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2020年11月 | ARCHIVE-SELECT | 2021年01月

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住野よる    「 か「」く「」し「」ご「」と「 」(新潮文庫)

 高校3年生である大塚京、スポーツ万能の高崎博文(ヅカ)、宮里(エル、女子高生)、三木(ミッキー 女子高生)黒田(パラ)、()内はそれぞれのニックネーム、大塚だけはニックネームが無い、この5人は親友同士でいつも一緒に行動している。

 高校生では、何よりも友達と常に繋がっていることが、大切なこと。恋よりも、友達を優先する。

 友達は何でも隠すことなく言い合える。どんな行動も許しあえる。そしてその友達はなにが起こっても壊されることなく生涯続くものと信じられる。

 しかし、本当に何でもわかりあえ、信頼している仲間となっているのだろうか。むしろ、どうなっても仲間を失いたくない、それにより仲間を傷つける言動はしてはいけない、自分は仲間外れになってはいけないと最大限の気を使って緊張してつきあっているのではないか。

 この作品は面白くて、こんな関係のなかで、それぞれ5人が形は違うが、相手の気持ちがどうなっているか、形となってみえる、だから楽しそうにしゃべっている相手が本当は悲しんでいたり、怒っていることがわかるのである。

 ミッキーは京のことが好きだ。京もミッキーのことを少なからず思っている。しかし、2人が恋人同士になると、仲間から離されるのではないか。それがブレーキになって気持ちを表せない。もし仲間はずれになって、2人の関係が壊れたら、また仲間に迎えてくれるだろうか。それより、2人がいなくなったら、残った3人は友達同士が続けられるだろうか。

 住野さんは、思春期である高校生の価値観、心情を実にリアルに描く。その力量にただただ感心。

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| 古本読書日記 | 05:54 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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長尾剛      「ねこ先生」(PHP文芸文庫)

 文豪夏目漱石誕生の舞台裏を、著者長尾が目いっぱいの想像を膨らまして描く漱石物語。
漱石は生涯、精神的病とそこからくる胃病に悩まされた。

 精神的病は漱石のかかりつけ医である、尼子医師はそれが発病した原因は複合的な精神的圧迫が原因であり、これにより発病したと特定できるものではないというが、本当だろうかと私も、作者長尾も疑う。

 素人考えだけど、精神的病は、もう自分の人生は終わりだと思われるような衝撃的ことがらに遭遇し、それがいつまでも心理的圧迫となり引き起こされるもののように思われる。

 どんなに長い時間を経ても、寝ても覚めてもそのことばかり考えてしまうし、行動言動が常にそれに引きずられたままになっている状態であることだと思う。

 漱石はロンドン留学から帰国し東京帝大の文学部講師となる。
漱石の教室にいつも生気、やる気がなく、茫然自失の学生がいた。名前は藤村と言った。漱石は藤村が氣になってしかたがなかった。

 これは長尾の創作だと思うが、ある日帰り道が一緒になった漱石が藤村を喫茶店に誘う。

藤村は愛していた女性を失い、生きる気力を無くしていた。
「虚しい」と嘆く。漱石は「虚しい」ということは、ここから何かが始まる。あるいは「ここから何かを始める」出発点になる場所のことを言う。始まる、始めることに力を尽くそうと励ますが藤村はもういいんですと変わらず生気のないまま言う。

 漱石は懸命に背中を押すが、表情は変えられず、大学には来いよ、予習はしなさいと言い藤村はわかりましたと言って別れる。

 次の日藤村は教室に現れるが、予習は全くやってきていない。漱石は怒る。勉強しないのなら、教室からすぐでるようにと言う。

 藤村は教室をでる。そしてそのまま華厳の滝に身を投げ自殺する。「ハムレット」の言葉をひき世は不可解という有名な言葉を遺書にして。

 それまで、暮らしがたちゆかなくなったり、病気が原因で自殺する人はあっても、苦悩のために行き場を失って自殺する人は皆無で、藤村の自殺は大スキャンダルになった。
 藤村の自殺に感化され華厳の滝では185人が自殺を決行しようと試み40人が亡くなった。

漱石はこの藤村の自殺に衝撃を受けた。そこから不可解な言動をするようになった。
漱石は悩んだ。藤村は自分が殺したのではないかと。

 藤村の自死が精神的病を発病させたのではと私は考えてしまう。

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| 古本読書日記 | 06:07 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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白洲正子     「鶴川日記」(PHP文芸文庫)

 大戦時、町田市鶴川に家を買い、そこでの幸な日々と土地の人たちとの交流を描いた「鶴川日記」をはじめ、東京の坂を中心に学生や幼い頃過ごした東京の日々などを綴った「東京の坂道」などを収録した珠玉のエッセイ集。

 私は白洲正子は、澄み渡るような印象の残る文章、無駄のない文章を綴る、日本で最高の随筆家の一人だと思っている。

 白洲正子は1910年 明治43年に生まれ1998年平成10年に亡くなっている。
白洲正子の祖父は樺山資紀と言って薩摩生まれで第2代の海軍大臣につき、日清戦争を勝利に導くため、西京丸に乗り込み活躍したことで名を残している。

 白洲の祖母のお兄さんは橋口伝蔵と言い、驚くことにあの幕末寺田屋騒動を起こし、よくわからないが、同じ薩摩藩士に殺害(あやまって?)されている。

 そして、祖父の資紀の人生で最も悲しかったことは、自分の尊敬する西郷隆盛と西南戦争で戦ったことだそうだ。資紀は、人に聞かれると
 「しまいには西郷どんに弾が無くなって、石のつぶてが飛んできた」
とのみ語り、あとは言葉もなかったそうだ。

 そういえば、司馬遼太郎が作品に書いていた。
戦争は大変だったと薩摩の人に言うと、第二次大戦のことではなく、西南戦争のことを言うと。

 白洲は20年余前に亡くなった。その白洲の思い出にお祖父さんは西南戦争を戦ったことがでてくるとは、明治維新がとても近く感じられる。

 このお祖父さん資紀さんが国から表彰され、カメラマンに促され白洲さんと一緒に写真撮影をした。お祖父さんがだっこしてくれたが、力が強くて苦しかったことと、一杯軍服に付けている勲章が、背中に食い込み痛くてしかたなかったと白洲さんは書いている。

 明治の偉いひとたちの雰囲気がにじみでるエッセイだった。

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江上剛     「翼ふたたび」(PHP文芸文庫)

 私は最近まで中規模の中では大という規模の会社にアドバイザーとして勤めていた。会社は創業して30年弱。ここの創業者が、京セラを創業した稲盛元会長を信望していた。稲盛会という稲盛元会長を囲む会にも入会して、常に経営の在り方を稲盛元会長から薫陶を受けていた。

 2010年1月日本のナショナル フラッグであった日本航空が経営破綻した。その再建を当時の民主党政権から委託されたのが、稲盛元会長だった。

 物語では稲盛元会長が佐々木和人となり、日本航空がヤマト航空で展開される。
稲盛元会長は、会社のフィロソフィーを創り、それをすべての社員に徹底し、すべての社員がそのフィロソフィーに従い行動することを要求する。

 私の勤めていた会社にも社長のフィロソフィーが掲げられ、稲盛経営と同様、その徹底を社員に求めていた。

 この物語でもすべての社員に、稲盛哲学やそのフィロソフィー教育を繰り返し行い、フィロソフィーに従った行動とはどんなものか徹底議論させ、行動に結びつかせようとする。

 はじめは、宗教臭を感じ、白ける社員もあったが、繰り返すことで稲盛色に社員が塗り替えられる。

 物語の後半、東日本大震災が起こり、仙台空港に津波がおしよせ、ターミナルの3階に1300人の客やスタッフが取り残される。
 その時のヤマト航空スタッフの献身的な活動が描写されるが、一つ一つの行動に必ず枕詞として稲盛フィロソフィーがとなえられ、活動が行われる。

 ヤマト航空(日本航空)は稲盛哲学を全社員が行動することで再建が実現したというところで終わる。

 物語としては、ひたすら稲森を称える内容で中身はあまりなく薄い。稲盛賛歌により日本航空は再建できたことに異論はないが、こういう提灯小説は読んでいて不快だ。

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木下半太     「極限トランク」(PHP文芸文庫)

 広告代理店に勤めている主人公の耳原敏夫、何不自由のない暮らしをしていたが、妻悦子や娘のきららとの仲がうまくいっておらず、今の仕事に行き詰まりを感じている。ある日、連日の接待飲み会に疲れ、一人で抜け出て六本木やってくる。そこで入ったクラブでトラブルに巻き込まれ、その時救ってくれた海老沢と言う男と知り合う。

 海老沢は自称「人生コーディネーター」と語り、「人生には刺激が必要、それを求めて明日一緒に名古屋に行こう」と言われ、その誘いにのって、一緒に翌日名古屋にむかう。そして、名古屋駅にある高級ホテルのジュニアスィートにチェックインする。

 その後、2人で名古屋名物エビフライ、手羽先を食べたところで海老沢が急に北海道へ行かねばならなくなったと消えてしまう。

 耳原は名古屋の繁華街栄で、女性に言い寄られ、彼女をジュニアスィートの部屋に連れてゆく。そこで女性に全裸にさせられ、手首に手錠をはめられ目隠しをさせられる。そして女性が服を脱ぎだしたと思われた途端、部屋に男がおしいり、耳原は鈍器で殴られ意識を失う。

 気が付くと耳原は全裸で手足を縛られ車のトランクに押し込められている。そして横にホテルで殺された全裸の女性がいる。車はずっと走り続けている。

 何とかトランク内で縛っている紐をほどいて、落ちている携帯を使い妻悦子に電話をする。それで、耳原は観念して女生とトランクに押し込められていることを妻悦子に話す。すると妻も今2人のセフレがいて遊んでいることを告白し、離婚をしようと呼びかけられる。更に驚いたことに、人生コーディネーターと言う海老沢という男から電話があり、名古屋の駅の高級ホテルに泊まれといわれ、今名古屋にいるという。しかも午前一時に海老沢から電話があり、地下駐車場に鍵つきで駐車している車を運転し、市内を指示があるまで走れといわれ今あてもなく車を運転している。

 耳原は驚愕する。今妻が運転する車のトランクに女性の死体と自分も全裸で押し込められていることを知る。

 ここがこの作品の一番面白いところ。

その後どうしてこんなことになったか、海老沢の目的は?というところになると物語は雑になり、結論にも納得感がなく、しまらない話になった。

 名古屋での妻悦子と海原の状況が卓抜の発想だったのに、残念な作品だった。

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明野照葉    「魔性」(PHP文芸文庫)

 清掃用品最大手レンタル、清掃代行会社「モリソン」の創業者早川茂雄の娘早川志穂子の人生転落とそれを最底辺から救出する父親茂雄の物語。

 志穂子はジャストアプリジャパンという会社に勤めコンピューターソフトの外販を担当している。その営業でミュージックソフト制作会社アポローニャ企画を知る。アポローニャ企画は学生時代のバンド仲間3人が起こした会社。この会社には加わらなかったボーカル永山晃のDVDをみて(直球ど真ん中)と一瞬にして心を奪われ、たまたまアポローニャ企画を訪問した時、晃に出会い恋に落ちる。

 この晃が極悪人で、彼と彼の仲間に操られ、逃れられない志穂子は社会の最底辺に堕ちてゆく。
志穂子の人物造形が下手。通常こういう作品を読むと、悪い男や悪い組織に人生を搦めとられ、これでもかと悲劇場面が続き、その都度堕ちてゆく人物に感情移入して、胸がつぶれるような感覚に陥るものだが、一向にそんな気持ちにならない。

 だいたい、社会人になって十分に大人なのに、DVDをみて胸キュンになり、悪人のわなにはまってゆくなんてところは現実感が無い。

 もう少し設定を変えるか、志穂子がどんな人間でどんな人生を歩んできたために罠にはまってしまったのか、掘り下げて描くべきだった。

 しばしば、志穂子が暗黒の人生に堕ちいったのは、厳格な父が原因と描かれるが、その関係が通り一遍で納得感がとぼしく。首をかしげる。

 それから、父茂雄が志穂子を救ったとき、父の愛情、威厳を志穂子に言い聞かす場面で茂雄が娘志穂子を「君」と言う。普通父が子どものことを言うときは「おまえ」だろう。

 一番明野さんが書きたかったクライマックス。その背景がきちんと描かれていなかったので薄い印象の作品になった。

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新津きよみ    「ユアボイス」(PHP文芸文庫)


 世界には自分にそっくりな容貌をしている人が3人いると言われている。この容貌と同じくらい重要なのが、声である。会社生活が終わると、急に同級会の誘いが多くなる。50年ぶりに中学の同級会が開催される。顔をみただけでは、全く誰なのかわからない。ところが声を聞くと、それが誰かよみがえって自分を中学時代に連れていってくれる。

 この物語、23歳の岡里菜が美術教師として埼玉の中学校に赴任してくる。岡里菜は、心に深い傷を負っている。二年前結婚を約束していた恋人田所伸が夜の公園で何者かに刺され死んでしまう。死んでしまった恋人のことを、受け入れることができない。何とかして伸に会いたいと思っている。

 そんなある日、コンビニからでてきた中学生の会話を聞く。なんとその中学生の中に、伸と全く同じ声を聞き驚く。
 その声の主は学校にゆき教壇にたち、3年3組の五十嵐薫だと知る。

この薫が特殊能力を持っていた。絵画を見ると、その絵画を描いている世界に入り込めるのである。そして五十嵐に強く手を握られ、里奈もそこにはいることができた。

 伸を殺した犯人は見つからない。

ある日、里菜が伸の墓参りに行くと、一人の女性が墓参りをしているのを見る。彼女に声をかけると、突然彼女は逃げだす。そのとき長野県の安曇野の美術館の半券を落とす。

 里菜は思い切って安曇野の美術館にでかける。美術館では彼女につながるものは無かったが、同じ敷地のそば屋に入るとあの女性が働いていた。そして彼女は犯人を知っていた。犯人は彼女をストーカーしていた。ただ、犯人は彼女に嘘の名前と住所を告げていた。

 だから全く誰なのかわからない。ストーカーは彼女の肖像画を描いて彼女にあげていた。
その絵を借りだす。それを五十嵐のところへ持ってゆく。そして、絵の中にはいり、犯人が絵を描いているところへ連れて行ってもらう。そこで見た犯人とは?

 ファンタジーとミステリーを組み合わせた楽しい物語だった。

この物語には、五十嵐と生まれが一日違いで学年が一つ下の従弟珠緒が登場する。思春期になって、だんだん五十嵐との仲が疎遠になることに悩み、両親についても嫌いになってゆく。

 少女から思春期になって過程がもうひとつの物語として生き生きと描く。
その脇の物語が、ファンタジーミステリーを生き生きと輝かせている。

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碧野圭  「書店ガール5 ラノベと文学」(PHP文芸文庫)

 この作品ではラノベ文学新人賞作品をどうやって販売して、ラノベ新人賞作家をどう育成してゆくのかがテーマとなる。

 それにしても、碧野さんは、本の制作から流通についての現場をものすごくよく知っている。特に書店について書かせたら他の追随を許さず、描くテーマも卓越している。

 碧野さんという人はいったいどんな経歴の人なのだろうか。調べてみて、納得した。
碧野さんは作家になる前、ライトノベルの雑誌編集者に従事、あの富士見書房の富士見ファンタジア文庫の編集者として人気作を担当、その後角川の契約社員となり角川スニーカー文庫の編集に携わり、ラノベを成功させた先駆者となる。
 新人の売り出しに関してはスニーカー大賞受賞作品谷川流の「涼宮ハルヒの憂鬱」を刊行。大ヒットを実現させる。

 書店ガールシリーズは非常に読みやすいうえ、文も言葉も的確で感心する。
この作品でラノベ新人賞大賞に輝いた、原滉一の「鋼と銀の雨が降る」の一部が紹介される。
もちろんそんな本は世にでてないから、全部碧野さんの創作だ。

 「風がさやさやと銀の森を渡る。風に踊らされて、銀色の木の葉がきらきらと光を放つ。
翔也はまぶしさのあまり視線を下に向けた。足元にも銀色の草が風になびいている。あたり一面光の洪水だ。」
 通り一遍の天候情報でなく、読者を雨上がりの森に導く見事な描写。この後さらに物語の核心の描写が続く。それもため息をつかせる。

全く碧野さんは只者ではない。

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北大路公子    「生きてもいいかしら日記」(PHP文芸文庫)

 無気力、引きこもり、しかし酒が大好き北大路さん。無気力ぶりをブログにしてネットで公開したところ、大反響をよび、一年後には札幌でオフ会をしたところ全国から50人が参集。それからサンデー毎日にエッセイを掲載。人気ブロガーの一人。ペンネームは最初のエッセイを出版した地元出版社の社長が、当時日本ハムが札幌にきたので、公の字はハムになるからとつけてくれた。

 正月からずっと家に引きこもりで外へでていない。テレビばかり見て過ごす。もう2月になるというのに、話をしたのは隣に住む妹がきて「片栗粉をちょうだい」「いいよ」の会話だけ。

 これではまずいとリハビリを兼ねて外出する。そして友人を誘って居酒屋で浴びるほど酒を飲む。深夜家にたどりつくと、猫が家の前にいる。
 「可愛いね。待っててくれたの。」と猫の頭をなでようとすると、それは猫でなくコンビニの袋だった。

 夜なんだか眠れない。時計をふと見ると「3時33分」時刻がぞろ目。ぞろ目の時刻に願い事をすると願いが叶う。そして一番強いぞろ目は「11時11分」

 そこで意を決する、今日はもう寝ないでずっと夜11時11分になるのを待とう。
そして時計とにらめっこが始まる。

 それにしても眠い。時間の進行がやけに遅い。目にちからを込めてずっと頑張る。
19:00 気合をこめてお酒を飲み始める
20:00 眠気覚ましの薬を飲む
21:00 ウィンブルドンテニスを見る
それにしても眠い。がんばれ!
23:10 いよいよ後一分
23:11?
23:12!
 間違えた。夜は11時11分にはならないんだ。

ひきこもりの北大路さん、一人で昼食はそばやに入りビールとそばを楽しむ。たまには回転ずしにもゆく。もちろんビールを頼む。完全なるひきこもりとは違い、どこかりりしく魅力的だ。

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アンソロジー   「Happy Box」(PHP文芸文庫)

 5人の作家によるアンソロジー。執筆している作家。伊坂幸太郎、山本幸久、中山智幸、
真梨幸子、小路幸也。どの作家の名前にも幸の字が入っている。それで本のタイトルが「Happy Box」洒落た企画だ。

 作品の中では伊坂幸太郎の「Weather」がダントツに素晴らしかった。

大学も同じで会社も同じ、主人公の大友の友達清水が、大友が高校時代つきあったことがある明香里と結婚する。大友は当時ピクルスが食べられず、明香里はにんじんが嫌いだった。披露宴の場所は、派手好きの清水にしては、洒落てはいるが、殆ど知られていないイタリアン レストラン。明香里の両親は、父親の弟の借金の保証人になったことで大きな負債を抱え込んだため離婚。

 清水はとにかく見境なく女性に手をだす。なにしろ牛丼を食べるくらいでも女性を連れてゆく。それで明香里は、女性にだらしないことは仕方ないが、どんな付き合いを過去にしてきたのか大友に教えてほしい、そして今は大丈夫か調べてほしいと依頼する。

 特に披露宴をどこでするか検討することになってから、清水の行動が怪しくなったからどうしてか探ってほしいと。

 大友はうかつなことはしゃべれないから、清水の行状についてはは話題を変えしゃべらないようにする。
 披露宴当日、隣に座った明香里の友人が言う。「このレストランで清水を見た。女性を連れているように見えなかった。明香里に聞いたが、清水と来たことはないとのこと。」

 そんなこともあってみると新婚の2人の様子がどこかおかしい。
 来賓が挨拶しているのに、清水があらぬ方向を見ている。キャンドルサービスの回り方も全く変。

 明香里の母親への言葉。
泣けるような温かく育ててくれた母親へのお礼。拍手が起こる。しかしさらに明香里は続く。

「このレストランの料理は本当においしかった。料理ににんじんが私の分から抜いてあったが、今はにんじんは食べられます。」
 明香里の眼差しの向こうには涙を流している料理長の姿があった。

伊坂は伏線をさりげなくあちらこちらにはる、それを最後に見事に回収する。この作品もそのことが見事に表れている。伊坂の作品の中で、大好きな作品になりそう。

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歌野晶午   「明日なき暴走」(幻冬舎文庫)

 最近は、TVのニュースでも素人が映した動画が使われたり、動物バラエティ番組でも素人の投稿動画がしばしば使われる。

 素人が撮った動画を、投稿者に使用許諾を取り、使用料を払って番組に使う。しかし縦画面で、手ぶれしまくり、フレーミングやライティングもなってない。テレビ関係者としては屈辱的だ。

 しかしテレビ技術者がどれだけすぐれた技術を持っていても、竜巻が発生した現場に居合わせない限り、住宅の屋根が吹き飛ぶ画面の映像は得られない。プロ技術者と素人の人数を比べれば、素人が圧倒的に多く、決定的瞬間を捉えるのは素人に軍配があがる。

 万人にスマホという撮影機材がゆきわたり、撮った映像をネット上に上げることが可能になり、社会の最前線を走っていたテレビはスマホの軍門に下ったように見える。

 それに対してどうするか。ならば決定的瞬間を創ってそれを放映すればいいじゃん。
物語は「明日なき暴走」という番組を創り、決定的瞬間を捏造し、多くの視聴者をつかむ。しかし、それにより殺人事件まで作り上げるというところまで行きつくミステリーになっている。

 しかし本当にテレビはネットに凌駕されてしまうのだろうか。この作品で、歌野は書く。

「テレビにとってネット依存は目にあまるが、ネットもテレビによりかかっている。
 テレビという巨人があるからこそ、カウンターカルチャーとしてのネットがある。ネットは誕生以降、驚くべき速さで怪物に成長したが、完全に自立するところまで成熟してはいない。・・・・
 テレビは巨大な体の中に蓄積された資産がある。資金や資材にとみ、末端まで組織的に動かせる人材を抱え、スペシャリストも網羅し、各界への強いパイプがある。そして、そういう権力にも似た力があってこそ実現できるコンテンツが確かにある。大衆が送り手になった今日でも、テレビの存在感は揺るぎもしない。」

 本当に歌野の言う通りだと思う。テレビの持つ権力は確実に強い。

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加藤千恵   「消えていく日に」(徳間文庫)

 結婚記念日、誕生日など記念日がある。そんな記念日がいつもお祝する状況にあるとは限らない。辛いことを思い出させる記念日もある。そんな特別な日にまつわる9つの作品集。

 冒頭の「夏の飛び込み」が素晴らしい作品と思った。
亜耶子は大学に行くために実家を離れて15年。あまり実家には帰らない。夏の終わり久しぶりに実家に帰る。

 両親が不在ということはありえない。実家には両親の愛用している車も庭に停まっている。しかし鍵がかかっている。チャイムを押しても何の反応もない。

 よかった!ずっと昔渡された合鍵を持っていたことに気付く。合鍵を使ってはいると家はもぬけの殻。
慌てて母親の携帯に電話する。両親は九州の叔母のところに行っていることがわかる。明日帰ってくると。

 がっくりきて、ダイニングテーブルに座る。家族の坐る位置は決まっていた。その決まった席に座る。冷蔵庫を開けるが、何も食べるものはない。籠にお父さんようの即席麺や即席焼きそばがある。
 一人でカップ麺をすする。

 翌日両親は夕方になっても帰ってこない。意を決して恋人達臣のところに電話する。3回の呼び出し音の後に電話に達臣がでる。会社かと思ったら、会社をでて帰宅途中だという。
 ここで息をとめて、思い切って言う。
「この間話してくれたことなんだけど。」
「え?あ、うん」
「お願いします。結婚してください。
「酔っ払ってるわけじゃないよね。」
「酔っ払ってなんかいないよ。」
「びっくりした。ありがとう。」

亜耶子はちょっぴり迷っていたかもしれない。だから実家に帰ってきた。そして両親に背中を押してほしかった。

 とうとう結婚するんだ。ずっと一人で達臣のこと、父母のことを考える。じわーっと口元が緩んでくる。

 そう人生の大切な記念日に肝心の両親は不在。でも頑張って達臣と歩んでゆくことを決めた。両親の不在が人生の大きな決断をさせる。見事な印象深い物語を創っている。

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巌谷國士    「アジアの不思議な町」(ちくま文庫)

 東アジアから東南アジア諸国の都市を訪ねた紀行記。
紹介されている、都市の半数は仕事で訪れている。

中国広州は、巌谷さんとほぼ同じ時期1990年代に行ったが、全く巌谷さんが書いている通りで、当時の広州を思い出させる。
 「食在広州」食は広州にあり、本当にそうだった。

空を飛ぶものなら飛行機以外は全部食べる。四つ足のものなら机以外なら何でも。二本足のものなら両親以外なんでも。とジョークで言われるがその通り。

 広州 清平路自由市場。中国最大級の食材市場である。正直不衛生と思える市場。あらゆる食材が並べられている。

 まずは乾物市場。わけのわからないひからびた木の枝や穀物、茸や虫、けだもの、ヒトデ、タツノオトシゴ、トカゲにイモリにカエル、鹿の角、あざらしのペニス。

 そこが終わり角を曲がると生鮮市場。
鯉やウナギなど日本でも食するものから、すっぽん、カエル、ヘビ、サンショウウオも生きたまま籠の中にいる。

 さらに圧巻はその先にある獣肉市場。まだ肉になっていなくて檻に生きたままいれられている。犬、猫、ネズミ、猿、狸など。

 ここで店の人にどれを食べますか?と言われる。指さすと、その動物を取り出して、望めば解体するところを見せてくれる。とても見れたものではない。

 そして食堂で待っていると、ウェイターが先ほど差された猫をお持ちしましたと持ってくるのである。
 残念だが私は獣肉は食べれなかった。

あんな不衛生なところで解体、とても人間が食べられるとは思えない食材。
正直、中国の人には申し訳ないが、武漢でコロナウィルスが発生したこと、ありうるなと思った。

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碧野 圭    「書店ガール4 パンと就活」(PHP文芸文庫)

 書店ガール4の大きなテーマは就活。新興堂書店吉祥寺店の大学生アルバイトの高梨愛奈、周りの友人たちは、会社訪問や先輩OLに会い積極的の就職活動をしていたが、自分はどうにも吹っ切れないでいた。

 できれば楽しい書店での仕事が続けていければと思っていた。しかし書店は不況業種の一番手。正社員採用もないだろう。もし続けるならば、卒業してもアルバイト待遇。業界の先行きも暗いし、自分の未来も暗い。

 愛奈の母親は、短大をでて、会社に入りそこで知り合った父親と結婚。結婚後家庭にはいり、常に父親をたて、自分の思いはださず家族を支える生き方を貫いてきた。

 そんな母が、自分の進路で悩んでいる娘愛奈にこれを読んだらと一冊の古い本をさしだす。向田邦子のエッセイ「夜中の薔薇」だ。

 この作品の中にある「手袋を探す」という作品。母は青春時代に読んで感銘する。

母が言う。
 「これは向田さんが若い人向けて書いたエッセイで、だからメッセージみたいなものが込められているの。彼女は、自分にあわない手袋をするくらいなら、生涯手袋を持たなくっていいって言うの。その手袋っていうのは、実は仕事だったり伴侶だったり、いろんなものの象徴だと思うのだけど。」

 私も「手袋を探す」は印象に残ったエッセイだ。向田さんはかわいらしいが伴侶は無かった。いいお母さんだ。悩む愛奈にふさわしい作品だ。

 愛奈はこのあと、勤めている書店で就活のための作品フェアを行う。
就活のための作品となると面接の際のテクニックや服装などのハウトゥー本が殆どになるが、新しい世界に踏み出すための作品を並べる。

 椎名誠「哀愁の町に霧が降るのだ」角田光代「エコノミック パレス」、立花隆「青春漂流」垣根涼介「君たちに明日はない」

 素晴らしい選択だ。私はすでに就職していたが、どの作品も熱く読んだ。もちろん向田邦子の「夜の薔薇」もはいっている。

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三浦しをん   「ぐるぐる💛博物館」(実業之日本社文庫)

 博物館大好きの三浦さんが、日本の十か所の博物館を訪れた見学記。

私自身が長野県諏訪の出身なので、やはり冒頭の尖石縄文考古館が、何回か授業で行ったことがあったので印象に残った。
 尖石遺跡は八ヶ岳山麓に広がる縄文式時代の遺跡。

この遺跡の発掘は宮坂英弌氏によって行われた。宮坂氏が発掘を始めた時、日本には考古学という学問は無かった。だから、人々は土の中から、色んな破片がでてくるが、おかしなもの位の感覚しかなかった。

 小学校の先生だった、宮坂氏は独学で考古学をうちたて、すべてをなげうって、土器の発掘調査を続けた。このすべてをなげうったために、家族は赤貧の生活を強いられ、ご子息が餓死してしまうほどだった。

 縄文時代は一万年ほど続く。そして五千年たったころピークとなる。当時は日本人口は三十万人と推定され、びっくりしたのだがうち七万人が八ヶ岳山麓に住んでいたそうだ。そのころの大都会である。どうして八ヶ岳山麓に人が集まったのか。当時は比較的温暖な地で食料になるナッツ類や、猪、鹿などが豊富だったからと思われるが一番決めてとなったのはこの地域に黒曜石が潤沢にあったことだ。黒曜石は、矢尻や狩りの刃物、武器に使われた。

 さらにびっくりするのは、この黒曜石が青森県の三内丸山遺跡まで運ばれていた形跡があることだ。
 ピークの五千年を過ぎると寒冷時代が始まり、人口も少なくなる。

縄文時代はすべての人々は平等であった。しかし寒冷時代が始まると、食料の備蓄が必要となった。備蓄には分配が伴った。そうなると、分配を差配する人が必要になった。

 ここで、地位や食料を奪い合う戦いが生まれた。それが綿々と今まで続いている。
しかし縄文時代は一万年続いた。現代の人間の歴史は紀元後まだ2千年少ししかたっていない。


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碧野 圭   「書店ガール3 託された一冊」(PHP文芸文庫)

 紙の本の未来はどうなるだろうか。私の少年時代は読書(漫画も含むが)こそが文化基盤の王道だった。しかし、今は読書は文化の片隅においやられつつあり、だんだんストイックな人たちだけのために細々とした片隅の領域にはいってきた。

 主人公理子が勤める新興堂書店は、仙台駅の近くにある老舗の書店櫂文堂書店を傘下に収める。

 この櫂文堂書店の名前の由来になっている創業者の言葉がずしりとくる。
「本は船を漕ぐ櫂のようなものだ。人生という荒波を渡っていくために、我々が手にするただひとつの道具なのだ。それを必要とするお客様の手に確実に手渡すのが、我々本屋の使命である。」

 櫂文堂書店は大震災により、ビルに亀裂がはいり、本も棚から投げ出されたが、それを頑張って元に戻し、震災5日後に店をオープンさせた。まだ生活インフラも復旧していなかったし、携帯もつながりにくかった。

 するとものすごいたくさんの客が店にやってきた。PCもスマホも十分に使えないとなると、みんなが紙の本を渇望したのだ。文明がどんなに進んでも、何かが起きれば頼りになるのは本なのだ。本は確実に存在し続ける。

 この作品のうーんと唸らせるのは大震災後3周年フェアを新興堂吉祥寺書店で成功させたこと。震災は時間が経過すると、震災を体験した東北の人たち以外は忘れ関心も無くなる。だからそんなフェアを開催しても、成功するとは思われない。

 しかし東日本大震災は東北だけでなく、日本でもたくさんの地域で起き、それなりにパニックも起こったし、被害もでた。しかし、東北の被害を目の当たりにすると、とても自分たちにも起きたことなどしゃべれない。

 新興堂吉祥寺店では、その時吉祥寺に住んでいる人はどうした?というテーマで寄稿を募り、それを展示コーナーに張り出した。たくさんのその時、あの時が集まった。

 作者碧野さんの斬新な視点に感服する。

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碧野圭   「書店ガール2 最強のふたり」(PHP文芸文庫)

 私の乱雑に積み上げている文庫をひっくり返したら、昭和3年発行のゴーゴリ「検察官」岩波文庫、同じ岩波文庫昭和10年発行「懺悔」昭和31年発行デュマの「ロビンソンクルーソー」がでてきた。本は大切に扱えば、100年も変わらず残るものである。今は本に変わり電子書籍が伸びてきた。しかし読むために電子書籍の端末形式がどんどん変わるため、20年後には読めるかどうかわからない。

 しかし、物理的本は、電子書籍に比べてどこがいいだろうかと問われると
 「本の大きさとか重さ、匂いとか手触りとか、そういうものは実物に触れてみなければわからない。」というような言葉が愛読家からかえってくる。
 こんな答えでは、出版不況を克服するにはいかにも弱い

夏葉社という小さな出版社が発行しているヘンリー・スコット・ホランドの詩集「さよならのあとで」という本がある。この本は不思議な本である。たった42行の詩だけで一冊の本になっている。

 白いページが続き、突然詩の一行だけが白紙の見開きに飛び出してくる。
 「死はなんでもないんです」
そして次のページ 
 「私はただ」
そして次のページ
 「となりの部屋にそっと移っただけ」 
言葉が屹立して、読者の胸に突き刺さってくる。こんな本こそずっと残ってほしい。

 紹介した「書店ガール2」では、吉祥寺にある書店が集まり、各書店の書店員が「50年後にも残したい本」を持ち寄って合同販売会を実施する。

 素晴らしい企画だ。正直「書店ガール」シリーズはタイトルからキャピキャピおねえさんが飛んだり跳ねたりする作品かと想像していた。
 しかし著者碧野さんは、多くの本を読み精通している。奥行きの深い本だ。

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| 古本読書日記 | 06:32 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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碧野圭    「書店ガール」(PHP文芸文庫)

 10年以上前に始まったシリーズ、ベストセラー小説となり、シリーズ化され7作品が出版されている。恥ずかしい話だが、今までまったく手に取って来なかった。集中して何冊か遅まきながら読もうと思っている。
 書店物語版半沢直樹シリーズだ。

吉祥寺の古いビルにあるペガサス書房吉祥寺店、突然店長にペガサス書房で初めての女性店長に理子が抜擢される。店には何事においても理子に反発する若い女性社員の亜紀がいる。2人は互いに嫌いあっているが、書店にかける情熱は強い。

 しかしこの店長抜擢がおかしい。抜擢と同時に、重要な書店男性社員2名が別店舗に異動し、吉祥寺店には全く補充が無い。

 理子が本社に行き問い詰めると、ペガサス吉祥寺が入居している古ビルが解体され、新しいビルになる。このビルは、昔から大家とペガサス書房の先代からの親密な関係で、破格の家賃になっているが、新しいビルでは世間相場の家賃を大家が徴収すると言っている。

 吉祥寺店は何とか黒字だが、もし家賃があがると今より月500万売上増しないと黒字にならない。今の出版不況の状況ではとてもそれは実現不可能。そのため6か月後の来年3月には店を閉店することになったことを理子は知る。

 自分が店長になったことは抜擢どころではない、閉店処理をするため店長にさせられたのだ。

 ここで半沢直樹。500万円増の売り上げを実現するから店は閉店しないでくれとお願い。
社長は頑張ってやってみてくれ。と応じる。

 ここで、いがみあっていた理子と亜紀が一緒になって、書店員も巻き込み、次々新しい企画を計画実行。

 当然半沢直樹シリーズのように、この企画実行をつぶそうとする悪代官が登場したり、
版元、取次店にまで手を回され、企画用の本が入手できない困難にもあう。

 しかし、当然、はらはらするが、企画はすべて成功して500万円売り上げ増は実現。
これで、見たか、社長、悪代官どもめ!となるところだが、この作品は、全く思いつかない結果が待っていた。

 話はステレオタイプだが、組織の理不尽に潰されそうな人たちが、それに立ち向かい悪を破滅させる話は、わかっているが文句なく痛快だ。

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| 古本読書日記 | 06:19 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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藤原正彦    「管見妄語 常識は凡人のもの」(新潮文庫)

 2016年秋から2017年夏まで週刊新潮に連載された藤原正彦のエッセイを収録。

小池東京都知事が少しいやだなあと思うのは、やたらにカタカナ語を乱発するところ。何かバカにされているようについ身を引いてしまう。
「目標はサステイナブルな首都東京を創りあげること、・・・セーフシティー、ダイバーシティー、スマートシティーの三つのシティーの実現に取り組みます。」「ハード面のレガシーだけでなくソフト面のレガシーを構築・・・・コンプライアンス・・・ガバナンス・・・。」

 英語を使うなら、長嶋元巨人軍監督がすばらしい。ぜひ応用してほしい。
学生のとき、先生が「I live in Tokyo」を過去形にしたらどうなりますか。
答えた長嶋元監督。
 「I live in Edo」拍手!!

今を時めく将棋界の天才児藤井聡太7段。彼の快進撃により、全国の将棋道場が大いに活気付いている。

 対戦途中で藤井さんが食べる食事を紹介。これで頭がよくなると多くの家庭で同じ料理を子供のために作っているそうだ。

 藤井さんのインタビューを聞いているとびっくりする特徴に気付く。
「望外の喜び」「僥倖」など、あまり中高校生が使うことが考えられない表現を使う。

 藤井さんは読書が大好きだ。
特に、司馬遼太郎、新田次郎、沢木耕太郎が好きだそうだ。

藤井さんのような人を育てるのは、「勝負飯」を食べさせるのではなく、上記作家の本を熟読したほうがよい。わかりますか、世のお母さん、お父さん。

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垣谷美雨    「定年オヤジ改造計画」(祥伝社文庫)

 主人公の庄司常雄は定年退職になり、いよいよ悠々自適の生活の老後が実現できると思っていたが、妻が夫源病(夫が原因で、体や神経に変調をきたす病気)になり、夫がいるだけで神経がまいり、妻はそれを防ぐために、常雄の世話を拒否するようになる。常夫はまったく家にいる場所が無くなり、孤独な生活を余儀なくされるようになる。

 息子夫婦の子供二人の保育園の迎えと世話を頼まれ、大苦戦しながらも頑張って対応することで、家族の在り方を学び、家族再生に取り組もうとする定年小説。

 物語は、こうなるだろうとみんなが予想できるステレオタイプの内容。しかし垣谷さんがよく調査していて、登場人物の会話がリアルで中身が濃くなっている。

 物語であっても内容は本当のことだと思うが、アンケートで妻が夫を愛しているかという設問に八十二%の妻が愛していないと回答し、しかもこの数字結婚たった3年後の妻を対象としている。その最大の理由は「全く夫が家事、育児をしないから。」だそうだ。

 明治まで日本の80%が農業に従事していた。殖産興業、工業振興政策を推進するために男性は会社工場に行き、女性は子育て家事に専念させる政策を推進させるようになった。

 この時、男と女の役割が決められ、母性本能という言葉を造りや三歳児神話(三歳まで母親の手元で育てないとまともな人間になれない)というプロパガンダを政府は徹底して行った。

 最早、母性本能という言葉は女性蔑視の言葉。差別用語になりつつある。だから簡単に使ってはいけなくなった。更にキャリア ウーマンも差別用語だから注意したほうがよい。

 男女を区別することは間違いという時代になってきた。

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原田マハ    「ハグとナガラ」(文春文庫)

 大学時代の親友同士ハグとナガラ。ハグが36歳になったとき突然ナガラから旅にでようとメールが届く。そして2人は学生時代に戻ったように、毎年数回国内旅行にくりだす。

 そしてその旅行は40代も続き、今50代になっても続いていた。旅行は2人がおばあさんになってもずっと続くはずだった。

 しかし50歳を超えると、大きな障害が起こった。ハグの母親が認知症になり、施設にはいり、時々娘のハグのことがわからなくなる。

 ハグは、勤めていた広告会社をやめ、実家の姫路に戻り、昼間は母の施設で母の面倒をみる。そして今は、実家でフリーランスの広告ディレクターとして仕事をしている。

 ナガラは大阪の証券会社で働き、40歳で総務課長に抜擢される。しかし、母親が脳梗塞で倒れ、実家の小豆島にしょっちゅう帰り、母親の面倒をみている。

 だんだん2人での旅行が困難になってきている。

ハグがまさかについて思っていること。
三十代で結婚を約束した相手と別れることになった。その時はまさかとは思わなかった。会社を辞めざるをえなかった時も、そういうこともあるかもと思いまさかとは思わなかった。
1%でもあるかもしれないといつも予防線をはっていることはまさかとは思わない。

 しかし1%も大変なことは起こらないと信じているのが母親の存在。
だから母親が認知症になった時は、そのまさかが起こってしまったと衝撃を受ける。

 ナガラの母親が脳梗塞で倒れたこともナガラにとってまさかだった。
母親は完璧で優しく強い存在。でもハグもナガラも50歳半ば、もう2人だって何が起こってもおかしくない年齢になってきた。ましてや母親たちは。

 2人とも結婚できず、独身。身内は母親だけ。彼女たちにも孤老がひたひたとせまってきている。

 コロナで働き方が大きく変わったと言われている。いわゆるテレワークである。
ハグは会社をやめ、東京を離れ、実家でテレワークによるフリーランスになる。

 広告依頼主と広告代理店の間にはいり、実際の広告を作り上げる。その間に緊急、不測の事態がおこり、クライアントや代理店がすぐに会いたいということは無いのだろうか。

 確かに理屈上はテレワークで対応できるだろうが、それでクライアントや広告代理店が納得できるのだろうか。

 テレワークの時代を知らないから、時代遅れたことを私は言っている化石のような人間なのか。
 しかしこの物語では、ハグはたくさんの仕事や顧客を失っている。

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| 古本読書日記 | 06:02 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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角田光代    「私はあなたの記憶の中に」(小学館文庫)

 角田光代さんの魅力あふれる珠玉の八編の短編集。
角田さんの作品は、物語の登場人物の今置かれている状況の源は、その人物の学生時代にあるという作品が多い。

 そして、その学生時代を描写がぐんと迫ってくるほどに力がある。

「18歳のときの私にはべらぼうに好きな男がいた。十代の偏狭と無知は、その男が運命的な相手であり、その男抜きでは世界は成立しないという思い込みにかんたんにすりかわった。その男はもてるタイプでもなく恰好いいわけでもなく、ぱっとしない男だったが致命的に優柔不断だった。・・・自分の痛みにさえ無頓着なその頃、私はただ、決して自分に安心をくれないその男をひたすら好きだった。
 恋愛においてもっともつらいことは、拒否ではなく、意志のない受容である。私は彼との関係にかたちをあたえるために、躍起になり、しかし私にできるのはとことん彼につきあうことのみだった。私のアパートを訪ねてくれば、それが深夜3時でも迎え入れ、性交を求められれば応じ、ほかの女の子との色恋沙汰について相談を持ち掛けられれば真剣に答え、何週間も連絡が途絶えればその沈黙を受け入れた。
 どうやら、彼のような人間ととことん向き合おうとすると、こちらはひどく疲弊するらしい。・・・日々を形成するあれこれを行動に移すエネルギーがどんどん減少してゆく。学校に行くこと、授業を受けること、食事をすること、友達と喋り、テレビを見て、お洒落をし、アルバイトをして小銭をかせぐこと、そのひとつひとつを手放してゆき、次第に私は、彼を待つしか興味をもてなくなってしまった。」

 この文章はずしんと重くのしかかった。
 この文章にであっただけで大長編を読んだ後のようにどっと疲れた。

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| 古本読書日記 | 06:23 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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石川文彦    「そば打ちの哲学」(ちくま文庫)

 哲学者にしてそば打ちを極める著者石川がそばについて執筆した本である。

哲学者が書くと、表現が重く、理論的、希求的で、学術書を読んでいるようで、たかがそばについてなのに、大げさすぎ、難しすぎと思うのだが、途中から、大げさな表現が面白くなり思わず笑うこともしばしば。

 そば造りで最も難しい工程はそば粉への加水工程である。加水率が1%多いとそば切りのときにそばが包丁にくっついてきて、そば切りができない。逆に1%少ないと、そばを捏ねた時にひびが入ったり、伸ばした形が四角にならず、四国のような形になってしまう。

 例えば、そば粉に対する加水率が45%が適当だとする。それがいつでも45%というわけにいかない。気象や作業場の環境条件に左右される。

 加水を行う場所の空気が乾燥している場合は、加水率を45%よりあげねばならないし、逆に雨降りの場合は加水率を下げねばならない。野立てのような場合は日照の具合を斟酌して加水の状態を決める。またそば粉が石臼で引いた場合と、機械で引いた場合では大きく加水率が異なる。

 そしてそれはすべてそば職人の勘によって決まる。
ここで哲学者しかできない解説がはいる。何しろ「勘」なんて言葉は学問では最も遠い言葉で使われない言葉である。哲学者の著者は「勘」について語る。

「勘などと言うと、非科学的とか非合理的と思われるかもしれないが、それは先入観にすぎない。カタカナ語ではこれをセンスと言う。それは単に当てずっぽうのことではない。というのは勘とは瞬時に行われる推理、推論、即ち最も高度な合理的認識のことだからである。慣れとか熟達には幾つもの合理的判断が凝縮しているのである。そして、合理的判断の連鎖を推理という」

 何か屁理屈のような気もしないではないが、寝ながら読んでいると急に正座して背筋をまっすぐに姿勢を正して読まないと叱られるような思いがしてくる。

 そば打ちをしたそばを食べると、多少失敗作品であっても、全員が「美味しい、今までに食べたそばのなかで一番おいしい」というそうだ。しかも自分が打ったそばが一番おいしいと感激していうそうだ。

 だからそば道場には、多くのそばうちを学ぶ人がやってくる。

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| 古本読書日記 | 06:21 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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中野量太   「浅田家!」(徳間文庫)

 少し前、新聞で映画の興行収入ランキングで「浅田家!」がランキング トップになっていた。全然知らない映画だったが、本屋で同名の作品を見つけて興味があったので購入して読んでみた。

 この作品フィクションでは無く実際の出来事を物語にしていた。
テレビで流れる「明治安田生命」のCM。小田和正の歌声に流れて、全国から贈られた家族の写真が流れる。印象的なCMである。

 物語で取り上げられた東日本大震災で海に流された家から家族の写真を拾って、それを展示して、見つけた家族に返そうとしている活動が報道されたことをかすかに記憶している。

 捜索中の自衛隊員が、他のものは踏んでしまうんだが、写真だけはどうしても踏めない。と語っていたこともかすかに記憶にある。

 しかし、写真の展示に、家族のプライバシーを了解もなしに公開するなと強いクレームがあったこともこの本を読んで思い出した。でもこの行為は正しいと信じ脅迫にはめげず活動は続けられた。

 この本によると展示された写真は8万枚で、家族、親族に引き取られた写真は何と6万枚に上ったそうだ。完全に写真の展示は支持されていたのだ。

 物語は、浅田家の次男政志が、高校を卒業後、大阪の写真専門学校に行き、卒業して実家の三重に帰ってぶらぶら、実家のお荷物なり、兄や家族に攻め立てられていて、そんな時父親からもらったカメラで、家族写真を撮ろうとすることから始まる。

 その写真がユニーク。それぞれの家族がなりたかった職業の写真を撮ることだった。
父の消防士の写真。兄の車のレーサーの写真。母の極道の妻の写真。写真の撮る場所の許可を懸命にとり、写真には家族全員が参加する。

 これを写真集にして「浅田家」のタイトルで弱小出版社から売り出す。しかし全く売れない。この写真集が写真界の芥川賞といわれる、木村伊兵衛賞を受賞。その後政志は東京にでて、あるカメラマンの助手になるが恵まれない日々を過ごす。

 そこで東日本大震災が起こり、車を運転して被災地にゆき、被災者家族の写真展示に出くわす。
そこでたった一人で展示活動をしている小野君に出会う。そして政志はその展示を手伝う。それが次々被災者に返却されてゆく。

 家族こそ人生の原点、よりどころだということを改めて認識させる物語だった。

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| 古本読書日記 | 06:27 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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早川義夫    「生きがいは愛しあうことだけ」(ちくま文庫)

 バンド名がジャックスは「サルビアの花」「空っぽの世界」で売り出した。雰囲気が暗いグループだった。リーダーの早川は21歳のときグループを解散。その2年後書店の店員にそして書店を経営してそれを45歳に閉め、音楽活動を再開。

あんな陰鬱な雰囲気だった早川がよく音楽でめしが食えるものだと不思議に思う。それで、ネットで調べてみた。結構剽軽で明るくなって歌っている。この作品で紹介されている、今は亡くなった、ギタリスト佐久間正英さんもバイオリニストのHONJIさんもYOU TUBEで見られた。特にHONJIさんのバイオリンはすごかった、素晴らしかった。

 早川が剽軽で結構バカをいってるなとこの本で思った。

控室にいた女の子が、トイレに行きたくなった。女子トイレは控室の隣だ。普通女性は尿の流す音を消すため、おしっこをしながら水を流す。ところがこの時女性が水を流さなかった。

それでおしっこをする音が聞こえる。それを歌詞にする。歌詞になるとこのようになる。
「♪からだから流れる さみしいメロディー」その女性が可愛かったから。
まったくばからしい話だ。

 びっくりしたのは、もとまろの「サルビアの花」。TBSラジオの「ヤング720」の勝ち抜き歌合戦に女子学生グループの3人が「サルビアの花」を歌い、5週勝ち抜き、レコードデユーとなる。2003年早川のライブにもとまろのメンバーの一人松本(海野)圭子さんが控室に来て早川に謝罪する。
「何の了解もとらずかってに『サルビアの花』を歌ってごめんなさい。」と。
びっくりした。もとまろと早川は何のつながりもなかったのだ。

 もとまろの「サルビアの花」は、早川は書店のラジオで初めて知ったらしい。
だけど印税はがっぽり入ってきたようだ。

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| 古本読書日記 | 06:23 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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森まゆみ    「千駄木の漱石」(ちくま文庫)

 森さんはあらゆる漱石が残した文章(手紙を含む)にあたり、また漱石の残した作品を深く読み込み、漱石が住んでいた現場にもでかけ、見事な漱石論を残した、江藤淳の名作「漱石とその時代」に匹敵される作品だ

 漱石は2年間のロンドン官費留学を終え、日本に帰国。そして東京帝国大学と一高の英文学、英語教師となった。一高では「銀の匙」で有名な中勘助がいた。中は漱石は夏目さんと言われて生徒に慕われていたと述懐している。

 漱石がまいったのは、帝大の講師のほう。漱石の前任者はあの有名な小泉八雲。政府は賃金の高い外人講師をやめ、日本人講師にしようと漱石を講師に据えた。

 しかし、当時の生徒たちは八雲を尊敬していて、八雲残留を要求して、漱石の講義をボイコットして大学に押し掛けた。いやになっただろう漱石は。

 この時代、漱石を悩ました大きな事件があった。

一高の講師をしていた時、訳読を指名した生徒が、予習をしてこないので、「なぜ、やってこない。」とその生徒を叱る。その生徒は「やりたくないからです。」と答える。

一週間後その生徒はまた予習をしてこなかった。漱石は怒り心頭して、「勉強してこないなら、もうこの教室には来なくていい。」と強烈に怒った。

 この生徒はその一週間後に華厳の滝に飛び込み自殺した。有名な藤村操である。
漱石は長い間、自分のせいで藤村を死なせてしまったと悔やんだ。

 この作品でショックを受けたこと。

漱石の父夏目直克は江戸幕府時代は町方名主だった。維新政府は上部機構は薩長藩士でしめたが、下部は幕府時代の役人をそのまま横滑りさせた。直克は維新政府の下僚となる。

 この時、直克の部下だった樋口則義の長女なつと長男太一との縁談話が起こった。
樋口家は山梨の農家の出身。家柄も違い、直克が部下則義のことを嫌っていたため、縁談は破談となった。樋口家の長女なつは樋口一葉のことである。

 誰かの作品で読んだが、この縁談話は漱石のことだと作品では言っていた。何!それは漱石の兄長男太一のことだったのか。ずっと漱石は樋口一葉を娶る可能性があったのだと信じてきたのに。

 ショックを受けた。

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有元葉子    「わたしの日常茶飯事」(ちくま文庫)

 料理研究家の有元さんが、ちょっとしたアイデア料理の紹介や、日常を綴ったエッセイ集。

有元さんは韓国、イタリアに年がら年中行く。その姿は、3日後にパーティをやるから、食材を買いに行ってくるわ、まるで近所の店に夕食の材料を買いに行く雰囲気。売れっ子料理研究家は生活スタイルが一般人と全く違い驚く。

 ヨーロッパの食事の伝統スタイルは夕食はSUPPER。これはSOUPからきている言葉。つまり夕食はスープを食すくらいの粗食で済ます。日本人が汁物を音をたてて飲むのを欧米人がいやがるのは、粗末であってもスープは食べ物であるからである。

 そしてヨーロッパ人がかって最も重い食事をしたのが朝食、次は昼食。朝食はBREAKFAST.空腹を破るという意味。
 朝食も昼食もエネルギーを多く摂取して、それからの仕事、活動に力を蓄えるのである。
夕食は後は寝るだけ。エネルギーは不要。だから夕食を豪華にするとどうしても太ってしまう。

 これを会社時代に知って、ヨーロッパの習慣は人間の摂理にかなっていると思い、実行してみた。当初は快調で良かったのだが、困ったのは朝食のとき晩酌の欲求がでてきて、とてもたまらなくなりギブアップした。有元さんはヨーロッパスタイルをきちんと続けているらしい。

 有元さん月に一回、仲間12,3人とメンバーの家に集まってパーティをする。

こんな時、有元さんは手のこんだ料理はできず、簡単にパッパっと作れるものを用意する。
あるパーティでの有元さんが提供したメニュー。
二種類のカルパッチョ。牛肉のトマト煮込み。じゃがいもと魚介のサラダ。玉ねぎのタルト。鴨のリエットとチーズ。デザートでマスカルポーネとゴルゴンゾラチーズ、ぶどう、山羊のチーズの盛り合わせ。最後にイタリア風のカラメル・プディング。

 これよくわからないが、簡単シンプル料理?

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磯淵猛    「ティータイムのその前に」(ちくま文庫)

 「ディンプラ」という紅茶専門店を日本で初めて開店。紅茶の第一人者である著者が、紅茶の楽しみ方、それから紅茶の産地スリランカでの思い出話を綴った作品。

 紅茶というのは、ティーカップ八分目の量で二杯半作るのが普通だそうだ。紅茶の三大要素は、味、香り、色。一杯目は香りを楽しむ。二杯目は本当の色と味を楽しむ。三杯目はカップで三分の一か、半分はとれるので、最後の一滴まで絞り落とすように点てる。この最後の一滴がベストドロップといわれ、紅茶で一番おいしい部分と言われている。

 そして、三、四分蒸らす。この時が一番紅茶の香りがいい。

喫茶店で紅茶を頼んで一杯分カップにいれてくるというのは邪道。少なくても紅茶はポットに二杯半分で造られたものでないと、紅茶ではないのだ。

 そしてコーヒーのようにできあがったらすぐに持ってきてはいけない。3-4分おいて持ってこなければいけない。

 喫茶店で紅茶を頼んで間髪いれずにもってこられる。これは紅茶ではないのだ。
それからミルクティー。

 紅茶を中火で水とともに沸かす。それができるとミルクを色がクリームブラウンになるように注ぐ。手鍋にミルクを持ちながら、きれいなクリームブラウンになるように慎重に注ぐのである。

 喫茶店のように、砂糖ミルクはどうしますかと言われ紅茶と別個に持ってくるようなのは邪道。すでにクリームブラウンになってサーブされるのがクリームティーなのである。

 喫茶店で紅茶を注文している限りでは本当の紅茶には出会えないような気がしてくる。

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カタログハウス編   「大正時代の身の上相談」(ちくま文庫)

 今は雑誌中心にみられる身の上相談。最初に始めたのは大正3年5月2日の読売新聞だった。今は回答者はタレントや小説家などだが、当時は新聞記者が交代で回答した。

 最初から大正時代らしい。
相談者、許嫁がいるにもかかわらず、別の男性とキスをしてしまった。もう汚れた体になったため、結婚ができなくなった。どういたらいいのか。

 信じられない。こんなことで悩むなんて、切ないし、可愛らしい。
とにかく大正時代の相談は、男性と関係を持った経験があり、結婚ができないという相談が多い。

 すごくおかしかったのは、結婚を決めた女性が男性と関係していたことを知り嘆く。
自分は、結婚するまで童貞で我慢してきたのにと。

 妻が裏切って男と失踪し行方がわからなくなる。それを妻の実家に怒って言う。
すると妻の実家から、嫁の妹を差し出すからそれで機嫌を直してほしいと。
 ただただ、唖然!!

 それから占いや風水で相性が悪いと言われて悩む相談も多い。

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石山修武      「笑う住宅」(ちくま文庫)

 長く重い住宅ローンを抱えショトケーキ住宅を造り住む。そんな住宅を吹き飛ばし、知恵を絞り、異形の住宅を創るそのスリリングな過程や、本来住宅に対する欲求を掘り起こし突き詰め、実現してゆく姿を描く。
 私の幼いころの友達には、何人も大工さんになる人が多かった。
 そのころの家について著者石山が書く。
「板や竹の垣根があって、低い塀の頭越しに家の庭が眺められる。庭は狭いけれども植木屋が年に一回は入って手入れの跡が見られる。庭に面して、小さいけれども縁があって、そこで誰かがお茶を飲んだりしているのが見える。電球がコウコウと光っていて、茶の間に拡げられた夕餉の仕度の匂いがプーンと路地まで匂ってくる。・・・・
 出入りの大工さんや左官屋さん達が居て、彼らの仕事の合間にちょっと寄っては家の手直しや増改築の相談をした。」
 図面はあっただろうが、家は施主と大工さんが直接どんな家にするか話し合われ、施主の希望に従って大工さんや左官屋さんが建てた。そして不具合も直してくれた。消費者と生産者が直結していた。そして、今のようなバカ高い価格でなく、手が届く範囲価格で家を建てることができた。
 それが昭和34年大和ハウスが「3時間で建つ十一万円の家」をうたい文句にしてミゼットハウスが発売される。それにミサワホーム、セキスイハウスが追随。殆どの骨組みは工場で生産。現場で組み立てる方式に変わった。そして同じようなショートケーキハウスばかりが作られるようになった。
 建設材料、部品は工場で造られるから大工さんが少なくなり、高度な技量もいらなくなった。しかも、材料、部材の開発が進み、それらはホームセンターで販売されるようになった。
 ということは、今や家は誰でも建築できるようになった。
 この本は1995年発行と古いが、その当時家の建設資材費用は100万円と書かれている。今でも200万円くらいだと思う。
 最近テレビで自ら家を建てるドキュメンタリー番組が時々ある。
空き時間を使うから完成までに時間はかかるが、またかってのように自分の思いを込めた手作りの家ができる時代になった。

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| 古本読書日記 | 09:25 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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