作者西川が監督して映画化もされている、話題になった作品。
人も一人、一人個性や考え方も違うように、家族もその在り様は、家族により異なる。だから同じ悲劇が起こっても、家族により受ける衝撃、対応の仕方もことなる。
この作品、作家でテレビコメンテイターもしている主人公衣笠幸夫の妻夏子が大学時代友人ゆきとバス旅行にでかけ、途中バスが道路をはずれ川に転落、ゆきも夏子も死んでしまう。
幸夫と妻夏子の関係は完全に当時冷え切っていて、幸夫は妻の携帯から「もう愛していない。ひとかけらも。」というメッセージがあることを知り、自分も同じ思いを感じていたとつぶやく。何しろ、夏子が亡くなった日には、愛人を自分の家で抱いていた。
一方ゆきの家族は、夫陽一はトラックの運転手で、長距離運転もあり、泊りもあるし、帰宅も夜遅いことがしばしば。しかも小学生と保育園児の息子と娘を抱えている。
幸夫は妻が亡くなっても、全く悲しくないし、涙も一滴もでない。互いに憎しみあっていたのだから。しかし、大きなバス事故にあい、作家で、テレビでも活躍しているとあって、社会やマスコミは愛妻を失った悲劇の作家だと、ステレオタイプの見方でレポートする。
そしてドキュメンタリーテレビ番組が作られる。そのタイトルが
「祈り:雪柳湖バス転落事故の記憶―作家津村啓(幸夫のペンネーム)・愛する人の死をこえて」。映像での場面、表情も悲しさを誇張するように撮影され、語る言葉も殆ど台本がある。
一方ゆき、陽一家族は保育園児や小学生を抱え一気においつめられる。息子は塾へ行けなくなってしまうし、娘の送り迎えや、家事ができなくなる。典型的な世の中がステレオタイプで思われる悲劇家族。
亡くなった夏子とゆきが友達だったことで、幸夫が子どもの世話を申し出る。そして、陽一家族は救われ、どん底への転落は免れる。一応作品では幸夫も家族のすばらしさを知って人生が変わってゆくように描かれていると思われるが、実際はそうでは無い。
あることがきっかけで、幸夫は支援の手を引くと宣言し実行する。
その途端に陽一家族はまた一気に追い詰められる。そして陽一はトラックで仕事中に山梨で、デリヘル嬢に暴行を働くという事件を起こす。
著者西川さんは、事の是非を問うのではなく、個人の在り様、家族の在り様の違いを読者の目の前に提供する。
ただ、人間も家族も自分のことはいつも言い訳だけが発せられ、他人には批判だけがなされる。それで「長い言い訳」ではなく「永い言い訳」というタイトルになっている。
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