司馬遼太郎 「中国・江南のみち 街道をゆく19」(朝日文庫)
蘇州は会社時代、仕事でたびたび訪れたが、仕事ばかりで、蘇州のことについてはなにも知らず、街をゆっくり歩いたこともなかった。この作品を読んでから、蘇州に行けばよかったとしみじみ感じた。
蘇州は、絹織物の産地で、土産物にもちょっとした刺繍を施した絹織物が多い。はるか昔紀元前から19世紀まで世界一の絹織物の技術を持ち続けた都市である。この絹織物は大和時代に最大の紡織取引商品として中国よりもたらされた。
応神天皇時代、江南蘇州から、阿知使王・都加使王父子がやってきて日本に帰化した。蘇州のことを当時は呉と言った。応神朝はこの父子に呉に行って絹織物の女工を4名連れてこいと命じた。
高級和服のことを「呉服」というが、それは蘇州呉からきている。
ところで、呉というのは「ご」と発音する以外に「くれ」とも発音する。
応神天皇時代に、日本-中国(上海)に航路は開設されていない。東シナ海の季節風を克服する技術が無かったからである。航路が開設されたのは遣唐使の時代である。
従って中国へは、朝鮮を経由して往来した。
当時朝鮮には「高句麗」という国があり、織物、染色技術は高句麗に呉から移植され、高い技術を誇っていた。それで応神天皇から命令された父子は蘇州まで行かずに、高句麗で4人の女工をみつけて日本に連れ帰った。「高句麗」の発音が「くれ」だった。それで「くれ」との音読みができた。
この4人の女工は摂津池田で織物生産をした。池田には呉波神社がある。それが縁で池田市と蘇州市は姉妹都市を結んだ。
呉羽神社は「くれ」と発音して「ご」ではないのに、姉妹都市になるとは何かしっくりこない。
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| 古本読書日記 | 06:21 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑