司馬遼太郎 「世に棲む日々 (三)」(文春文庫)
第3巻は、その長州征伐が中心に描かれる。
しかし、3巻では、日本変革の源となる重大事態が挿入される。
一つは2巻の最後に描かれるが、高杉晋作が文久2年に上海に旅行したことである。当時はすでに、幕府は幾つかの国と通商条約を結んでいたので、上海にも派遣団が渡っている。 日本には海外と貿易業務ができる人材が殆どいなくて、その実務習得が急務のため派遣されたのである。
しかし、派遣されたのは幕府や藩の役人ばかり。貿易など関心がなく、物見遊山の人間ばかりだった。
高杉晋作が、上海に着いて驚愕したのは、ペリーが率いてきた黒船に匹敵する軍艦や商船が上海港には無数に停泊していたことである。とても、こんな国々と力では対決できなことを痛感。
上海には2週間いたのだが、中国人は欧米人の奴隷と化していて、しかもアヘンに毒され悲惨、哀れな状態になっていた。日本を同じ状態に絶対させてはいけないと決意する。
そして、同じ文久2年にもう一つの事件が起きる。
高杉晋作の松下村塾出身の同士2人がイギリスに密航する。当時、鎖国はまだ継続されていて、幕府の認可した使節団しか海外には行けず、密航が発覚すれば死罪であった。
この密航を実行したのが井上聞多(後の馨)と伊藤俊輔(後の博文)の2人。井上は途中香港に着き、そこで、密集している艦船と高層ビルをみて「俺は攘夷をやめた」と宣言する。
2人は6か月ロンドンにいて帰国する。
長州藩といえば尊王攘夷の急先鋒。当然奇兵隊も同じ思想。
「開国」などと主張すれば、命無き状態にさせられる。
高杉晋作、井上聞多、伊藤俊輔、3人は孤立してしまった。「攘夷」で同士を集めて、藩の思想にしてしまった3人が一転「開国」を主張するのは困難なことである。
それにしても、学生時代、伊藤博文、井上薫のヨーロッパ密航、習ったかもしれないが、その影響重大さを知っていなかったので、すべて忘れていた。この作品で事実を知り驚いた。
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