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柚木麻子   「さらさら流る」(双葉文庫)

 この作品は、元TBS記者山口敬之氏が酔った勢いで、ジャーナリストの伊藤詩織さんをホテルに連れ込んで犯したと言われる事件を思い出させた。しかも空港で逮捕のために待機していた警察官に対し、総理秘書官から警視庁長官に山口氏を逮捕をするなと言わせて、警察は逮捕を放棄したと真偽は不明だが報道された。

 これで終わりなのかと思っていたら、伊藤さんは民事裁判を起こし、裁判ではレイプが認められ山口氏は30万円の罰金が課せられていたことを知った。

 これを見ていると、男というものは女性を犯すことはたいしたことでは無いし問題にならないと振る舞っている人が少なからずいると思ってしまう。山口氏も裁判で負けても、全くジャーナリストとして排除されることなくメディアで活躍している。社会はいまだに男によって支配されていると心底思う。

 この作品で大手コーヒーチェーン広報部で働いている主人公菫は、学生時代に付き合っていた光晴にせがまれ、仕方なく裸の写真を撮らせてあげる。

 その写真がネットに載っていることを知り、菫は驚愕する。しかも、コピーされ拡散している。
会社にいても電車に乗っても、自分の裸を見ている人がいるのではと恐怖にさらされている。服装や髪形を変えて行動する。この恐怖は一生続くと思うと愕然とする。

 一方光晴。今ではもう手の届かないところに行ってしまった菫。でも、光晴には写真がある。いくら菫でも、自分の裸の写真だけは、他人がぶちまけた吐瀉物のように簡単に目をそらすことはできないはずだ。ずっと光晴は写真によって菫とつながっていられると思う。

 男は起こしたことの重大さを認識できない。自分の都合のよいように解釈する。
そして、世間は、「裸を撮らせるような女性はすきがある」と男に非難がむかわず、女性に非難がむかう。

 悲しい話だ。こんな卑劣な男たちは立ち上がれないほどの罪を負わせるべきだと思う。

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山田宗樹     「百年法」(下)(角川文庫)

 この作品を読むと、人類にとって民主主義国家がよいのか独裁国家がよいのかわからなくなってしまう。

 世界は今コロナ感染で苦境に陥っている。民主主義国家は経済と感染阻止の両方を追い、感染拡大を招いている。民主主義国家は、国の大きな決定をするのに多くのエネルギーと時間を費やす。更に世論に迎合するために誤った決定をして傷口を広める。

 とにかく何かが起きると、マスコミが評論家やコメンテーターを動員して、好き勝手にしゃべらせる。これに、政府が動揺する。

 独裁国家は、独裁者が方針を即座に決定して人民に無条件に従わせる。だから中国はいちはやくコロナを克服し、独裁国家の優位性W世界に誇らしく喧伝する。

 それにしても、習近平やプーチンはいつまで国家権力最高の地位に居座るのだろうか。死ぬまで居座るのだろうか。

 この作品でも、百歳になれば、国により一律に安楽死させる法律百年法を施行させ、これにたいし特例法をつくり、大統領が認めれば安楽死を免れる人を選定できるようにする。結果大統領の権力は絶大になり、大統領は50年近く、その座に居座る。

 この物語では20歳のときに不老不死の処方HAVIをしてもらい、健康であるなら死が永遠に来ない。
しかしそれでは、国が破滅するから100歳になると安楽死をしてもらうという法律を施行させ、日本国は運営されている。しかし最後にドンデン返しがある。HAVIが処方された人はいつになるかわからないが多臓器ガンに侵され必ず死ぬことが判明。しかも研究によりHAVI処方者は、この先すべて16年以内に多臓器ガンになることがわかる。

 これも国にとってはとんでもない危機である。それで引き続き独裁者が必要となり、独裁政治が続く。

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| 古本読書日記 | 06:31 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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山田宗樹    「百年法」(上)(角川文庫)

 第2次大戦後、日本に駐留していたアメリカ軍は、すでにアメリカで導入されていた人不老化技術(HAVI)の日本への導入を行った。更に日本は県を廃止して、アメリカ同様の合衆国、共和国となった。

 HAVIは20歳になれば処方される。処方されると、体そのものは全く老化せず、容貌スタイルは20歳のままが続く。

 HAVIを処方されない人々は老化が進み、亡くなってゆくため、街には老人は存在しなくなってしまう。HAVIが処方されても、事故や病気で亡くなる人はでるが、何もなければ死ぬということが永遠になくなる。
 これでは、人の数がどんどん増加し、食料が足らなくなったり、住む場所も足りなくなったりして国が滅んでしまう。

 そこでHAVIを導入したとき、100歳になったら、国が設置した安楽死センターに行き、安楽死をすることが義務付けられた。それは百年法という法律。そして、物語は最初にHAVIが処方された人たちの100歳が数年後に迫った時から始まる。

 政府は100年法を凍結するか実施するかを国民投票で決定する。一旦は凍結になったが、数年後に再度国民投票が実施され、法律が施行されることになる。

不老不死が実現した社会とはどんな社会なのだろうか。
内戦が続いているパルチアという国から日本に帰国した秋永が言う。

「パルチアのゲリラたちはHAVIなんて受けてない。だから歳をとる。それなのに、HAVIを受けて老いのない日本人よりも、生き生きとしていた。
一年一年老いてゆけば、その先にある死を意識させられる。だが、平和な日本はHAVIを受ければ、十年たとうが二十年たとうが、何も変わらない。この国では、死を不可避なものとして意識する機会が奪われている。だが、死があるからこそ、生は輝く。死の喪失は、生の喪失に他ならない。この国に足りないもの、それは死なんだよ。」

人間は死があるから、懸命に生きようとするのか。素直には受入れられない。

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橋本治    「これも男の生きる道」(ちくま文庫)

 男にとってあるべき生き方を描く指南書。

冒頭から首をかしげた。世間一般に夫が自分にばかり寄りかかりいつまでたっても自立しようとしない。そんな夫に本当に嫌気がさしていると怒っている女性が世の中には溢れかえっていると作品では書く。

 しかし、女性が「男の自立」を声高に叫んでいるとは私の感度が低いからなのか、あまり耳にしない。だいたい「男の自立」が何なのかもよくわからない。

 ここでいう女性が自分にばかり男が寄りかかっているというのは「家事をしない」とか「子育てに無関心」な夫のことを指しているのだ。

 しかし「男の自立」というのは、家事をしたり、子育てをすることなのだろうか。また愚痴や不満を言っている女性は、夫が家事、子育てを分担してくれたら、夫への不満は無くなるだろうか。問題はそんなことではなくて、夫を嫌うのはもっと別のところにあるのでは?  

  現代は、男、女の区別はなくなり、男にとっての問題は女にとっての問題ともなる。だから自立は男、女の区別なく「人間としての自立」とは何かということになる。男と女が一緒になって、家事、子育てがうまくいかなくて問題になったら、究極は別離するしかない。そうならないように、工夫、頑張るしかない。これは自立とは関係ない。

 自立の第一歩は男でも女でも、一人でも食べていける状態になることだ。これが一人前になるということである。

 自立するとは、会社にはいっても、芸術家になっても、音楽家になっても、起業家になっても、それが会社、社会に受け入れられ認められ評価されるようになること。そうならない自立は単なる孤独、独りよがりということ。

 会社では、考え思いが通用しなくても、信念に従い行動し、仲間を説得し、その信念が会社や社会を動かすようにしてゆく。そのことにより、最終的に社長かそれに近い地位にあがり、会社、社会を動かすようになって初めて自立できたということである。

 一人前から自立までは、気が遠くなるような時間が必要となる。

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| 古本読書日記 | 06:41 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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菊池明    「『幕末』に殺された女たち」(ちくま文庫)

 この作品のタイトルは殺されたとなっているが、作品は殺された女性もあるが、病死自殺の女性も多く含まれている。

 日米修好通商条約を結んだ初代駐日本アメリカ合衆国弁理公使 タウンゼント・ハリスの要求により妾となったお吉、唐人(西洋人)お吉はハリスが公使である間は妾としてお仕えしたものと思っていたが、体に腫物があり、三日で追放されていた。確かに唐人の妾になり、ラシャメンと蔑まれたが、最後川へ身投げで自殺した。それは50歳のときであり、ハリスとの関係とは直接には無かったのではないかと思われる。

 ラシャメンといえば、横浜公園の敷地にあった遊郭岩亀楼の遊女喜遊が思い出される。

喜遊は貧しくても医者の娘であったため行儀や学も備わっていて、外国人の相手をすることを嫌い岩亀楼の主人と外国人の相手はしないという約束していた。

 ところが岩亀楼に客として来た客のなかにイウルスというアメリカ人の商人が喜遊を見初めた。そしてたびたび岩亀楼を訪れ、その都度大金を岩亀楼に払ってゆく。

 そしてある日イウルスは岩亀楼の主人に、これだけお金を積んでも相手をさせないのでは、幕府に訴えるという。主人は横浜の遊郭で外人を拒否したり、幕府からお咎めがあったのでは商売がたちゆかなくなると恐れる。

 そのことを重々含んで、喜遊と仲の良い娼妓に喜遊の説得をお願いする。
喜遊は流石においこまれイウルスの相手を承知する。

 そのことをイウルスに主人が伝え、イウルスは喜び勇んで岩亀楼にやってくる。しかしいつまでたっても喜遊は現れない。怒ったイウルスが主人を責める。店の者が喜遊の部屋に行くと、屏風の向こうで喜遊は喉を剣で貫き血だらけになって息絶えていた。

 しかしこの話は、坂下門外の変を引き起こした儒者・大橋訥庵が作ったのではと疑われている。当時は尊王攘夷の思想が蔓延していて、敵幕府を討つという機運が盛り上がっている。
しかし実際となると尻込みばかり。

 坂下門外の変を起こすと決めた結社のなかでも、尻込みする奴がでてくる。その時女性の娼妓であっても攘夷を実行するため自らの命を犠牲にしているのに、尻込みするとは何だと叱責するために創った話だ。

 喜遊自害、胸に突き刺さる話だけに、作り話だなんて思いたくない。

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| 古本読書日記 | 06:39 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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トーベ・ヤンソン   「誠実な詐欺師」(ちくま文庫)

 超大ベストセラー世界中誰でも知っている「ムーミン」の作家ヤンソンの「ムーミン」に次ぐ名作と評価されている作品。

 主人公のカトリ・クリングは数字について天才ですべてについて理路整然。村人たちの相談も明解に答える。犬を飼っているが、犬に名前はない。それは、犬は人間に服従するものであってはならない、常に対等な関係だから。カトリは犬を信頼している。犬もカトリを信頼している。今のカトリにとって最も重要なことは、可愛い弟マッツの船作りを支援して完成させること。

 一方カトリの住む村には兎の形をした豪邸に独りで住む画家のアンナがいる。アンナは兎の絵や挿絵で世界中で有名になり、それによりとてつもないお金を保有している。

 ある時からカトリ、マッツの姉弟はアンヌの秘書となり兎の城に住むようになる。
 この秘書ぶりがすごい。カトリはまわりの人たちと喋らない。カトリがしゃべるのは意見をする時だけ。

 家に不要と思う家具や家財道具をアンナの了解無しにみんな捨ててしまう。家に来た手紙やハガキはアンナに見せる前にすべて読み、不要と思われるものは捨て、返事が必要なものの多くは、アンナのサインを真似てカトリが返事を書いてしまう。更に家に残されている手紙や契約書を何と1800年から読み込み、アンナが祖先の時代から、多くの人にだまされ、金をむしりとられていることを見つける。しかも、今でも、村の雑貨屋や、親しくしている店から生活費を過剰に請求され、検証もせずにそのまま支払っていることを知る。

  アンナは絵本で有名になった作家なので、こどもたちからたくさんの手紙が送られてくる。そのなかには苦しんでいる子がいて、悩みの相談の手紙も多い。

 アンナは不幸な子供によりそい、解決はできなくても暖かい励ましの返事をしている。それにカトリが憤慨する。そしてアンナに見せることなく、そんなものは救えない、家をでて施設へ行けと、無慈悲の返事をする。

 さすがにアンナは困る。それでカトリにあなたの返事はいけないと怒る。しかしカトリは希望もないのに、希望があるような返事はいけないと切り返す。

 アンナは、お金なんか、余るほどあるのだから、だましたい人にはくれてやればいい。それで平和で仲良く暮らせればそれが幸せ、しかしカトリは「お金は丁重に扱うべきもの。無造作に捨ててはならない。」ときつく言う。

 カトリは弟マッツが自分のすべて。しかしアンナの兎の城に来てから、アンナとマッツは本を介在にして急速に親しくなり、マッツはカトリと全く交わらなくなる。そして、信頼していた飼い犬もカトリを裏切り森のなかへ消えてしまう。

 追い詰められたカトリはアンナに村人が嘘の請求をしていることやお金がむしりとられてきたことはみんな自分のデッチあげだったとアンナに言い、ひとり兎の城を立ち去る。

 ずしんと堪える話だ。カトリが可哀想。

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馳星周    「雨降る森の犬」(集英社文庫)

 馳星周は「少年と犬」で7回目の候補となった直木賞をこの7月に受賞した。本作品は「少年と犬」の露払いとなったような作品。

 主人公の中学生の雨音は、父親が9歳で亡くなる。母親は新しい恋人を作り、結果娘雨音を母親の兄、雨音の叔父にあたる道夫に預けて、彼氏とともにニューヨークへ移住してしまう。

 叔父の道夫は山岳写真カメラマンで立科の別荘地に自分で家を造り住んでいる。雨音は立科に東京から越してきた。雨音は絵を描くことが好きで、将来は美大に進み画家になりたい夢を持っている。

 道夫の家の隣に東京で会社を経営し、大成功をおさめている国枝家の別荘がある。国枝は前妻と別れ、若い後妻をもらう。国枝の息子正樹は父親が大嫌いで、後妻である義母も嫌う。正樹は、道夫にカメラと登山を教わり、高校はやめて、山岳カメラマンになりたいと思っている。

 道夫には著者馳の生きてきた道と強い信念が投影している。家族や両親からどんなに強い圧迫を受けても、自分の信念をちゃんと主張し貫く。それがどんなに苦しく、また困窮を招いても、絶対両親に頼らず、自分で責任を持って道を進み切り開いて行けと。

 作品は、苦境にもめげずに頑張りぬくことで夢はかなえてきたという馳の強烈な自負が至る所に沸き上がっている。

 道夫、雨音、正樹の力強い行動を励ましずっと寄り添っているのがバーニーズ・マウンテン・ドッグの名前が「ワルテル」という健気な犬。3人は「ワルテル」に励まされ夢に立ち向かう。
「犬は見返りを求めず、愛し、見守り、寄り添う。家族が苦しい時、家族を愛し、気持ちを汲み、余計な言葉は口にせずただ寄り添ってくれる。」

 この犬の気持ち。本当にその通りだと心底思う。

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山田洋次    「放蕩かっぽれ節」(ちくま文庫)

 映画「男はつらいよ」の監督山田洋次が落語界の巨匠だった柳家小さん等に依頼され創作した落語をドラマ化した3編のシナリオを収録している。

 冒頭の落語「真っ二つ」がよくできている。

  古道具屋している甚兵衛さん、商売繁盛を祈願しに成田の不動様にでかける。途中、たんぼの中にある家に昼めしを食べるため寄せてもらう。縁側に竹竿が間に合わなくて妙な棒を引っ張り出してたくさんの大根が干してある。よくその棒をみると、単なる棒ではなくて薙刀であることがわかる。

 刃の部分はさびている。ところが、銀杏の葉が舞い落ち刃の部分に落ちると瞬間葉が二つになる。トンボがとまると、2つに割れる。いぶかしがって甚兵衛がたばこの煙管を刃にふれさせるとその瞬間煙管がまっぷたつになる。これは名薙刀だ。50両で、間違いなく売れる。

 それで百姓をしている家の主人に杖として使いたいから棒を譲ってくれるようにお願いする。ただの棒だと思っているうちに手に入れようとするが、主人とその妻は棒を高く売りつけようとする。しかし単に棒だ。ふっかけて3文と言う。50両の値打ちがあるから喜んで3文で甚兵衛は購入する、その棒である薙刀が地蔵さんに触れると地蔵さんが真っ二つ。これを成田まで持ち歩くと危険と思い、百姓の家に預かって帰りに立ち寄り杖にして持ち帰ることにする。

 成田でのお参りも終え、甚兵衛は百姓の家に立ち寄る。するとあの薙刀が無い。どうしたのかと主人に聞く。
 杖に使うと、あの刃は危険ということで刃を抜いて近くの川に捨てたと答える。

 驚いた甚兵衛、川に走ってゆく。すると薙刀の刃が川の真ん中に捨ててある。甚兵衛川にはいる。そして川の真ん中に行く。その瞬間甚兵衛が真っ二つになり、向こう岸に走ってゆく。

 これは、柳家小さんにぴったりとはまる面白い落語だ。

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半藤一利    「それからの海舟」(ちくま文庫)

 江戸城無血開城を成し遂げた勝海舟の半生を描いた作品。作者半藤は勝海舟大好き人間。この作品では勝海舟のことを勝っつぁんと呼ぶ。すこし歴史的伝記としては品がないなあと思う。

 この作品を読んでなるほどと唸ったところ。半藤もここは最も力を込めて言いたかったと思う。少し勝の話からはずれる。

 鳥羽伏見の戦いで西郷隆盛率いる西軍は幕府軍を破り、勢いを増して東に駆け上がり、静岡駿府にて江戸を伺う。幕府軍の勝海舟は山岡鉄舟を使いにだし、幕府の江戸での戦いを回避する条件を提示すする。その条件を西郷は受け取り、しばし江戸での決戦を見合わせる。
江戸に上がり、勝海舟と面会し、それにより戦うかどうかを決めることにする。

 すでに最後の将軍である徳川慶喜は、鳥羽伏見の戦いの最中、密かに大阪から江戸に逃亡。そして朝廷への恭順の意志を勝海舟は西郷との会談で伝え、江戸150万人の命をギリギリのところで救う。

 西郷が江戸での決戦を行わなかった理由がもうひとつある。

幕末、幕府軍はフランス軍に支援をお願いして、薩摩はイギリス軍に支援をお願いしていた。

実は、勝との会議の直前、西郷は英国パークス公使に使いを送り、英国軍の支援と負傷兵のための病院建設協力をお願いしていた。パークスはそれに対し、自分は英国公使。英国に対するお願いは日本政府からなされねばならない。しかし日本は無政府状態。しかも前将軍の徳川慶喜は降伏の意志を明らかにしている。何のための進軍なのか。国際法では死をもって罪にはしない。もし薩摩軍が降伏している慶喜を攻めるために進軍するのなら、英国は自国の居留民を守るため薩摩軍と戦う。

 このパークスの言葉により西郷は江戸決戦をあきらめた。

著者半藤は言う。明治政府は日本は国際法を遵守すると全世界に対し宣言した。ところが日露戦争と第一次大戦で戦勝国となり、軍が台頭。国際法を無視する行動をとるようになった。
それが哀しい。実に残念と嘆く。

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青山誠   「浪花千栄子」(角川文庫)

 書店でこの本をみて、びっくりした。殆ど忘れられているような女優浪花千栄子の本が何で今頃出版されるのか不思議だ。と思ったら、NHKの朝ドラ「おちょやん」というタイトルで浪花千栄子の生涯がドラマ化されるのだ。それに便乗して出版された本なのだ。

 あわてて出版したのか、たくさんの写真が収録されているが、中身は薄い本となっている。

私の幼い頃はまだテレビは殆どなく、ラジオ全盛時代。この時代、NHK第一放送の3つの番組、「三つの歌」「とんち教室」「お父さんはおひとよし」を家族全員で聴くのが最大の楽しみだった。

 この中の「お父さんはおひとよし」の主演が浪花千栄子と漫才師の花菱アチャコ。2人の掛け合いが本当に面白かった。番組は毎週月曜日の夜8時から8時半まで。これが終わると布団に入って寝かされた。

 浪花千栄子の生まれは今の富田林。母親という人はしょっちゅう変わり、父はひどい男で義務教育だった尋常小学校にもあまり通えず、9歳で法律違反になるが、道頓堀の茶屋に奉公にだされる。それから8年間飯と寝床は用意してあるからと無給で働かされた。最後に父親が談判してもらった金はたった15円。もちろんすべて父親がもらったのだが。

 この作品を読むと、浪花千栄子は芸を磨き上げることに生涯精進し、名女優の地位を築いたことがわかる。

 浪花千栄子と言えば、「オロナイン軟膏」のCM女優で有名。日本中至る所に「オロナイン」のホーロー宣伝看板がかかげられた。

 実は、浪花千栄子のCM起用は、「オロナイン」の社長が浪花千栄子にほれ込み決めたものだが、大きな問題があった。浪花千栄子の前のCM俳優は「とんま天狗」で一世を風靡していた大村崑だった。この大村崑をどうやって説得して交代させるか。関係者は悩んだ。

 浪花千栄子の本名は南口キクノ。(軟膏効くのと聞こえる)。これを大村崑がしり、その名前には勝てませんと言ってあっさりCMを降りた。

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久世光彦    「向田邦子との二十年」(ちくま文庫)

 次々名作を世に送り出した、名コンビ久世光彦と向田邦子。久世が飛行機事故で亡くなった向田との交流を綴る。

 向田が亡くなってからの、久世の向田観だけが語られるが、向田も同じように思っていただろうか首をかしげるところもあったが、向田に対する久世の情熱が迸っている。

 小林亜星が主人公になった名作「寺内貫太郎一家」。この作品のタイトル名がなかなか決まらなかった。当時は「うしろの正面だあれ」とか「何丁目何番地」とか、あたりが柔らかく、ほのぼのとしたタイトルが全盛時代だった。

 向田は台風がきてもびくともしないタイトルにしたいという。しかしその時、まだ主人公の名前は決まっていなかった。

 向田は昔からの強そうな名前にしたい。「大山巌」が彼女の頭のなかにはあった。しかしこれは実在した人だからだめだ。

 タイトルに「○○一家」とつけようと向田が言う。しかし「一家」はいかにも暴力団が連想されてまずいと久世は言う。紛糾したまま、打ち合わせは解散する。

 翌朝はやく、向田から久世に電話がある。
「今自宅近くの青山墓地にいるの。故人の名前を見ているの。いい名前があったよ。決めた.『寺内貫太郎』これに決まり。タイトルも『寺内貫太郎一家』。これで決まり。」

貫太郎。台風がきてもびくともしないし、筋が通っている。しかしどこか愛らしい名前だ。
「寺内貫太郎一家」。これは間違いなくヒットすると久世は思った。

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その後の久世の一言がよくない。「向田さんがこんな早起きするわけがない。墓地にいるなんて絶対嘘だ。」

 余計だ。向田は必至になって墓地で見つけたと素直に思った方が、エッセイとしては味がでるし、私は向田は墓地から「寺内貫太郎」を見つけ本当に快哉を叫びながら電話してきたと思う。

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今尾恵介   「日本地図の楽しみ」(ちくま文庫)

 日本地図をくまなく鑑賞する。「ムカツク」としか読めない地名、不思議な飛び地や県境など新しい発見を提供する、地図を楽しむための入門書。

 不思議な面白い発見をできるだけ多く紹介する本のためか、どうしてそんなことになってしまったのかの説明が無いか、根拠無しに著者の想像だけで書かれていることが多く、ちょっと消化不良感が残った。

 岐阜県と滋賀県の県境に通称寝物語という地がある。県境は小さな溝。滋賀県側に25軒、岐阜県側に5軒の家がある。本当に小さい溝のため、県境を挟んで寝物語ができるということで土地の名前がつけられたそうだ。だけど、県は異なる、それぞれの家は、岐阜県側の家では美濃方言をしゃべり、滋賀県側の家では近江方言をしゃべるそうだ。

 汽車や電車が普及する前には、馬車鉄道が一般的に利用されていたことは知っていた。馬車がレールの上を走るのだ。

 びっくりしたのだが、千葉県には県営で4つの馬車ならぬ人車鉄道が大正元年まで営業されていた。それが個人経営となった。レールの上の客車を人間が後ろから押して動かす。流石に人力では近代交通機関には成りえず、全線が昭和2年までに廃線となった。

 また小田原―熱海間にも4時間もかかる豆相人車鉄道があったが、軌間を広げて蒸気機関車の走る軽便鉄道に改良する工事が行われた。
 芥川龍之介の「トロッコ」はこの工事を見て生まれた。

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森下賢一    「居酒屋礼賛」(ちくま文庫)

 個人経営の居酒屋が本当に少なくなった。わが街の駅前も2軒を除くと全部チェーンの居酒屋になった。

 以前本で読んだが、作家の団鬼六は酒を飲みたいときは吉野家に行くそうだ。吉野家は誰かと一緒に酒を飲みにゆくところでもないし、出版社の編集者と行くところでもない。
一人で行くところだ。吉野家で酒を飲めるとは知らなかった。吉野家では酒3杯、ビール3本までだすが、それ以上は提供せず、それも夜中の12時までだそうだ。

 団さんは、誰にも邪魔されず、物語の構想を練ったりするのに最適だと言っている。そして一人で飲むには、酒3杯がちょうどう適量と言っている。

 私が通っていた会社がある、少し大きな市でも、昔あった居酒屋が無くなり、多くは、少し高級な料理を提供する料理屋になった。あまり気楽には行けなくなった。

 この作品は、居酒屋の名店を紹介しているが、それだけでなく、居酒屋のおいたち歴史を描き、それにとどまらずイギリス、アメリカ、中国の酒場の歴史、特徴にまで広げて紹介している。

 イギリスのパブは、紀元前ローマ帝国に征服された時に持ち込まれた。パブはパブリックハウスからきていて、議事堂の役割を果たす。ローマ人はパブで、政治や裁判を行った。簡易裁判は最近までパブで行われていたらしい。

 そういえばアメリカの最初の酒場も裁判所に使われていた。それにしてもイギリスはすごい。日本の室町時代にできたパブが今でも営業しているとのことだ。

 アメリカでは、絞首刑を行う前に、とんでもない量のお酒を死刑囚に飲ませ前後不覚になったところで刑を実行するようなことをしていた。

 日本の居酒屋も古くからあったと思えるが、資料として残っている中で、最も古いのは元文年間に創業した神田の「豊島家」だ。

 それまでは、うどんそばの屋台で酒を提供したり、煮売り屋という一品料理にごはんをつけてたべさせる食堂の元祖のようなところが酒もついでに提供していた。

「豊島家」は問屋から酒を仕入れ、酒樽でも売るが、酒を安く店でも提供した。
江戸はしばしば大火災が発生。その復興作業のために、多くの人足を地方から集めた。そのひとたちは「豊島屋」に集まり、大繁盛したそうだ。

 すこし本でははっきりしないが「豊島家」は今では居酒屋はやめたようだが酒屋として残っているようだ。

 それでも、一人でふらっと行って飲める居酒屋は無くなった。私も団さんのように吉野家に行くしかなくなった。

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黒岩重吾    「西成山王ホテル」(ちくま文庫)

 会社に入って最初の赴任地が大阪だった。事務所が難波の大国町にあり、仕事がひけると難波のアルサロに皆で遊びに行った。今のキャバクラに似ているかもしれない。しかしキャバクラのようにけたたましい音楽によって騒ぐことを強要するようなところとは少し違うがやることは同じ。

 今から40年以上も前のこと。当時の店の子は、今の元気のいいギャルと違い、静かなどことなく薄幸な雰囲気の子が多かった。集団就職で九州や沖縄からやってきて、工場勤めをしたが、きっかけはさまざまだが、その工場をやめ、勤めている子が多かった。そして、その子たちの多くが兄弟姉妹の数も多く、貧乏子だくさんの家庭が殆どだった。

 時々、この物語の舞台になっている飛田にも行った。まだ遊郭の名残がある街だ。しかし売春禁止法のため、この街の多くの街娼は仕事を失った。そんな子が大阪南のアルサロに通っていた。

 この中編集の中の最後の作品「雲の香り」が印象深い。

主人公の高男は、大手商社の経理部に勤めていた。ある日友達が1か月後には金がはいるから、それまでのつなぎとして金を貸してくれと頼まれ、会社のお金を融通して渡した。
ところが金は返らない。融通がばれて。会社をクビになり、行き場を失い飛田に流れた。

 毎日日雇いの人夫をして糊口をしのいでいた。

ある日知り合った星谷老人から自分の仕事を手伝ってくれと頼まれる。仕事はもぐりの税理士のような仕事で、星谷老人がお客にしている100軒の店などの、税務手伝いで節税を指南する仕事。高男はこの仕事を引き受ける。仕事は税務申告の1月から3月は忙しいが、それ以外は、時々お客をまわり帳簿をみるだけで何もすることが無い。

 朝は好きな時間まで寝て、喫茶店に行ったり、映画に行ったり、パチンコしたり。凡人にはうらやましく見えるが、これが高男には辛い。

 飛田から難波のアルサロに通っている静江としりあう。静江はヤクザをしている夫を持っているが、夫は体を壊してずっと病院生活。高男は静江に恋し、静江も高男にひかれ二人は愛し合う、そのうち静江の夫が亡くなり、」2人は一緒に暮らす。静江はアルサロをやめ、近くの服飾店に勤める。

 高男は昼間以前勤めていた会社の前に行ったりする。だめだとわかっているが、昔の商社勤めを懐かしく思い、何とか飛田を脱出して、もっと生きがいのある仕事をして、静江を幸にしてあげたいと思う。
そして静江にそのことを言うが、辛い過去を持っている静江は「今が幸。飛田からは出たくない。」と頑なに拒否する。

 ある日、東京からあか抜けた女が来る。女は、飛田の人たちの暮らしを体験したいと高男に言う。そして定期的に飛田にやってくる。高男は静江を愛しているが、この女にもひかれる。この女についてゆけば飛田から脱出できるのではと思う。

 高男がその女と逢って、アパートに帰ってくると、静江が首をつって亡くなっていた。
高男は静江と逢うべきではなかった。幸についての思いが違いすぎた。

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久世光彦   「美の死」(ちくま文庫)

 あのテレビ大ヒット作、「時間ですよ」「寺内貫太郎一家」をプロデュース、更に多くのドラマ大賞受賞作品を世に送りだし加えて文筆活動でも名をなした、大物プロデューサー久世の文学エッセイ集。

 久世は2006年に死去している。大物プロデューサーとして名をなし、思い返しても自分が素晴らしい人生を送ったと思っていただろう。

 そんな功成り名を遂げた久世が晩年、変わったエッセイを書いている。

戦争が終わって翌年の冬、久世小学4年生、食糧事情が悪く、みんな痩せていたが、その中でも最も痩せていて、着る物も粗末な女の子が一人いた。立つと体力が消耗ずるのか、昼休みでもいつも坐っていて、何もしゃべらなかった。その子は当たり前のように皆から仲間外れにされていた。久世はこの子を「蝋燭の芯」と呼んでいた。

 ある日クラスのある子が持っていた財布が盗まれた。「民主主義」「自由」「平等」という言葉が流行っていた。先生はその言葉を隠れ蓑にして、自分たちで解決しなさいとクラス委員の久世を指名して逃げた。

 久世は英雄気取りになった。絶対白状させてみせると自己陶酔に陥った。
「蝋燭の芯」を床に正座させ、お前が盗んだんだろうと何回も強く迫る。しかし「蝋燭の芯」はその都度首を横に振る。誰にも言わないから白状して。と懐柔してみてもうんと言わない。

 英雄気取りの久世はたまりかねて、持っていた節分の豆を「蝋燭の芯」に思いっきりぶつける。すると「蝋燭の芯」のスカートの裾から、水が流れだし、教室の出入り口に向かって流れ出す。長い失禁だった。

 結局盗難の件は有耶無耶となり、「蝋燭の芯」は2,3日後に転校していった。
人生大成功を収めた人が、晩年になって小学生のころのこんな苦しい記憶ばかりが浮かんでくる。
「蝋燭の芯」はその後どんな人生を歩んだのだろう。どんなに功成り名遂げても、人生で残るのは痛い記憶だ。

 久世がこのエッセイで最も印象に残っている物語として、明治時代の作家渡辺温の「可哀相な姉」をあげている。

 私も何かの短編集でこの作品を読んだ。そして本当に感動した。何でこんなすごい作家が漱石や鴎外のように知られていないのか疑問に思っていた。渡辺は慶応卒業後雑誌「新青年」の編集長になる。原稿を谷崎潤一郎からもらい、タクシーで帰る途中、タクシーが貨物列車に衝突。脳挫傷で亡くなる。28歳だった。

  そんなことを久世のこのエッセイで知った。

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| 古本読書日記 | 06:50 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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大槻ケンヂ  「変な映画を観た!!」(ちくま文庫)

ロックンローラーであり映画狂の大槻が観たたくさんの映画から、変わった映画を紹介する。
すべてダメ映画ばかりと思っていたが、大槻が高い評価をする映画もはいっている。

映画を観る前にタイトル、宣伝文句だけで観なくても変な映画とわかるのが「パイパニック」」。豪華客船パイタニック号内でくりひろげられる、3P、レズ、ゲイなどのアブノーマル・プレイのオンパレード。それで宣伝のキャッチコピーが「アナタの股間がデカプリオ」
おそろしいコミックパロディー映画だ。

 それから大作「ハルク」。

マッドサイエンティストの父親が自分の愛する息子に生体実験を行う。その時はなんでもなかったのだが、何年か後に、彼が怒ると体が緑色に変わり、超大型人間ハルクに変わる。
何しろ一歩の歩幅が2000-3000M。

 ところが不思議なのは、そんな巨人になれば、身に着けている服やパンツがビリビリに破けるはずなのに、どういう繊維を使っているのかわからないが、全く巨人化する前と同じものになっている。そこに疑問を持ってしまうと、その後その疑問が膨らみ、映画に集中できなくなる。

 そして最もヘンムービーは「てなもんやコネクション」

香港に住むボンクラ青年が、クイズ番組で日本旅行をゲットする。しかし大阪につくと、ホテルはカプセル、やくざに振り回されお金を全部盗まれる。心優しい関西のオトナたちがカンパをしてくれて、ディズニーランドに車で向かう。しかしその車の後ろドアの外では泥棒のオバチャンがしがみついている。行った先はディズニーランドではなく浅草の花屋敷。ここがディズニーランドと一緒に行った関西のおっちゃんたちが嘘をつく。

 そこでびっくりするのだが。映画が急にストップして字幕文がでる。
「車にへばりついたおばさんは、これより、なんと『男と女の二人一役』となります。よろしくね、♡。

 その後、おばさんが登場。そしてすぐ画面が切り替わり俳優室田日出男がでるが、声はおばさんの声。
 つまりおばさんと室田はこれからは同一人物と思って観てね♡ということなのだ。

撮影の途中で室田が降りたのだ。室田に似ている代役がいなくて、他の場面で使った室田を登場させおばさんにアフレコをさせていたのだ。

 こりゃあたしかにすごい映画だ。

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| 古本読書日記 | 06:34 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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ちくま文庫編集部  「おーい、丼」(ちくま文庫)

先日、妻と近くのそば屋に行った。妻が海老天そばを注文した。妻が嘆いた。衣は大きい。
エビもさぞかし大きいだろうと思うが、芋虫ほどの大きさ。どうして、あんなちっぽけなエビにあんなでかい衣を揚げることができるのだろうか。もう芸術的な揚げ方だ。しっぽも本当に小さいのだが、衣は大きい。

 この本は、作家や著名人の丼への思いをぶつけた珠玉の丼エッセイ集である。
赤瀬川原平のエッセイ「天丼」がいいなと思った。

 戦争直後、新宿はバラック小屋の街だった。西口にはたくさんの天丼屋がひしめいていた。
値段も安かったので、赤瀬川はしょっちゅう天丼屋にかよった。

 その天丼のエビ天の衣は大きいのに、中身のエビは本当に小さかった。熱い熱いとホクホクしながら天ぷらにくいつくのだが、いくらくいついても、エビに到達しない。

 やっと到達すると、本当に小さいエビが登場する。
思わず自分の股間に手をあてる。短小包茎。このエビと一緒だと、哀しい思いがせせりあがる。

テレビの「笑点」で小遊三が、取り調べ場面で、容疑者が「カツ丼をください。すると全部自供するから。」と演技する。
 かつ丼は取り調べ中の差し入れとして定番になっている。

刑事ドラマでかつ丼が登場したのは、1955年の公開映画「警察日記」だそうだ。
これで取調室にはかつ丼が定着した。

 しかし、実際取り調べでかつ丼を容疑者に食べさせることは全く無いそうだ。容疑者に出前物を与えることはまず無い。毒物を混入するスキがあるからだ。

 実際に容疑者は何を食べているのかは今でも明らかにされていない。警察署の食堂の食べ物か、食堂が無ければ、警察が認めた納入業者の弁当が使われているのだろう。

 それでも取調室にあうのは絶対かつ丼である。

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| 古本読書日記 | 06:22 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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杏     「杏のふむふむ」(ちくま文庫)

 今や大女優になった杏さんの、人との出会いをテーマにしたエッセイ集。

杏さんは本当に誠実で真面目だ。普通エッセイを書くときは、読者の気を引こうと、笑いを誘ったり感動を呼ぶような出来事を多少デフォルメして描くものだが、一切そういうことは無い。もちろん中には感動をよぶような話もあるが、筆致は極めて普通だ。

 杏さんは、中学校では野球部に所属した。大柄だったので投手がいいのではと監督に言われたが、投手にはなれなくてレフトを守ったそうだ。そして、高校では友達に引きずられて何とゴルフ部に所属した。誘った友達は、寝返ってテニス部に行ってしまったが。

 そして、東京ドーム巨人阪神戦の始球式をやることになる。

真面目だ。ただ一球だけのために、自分にあうグローブを購入する。そのグローブを自分に馴染ませるために、床に敷き、お尻をどんどんぶつける。熱い湯にしずませて、とにかく硬い皮を柔らかくさせる。

 仕事場まで毎日グローブとボールを持参して、男性をつかまえてキャッチボールの相手をしてもらう。

 極めつけは、神宮球場のバッティングセンターに併設しているピッチングセンターに通い練習をする。隣ですごい球を投げる人に出会う。

 その人が、懸命に投げ方を指導してくれ、キャッチボールの相手までしてくれた。
杏さんはその人の名前は知らない。そこであだなでズバーンさんと名付ける。

 あんなに根をつめて練習したのに本番はワンバウンドして大きくそれ暴投だったそうだ。

初めての舞台ミュジカル「ファントム」の主役クリスティーンをやることになる。「ファントム」は有名な「オペラ座の怪人」である。

 本当に驚くが杏さんは台本をもらうと、自分のセリフをすべて清書しながら、セリフを覚えるそうだ。この「ファントム」の時は、自分のセリフだけでなく、全員のセリフを一か月かけて清書し、自分の役作り、セリフ回しを作り上げてゆく。

 真面目一直線、杏さんの真摯な取り組みは本当に素晴らしい。

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| 古本読書日記 | 05:44 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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嵐山光三郎    「頬っぺた落とし う、うまい!」(ちくま文庫)

 東京文物大学助教授で並外れた美食家の主人公神崎が、うまい料理にまつわる物語を奏でる、20作の連作短編集。

 食べ物の物語には、作家の味を評する表現に想像力の深さがでる。平凡な作家はあまやか、しっとり、さわやか、きりっとひきしまったとか定番の表現ばかりになる。嵐山は平凡な作家とは異なる。どんな表現を使うのだろうかと楽しみに読み進む。

 全編を通して、一般的な表現ばかりだったが「湯豆腐がしみる夜」では湯豆腐が浮き上がってくるような表現があり感動した。

 神崎は30歳の時に千代子と結婚した。そのきっかけは渋谷のガード下の屋台で湯豆腐を食べた時。そこから付き合いが始まり、いつも渋谷に行き、居酒屋で湯豆腐を食べ、その後ホテルに行き、千代子を抱いた。

 その湯豆腐には白い銀ダラが入っていた。それは千代子のようだった。神崎が言う。
「僕は、湯豆腐を食べるように、きみを抱いていたんだぜ。」
結婚生活は5年間続いた。そして別れを決めたのも、湯島の湯豆腐屋だった。

 その後、千代子は九州の嬉野温泉にやってきて中居をしていた。そして成金のガソリンスタンドを何件も経営している親父に引かれ結婚した。

 千代子が神崎を嬉野温泉に呼んだ。小さいけど絶品の湯豆腐を食べさせる店に神崎を連れていきたかったからだ。

 その湯豆腐を口にした神崎の感動の表現が卓越している。
「ほどよく温まった湯豆腐は舌の上にふわりと載り、喉をゆっくりと通っていった。純白の雲を食べているような喉ごしであった。『う、うまい!山の雲がのどのあいだを降りてゆくようだ』」

 こんな表現にであうと、少し幸気分になる。

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| 古本読書日記 | 06:04 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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黒田龍之助   「世界のことばアイウエオ」(ちくま文庫)

 英語、中国語、フランス語といったよく耳にする言葉から、サーミ語、ゾンカ語、リンガラ語と殆ど馴染みのない言語まで、100の言語をアから、順番に綴ってゆくエッセイ集。
 結構内輪のエピソードと言語学独得の解説が多くて、すこし読むのが苦痛だった。
最近はイタリア語を学ぶ人が増えている。イタリアに魅力があるからだ。美味しい食べ物、美しい風景、明るく人懐っこいイタリア人の人柄。イタリアに旅行してイタリア語が使えたら楽しいだろうなと思って学ぶ人が増えているから。

 著者がイタリアに行き、たどたどしいイタリア語でレストランでメニューの説明を聞く。
ウエイトレスが陽気に笑いながらついてくるように促す。調理場に連れて枯れる。その料理はこれと指差し教えてくれる。

 私の小学校時代「可愛いあの子は誰のもの」という歌が流行った。この歌はインドネシアの歌だった。
 みんなで一緒に歌った。歌い終わると次は意味はわからないがインドネシア語でみんなでまた歌った。
「ノーナマニシャパヤンプーニャ」このエッセイでなつかしく思い出した。

同じく小学校の時、みんなでよく歌った「牧場の小径」という歌があった。この歌はチェコの歌だった。歌の最後にチェコ語で歌った。「ストドラ ストドラ ストドラパンパ」なつかしい。「ストドラパンパ」の意味は農場の井戸ということだ。

 スウェーデン語には男名刺、女名刺が無く、両性名刺だけがあるそうだ。
さすが男女平等社会だと思った。日本でも、彼、彼女という言葉はどちらかが無くなり、男、女問わずみんな例えば「彼」と表現する世界がくるかもしれない。そしてその場合「彼女」は差別用語になるかもしれない。何となく寂しい気持ちになる。

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早川義夫   「たましいの場所」(ちくま文庫)

 驚いた。何回も見開きの著者プロフィールを確認した。この本あの歌手の早川義夫が書いたの?と。

 私の大学時代早川義夫はジャックスというグループで歌手としてデビューした。サングラスで長髪。雰囲気が陰気だった。デビュー曲の「空っぽの世界」早川の雰囲気そのままの陰鬱な歌だった。ジャックスはすぐ消えてなくなるだろうと思っていたら3人の女子大生グループが早川が作詞作曲した「サルビアの花」を歌い大ヒットした。もちろんジャックスも歌った。

 当時、雑誌で早川は歌手をやめて本屋を営んでいることを知った。この本を読むと、ジャックスを解散、しばらく事務所の社員をしていたが、それをやめ本屋を始めたと書かれていた。本屋を20年余やって、また音楽業界に戻り45歳になって再デビューをした。併せてこの作品も出版している。

 しかし、あの陰鬱な早川、とても45歳にもなってのデビューでは売れないだろうと思う。そしてやっぱり売れてないようだ。
 とても食べてはいけないだろうと思ったが、このエッセイ集では微塵もそんな雰囲気は無い。世の中たった1曲のヒットで食べている歌手もいるからなあ。それにしても「サルビアの花」は早川が歌って売れたわけでもないし、早川が歌っていたことなど知っている人も殆どいないだろう。

 なかなか歌ができなくて苦しいと早川は書く。一年で一曲しかできないと書いている。
これでは本当に食えないはずなのに。どうなっているんだ。

 早川の父親が事業で成功。早川の家にはお手伝いさんがいたそうだ。早川の書店もビルを親から譲り受け、一階を店舗にし、2階から上を住居にしていた。
 今は、アパート、マンションを持ち、その家賃収入で暮らしている。
何だ。歌なんか売れなくても、全然問題ないんだ。

少し生活が苦しくならないと、なかなか売れる歌は作れないように思う。しかしちょっぴりうらやましい。

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| 古本読書日記 | 06:18 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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黒川博行     「果鋭」(幻冬舎文庫)

 数年前近くのパチンコホールが不正台使用で警察に摘発され営業禁止に追い込まれた。どんな不正かと思ったら、パチンコ台はメーカー出荷時に配置された釘をホール納入後に動かしてはいけないことになっているそうで、この釘を店が動かしたことが発覚したため、営業停止になったとのこと。

 驚いたパチンコ営業には釘師という仕事人がいて、パチンコ台の釘と釘の幅を広げたり、狭めたりして、大当たりを操作していることは誰でも知っていて、こんなことで摘発されるなど考えられないことだからだ。

 この作品は、パチンコ業界が警察といかに癒着しているかを暴露している。パチンコホールは不正を当たり前に行い、これを警察から摘発されないように、お金を警察に上納したり、警察OBの受け入れ先になっていることを詳細に描いている。

 しかし不正を行っているということは、実態を暴露されると業界も警察も大打撃を受ける。ここにつけこんで、お金をかすめとろうとする警察を追われた元警察OBがでてくる。そんな元警察OBと腐敗警察権力とのせめぎあいを物語は描く。

 この物語によると、ホールのコンピューターシステムはパチンコ台メーカーがセットアップして、台の納入時に抱き合わせで販売しているらしい。そのため、客への還元率は、ホールの島ごとに無線によりどこからでも設定できる。客が集中する週末や年金支給日には還元率は80%,平日は90%にするように操作する。80%に設定を続けると、勝てる客は殆どいなくなり、ホールは閑古鳥状態になる。90%にすると客をつなぎとめることができる。

 こんなことが行われているのなら釘師は不要になるように思うのだが。

 物語では警察OBが退職して、既存のホールを買収、パチンコ経営にのりだす。
その買収資金は警察の権力をバックに、既存のパチンコ店に奉加帳をまわしあつめられる。

 パチンコ業界団体には遊技共同組合という組織がある。関西には関西遊技共同組合があり組合は月一台あたり120円を会費として徴収する。これが年間4億円以上になる。このうち1億円が組合理事長、副理事長が好きに使う。このお金から、警察幹部がおこぼれをもらい愛人をかこったり、贅沢生活を実現させている。

 パチンコ業界団体は警察幹部にとって、暴力団衰退の後、それに代わる、強力な集金団体になっている。

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| 古本読書日記 | 07:12 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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フランク・レンウィック   「とびきり哀しいスコットランド史」(ちくま文庫)

 会社に勤めていたころ、たびたび出張でスコットランドを訪れた。スコットランドに入ると使われる紙幣がイングランドと違う。
スコットランドは法制度、教育、裁判制度はイングランドや他の連邦州と異なり完全に独立している。国家としては国際法上認められていないが、独立地域として認められている。

 スコットランドは紀元前10世紀ごろ、大陸よりケルト人系のピグト人が到来して一部が治められる。その後、アイルランド島より、スコットランドの源となるスコット人ゲール族が入植し、南東部にアングル人が入植し、これに既存のピグト人が加わって群雄割拠の時代にはいる。

 そしてローマ帝国と戦ったり、東からはバイキングが襲来したりする。
9世紀にはいり、スコット人がピグト人国家を征服してスコットランド統一国家ができあがる。

 その後は隣国のイングランドとずっと血みどろの戦いが続く。

1603年、エリザベス1世が亡くなり、スコットランド国王ジェイムス6世がジェイムス1世としてイングランド国王につき、イングランド国王が、スコットランドも含め統一国家の国王となる。しかしすぐに崩壊し、また戦争を繰り返す時代となる。

 スコットランドはイングランドに負けまいとして、海外進出を目論む。しかし、海外はすべての地域でイングランド支配になっていて、入り込む余地がない。

 進出につぎ込んだ資金が膨大で、国家財政も破綻寸前となり、スコットランドは立ち行かなくなる。
私は今まで、スコットランド併合はスコットランドがイングランドとの戦争に敗れ実現したと思っていた。

 しかし1707年連合法が制定された。スコットランドの支配階級は、イングランドと平等な地位活動を求めていた。しかしイングランドは「カラス麦を主食にしているような人たちと同等になれるか」と拒否する。

 その代わり、イングランドは398、085ポンドを馬車につんでスコットランドの支配階級にばらまく。これで支配階級は寝返って、ロンドンに行き、ロンドン市民に大歓迎を受ける。

 びっくりした。スコットランドはイングランドに買収されたんだ。
お金の力はすごい。米中戦争なんて言っているけど、我々の知らないところで、お金により状況は一変するのだ、世の中は。

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| 古本読書日記 | 07:10 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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桂枝雀    「桂枝雀のらくご案内」(ちくま文庫)

 生前桂枝雀が愛してやまない持ちネタから60の落語を厳選して、その内容、その落語にまつわるエピソードを描いた作品である。

「かぜうどん」という落語がある。

夜泣きうどんを屋台で売っているうどん屋。ある場所で客がうどんを売ってくれと声がかかる。客の声が小さい。実は近くで博打をしていて、大きな声がだせない。10杯も買ってくれて、しかも釣りはいらないと言われる。

 これに味をしめたうどん屋が、またその路地を通る。するとまた小さな声で「うどんをちょうだい」と声がかかる。うどん屋も気をきかしてちいさな声で「何杯いりますか。」
またちいさな声で客が答える。「一杯だけだよ。うどん屋さんも風邪をひいたの?」と。

この落語も面白いのだが、この落語の見どころはうどんを食べるところの演技がいかに上手に演じられるかというところ。

枝雀の内弟子桂べかこが演技を習得するために、そば、うどん、ラーメンを並べて実際に食べ、これを録音して再現させる。
 すごいことをするものだと感心していたら、結果はどれも同じだったそうだ。

最近はカブトムシやクワガタはいなくなり、デパートなどから購入してくるのが一般的になった。
 ある子どもがカブトムシを買ってきたのだが、えさをやり忘れて死なせてしまった。

子どもは死んだカブトムシをデパートに持って行って、店員に電池を交換してとお願いした。強烈な皮肉。

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長江俊和  「東京23区女」(幻冬舎文庫)

 主人公のライター原田璃々子は23区のルポを書くために、いわゆる心霊スポットをまわっていた。それにはいつもやたらに東京に詳しい民族学講師島野が同行していた。

 作品は心霊スポットで起きた事件とそこを回る璃々子と島野の怪奇現象を追求する場面が交互に描写される連作集になっている。

 それぞれのホラー物語も面白いが、島野のスポットについての説明にうなる。

東京はかってたくさんの川が流れていた。昭和39年東京オリンピック開催されるにあたり、川が交通の邪魔になるし、ドブ川の悪臭がオリンピックにはよくないとなり、多くの川にフタをして、川は暗渠となって地下を流れるようになった。

 若者でにぎわう原宿の表参道も地下に渋谷川が流れている。葛飾北斎が冨獄三十六景では渋谷川にかかる水車が描かれている。

 渋谷川の支流河骨川の風景を詩人高野辰之が明治の終わりころ歌にしている。

それが童謡で有名な「春の小川」。驚く。「春の小川」は渋谷センター街のあたりの田園風景を歌ったのだ。

 明治の初めモースが大森貝塚を発見した。モースはダーウィンの進化論者だったが、当時イギリスから来ていた宣教師のヘンリーフォールズは神が人間を創造したと唱えるキリスト教信者であったため、進化論の間違いを探そうと調査を行う。貝塚からはたくさんの縄文式土器が発掘された。もし猿から人間が進化して誕生したのなら、縄文時代の土器についている指紋と現代人の指紋を比べれば相当指紋が異なっているはず、これで進化論はくつがえされると調べたが、結局進化論はくつがえれなかった。

 しかし、このことにより、指紋は人により異なることがわかり、事件捜査で有用な証拠になることになり、指紋が捜査手法として世界的に採用されるようになった。

 驚く。指紋捜査の原点は大森貝塚にあったのだ。

 作品はミステリーなのだが、いろんな知識、情報が盛り込まれていて、勉強になった。

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益田ミリ    「痛い靴のはき方」(幻冬舎文庫)

 益田ミリさんの感性が好きだ。楽しそうな生活を満喫しているとは作品から想像できるが、どこかに個が屹立していて、それが言い難い哀愁や孤独感を感じさせる。

 ある真冬の夜、一日の用事を済ませて家に帰るため、駅前の自転車置き場に向かっている。
いつも外出するときにはリュックサックを背負っている。この中に必要なものは全部詰め込んでいる。打ち合わせ用の書類。いろんな請求書。習い事の道具など。しかし、一日背負って歩いていると、リュックが肩に食い込み重い。

 疲れたと心底感じる。
交差点に立つ。信号が青に切り替わる。たくさんの人が歩道を渡りだす。
青信号がせかす。ススメ、ススメ、ススメと。

こんなに疲れているのに、何で信号に強制されなければならないんだ。意地になって、逆らって立ったまま動かない。
 しかし、信号が点滅しだすと、あわてて走って渡る。

自転車置き場で小銭を払って自転車をひきとる。背負っていたリュックを籠にいれる。瞬間一気に身軽になる。
 そして思う。青信号に怒ったのは初めてだと。
いい感性だなあ。

 益田さんは、よく思いついて一人で旅にでかける。面白いのだけど、旅先で、観光したり、名所旧跡をまわったりはしない。東京にいるように、本屋をめぐったり、喫茶店で過ごしたり。

 思い立って一人で沖縄に行く。沖縄に行ってもいつもの東京生活と同じように過ごす。そして一泊して東京に帰ってくる。羽田でも本屋をまわり、喫茶店でコーヒーとおやつを買い、飛行機が見える窓際の席に座る。

 そして思う。いったい自分は何をしているのだろうと。自分には人生ってやつが別にいて、いつも自分をかってに引っ張っている、と。

 思わずテーブルにつっぷす。でもそうだと思って背筋を伸ばして、書店で買った本を1時間ほど読んですごす。自分に少し悩んで落ち込むが、これではいけないとすぐ体勢を立て直す。この振幅がたまらない。

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よしもとばなな  「サーカスナイト」(幻冬舎文庫)

 バリ島で生まれ育った主人公のさやか、20歳で知り合った一郎を好きになり、大恋愛をする。その後一郎の母親が暴力事件に会い、巻き添えにあったさやかは親指の付け根を粉砕され、親指が使えなくなる。この事件の直後恋人一郎は失踪する。

 その後さやかは、人間的に優しく、尊敬できる悟に遭遇する。一郎のように恋人にはならないが、なんでも語りあえ相談できる人だ、悟は。その悟がガンに侵されるそして余命いくばくもないと宣告される。

 悟は、さやかに「自分の子供を残したい。」と要求する。さやかはひるんだが、熱い説得で了承する。そして、子供ができ、さやかは悟と結婚し、娘みちるを出産する。さやかはみちるとともに悟の両親と一緒に住む。

 そんな時、突然一郎から手紙がくる。それはさやかにあてたものか、悟の両親にあてたものかわからない。手紙には、さやかが住んでいる悟の家に、一郎家族は一郎が幼い時に住んでいたことがある。実は一郎は双子で生まれ、兄がいた。しかし、兄は生後まもなく亡くなり、その骨が、庭のハイビスカスの木の根元に埋められている。それを掘り出してほしいと書かれていて、庭を掘ってみすと骨がみつかる。

 失踪した一郎は生きているの?死んでいるの?悟はもうすぐ死んでしまう。

 ここからさやかは大きく揺れ出す。本当に好きで今でも愛している一郎が目の前に登場する。だが、自分には愛してはいなかったが、尊敬する悟の子供みちるがいて、自分は悟の両親と生活している。しかもさやかは親指が使えない障害者である。

  さやかは、今はみちるが最も大切な子で、みちるを育てることが生きがいとなっている。現実と一郎への真摯な思いがなかなか溶け合わない。

 悟の母親が、みちると一緒にいたいが、一郎に対しかたくなになってはいけないとゆっくり説得する。さやかは、記憶をときほぐしながら、一歩一歩自らの人生を前に進めてゆく。

 それにしても、この物語も吉本独得の作風が現れている。一人一人の会話がすべて訓戒調。小学生時代のみちるが長い人生をおくってきたような言葉を連発する。
 我々が暮らしている世界から遊離している。それが素晴らしいという人もいるかもしれないが、私には大きな距離がある。

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小林聡美    「キウイおこぼれ留学記」(幻冬舎文庫)

 ここ2冊、小林にはハワイ旅行記、メキシコ旅行記、どちらも読者無視の自己満足旅行記でだまされている。しかし今度手にした本は留学記である。40歳を超えて留学を決意するとはすごい。たぶんドタバタ、トラブルが山のように書かれ、こんどこそ楽しい本だろうと手に取ってみる。
そして驚愕する。

 留学先はニュージーランド。それはいい。しかもホームステイ。楽しそう。
 しかし、何と留学期間はたった一週間。そんな留学がある?もうそこだけでがっくりときた。しかも、小林留学中お腹を壊して学校は休み。学校へ登校したのはたった3日間。

 それでも学校からは、修了証書がでる。何が修了したのか?不思議な留学である。
しかもこの留学には幻冬舎の編集者と小林が所属するプロダクション社長が同行している。

 それがニュージーランドの慣習なのか、ホームステイ先の慣習なのかわからないのだが、変わっているなあと思ったのが、食事のとき水分をとらないのである。酒類、水、ジュースなど一切摂取しない。これは辛い。夕飯では軽くビールくらい欲しくなるのに。飲兵衛の小林には辛いホームステイだ。

 それから、食事中は歓談するが、食事が終わると、一斉にテレビをみる。とにかくのべつまくなしテレビである。

 昭和の時代、家族みんなでテレビを見ていたことを思い出したが、一方、ニュージーランドでも孤独老人が朝から晩までテレビをみるしかない姿も浮かんでくる。

 たしかに、ニュージーランド、観光やトレッキング、レジャーでは人気の国だとうは思うが、広大な草原に羊たちの国。そこに住むとなると、ホームステイの家が一般的な姿かもしれない。

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| 古本読書日記 | 05:47 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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深町秋生    「ダブル」(幻冬舎文庫)

 すさまじいノワール、バイオレンス小説だ。殺し合い場面が何回も登場するが、徹底的な陰惨な描写が続く。

 特に暴対部の女性刑事園部桂子が全裸にされ凌辱を受け、とどまるところのない暴力を受ける場面は読むのが辛くなった。

 主人公の刈田誠次は孤児施設で育てられ、施設では一匹狼の大悪党で人殺しもしている。
こんな粗暴な過去を持つから、まともな仕事に就くことは不可能で、CJという効能は覚せい剤と同じだが価格が安く大量に作られている麻薬を、一手に調達し販売して莫大な利益を上げているマフィア「神宮グループ」に入り活動していた。

 ところがある失敗で、総帥神宮に弟、恋人を殺され、刈田自身も海に放りだされたが、通りかかった船に救助され、九死に一生を得る。

 この時、神宮の言葉が刈田のその後の人生にずっとついてまわる。
「君は火炎そのものだ。魂を砕かれたまま育った特有の暗い火だよ。つねに何かを燃やしてなければ生きていけない。」

 この時、刈田は神宮を殺害することを決意する。

 助かった刈田は、刑事暴対部の園部桂子に韓国に連れていかれ、整形と声帯まで変える手術を受け完全に別人に生まれ変わる。名前も佐伯と変える。そして桂子に再度スパイとして神宮グループに忍び込むことを指示される。

 しかし、神宮も失踪していて行方がわからない。
そして多くの殺し合いがあり、最後に仇敵神宮に会う。驚いたことに神宮も整形していて別人になっていた。それぞれ別人になっていた、刈田と神宮が対決する。神宮は対決で死ぬが、刈田は重傷を負うが助かる。

 凄惨でひたすら暗い雰囲気の小説だった。

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| 古本読書日記 | 06:29 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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貫井徳郎    「後悔と真実の色」(幻冬舎文庫)

 山本周五郎賞受賞作品。679ページにも及ぶ大長編である。

女性が帰宅途中公園で刺されて殺される。その死体から人指さし指が切り取られて持ち去られていた。ここから、捜査本部がたちあがるまでに74ページを費やす。捜査本部の組織構成、本部に集められた刑事の人間関係を詳細に描いているからである。
通常のミステリー小説なら多くて20ページもあれば描けるのに、そこまで説明必要ないと思われる内容を詳細にしつこいくらいに描写する。その作者の姿勢は最後のページまで貫かれる。貫井の特徴なのかもしれない。

 この物語、ネットで「指蒐集家」と名乗る男が、殺害日時を公開し、その予告に従い、2件の女性殺害事件がおき、いずれも人差し指が持ち去られる。

 最初の事件から3件の事件が起こり、主人公捜査一課のエース西城をはじめ捜査過程はいろんな刑事たちの捜査行動言動が個性的で緊張感もありおもしろい。

 ところが、途中で西城が強引捜査で一線からはずされ自宅謹慎になり、更に謹慎中に愛人宅にいりびたっていたことが暴露され解雇される。

 そこで、捜査過程の描写はまったくなくなり、西城の育ってきた人生、家族、妻と結婚にいたる過程、そこから愛人を持ちその暮らしを100ページ以上にもわたり描く。

 女性殺害事件がどうなるのだと思いながら読んできた読者はこの100ページは何のために書かれているのかいらいらしてしまう。

 ミステリーなのか登場人物の生きざまを描く物語なのか中途半端でわからない。
しかしこの100ページも含め、警察内での人間模様、ネットについてのしつこい説明が最後に統合して見事なクライマックスにつながる。

 でも、流石に内容に比して674ページはいくらなんでも長すぎる。


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| 古本読書日記 | 06:26 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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