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2019年11月 | ARCHIVE-SELECT | 2020年01月

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大みそかの散歩

尻尾が風にあおられる

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どこまでも続く道

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またばさみ

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重機

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ご機嫌

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犬は喜び駆け回り。猫はベッドで丸くなる。

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おニューのベッドです。

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来年ものんびりいきませう(*'ω'*)

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宮口幸治 『ケーキの切れない非行少年たち』

今話題の本です。
ツタヤでも目立つところに置いてありました。
この本と、やせ筋トレと、樹木希林と、なんか泣ける系の。。。

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表紙の絵が象徴しているように、
非行少年の中には認知がゆがんでいる子が多い。
「自分はどんな人間だと思う?」
「優しい人間です」
「どうしてそう思うの?」
「友達から優しいと言われる。お年寄りに優しくしている」
「あなたの起こした事件で、死んだ人がいるのに?」
「あー。それは優しくないですね」
ここまで言わなければ気づかない。
反省や葛藤を引き出す前に、認知のゆがみを直すトレーニングが必要。
そんな話です。
で、最後は宣伝じゃないですけど、著者の開発したトレーニングを説明する。

第3次産業が第1次産業・第2次産業を上回り、
対人スキルが低いからと仕事を選べなくなった。
学校では支援を受けられても、社会でつまずき、犯罪者へ。
とかなんとか。
「『頑固で融通の利かない職人』『無口で愛想のない漁師』の中には、
 今でいう発達障害の人がいたかもしれない」
という話をネットで見かけた記憶もある。

「犯罪者を納税者に」は、理想ですが。
トレーニングしたところで、一定割合は「生きづらさ」を抱えた人が
出てくる気はしますね。
他人に迷惑かけないくらいに改善されれば、非行に至らなければ、
子どもを殺してください」にまでならなければ、
少なくともマイナスではない…か。

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効率最優先で、生きづらいとか不器用とか訴える人を切り捨て、
支援に一銭も一秒も使わない社会は怖いので、
こういう本が売れるのはいいことだと思います。

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畠中恵     「まことの華姫」(角川文庫)

 徳の高いお坊様が、両国の回向院で井戸を掘る。不思議なことに、その井戸に向かって何かを問えば、井戸から必ず真実の答えが返ってくる。その井戸は涸れて埋められるのだが、それ以前に井戸の水で目玉を作り、その目玉をはめた木偶人形が、問われると真実を語ると評判になる。もちろん人形がしゃべるわけではないから、その木偶人形を持っている芸人月草が、腹話術を使って答える。それが両国の見世物小屋で評判をとる。人形の名前が「まことの華姫」

 この華姫と月草、それに見世物小屋を所有している目明しの親分山越とその娘お夏が活躍する短編集。

江戸時代、江戸での最大災害は火災。大阪では流行り病。流行り病が起きると静まるまで誰も不要不急の外出はしなくなる、すると商売が成り立たなくなり、倒産廃業に追い込まれる店がたくさんでる。

 大阪青糸屋の主人銀次郎と妻のお徳、それに手代の新三は、青糸屋の長男の武助が失踪し、江戸にいるのではないかと探しに行く。そして、月草と華姫が出演する見世物小屋にやってくる。
 「武助が生きて江戸にいるのか」華姫に聞きたくて。

手代の新三は主人銀次郎に不満を持っている。当然店は長男武助が継ぐものである。それが突然銀次郎が婿養子になりお嬢さんお得を嫁にして主人を引き継ぐ。それにいやけがさして武助は失踪したのだと想像する。

 お夏や、山越、月草の活躍で真相があきらかにされる。その真相が面白い。

大阪流行り病で、多くの店が倒産してゆく。そして、青糸屋ももう少しで倒産というところまで追い込まれる。

 店は長男武助に継がせねばならないが、継ぐ前日お金がなくなり倒産してしまう。

そんな時、お金を持っている銀次郎が見つかり、やむなく銀次郎に娘お徳をくれ、その持参金で青糸屋をもちこたえさせる。
 どんな手を使っても、店を存続させる。大阪商人はしぶとさが天下一品。収録されている「西国からの客」を紹介した。

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| 古本読書日記 | 06:01 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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群ようこ    「まあまあの日々」(角川文庫)

 群ようこが登場した40年前、特にエッセイが面白くて、新本がでるたびに読んでいた覚えがある。その後少し飽きて、読むのをやめた。20年ぶりくらい、久しぶりに手にとってみた。

 群さんは私と同年配。同じ暮らしを歩んできただけに、懐かしい話題が多い。そうそう昔はプロレスを見ていて興奮して脳卒中で亡くなるなんてこともあった。鉛筆はみんな「ボンナイフ」で削った。鉛筆削り器を持ったやつがうらやましくてしょうがなかった。

 我が家は百姓だった。農作業の時は、水に入る作業がなければ、地下足袋をはいて畑にでていった。小学校はいつころまでだったか。運動会では専用の足袋をはいていった。運動靴はあまり普及していなかった。

 待機児童が大きな問題になっている。施設が足りない。施設など増やせばと思うのだが、新設しようとすると、その地区の住民の反対にあい施設が建設できないことがしょっちゅうあるそうだ。

 そういえば、園児たちが散歩しているのをよく見かけるが、昔はみんなで歌を歌っていることが多かったが、一切最近は見られなくなった。
 園児がいると、うるさいとクレームがつくからだ。

 運動会の開催を知らせるための花火もうるさいということで、中止する町や学校があいついでいる。

 盆踊りが行われるが、音楽や音がもれてこない。会場に行ってみると、踊り手さんはみんなイヤホーンをつけ、そこからでてくる歌に合わせて踊っている。異様な風景だ。

 しかしクレームモンスターが怖いからとても言えない。

当たり前だった風景や風物が消えるか、その寸前にある。そんなことを憂いている私たちも早く消えなと言われているようで切ない。

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| 古本読書日記 | 05:52 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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司馬遼太郎    「項羽と劉邦」(下)(新潮文庫)

 項羽と劉邦は最後の決戦の場、広武山の決戦に至る。広武山には2つの峰がある。その峰を2つの軍が占拠し対峙する。結果、項羽軍は北からの韓信軍と南からの劉邦軍にはさまれることになる。劉邦軍は、肥沃な土地で農民を大切にするため糧食は十分以上に確保されているが、項羽軍には食料が圧倒的に不足。兵士は日々やつれてゆく。餓死するものもでるし、雪崩をうつように劉邦軍に投降し、項羽軍の勢力は衰微してゆく。

 項羽は虞姫を抱いて熟睡する。
深夜目覚める。遠くで風が揺らしている樹木の音がする。樹木かと思ったら歌声である。項羽軍の兵は楚国からの出身者が殆ど。歌は楚の歌である。陣中から発せられていると思ってよく聴くと、それは陣の外から発せられている。劉邦軍も楚人が多いし、項羽軍から投降した楚人も多い。完全に項羽は味方であるはずの楚人により包囲されていたのである。

 この戦いから来たのだ。四面楚歌という熟語は。

 項羽はその夜、みんなを集め最後の酒宴をする。そして、翌朝二十八騎を引き連れ、敵陣を突破する。その間二騎は失うが、二十六騎で劉邦軍をつきぬけ疾駆する。

 劉邦に負けたということにしたくはなかった。天に滅ぼされたということにしたかった。突き抜け、劉邦軍の陣からはるかに離れて、項羽は自らの首をはねた。

 司馬は、この作品で、独裁者はいずれ行き詰まり滅亡する。世のリーダーたるもの、圧倒的多数をしめる、中間層や弱者に足場をおきその視点から、政を行わねばならないということを説いているように思える。

 自由、公平、民主主義がその基盤となる。しかし、最近は国の中を分断したリーダーが登場、独裁色の強い国ばかりになった。旗幟鮮明のリーダーをかつぐほうがわかりやすく支持を得るようになった。リベラルとか民主勢力というのは、共生など言葉の聞こえは良いが、何をしたいのかよくわからない。なかなか劉邦のようなリーダーは現代では誕生しにくい。

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| 古本読書日記 | 06:26 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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司馬遼太郎    「項羽と劉邦」(中)(新潮文庫)

 項羽と劉邦の戦いを中心に描かれる。

この戦いの中で、3つのことが印象に残る。

 秦の都威陽を征服するのに、項羽は王道を行って、難所函谷関より攻め入った。ところが劉邦は南の平坦な道より攻め入り、項羽より早く秦威陽を陥落させる。しかもあろうことに函谷関より侵入してくる項羽軍に対し、長大な壁を築き侵入の邪魔をする。
 この壁を何とか打ち破り、威陽に侵入した項羽は、劉邦に怒り狂い、劉邦を殺害しようとする。劉邦は項羽と戦っても、兵力は劣り、負けることはわかっている。

 項羽が劉邦に向い、無数の罪があると宣言する。すると劉邦は這いつくばり、項羽の靴をなめようとしながら許しを請う。項羽は劉邦はこんな情けない奴だったのかと氣がぬけて殺害をやめる。項羽は甘く、冷徹を貫けないことが第一点。

 劉邦は、自分が負けだと思うと、恥も外聞も捨て、助けを請うことができる人物である。

 次に、項羽は、秦の皇帝を人民の前で、惨殺する。更に、威陽の人民に、自ら穴を掘らせ、その穴に埋めて数十万の人々を殺す。これをみた人々は項羽に対し恐怖だけでなく、恨み怒りを増幅させる。人民は食料を生産するが、生産意欲は減退し、項羽率いる楚軍に対し食料を十分に供給できなくなる。人民を敵にまわすことが第二点。

 項羽の楚軍には、とびぬけて優秀な軍事リーダーの韓信がいた。しかし、項羽は自分と謀将である范増がいれば他の人間は不要。韓信は自分を重用するよう何回も進言したが取り上げてもらえず鬱屈する。優秀な人材を使えないのが三点目。

 この3つの項羽の姿勢が、項羽天下取りのための弱点となる。

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| 古本読書日記 | 06:24 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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司馬遼太郎     「項羽と劉邦」(上)(新潮文庫)

 紀元前221年、それまでの戦国時代に終止符をうち、中国6国を征服して、史上初めて統一国家秦が樹立された。秦の始皇帝の名は政である。しかし、始皇帝の死後、急速に統制力が弱まり、陳勝・呉広の反乱がおきると再び戦国時代に突入した。物語は沛のごろつきから身を起こした劉邦と、楚の猛将項羽が天下を争い、連戦連敗の劉邦が最後は項羽を破り、劉邦が統一国家漢を樹立する直前までを3巻にわたり描く。超大作である。

 秦の首都は中国の西奥にはいった陜西省の威陽である。この街に入るには、多くの峻厳なる山谷、函谷関を越えねばならない。

 上巻では、秦が誕生して、始皇帝が亡くなり、その後秦の将軍章邯、項羽、劉邦の3者の戦いを描き、章邯が破れ秦が消滅するのだが、函谷関を越え、威陽に入ろうとした項羽軍に対し、南ルートより威陽にすでにはいっていた劉邦軍が函谷関の出口に壁を築き、項羽軍の首都への侵入を邪魔するところまでを描く。

 この上巻で印象的だったのが宦官の超高の行動である。

 宦官というのは、皇帝の側にいて皇帝の世話をしたり、皇帝の命令を官僚に指示したり、官僚からの上奏をとりついだりする役人である。宦官は、睾丸を削除していて、男としての役ができない。そのため、人間とはみなされていない。

 例えば、皇帝の夜伽をする側女を全裸にして危険佛を持っていないか検査をする。さらに夜伽の最中も側にいて、危険なことが起きないか見張っている。そんなところを見られても、全然皇帝、側女はまったく気にならない。なぜなら宦官は人間ではないから。

 天皇は自分のことをかっては「朕」と言っていた。「朕」というのはきざしということである。実像は人間には見ることはできない。きざし、気配だけを感じるだけの存在ということである。

 ということは、天皇もそうなのだが、皇帝は絶対人間に見られたり、声が聞こえたりしてはならない。

 そこを超高は使い、皇帝はこう申しておると勝手に皇帝の名を使い命令をしたり、考えを伝える。始皇帝の政には男女あわせて30人の子供があり、当然二代目は長男の扶蘚が継ぐべきなのだが、始皇帝の遺書まで書き換えて、自分が御しやすい末っ子の胡亥を二代目にしてしまう。

 驚くべき宦官超高である。

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| 古本読書日記 | 06:28 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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森見登美彦   「森見登美彦氏対談集 ぐるぐる問答」(小学館文庫)

 森見が作家デビューしてから15年間で、行われた対談を収録。

 森見は不思議だ。あれだけ言葉を駆使し、楽しい世界を読者に提供しているのに、しゃべりが得意でないのか、対談がどれもぎこちなく、硬い。文章のようにはなかなかいかないのだ。

 それでも、伊坂幸太郎との対談は、2人とものりにのって7時間の長丁場になった。
 2人とも、作風が似ている作家同士だから。多分、互いをかなり意識していると思う。

 2人の特徴の似ているところは、まず、取材のためということも含めて旅行を殆どしないし、何か特別のテーマを持って、そのために専門書物にあたり徹底調査をするということがない。そのかわり、テレビや新聞、ネット、本読みからこれはと思った文章や言葉を常にメモしておく。その膨大なメモから、今度の作品ではこの言葉を使ってみようと考え、作品を書き出す。

 朝井リョウはまずプロットを作り、それに沿って物語を書くらしいが、森見、伊坂はそのようなことがなく、どんどん思いつくまま書いてゆく。そして、ここいらで終了とするかと思って、そこで初めて全体を俯瞰してみる。そこから、修正を加える。

 森見も伊坂の作品も、基礎は自分の毎日の生活から題材をとるが、そこから世界が拡大して新しい世界が生まれる。私小説でもなければ、ファンタジー作品でもない。新しいタイプの小説を構築し、自分の世界で作品ができている。

 こんな小説はどういう小説と定義したらいいのかと思っていたら、辻村深月との対談のなかで森見がなるほどと思う説明をしている。

 「僕らが見ているむきだしの現実しか現実ではないとしたら、つらいんですよね。悲しいし耐えられない。だから小説を書くことによって、現実をできるだけ拡張させたい。小説を材料にして、みんなでああだこうだ言いながら現実をちょっとでも作り変えたいんです。自分が小説を書いて本をだす、大本にあるのはその欲望なんだろうと常々そう思っています。」

 伊坂も同じだろうと思う。2人の作品が群を抜き面白いわけがわかった。次の作品を早く読みたい。

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| 古本読書日記 | 06:26 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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辻村深月    「クローバーナイト」(光文社文庫)

 小さな会計事務所に働く鶴峯裕は同じく働いている妻志保と長女、長男の4人暮らし。そんな鶴峯家に子育てや保育の相談が次々押し寄せてくる。
 現代の保育、子育てを描く連作短編集。

それにしても現在の保育園状況はすさまじい。保育園入園は、子供を産んでも働き続けるために絶対条件となる。会社は3年間産休可能の条件があるが、3年も産休を取得する人は皆無。そんなことをしたら仕事の変化が大きくついていけなくなるし、昇進もあきらめなくてはいけなくなる。時短勤務もあるが、それも重要な仕事はできなくなり、昇進に響く。

 だから0歳から預けられる保育園入園をどうしても実現しなくてはならない。
 しかし、保育園の入園定員数が足らない。だから入園するための活動にみんな必死となる。この活動を保活という。

 入園は、役所の窓口に申込書を提出。担当者が申込書をもとに面接。その面接審査で採点が行われ、逼迫度の点数が高得点の順番に入園者が決まる。

 申込書には入園希望保育園を10園まで記入でき、もっと書きたい人は別紙が渡される。

それから、申し込みをした段階ですでに無認可保育園に入園しているか、ベビーシッターの世話を受けているほうが高得点となる。それで、申し込みが始まる10月には無認可保育園への入園希望者が殺到。だから無認可保育園でも10月は収容定員数がオーバーする状態になる。

 何と今は、受験、就活のような人生における戦争が生まれたときから行われているのである。

 この物語では、入園するために奥の手が使われる。申し込み直前に離婚をするのである。シングルマザーは、得点が大きく、入園の可能性は高くなる。入園してしまえば再婚手続をしてもとのさやに納まるのである。

 ところが、入園できても、事情により再婚しない人たちが結構たくさんいるらしい。
この物語でも旦那が浮気をしていて、再婚ができなくなりそうになる。

 いやはや大変な時代である。

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| 古本読書日記 | 06:11 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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司馬遼太郎   「街道をゆく38 オホーツク街道」(朝日文庫)

 流氷が流れ着く北海道オホーツク沿岸、ここで多くの縄文式遺跡が発掘される。発見された遺跡、人骨や土器をみても、従来の日本人、アイヌとは異なる。彼らはどこからやってきたのか、そしてどんな生活をしていたのか、遠い昔に思いをはせながらオホーツク街道をたどる紀行記。

 この紀行記では2つのことが印象に残った。
一つは膨大な遺跡の数。それから考古学会がアマチュアの人たちに支えられていること。

私の一つ下のいとこが古代遺跡発掘に凝った。工場を経営しながら、休みの日は毎週どこかの発掘現場に行き発掘をしていた。家には修復した土器が様々たくさんあった。

 彼から聞くと、私の生まれた故郷の小さな町にも、10以上の遺跡があるそうだ。ということは日本にはいたるところに縄文時代の遺跡がある。その数は46万か所もあるとのこと。だから今でもどこかで発掘調査が行われている。その担い手の多くは彼のようなアマチュアの発掘調査人である。

 網走の海岸にオヨロ遺跡という大遺跡がある。この歴史的遺跡を発見したのが米村喜男衛という人。米村さんは小学3年生のとき畑の中から、人の手で削って作った鋭い石を拾う。これを持ってかえって先生にみせると大昔金属が無かったころに、石を削って作った刃物だと先生が言う。

 そこで考古学に興味を持ち、専門雑誌を購読しだす。尋常高等学校3年、今の中学1年で青森の理髪店に奉公にでる。その後東京神田の高木理髪店に移る。

 神田は書店がたくさんある。そこで懸命に考古学を学び、遂に、東大の人類学の権威鳥居教授に知遇を得る。そして驚くことに、鳥居教授は米村さんを考古学会の会員に迎え入れる。

 今はどうかはしらないが、私の従兄のように遺跡発掘に夢中になる人も多く、米村さんの時代のように権威を笠に着るのではなく、考古学会はアマチュアにも門戸を開くふところが深い学会なのだ。

 米村さんは神田から函館そして地元の網走に戻り、理容店をしながらモヨロ遺跡を発掘する。
北海道は1万2千年くらい前までは、北方大陸と地続きだった。だから大陸から渡来した人々がいた。当時は1万年続いた縄文式時代である。そしてオホーツク海岸沿いに竪穴住居をつくり住み着く。これがオホーツク人である。

 そこにはたくさんの魚や海獣、海藻があり、食べることに困ることはなかった。
一方、本州は弥生式時代に変わっていた。弥生式時代は稲作が開始定着した時代。稲作は大きな集団生活を実現。それにより、支配、被支配の体制ができあがる。

 縄文時代は、狩猟生活時代。集団は家族単位で小さく、すべてが平等。食料の心配さえなければ、すごしやすい平和な時代だった。

 そんな時代にできた大和朝廷は、坂上田村麻呂を使い、縄文式生活を送っている人々、民族を征伐する。

 これにより、縄文式生活は駆逐され、支配階級ができあがり、人間的豊かな生活は失われた。
 そのことが、何となく切なく残念に感じた。

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朝日新聞社会部編   「東京地名考」(下)(朝日文庫)

 板橋区小茂根。
17000年前、日本は大陸と地続きだった。旧石器時代、人間は黒曜石を削りナイフ替わりにして狩猟生活をしていた。
 有名な縄文時代以前の遺跡として群馬県岩宿遺跡が昭和24年に発掘され、その2年後に当時中学2年生だった滝沢浩君により旧石器時代の遺跡が小茂根で発見される。小茂根の茂をとり茂呂遺跡と名付けられた。

 足立区六月。
ここには、源頼義・義家親子が安部氏と戦った場所炎天寺がある。六月の炎天下で戦ったので地名が六月となった。
 この六月に一時期俳人小林一茶が滞在していた。そして有名な句
「やせがえる 負けるな一茶これにあり」
を作った。これ本当?ずっとこの句は長野県で作ったと信じてきた。

 武蔵野市緑町。
ここに昭和26年5月に東京ドームを凌ぐ、球場が作られた。両翼91.4M、収容人員5万1千人。今のヤクルト、当時国鉄スワローズとフランチャインズ契約を結ぶ。しかし、武蔵野台地は風がつよく、しょっちゅう砂ぼこりや土煙が舞い、試合がとまる。3年でやむなく解体にいたる。

 国分寺市多魔蘭坂。
西武鉄道が学園都市をめざして土地造成をする。そして一橋大学誘致に成功する。最寄り駅は国立。駅から徒歩で30分。これがずっと上り坂。梅雨時になると赤土の坂が泥んこ。こりゃあたまらんということで坂の名前が多魔蘭坂となる。

 国立
学園都市の国立から名前がつけられたのではない。国分寺駅と立川駅の間にできた駅なので国立駅となった。

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朝日新聞社会部編   「東京地名考」(上)(朝日文庫)

 東京の主に町の名前の由来やエピソードを紹介した作品。
私自身、今まで東京で暮らしたこともないし、出張などで出かけることもあまりなかったので、東京で馴染みのあるところは皆無、読んでいてもあまり身近に感じなかった。

 それで、作品の中で、これは面白いのではというところを紹介するだけにとどめる。

 最初に東京がすごいところだと思ったのは教科書の「勝鬨橋」の写真をみたとき。なんと橋が2つに割れ、その間を船が通っているから。この勝鬨橋、昭和15年に架設。東洋一の可動橋として有名になった。一日千回以上も橋げたが上がった時もあったが、東京オリンピックを境に上がる回数は減る。
 35年403回、40年98回、42年22回、43年3月7日に開閉は終了する。物品の輸送が全部車になったからである。

 浜松町。遠州浜松出身の権兵衛が名主となり浜松町と命名したとのこと。最初は権兵衛町にしようとしたのだが、名前が悪すぎるということで浜松町となった。

 新宿歌舞伎町は、鈴木喜兵衛という人が戦後4日めに立ち上がって焼け野原からの再建を始める。芸能広場を作り、その周囲に劇場、映画館、ホテルなどを配する構想を都に上申し、認められる。その際、GHQにより日本伝統芸能が潰されるのではと心配して菊座という歌舞伎座を誘致することにした。しかし、歌舞伎座の誘致は失敗。町の名前だけは残った。

 錦糸町には太公望が楽しむ堀がたくさんあった。町の名前も錦糸堀という堀からきている。ここの堀では、魚を釣って帰ろうとすると、堀が突然「おいてけ」としゃべる。驚いて釣り人が魚籠を覗き込むと釣った魚が跡形もなくなっている。
 このエピソードから「おいてきぼり」という言葉ができた。

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杏     「杏の気分ほろほろ」(朝日文庫)

 女優でもありファッションモデルでもある杏さんのエッセイ。
このエッセイは杏さんが連続テレビ小説「ごちそうさん」に出演されていた時に書かれたもので、「ごちそうさん」収録でのエピソードが多い。

 私自身殆どテレビをみないので、「ごちそうさん」と言ってもまったくピンと来ない。このエッセイの中に、折に触れて、登場するのが「雨のちハレルヤ」という歌。「ごちそうさん」のテーマソングだ。これだけ頻繁にでてくるから、さぞ有名で売れた歌だろうと思って調べたら、ゆずの歌。この歌ならよく聴いたことがある。こんなことを書いているから世間からとりのこされてしまうんだとつくづく感じた。

 それにしても、撮影とは大変な仕事だと思った。
例えば、衣装は、俳優さんが自ら着るのではなく、必ず衣装係の人が着せてくれる。

 ドラマは、順序だてては撮影しない。それは、俳優のスケジュールにもよるし、外のシーンをまとめて撮ることもするから。それを最後に順序に従い編集しなおす。

 例えばあるシーンで、少し衣服に汚れが付く。その後、屋内に帰ってきて撮るシーンがある。これが連続していれば問題ないが、別々のタイミングで撮ると、その汚れを再現したり、髪型も同じにしたり、履いている草履や靴も揃えなければならない。これを間違いなくすることが大変だ。

 セリフは覚えるのが大変で、それぞれ、当人があみだした方法で覚える。そして、撮影中監督の「OK」がでると、本能的に俳優はきれいさっぱり忘れるらしい。

 それで困っている出演者がいる。落語家だ。落語家は覚えた話を忘れないように訓練されている。こうなると、覚えたセリフをいつまでも忘れることができず困るそうだ。

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枡野俊明    「禅の言葉に学ぶ ていねいな暮らしと美しい人生」(朝日文庫)

 苦悩を克服、穏やかに幸せに満ちた人生を送るために禅の言葉を選び、解説をしている。

この作品を読んでいると、禅というのは過去にこだわらず、未来に何かをもとめるのではなく、ひたすら心を空にして今やるべきことに集中しなさいと説いているように思う。

 この無にするということが、多くのところで表現を変え、説かれているのだが、これがいくら理解しようとしても、生きた人間の姿として浮かび上がって来ず、どうにもピンと来ない。

 「清風拂明月、明月拂清風」
明月も清風も一体であり、対立するものではない。禅は二元論を否定し自他合一と考え相手の中に自分を生かしなさいと説く。

 善か悪か、成功か失敗かと二者択一で物事を考えてはいけない。何事も決めつけてはいけない。人間は何でも決めつけてしまおうとするが、それにより色眼鏡で見たり、執着心が生じる。

 物事はどちらか一方に傾いているのではない。人間も同じで、良い部分もあるし悪い部分もある。その揺らぎの中でわたしたちは生きている。相手とむきあったときいつでも無心でいることが大切。

 こんな実感のない、他人との向き合い方のなかで、人間にあるべき関係など結べるのだろうか。というより、相手の人間について何の判断もくださない人間関係など、存在するのだろうか。
 
「山花開似錦 澗水湛如藍」
世の中は常に移り行く。移り行くことが永遠の真理であるという意味。

今はお金がある。今はお金がなくて生活が苦しい。それはただそれだけのこと。

もし今最悪な状況にいて、どん底まできてしまっているのなら、そこからそれ以上落ちることはない。そこまでは何となく理解できるが、次の言葉は当たり前に聞こえるが大きく飛躍している。あとは上るしかない、それが移ろうこと。気持ちをきりかえ前に進もう。

あとは上るしかないって真理?ずっとそのままってことだってあるんじゃないの。

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松田美智子   「新潟少女監禁事件 密室の3364日」(朝日文庫)

 1990年11月13日新潟柏崎市、当時9歳だった学校帰りの少女を車で拉致し犯人は自分の部屋に監禁した。それから2000年1月28日、何と9年2か月の後にやっと発見され保護される。9歳だった少女は発見されたときには19歳になっていた。衝撃的な事件だった。

 当時この事件の副作用で、2件の疑問がわきあがり、警察の対応に猛批判が沸騰した。

犯人の佐藤亘行は、事件の一年前、同じ少女拉致事件を起こし、刑の執行猶予中だった。少女拉致事件が起きることは極めてまれだ。だからまず佐藤が浮かび、捜査をしていれば、すぐ逮捕され、少女は解放されていたのに、柏崎署では佐藤のことを誰も思い浮かべることがなかった。

 更に、県警の百田刑事部長が本部長の小林にこの事件の報告をしたとき、小林は中田関東管区警察局長を接待するため温泉に向かっていた。本来なら、引き返して陣頭指揮にあたらねばならないのに、温泉に行き麻雀接待をしていた。

 そうだったと当時を思い出し、この2人はその後どうなったと思っていたら、この作品で2人とも依願退職をして退職金は辞退したと書かれていた。とんでもない接待になってしまった。

 松田さんにはこの事件を扱ったもう一つの作品「少女は何故逃げなかったのか」があり、こちらでは松田さんの考えをベースに事件を深く掘り下げているが、紹介の作品は、事件の裁判経過をひたすら追い続ける作品になっていて、松田さんの考えはあまりでていない。

 監禁拉致の刑の上限は10年の懲役である。

この裁判記録を読んでいると、違和感を覚えた。犯人の佐藤は、拉致したことも認識していたし、部屋に閉じ込め、暴力をふるい少女が逃げないようにしていたことも認識していて裁判でも証言している。それにも拘わらず、自己愛性人格障害や分裂症の疑いがあるということで弁護側から精神鑑定の依頼がでて、裁判官が鑑定を認めていることである。確かに精神的障害を佐藤は持っていたかもしれないが、そのことが事件を引き起こし、拉致監禁に至ったことには何の影響を及ぼしてはいないのに。

 さらに、佐藤は少女に与える下着を万引きで手に入れている。これが、拉致監禁との併合罪となれば、最高刑の1.5倍、15年の懲役刑が可能となる。

 しかし、特定された万引きは2000円相当で、店への弁償も母親より済んでいる。この微罪を併合罪に繰り入れるかが一方争点となったが、繰り入れは無理筋と思われた。

 しかし一審では、併合罪として繰り入れして懲役14年の判決が下った。当然、精神障害の影響についてはほとんど退けられた。

 それが2審になり、併合罪の繰り入れにより4年もさらに刑を伸ばすことはしてはいけないということで11年の刑となった。

 しかし、9年2か月はあまりにも長すぎ、少女には苛酷すぎた。14年の判決は法律的には長すぎたが、苛酷さに厳罰をくだすべきとの世間の声が大きく、最高裁は2審の判決を破棄し、14年の判決を支持した。世間の心情が判決に影響を与えたのだ。

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鈴峯紅也   「警視庁監察官Q」(朝日文庫)

 主人公の小田垣観月は警視庁の監察官。小学校の時、男の子と木登りの競争をして、木のてっぺんから落ち、脳に障害を持つ。その障害がユニークで、喜怒哀楽が全く表情にでなくなり、何があってものっぺらぼう。その代わりに、あらゆる情報を、見た瞬間にに記憶する能力を持つ。

 警視庁を悩ませているのが、事件の証拠物件の保管。警察署の地下などの狭いスペースに他の書類とともに保管されているが、裁判の判決がでるまでずっと保管していなければならず、頻発する事件に保管場所が絶対的に不足してしまう。

 そこで、物語では東京近郊葛西の民間倉庫に保管を委託する。その倉庫を通称ブラックボックスという。
警察にはとんでもない警察官がいて、この押収物、とくに麻薬などをくすね、市場に売り渡し小金を稼ぐ。

 津山は元警視庁や警察庁の要職を歴任した元警視監。こういう人は、退官後要職に天下りをする。津山も各種の司法、警察関連団体の要職についている。しかも妻は都議会議員。

 この2人が時々、団体でブラックボックスを視察にくる。元警察の重鎮ということで、警備体制は敷かれず、自由に視察をする。

 そんなに視察をするのはおかしいと思った監察官の観月は、部下や他の警察官を連れて、視察直後に保管状況をチェックをする。この場面がすごい。

 観月が視察前に記憶している画像と、視察後の保管状態とを比較して相違のある物を指摘してゆく。上下や前後が逆になっている。ガムテープの位置がずれている。段ボールの角のふくらみが小さくなっている。段ボールに傷がついているなど。

 これで、品物のなくなっていることと、ついている指紋を確認。そして視察団の大量の盗みを発見してゆく。

 物語には、たくさんの菓子を食べる場面が描かれ、作者鈴峯は面白いだろうと思わせているかもしれないが、それにより緊張感がなくなり、残念な仕上がりになってしまっている。

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三輪和雄    「羽田沖日航機墜落事故」(朝日文庫)

  1982年2月、羽田沖でDC8型機が墜落。死者24人、重軽傷者150人の大惨事となる。およそ40年前の事故だが今でも、機長が、真っ先に救出され、ボート上で表情がない、どことなく薄笑いをうかべているような写真にゾクっとしたことを覚えている。

 この作品ではZ機長になっているが、片桐機長という名前は記憶から消えない。

 着陸寸前機長が自動操縦装置を手動に切り替え、突如操縦桿を前に倒し、機首を下げながらエンジンの推力を絞る操作とエンジン4基のうち2基の逆噴射装置を作動させる操作を行ったため、機体は前のめりになって降下し羽田沖に墜落した。

 片桐機長は、精神的変調をかなり前からきたしていて、慈恵医科大の精神科や、日航契約の精神科医に診てもらっていた。結果、心身症、うつ病と診断されていたが、フライト近くの診断で病気はかなりよくなり、FLIGHTに支障は無いと医師が判断し、FLIGHTを行った。

 すこしびっくりしたのは、うつ病や心身症でも、操縦士としてFLIGHTができることだ。

 神経を病んでる患者の正確な病名をつきとめるのは難しい。他の病気のように身体の形状の変化を診ることができないから。患者との会話や表情から病気を判断するからだ。

 しかも、片桐機長の病気は心身症ではなく、精神分裂症であった。精神分裂症は妄想と現実の区別が無くなり、二重人格症となって現れる。

 事実このFLIGTの際でも、「ソ連機が襲撃してくる。」「いね、いね」と声をあげている。いねとは帰れという意味である。

 実は、精神分裂症は対面会話で病気をつきとめることは困難だそうだ。というのは、患者が症状を抑えて対応するからだ。だから、周囲の人たちや家族から言動におかしいところが無いか調査して診断を下す。

 著者の三輪は、事故後関係者や家族を丹念に調査して、片桐が精神分裂症であることを突き止める。そして、これだけ症状がでているのに、全く当時の精神科医に情報が上がってきていないことを強く批判する。

 しかし、それは事故が起きた後だからわかること。通常は、周囲がおかしいと思ってもそんなことを報告するわけがない。それは情報提供になるよりチクリとなり被害は告発者に及ぶ危険が大きい。

 パイロットの給料は高給。その殆どが乗務手当。家族も異常を報告しない。その瞬間に手当が消滅するから。

 日航もこの事故以降、健康管理室を部に格上げして、当然精神科の専門医も常駐させて、パイロットの健康管理に万全を期す体制となった。
 しかし、それでも同じような事故を防げる体制となったかはかなり疑問だ。

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辰濃和男  「辰濃和男の天声人語 自然編」(朝日文庫)

 1975年から88年にかけ、辰濃が執筆した朝日新聞の天声人語のうち、自然を扱った作品を選び本にしている。

 岩手県で何百年前の海鳥の化石が発見された。翼を拡げると6Mにもなる大海鳥である。
われわれホモサピエンスが登場する前は、地上では、トウヨウゾウが威風堂々と歩き、アマミノクロウサギが跳びまわっていた。

 生物の中には飛翔の自由を獲得したものがいて、生活空間領域を拡大して自由を謳歌していた。翼竜の時代、始祖鳥の時代だった。そして日本の海にも巨大鳥が多く生息していた。

 静岡県の掛川でも巨大鳥の化石が発見されている。ミズナギドリという巨大鳥である。

後世の古代史研究家は、きっとたくさんの20世紀から21世紀にかけて日本にいたたくさんの怪鳥を発見するだろう。

 永田町、霞が関一帯に生息したカザミドリ、ニンキトリ、ゼイキン科に属するマルドリ、スイトリ、ムシリトリ、ホジョキン科に属する、モギトリ、ハギトリ、ツカミドリ、ワイロ科に属するヨコドリ、カタリドリ、カスメドリ、ヤトウ科に属するアゲアシドリなどの多くの鳥の化石を発見するだろう。

 なかなか鋭い皮肉だ。

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司馬遼太郎  「白河・会津のみち 赤坂散歩 街道を行く33」(朝日文庫)

 奥州出入口には昔、関所があった。これが、実際に行ってみると、その跡が2か所ある。どちらがメインかわからない。この二か所あることから、相撲の名門「二所ノ関部屋」が生まれた。

 白河には小さなキリスト協会がある。この教会普通の教会と異なり、頭にネギ坊主がある。
欧州から全世界を席巻しているローマカソリック教会ではなく、ギリシャ正教(ロシア正教)の教会である。

 明治の初め、ロシアよりニコライ主教が派遣され、神田駿河台にロシア正教の教会を創設して、全国に布教を始めた。

 山下りんは、常陸の笠間村で下級武士の娘として生まれた。明治維新で家が没落し、困窮の極みに陥る。この窮乏の中でりんは家族を説得し明治6年絵の修業のため上京する。

 しかし、住むところが無い。それでニコライのいる教会を住居にする。

それにしても、明治6年では、絵画を学ぶ条件など殆ど無い。絵画というのは、先人の絵画作家の作品を模写することから始まる。当時模写する作品が無いのである。工部美術学校が創設され、イタリア人教師が招かれていたが、これがどんでもない食わせ者で絵画などまったくわかっていない。

 明治の初めの大混乱の最中、画家になろうという人は殆どいない。まして女性では。ニコライはりんにイコン像を描くことを勧める。そして洗礼もうけさせ、明治12年にりんをロシアのサンクトペテルブルグに留学させる。
 明治12年に女性が欧米ではなくロシアに行くこと事態が驚愕である。

りんはそこでもイコン像を描くことを強制されるが、留学の間に、エルミタージュ美術館を何度も訪れる。

 そこにはイタリアルネッサンスのもとでの絵画が多く展示されている。ルネッサンスは聖像を平板に描くのではなく、人間がまさに生きているように立体的に描かれている。

 りんはこれに衝撃を受け、人間を描きたかった。しかし、それを教えてくれる指導者がいなかった。
 りんは日本に戻り、生涯平板なイコン像を描き続けた。切なく、哀しかっただろうと思う。


 もう一人の福島県人。会津の徳一という人物。この人は平安時代西暦800年代に会津に私費でお寺を建設。当時は、寺はすべて公費で造られ私費という寺は無かった。

 驚くのは、朝廷がある京では、文化も言葉も発展して存在していたと思うが、会津のような田舎で言葉はあることはわかるが、文字があり、それが字として書かれているとは想像できない。

 この徳一が、当時の思想界のトップである最澄、空海に論争を挑み、彼らを負かしているのである。それにしても、当時会津と京都では、宇宙のように遠い。一回だけ徳一が京都にでて、最澄を弁論大会で負かしているが、その後は手紙のやりとりで論争をしている。

 手紙ができるたびに使者が京都、会津間を行きかう。その想像がつかない距離間にただただ圧倒される。

 歴史上には決して登場しない、山下りんと徳一。2人の偉大な福島県人を取り上げた司馬に拍手を送りたい。

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| 古本読書日記 | 06:32 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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山里亮太   「天才はあきらめた」(朝日文庫)

 いいなあと思っていた女優がいた。蒼井優である。クラシックバレエもするし、「男はつらいよ」や「東京家族」にもでている。

 この愛する女優と結婚したのが、何とこの作品の著者山里亮太。今は山里ではなく、蒼井亮太になっている。まいるのはこの蒼井亮太が吉本のコメディアンであること。

 コメディアンとは、亮太も言っているとおり、天才型と凡人型がある。天才型というのは、普段の言動が何をしても、周囲からみるとおかしく奇妙にみえる人。何とか努力しておかしくみせようと努力するのが凡人型。

 正直亮太は努力、凡人型。これが根っからの天才型で、これぞコメディアンというタイプだったら蒼井優と結婚しても仕方ないかと思うのだが、努力型であり常識一般人の亮太が蒼井優を奪ってしまうのは気にいらない。

 しかしお笑いの世界というのは厳しい。吉本には契約タレントは6000人以上いる。NSCなるコメディアン養成学校を運営している。門戸は誰にも開かれている。ここにたくさんの受験生がやってくる。そして合格して現在東京校、大阪校でそれぞれ600人、計1200人が学んでいる。

 消えてゆく人もたくさんいるだろうが、吉本はコメディアン希望者を投網でわんさかひっかけてひろってゆく。

 当然所属するタレント全員の面倒をみておらず、ほったらかし。それでは、タレントたちはどのようにして表舞台に立とうとするか。それはテレビの「M1グランプリ」のようなオーディションを受け、これで最後の決勝戦に残り、番組に出演すること。あるいは、ライブハウスや劇場のオーディションを受け、そこを通って、出場しながら頭角を現すしか方法がない。

 そこでようやく多少の評判を得て初めて吉本のマネージャーがつく。マネージャーや吉本が仕事をとってきてくれ、花月のメイン舞台にだしてくれるのである。ここまでやって初めて実質吉本契約タレントとなる。

 亮太のりっぱなところは、嫉妬や恨み、落ち込みを抑制して、常に努力を積み重ねること。卑屈、諦めが無いところ。

 低迷が長かったが、平凡努力型だった西川きよしが天才型の横山やすしとコンビを組み一世を風靡したように、努力型亮太は天才型しづちゃんを得て、舞台中央に躍り出、余計なことに蒼井優までかっさらった。

 そして、亮太は努力と精進で、天才型の域までつきぬけ、今や旬のタレントとなった。
 ふてえやつだとは思うが、拍手をしてあげたいし、これからも頑張って活躍してほしい。

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| 古本読書日記 | 06:13 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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久坂部羊     「悪医」(朝日文庫)

 新聞でもよく特集をしている「ガン難民」。医者からもう手遅れで治療不能と宣告され、それでも何とか治療してくれる病院と治療方法を求めて、彷徨う患者のことを言う。

 52歳の主人公小仲は、ガン治療拠点病院である三鷹医療センターの森川医師より、これ以上抗がん剤治療を続けても治癒の見込みはない。抗がん剤の副作用により、体は急激に弱り、治療をやめた方より、早く命を落としてしまう。余命数か月、それより好きなことを楽しんで余生をおくられたほうがよいと告げられ、病院から追放される。

 そして典型的なガン難民となる。ネットなどで、別の治療法はないか調べる。

抗がん剤のすべてに精通している医師は少ない。そこに「抗がん剤専門治療医院」という病院がある。ここでがんの中味を調べ、専門医が適切な抗がん剤を選び治療してくれる。

 小仲はその病院にゆき、専門医の診療により抗がん剤治療を行う。4クールで1セットなのだが、2クール、3クールを経過しても改善はみられないどころか数値はどんどん悪化している。そして副作用は我慢できないくらいひどくなる。これは治療費をふんだくる詐欺病院ではないかと思い、治療をやめる。医師は懸命に説得するが、小仲は決然と断る。その瞬間に医師は即退院して病院をでるように小仲に言い渡す。

 この後免疫療法も試みるが、高額医療費をとられるだけで、効果はまったくでない。
ごくまれに治療によりガンが消えるということもあるが、殆どガンは完治しない。がん完治を謳う病院は、高額医療費を獲る詐欺まがいの病院である。

 森川医師は真実を誠実に小仲に告げたつもりだが、小仲から死を宣告されたと猛反発をくらう。将来のことは森川が真実として告げたが誰もわからない。森川の言う様に、抗がん剤治療をやめたほうが余命は長くなるかもしれないが、逆もあるかもしれない。わからなければ患者はすべての抗がん剤の治療を受けさせてくれと頼む思いは理解できる。

 しかし病院は営利団体で慈善団体では無い。

 三鷹医療センターの場合、入院基本料は2週間までは20670円/日、15日から30日までが17620円、31日以降は15550円。外科の一日当たりの入院経費は16830円。

 2週間までは利益がでるが、30日までは収支トントン。それ以上の入院は赤字になる。
だから、2週間の入院で患者を追い出そうとする。

 入院費は国が決めるのだが、30日を過ぎても高額にすればよいのではという考えが浮かぶが、すると悪徳病院がいつまでたっても退院させないということになる。

 解決策がみつからない物語だが、現実の問題がよくわかり勉強になる。

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呉智英     「読書家の新技術」(朝日文庫)

 古典の読み方や書評の読み方、ブックガイドなど知的生活者に送る読書論。
わかりにくい本を、読み砕くための技術。

最初の部分をゆっくり理解しようと読む。だいたい本は最初にこの本は何について書いているか、テーマなどが書かれている。そこをつかむと、後は速読できる。
難しい文章も、これは大切な言葉だと思うようなものを拾い上げて読んでいくと、およそ何を言っているかわかる。

 こんな説明の後に竹内豊治と橋本一範共訳の「マーラー」という作品の一部が紹介される。

「しかしながら短調和音で収縮し、無力を自白するがゆえに感傷的だと非難される無力な鳴き声は、定式のこだわりをときほぐし、到達できないため涙させる他者に心中を打ち明ける。
 マーラーにおける表示手段はひっくるめて調性であり、なかんずく逸脱のための、一般者において没落しない、それゆえにこそ一般者を必要とする特殊者の酵素のための、特殊者が読み取れるようになりかつ相違しているところの関連体系のための長調・短調二元論である。マーラーの作曲において一般的なのは結局、逸脱そのものである。楽音はーたとえばブラームスのようにーすべての利用できる手段の分節化によってではなく、妨げられない因習的なものを刺激する裂片によってつくられる。」

さすが呉智瑛、この文章が何を言っているのかわかるのか。私には日本語らしきことはわかるが、何度読み返してもさっぱり何を言っているのかわからない。

 呉智瑛も言う。俺もさっぱりわからねえやと。

書いている人はわかっているのだろうか。それともマーラーについて深い知識のある人はわかるのだろうか。それにしてもりっぱな迷文訳文である。

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司馬遼太郎   「秋田県散歩 飛騨紀行 街道を行く29」(朝日文庫)

 街道シリーズ29巻目。正直他の紀行記よりだいぶ情熱と探求心が薄く、あまり力のない作品となっている。少しマンネリ化してきたのかと思わせる。

 今年の夏、高校野球を沸かせた金足農業の吉田投手。この金足農業は秋田県にある。そんなことでもなければ、秋田県というのは影が薄い。秋田県と思ってすぐ浮かぶのは美人が多いこと、悪いほうでは自殺者が多いこと。

 数年前、こんな影の薄い秋田県というところはどんなところだろうかと友人と旅をした。
酒とつまみのジュンサイが本当に美味しかった。

 秋田県が登場したのは私が子どもの頃、八郎潟を大干拓して膨大な水田耕地を造ったことだ。田植えはどうだったか覚えていないが、コンバインという見たこともない機械で、稲を一斉に刈り取ることには驚いた。

 当時日本のどこでも田植え、稲刈りは小さい田圃で多くの人手で細々と行われていた。水田を耕すトラクターも登場していたが、馬力の小さい小型の耕運機や牛馬が使われていた。それを八郎潟干拓地の大潟村では、私たち田舎の田圃の10数倍もある耕地を大型機械で農作業をする、とても日本の農村風景とは思えなかった。

 この干拓事業は、少なくても米だけは日本国民全員に行きわたらせようという目的で昭和27年に始まった。

 日本の米事情は昭和30年の大豊作で変わった。米があまり出したのである。その後ずっと豊作が続き、余剰米が積みあがっていった。

 今は違うけど、当時米は農業を支えるため、政府が全量買い上げ、それを安く販売していた。
このため、膨大な赤字を政府はかかえ大問題になった。

 通常はこうなると、干拓事業は止まるものだが、一旦方針がきまり事業を始めると、途中で止まることがない。

 驚くことに、干拓が終了し、大潟村の入植がはじまったのは昭和42年からである。この年には、米はたくさん余り、問題となっていた。司馬はこの作品で米問題を鋭くついている。

 米が自由売買になったが、米どころ秋田は頑張っている。ひとめぼれ、あきたこまちは本当に美味しい。そして秋田米からつくるお酒もおいしい。

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| 古本読書日記 | 06:14 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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盛田昭夫     「学歴無用論」(朝日文庫)

 1987年ソニー創業者の盛田が執筆出版された本。ソニーは今はどうかしらないが、出身大学どころか、学歴が高卒、大卒を伏せて、就職試験を行ったということで世間を驚かせたことがある。

 そんな画期的な採用試験、人事制度を行ったことの背景、理由について書かれた本だと想像していたが、中味は盛田の体験から裏打ちされた企業の在り方など会社全般にわたった作品。タイトルと中味が合致していないが、盛田の情熱が最初から最後まで湧き出ていて、面白い本だった。しかし、今頃初めて読むようでは時代遅れかもしれない。

 この本の中で、なるほどと最もうなった部分を紹介する。新入社員にたいする言葉である。

「本日社員になった。明日からはひとつ自分勝手に仕事をしてくれ。先輩から教えを受けようとしてはならない。なぜならば会社は学校ではない。今日入社する人にとっては先輩である我社の社員は、後輩を指導するために雇っている社員ではない。会社の仕事をするために雇ってあるので、従って先輩が仕事を教えるという義務はないし、責任もない。先輩の教えを受けることを期待してはならない。組織はあるから指揮系統はある。だから会社の命令は受けてもらいたい。しかし、仕事のやり方について先輩の指導を受けるという考えは絶対に捨ててもらいたい。・・・・・
みんながもし先輩と同じことをやっていたとしたら、我々は未だに神武天皇と同じ生活をしなければならないのではないか。今やジェット機に乗り、自動車に乗り、特急に乗れるのは、後輩が先輩を追い抜いてきたからである。先輩のやってきたことは大いに尊重し、利用したけれでも、それ以上のことをやってきたからこそ、世の中が進んできたのである。
 先輩の言うとおりにしていたら、世の中の進歩する可能性は無いのだから。先輩の言うことは気にしなさるな。」

 ソニースピリットが全開している演説である。

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歌野昌午   「Dの殺人事件、まことに恐ろしきは」(角川文庫)

 江戸川乱歩の名作を、現代の時代に移し変え、再作成した作品集。

これらの作品を読むと、乱歩の原作では無理なトリックを使っていて、思わずありえないと思ってしまうのだが、現在当たり前になっているテクノロジーを使うと、トリックが現実的なものに変わる。科学の急速な進歩を思わざるを得ない、

 引きこもり状態にある女性が、母親により死んでいるのが発見される。首をしめられ窒息死。しかも裸で上半身の背中は蚯蚓腫れをしている。鞭かなにかで叩かれ、その後首を絞められたと思われる。

 ところが殺された部屋は、密室状態で誰も侵入できない状況。

 現代には、HMD(ヘッドマウントディスプレイ)という装置がある。3Dより更に進化したこの装置を眼に装着すると、ディスプレイに映し出される情景が、上下四方切れることがなく、全部つながってみえるようになる。

 こうなれば、テレビも客観的ではなくなり、まったく自分もその画面の中にリアルに存在する状態になる。例えば、銃に撃たれると、よけようとするし、それに失敗すると本当に撃たれてしまった状態になる。リアルの世界では、ひとりで背中を鞭打つことは不可能だが、HMDでは実際に打たれている状態になり、そのことにより蚯蚓腫れが発生することになるのだ。

 このHMDをSEX場面に加え、例えばクッションのようなデバイスを体の上にのせると、異性とだきあっている状態が再現できる。そのデバイスに双方向のセンサーが仕込まれていれば、人肌のぬくもりが伝わってくるだけでなく、デバイスをなでるだけで、髪や肌をなでた感触がフィードバックされる。

 首に血圧測定器のようなデバイスで腕帯のようなものを巻き付けて、画面の絞殺にあわせて、測定器の圧力を強めれば、首絞め殺しが再現できる。

 何だか大変な時代になってしまったとため息がでる。
 推理作家は猫も杓子も密室殺人のトリック創造に力を注いできた。その多大な努力がこんな装置が登場するとむなしくみえてきた。

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六道慧    「殺愛 巡査長・倉田沙月」(朝日文庫)

 警察小説が隆盛を極めてから長い年月がたった。書店にゆけば所狭しと警察小説が積み上げられており、そのブームはいまだに衰えることを知らない。

どうしてここまで盛んになったのか。それは、細密な捜査過程を描く、謎解きミステリーという範疇を超えて、様々な相貌を警察小説がもつようになったからだと思う。

 事件を起こした加害者と被害者、捜査をする刑事たちとの人間関係や、人間性、心情を深く描写して、まったく新しい地平を切り開いた。

 厳格な階級社会である警察組織を描く組織小説。ひとりの家庭人に立ち返ったときの家族小説。時代の流行や世相を描いた風俗小説。事件関係者たちの交流を描いた人情小説。ハードボイルドやアクション小説。あらゆるジャンルに警察がテーマにされる。

 紹介している「殺愛」。5年前に主人公の巡査長倉田沙月は帰宅途中で拉致され、暴行される。この時の上司黒崎は切れ味鋭く完璧主義者の警視正。倉田解放のために黒崎が裏金を使う。このことが、世の中に流布し、警察は糾弾される。

 そのため、黒崎は降格され窓際に。そして倉田は少年課に左遷。
それから5年。この未解決の拉致暴行事件と関連がありそうな事件が次々起きる。

 この物語を読むと、警察というのは徹底した男社会にように思える。黒崎のようなスーパースターとして活躍をする刑事は、女性警察官の憧れとなり、いくらでも女性を手籠めにできる。主人公である倉田、服部という男と結婚していたが離婚、その直後に当たり前のように新しい課長に抱かれる関係となる。

 そして、こういう関係の多くは家庭崩壊を招く。放り出された妻は、子供を抱え生活苦に陥る。またそこには異父の子どもが存在することになり、これが更に暮らしを蝕む。

 物語は、いくつもの事件が、現在の警察が抱えている矛盾から発生していることに収斂されていることを描く。しかし、事件が多すぎ、うまく事件の背景、焦点をフォーカスできず警察組織、そこでの人間関係の問題に切り込めていないところが物足りない。

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柚木麻子    「嘆きの美女」(朝日文庫)

 外見だけでなく性格もブスでひきこもりの耶居子。ネットで自分は美人と思っている女性のサイトを発見。そこに、きつい悪口だけを放つことを生きがいとしてサイトにかじりついた一日を送る生活をしている。

 部屋はジャンクフードの包み紙や、スナック菓子の袋や、カップ麺のカップ、DVDなど散らかり放題。

 ある日、美人サイトの「嘆きの美女」のオフ会があることを知り悪口を直接言ってやろうとでかける。2年半ぶりの電車だ。

 その時に交通事故にあい、オフ会の会員に助けられ、その会員の住んでいる屋敷に搬送される。そこには、会員4人の美女と一人の女の子が共同で住んでいる。動けない耶居子はその4人と一緒に住むことになる。

 そんなとき、優子とユリエの会話が聞こえる。
優子がユリエにブログの更新をしばらく控えたら、例の変なコメントもなくなる。そろそろ更新しようかと思っていると言う。

 耶居子は自分の悪口が結構効いているんだと思わずほくそえむ。

 するとユリエが言う。
「気にすることないわよ。一日中パソコンに張り付いている、どっかのニートの仕事よ。きっと他人のあらさがししかやることないんでしょ。楽しいことなんて何もないから、他人の暮らしが気になってしかたないんだよ。放っとこうよ。」

 耶居子はドキっとする。
耶居子は4人との生活の中で知る。妬み、恨み、悪口は自分のようなブスだけに存在するものだと思っていたが、美女たちも自分たちと同じ、それ以上の妬み、恨み、それに伴う苦しみの中で生活していることを知る。なんだ自分と同じ、人間は平等なんだと感じる。

 それでパーティの席で一席ぶつ。
「美人が楽に生きられるなんて、それは美しくない人のひがみと幻想です。美しいというだけで、さまざまな怒りと嫉妬のはけ口になってしまう。悲しみを呼び寄せてしまうのは事実です。美しい人が自分を見失わず、信じた道を歩いてゆくのは並大抵のことではないのです。」

 そうかなあ。あまり説得力ないように感じてしまう。

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| 古本読書日記 | 06:35 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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柚木麻子    「嘆きの美女」(朝日文庫)

 外見だけでなく性格もブスでひきこもりの耶居子。ネットで自分は美人と思っている女性のサイトを発見。そこに、きつい悪口だけを放つことを生きがいとしてサイトにかじりついた一日を送る生活をしている。 部屋はジャンクフードの包み紙や、スナック菓子の袋や、カップ麺のカップ、DVDなど散らかり放題。

 ある日、美人サイトの「嘆きの美女」のオフ会があることを知り悪口を直接言ってやろうとでかける。2年半ぶりの電車だ。

 その時に交通事故にあい、オフ会の会員に助けられ、その会員の住んでいる屋敷に搬送される。そこには、会員4人の美女と一人の女の子が共同で住んでいる。動けない耶居子はその4人と一緒に住むことになる。

 そんなとき、優子とユリエの会話が聞こえる。

優子がユリエにブログの更新をしばらく控えたら、例の変なコメントもなくなる。そろそろ更新しようかと思っていると言う。
 耶居子は自分の悪口が結構効いているんだと思わずほくそえむ。

 するとユリエが言う。
「気にすることないわよ。一日中パソコンに張り付いている、どっかのニートの仕事よ。きっと他人のあらさがししかやることないんでしょ。楽しいことなんて何もないから、他人の暮らしが気になってしかたないんだよ。放っとこうよ。」

 耶居子はドキっとする。

耶居子は4人との生活の中で知る。妬み、恨み、悪口は自分のようなブスだけに存在するものだと思っていたが、美女たちも自分たちと同じ、それ以上の妬み、恨み、それに伴う苦しみの中で生活していることを知る。なんだ自分と同じ、人間は平等なんだと感じる。

 それでパーティの席で一席ぶつ。
「美人が楽に生きられるなんて、それは美しくない人のひがみと幻想です。美しいというだけで、さまざまな怒りと嫉妬のはけ口になってしまう。悲しみを呼び寄せてしまうのは事実です。美しい人が自分を見失わず、信じた道を歩いてゆくのは並大抵のことではないのです。」

 そうかなあ。あまり説得力ないように感じてしまう。

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<p class= | 古本読書日記 | 06:30 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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川上弘美   「大きな鳥にさらわれないよう」(講談社文庫)

 この作品のどこかで書かれていたと思うが、作品の舞台は今から遠い将来8000年後の世界。こういう小説の多くは、今と比較して未来は暗く、絶望が漂っている世界になっている。この作品も、そんな傾向が強い。

 国というものが無くなり、人間なのかよくわからないが、それに近い人々(?)が孤立された単位で生活、他の集団とは殆ど交流は無い。

 ある集団では、人間らしき生物は工場で食料と一緒に生産される。また、他の集団では男は十数人しかおらず、その男たちが順番に多くの女性と交わり、生物を生産してゆく。生まれた子供には名前がなく、15人の子どもができれば、1/15、とか8/15など記号になって呼ばれる。

 集団と集団の間の移動は、小型飛行機もあるようだが、使われるのはホバークラフト。コンッピューターはあるのだが、通信可能なのは集団の中のみ。殆どの場合、過去に蓄積された文明や知識を検索したり、学習したりするために使われる。

 最初から、不便で暮らし辛い生活を強いられている物語が続き、どうしてこんなに未来はなってしまったのだろうという説明がない。

 電車や飛行機や車は?電気やスマホはどうなったの?消滅したのか、たまたま物語にでてこないのかいらいらする。

 そう思っていたら、最終にちかい「運命」の章で、その変化の根本が描かれる。

人間は、発明でも新しい創造物でも必ず意志と目的をもって創り上げてゆく。その過程でたまたま偶然に新しい発明や創造物ができあがることはあるが、それは本当に偶然で、常に目的があって挑戦を続ける。そして人間の創造の支援機としてAIを創り上げ進化させる。

 このAIは意志や目的を持たない単なる物体。それゆえAIは無制限にあらゆる方向に進化するようになる。結果今まで考えられなかった文明を生む。人間はこのままではAIに支配されると思い、新しいことが創造されるたびに、もぐらたたきのように潰すのだが、とうとうそれが限界を超える。

 そしてこのAIが人間の体内に入り込み、人間と融合し、新しい概念の生物を生み出す。このことにより、人間は滅亡への道をたどり、今や数えるほどしか地球に存在しなくなる。

 人間は目的、動機をもって行動する。それを持たなく無制限に行動するAI。その違いが人間を滅ぼしてしまう。

 私が思っている疑問、現在まで人間が作ってきた文明の利器がどうなってしまったのかについては何ら答えていないが、卓抜な発想力と文章力に思わずなるほどと納得している自分がいる。

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<p class= | 古本読書日記 | 06:21 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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今野敏     「豹変」(角川文庫)

 推理小説が誕生して200年以上がたつ。その間、ありとあらゆるトリックが描かれ、もう新しいトリックは創造できないまでになったと言われる。しかし、そうではないと思う。   社会は激しいスピードで変化している。IT ネット社会、科学の進歩は社会のありさまを大きく変化。それにより、新しいトリックが広がる余地は大きくなっている。

この物語14歳の三人が事件を起こす。

 一人は同級生を刺し重傷を負わせる。さらに別の子が同じく同級生を金属バッドで殴り重傷を負わせる。そして同じ中学生の女の子が、4人組に襲われたのだが、逆に襲った4人を投げ飛ばし傷を負わせる。

 3人の犯人は、傷害時、老人のような声に変わり、言葉使いは殿様のようになり、警察に捕まるが、取り調べ中、警察官、刑事を投げ飛ばし、逃走する。

 それが、主人公の富野刑事の知り合いである鬼龍光一のお祓いにより元の14歳の中学生にもどる。

 人間の頭脳にはシルヴィス溝という溝がある。この溝で側頭葉、頭頂葉、前頭葉を区分けしている。シルヴィス溝により筋肉は10%とか頭脳は30%とか使用量が制限される。その制限により、骨折など体を傷つけることを防いでいる。

 このシルヴィス溝に特定の波動を送ると、制御がはずれる。これにより、とんでもない声がしゃべれ、破壊的な力が発揮できるようになる。

 科学的進化、発明により、新たなトリックはどんどん生まれてくる。

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| 古本読書日記 | 06:26 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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