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2020年03月 | ARCHIVE-SELECT | 2020年05月

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北村薫    「水に眠る」(文春文庫)

 しゃれた10短編を収録。この短編集のすごいのは、それぞれの短編に対して、有栖川有栖、加納朋子、貫井徳郎など豪華小説家が作品の解説を書いているところ。

 北村の作品は、ミステリーあったり、SFだったり、内容は過激な作品ばかりなのだが、文章は柔らかく優しい。こういう文体を訓練して作り上げたのか、それとも北村自身が穏やかで暖かい性格なのか。読んでいて実に読みやすい文体である。

 本のタイトルになっている「水に眠る」。主人公が同じ新入社員のときあるビルの地下にある会員制バーに連れていかれる。そこで、メニューには無い、特別なカクテル、シャンディ・ガフを飲みその味に感動する。

 バーに連れていってくれた同期の同僚HS、1年後北海道へ転勤する。主人公はシャンディ・ガフを味わいたくて一人でバーにしばしばでかける。

 マスターはシャンディ・ガフは多く作れないから、特別な人にしかださないと言って、そのカクテルの誕生の秘密を教えてくれる。

 中学生の時、化学室でガラス管の底に指を突っ込み、そこに水を入れてあげる。その水を横から眺めると、水の表面に水の皮ができている。机の上に先に針が付いている千枚通しのような道具があった。それを右手につかむと、皮と水の間に差し込み、皮をすくってとりあげる。それを飲むと、澄み切った味がする。

 中学校ではそれで終わったが、バーを持ったとき、ミキシンググラスにミネラルウォーターを注ぐ。そこにできた水の皮をナイフで取り上げ、それだけで飲むと少し塩味があり、それだけでは飲めない。その水の皮をウィスキーに入れると、あの切ないような味わい深いカクテルになるのだと。

 水の皮を採取するところは秘密でみせてくれなかったが、シャンディ・ガフをマスターは作ってくれた。

 主人公は帰宅して風呂にはいる、そして、風呂にできた水の皮をひとつひとつ鋏で掬い取って、風呂を水の皮でいっぱいにする。
 水の皮がやさしく体を包む。極上の風呂に主人公はこれ以上ない幸に包まれる。

読んでいると、水の皮など無いのに、存在するように思えてくる。北村マジックの力だ。
 水の皮に包まれた風呂につかりながらシャンディ・ガフを味わいたい。

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西加奈子    「サムのこと 猿に会う」(小学館文庫)

 3篇の西の初期作品が収録されている。「サムのこと」は西の最初の小説。この作品を抱えて東京にでて編集者に読んでもらい、編集者が感動。小説家の道にはいる。

 読んでいて初々しさを感じる。表題の2作品、登場人物は社会の縁を回っている。しかし、縁からこぼれおちはしないで、確実に社会の構成員として生活している。

 落ちてしまって、その惨めさや苦しさを表現する物語より、それなりに懸命にあるいはだるく縁を回っている姿を活写する物語が私は好きだ。

 作品「猿に会う」で仲良し3人組が難波に行き。イタリアン系のファミレスにはいる。
そこで一人の娘が。「スパゲッティにする」と言う。そうすると別の娘が、「今はスパゲッティとは言わないの。パスタって言うの。」と忠告する。そこから西さんの畳かける表現がさく裂する。「デザートじゃなくてスウィーツ、とっくりでなくタートルネック」「チョッキではなくベスト」

 言っていることは当たり前のこと。だけどこれが簡単にはでてこない。西さんはおしゃべりな人のように思う。このしつこく、これでもかという畳みかけが関西人らしく素晴らしい。

 3作目の「泣く女」では、野球部の友達同士が、竜飛岬に旅行に行く。片割れの子があおむけになって眠るとその姿勢のまま朝まで起きない。

 その寝姿を西さんは「出棺スタイル」と表現する。圧巻の表現。思わず見事!と拍手をおくる。

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森絵都     「出会いなおし」(文春文庫)

 中編3篇を収録。

本のタイトルにもなっている「出会いなおし」は男と女が仕事の関係から出会い、仕事が終わると互いに気になりながら別れる。それが何年かたつと、また偶然、必然で再会する。それが何回かくりかえす。淡い恋が静かに流れる名作だ。

 面白かったのは2作目の「カブとセロリの塩昆布サラダ」。

 主人公の清美は都内のアパレル会社に勤めている。夫と2人暮らし。料理が大好き。この30年間、夕食は主菜、副菜、香の物、味噌汁を必ず手造りで時間をかけて作ってきたが、さすがに最近疲れてきて、一つの料理は帰宅途中のデパ地下で間に合わすことが多くなった。

 新宿のデパ地下で、掛け声につられて「カブとセロリの塩昆布サラダ」を試食のうえ気に入り購入。518円だ。

 ところが家に帰って食べてみると何と袋にはいっているのはカブではなくだいこん。バカにしている。ここからがすごい。料理名人の主人は、カブの料理だったらいくらでも作れる。と。76の料理名が2ページにわたって書かれる。度を失った主人公の様子が見事に描かれている。

 早速店に電話する。担当者が大分待たされてでてくる。そして、主人公を馬鹿にしたような態度で「そんなことあるわけがない」と言う。それで主人公は怒って、「食べてみてくれ。その後結果を報告してくれ」と言って電話をきる。

 1時間すると、担当者の上司なる人が電話をよこす。確かめたところダイコンが混ざっていたことがわかったと。ついては、銀行口座を教えてほしいと。代金518円を振り込むからと。

 普通はこの辺で手をうつ。何しろたった518円のことなのだ。しかし怒りが高ぶった主人公はおさまらない。「あなたではなく、最初の担当者が確かめたのかちゃんと聞きたい」と。

 2時間たって。雨ふるなか玄関に2人の男が立っている。そしてひたすら謝る。

たかぶる気持ちは抑えられない。クレーマーというのはここまでいってしまうのか。
 主人公はべつに今までクレーマーになったことはなかったのに。

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司馬遼太郎    「箱根の坂」(下)(講談社文庫)

 北条早雲、沼津の興国城の城主として駿河国東地域を治めていたが、年貢を大幅に軽くしたため、資金がショート。結果駿河東の統治が難しくなり、伊豆を攻撃して支配下にし、資金を潤沢にする。そして最後は箱根の山越えをして、大森氏が収めていた小田原城を攻め攻略。

 その後の関東制覇の足掛かりにする。ここに新しいタイプの武将が誕生し日本は戦国時代へ突入する。

 司馬はこの大作の最後に、室町から戦国時代へ早雲の登場は革命だったと折りに触れ説明してきたと書くが、読解力が無いのかそれがよくわからなかった。

 最初、足利政権は勃興する農民、武士を抑えきれず、肝心な年貢の徴収もできず、年貢は地方の武士棟梁や管領のところで留まる。足利政権は莫大な資金をどこで手当てしたのか。それは中国明や宋との貿易の利益で手当てしたようにこの作品を読んで思った。しかし、足利政権は生活が華美で、抱えていた武士貴族を養えず、貴族は没落して都を去らざるを得なくなり、足利時代は終わったのだと考えた。後に天下を取った、秀吉やこの物語の主人公早雲も検地を徹底して行い、厳しく年貢を取った。

 しかし、この考えも違う様に感じた。後継者相続法が無いため、足利は没落したと再三再四司馬は言うが、これもあまりピンとこない。農民、武士の台頭が著しくなり、革命につながったとも指摘するが概念としては分かるが空想的でありピンとこない。

 それから、もう一点、早雲が何故小田原征服をめざしたのか、その動機もはっきりしない。
攻略場面描写は迫力があるが、早雲の生い立ちから、小田原攻略をする理由が無いように思えた。

 司馬にはすべてわかっていたとは思うが、肝心な点が明確に物語らないので不満な作品になった。

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司馬遼太郎    「箱根の坂」(中)(講談社文庫)

 室町幕府時代は、跡目を決める相続法が確立していなかった。徳川時代はこれが確立していて。この相続法に違反した相続をすれば、大名取り潰しになったり、相続については幕府の承認が必要だった。

 もちろん室町幕府においても、跡目相続を行う場合、内容がトラブれば、幕府が裁定することになるが、幕府の力が弱く、裁定能力が全く無かった。

 早雲(伊勢新九郎)は、長男の命令で足利義視の申入衆をしていた。申入衆というのは、足利将軍や家族のお世話をする側用人。 足利義視は将軍義政の三歳年下の弟。義政の息子が幼少のため、将軍義政は弟に将軍を譲ることを決めていた。

 ところが妻の日野富子が幼少の息子義尚を後継することで譲らない。それで、将軍そのものが後継を決めることができない。

 後継相続法が無いこと、足利幕府の力が弱いことのために、足利家も含め、全国の豪族、地頭などで、相続をめぐって、戦いが巻き起こっていた。足利義政の後継を決める際に、その管領も巻き込んで起きた争いが応仁の乱である。管領というのは徳川幕府でいう大老、老中の役割をする祭り事すべてを決め取り仕切る役割をする。

 こんな状態だから、全国で跡目争いのため、戦が常におこなわれていた。
室町時代は内戦ばかりの時代だった。

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| 古本読書日記 | 06:24 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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司馬遼太郎   「箱根の坂」(上)(講談社文庫)

 足利時代、初めて小田原城を攻め落とし、領国主となり、戦国時代の幕開けを主導した北条早雲の後半生を描いた三巻にわたる大巨編。

 源頼朝が平家により伊豆に島流しをされ、そこから平家を駆逐。その時伊豆の豪族北条氏が支援。幕府立ち上げ後も頼朝の側近として頼朝を支え、源氏滅亡後は源氏に代わり、執権として幕府継続させた北条氏とのつながりが北条早雲はあると思っていた。

 しかし、この作品を読んで、全く関係ないことを知り驚いた。

北条早雲は、生まれは京の南宇治平等院に近い、田原村の出身で名前を伊勢新九郎と言った。

 駿河の国に浪人となってわたり、そこで今の沼津に領土を与えられ、興邦城を築き、そこから伊豆を攻め、自らの領土にする。伊豆韮山の近くに北条という村があり、そこに城を築き伊豆を支配する。そこで、領民から「北条様」と呼ばれ、そこから北条早雲と言われるようになる。

 元々伊豆を支配していた北条に対し早雲は後北条と言われた。早雲は北条という認識は無く、生涯北条早雲と名乗ることは無かった。

 上巻は、多分事実ではないだろうが、新九郎(早雲)の妹とされている、千萱が駿河の大名今川義忠に嫁ぎ北川殿となる。ところが義忠は、隣国遠州との戦いで討ち死にしてしまう。結果今川家に相続騒動が勃発する。その争いで千萱が危ないと感じた新九郎が駿河までやってくるところまでを描く。

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指方恭一郎    「銭の弾もて秀吉を撃て」(日経文芸文庫)

 豊臣時代、博多津の大海商島井宗室を扱った小説。今はなくなったがダイヤモンド社が主催した城山三郎経済小説大賞を受賞している。

 歴史大家と言われる人たちの歴史小説を結構読んできたが、大家になればなるほど、史実に忠実で、自らの想像で描くところは「~だったろう」とか「~だったと考えてもよい。」という表現になる作品が多い。うの目たかの目の歴史研究家や他の小説家からの批判をかわすためにそうしてしまうのだろう。

 この新人作家指方は、史実に無い部分を大胆な想像力をもって、物語の世界を築き成功している。

 島井宗室は、子どものとき、家が没落して、奴隷として売られ、朝鮮にわたる。そこで権家という家庭に買われ、奴隷として暮らす。厳しい生活のなか、権家に勤めている人や、三礼という娘の協力で、権家から逃走し、日本に戻り、路上できゅうり売りをしていたところ、島井家の主人島井次郎右衛門に遭遇。この次郎右衛門に拾われそして能力を認められ、島井家の娘佐枝と結婚、島井家の後継者となり、やがて島井家の当主となる。

 ここまでが作品の」四分の三をしめる。島井宗室の半生は資料がなく、指方の想像物語だ。そしてこの部分がめっぽう面白い。

 秀吉が朝鮮出兵を決めたとき、島井が朝鮮について詳しく、島井がもともと武士で、大友宗麟との闘いに敗れ、没落していたことを秀吉は知っていて秀吉は島井に挑戦出兵の先陣をきれと命ずる。

しかし、島井には朝鮮に多くの恩人、友人がいて商売もしている。だから朝鮮出兵に反対。処分覚悟で秀吉の命令を拒否。秀吉の怒りをかったが、持ち船を使って物資の補給にあたる。

 島井は、出征兵士たちが餓死寸前になるが餓死にはならないように図って、物資を供給し、兵士たちの戦意喪失を狙う。餓死させるような状態にすると、兵士が朝鮮の家々の略奪をするからである。

 秀吉の目的は、朝鮮を征伐して、大国明を打ち負かし、中華の王になること。しかし、明に入るには朝鮮、中国明との国境、峡谷が険しい道なき道を進軍せねばならない。しかも、そこには大量の獰猛な虎がいる。そこに乗じて、島井は秀吉の大名石田三成を通じ、出征軍に指示をださせる。

 「秀吉は虎皮を、所望している。虎退治をして、虎皮を太閤に進呈しろ」と。
これで朝鮮征伐どころではなくなり、兵士は先を争って虎退治をするようになる。大阪城は虎皮だらけになる。ここでつながる、加藤清正の有名な虎狩りの話。

 物語で初めて知ったのだが、秀吉は朝鮮出兵中に大阪城内で倒れ、半身不随、言語障害になり、ほぼ寝たきり状態になる。朝鮮退却を秀吉は命令できず、出征軍の各領袖の判断で撤退をした。

 秀吉の野望を打ち砕いたのは、島井の絶妙な裏采配があったとこの作品は描く。
多分この通りだったと思う。そうでなくても指方の物語は見事。

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トム・ラックマン   「最後の紙面」(日経文芸文庫)

 ローマに1945年に設立された小さな英字新聞社が2007年に幕を閉じるまでの連作短編集。少し変わった形式。短編はオムニバス形式で、新聞社に勤める個々の人や家族、恋人の間に起こる人間模様が描かれ、それ事態は、新聞社が破綻する経過とは直接関係ない。新聞社の歴史は、オムニバスの幾つかの物語の間にさしはさまれている。短編もじっくり読み込めば、新聞社の困難が描かれていたかもしれないが、そこまで読み込めなかった。

 その新聞は、平均一万五千部販売。最高の時でも二万五千部。これで、通信会社の配信記事でまかなったが、世界で起きる ニュースをカバーするのだから大変。ちょっとしたタウン誌の発行規模。これでは、もちこたえられるわけがない。結局新聞を発行してきた五十年余一度も黒字になったことがなかった。新聞社はアメリカの大富豪が名誉と趣味で設立していた。

 メディア会議で編集主幹のキャスリーンがスピーチする。

「私たちはますます未来に向かって前進します。科学は日々進歩し社会は変革します。だから50年後今のスタイルで存続していないかもしれません。しかしニュースは確実に残ります。質の高い報道は、確実に称揚の対象になります。それが紙ではなくテキスト、コンテンツと形態は変わっても。わが紙はどの媒体より誠実にその使命を果たしてゆきます。わが紙は、あまたある国際報道機関の中の良質な情報源であります。ぜひ一か月ほど購読いただき確かめて頂くようお願いします。」

 しかしスピーチの間別の声が心に響く。

「実をいえば、わが紙は、科学技術の最先端を行ってはいません。ウエブサイトすら持っていないのだ。発行部数も少しずつ減少している。財政は火の車。赤字は年々膨らみ、読者は高齢化が進み、ひとりまたひとり毎年鬼籍にはいってゆく。」

 何とも本当の姿はせつない。

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司馬遼太郎   「幕末」(文春文庫)

 幕末、明治維新少し前は、暗殺が当たり前のように行われた。それは陰惨で、それにより歴史が大きく変わったというものは無かった。この作品集は、そんな暗殺を中心に12編が収められる。
 
 幕末は天誅という言葉が流行った。尊王攘夷の名のもとに、佐幕派の人間を暗殺すること、暗殺や殺人という呼び名では、犯罪になってしまう。天誅といえば正義の行動のニュアンスになり、自分たちは世のために正しいことをしているのだと思いに酔い、争って天誅を行うことを競った。

 朝廷絵師、冷泉為恭。尊王攘夷の志士と思われていたが、志士の行動が幕府にもれている。それは為恭が幕府に漏らしているのではないかということで、天誅を与えなければならないということになって、為恭を争って暗殺者たちは殺害しようとする。

 しかし疑いがあるというだけで、気持ちが盛り上がっての殺害である。幕府の要人でない。
単なる絵師で、しかも容姿はうらなり瓢箪。こんな男を何か月も追いかけまわし、やっとのことで暗殺を成功させ、凱歌をあげる。

 実にむなしい。殺人という言葉が天誅に転化して正義化されるような時代が来ないように心から望む。

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司馬遼太郎   「軍師二人」(講談社文庫)

 豊臣と徳川の最後の決戦。大阪夏の陣で豊臣側についた、浪人武士後藤又兵衛、真田幸村の戦いの軌跡を描く。
 大長編「城塞」につながる作品である。

関ケ原で敗北した豊臣側の人たちは、大阪城内にこもった。最後の徳川との戦いのために、豊臣側について残った領主に豊臣と一緒に戦うよう手紙を出したが、すべての領主が徳川についていて、はせ参じる領主は一つも無かった。やむなく、どこにも所属していない浪士を募った。それに応じてきたのが、真田幸村と後藤又兵衛だった。

 当時の大阪城内の権力者は秀吉の側室である淀君。更に、秀吉の有力武士だった大野修理。
戦術、戦略などは全く打ち立てることはできない。冬の陣のあと、家康の謀略に淀君がのり、大阪城の濠を全部埋めてしまう。

 これで、幸村、又兵衛とも徳川には勝てないと認識する。夏の陣に際し、又兵衛は城から5丁離れた小松山で家康軍を迎え撃つと作戦会議で主張する。幸村は1丁離れた四天王寺で迎え撃つ。修理や淀君は城から離れたくないとごねる。

 結局幸村と又兵衛は内々に小松山で幸村が合流して家康を迎え撃つことで合意する。

 しかし、当日霧が深くいつまでたっても幸村が現れない。結局又兵衛軍だけで徳川をむかえうち、善戦するも敗北又兵衛は討ち死にする。

 幸村は霧で到着が7時間遅れる。いくら霧が深くても7時間は時間がかかりすぎ。幸村はわざと到着を遅らし、四天王寺で徳川軍と戦い、討ち死にする。

 幸村も又兵衛も戦いは負けることを覚悟していたから、それぞれ死に場所を決めて戦いに臨んだと司馬は書く。武士道の神髄は2人の死に方にあったのだ。

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司馬遼太郎   「人斬り以蔵」(新潮文庫)

 中編集。

会社に入社した頃、職場は軍隊の雰囲気があった。会社の製品が不況で売れなくて、月末最終日ノルマが未達成で疲れ切って夜11時に会社に帰ってくると、まだ部長が在籍していて、ノルマ未達成を報告するとこづかれ、鬼の形相で、もう一回注文取りに行ってこい。店の社長が寝ていても、たたきおこしてでも注文をとれ。と殴られ、深夜また販売店に行かされた。

 こうなると、脅かされているほうは、完全に思考が停止。理屈の有無もなく会社をでなければならない。

 さすがにこんな職場は今はあまりないだろうと思っていたが、近畿財務局の赤木さん、文書の改竄を強制されて、抗しきれず、挙句に自らの命を絶った。

 幕末人斬りで名を馳せた、薩摩の田中新兵衛、肥後の河上彦斎、そしてこの物語の主人公土佐の岡田以蔵。

 以蔵は土佐藩の足軽。藩士に階級が3つある。上士、郷士、足軽。この3身分はきっちり別れていて、衣服、帯刀基準、使う言葉がすべて異なる。上士、郷士は足軽を同じ人間とは認識していない。足軽には教育も与えられず、殆ど文盲。

 以蔵は剣術を身につけたかった。しかし教えてくれる人は無い。そこで、剣道場を開いた土佐勤皇党の武市半平太の道場に通い、その強さを見出され、武市について江戸、京都に行く。以蔵は自分の人生の師として武市に心酔し共に行動する。

 武市は毎晩同じ志を抱く仲間と熱い議論をする。以蔵は全く内容は理解できない。しかし、時々敵とする人間の名前が飛び交う。人生の師と敵対する人は、殺害せねばならないと思い議論ででた敵と思われる人間を全部以蔵は殺してしまう。

 当然その結果を武市が知れば、よくやったと褒めてもらえる以蔵は信じる。

  しかし以蔵を武市は避け、人間として扱わない。邪険にして遠ざける。
 徹底的にむしけらのように扱われ、絶対的に以蔵と武井には交わってはならない壁がある。

 そして、以蔵は捕まり死刑となる。その前に武市に対し、復讐をする。
そうであっても、無垢で文盲の以蔵の生きざまは切ない。

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| 古本読書日記 | 06:59 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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梅田みか     「年下恋愛」(日経文芸文庫)

 昔、仕事中に何気なく、舟木一夫の「ただいま授業中」を口ずさんだら、「なにそれ?」顰蹙をかい大笑いされた。どんなに年をとった部下でも、百恵、淳子、昌子までが背一杯。後は今の時代の歌手と一緒に生まれ育ったひとたち。

 もし、私と恋人が年が離れて世代が異なっていても、男が年上だとあまり問題は無い。しかし逆だと少し深刻。

 この物語、主人公の女性たちが中学時代に東京ディズニーランドが登場したが、現在恋愛中の年下の男性は、生まれた時にはすでにディズニーランドが存在していた。この差は女性が年上だと重くのしかかる。

 私が会社時代に部下だった女性のうち5人が管理職になった。現在も活躍中で、4人がか課長、1人は部長になっている。このうち3人が独身で、2人は既婚だがたまたま子どもに恵まれていない。

 独身のままの女性も、多分今までに人生をかけるような恋愛を経験してきたと想像するし、年下の男性との恋もあっただろうと思う。

 物語では、会社で仕事ができ地位もどんどんあがっていく女性主人公が、20代の男性契約社員と恋をして、将来の約束までする。この男性の契約社員が社員として再雇用され、同時に上海の営業拠点の立ち上げのために上海駐在を命じられる。

 当然女性は会社をやめついてゆく決断はできず、大騒動の末別れる。私の部下だった女性もこんな修羅場を経験しているのではとこの作品を読んで思った。

 独身を通す女性は仕事もバリバリ行い、地位も待遇も多くの男たちを凌ぐ人ばかりだから、それを捨てて別の道を選択する可能性は少ない。

 この物語の締めが面白い。こんな女性たちが「子どもがどんどん生まれるから、年下大好きの私たちは恋愛の可能性がどんどん広がってゆく」とひらきなおって豪語するところがすごい。

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梅田みか    「書店員の恋」(日経文芸文庫)

 毎週新聞の本の紹介欄をみていると、出版不況とずっと言われているけど、出版会社は次々新しくできていて、執筆者も増殖しているのではと思えてしかたない。PC,スマホの普及でしゃべるように書くことができるようになった。そのおかげで書くことの障壁が無くなり、だれでも書いたものを作品にして世の中に問うことの可能性がでてきた。だから本の供給側はどんどん増殖しているように思える。

 この作品の書店でも、毎週1500冊の本が送られてきて、残念だけど同じ冊数が返品されていると書かれている。これらの本を並べる場所を確保して、本を運ぶ、書店員は大変な徒労感とともに重労働をしているのだと同情してしまった。

 物語の雰囲気は、かって流行ったケータイ小説の色調をおびている。

主人公の今井祥子の人物造型に首をかしげる。

以前は、3高の彼氏を捕まえるのに女性は熱中した。高収入、高学歴、高身長の男を求めて、玉の輿にぶらさがろうとした。
今は大きく変化した。3高を求める風潮はあるが、それより女性の向上心が強くなり、自らがもっといい仕事をしたい、もっといい女になりたい、もっといい生活をしたいと強く願い行動するようになった。その結果として自分とつりあう3高の男性を手にいれたいと思うようになった。

 今井祥子のようにある分野の本のコーナーをまかされ部下も使うという立場になることに逡巡したり、今の生活環境に満足し、恋人も身の丈にあった人と暮らしを固める女性は以前だったら可愛らしく魅力的にみえたが、今の時代には希少な存在になったように思う。

 それに主人公が書店員でなければならない納得性が読んでいて感じない。もっと本が好きでたまらない本フェチな人物を造り、その特質が独特な行動をしてしまうような作品にしてほしかった。

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| 古本読書日記 | 06:28 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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水野学   「アイデアの接着剤」(朝日文庫)

 著者水野はアートディレクター、クリエイティブ ディレクターとして熊モンを創ったり、NTTドコモの「id」を創造したり、ユニクロのTシャツUTを創り、現在最も活躍しているアートディレクターである。

 面白いのは、無から有は生まれないと断言しているところ。何もなく突然閃くということは無い。例えば、やかんから蒸気がでている。そのとき車輪が思い浮かぶ。その2つの現象をみて蒸気機関車が生まれる。

 アートディレクターとは、物と物を接着して、新しいもの創造すること。だから、徹底的に物を観察し、知識を拾い集めることがクリエイトには必須であると言う。

 それから、物は描写するのではなく、言葉で記憶することが大切。例えば「強い」ということをイメージすると「ライオン」をイメージして、デッサンする。これだと、ライオン以上に強い者をイメージできずライオンが限界になる。

 だから描くのではなく、言葉としてメモをしておく。そうするとイメージは大きく広がる。

それからワークライフバランスということはありえないと言う。遊んでいても、布団の中でも常に仕事のことを考えている。

 例えば、仕事を終えて、仲間と飲みに行く。そこで仕事の話をする。必ず、飲み会にまで仕事の話をするなという人がいる。しかし、仕事で頑張っている人は、当然仕事の話をするのは自然な感情。

 オフ会で、仕事を無理に忘れたと、全く違う話題を持ち出す人こそ不思議に思う。

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| 古本読書日記 | 06:26 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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山田詠美 『メン アット ワーク』

爺やの感想はこちら

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収録順だと、最初が石原慎太郎で、最後が村上龍。
石原氏との対談で、
「自然に見せることに努力を必要とする人種っているでしょう。
 龍ちゃんって、すごく苦労して、ああなっている気がする」
「彼は、いろいろ努めなければならないというオブセッションを持っているね」
「勤勉だと思う」
「風俗がらみで言えば、村上龍というのは、やっぱり地方出身でダサいね」

本人との対談では褒めるんだろうかと、意地悪な気分になりましたとも。
実際どうかって言うと……
「自分の話で恐縮なんだけど」
「それこそ、新作のテーマなんだよ」
「僕の作品で登場人物がこう言うんだ」
と、自分の方へ引っ張ろうとするけど、全然乗ってあげない。
その前が大ファンの宮本輝で、
「あなたの本はすべて読んでいて、昔の作品もインプットされていて、
すぐに引き出せるから、解説や推薦文も喜んで書いちゃいます!」
だから、温度差がすごいっすよ(=゚ω゚)

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「『誰でも一生に一度は小説を書ける』って言うけど、
 その後に『だけどそれは、たいていの場合読むに値しないものである』
 とワンフレーズあるんですよね」
「変に褒めて、その人がその気になったら人生間違うもん。
 才能ない、と言ってあげたほうがいいねん(笑)」
なるほど。とどめの宮本輝。

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保阪正康    「昭和戦後史の死角」(朝日文庫)

 昭和史研究で菊池寛賞に輝いた保阪が、深い洞察で敗戦後の戦後史を描く。

太平洋戦争で亡くなった日本兵は三百十万人。しかし戦後日本は大きな経済成長を実現した。この基盤になったのが科学技術の力である。これが可能になったのは人材が豊富だったからだ。

1943年10月21日の学徒出陣壮行会には10万人の大学生、専門学生が動員され陸海軍に入営する。このとき、理工科系の学生は技術が大切ということで動員が延期された。

 動員された殆どすべての学生が戦場で亡くなった。動員されなかった理工系の学生が戦後科学技術分野の指導層になり、次の世代の育成にあたり、ソニー、ホンダ、パナソニック、トヨタを創り上げた。

 一方文系の学生やそれを背景にする指導者がいなかった。

だから、国や社会の将来を描いて、リードしていく層が薄かった。特にそれを提示すべき思想家、政治家がでなかった。政治家はみんなパーと言われた時代が続いたと保阪は嘆く。

 私には全く違和感のある考えだ。

それでは、戦後偉大な文系リーダーが出現して、素晴らしい国になったのはどこに存在しているのだろうか。あるいは保阪自身どういう国に日本はするべきか。これに対する答えを提示しないと、文系の人材が払底していたから、現在の日本は素晴らしい国からほど遠いという考えには納得いかない。

 そもそも幕末の一時期、日本でも素晴らしいリーダーを輩出したが、文系を充実したらリーダーがでてくるのだろうか。
 今の大学の状態では、卓越したリーダーがでてくるとは思えないが。

戦後の昭和史について、丁寧に解説をしているが、突然人物論として東海大学を創設した松前重義についての人生記が登場する。

 松前は社会党代議士であり、マンモス大学を創設したが、昭和史の局面で日本にインパクトを与えることを成した人では無い。なぜ唐突に松前がそれもかなりのページを割いて登場するのはどういうこと。松前の提灯記事でも約束したのではないか。何だか少し保阪も怪しくみえてきた。

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| 古本読書日記 | 16:23 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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山崎将志   「社長のテスト」(日経文芸文庫) 

 著者の経歴、出版社が日経、タイトルから想像して、人事部門が行う研修のテキストのような作品を想像していた。確かにそういう感じの物語だった。しかし中身は結構大きな事件があり、浮き沈みのあるなかなか面白い作品だった。

 この作品が出版された2012年はワークライフバランスという言葉が流行った。仕事にすべてを捧げるのでなく、仕事をはなれた別の自分のための生活も大切、人生は仕事と生活をバランスよく振り分けたほうが幸で充実した人生を送れるという生きる在り方をさししめした言葉である。

 当時このありかたについて疑問を持った。なかにはこの言葉を使い、面白くない職場、仕事に従属しないで、自分はすぐ切り替えて、こんな趣味に打ち込んで充実している人生を送っていると自慢する人が、仕事一本で頑張っている人を蔑む場面にしばしば直面した。

 この作品で、ワークとライフの関係は、ライフが基盤にあってワークがその上に乗っかっているのではなく、基盤はワークでありその上にライフが載っていると描かれている。

 全くその通りのように思う。仕事を懸命に取り組まず、冷ややかに取り組む人は当時やはりどこか暗く、面白くない人生をあゆんでいるように見えた。

 特殊詐欺が横行している。この当時MBOとかIPOという言葉が流行り、企業買収が流行った。ちまちました危険なオレオレ詐欺のようなものでなく、億単位の金が動く騙しがこの作品で描かれる。調子にのっている人に甘言をささやき、喜ばせ、しかもやくざを使って落とし穴に落とす。世の中にはどでかい詐欺があるのだ。

 起業家というのは、起業を次々したり、企業買収ばかりをする。そしてビジネスが軌道にのせること、買収企業の経営にはこういった人は無関心。軌道に乗った企業を確実に業績を拡大するのは別の人が携わったほうが成功する。

 革命を起こす人と、組織機構を構築して運営する人は別の人であるべき。
この物語で、このようなことを知った。面白かった。

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| 古本読書日記 | 06:16 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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よしもとばなな  「ごはんのことばかり100話とちょっと」(朝日文庫)

 阪神淡路大震災直後、イイホシさんという陶芸家は、倒壊家屋のなか「アフタヌーンティー」をどうぞと屋台を引いて街を歩く。ものすごい行列ができた。その人々の姿に接して自分の陶芸は何を創るか方向が決まったそうだ。

 芸術家の島袋道浩さんは、やはり同じようにコーヒーをただで配りあるいているおばあさんのためにきれいな色をしている看板を作ってやった。

 通りがかった人が「仕事がないのか。俺がさがしてやろうか」と心配して聞いてきた。
島袋さんはそのおっちゃんに
「僕は芸術家や。これが僕の仕事や」生まれて初めて芸術家だと宣言した。

食生態学者であり探検家としても有名な西丸震哉はきゅうりが嫌いでどうしても食べられなかった、戦争中戦場で餓死寸前の時にきゅうりがでた。それでも食べられなかったそうだ。

 どんなに経済が苦しくても、お腹がすいて何か食べたいときでも、嫌いな食べ物は食べたくないと拒否する。震災で大変な時、一番嫌われるコーヒーを味わう。それでも、いやなことはいや、和みがほしいからやりたいことをやる。人間は頑固で自由なものだとよしもとさんは人間に拍手をおくる。そして、これをテーマにした小説を書いてみたいと言う。

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| 古本読書日記 | 06:34 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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太田和彦   「居酒屋吟月の物語」(日経文芸文庫)

 グラフィックデザイナーで、日本中の居酒屋を放浪してその居酒屋紹介するTV番組やその放浪を描いた作品で有名。

 その太田が挑戦した初めての小説だと思われる。太田があとがきで嘆いているが、この作品はまったく売れなかった。返品が山のようにかえってきて、太田は50冊引き取り、
サイン本にして、知り合いに配ったそうだ。

 太田の性格がでている。まず、登場人物がみんないい人ばかり。ほんの一握り地上げ屋はでてくるが・・・・。舞台は、古い小さな商店街、そこの一角に古い映画館がある。市役所に勤める主人公は、仕事もひまで5時には役所を後にする生活。毎週一度自転車に商店街にでかけ、映画館で映画をみて、帰りに居酒屋「吟月」に寄る。そこには日本映画に精通している平山先生がいて、主人公のみた映画を解説してくれる。

 小説の舞台、人物もありきたり、それから17時に役所をでる生活、いまどきそんな社会人は殆どいない現実離れしすぎ。この内容では、やはりいかな太田和彦でも売れないだろうと思ってしまう。

 溝口健二をして、「自分と小津安二郎は努力型だが、清水は天才」といわしめた戦前、多くの名作を創った清水功の作品を多く取り上げた小説になっている。

 この作品で初めて知ったのだが清水は川端康成の掌編小説「有難う」を「有がたうさん」という作品名で1936年に映画化している。当時大人気俳優の上原謙。桑原通子が主演をしている。

小説はたった4ページの作品なのにどのように映画にしたのだろうと興味がわく。
「有難う」は私の中で、今まで読んだ作品の中で最も感動した作品のひとつ。三島由紀夫も最高の小説として絶賛している。
 たくさん小説をよんでいて一番感動した小説は?。「それは有難うだよ」と答え、勢いで飲み屋にみんなを連れて行ってその「有難う」を朗読し、この作品のすばらしさを口角泡をとばして説明したことを思い出す。そのたびに冷や汗がでる。

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| 古本読書日記 | 06:44 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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アンソロジー   「『いじめ』をめぐる物語」(朝日文庫)

 今旬である作家たちのいじめをテーマにした競作集。どの作品もずっしりと重く、なかなか力作ぞろいになっている。

 いじめはこの本を読むと難しい問題だとつくづく感じる。いじめが露見して何か事件がおきる。すると、生徒も先生も「ふざけあっていただけで、いじめではない」と主張する。

いじめを認めて、先生が真正面からたちむかおうとすると、校長先生が登場して、「いじめがあるとの前提で対応したり発言するのはどうか。真実はどうなのかまずきちんと調査すべきじゃないか。」これは、実態はわかっているが、その実態を社会に知らせるのをできるだけ引き延ばしてそのうちに事態を鎮静化させてしまおうという意図がある。さらに、子どもの親が、自分の子がいじめをするわけもない、自分の子に被害を及ぼさないでほしいとクレームの嵐になる。とにかく自分の子の今、将来に影響を与えたくないだけの発言になる。

 それに虐められた子が、高いところから落ちて亡くなる。するとなんとしてもその事件が単なる事故、それができなければ「自殺」と結論付け、学校や親たちはいじめていた子の問題にしないで、亡くなった子の家庭環境に問題があったというところに結論を誘導する。

 そうすればもし虐められ生き残った生徒は学校を退校して転校してゆく。また担任の先生は担任からはずさせ、次の異動でどこかへ異動させる。

 とにかく粘れ。第三者委員会を設置するなどして時間をかけさせろ。むやみにしゃべるな。時間をかければやがて人々の記憶から消えてゆく。作品では、こんな姿が描かれている。

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| 古本読書日記 | 06:04 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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司馬遼太郎   「北のまほろば 街道をゆく41」(朝日文庫)

 津軽藩と南部藩を訪ねる紀行記。作品の導入部は、青森県は西部分が津軽藩、東部分は南部藩に別れている説明があり、しかも南部藩の起原は、山梨甲斐の国の南部町から、移住した人たちが南部藩を創り、今でも何かにつけて南部藩、津軽藩の住民同士でいがみあっていることが書かれている。

 しかし本の記述は、津軽紀行が大半で、南部藩の紀行はほんの少し、南部藩の地域はあまり見るべきものは無いのかと感じた。

 縄文時代は約1万年続いた。紀元前2-300年前九州に米造りが上陸して弥生時代が始まり、大和朝廷は稲作を社会の基本として、全国に強力に広めた。しかし青森は寒冷地で稲作がなかなか定着しない。縄文時代は狩猟生活が基本。たくさんの野生動物がいるし、海からは多くの魚介類が獲れ、稲作をする必要が無かった。縄文時代を人々は享受していた。だから津軽地方にはたくさんの縄文時代遺跡がある。

 木造町には有名な亀ヶ岡遺跡がある。縄文式土器も早期から十分巧みで、中期には有名な円筒上層式(上がひろがっている)を発達させ、装飾が華麗になった。

 そしてこの遺跡から発掘されて有名になったのか、遮光器土偶である。女性一般の像である。古代人はたんなる写実ではつまらないと思ったのかもしれない。好きなあるいは神秘的な部分を誇張して土偶を創った。眼窩を誇張して大きい。両目が顔からはみでるくらいだ。しかも瞳はない。その他の口、体、足はついでにとりつけてあるくらいだ。

 この造形は確かなる芸術だ。

司馬はJR木造駅にゆき仰天する。駅前にこの遮光器土偶の巨大モニュメントがある。
昔竹下首相が日本全市町村にふるさと創生という目的で、一億円を配った。その一億円を使って創ったそうだ。

 よくこんな思い切ったことをしましたねと駅員に言うと。
「子供が夜怖がって、ひきつけをおこすこともあります。」と答えた。

確かに夜ライトアップされたおばけ土偶をみると、怖い。

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| 古本読書日記 | 06:17 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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倉橋由美子   「あたりまえのこと」(朝日文庫)

 辛口強烈な小説論。

倉橋にかかると村上春樹の「ノルウェイの森」などケチョン ケチョン。僕が最後に公衆電話から電話する「今どこにいるの?」すると僕が言う「僕は今どこにいるのだ?・・・僕はどこでもない場所のまんなかから緑をよびつづけていた。」
小説が最後に至ってこんな夢の中に漂っているようでは、ここにいたるまでの長い話を読んできたことに気持ちが萎えてしまうと倉橋は言う。

小説は人間を書くもの。リアリティをもって、わかる文章で書く。今爆発的に売れても、50年後、100年後にも読まれなければならない。そうなって初めて素晴らしい小説となる。

有名な西田幾太郎の文章をこんなものわかるかと怒る。
「ヨーロッパの歴史は空間的世界から時間的へと一つの世界となってきた。我が国の歴史に於いて含まれている世界的なるものは、時間的から空間的へと言い得るだろう。我が国の歴史に於いては、主体的になるものは、万世不易の皇室を時間的・空間的なる場所として、これに包まれた。皇室は時間的に世界であった。前者に於いては世界は横から縦へ、後者に於いては縦から横へと言うことができる。」

 しかし、倉橋のこの本も、難しさにおいては西田にひけをとらない。
「構造主義者が存在する世界から虚構の秩序を抽出するとすれば、小説家はある秩序を持った虚構の世界を存在させようとする。そして小説家がその秩序を用意するためには構造主義者として現実を観察せねばならないし、構造主義者は仮説的秩序にもとづいて構成された小説を現実と突き合わせてみなければならない。」

 読み込めばわからないこともない。しかし、気楽に寝転がって読書をするような人には難しい。背をまっすぐ伸ばして、正座して読まねばならない。

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| 古本読書日記 | 06:03 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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小島英記    「塚原卜伝 古今無双の剣豪」(日経文芸文庫)

 塚原卜伝は応仁の乱が始まる少し前、現在の 常陸の国鹿島に吉川覚賢の次男として生まれる。父祖伝来の鹿島古流(鹿島中古流)に加え、天真正伝香取神道流を修めて、鹿島新当流を開いた。

 卜伝、弟子の勘兵衛とともに、兵法の仕合をしながら新当流を広めるため全国に出かける。京に行くと、足利政権が衰退し、その足利を支えるための管領も後継問題で足を引っ張りあい、謀略ばかりで都は内乱の状態になっていた。
 それで、京を離れ、放浪の旅にでる。

 この本で初めて知って驚いた。

武田信玄の伝説的参謀山本勘助は今の愛知県豊川市に生まれる。26歳(または20歳)のときに武者修行の旅に出た。別の本で読んだのだが勘助37歳のとき駿河の今川の武士になろうと、今川義元と面会したのだが、その時に勘助、片目がつぶれ、片足を引きずる、醜悪な容姿で義元が驚き気味悪がって義元から家来になることを拒否されている。

  卜伝はその時、京都から越後、信州、甲斐の国をまわる。信虎に気にいられ甲斐で新当流の道場を開く。その習い人の中に勘助がいた。勘助の強い願いで、勘助は卜伝の旅についてゆくことになる。

 途中足利の管領である細川高国の兵30人と遭遇する。そこで卜伝、勘助は怪しい浪人と思われ、高国の兵と切りあいになる。ここは何とか2人で全員を殺害ししのいだが、ある山肌を縫う細道で武装集団に襲われ、勘助が崖から転落。あわてて、卜伝が崖下に行くと、

眼が血だらけ、足を切られ気を失っていた勘助を発見する。何とか意識は回復し、医師の手当を受けたが、剣を使うことはできなくなった。

 今川義元が気味が悪いと思った勘助の容姿は、卜伝との旅の途中の切りあいで切られたのでできてしまったのだ。

 この史実には驚いた。勘助は2回目の謙信との川中島の戦いで討ち死にした。

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| 古本読書日記 | 06:20 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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山田詠美 『晩年の子供』

対談集である「メンアットワーク」を読み始めています。
相手が事前準備(?)として、「あなたの本を読みましたよ」と
この本を引き合いに出している。


短編集なのでするする読めました。
「ノスタルジー小説は、ともすると自閉的でもったいぶった感じに陥りがちなものだ。
(読むがわからすると「勝手に一人で酔ってれば」と言いたくなるような……)」
あとがきにそうあって、本作はそんな部分がないと褒める流れ。

IMG_9301.jpg

気の利いた比喩が多すぎて、「子供がそんなこと考えるかな」と思いかけ、
回想形式なんだから別におかしくはないのかと思い直す。
現在進行形で小学生目線だった「風葬の教室」は、
転生して二度目の人生かってくらい大人びた語り口だった記憶。

「子供なんだから子供っぽく書けばいいみたいなさ。違うよね」
「拙く書けばいいとかさ」
とかなんとか、対談では語っております。

私が思い出す子供を描いた短編って、
ママの裏切りを疑って真珠の首飾りを燃やしちゃう子とか、
初めての眼鏡で世界がクリアに見えて感動する子とか、
友達から借りた刺激の強い漫画が見つかって慌てる子とか。。。
たぶん、立原えりかと内海隆一郎です。

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大岡昇平 『無罪』

爺やも感想で触れていますが、目撃証言なんて怪しいものです。

キングの小説でも、新聞報道で警察の探す証拠が何か知っていた人物が、
もっともらしく証言して、無実の人間を刑務所送りにしていた。
並べた写真のうち一枚を選ぶよう警官が促せば察するし、
人種差別、政治的圧力、情報提供にお金が絡んでいたら、ねぇ(-_-;)

現代は改善されたかって、そんなことはない。
ご近所で「普段から素行の悪いアイツが犯人だろう」だけじゃ済まず、
全国から非難され、名前や職場もさらされることになってしまう。
キャンプ場での行方不明も、あおり運転も、コロナのクラスターも。
便乗した不確かな情報があふれる。

IMG_9300.jpg

ただの裁判記録ではなく、
「結局これは思い切ったことをするのが利口というものだと思い、
 尻軽を才気煥発と取り違えている、馬鹿な娘だった」
「警察は、彼の顔色がたちまち蒼白に変わったのを、不利な証拠としている。
 しかし全く無実の人でも、不意にそんなもの(掘り出された頭蓋骨)を
 見せられたら、同じ反応を示したかもしれない」
と著者のツッコミが入り、読みやすいです。

「人生に二度読む本」で「野火」のあらすじを読んだ時は、
無理だわ~親も戦後生まれの私には受け付けないわ~でしたが、
この本は面白かったです。

| 日記 | 22:49 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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湊かなえ   「山猫珈琲」(下)(双葉文庫)

 湊さんが就職した時代はバブルが崩壊した直後で本当に厳しい時代だった。

あるアパレルメーカーの就職面接を湊さんが受ける。
面接官が訪ねる。
「皆さんは苦しい時に、就職することになりました。大変だと思います。今の心境を川柳にしてください。」と
受験者が川柳に挑戦する。

全員が厳しい就職状況を反映して、みんなハードルという言葉を使って発表する。

それで湊さんは、ハードルを使わないといけないと思い、次の句をつくる。
「ハードルを、越えられなければ、くぐってみよう」
即興としては、面白い句だと思うが、平凡な句だ。当然就職試験は落ちてしまう。

 それから10年後、「公募本」によって川柳公募に応募することを熱心に行う。
最初の挑戦は就職試験の時と同じ川柳に挑戦する。

 お題は「カバン」だった。
ある日、かばんの底から映画の半券がでてくる。

そして詠んだ句。
「色あせた、映画の半券、時とめる」

素晴らしい句だ。拍手を送りたい。当然最優秀賞に選ばれる。
この句が無かったら、作家湊かなえがなかったと湊さんは言う。作家湊さんは、この句から始まった。

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| 古本読書日記 | 06:20 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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湊かなえ    「山猫珈琲」(上)(双葉文庫)

 湊さんは、広島因島の柑橘農家の家に生まれた。わたしも田舎の農家の生まれ。夏休みが苦痛だった。湊さんも言っているが、夏休みは遊ぶことは許されず、百姓の仕事に朝から晩まで毎日駆り出された。私の家も同じで、何で夏休みがあるのかと夏休みになると憂鬱でしかたなかった。

 湊さんにとって大都会といえば、大阪神戸になるのだが、憧れの都会、新幹線に乗るのも、修学旅行が初めて。私の田舎は東京まで一直線で行けた。それでも東京に行ったことがある子は殆どいなかった。東京に行ったことがある子はみんな憧れの眼であおぎみた。

 湊さんは、大学は西宮。就職は京都百貨店。ファッション販売を短い間従事したが街のポスターで青年海外協力隊員の募集をみて、会社をやめて応募。トンガに行く。

 それから、淡路島での家庭科の教師募集に応じて、先生となり、そのとき淡路島の人と結婚して今にいたる。

 全く都会の匂いの無いところで、何であんなにすごいイヤミスを描けれるのか本当に不思議だ。

 湊さんの処女作「告白」は250万部を超える大ベストセラー作品となる。
しかしお母さんと行ったファッションビル内の大型書店の書店では「取り扱っていません。他の店で2冊だけあるので、そちらにいってください」とすげなく言われる。

別の書店に行くと、ベストセラー本の5位のところに本が無い。そこにそっと「告白」を載せる。お母さんが「今に堂々と載せてもらえるよう頑張りなさい。」として止められる。

 いいお母さんだ。しかし載せたい湊さんの気持ちもよくわかる。

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| 古本読書日記 | 06:32 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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司馬遼太郎  「本郷界隈 街道をゆく三十七」(朝日文庫)

 本郷は明治政府が、ここに日本最初の大学を創設して、日本の学問の地として存在を示した。東京大学だ。この大学に学んだ俊英たちは、この近くに宿舎を持ち、最高学府の学生の街となった、

 日本文学の新しい夜明けは、漱石から始まった。そんな固定観念が刷り込まれているといつも不思議に思っていたのだが、樋口一葉は漱石がいながら、何で読みにくい擬古文で物語を書いたのか。

 よく調べてみると一葉の「たけくらべ」「にごりえ」は、明治28年に発表された。漱石の「吾輩は猫である」は明治38年の発表。一葉の作品のほうが漱石よりだいぶ前に発表されていた。一葉のころは文語で物語を書くのが一般的だった。

 漱石は本郷の炭団坂を上がったところに下宿していた。一葉は炭団坂を下った長屋に一時期住んでいた。

 一葉の父樋口則義は、甲州で農民だったが、妻と一緒に出奔して江戸にやってくる。そこで武士の株を購入して、身分が武士となり明治政府の下級役人となる。

 一方漱石の父親夏目直克は江戸幕府の下級武士として、同心をしていてその流れで明治政府下、東京府で警察官をしていた。

 驚くことに、直克の部下に樋口則義がいた。
則義は、しょっちゅう直克にお金を無心していた。しかし、貸したお金は返ってくることは無かった。

 その時、漱石に縁談の話がもちあがった。則義の娘一葉は才媛で、漱石の嫁さんにどうかと。
 しかし直克は、「あんな金に汚い男の娘をもらうと、もっと金をせびられる」と話を無しにした。

 びっくりした、一葉と漱石が結婚していたら素敵だったのに。2人の子供だったらものすごい作家が誕生してたのではと思ってしまう。しかし一葉は短命で終わったから無理だったかな。

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ナンシー関    「秘宝耳」(朝日文庫)

 「週刊朝日」に連載したナンシー関の「小耳にはさもう」を文庫化した本。時代は2000年前後。このころはどんな時代だったかというと、小柳ルミ子がダンサーの大澄賢也と結婚しすぐ離婚したころ。倉木麻衣が宇多田ヒカルの二番煎じと言われ怒った。羽賀研二が借金まみれで全く返済しなくて、それに女性が絡んで、大騒ぎをした頃。

 亡くなったばかりで顰蹙をかうかもしれないが、名選手の誉が高かった野村克也。

野村の本を読むと、野球選手の前に社会性のある人間たれとしつこく書かれている。ヤクルトの監督になったとき、あまりにも社会常識のない選手ばかりで、野球選手である時間は短い、引退後のほうが人生は長い、そのとき社会常識がないと、悲惨な人生となるから、と厳しくしつけたと書いてある。

 野村のことは知らないからなんとも言えないが、正直イメージだけだが野村がそれほど社会人として優れているとはとても思えなかった。野村は古田を自分が育てたとどこでもしゃべっていたが、古田はそれに恩義と感じることも無いし年賀状もよこさないと野村は怒っていた。古田は野村の言うことと行いの相違を嫌っていたのだと思う。

 それをその通りと強く印象つけたのが、再婚した沙知代夫人のテレビへの登場で、その尊大な態度と毒舌だった。もちろん野村がどんな女性と再婚するのは構わないが、何も沙知代夫人をテレビに出すことはない。もちろん止めても沙知代さんは出演していたかもしれないが。

 この時、沙知代夫人を徹底的罵倒したのが舞台女優の浅香光代。「金に汚い」「礼儀知らず」「弱いものいじめばかり」「何でも他人にやらせて何様のつもり」「良いところが一つもない」
と激しく言いたい放題。浅香対サッチーが最高潮だったとき、こんな舞台劇の宣伝ポスターが登場する。

「野村沙知代初舞台。浅香光代と『梅川忠兵衛』」。
日本中が目が点になった。

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| 古本読書日記 | 06:30 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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司馬遼太郎   「三浦半島記 街道をゆく42」(朝日文庫)

 武士が時代の前面に出てきて誕生した鎌倉時代について描き、史跡地を散策する。

鎌倉時代、源頼朝ひき続く北条執権時代、この作品を読んでも、世の中をどのように統治したのかよくわからなかった。首都鎌倉もどんな感じの街だったのかもつかみにくかった。ただ、鎌倉時代は、その前の平家、大和朝廷時代に比べ、殺害事件や武士を反映して自害する話ばかりで暗くアナーキーな時代だと感じた。

 保元の乱で、崇徳上皇と後白河天皇が争う。結果後白河天皇が勝利するのだが、その戦力となった平清盛、源義朝、褒章が清盛に多かったため、不満に思った義朝が平治の乱を起こす。しかし義朝は負け、逃走途中の尾張で謀殺されるが、嫡子であった頼朝は殺害されず、伊豆へ流罪となる。

 だから頼朝の青春時代は、伊豆鎌倉にあった。

土地の有力で最大の豪族だった北条家の娘政子の縁談が持ち上がった。北条では、時の目方(地方を統治する今の知事のような役)平兼隆に嫁がせることにして、兼隆が寄宿している一気館に政子を送り出す。
しかし、政子は頼朝が好きだった。

 豪雨の中、政子は一木館を抜け出し、頼朝が幽閉されている伊豆山権現を目指す。
この時の様子を司馬が「吾妻鏡」に従って描く
 「まず、伊豆の脊梁山脈を越えねばならず、途中、雨のために川があふれていた。夜陰、腰まで水につかりながら川を押し渡ってゆく。」

 この時代、家長が決めた嫁ぎ先を拒否することなどありえなかった、政子はとてつもなく芯が強い女だった。

 頼朝に結局嫁ぐ。しかし頼朝は43歳で死ぬ。その後女尼になるが頼朝に代わり執権となる。後鳥羽上皇が倒幕にたちあがり承久の乱がおこる。政子63歳の時である。多くの武士が集まったが、まだこの時代朝廷にそむくことは、武士には恐怖があり、立ち上がることには逡巡していた。

 そこで政子が言う。
「汝らは、むかしのみじめさや、つらさを忘れたか、そこからすくいだした幕府の恩をわすれたか」
 と大演説をして、武士を立ち上がらせた。

すごい女性のリーダーだ。卑弥呼の実像はわからないが、歴史上最高の女傑であり、真のリーダーである。

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