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2019年07月 | ARCHIVE-SELECT | 2019年09月

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萩原浩   「母恋旅烏」(双葉文庫)

 花菱家の大黒柱、花菱清太郎は旅回りの劇団「大柳団之助一座」の流し目の花菱清太郎といわれた役者だった。その清太郎が一座を離れて独立、新たに劇団を創る。しかし、この劇団は大分前に潰れて、その後はサイコロを転がすように花菱家は堕ちてゆく。

 そして、ホームエンターテイメントサービス社略称HES社に家族で登録。レンタル家族として生計をたてている。

 レンタル家族というのは、家族を失ったり、核家族となった一人暮らしの老人の家庭などにゆき、そこで、なつかしい家族になりかわり幸福な家庭を再現したり、結婚披露宴に呼ぶ友達などがいない場合、その友達に成り代わり、披露宴に出席するサービスを行う会社のことをいう。

 この物語でも、そんなレンタルサービスの風景が萩原独特のギャグをふんだんに取り入れられて描写されている。

 一人暮らしのおばあさんの家にゆく。清太郎が23歳で亡くなったおばあさんの息子秀之を演じる。しかし、清太郎が秀之だと言い張っても、本当の息子とは異なる。それにどんな息子だったかも清太郎は知らない。

 「お前が23で死んだときはつらかった。」とおばあさんは言う。
それに、清太郎が上手く答えられないでいるとおばあさんが怒る。
 「お前はどうして死んだのかも知らないのか、ばかたれ。」と。

寂しく一人で暮らす、女性の家に清太郎が父親として行く。

 でてきたご飯とともに、女性の話を聞く。女性は最愛の恋人に裏切られ死にたいと思っている。しかし、一人で死ぬのは辛いし、寂しい。お願いだから一緒に死んでほしいと。こりゃあ大変と逃げようとするが、体が思うように動かない。女性が言う。ごはんには眠り薬を大量に混ぜてあると。そして今ガスの元栓をあけたからと。

 バラック小屋に一人住む老人の家にゆく。すると突然の激しい雨。トタン屋根をはじきおちる雨だれがものすごい音をたてる。
 すごい雨だと清太郎が言うと、老人はあれは雨では無い。敵機の空襲だ。すぐ外に出て対空射撃をしろと掃除機のホースを握らされ、雨の中に飛び出させられる。

 主人公の末子寛二の姉が披露宴にレンタルとして出席。友達籍席に座らされるが、聞くと全員レンタル。その時の花嫁は中学、高校と最も嫌いだった香織。香織の悪行を全部桃代に肩代わりさせ、そのせいで高校を退学させられた。
 その香織から友達代表でスピーチと一曲歌を頼まれる。
桃代はスピーチで新婦香織の悪行を披露。援助交際までしていたことを言い、最後に一曲。曲は「今日でお別れ」。

 このむちゃくちゃで終わるかとおもったら、披露宴が終了すると、披露宴に出席していた芸能プロ社員から「歌手になりませんか」とスカウトされそのまま歌手になる。

 まず、ここまでのエピソードが破天荒で面白く笑いが止まらない。

後半は、レンタル業をやめて大柳団之助にわびをいれて、清太郎一家は劇団にもどる。ここからは、落ち目になってしまっていた劇団を立て直す過程が描かれる。

 萩原はレンタル部分で力を集中して精力が尽きたのか、後半は描写は平板で、ストーリーもどこにでもある平凡なもの、ありきたりの人情噺となり急につまらないものになってしまった。

 レンタル家族をもっとつきつめ、そのまま最後までいってほしかった。

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伏見憲明 斎藤綾子  「対談 快楽の技術」(河出文庫)

 ゲイであることをカミングアウトした伏見とバイセクシャルであることをカミングアウトをした斎藤が、ありとあらゆるセックスについて口角泡をとばして語りつくした対談集。

 伏見の表現は、分析、理論的で少し硬いが、斎藤は赤裸々縦横無尽感情のおもくまま語り、個性的で面白い。

 バイセクシャルの男性の日常はどうなっているのか。女性は相手のことを名前で呼ぶが、男は名無しで殆どが行きずり、毎晩相手は変わる。

 男と女の関係は、そのうちに形は家族に変わり、それが基礎、絆となる。ゲイとなると家族はありえない。彼らの発展した形はどうなるのか。

 完全に幼児退行になるのだそうだ。完全にかわす言葉は「ちゅ」「ちょ」などの拗音の会話になる。社会の常識、規範から完全に解放される姿。とても人様にはみせられない状態。一番恥ずかしいところを共有している関係が安心につながるそうだ。

 1対1のノーマルセックスだけでなく、時に3人、4人とのプレイも楽しむ。
男女複数によるプレイは想像できるが、ゲイのプレイはどうなるのか。

 例えば3人で行うと、まず一人が射精すると、別の男とする。そのうちに先に射精した男が恢復する。すると、プロレスのようにタッチして選手交代。これをずっと繰り返し延々と続くのだそうだ。

 とても想像できないことが、次々暴露される。申し訳ないが、読むほどに気持ち悪くなる。

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井上荒野   「リストランテ アモーレ」(ハルキ文庫)

 偲と杏二が営むカウンター9席だけの小さなリストランテ。常連客で毎日ほぼ満席。
普通のカップルや訳ありのカップル、女性たちのグループ、それから毎晩一人で立ち寄る女性客。客は多彩。

 この短編連作集にでてくる井上さんの言葉「心得ている」が、何度読み返してもわからない。私のように田舎に住み、恋愛など少ししか経験もなく、雰囲気のあるバーやリストランテなど全く縁のない生活をしている。それに引き換え、大都会に住み、毎晩のように相手を変え、関係をもつ。そこで交わされる人生の駆け引きのための洒落た言葉。どう考えたってわからない言葉があっても仕方ないことなのか。

 松崎は、主人公杏二の料理の師匠。今は、レストランでの料理からは離れている。
その松崎から、彼のマンションでの昼食に招待される。松崎も多くの女性との浮名を流している。今はリコという女性と暮らしている。リコは松崎と結婚したいと思っている。お腹に松崎の子供がいるからだ。

 杏二が松崎の部屋を訪れる。初対面のリコを紹介される。
まだ午前11時前だったが、松崎がリコに昼ごはんを用意してくれと指示をする。リコがキッチンに消える。

 しばらくするとリコが「できたわよ」と声をあげる。そして運んできた料理。イッタラのボウルに入ったインスタントラーメン。刻み葱も入っていないまっさらのインスタントラーメン。少し松崎は驚いた表情をうかべる。

 杏二は、発する言葉がない。それにインスタントラーメンは熱いうちに食べねばならない。だから食べることに集中する。

 人を食事に招待するとき、どうもてなすかについては人それぞれの考え方がある。しかし、昼食に招待して、その料理がイッタラのボウルに盛り付けたインスタントラーメン。それを杏二は難じてるわけではない。

 ここで登場する「心得ている」、
ただ心得ている。この女はとにかく心得ている。
 ここがどういう意味なのか、さっぱりわからない。
誰かに聞きまくらねばならない。容易な表現なのにわからないというのは悲しい。

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畠中恵    「明治・妖モダン」(朝日文庫)

 物語は明治20年の銀座。江戸時代にはあちらこちらに、妖怪、お化け、河童などの怪異なものが闊歩していた。江戸と明治は地続き。明治はアーク灯などが灯りだし、明るくはなったが、江戸時代にいたものが、明治になったからと無くなることはありえない。

 明治になっても、間違いなく存在していた妖怪が登場する、ファンタジー作品集。

 どれも面白かったが、わかりやすく特に面白かったのは「赤手の拾い子」。

 赤手(名前)は、船着き場で捨てられていた赤子を拾う。それで派出所に連れていこうと後ろを振り返る。すると驚くことに赤子が3歳くらいの子供に変わっている。

 とにかく派出所へと。銀座の派出所へ連れてゆく。
 派出所で、子供が持っている袋からダイヤモンドなど宝石が5個でてくる。これは高価なものなので、派出所に預ける。

 そして、子供を預かってもらおうと行きつけの牛鍋屋百木屋に連れてゆく。そこで、主人の百賢と預かってもらう交渉中に、ダイヤモンドのことを話す。夢中になって話している。気が付くと、子供が瞬間に6歳くらいに成長してしまっている。そして、直後に更に成長して9歳に。

 ダイヤモンドの話、大声で話すので、お客に全部聞こえる。すると突然、私が母親だとか父親だと名乗る人物がたくさん表われる。しかし、全員子供が突然成長することがわからないので、現在の娘の年がわからず、みんな嘘ということで追い返す。

 娘に名前を聞くと苗字はわからないが「おきめ」と言う。

 そんなところに、丸加根と言うおきめの父親だという男が現れる。またダイヤモンド狙いと思ったのだが、丸加根は深川で高利貸をしていて大財産を築いているので、ダイヤモンドはいらないという。おきめは丸加根が父親というのなら、孤独な生活を逃れられるので、丸加根についていきたいと願っている。

 それをだめと引き離そうとする赤手の額が突然割れ、血がほとばしる。その時、最も赤手の近くにいたのがおきめ。
 百木屋に預けて一晩たつと、何とおきめは13歳と女性に成長している。

 その後、丸加根に美人の若い嫁がやってきたとのうわさがでる。何日かの後、ダイヤモンドを持って巡査と赤手が丸加根の家にゆく。

 そこで赤手がおきめにそっと言う。
「何があっても、頭を割ったり、首にかみついたりしてはいけないよ。おきめとは鬼女のことなんだから。」

 おきめの謎の真相を語る部分が、なかなかしゃれている。

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朝倉かすみ    「満潮」(光文社文庫)

 大学生の茶谷は、結婚式場でバイトをしていた時、そこで結婚式を挙げたカップルの新婦真壁眉子に恋心を抱く。そして、眉子に近付こうとして、夫の真壁直人が経営している健康サプリメントの会社のバイト募集に応募し、採用される。

 一方眉子はネットのブログが趣味。茶谷は、ネットで眉子のブログ「グリーンハウス」を探し出し、眉子の姿が白猫を連想するということで、白猫というハンドルネームで眉子のブログにアクセスし会話を始める。

 一方夫の真壁直人は、茶谷が早稲田の学生であることを知り、いつか自分の右腕にしようと。社長専用運転手にする。

 直人は自宅でのパーティが大好きで、金曜夜、土曜昼は毎週のようにパーティを開く。そして直人は茶谷をパーティに招待する。そこで、眉子と茶谷は結婚式以来の再会をする。しかし、白猫が茶谷であることを眉子は知らない。眉子は白猫である茶谷に段々ネット上で気を許し、新婚夫婦の状況や悩みを吐露するようになる。

 しかも、パーティの後、アパートに帰るのは大変だろうと直人がいい、茶谷が専用に泊まれる部屋を確保する。
 これはいかにもありそうだが、なかなか考え付かない設定。面白いと思い読み進む。

ところがここからが、どうして?わからない事態がさしはさまれる。

 まずは、あり得ること。直人がアルバイトの若い女性と浮気をしだす。泊りで家に帰ってこないこともしばしば。名古屋支店を立て直すということで、長期間直人が名古屋にゆき帰宅しない。しかし、しばしば東京にはやってきていて、アルバイト女性と関係を持続する。

 当然そのうち茶谷と眉子が関係を結ぶ。
しかし、眉子は直人の人生が幸になるように尽くすのが自分の人生と決意して、茶谷には心は開かない。

 そんな眉子が出会い系サイトで男性を物色し、無差別に関係を持つ。さらに若者が主催するパーティにも頻繁にでかけ、そこで酒に酔って、着ている服を脱ぎ棄て、3人に強姦される。しかも、それが撮影され、DVDとなり市販される。

 こんな修羅場を経験し、とてもまともな夫婦関係は続けられないだろうと思うが、直人、眉子は、互いの不義を告白し、あっさりと許しあい元のさやにもどる。

 絶望を感じた茶谷が最後にとんでもない行動をおこすが、それにしても、とんでもない落差のある行動が、何の背景もなく、突然結果として描かれ、さらにあっさりの修復。

 眉子の性風俗に溺れる姿が、唐突すぎて、ついていけなくなる。普通に、眉子、直人、茶谷の関係を追及すべきだったように思う。
 朝倉さんのどこかに、性風俗を書いてみたいという思いが強くあり、そのことが物語の自然さを失わせてしまった。

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貫井徳郎   「私に似た人」(朝日文庫)

 現在の日本の国の構造、富裕層と貧困層の2極化。あるいは、助け合ったり、支えあったりする共助の慣習の希薄化など、日本の抱えている重い課題と実態を10人の人間を登場させ、その行動を描写して問題を提示している。

 但し、それぞれが独立した物語にはなっていなくて、10人の話の関連が提示され最後には一つの結末に収斂されてゆく。

 物語には2つの流れがある。

一つは、ワーキングプアという社会から見放された層の人たちが、ネットでトベというハンドルネームの人に、彼らが貧困状態になっている原因は社会に責任がある。その社会に対しレジスタントとなり無差別に自爆テロを起こせとそそのかされ、その結果、各所で小口テロという自爆テロが頻発する。このトベなる人間、公安の捜査で明らかにされ逮捕されるが、その後第2、第3のトベが登場する。

 もう一つ。いくらテロを起こしても、社会は無関心で、社会変革のうねりとならないこと。

二宮麻衣子は、通勤途上でコンビニに車で突っ込む自爆、小口テロに遭遇する。この時、殆どの人が、多数のケガ人を助けるのでなく傍観する。中には現場をスマホで撮影する人も多くいる。

 そんな中、一人の男性が現場に飛び込み懸命に救助、手当をする。麻衣子はこの男に引っ張られ救助の手伝いや、近くの病院に医師を呼びに行く。何とか救急車を呼び、ケガ人全員病院に搬送される。

 麻衣子は救助に尽くした男性が、驚くことに自分の会社に勤めていることを知る。この男性、口汚く、傲慢なため、会社ではみんなの嫌われものであだ名がヘイトと呼ばれている。

 麻衣子は彼の体を張っての行動に感動して、この嫌われ者を飲みに誘う。恋愛とは言えないが、信頼できる人としてヘイトとお付き合いをしだす。そして、麻衣子も変わり者と言われるようになってゆく。

 そのヘイトは喘息もち。ある日漫画喫茶で発作がおこり、倒れるのだが、店員も客も彼を無視し、助けようとしない。そして、ヘイトは死んでしまう。
 これで、麻衣子は生き方を180度変える。このことが、物語の最後で一つにまとまってゆく。

 それにしても、貫井の物語通りなら、日本は小口テロが頻発せねばならない状況だが、テロは生じていない。プアとされていても、暮らすという行為は、破壊されていないからだろう。夢や希望は持てる状態では無いが、最低限暮らしてゆければ、テロには行動は向かわない。

 面白いと思ったのは、ネットによって生じる破壊は、組織化集団化されない。それと、小口テロは発生しても、直後は大騒ぎになるが、それが過ぎると誰もが関心が無くなるところ。

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| 古本読書日記 | 06:08 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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アンソロジー   「あなたに謎と幸福を」(PHP文芸文庫)

 ミステリーで謎解きが終わると、気持ちが暖かく、幸福が広がるハートフルな短編集。
殆どの作品が、すでに文庫化され出版されているので、既読作品が多くあった。

 近藤史恵と言えばロードレーサーを主人公にしている「サクリファイス」シリーズと下町の小さなフレンチ・レストランを舞台にした「ビストロ・パ・マル」シリーズが有名である。

 この短編集に収録されている「割り切れないチョコレート」は「ビストロ・パ・マル」シリーズの短編である。

 ある日の「ビストロ・パ・マル」。店はほぼ満員。その中で、男女ペアの客が不穏な雰囲気になっている。男性の態度が傲岸不遜で、相手の女性は泣いている。食事が終わって帰る際、その傲慢な男が「料理の味は素晴らしいが、最後のデザート、ボンボン・オ・ショコラの味は最悪。それまでの料理がすべて台無しになる。」とクレームをつける。シェフの三舟が食べてみると、確かに味はひどくなっていた。

 デザートのチョコレート菓子は、有名店から仕入れていた。調べると、この店都心のファッションビルに出店をした。そこでの家賃が高いので、原料のチョコレートの質を落としていたことがわかる。

 ある日、「ビストロ・パ・マル」の店員が雑誌をみていると、この前の傲慢な男性の写真が掲載されている。レストランの近くに「ノンブル・プルミエ」というチョコレート専門店がオープン。そのシェフオーナーでショコラティエが傲慢な男性鶴岡正だった。

 早速三舟は店の者にプルミエからショコラを購入してくるよう指示する。そのショコラは本当においしい。

 しかし変わっていて、店員は23個いりのチョコレート・マカロンを購入するが、一つ包みの数がすべて素数になっている。包みのデザインである数字もすべて素数。

 何日か後に、鶴岡に泣かされていた女性がレストランにやってくる。鶴岡もやってくることになっていたが、彼は現れない。

 事情を女性に尋ねると、鶴岡は女性の兄。ベルギーに菓子つくりの修行にゆき、帰ってきて店をだしたばかり。今、母親が危篤状態にある。しかし、鶴岡は店のオープンで忙しく全く母親の見舞いにやってこない。以前は、母親には一番優しく、気使いをしていたのに、人が変わってしまい冷たくなったと言う。

 三舟が推理する。そして、鶴岡はお母さんのことをちゃんと大切に思っているよ。素数は他の数字では割ることができない。必ず最後に余る。お母さんはいつもだされたお菓子を食べず、みんなが食べ終わって最後に余ったお菓子を頬張る。

 素数にしているのは、お母さんを懸命に思ってお菓子を作っているよという優しい思いが表われているのだと。

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| 古本読書日記 | 05:49 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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中村紘子   「ピアニストだって冒険する」(新潮文庫)

 ピアノ ソリストとして世界で活躍した中村紘子の死の一か月前まで書き継がれたエッセイ集。

 今は、どの県に行っても、りっぱなコンサート会場があるが、中村が演奏家として全国をまわりだした50年前には、地方には殆どまともなコンサート会場は無かった。

 会場は体育館や講堂ばかり。畳が敷かれた宴会場も多かった。百畳敷きの大宴会場の奥の舞台に、足とペダルの取り去ったピアノがお琴のように置かれている。

 茫然とする中村さんに声がかかる。
「やっぱし、足は取り付けるんですか?」と。
大変な時代だった。

 世界の2大ピアノコンクールと言えば、モスクワのチャイコフスキー・コンクールとポーランドのショパン・コンクールである。

 チャイコフスキー・コンクールは、1958年、フルシチョフが「ソ連は科学のみならず、芸術分野でも資本主義より優れている」ことを誇示するために始まったコンクールである。

 しかし、ソ連は崩壊。全くお金が無くなったため、中国や日本からのお金を手に入れ、コンクールを存続。今やお金まみれのコンクールになっている。

 そして、ロシアはプーチンの独裁政権。プーチンの腹心であるマエストロ・ゲルギエフがピアノ、バイオリン、チェロ、声楽などの統括審査委員長。1998年のピアノ部門第一位のデニス・マツーエフは、プーチンの携帯電話番号を持っている、プーチンとの関係は強い。

 プーチンが公式外国訪問をするときは必ず同行して演奏をする。

 コンクールでのメダル獲得者選出にはロシア政府の意向が反映。利権の絡む、あまりきれいじゃないコンクールとなっている。

 一方のショパンコンクール。ポーランドは1000年にわたり、他国に占領され苦しい暗黒の時代をすごしてきた。1918年念願の独立を果たし、初代大統領には、当時アメリカでピアニストとしてスーパースターだったパデレフスキがなった。

 そして偉大な国の象徴としてショパンをかかげ、誇りと希望を取り戻そうとした。そんななか1928年に初めてショパンコンクールが開催された。

 情熱と希望を集めて始まったショパンコンクール。しかしソ連崩壊後、雰囲気が大きく変わる。
 国のインフラは整備され、所得もあがり、暮らし向きが改善された。それに伴い、希望の象徴だったショパン信仰も薄れ、殆どの国民がコンクールに関心をよせなくなった。

 それに連れ、コンクールの入賞者の多くが、中国、韓国をはじめアジア系の演奏家によって占められるようになった。
 このことも、関心が薄くなってきた原因である。

チャイコフスキー・コンクールもショパン・コンクールも日本にいて憧れるほど、現地では関心が高いコンクールでは無いようだ。

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宮木あや子    「ガラシャ」(新潮文庫)

 ガラシャは明智光秀の3女。信長の家臣で宮津、丹後11万石領主細川忠興の正室である。

細川は光秀の直接の臣下だったが、信長が光秀に暗殺されて、光秀は天下統一のため細川に支援を求めたが、細川は密かに秀吉につき、光秀殺害に加担する。

 しかし忠興の正室のガラシャが光秀の3女のため、ガラシャは宮津の味土野に幽閉させられる。

 物語は、味土野幽閉、その時にガラシャが恋心を抱く身分も低い一般人秀治と交流、キリスト教の洗礼を受けて玉子からガラシャへの改名、そして最後、忠興の家臣小笠原少斎による殺害(通説では自害となっているが、キリシタンの自害は禁止されているので、この物語では殺害となっている。)を描く。

 それぞれが情熱をこめられ描かれているが、箇条書きのように独立していて、全体が上手く流れていない。

 キリシタン洗礼には侍女糸の影響が強い。侍女糸は両親もキリシタンであり、幼い時洗礼を受けキリシタンになっている。

 この糸が物語を引っ張っているのだが、そこもしっくりこない。更に幽閉されていたときの秀治との関わりが、幽閉後のガラシャの生き方への影響も、感情的な言葉が躍るだけで、納得感が少ない。

 時代の大きな変化をしっかりとらえ、それを土台として、ガラシャの生き方を描くべきだった。

 宮木さん、熱き情熱をもってガラシャの生きざまに取り組んだことは伺えるが、成功した作品にならなかった。

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| 古本読書日記 | 06:11 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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宮木あや子     「官能と少女」(ハヤカワ文庫)

 6編の短編集。

 1990年とかなり昔になるが、新潟三条市で9歳の女の子が拉致される。少女はそれから9年を経て、監禁されていた部屋から救出される。この事件は、最高裁まで争われ14年の刑が確定した。

 9年間も監禁されていることが、全く発見されなかったことと、少女に可哀想すぎるとの同情があつまり、監禁者に対し怒りが盛り上がったことが記憶されている。また犯人がひきこもりだったことがわかり。ここからひきこもりという言葉が定着して、問題化されることとなった。

 この本に収められている「雪の水面」は、新潟少女監禁事件を意識して書かれている。

 監禁事件の少女となったあやは、殆ど家をかえりみない父親を、母親と同じように、嫌悪していた。父親が全く家に帰らなくなったある雪降る日、母に連れられあやは浜辺に行く。そこで驚いたことに母親が突然空気に吸い込まれるようにして消えてしまう。

 あやは叔父さんという人に引き取られる。そのときあやから靖恵という名前に変えさせられる。

 部屋からは一歩もでることは許されない。だから、学校にも行かなくなる。勉強はおじさんが教えてくれる。

 それと同時に、夜になると、おじさんの指示により裸にされ、体を触りまくられる。これがどういうことかわからず、気持ちがいいから、あやはおじさんと一緒にいることがうれしくなる。宮木さんの小説だから、このあたりのあやとおじさんの体のやりとりはねっとりと描かれるが、ここでは省く。

 おじさんは不思議なことに5月になると1週間から10日ほど家を留守にする。この留守の間家は鍵がかかれ、絶対外出は禁止。呼び鈴が押されても、扉はあけてはいけないと厳命される。

 ある日玄関のドアが激しくたたかれ、身を屈めていると、不思議なことだが鍵によってドアが開けられる。青年がはいってくる。あわてて逃げると青年に追いかけられ、部屋に連れ込まれる。叔父さんとおなじことをされる。

 それは楽しいことだから、青年に悪意はおこらず、むしろもっと激しくと青年にねだる。

 このことで、監禁が発覚。あやも保護される。

 失踪していた父親があらわれ、あやを引き取ろうとするが、父親がしらないおじさんのところに返してとあやは叫ぶ。
 しかし、あやにはおじさんになる人はいない。

 新潟少女監禁事件と異なり、あやは完全に監禁者を信頼している。

 監禁者はもちろん大悪人なのだが、監禁者と監禁被害者の関係は一様ではないことを宮木は表現しているが、読後感はよくない。

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| 古本読書日記 | 06:25 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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村松友視    「北の富士流」(文春文庫)

 第52代横綱で、現在NHKの相撲中継解説者の北の富士の魅力を描いた作品。
直木賞作家の村松。力量十分の作家の北の富士伝。さぞ北の富士の魅力満載だろうと思って手に取ったが、まったく肩透かしだった。

 村松は北の富士のどんな魅力を伝えたかったのか全くわからない。北海道の友人や、妹さん、部屋の力士などいろんな人にインタビューを試みているが、なるほどとうならせるエピソードは全く無く、通り一遍の対談になっている。

 盛んに村松は、北の富士が、千代の富士、北勝海を横綱に育てあげた名伯楽と持ち上げるが、肝心のどのようにして育て上げたのか全く語られない。「遊んでもいいけど、稽古だけは怠るな」と言ったくらい。

 北の富士。その登場は私には強烈だった。十両で史上3人目の全勝優勝をかざり幕内にあがる。そして新入幕で13勝2敗。たった2場所で三役小結を射止め、史上最速で入幕から3役までかけあがる。

 しかし、そこからがいけない。小結になった北の富士初日から4連勝するが、5日目から全く勝てず、何と11連敗。小結を陥落。しかし翌場所頑張り敢闘賞を獲得。関脇になったが、2場所で平幕に落ち、それから3役に返り咲くまで2年を要している。

 大関まで時間がかかる。その間に北の富士は「ネオン無情」という演歌のレコードをだし、夜のヒットスタジオにも出演している。この後増位山や竜虎がレコードを吹き込むが、歌手デビューは相撲界では北の富士が初めてである。

 本当にこいつは何をやっているのだろう。こんなことをする暇があったら稽古に励めとあきれ返った。

 とにかく自分の取り組みが終わると、髷も落とさずそのままそそくさと銀座のクラブへ直行。夜の帝王。プレイボーイ横綱。本場所休場してハワイでサーフィンを楽しむ、反社会的団体との交流など、相撲とは関係ないことで世間を賑わす。

 北の富士といえば、玉乃島を思い出す。玉乃島の十両昇進は北の富士に3場所、幕内は1場所遅れ昇進。小兵ながら鍛えた足腰が強く、反身で堪え、釣ったり投げ出したり切れ味の鋭い右よつの力士だった。北の富士が三役と平幕の間でもたもたしていたころ、関脇で追いつき、両力士は大関を目指すライバルとなった。

 北の富士は10勝、8勝、10勝、10勝と大関昇進の基準はかろうじてクリアしていて、大関に引退がでて、お情けで大関昇進を得た。玉乃島も1場所遅れで大関昇進。

 まさに「北玉時代」が到来した。
その後、玉乃島が13勝2敗で優勝。北の富士は12勝3敗で準優勝。

 玉乃島の横綱昇進は無条件に承認されたが、北の富士ももめたが同時昇進。
 玉乃島は名跡「玉の海」を継ぎ、大相撲は新時代をむかえた。
ところが玉の海が病に倒れ27歳の若さで急逝。

 これに当時私は衝撃を受けた。遊び惚けている北の富士一人横綱である。この時私は相撲から完全に興味を失った。

 それにしても、北の富士は現役時代10回の優勝を飾っている。その強さの秘訣を村松が解き明かしてくれ、私をもう一度相撲へ引っ張ってほしかった。残念である。

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中村文則    「私の消滅」(文春文庫)

 人間の存在とは何だろう。アリストテレスは神に変えられないのは過去だけだと言ったそうだ。今の自分は過去の記憶の蓄積により成り立っている。過去に辛く悲しい経験をすると、それがこれからのその人を損なうことになる。何と人間とは理不尽なものなのか。

 ところがハンガリーでこんな事例がある。囚人に5時間ずっと腕を上げ続けろと命令する。途中で腕を下ろすと、罵倒され、暴力を受ける。

 それはいやだからと、頑張って腕を5時間上げ続ける。それでも、同じように罵倒されきつい暴力を受ける。その暴力を受けながら、お前は何で人を殺したのかと看守に言われる。
わからないと言うと、ずっと暴力を受ける。

 すると、囚人は、知らないうちに自分が人殺しをしたと提案するようになる。
そこで、看守はおいしいチョコレートを与える。すると囚人は自分が認められ優しくしてもらったとうれしくなり、詳細に事件のことを語りだす。その詳細は、確実に彼の記憶となって脳に刷り込まれる。

 ゆかりは、幼いころ、養父に暴力をふるわれ、犯される。母親も同じように暴力を振るわれ人生に絶望して、自殺する。

 ゆかりは家をでて、街を彷徨い、男相手に売春をする。その売春の過程でも、男に暴力を振るわれる。絶望に陥ったゆかりは、精神異常をきたし、精神病院に行く。その精神病院で2人目の医師である主人公の小塚に出会う。

 小塚は、催眠療法とECT電気ショック療法を施し、彼女の過去の記憶をすべて違う内容に変えようとする。しかも、彼女が美しく、恋心を抱いた小塚は、自分が彼女を救ってあげると刷り込む。

 そして、それは成功したかに思えたが、過去に暴力を振るい強姦した間宮と木田が現れ、その時のDVDをゆかりに見せる。すると、切り替わったはずの記憶が、また元の記憶に戻り、ショックを受けたゆかりは首をつって自殺する。

 怒り狂った小塚は、間宮と木田を合法的に殺害しようとする。

強い薬と電気ショックを施し、お前は木田や間宮ではなく小塚だと刷り込み、小塚は間宮、木田を殺害すると刷り込む。つまり、間宮や木田は小塚になり、自分の命を自分で断ち切ることをさせるため。

 しかし、なかなかうまくいかない。何とか木田は自害した。しかし間宮は小塚にならない。それで小塚にさせることは諦めたのだが、同じように、間宮、木田に憎しみを持つ、喫茶店店主の和久井が諦めず、おまえは小塚だと吹き込む。しかし、うまくいかず諦める。その4日後に間宮は自害する。

 これが記憶のすり替えに成功して実現したことなのかは物語では語られていない。

 物語は心理学の本を読んでいるような印象があり、難しい。しかし、最後にミステリーにもなり、とんでもない黒幕が明かされる。でも、やっぱりとっつきにくく難解な物語である。

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| 古本読書日記 | 06:02 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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アンソロジー   「オトナの片思い」(ハルキ文庫)

 片思いの様々な風景を集めた短編集。

印象に残ったのは角田光代の「わか葉の恋」。

女性は特に若いころは、一人で食堂や、飲み屋に入り、酒や食事をとることはしない。会社での昼食でもそうだ。いつも、友人や仲間、恋人と食事やお酒は楽しむ。たまに、一人で飲食をせねばならない時には、自分の部屋に帰り、自炊か、インスタント食品ですます。

 主人公の友佳、文房具会社に勤めている。17歳の時から、付き合っていた恋人と結婚するだろうと信じていたが、27歳の時、恋人から新しい恋人ができたと告げられ、別れる。ショックでストーカーまがいの行動までした。

 33歳の時に、友達の紹介で田村芳明と会う。それほど好きということでは無かったが、結婚をする。しかし、家庭生活で些末なことでしょっちゅう言い合いとなり、芳明から「君とは生活できない」と離婚を求められ承諾する。

 ある晩、一人でアパートに帰る途中の食堂「わか葉」から流れて出るいい香りに誘われ、思い切って扉をあける。カウンターに座り、ビールとかつ丼を注文。一人食事が気にならなくなり、そこからちょくちょく夕食に立ち寄るようになる。今では、黙って座ればビールがだされかつ丼が作られる。

 そんな状態が続き。今や友佳も41歳になる。

そしてある日、時々店で会う、いつも一つ席を空けて座る青年の注文と友佳の注文の品を間違えて店でだしてから、互いの顔をみつめあい、友佳は青年に一目ぼれをする。そして、駅で偶然に会うと互いに挨拶をする。その挨拶が、友佳にはうれしくてたまらない。

 友佳が友人に言う。
「だれか好きになったらその人とつきあうことを考える。付き合い始めたら、いい関係でいられることを望む。つきあいが長くなったらマンネリ対策を考える。結婚したら生活がはじまる。恋愛ってさあ、前に前に進んでいかないといけないような気になるんじゃないの。そういうの、とりあえず今はいいやっていうか、前にも上にもいかないでここにいればいいや。」

 友佳は友人とデパートに服を買いにゆく。若い時は素敵な服があっても、先立つものが無く買えない。今は、まとめ買いもできるくらいのお金の余裕がある。

 あいさつをするだけの青年のために、一生懸命服を選ぶ。それだけでいい。でもそれが楽しい。確かに友佳は今恋をしている。

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| 古本読書日記 | 05:56 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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井上ユリ選 井上ひさし  「井上ひさし ベスト・エッセイ」(ちくま文庫)

 中学生になって石原慎太郎の芥川賞受賞作「太陽の季節」を読んだ。度肝を抜かれた。

「『英子さん』
 部屋の英子がこちらをむいた気配に、彼は勃起した陰茎を外から障子に突き立てた。障子は乾いた音をたてて破れ、それを見た英子は読んでいた本を力一杯障子にぶつけたのだ。本は見事、的に当たって畳に落ちた。」

 いったいこれは何を言っているんだ。この部分が物議を呼び、PTAや婦人団体が不良図書として不買運動をしたり、映画化されたのだが、集団が映画館の入り口に陣取り、映画館に入らないようピケを張った。

 昼はヨットで遊び、夜は自家用車を乗り回して令嬢を助手席にのせクラブをまわり遊びまくる。

 5人で集まるが、今日は8000円しかない。女給さん相手では足りないので、素人女性と遊ぼう。

 一人1600円。井上ひさし、この時代、週2回の家庭教師をして一か月で稼ぐお金が1600円。8000円しか無いとは。
 「まず顔をよくみて、面がハクけりゃつきあうことにしよう。」

井上ひさしはため息をつく。
 顔などありさえすればいい。とにかく女友達が欲しいと。

 世の中ではこの小説の反倫理性が問題、議論となったが、私は全く井上ひさしと同じ状態。

まわりをみれば貧乏人ばかりだった戦争の爪痕が残っている時代に、こんな人間が存在しているのか。そんなことはあるはずがない。

 最大のSF作品だと、当時心底思った。

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| 古本読書日記 | 05:55 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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井上荒野    「さようなら、猫」(光文社文庫)

 井上さんは大変な愛猫家とどこかで読んだことがある。そんな猫にたいする溺愛があふれ出している作品集かと思ったら、全然印象が違った。
 どちらかというと猫は脇役で、猫にまつわる人間の物語だった。

井上さんらしく、さらさらと物語は流れ、何もわからないまますっと消えるように物語は終わる。
 どの物語も、小説の常道である起承転結が無い。人生に起承転結は無い。昨日があり、今日があり、明日がある。それが淡々と流れていくだけ。井上さんの小説はそんなことを主張している。

 例えば、この短編集に収録されている「名前のない猫」。

主人公の亜生は高校生だが、登校拒否でひきこもり。母親は学校でのいじめがあり、それが原因ではないかと思い心配しているが、いじめなどない。ある朝起きたら柱時計の時間を告げる音がして、寝坊したことを知り、そこから学校へゆくのが面倒くさくなり、登校拒否になってしまった。

 亜生には、その場をとりつくろうために、嘘を言う癖がある。

母が友達のウルスラさんがキャットシッターをしていると亜生に話し、亜生もやってみることになった。キャットシッターというのは、猫の飼主が家を何日か留守をしている間、代わった猫の世話を請け負う仕事だ。

 依頼主の吉田さん。静岡にいる娘が子供を産みその世話で1週間家を空ける。その間飼い猫の世話を亜生にお願いする。

 借りていた鍵でドアを開けるが猫は出てこない。「たま~」「ねこ~」と呼ぶがでてくる気配はない。殆ど汚れていない猫トイレを掃除。そして猫をあちこち探すが猫は見つからない。

 電話が突然鳴る。15回呼び出し音が鳴るがそこで切れる。そして、また電話が鳴りおなじことをくりかえす。3度目の電話に受話器をとる。
 「あんただれ?お母さんはどうしたの?」
 「今、外出しています。」
 「どこへ行ったの。」
 「どこへ行ったかわかりませんが、夕方には戻られます。」
と言って電話を切る。

 猫もいないし、やることもないから亜生は帰ることにする。その際「キャットレポート」を書かねばならない。このレポートにより、世話代が支払われる。

 亜生の書いたレポート。
「4月28日晴れ訪問時間16:00-17:00
 ドアを開けると。タマちゃんは2階から元気に飛び降りてきました。」それから、猫が食事をする様子。ネズミのおもちゃで遊んだこと。ブラシをかけたら喉をゴロゴロならして喜んだ様子を書いた。そして
「人見知りをするというお話でしたが、実はとっても社交的です。」
亜生は思う。どうしてこんなにスラスラ嘘をつけるのだろうと。

 ここで物語は終わる。
 本当の物語はここから始まるのかもしれないのに、突然終わる。

 日常には、物語なんて無い。さらさらと、時だけが流れてゆくだけ。

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長嶋有 「ジャージの二人」

あとがきの柴崎友香さんが、上手く説明してくれています。
「魚肉ソーセージやジャージや漫画……
それらは決して語り手の持っているノスタルジーや感傷を表す
『小道具』として配置されたりはしない。
小説では油断すると、自分の感情や言いたいことのほうに、
あらゆるものを引き込んで意味づけをしてしまう危険がある。
「意味」や「いいたいこと」を探すことを目的に読むなんて、
すごくもったいない読み方だと思う」

IMG_0084.jpg

固有名詞がこれでもかというほど出てきます。
これは小道具なのか? 
この映画を知っている人なら、深読みできるのか?
思わせぶりに書いておいて、あの人や場所は再登場しないの?
あれは、特に意味は無かったの? 
みたいな。

IMG_0085.jpg

その一方で、主人公の名前は出てこない。
もう一人のメインである父親は、主人公に対して「君は~」と語りかける。
表紙の二人も、ぱっと見親子ほど離れていない気が。
(実際は、俳優の年齢差が25歳くらいで自然なんですがね)
「父親には新しい妻子がいるし、ぎこちない親子なんだろう」
という前提でいないと、なんだか会話が浮いているような。

IMG_9180.jpg

全体としては面白いです。ちなみに、和(かのう)は東御市の地名だとグーグル先生が言う。

| 日記 | 21:54 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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真保裕一    「ブルー・ゴールド」(朝日文庫)

 地球は水でできている惑星をいわれているが、殆どが海水。淡水は全体の2.5%。その多くは南極、北極の氷によって占められ、全世界の水に対しての淡水の占める割合は1%とわずか。その多くが日本に集中している。

 淡水は飲み水としても重要だが、半導体製造などの洗浄に用いられる工業用水としても重要である。たった1%だから、その確保や供給をめぐって大きな利権が生まれる。

 利権というのは、ミネラルウォーターとして採集できる権利の獲得、工場誘致をして工場用水を確保することで発生する利権。構造は、商社があり、それに水を有する市町村役場、県、それに国の認可役人役所、その裏に政治家がつるむ。

 特に商社は、利権獲得に複数の商社が争う。相手の商社を蹴落とすための策謀が、自治体、政治家も共謀して実行される。

 この物語では、信州の南駒野町の水をめぐって、二大商社、五国商事と葵物産の子会社ゴールド・コンサルタントが激しく争う。
 その過程は、すさまじく、興奮がとまることは無い。

以前O157がかいわれに含まれているという誤報によりカイワレ業者が窮地にたたされたことがある。

 この作品でも極秘の水質データがテレビにより発表される。これが、単にテレビ局だけの関心で行われて問題が大きくなるようなことは殆どなく、ライバル商社が相手を叩き潰すために、テレビ局や大手広告代理店とくみ実行されるのが一般的。物語では、とんでもない大被害が関係ないと思われる業種に飛び火し、業者の倒産が相次ぎ、その恨みが物語のキーとなる。

 更に商社では、業務の秘密を別の派閥に流したり、相手商社に流すスパイもいる。
商社で、最も許されないことは、裏切りだとこの作品では断言される。

 この3つの要素が重層的にかかわりあい、面白く、熱い作品となっている。

最近問題となっている、自治体の水道事業を民営化するという話。

水道の民営化はフランスが進んでいて19世紀にほぼ100%が民営化されたそうだ。しかし最近は問題があり、自治体運営に戻っている自治体もある。

 日本の自治体への民営化の売り込みは殆どこのフランスの民間会社。しかし、民間会社と自治体との契約では、民間会社に損はさせず、損があれば自治体が負担するという契約になる。結局すべてのツケは住民にまわされるということだ。

 こんなことも、物語では説明されている。

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| 古本読書日記 | 06:10 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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井上荒野    「ヌルイコイ」(光文社文庫)

 井上さんの小説は、この作品もそうなのだが、普通ではこんなことが起こったり、こんなひどい状況においつめられたら、驚愕し、恐れ、大騒ぎするようなことを、気だるい薄い膜で全体を覆い、抵抗したり、感情的にもならず、その流れにそのまま身をまかし茫漠とした雰囲気で物語が進行する。

 主人公のなつ恵は、芸能人マネージャーをしている夫と2人暮らし。童話作家を志し、童話作家の大御所と不倫をしている。大御所にも妻と子供もいる。大御所の呼び出しに応じてなつ恵は抱かれにでかける。

 隣町の銭湯に行ったとき、なつ恵が「鳩」とあだなをつけた青年に会う。その直後なつ恵は体の調子が悪くなり、医者に行きレントゲンを撮ると体は真っ白。医師はもはや手遅れ状態と言う。肉体関係は持たないが、「鳩」と競輪場に遊びにいったり、「鳩」の部屋にもいりびたる。

 「鳩」は大地主の息子で、家族はハワイ旅行からの帰り飛行機が墜落し、全員死亡。大きな遺産を引き継ぎ、何棟のアパートを持ち、働く必要のない人生を送っている。

 銭湯であうおばあさんたちは、あんなすけこましに付き合っていると最後に地獄に捨てられるよと忠告するのだが、なつ恵は一切耳を貸さない。

 「鳩」がつきあっているのは、なつ恵だけが若く、他は年老いたおばあさんばかり。しかたない、この町には年寄りしかいないのだからと「鳩」は言う。

 ふみ江さんというばあさんが自殺をする。それを聞いて「鳩」が言う。
「ふみ江が死んだのは自分に責任がある。抱いてやらなかったからだ。無理をすれば、セックスはできたのに。」ととんでもないことを言う。

 童話作家は不倫がみつかり家族のもとに帰る。夫は家をでる。「鳩」との関係も明日が見えない。そして自分は末期ガン。もう人生などいらないと思っても不思議が無いのだが、なつ恵は淡々と日々を送る。

 しかし、最後に物語はどんでんがえしを用意している。この部分だけ、著者井上さんには珍しく、感動に揺さぶられる表現になっている。

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| 古本読書日記 | 05:57 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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伏見憲明 田口弘樹   「ゲイ・スタイル」(河出文庫)

 最近はLGBTという言葉が、雑誌や新聞に当たり前のように多く登場している。レスビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダーの差別になるかもしれないが性的マイノリティの人たちを指す言葉である。

 以前はとても、自分がLGBTであることを公表することはできず、ひっそりと片隅で生活するような状態だったが、最近は差別はいけないという世界的風潮のたかまりで、LGBTであることをカミングアウトする人たちが増加している。

 芸能人、有名人ではロバート キャンベル、壇蜜、マツコ デラックス、カズ レーサーなどがカミングアウトしている。
 2015年の電通調査によると、LGBTの人は日本では全人口の7.6%存在するそうだ。

 この作品の著者伏見憲明は、1991年にゲイであることをカミングアウトして、作家、評論、講演を行い、ゲイ ムーブメントの先駆者として活躍している。

 それにしても、普通の肉体関係より、ゲイの関係は濃密だ。彼らの関係のほうが、繊細で芸術性が高いようにこの本を読むと思えてくる。

  オーラル・コミュニケーション
 君はおもむろに僕を口に含んだ
 とたんに僕は粘膜の境界を失った
 うごめく体温に呑まれて、立ち上がる快楽が脳の中枢を麻痺させる
 君が僕を弄んでいるのか、僕が君を侵犯しているのか。

 僕は硬度をたしかめるように君自身を頬にあてる
 不器用に力を持て余すそれは、空に首をもたげる
 鼻でくせのある匂いを確かめると、喉の奥でしぼるように味わう
 弱弱しく喘ぐ君が本物なのか、ふてぶてしく膨張する君が本物なのか。
 
 先走る君の素直がいとおしい
 僕の表情を無視するように、僕を試しからかう君。
 分散した僕らの感覚が、快楽の血流に巻き込まれ、押し流される
 時があきれて、二人を放置してゆく。
 空白。
 昇り詰める熱に、我に返る。
 僕の濡れた欲求に漂う君が、子供のように力尽きると、
 君の獰猛な渇きが、僕の緊張を吸い取った。

驚愕のリアイティが追及された詩だ。怒られるとは思うが、果てしなく深い欲望にどうしても顔をそむけてしまう。

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| 古本読書日記 | 05:55 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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アンソロジー   「あの街で二人は」(新潮文庫)

 七人の女性作家が、全国の恋人の聖地という場所を舞台にして、恋愛を描くアンソロジー。

私が働いていた会社がある浜松の温泉地舘山寺温泉を舞台にした山本文緒さんの「バヨリン心中」が印象に残った。

 物語の舞台は2065年。主人公の祖母遠子は、認知症にかかり、床に臥せっている生活をしている。その祖母が、主人公にポツポツと青春時代の話を始める。

 遠子は短大をでて、会社勤めをしていたが、そこを辞めて、静岡県で最も高いビルに入っている日本の老舗として有名なホテルに派遣社員で働いていた。そこに6,7人の宿泊客の西洋人が朝食にやってくる。

 その中の一人が、翌日遠子が展望回廊の受付をしているとやってくる。昨日の朝食時に少し心をときめいた男性だ。

 つたない英語でどこから来たのか聞く。ワルシャワからだと答える。浜松とワルシャワが姉妹都市で、楽器のワークショップを開催しているのでやってきているのだそうだ。名前はアダム。お互い名前を名乗りあい、遠子が浜松の案内をしてあげると誘う。

  そして休日を利用して、遠子はアダムを舘山寺温泉に案内をする。美しい浜名湖の風景にアダムは感激して声をあげる。そしてロープウェイに乗り、展望台に行く。そこにはオルゴールミュージアムがあり、恋人を幸にさせるというカリヨンがあり、自動演奏がなされる。

 感動したアダムは遠子にバイオリンを演奏してあげる。遠子は幸一杯になる。

 その夜、アダムを家に連れてゆく。両親はあまりいい顔をしない。しかし2人は肉体関係を頻繁に持つのは普通のことだ。そして遠子は妊娠してしまう。

 アダムは結婚しようと言う。しかし両親は許さない。アダムは土下座をしてひたすら両親に結婚を認めてくれるようお願いする。最後に父親が折れて「幸にしてやってくれ」と言う。

 2人は結婚して遠子の実家で楽しい生活をする。可愛い男の子にも恵まれた。

そして運命の日が訪れる。東日本大震災が起きる。大津波に飲まれる被災地域や、原発事故を放送するテレビをアダムは見つめる。

 そして、家を飛び出し、息子を連れてポーランドへ帰ろうとする。浜松駅でリムジンバスにアダムが乗る直前、軽トラで追いかけた遠子がバスに突っ込む。そしてアダムに頭突きをして血だらけになり息子を取り戻す。アダムはそのままポーランドに行ってしまい、それ以降会うことは無かった。

 遠子はその後、ワルシャワは原子力発電が大事故を起こしたチェルノブイリと近く、アダムがその時大きな恐怖を味わっただろうことを知った。

 主人公は、アダムと祖母から生まれた父親を見つめ、遠い異国にいる見たことのない祖父に静かに、強く思いを馳せる。

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| 古本読書日記 | 06:36 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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井上荒野     「だりや荘」(文春文庫)

 舞台はダリヤ荘という信州にあるペンション。そこは、椿、杏姉妹の両親が9年前から経営していた。両親は交通事故で亡くなってしまう。

 そして妹杏と夫となっている指圧師の迅人が都会暮らしをやめて、ダリヤ荘を引き継ぐために信州にやってきて、彼らを姉椿が迎えるところから物語は始まる。

 実は、椿は妹杏の夫迅人と関係を持っている。この物語は信州の高原が舞台となっていることにもあるのだが、静かな雰囲気で進む。しかし、静謐さに少し不気味さが漂う。それは、杏が、2人の関係を知っているのだが、そのことを内に抑えて振る舞うからだ。

 どきっとするのは、杏の何気ない言葉や仕草に、椿が杏が2人の関係を知っているのではと思うときだ。

 ダリヤ荘に一人旅をしている翼という若い男が泊りにきて、そのままバイトで働くことになり居つく。
 杏も翼も、迅人が椿と関係をしていることを知っていて、それが呼び水となって、2人は関係を持つ。

 そして、杏が翼と関係していることを姉の椿に言う。これで椿は妹杏の夫迅人との関係を杏が知っているのだと確信する。しかも、杏は8年前見合いで知り合った新渡戸とも付き合っていたのだが、その新渡戸が彼の義母と心中して死ぬ。

 杏は衝撃を受け、行きずりの男たちに体を与え、両親の亡くなった場所に行き死のうとする。

 一方翼は突然ダリヤ荘を辞め沖縄に行くと杏と迅人に申し出る。沖縄は口実で、椿と迅人が関係していること、それを杏が何も言わない、その関係に嫌気がさして、ダリヤ荘を辞めるのだ。

 何もばれてはおらず、うまくやっていると信じていた迅人。車の運転中に田舎のおばさんたちに声かけられる。
 「あら今日はおひとり。いつもの美人のお姉さんはどうしたの。」と。

 村では自分と椿のことが噂になっているんだとがっくりくる。

 あくまで静かな文章が、だんだん隠されていたと思い込んでいた暗い真実が明らかにされ、明るい現実が崩壊してゆく。クレッシェンドしてゆく過程が恐ろしい。

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| 古本読書日記 | 06:32 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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宮木あや子   「校閲ガール」(角川文庫)

 憧れのファッション誌の編集者を夢見て出版社に就職した主人公の河野悦子。名前から連想されたのか、配属先は校閲係。しかも赤字を垂れ流しているお荷物の文芸作品担当。

 校閲というのは、文章や原稿の誤り不備な点を調べ、検討、校正、訂正などをすること。

それは、文章の不備、漢字や言葉使いの間違いを訂正するだけではない。

事実確認を調査する。間違っていれば付箋をつける。年号や固有名詞に間違いはないのか。
ライターや編集者の資料は添付されているか。その資料と中身が合致しているか。添付されていない、あるいは資料が不十分の場合は、別途調査をして、わからない時は疑問出しの鉛筆をいれる。書名や公演日時電話番号に間違いは無いか。日付けと曜日はあっているか。数字は見間違いがよくあるので、何回も確認する。

 実際は神経を使う大変な仕事だ。

 それでいて、著者と直接かかわることができない。関わるのは担当編集者。間違えると責任をかぶせられる、陽の当たらない裏方、辛い仕事だ。

 こんな裏方に回されがっくりしたが、持ち前のバイタリティーと歯に衣着せぬストレートな物言いで頑張る主人公の河野悦子。

 ここに、作者から原稿を入手すると、全く目を通さず、校閲係の悦子に丸投げする貝塚。
この悦子と貝塚の言い合いが、捧腹絶倒。

 最後は、大作家の本郷の妻が書置きを残し失踪。しばらくするとその本郷まで失踪するというミステリー仕立てにもなっていて、読者をひきつけ、ひっぱる。

 それにしても宮木さんはすごい。

この作品には、校閲前の色んな文章が登場して、悦子が校閲する場面が多くある。
不備な文章を宮木さん自身が創作しているのである。歴史ものあり、恋愛ものあり。校閲前の文章を造ってしまうとは、一般の想像を突き抜けて圧倒的に独創的である。


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朝井リョウ    「何様」(新潮文庫)

 会社で人事研修がある。大概は、講師は外部のコンサルタントが担当する。

 この講師が、判で押したように明るく、メリハリをつけたしゃべり方、しかも中身がどれも一緒。この物語にある通り。

 クオリティの高い仕事をするために
 ・PDCAサイクルで仕事をすすめ、定期的にチェックする
 ・業務の優先順位を明確にする(自分しかできない仕事、他人でもできる仕事等)
 ・複数の仕事が重なった場合「緊急度」と「重要度」で考える
  (演習)
   ・自分の仕事を洗い出し「緊急度」と「重要度」で整理してみよう
 ・仕事を取り組む姿勢をふりかえってみよう
  ・トラブルを成長できる「チャンス」と捉えるか、できなかったときの「言い訳」に
   するか。
  ・仕事により得られるもの、失うものを常に思考する

 このようなことを型にはまったスタイルですすめていく。生きた人間が喋っているのではなく、置き人形が喋っているように感じる。

 講師の生の姿、経験は全く語られない。講義時間がはずれた昼食時間でも、しゃべり人形は変わらない。

 研修を担当している桑原正美。突然、予定研修をキャンセルされる。その理由
「なんか、まじめな生徒会長にひたすら『校則は守りましょう』って言われているみたい。学生の頃、ああいう先生にいろいろ言われるのがいやだなあってみんな笑っていたよ。やっぱしうちの社員には国立大学出のエリートには合わんよ。」

 新卒の採用試験。志望者も訓練されて面接にやってくる。その時、しゃべる言葉に決まった言葉が強調される。
 リーダーシップ、協調性、独創性、集中力、体力。

 こんな言葉のやりとりを面接官と果てしなくやりあう。もう、面接などやめて書類先着順で合格者を決めることと、何回も面接して決めることにどんな差が生まれるのだろうと思ってしまう。

 この作品では、その面接で一秒間でも、これはと思われる言葉が発せられたら採用する。
それが採用基準だと語られる。

 採用、研修の実情をきっちり捉えられていて、面白い仕上がりになっている。

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| 古本読書日記 | 05:43 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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宮木あや子    「太陽の庭」(集英社文庫)

 キリスト教やイスラム教における神は少なくても実在の確認はとれない。信者の心の中に偶像となって存在している。宗教というのはそういうものなのだが、日本だけは異なった。戦前までは神が実在していたのである。その神こそが天皇であった。

 その天皇が戦後、神ではなく人間宣言をした。
しかし、天皇は神の力に頼り縋って生きてきた。特に一般と異なり、政財界を中心とした人々には、突然神が消滅することは受け入れられなかった。

 そこで生きている神を創った。それが永代院由継である。地図には載らない広大な土地に、大きな屋敷を持ち、生き神由継を中心に複数の妻、愛人たちを周りに控えさせ、数十人にも上る子供たちとともに。暮らす。年2回、政財界の人たちによる園遊会とパーティーがその屋敷で開かれる。

 生まれた子が女性ならば、永代院が運営する大学までゆき、その後、敷地から追い出され一般人として戸籍を取得して下界で暮らす。しかし、彼女たちは政財界の息子たちと婚姻を結ぶ。男の子も現在の神が後継者を指名、それ以外の子はやはり下界に出される。

 この神に歯向かう人で一般の世界で暮らす人は、必ず没落するし、屋敷敷地内え起きる事件は、もともと下界では戸籍の無い存在しない人だから、事件にはならない。

 戦前は天皇のプライベートを暴いたり取材はできない。何しろ神だから。
 だけど、戦後はそんな怪しい屋敷やそこの住人については、マスコミがかぎつけ記事にしようと攻めあがってくる。

 それに、後継者として由継に任命されても、自分の感情、振る舞いは一般人と同じ。とても神であるなどと信じられず、神を放棄したくなる後継者も現れてくる。

 この2つがあいまって、神様が崩壊してゆく過程を物語で描く。

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| 古本読書日記 | 05:46 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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加藤千恵   「アンバランス」(文春文庫)

 加藤さんと言えば、高校時代に創作した短歌を歌人枡野浩一感動して編集してベストセラーになった短歌集「ハッピーアイスクリーム」を思い出す。
 私も、この歌集を読んで、その飾らないストレートな作品に感動したひとりだ。こんなような作品が並ぶ。

まっピンクの
ペンで手紙を
書くからさ
冗談みたく
笑って読んで。

この作品もそんな加藤さんの特徴が発揮されている。

  主人公日奈子のところにある日突然、中年ででっぷり太りふやけた女性がやってくる。その女性は夫由紀雄と恋愛をしていて、何回もセックスしていると証拠の写真を投げつけ、別れてほしいという。

 いくら夫でも、こんな醜い女性と恋愛をするなんて信じられないと思うのだが、写真は夫が女性と関係のあることを示している。日奈子が変なことを聞く。夫とは何回抱き合ったのかと。女性は11回と答える。

 実は夫は不能だった。結婚前に一回、結婚してから一回。計二回しか夫とセックスをしていない。

 由紀雄によると、由紀雄は小学6年のときに、でっぷり太ったおばさんにセックスを強要され、それ以降中年の太ったおばさんにしか下半身が反応しなくなっていた。

 2回はできたこともあるし、何より日奈子は夫由紀雄を愛していたから、またチャンスはあると思い、ひたすら待っていた。自分とは2回しかセックスをしていないのに、こんな醜い太った女性と11回もセックスをしたことが悔しいし、許せない。

 そこで、日奈子はネットでホストをデリバリーするサイトを見つけ申し込む。面白いのは、すぐ2人があって関係を持つのではなく、会う日は10日後。その間互いにメールでやりとりをして関係をもってもよいか確かめあい、納得できたら会おうとするところ。

 そして10日後、指定されたホテルのロビーで2人は会う。

 ここからが、加藤さんの本領発揮。普通の小説だと、夫への後ろめたさが募り、行為がぎこちなくなり、後味もよくないものになる。

 ところが加藤さんの小説は、完全に男に溺れ、官能の波に漂い、日奈子は声を絶え間なくあげ、絶頂を迎えて果てる。その描写は実にストレートで小気味よい。

 そして、夫由紀雄が帰宅してくる。
家でくつろぐ夫に日奈子は迫る。
 「今ここでセックスしたい。本当はできるんでしょう。私たち夫婦なんだからセックスしないなんておかしいでしょう。」と。
 日奈子は夫由紀雄が大好きでたまらないんだね。

 このストレート感。短歌といっしょで強烈すぎ、たじたじとする。

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| 古本読書日記 | 05:39 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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アンソロジー  「ナナイロノコイ」(ハルキ文庫)

 いまをときめく七人の女性作家による恋愛短編アンソロジー。

ナオには亮次という恋人がいる。26歳で、そろそろ婚約してもいいかなと思っている。
またナオには学生時代からの大切な友達妙子がいる。妙子には俊太郎という恋人がいる。
4人でよくダブルデートを楽しんでいた。

 ところが亮次が、妙子を抱いていたことが発覚し、怒りと悲しみをナオは居酒屋で俊太郎にぶつける。

 俊太郎がちゃんと妙子を引き付けておかないからこんなことになると。

浮気がみつかると
男はいつも言う。
「男というものは、子供がそのまま大きくなったところがあるから、仕方ないんだ」と、
女はいつも言う。
 「さびしかったから」と。

俊太郎が言う。
「男同士の友達だって、相手のことはわからない。まして、男と女なんて絶対わかりあえない。だから、今度のことだって仕方ないんだよ。」

 そこで、ナオは仕方ないかどうか確かめるとして、謝罪する亮次に対して、「一年間合わないで、それで一年後に思い出のレストランで会いましょう」と。

 そして一年後、ひょっとしたら亮次はやってこないかもしれないと思いながらレストランに行く。しかし亮次はいた。
 「あの時、亮次のことをあまり考えないで怒ってごめん。」から会話が始まる。亮次は待っていてくれたんだと嬉しくなる。

 しかし亮次は、「実は別に恋人がいるんだ。6か月前から付き合っている。」と告白する。
ナオは衝撃を受ける。そして悔やむ。お互い黙っていてわかりあえることは無いんだ。あの時、もっと面と向かってとことん言いたいことを言い合えばいけなかったんだと心底痛烈に思った。

 唯川恵さんの「手のひらの雪のように」という作品。
 どうやっても、亮次とナオには縁が無かったように思うのだが・・・。

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| 古本読書日記 | 05:48 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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司馬遼太郎   「空海の風景」(下)(中公文庫)

 空海の遣唐使船には、ライバルとなる最澄も乗船していた。遣唐使船は4船で組織され、空海は第1船、最澄は第2船に乗り2人は交わることはなかった。

 最澄は、奈良仏教を越えようと思っているときに「法華経」に出会い、これこそ自分の信念を裏付ける仏教だと思い、この教を所衣の教典としている天台宗を習得するため遣唐使船に乗る。後ろ盾である桓武天皇により官費での派遣、一方、空海は私費での渡航である。

 最澄は唐の都長安には行かず、台州の天台宗本山に向かう。天台宗習得と教典を持ち帰ることが目的だったからだ。
 そして最澄は、越州で日本帰還船の出発を待つ間、密教も知っておく必要があると思い、密教の寺に一週間ほどいて、即席で密教を学ぶ。

 一方、空海は長安竜寺で密教の正嫡である恵果和尚に教えと修行をしてもらい、正統な継承者真言密教第八世法王として承認され日本に帰国することになる。

 桓武天皇のバックアップはあったものの、最澄が帰った日本では、密教への期待が高まっていて最澄に密教の教えを乞う人々が多くなっていた。

 一方、空海は遣唐使船に乗船するため、明州にきたところ、最澄が越州に立ち寄り密教を学んでいったことを知りあせる。
 最澄は、密教を教えなければならないが、さすがに一週間程度の即席習得では、とても教授できるまでには至らない。

 そこで、密教の教えと教典を貸してくれと空海に頭をさげる。しかし、最澄は天台宗の布教や朝廷での官僧としての仕事が忙しく、空海のもとへ足を運ぶことができない。そこで2人の弟子を空海のもとに派遣して、彼らに学ばせようとする。

 空海は、密教習得は単に教典を読むだけではなく、恵果から受けた修行も習得せねばならない。それなのに、最澄は教典を借りるだけで、習得は弟子にまかせ、修行もしないと怒り絶縁となる。

 その後後ろ盾であった桓武天皇もなくなり、最澄の力は急速に衰退。逆に空海は真言密教の教祖としてあがめられ、絶頂期をむかえる。

 空海は日本帰国後、最澄が空海からみたら偽密教教祖として絶頂にも拘わらず、それをひっくりかえすためにすぐに都にはいかず、大宰府で過ごす。

 これが謎なのだが、ここでも司馬流の長い想像物語が展開される。

その想像は、私にはそれはないと思われる内容。こういうところは、短くきりあげ、冗長的なところを無くしたほうがよかったのではと思う。調査したこと、思いついたことはすべて書きたい。その思いが強すぎた作品だった。

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| 古本読書日記 | 06:12 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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司馬遼太郎   「空海の風景」(上)(中公文庫)

 土俗的、呪術的であり、雑多な内容が混在している密教を、誕生したインドでも、移入された中国でも成しえなかった密教を、一つの思想体系にまとめあげた天才であり歴史上最初の日本人思想家である空海の生涯を描いた作品。

 司馬には多くのベストセラー著作があるが、司馬はこの作品が最も気に入っていると言っている。

 空海は現在の讃岐多度郡に讃岐佐伯の一族として生まれている。幼少のころから天才として誉が高かく、一族の星として、当時の官僚への登竜門となっていた大学に入学する。

 当時の日本は、中国で生まれ朝鮮を経由して入ってきた儒学が全盛の時代。儒学は官僚としての在り方や、世俗的な生き方対処方法を習得、処世の工夫だけを学ぶ学問。宇宙と生命の真実を追求したいという空海には無用なものと思い、大学をやめ、僧になることを決意する。

 私度僧となった空海は、多くの寺を回り、そこにある教典を読み、虚空蔵菩薩の秘術を基盤に生まれ、インドで仏教とは異なって発達してきた密教にであう。

 そして、この秘術習得にふさわしい場所を求めて、四国を巡り歩く。現在の四国八十八か所のお遍路がまわる寺は、この時の空海が修行で訪れた寺のことを指す。

 空海遊行の修行の場所として、現存するのが室戸岬の洞穴がある。この洞穴に石がはまっていない窓がある。そこから見えるのは、大きくうねる海と、果てしなく広がる空ばかり。この風景から「空海」という名が生まれる。

 ここで奇蹟を空海は体験する。天にあった明星が次々洞窟の中に飛んできて空海の口の中にはいる。この奇蹟により、空海は体は地上に残したまま、その精神は抽象世界に棲むようになる。

 ここに空海は「密教こそが仏教の完成した形」と確信。その密教を思想的に体系化するために、遣唐使船にのり中国唐に行くことを決意する。

 上巻は、遣唐使船で中国にわたり、首都長安に行き、そこで金剛頂系と大日経系の2つの主要密教体系を引き継いでいる唐で唯一の僧、青竜寺の恵果和尚に出会うところまでが描かれる。

 作者司馬は、この作品は完全に小説とことわっているが、体裁はノンフィクションになっている。
 当然、空海に関する古典はそんなに残っておらず、多くは司馬の想像でできあがる。そのため「~だろう」「~と思える」「~と考えて間違いはないだろう」という文章ばかりで、かなり読みづらいしまどろっこしい。小説なのだから、空海一人称で断定的に描けばもっとコンパクトでわかりやすい作品になったように思う。

 長安に入り、青竜寺の恵果和尚に会うまで数か月空白がある。この間については、街を見学したということしか古典には書かれていない。

 しかし、司馬は、そのころの長安を想像して、空海にあちこちを見て回らせ、それにより空海の受けた感動、強い印象を多くのページを割いて描写する。

 しかし、それが、その後の空海の人生に何が具体的に影響したのかは全く語られない。

この作品では、そんな無意味な箇所がいくつかあり、それが読者を混乱させる。

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| 古本読書日記 | 06:09 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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我孫子武丸    「裁く眼」(文春文庫)

 漫画家になりそこねた主人公の鉄雄。路上画家として、似顔絵を描いて暮らしていた。ある日浅草の路上で、別嬪女性と男性のカップルが通り、別嬪女性から似顔絵を描いてほしいとの依頼がある。15分ほどで描きあげ手渡すと、別嬪女性は「すばらしい」と感嘆するのだが、男がそれを見て、こんなひどい絵があるかと怒り狂い、絵を放り投げ、代金も払わず立ち去ってしまう。

 こんなエピソードがプロローグとして描かれる。何気なく読んで忘れていると、このエピソードがトリックを解く大事な場面となる。

 そんな鉄雄に、テレビ局より、裁判法廷の画を描いてほしいとの依頼がある。法廷画の対象となった事件は、佐藤美里亜という女性が、結婚詐欺をして、2人の男性から金品を取り上げた末に、結婚の約束を反故にしたために、男から恨まれ、それでにっちもさっちもいかなくなり、男たちに睡眠薬を飲ませ、風呂場に運び練炭自殺に装い殺人をしたという罪に問われている事件だった。

 佐藤美里亜は無罪を主張していた。更に美里亜が、鉄雄の法廷画が放送されたその日に家の前で何者かに石で殴られ倒れる。また、同じ法廷画を描いていた聖護院桜が殺害される。

 どうしてこんなことが起こるのか、鍵は最初に鉄雄の法廷画に描かれていた検察側に座っていた男にあった。その謎解きもなかなか面白い。

 この作品を読んでいると、本当に佐藤美里亜は意図をもって、男をだましたのか、そして男は美里亜にだまされたと恨み骨髄となっていたのか疑問が沸いてくる。

 男たちは、美人の美里亜に完全に心奪われ、恨むなんてことは無かっただろうし、すすんで金品を美里亜に贈呈していたのではと思えてくる。亡くなる前まで、男たちは美里亜を愛し、崇めていたのではと。

 世の中は外から見ていることと、実態は全く異なる場合がしばしばある。常識やマスコミに影響された見方ばかりしないように気をつけねばならないと思った。

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| 古本読書日記 | 06:41 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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石井光大   「日本人だけが知らない日本人のうわさ」(光文社新書)

 海外で日本人がどう思われているか、また日本人が外国の人をどうみているか、噂話を石井が拾いあるき、都度書き留めていたメモをベースに書かれた作品。

 この前作家の岩井志麻子が、テレビ番組で韓国人のことを「手首を切ってるブスみたい」と言って、これに朝日がかみつき大騒ぎとなり、テレビ局が謝罪に追い込まれた。

 言ってはいけないことのように思うが、大朝日がヒステリーのようになってかみつくほどのことなのかとため息がでた。

 川崎市ではヘイトスピーチに刑を科す条例を可決した。これも、ヘイトかどうか恣意的に判断される可能性がひろがり、市長に都合が悪いスピーチはヘイトとされ、批判ができなくなる可能性をもたせることになった。

 最近は、増々言葉狩りが先鋭的になり、平板ないいまわししかできなくなるようになった。
 そんな中、この本はよく出版したものだと感心した。

しかし、読んでみると、これは言い過ぎだと思う部分はすでに既知のものばかり、そのほかには印象に残ったものは殆ど無かった。
 出版社の編集者がこの表現は社会的に非難されると判断しかなり削ったのではと思われる。内容は穏やかで平板だった。

 自分の国や自分自身を貶める自虐的内容だったら許容されるが、海外の国や外国人を貶める内容の本は、出版するのは難しくなるのだろうなと思ってしまった。

 当然のようにも思えるし、いやな雰囲気になってきているなと複雑な気分になった。

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| 古本読書日記 | 06:38 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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