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2021年02月 | ARCHIVE-SELECT | 2021年04月

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みうらじゅん他 「清張地獄八景」

ゼロの焦点の感想を書いたとき、
「「主人公と犯人が崖の上で相対する」というベタなシーンの原型」と書いていますが、
みうら氏もそこを熱く語っています。
現場まで取材にも行っているし、他の人との対談でもこのネタをねじこんでいる。

執筆部屋が再現されている記念館は興味があります。
が、北九州は遠い。飛行機使わなきゃ行けない。
退職するか、気楽に三連休とれる状況になったら、行ってみたいですね。
(ついでに、大宰府で飛梅を見てみたい)

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北村薫氏と有栖川有栖氏は、あんなのトリックじゃない、必然性がないとツッコむ。
「点と線」のあれが有名だし、堅くなったフランスパンが凶器だし、
本人もトリックの一覧表を作っていたそうです。
奇抜なトリックより、動機やドラマで読ませるものが多い印象ですね。

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大極宮のトークショーは、大沢氏が「自分の本を読んでくれ」とか、
「自分は清張氏と違って夜は執筆せず、ネオン街へ取材に行く」とか、
なんか……うん、あまり松本清張について語っている印象がない。
一応、「今の時代に、清張さんのような作家が出るだろうか? 待っているぞ」
という雰囲気にはなっているけれども。

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岩下志麻が、「鬼畜」の撮影で子供を虐待する役にのめりこみ、
子役に本当に嫌われたとか、バランスとるため自宅では我が子を甘やかしたとか、
テレビで見た知人の子に「おばちゃんひどい」と本気で非難されたとか、
そういうエピソードは面白かったです。

押したら最後、底無しの「生き地獄」へ転落してしまう「清張ボタン」
「拐帯行」の主人公のように、踏みとどまって戻ってくる登場人物もたまにいます。
「女囚」のように、乱暴者でごくつぶしの親父を殺して本人はすっきりだけど、
遺された妹は「加害者親族」として「生き地獄」ということもある。
「熱い空気」のように、調子に乗ったいたずらで転落することもある。
なるほど。

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松本清張 「事故」

爺やの感想にある通り、「熱い空気」は「家政婦は見た」の第一話原作だそうです。

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弁当に唾を吐き、旦那様と愛人の手紙を書斎で探し、
子供をそそのかして事件を起こし、傍観者ではなく加害者ですがね。
ドラマはもっと、盗み聞き程度のものじゃないかと推測する。
そして、あとがきに酒井順子さん。
「幸福な家庭をひがんで、引っ掻き回す女の心理がわかるだろう」
という意図を感じる。

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「事故」もなかなか面白いです。
浮気現場を押さえるために、玄関にトラックを突っ込ませるというのは派手です。
清張といえば、電車の発着時間をちゃんと記載するのが定番。
「零時一二分に上り小淵沢着があり、下りは二時四八分がある」
「大月着二十四時、二十三分後に出る長野行準急に乗り換えた。
 田中は小淵沢駅で降りた。彼は駅員の印象に残らないように苦心した」

ググってみました。
小淵沢の塩尻方面は、二十二時三十分(普通) 二十三時二分(あずさ) おしまい
昔の方が、電車が多かったんですね。自動改札でもなかったし、駅員も大変だ。

| 日記 | 00:30 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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松本清張 「危険な斜面」

爺やの感想はこちら

「清張地獄八景」で、勧められていた短編「二階」を読みたかったので。
短編集はいろいろ出ているので、「危険な斜面」「拐帯行」「巻頭句の女」
……何となく覚えがあるものばかり。
三面記事の男と女という切り口の短編集で、表題作は読んだことがあります。

「二階」
心中した夫(不治の病)と愛人(看護婦)を見つけ、それで終わらない。
愛人の死体をどけて、自分が夫の横に寝て、二人の遺書は燃やして、
「心中する私たちに、看護婦が付き合ってくれるそうです」という新たな遺書を残す。
女のプライドですな(*´ω`*)

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爺やの取り上げた「失敗」も、ガチな殺人はない話。
今でも刑事が張り込みでどこかの家に泊まり込むんですかね。
鬼平だと、
「見張るのにいい店はないか? つなぎにはこの寺を使おう」
「向かいの仏具屋喜兵衛は、口が固く信頼できます。二階を借りましょう」
みたいなくだりがよくありますが。

シールのコートがどんなものかわからず、ググりました。
アザラシの毛皮ってことですかね。

| 日記 | 00:19 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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上野千鶴子 「老いる準備」

行政でもなく、営利企業(ワタミとかコムスンとか)でもなく、
協同組合が主体の介護がいいという本でした。
ボランティア精神をあてにした運営では破たんが目に見えている。
手の空いた主婦たちも、最低賃金ならヘルパーなんてやろうと思わない。
コープだったら、まぁまぁの給料を払えるとかなんとか。

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 「かわいい」というのは、女が生存戦略のために、ずっと採用し続けてきた言葉である。
 かわいければ、めんどうをみてもらえる。かわいければ。得をする。
 「かわいいおばあちゃんになりたい」というのは、
 女が依存的な存在として生き抜いていくための生存戦略というべきものであった。
 年寄りがかわいくても、かわいくなくても、生きていける社会を作る方が大事ではないだろうか。

ヨシタケシンスケ氏は、「思わず考えちゃう」で、
「世の中の悪口を言いながら、そこそこ幸せに暮らしましたとさ、
 っていうのが理想の老後だなって思ったりするわけです
 何でもかんでも、全て手に入れた人が一番最後に何をするかって言ったら、
 何か身近な人の悪口を言うんですよ、やっぱり」
と書いている。

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はなゆめママがフォローしているインスタでも、80代姑がディメンターに例えられていた。
(「アラカン主婦の毒吐き日記」として、書籍化もされている)
素直に感謝し、老いては子に従い、ニコニコしているおばあさんより、
愚痴の多い、かわいくないおばあさんが、しぶとく長生きするものです。
もちろん、老いて謙虚な性格になるなんてことはない。

| 日記 | 00:15 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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下川裕治  「週末台湾でちょっと一息」(朝日文庫)

 この本は、タイトルとは関係なく、著者下川と同行カメラマンが、台湾に行こうかと決め、2人で気ままに歩いた台湾旅エッセイである。

 そして、そこで経験したことはタイトルと関係なく、文章にしないと一冊の本の厚さにならないから、書いて本にしたという作品。週末に台湾でも行こうかと思って購入しても殆ど参考にならない。

 台湾は、大戦後、中国で内乱が起きて、毛沢東率いる中国共産党が国民党に勝ち、国民党が逃げた先が台湾。中国からやってきた人々が本省人で、もともと台湾に住んでいた人が内省人と言われ、対立している。

 わかりにくいのは、国民党は中国よりと思われているが、国民党こそが中国の正当政府、いずれは中国共産党と戦い勝利し、中国統一を実現することを政党の基盤としていること。

 ということは中国共産党にとっても、国民党にとっても台湾は国家ではなく中国の一地方の省と考えているのである。

 これに対し、完全に中国から独立して一つの国家を目指すのが今政権をとっている民進党。それで台湾には省の行政を司る中興新村という都市が台北とは別にある。しかし、台湾の行政はすべて台北で行われ 省都である中興新村には行政機能はほとんど無い。

 下川の旅のスタイルはバックパッカー。
台湾には、屋台村に似たような小さな食堂街、夜市がある。バックパッカーが出入りする場所である。それで下川は作品の多くをこの夜市の描写に割く。

 この夜市は客の回転が勝負なので、酒類は提供しない。だからコンビニで酒類を購入して持ち込む。しかし店はこういう客は嫌う。

 この夜市で食べて感動した料理。カレーライス。台湾は日本の占領下にあったので、カレーが食べられる。そのカレーはカレーに小麦粉を混ぜ合わせてつくったもの。小さい頃母親が作ってくれたカレーと全く同じ。かあさんの味だと下川は感動する。

 その次に感動した食べ物がいなりずし。幼き頃の食べ物が台湾に行けば堪能できる。
でも下川には申し訳ないが、週末飛行機まで使って、台湾までカレーや稲荷ずしを食べに行こうかという気分にはとてもなれない。

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司馬遼太郎  「街道をゆく16 叡山の諸道」(朝日文庫)

 比叡山には一度行ったことがあるが、バスツアーだった。地形や、どんな寺が存在するのか殆ど知らない。この作品司馬の深い知識があふれ出していて、その知識についていけなくて、読むのが苦しかった。

 遣唐使で天台宗の教義資料を持ち帰った最澄は、比叡山に入って、教義体系をまとめようとしたが、生前中にまとめることは出来なかった。世間では同じ遣唐使で真言密教を持ち帰った空海が尊敬を集め、更に依然として奈良仏教の力が強く、天台宗の力は衰微してゆくばかりだった。

 当時は寺同士が相手と論を戦わせ勝負する論駁会がよく開催された。最澄は論を展開する力が弱かった。本当は最澄の天台宗こそが日本を支える仏教であらねばならないのに、奈良仏教と戦うとことごとく負け、いつも奈良仏教の後塵をはいしていた。

 街道をゆくシリーズで司馬さんが会津の道でも、書いていたが、何しろ会津の私僧である徳一にも論壇戦で負けてしまうのだから。

 しかし最澄が亡くなった後、しばらくたって登場した直系の弟子ではなかった良源、元三大師が、南都奈良仏教を論壇で見事に論破して、ここから比叡山はよみがえった。天台宗の中興の祖と良源は言われている。
 良源と奈良仏教との論駁戦描写は迫力があった。

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朝日新聞社   「子どもと貧困」(朝日文庫)

 平成28年度「国民生活基礎調査」によると、日本の子供の相対貧困率は15.6%。これは世界OECD加盟国の平均より高く、子供、7人に1人が貧困状態にあることを示している。40人学級では、7人の貧困の子供が存在するということだ。

 毎朝元気に集団登校をする小学生に出会うが、とてもその中に貧困の子供がいるようには見えない。そんな状態なら、学校の先生は大変だろうと想像する。

 長野県のあるシングルマザー(30)の子供の食卓。
白飯、サラダ油、しょう油。

 これを箸でかき回して食べる。かわいそうにと思うのだが、長女も次女も「おいしいよ」と声をあげて食べる。以前は缶詰を分け合って食べられたが、今や缶詰も買えなくなった。2人の子供はお腹がすくとティッシュを食べると言う。そして「ティッシュは甘くておいしい。」と言う。涙がでるような話だ。

 こどもの貧困の親は半分がシングルマザーだ。離婚して子供を引き取っても、相手が養育費を払わないケースは8割以上。更に今はコロナで失業したり、雇い止めになる非正規社員の人が多く発生し、貧困化率は更に悪化することが予想されている。

 両親が離婚すると、どちらの親が子どもを引き取るかを決めるために子供に聞く。しかしこの質問には欠陥がある。「どちらもいやだ。」。という質問が無い。もしこの質問があれば、結構この答が多くなりそうだ。両親が子どもをネグレクトしている場合が多いからだ。

 子供は国の最も大切な財産だ。現在の貧困率が続と49.2兆円の経済損失になるという試算もある。
 国や地方行政にもさらに強調したいのだが、地域一丸となって子供を育てることを最優先の課題と認識して、活動方針も変えるべきだと思う。

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常見藤代   「女ひとり、イスラム旅」(朝日文庫)

 このような旅行記は殆ど一人で旅行しているように描いているが、大概出版社の編集者が誰かが同行している。しかし、この旅行記は著者常見さんが、たったひとりで旅行している。

 しかも旅行した国が、チュニジア、ヨルダン、パキスタン、モロッコ、オマーン、エジプト、シリアととても女性が一人で旅行するような国ではない。そして常見さんの性格が反映しているのか、どこの国でも、一人ならではの、楽しい経験をしている。なかなか素晴らしい旅行記だ。

 チュニジアでは結婚式に参加している。

新郎のワリドさんが通りがかったゼイナブさんに一目ぼれ。彼は家に帰って父親にゼイナブさんと結婚したいと言う。父親はゼイナブさんの家に行き、ゼイナブさんに会ったり、一家の生活ぶりを確かめる。ゼイナブさんの両親がOKし、父親も嫁にもらってもよいと判断して、婚約ということになる。それからでも2人で会うことは無い。必ず両家の家族をいれて会う。2人の結婚は何と婚約してから3年後。

 どうして3年もかかるのか。それは夫の資金力が必要となるから。夫になる人は、結婚前に新居を用意しておかねばならないからである。

 結婚式は7日間行われる。
女性客によるダンスが連夜繰り返される。更に夫からのプレゼントの贈呈。それから、両家に交互に行って、それぞれの実家でのパーティ。

 そして4日目の夜、初夜を迎える。ゼイナブさんは全身を脱毛する。もちろんあそこも。
「男性は女性の毛を嫌うから。」大変である。ゼイナブさんは毎晩脱毛をしなければいけない。

 そして、ベッドにはハンカチが用意されていて、そこに処女である地をつけて翌朝、両家の両親に見せねばならない。

 翌朝、夫の母親が寝室にはいってくる。
「ハンカチはどうだった。ハンカチを見せなさい。」と。
ゼイナブさんが文句を言う。
「まずは、ちゃんとおはようって言ってよ。」

とても、日本では考えられない結婚式だ。

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綿矢りさ    「私をくいとめて」(朝日文庫)

映画化がされて、有名になった綿矢りさのおひとりさま小説。

もうすぐ33歳になる主人公の黒田みつ子。脳内にもうひとりの自分Aがいて、人生や恋の悩みがあってもAがいつも解決してくれ、おひとりさまで生きてゆくことに何の不自由も感じていなかったが、年下の営業マン多田さんに恋をして、自分から告白しようとするが30歳過ぎの自分がといつも戸惑い言い出せないままでいた。

 このみつ子と同じ職場に先輩のノゾミさんがいる。いつも2人で昼食をとる。このノゾミさんがユニークで面白い。ノゾミさんはみつ子より一歳年下、ノゾミさんより8歳年下の社内でも注目のイケメン、片桐君に恋しているが、なかなか片桐君には近付けない。

 この作品、30代独身の女性の辛さ、悩みをデフォルメすることなく、こんな女性はどこにもいるよと、等身大の30代女性を見事に描いている。内容も本当に楽しい。

その楽しさを表現する、みつ子とノゾミさんの会話。どんな年齢でもピッタリの飲み物がある。

「みつ子ちゃんはもうすぐ33歳か。33歳はココアだね。ほろ苦いココアを、マグカップを手で包むようにして少しずつ飲み、胸の不安を消してゆく・・・33歳。」
「ずいぶん主観がはいっていますね。」
「じゃあ16歳は?」
「麦茶」
「17歳は?」
「三ツ矢サイダー」
「37歳は?」
「アンバサ」
「24歳は?」
「キューカンバーカクテル。青くて甘い良い年だな。」
「じゃあ0歳は母乳?」
「母乳は1歳。ほんとに生まれたての0歳は羊水だね。」
「じゃあ逆に、梅こぶ茶は何歳?」
「106歳だね。こぶ茶は74歳の時に1回あるんだけど、」
「梅こぶ茶にたどりつける人はまれだろうな。ノゾミさんって何歳?」
「38歳」
「38歳は何よ。」
「もちろん赤ワインよ。上手く熟して今が一番よい時期。」

そうかノゾミさんは、何歳になっても、なった歳はいつも熟した赤ワインなんだね。

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| 古本読書日記 | 06:31 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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上野千鶴子    「老いる準備」(朝日文庫)

 私は、今住んでいる地方都市の西地区 住人1万人の地区の役員をしている。そしていつも思うのだが、やっていることが数十年変わらず同じで、今の地区のニーズや時代の変化とかなり乖離していると痛感している。

 50%の住人が65歳以上。多くの家庭が夫婦共働き。孤老の住まいがどんどん増加。働く形態が変化して、土日働く人も増加。夜間に仕事をしている人も多い。
しかし地区の活動は人集めに苦労するイベントばかり。こんな中で、参加してくれる人を集めるのは容易なことではない。

 最近は高齢者社会を反映して、かなりの人が70歳まで働き続ける。70歳を過ぎた人のなかでも、もちろん体をこわしている人もいるが、多くは元気だ。

 私は、地域活動の重点をこの作品で指摘しているようにイベント型から、住人ケア型に変えるべきと思う。

 要介護で施設に入所する前の老人の住む家にゆき、話し相手になったり、掃除などの家事をしたり、散歩に連れ出す、買い物をかわりにしてあげるなど援助してあげる。

 そして、コミュニティセンター(以前の公民館)に老人をつれだして、趣味の活動をしてもらう。
一方、幼児は、公共の財産として、もちろん家族が一義的には育てるが、地域で育てるように環境を変える。

 育児休暇が終了したら、地域の家庭に子どものケアをしてもらう。多忙な両親が、保育園に子どもを連れて行ったり、引き取りに行く時間を気にせず、仕事に専念できる環境を整える。

 こんな地域の人たちに寄り添う活動に変えられたらと切に思う。

この作品の最後に登場する団塊の世代の人たちは趣味や色んな遊びを経験している。そんな人たちは地域のみんなに面白い遊びを教えてあげたいとうずうずしている。

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司馬遼太郎  「街道をゆく27因幡、伯耆のみち、梼原街道」(朝日文庫)

 鳥取、島根、因幡、伯耆街道の旅と、土佐の脱藩の道、坂本龍馬も通った梼原街道を辿る旅のエッセイ。

 司馬さんの街道をゆくシリーズは知識の宝庫。本当に知識が増える。

古代から日本人は梨、ナシが大好きだった。このナシの語源は、ナは中、シは酸っぱいからきている。平安時代になり「ナシ」では縁起が悪いということで「アリノミ」という名に変えられた。

 20世紀梨の原木は、千葉県の松戸の石井佐平方にあった。これを本家の松戸覚之助が見つけて、自分の菜園に植え付けた。明治36年鳥取の園芸家北脇永治が、そこから苗木を持ち帰り、農家に販売した。種苗商の渡辺寅次郎が東京帝大の池田伴親の推奨を受けて「20世紀梨」と泣付けた。20世紀に入る3年前だった。

 鳥取に持ってきた20世紀梨の栽培はなかなかうまくいかなかった。黒斑病にかかってしまうのである。当時黒斑病に効くのはボルドー液であることはわかっていた。しかし散布方法、散布時期がわからない。悩んでいたところ、奈良の農家より梨をパラフィン紙に包むと

黒斑病は防げることを知る。果物を袋で覆うのは黒斑病を防ぐためだったのだ。

 「醜女」という言葉がある、容貌や体形が醜い女性のことをいう。しかし醜(シコ)という言葉は体が強く、丈夫という意味で、今のようなひどい意味ではなかった。

 相撲の四股という意味もここからきていて強靭という意味だ。
でも女性にはやはりあまりいい言葉ではないようだ。

しかし本当に司馬さんの作品はいろいろ教えてくれる。

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瀬谷ルミ子    「職業は武装解除」(朝日文庫)

 いやー、ものすごい日本人女性がこの世界にはいる。

 著者瀬谷さんは、群馬県の田舎桐生の新里町の出身。高校3年のとき、アフリカのルワンダで発生した大虐殺の難民キャンプの親子の写真をみて、人生の歩む道を決めた。その写真はこの本にも収録されているが、死にかけているお母さんを泣きながら起こそうとしている3歳の息子の写真。

 世界のいたるところで発生している紛争を止めさせる仕事に取り組むのだと。それで中央大学に進学するが、日本の大学には平和学を学べるところがなくイギリスのブラッドフォード大学に進む。この大学ではDDR紛争における武装解除の方法について学ぶ。

 そしてアフリカ関係のボランティアをしながら、ルワンダに繋がる人を探し、そのつながりをたどって、あの3歳の子供の写真のルワンダに行く。そこの教会を訪ねると、虐殺された人たちの骸骨がたくさん並んでいた。中には矢が刺さったままの髑髏もある。

 そこから、当時紛争中のシエラレオーネに行き、紛争地域での武装解除にあたる。瀬谷さんはまだほんの24歳。それからセルビア、ケニア、ソマリア、南スーダン、コートジボアール、アフガニスタンで武装解除を行う。

 瀬谷さんの仕事は、対立して戦争になっている当事者の間にはいり、武装解除の条件をすりあわせ、詰めることである。とんでもない、危険な仕事。こんなことを日本人が、それも女性がしているとは、とても信じられない。

 武装解除というのは、対立が無くなり平和を実現するものではない。だから戦争が停止しても、互いの憎しみは残っている。

 だから、殺された家族がいる住まいの隣に殺した人間が住むなんてこととも起きる。緊張状態が続くのである。
 武装解除だけで平和がくるわけでない。兵士や家を失った人が暮らして行ける環境を作らねばならない。紛争が無くなったあとの仕事を作って生活をできるようにする。そのために、職業訓練場を作ったり、インフラや住居は自ら作るように仕向けなければいけない。

 暮らしの条件を整えることも和解の条件になる。そこまでやらないと武装解除にはたどりつけない。読んでいてくらくらしてくる。

 瀬谷さんは言う。日本では紛争地に自衛隊を派遣して世界平和に貢献するというのが支援なのだが、紛争地では、そんなことをしなくても日本が活躍できる場がある。

 瀬谷さんは20代前半から紛争地へ飛び込み、武装解除を行ってきた。

 ため息がでる。本を読了後、再度瀬谷さんの武装解除活動を決めたルワンダ難民の親子の写真を見つめ直した。

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アンソロジー   「20の短編小説」(朝日文庫)

 雑誌「小説トリッパー」2015年夏季号に掲載された短編20作品を収録。
印象に残ったのは、木皿泉の「20光年先の神様」。

 主人公は和美で小学生。いつも自分もいれて、5人の仲間がいて、その中に東寺菜穂がいた。
仲間で何か買うとき、立て替えるのは和美ばかり。そして後から請求しても東寺菜穂だけは支払ってくれなかった。

 ある日、学校で緑化運動の募金を集めることになった。集金はクラス副委員長の東寺菜穂がする。みんな、東寺が回る募金箱にお金をいれる。和美は小切手をいれる。
それには「東寺さんが課した金を入れてくれます。」と書いた。

 そのことを東寺は、誰とは言わなかったが、「自分はお金を借りたことがないのに、こんな紙を募金箱にいれた人がいました。」みんなの前に公表し、しかもその紙を教室に貼り出した。それは翌年の3月まではられたままだった。そして和美はクラスで村八分にされ誰からも声がかけられることが無くなった。

 それから40年後看護師になっていた和美の病院に末期がんにかかった東寺菜穂が入院してきた。

 死ぬ間際、和美は東寺に顔を近付けた。東寺は和美だとわかりかすれた声で「ごめんね、ごめんね。わたしを許して」という。そして和美が「許すわ。だから私のことも許して。」東寺は返事をする前に息を引き取る。

 和美は遠くにいる神様に祈る。「神様、東寺にしたこと許してください。クラスのみんなも許して」と。
 更に東寺のことを殺してと神様に祈る。それが神様に届くのに20光年かかり、お願いが実現するまでにまた20光年かかった。

 「許してください」もそれと同じなら、実現するのは40光年先だ。茫然、愕然となる。
神様は存在する。しかし神様までがあまりにも遠すぎる。

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あさのあつこ   「アレグロ・ラガッツア」(朝日文庫)

 青春小説を書かせたら最高の作家、まったくはずれのないあさのあつこの青春小説。
中学生の時、吹奏楽団でフルートを担当していた主人公の相野美由。2年のときそのフルートに挫折してクラブをやめる。

 高校にはいって、もう吹奏楽団にははいらないと誓っていたが、何でも前向き、天然真っ正直の菰池君と、天才少女ドラマーで孤高として全く他人とつるまない久樹から熱心に攻められ、吹奏楽団に入部。フルートはやめピッコロの演者となる。この3人が活躍する吹奏楽団青春物語。

 菰池君の、過去にひきずられている主人公美由を楽団に誘う際の言葉がユニークで面白い。
「先のこと、先のこと。過去より未来。昔なんて、いつまでも引きずってなくていいんだよ。な、おれたちは若いんだから、未来について語りあおうぜ。
 たとえばさ、おれたちが大人になって社会人になったとする。がんばって就活して、そこそこの会社に入れたと設定して、そこにすげえ嫌な先輩がいたとする。そいつは、小さい時から勉強ができて、すげえいい大学を出てて、でも、仕事は全然できなくて、できないくせに、自分の出身校を鼻にかけていばってんだ。嫌なやつだろう。何で嫌な奴かと言うと、過去にしがみついているからだ。どんなにりっぱな過去を持っていたとしても、今には関係ないのに、そこのとこ勘違いしてるから、嫌なやつなんだよ。」

 高校生の感想だなあ。出身校は関係ない。会社ではいやな奴はいやな奴である。

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夏川草介    「新章 神様のカルテ」(小学館文庫)

 主人公の栗原が本庄医院から研修を終えて、信濃大学病院に帰って2年がたつ。
現在は大学院生と同時に班長北条先生が率いる3班に所属している。

 何より、作者夏川が尊敬心酔している漱石、それも「草枕」を暗誦していて、その「草枕」の文体を彷彿させる漢文調まじりの少し大げさな文体が、読んでいて楽しく中毒になってしまう。

 信州の冬の「草枕」流情景描写を堪能してほしい。
「玲瓏(れいろう)たる大気のなか、雪化粧をまとった北アルプスの大山嶺は翼を広げるように悠揚と左右に連なり、神聖なまでの空気をまとって横臥している。
 春は杳然たる霞をまとい、夏は眩い新緑に包まれ、秋は枯淡の茜色に染まる常念岳は、その整った三角錐の立ち姿から、四季を通じて特異な存在感を保っているのだが、冬の美しさは格別である。
 澄み渡った冬空のもと、天を支えるように突き出た白い峰は、悠々と足下の安曇野を睥睨しつつ、超然たる品格さえ漂わせている。木も沢も、風も雲も、ことごとくがこの山の威に打たれたごとく鎮まり、見上げる人もまた自分が雄大な自然の一片にすぎぬことを知らされるのだ。」

 作品のクライマックス。末期髄癌の29歳の女性が、死を目前にして、死ぬなら家で死にたいという。すでに、がん治療は諦め、痛みの緩和だけをしている状態。信濃大学病院には、ルールガイドラインがあり、この状況で退院、大学病院の医師の自宅回診は禁止されている。

そのルールを破って、主人公栗原は奔走する。その栗原の思いが心を打つ。
「人が死ぬというのに、不安でない人間などいるはずもない。百人いれば百通りの形で死んでゆく。そのすべてに振り回されながら懸命に寄り添っていくのが医療者である。
 複雑怪奇な医療現場の中で、ガイドラインが必要であることは間違いない。ルールや規則も、それがなければより一層の混乱をきたすのは間違いない。けれどもそれらはあくまで道具である。ただの道具が、いつのまにやら、わが物顔で病院中を闊歩している。積み上げた道具があまりにも多すぎて、道具の向こう側が見えなくなっているのではなかろうか。」

 だめになる企業や組織は自分たち用のルールにしがみついて、誰、何のために、ルールの先に存在しているものが観ることができない。

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川上未映子    「おめかしの引力」(朝日文庫)

 朝日新聞に月1回、「おめかしの引力」というタイトルで6年間にわたり連載していたファッションについてのエッセイに江南亜美子との対談を収録。

 お金もないし、男である読者の私、女性のファッションに全く関心が無いので、読んでいてかなりの部分がわからない。ちょっと難儀した本だった。

 とにかく、川上さんにとって着るものは、万円の単位にならないと無価値。万円以下のものは単なるゴミだということがわかった。

 数十万円の服が店にある。大変な出費だけど思い切って購入して帰る道々、家についてからの幸福感は大変なものである。それに対して、我慢して購入をあきらめた時に、味わう悔い、落ち込みも大変。その落差は本当に大きい。

 ボンポワンというフランスの子供服のブランドがある。3歳くらい用の小さい靴下が14000円。ため息がでる。私のでかい靴下は中国製で3足800円なのに。

「シルク商品を間違って水洗いしっちゃったら藁みたいになっちゃった。どうにかできない?」と日本野蚕協会に問い合わせる。丁寧な回答がくる。

「スチームアイロン(ドライアイロンはだめ)をかければ新品同様になります。あなたは少しも間違っていません。絹は5千年来、水で洗ってきたのです。是非、水洗いをしましょう。水温は25度から30度。洗剤はシャンプーなどの中性洗剤を少しで押し洗い、脱水はほんの少しで水が少し垂れる程度に、家蚕絹は日陰干し、野蚕絹は直射日光でも大丈夫、絹は綿の二倍の速度で乾きます。」

 え~、何これくらくらしてくる。女性がファッション道をつきすすむためには、とてつもない努力が必要なのだ。

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篠原淳美   「愛を教えてくれた犬たち」(幻冬舎文庫)

動物愛護団体の代表である著者が、見捨てられたり、虐待されたりして、人間に対して心を閉ざした犬たちを保護、やがて心を開くようになった軌跡を綴ったドキュメント作品。

 それでも救えなかった犬があった。そのドキュメントが印象深かった。

 シベリアンハスキーがかって大ブームになった。どこでも、ハスキーが見られた。しかしブームは一時期で終わる。あんなにたくさんいたハスキーはどこへ消えたのか、今は全くみられなくなった。

 ハスキーはそり引き犬として利用されている。先頭を走るボス犬でない限り、ハスキーは従わない。だから、人間には扱いにくい犬になる。そのため、世間から消えてしまった。

 作者藤原さんが、犬の散歩で通る道に、ハスキーの置物が玄関においてある家がある。よくできている置物だと思って毎日ながめる。ある日いつものようにその家の前を通ると、その置物が動く。びっくり。置物ではなく本物のハスキー犬だった。

 ハスキー犬が動いたのを見たのは、その家の子どもが学校から帰ってきたとき。普通家族が帰ってくると、家族は犬をなでたり、声をかけたりする。しかし、その子どもはそこには何もいないように、家に入る。ハスキーも子どもを喜んで迎えるという雰囲気もなく玄関に顔をむけてべたーと伏せている。立ち止まって少し見ていると、何人か家族の出入りはあるが、家族は全くハスキーの存在を無視する。隣の家に尋ねると、以前はハスキー犬をかわいがったり、散歩にもつれていったが、最近は全くしなくなったと言う。

 ハスキーは村八分にされ、強烈ないじめにあっていたのだ、ハスキーも諦めて、ずっと身動きもせず玄関にベターとしている状態になった。

 しかし、いじめられても、無視されてもハスキーは家族のいる家の玄関に顔をずっとむけている。家族に見捨てられた犬は、本当に可哀想だ。

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| 古本読書日記 | 06:07 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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五十嵐貴久   「パパとムスメの七日間」(幻冬舎文庫)

主人公の川原が勤めている光聖堂は明治時代から続く老舗化粧品会社。光聖堂はブランド力の高さでは他社を圧倒している。「スーパービューティー」シリーズを中心とした基礎化粧品のラインナップは値は張るが高品質のイメージが定着していて長い間ヒット商品となっている。

 しかし高齢化に伴い、顧客層の年齢があがり、それに対応した低年齢層の商品が無いため、業績が悪化し、ボーナスが出ない状態にまで追い込まれている。

 そこで社長の一言で若い人用の化粧品を開発して、若年層市場を取り込むプロジェクトを結成することになる。

 しかし、上層部のだれもがそんな市場への参入は光聖堂には合わないと思っていて、失敗の責任はとりたくないとして、誰もリーダーになりたがらず、そのおはちが川原にまわってきた。各部門からメンバーがだされたが、仕事ができない、あまり者ばかりが集まる。

 プロジェクトをスタートするが、あちこちの部門で、壁がたちはだかり、出来上がった企画案は、どうでもいいような妥協の産物のようなものになる。しかし、社長肝入りのプロジェクトどんなダメ案であっても、社長出席の御前会議で提案して承認をもらわねばならない。

 その御前会議を一週間後に控えた日、突然妻の実家の義母が危篤との連絡があり、家族で千葉の実家に電車をいくつも乗り換え向かう。そこで義母は息を吹き返し元気になったことを知り、東京に帰ることになる。その途中で大地震が起こり、電車が転覆し、川原と娘小梅が投げ出され気を失う。そして気が付くと、娘と川原の体が完全に入れ替わっていた。

 ということは川原が娘になって、学校へ行き高校生にならねばならず、小梅は会社に行ってプロジェクトのリーダーにならねばならなくなった。

 困ったのは、川原はブラジャーなんかしたことは無く、着替えは小梅の指導を受けねばならない。更に、風呂で使うトイレタリー商品は使い方や洗い方もわからないため、常に母親がいないときを見つけて、小梅に洗ってもらわねばならない。小梅はダイエットをしていて、川原が何でもパクパク食べると、小梅が怒る。

  圧巻だったのは、小梅が出席した御前会議。

  レインボー・ドリームと命名された若年層むけに開発されたフレグランス。光聖堂のイメージである高級高品質高価格のフレグランス。代理店、百貨店で大切に販売してゆきますと、重役が社長に報告する。

 どんどん進行する会議の最後、川原の風貌をした小梅が声をあげる。
「あんたらばかじゃん。そんな商品売れるわけないじゃん。狙う顧客は、百貨店や代理店なんか行かないよ。みんなドラッグストアーかコンビニだよ。お客のこと全然わかってないよ。20ml,3000円なんて商品誰も買わないよ。500円にしなきゃあ。」
「500円なんて商品は作れません。
「20mlじゃなくて3mlで売ればいいじゃん。試供品なんて1mlで配っているんだから。」

 小梅である川原は狂ったかと言われたが、社長が再度練り直せ。それも1週間でと指示され、そんなのとても無理との雰囲気になったが。

 小梅が自分の席に戻ると、スタッフがやりましょうと小梅につめよってくる。生産部門やほかの部門もみんな頑張ろうと協力してくれる。

 みんな待っていたんだ小梅のような考えを実現することを。
 でも先日新聞に資生堂が安価なフレグレンス商品からは撤退すると書かれていた。

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| 古本読書日記 | 06:38 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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六道慧    「警視庁特別取締官」(朝日文庫)

 東京信濃町の閑静な住宅街で、夫婦が倒れているのが発見される。妻はすでに息が無く亡くなっていた。夫も瀕死な状態だったが、救急車で搬送され何とか命はとりとめた。

 家は大量なゴミが積まれ、30匹の猫が生きていた。妻は自然死なのか殺されたのか。
この事件に、変わり者で、警察の通常組織からはずされ、新設された特別番においやられた、星野美咲刑事と、生物学者で獣医の免許をもつ鷹木晴人刑事が挑む。

 この物語、天才的才能を持つ刑事も登場せず、突飛なトリックもなく、捜査の王道をゆく、地取り捜査を積み上げ、真相犯人をあきらかにしてゆく。誠実な物語で好感を抱く。

 このゴミ屋敷の主人の息子夫婦も別アパートに暮らすがその部屋もゴミ屋敷。更に、正確な人数が不明なのだが、5-6人の子どもがいて、まともに食事もあたえられていない。

 長男聖也は、何でも口にいれ食べてしまう。ゴキブリを喰えば、父親がよくかんで食べろなんて言う。

 ゴキブリは、食べられないことは無い。アメリカでゴキブリ大食い大会も開かれている。
しかし、気をつけねばならない。この大会での優勝者が亡くなっている。食べたゴキブリが胃のなかで、孵化して、大量の子どもが生まれ、その子どもが胃を喰いつくしてしまって死んだ。

 この息子夫妻の住む場所は、駅前に歓楽街が広がり、周辺の住宅街には貧困が蔓延している。こういう地域には家庭環境が恵まれなかったり、生活に行き詰まり事件を起こす人たちが多い。しかし、星野美咲が言う。
「こんな環境下に育っても大学を卒業して、就職する人もいます。こういう家庭には共通点があります。まず親子でよく話をする。できるだけ食事を一緒にとる。親子ともよく本を読む。ごくあたりまえのことなんです。」

 こんな作者六道の思いをうまく差しはさんで物語が進む。

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| 古本読書日記 | 06:31 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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須賀敦子編   「須賀敦子が選んだ日本の名作」(河出文庫)

 須賀敦子が36歳、1965年にイタリアの小さな出版社から出版した「日本現代文学選」から、須賀が選んだ日本文学名作を収録。須賀は25の作品を選んでいるが、この本ではそのうち13作品を収録している。

 どれも過去に読んだ作品である。
収録作品。森鴎外「高瀬舟」樋口一葉「十三夜」谷崎潤一郎「刺青」横光利一「春は馬車に乗って」川端康成「ほくろの手紙」坪田譲治「お化けの世界」太宰治「ヴィヨンの妻」林芙美子「下町」三島由紀夫「志賀寺上人の恋」深沢七郎「東北の神武たち」庄野順三「道」中島敦「名人伝」石川淳「紫苑物語」

 1965年当時、結構イタリア社会では日本文化に関心が高かった。しかし、さすがに日本の小説は殆ど紹介されていない。紹介されても、二重翻訳。一旦、英語に訳され、その後イタリア語に翻訳。須賀さんが初めて、日本語から直接イタリア語に訳した。

「刺青」谷崎の女性の足フェチ。「下町」戦争が終わって、どんどん人々から戦争が消えてゆく。それでもずしっと迫ってくる戦争の現実。「道」人は辛くても、苦しくても、昨日から今日へ、そして明日へと生きていかねばならない辛さ他、ぜひ、小説が人々の文化の中心で輝いていた時代の作品を味わってほしいと思う。

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| 古本読書日記 | 05:55 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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