司馬遼太郎 「この国のかたち一」(文春文庫)
薩摩の方言にテゲという言葉がある。大概という意味である。将たるものは下の者にたいしテゲだけ言っておく。
それを下の者が、忖度、斟酌して実際の計画を造り実行するのである。
会社でも社会でもトップにたつものは空である。中身があってはならないのである。
何か重要なことを決断するときは、トップは重役や幹部と話し、集団で決定したことにする。
そして、それが失敗したときは、幹部や部下に失敗の責任に押し付けるか、集団で決めたことであるから、誰が責任をとるか曖昧にするようになっている。
このようなリーダーの在り方が、日本社会を衰退させているということで、トップダウン型のリーダーを待望するリーダー論が今でもかまびすしく論じられる。そういう英雄型のリーダーを尊敬する論も多く出版されている。
トップの指示がテゲなら、その指示に反対する勢力の主張もあいまい。説明責任を果たせとか、国民的議論をつくせとか。説明責任を果たすとか国民的議論という言葉は踊るがその具体的内容が我々には浮かばない。
日本では、上も下も中身のないことを言い合い、責任の所在が消えるようになっている。
無責任が蔓延している世界である。
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| 古本読書日記 | 06:29 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑