時々勧めてくれる人もいる。
しかし、農家のまねごとだけはしたくない。

子供のころは、春と秋に連続学校が休みになった。春は田植え休み、秋は稲刈り休み。普通学校が休みになると、子供は喜ぶものだが、私はこの休暇になる日がくるのが苦痛だった。
完全に子供は労働力としてあてにされた。夏休みも一日も休める日は無かった。

 藤沢周平の子供のころの農作業の記憶と、秋の庄内平野の美しさがエッセイで描かれる。
「子供は、田植え、稲上げといった時期には、張り切って働く。・・・稲上げのときも、小さな子供でも一丸(稲束を、米俵ほどの大きさにまとめてくくったもの)ぐらいは背負う。小学校の高学年になると、二丸から三丸ぐらい背負った。道には荷馬車が来ている。遠い田圃から道まで、そうして稲を運び出すのが、稲上げの時の子供たちの仕事だった。

この運搬の仕事に使うのが、荷縄、ばんどり(背あて)、やせうま(背負子)だった。
子供のころ、父親と二人で、ばんどりで山から柴を背負いだした。

 田植えも稲上げもきつい仕事で、しかも一週間は続く。大人も子供もくたくたに疲れる。

 稲上げが行われる時期の庄内の野は美しい。空は真っ青に晴れ上がり、田の隅に芒の穂が陽に輝き、その上を赤とんぼの群れが飛ぶ。そして平野の北から東にかけて、遠い空を区切って出羽丘陵が走り、月山、鳥海山は頂上から七合目のあたりまで、紅葉で染まっている。

 おやつを食べ終わった子供たちは、とんでもない遠いところまで行って、いなごを追いかけたり、たにしを拾ったりする。その鋭い叫び声と、山のように稲を積んで道をゆく、馬車の重い轍の音がひびきあうのである。」
 私の子供のころの情景が目の前に浮かんでくる描写である。

藤沢周平の熱狂的ファンは、藤沢文学の通底して流れるこの情景をしのばせる物語に魅了されている。

 ということは、こんな情景を見たり、経験してきた人以外は藤沢作品に共感できる人はいないような気がする。団塊の世代からその上の年代の人々。ということは、だんだん藤沢作品を読む人は少なくなってくるだろうと考えてしまう。寂しくなる。

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藤沢周平    「決闘の辻 藤沢版新剣客伝」(講談社文庫)

 藤沢では、珍しい。藤沢は通常、作者が設定した藩を舞台に、現在のサラリーマンの日常の生活感情に近い藩士、無名の剣の使い手たちを造型して物語を描く。しかし、この作品では、歴史上実在した剣豪を主人公にして、藤沢なりの解釈を加えて描く異色短編集。

 しかも、冒頭の作品「二天の窟」は生涯60余の対決すべてに勝利したと言われている宮本武蔵を取り上げている。

 武蔵は晩年、熊本城主細川忠利に命じられ、兵法三十五か条の覚書を献じたことで、藩に賓客として招かれていた。
 武蔵はその頃、霊巌寺の窟で「五輪書」の執筆にかかろうとしていた。

ここに浪人鉢谷助九郎が武蔵と対決しようと登場する。

 武蔵は当時、すでに老年の域に達しており、体がだいぶ衰えていた。このまま闘えば、負ける。

 闘いは、助九郎が圧倒的に攻め、武蔵必敗の状況だったが、途中で武蔵が闘いをやめ、引き分けにしてしまう。当然助九郎は武蔵に勝利したと思った。そこで、助九郎が熊本を去ろうとする。

 しかし、藩主が武蔵を厚遇しているのは、武蔵が無敗の剣豪であること、また、必勝の兵法書「五輪書」を執筆しようとしている最中、助九郎が「自分は武蔵に勝った」と吹聴されると、熊本から追い出されるし、だれも「五輪書」に見向きもしなくなる。それが武蔵に恐怖を募らせる。

 それで、武蔵は、助九郎の通り道のススキの原に隠れ待ち伏せして、そこから飛び出し助九郎を刺殺する。

 それで武蔵は安心して窟にとじこもり、「五輪書」の執筆に専念する。

令和の今でも、権力者が自分の権勢を維持するために、同じようなことが起きていると思わせる作品だった。

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