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2019年06月 | ARCHIVE-SELECT | 2019年08月

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石井洋二郎    「パリ 都市の記憶を探る」(ちくま新書)

 パリ。17世紀に作られた橋を渡ったかと思うと、5分後には18世紀の広場を横切り、19世紀の駅にたたずんだと思えば、10分もたたないうちに20世紀に建てられた塔に上っている。そんなダイナミックな空間移動ができるパリをそれぞれの記憶をたどりながら、その魅力をつづった作品。

 パリはセーヌ河をはさんで、右岸と左岸に別れる。そして、その街の特徴が対象的に異なる。「保守/革新」「古典/前衛」「ブルジョア/庶民」「経済/文化」「金銭/芸術」というように。

 しかし、パリジャンにとっての橋とは何だろう。
詩人、ギョーム・アポリネールの詩「ミラボー橋」では、「日々は過ぎ去り、私は残る」のフレーズが4回にわたり繰り返される。
 何となく、橋は人々が通り、渡るためだけの存在ではないように思えてくる。

 フローベールの最高傑作「感情教育」で、フレデリックがコンコルド橋でたたずむ。足下にはバスティーユ監獄の石があり、目の前の広場では、国王がギロチンにかけられた。

 「月の面を暗い雲が走って過ぎた。彼は、宇宙の広大さ、人生のみじめさ、いっさいの虚無にうたれつつ、その月をじっと見上げた。・・・なぜひと思いに命を絶ってしまわないのか、と心に問うのだった。ひとつ身動きすればそれでいい。・・・自分の死体が水の上をただようところが目に浮かぶ。フレデリックは前にかがみこんだ。欄干の幅が少し広い。それを乗り越えなかったのは、ただもう体が疲れていたからに過ぎなかった。」

 橋。その中間にたって流れる川を見つめる。それは、希望と絶望、期待と挫折、そして生と死、二項対立のはざまで宙ぶらりんの未決定状態になっているフレデリック。左岸でも右岸でもない場所、両者を媒介する橋の上で、欄干をとびこえられずに失意の底に沈んでゆく。

 そう、橋は、人生の悩みのなかで、思い悩むためにたたずむ場所であってこそ、ふさわしい。

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小川洋子   「注文の多い注文書」(ちくま文庫)

 インターネットが普及して、ありえないと思われるようなものでも、検索マシーンをフル活動させれば、殆どのものがその存在を明らかにされる。

 難しいのは「ありません」「ない」と断言されたものが、本当に無いのか証明すること。
この短編連作集には、この無いものを、探してくるクラフト・エヴィング商會という組織が登場する。

 実はこのクラフト・エヴィング商會というのは実在する。
この商會は作家吉田篤弘と吉田浩美の2人で活動している。「あるはずのない書物、あるはずのない断片」の、そのものや解説書を創ったりして、展覧会を開く活動をしている。

 小川洋子が古今東西の名作から、ありえないと思われる物や人間を、現在の主人公が、クラフト・エヴァンス商會に発注し、それを商會が探して納品するという実に楽しい物語になっている。

 村上春樹の「貧乏な叔母さんの話」に登場する、背中に張り付いて離れない貧乏叔母さんは今誰に張り付いているのか探してほしいなど、なかなか洒落た無いもの探しで愉快。

 主人公の女性は、人体欠視症に罹っている。愛する恋人がいて、結婚を考えている。ところが恋人の体のある部分に触れると、その部分が消えて見えなくなるのである。今や恋人の体の殆どを触っていて、その体は見えなくなってしまっている。

 これにショックを受けた恋人は主人公に別れを告げる。

 この欠視症を描いた作品に川端康成の「たんぽぽ」がある。この作品に登場する稲子は、主人公と同じように結婚を約束した恋人がいるのだが、欠視症で恋人の体がどんどん消えてゆく。主人公この物語の結末はどうなるんだと読み進めると「未完」の文字で途中終了。
 川端死ぬ前の最後の作品である。

 小川さんの作品の主人公は「欠視症」の薬を探してほしいとクラフト・エンディング商會に発注する。
やがて、高価な「蚊涙丸」という薬が納品される。この薬は、欠視症に治癒効果はあるかもしれないが、過剰に服用すると治癒以上に重い副作用がでる。

 商品が納品される前に、主人公は彼が新しい恋人と楽しそうに歩いているのを目撃する。

彼を愛する誰もが欠視症になるのではないんだ。でも、主人公は2人が幸になることを望む。そして「蚊涙丸」を受け取る。もちろん、服用することは無い。楽しかった彼との交際の思い出の品として大切に保管しようとして。

 「蚊涙丸」があるということは、世の中には欠視症で悩んでいる人がいるのかもしれない。

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小川洋子    「不時着する流星たち」(角川文庫)

 ヘンリー・ダーガー、グレン・グールド、パトリシア・ハイスミス、エリザベス・テイラーなど世界のはしっこで異彩をはなって存在する人たちをモチーフに、その記憶、手触り、痕跡を結晶化させた珠玉の連作短編集。

 本のタイトルを象徴している作品は「カタツムリの結婚式」だった。

 世界のどの地点から、最も遠く離れた孤島で、主人公の女性は生まれた。そこで生まれた人たちはみんな遠くの目的地を目指し航海にでるが、誰も目的地に到着することなく、異なった場所に不時着する。

 そして主人公の私は、両親と弟を暮らす今の家に到着した。

 テレビがオーケストラの演奏を映し出している。そのオーケストラの中に、自分と同じ島の出身の奏者を発見する。演奏者のなかでただ一人、楽器を演奏しているまねをしているだけで実際は演奏していない。そこだけ、ぽっかりと特別な空間を作っている。

 そんな島の人たちのことを私は同志という。
テレビでみたサッカーやラグビーの試合でも同志がいた。同志だけは、ボールを追うことはせず、交わらず、全く試合と関係ない孤立した場所にいる。

  家族でしばしば行く、国際空港でも同志を発見した。
 
  その人は、あまり人がいない空港の端の授乳室、拝礼室の一角にいた。

 その人はガラス板の上に、違った色を塗ったカタツムリを競走させていた。何人かが彼のまわりに集まり、レースが終了すると「ちっ」と言って去ってゆく。

 レースが終わると、カタツムリは飼い箱の中に帰ってゆく。飼い箱はキャベツだ。キャベツを食べ、満腹になるとキャベツの葉に囲まれながら眠る。

 その人は言う。
「カタツムリから結婚式の招待状がくる。そのときは正装してゆくんだ」と。
と、突然3番の4番のカタツムリが重なり合い、じゃれあう。
「ほら、これがカタツムリの結婚式だよ。」と。

  世界の端で、誰も関心を抱かないことなのだが、確かに存在して生きている者たちがいる。

  この物語が創られてモチーフが最後に載っている。

 「太陽がいっぱい」などのリプリーシリーズを書いたパトリシア ハイスミス。彼女はカタツムリが大好きなのだが、そのまま持って旅すると空港の検疫所で没収されてしまう。そこで、10匹のカタツムリを乳房の下に隠して旅をしていたと。

 乳房に隠れたカタツムリを読んで、忘れ去られている人たちへの寄り添いを浮かび上がらせた小川洋子の珠玉の短編である。

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柚木裕子     「蟻の菜園」(角川文庫)

 現在社会的な大きなテーマとなっている、子供への激しいDVをこの物語はテーマとして扱っている。

 早紀と冬香の幼い姉妹は、アルコール依存症の父と、ワゴン車を根城にして、全国を回り暮らしている。父は主に土建作業員をして収入を得ている。

 早紀と冬香は出生届がだされておらず、無戸籍の状態になっていて、幼稚園や小学校にも行っていない。風呂にはいったこともなく、一年中着た切り雀状態。父親はいつも酔っ払った状態で、姉妹を殴り、蹴りたおし、姉妹の体はあざだらけになっている。食べ物はスーパーや食堂の残飯をあさり確保している。

 物語は円藤冬香という女性による結婚詐欺事件があり、しかも詐欺にあった男性が練炭によるCO2ガスで亡くなっていて、この冬香を調べると周囲から詐欺の後や、不審死をしている男が次々現れるということから真相が追求される。

 事件は一人で起こせば、犯人にたどり着く可能性が高くなるが、表面上全く関係がないように見える2人が共謀して起こすと、アリバイ工作も容易にでき、完全犯罪の可能性やそのための犯行方法の幅も広がる。

 姉妹は、他人の戸籍にはいり、全く別の関係ない人間として、暮らす収容施設も互いに遠く離れた場所で生活する。これは、市役所の戸籍課の人間が不正に戸籍を創ることをしなければできない。
 そんなことをするとは思えないから、事件の真相にたどり着くのは一層困難になる。

裏でしっかりつながっている姉妹。最も強く結びついているが、こんな時の姉妹のそれぞれの思い行動。それは姉が妹にどんなことが起こっても、絶対かばい救ってあげるという行動になる。

 大借金を背負った妹から相談を受けた姉は、結婚詐欺で老人から金をだまし取る知恵を授け、更にあぶなそうになると、自殺とみせかける手段で老人を殺害することを妹に指示する。それは、妹には容疑がかからないように、妹に鉄壁なアリバイを創り上げて。

 柚木は相変わらず、街の風景や、それに伴う心理描写を丁寧に描き、ミステリーの雰囲気を醸成し、仕掛けにも凝って、素晴らしいミステリーに仕上げている。

 しかし、妹はレストランのオーナーで成功した男に嫁ぎ、裕福な暮らしを享受できているのに、結婚詐欺まで起こすほど借金地獄に陥った背景が、パチンコ依存症だったというのが、
それはないだろうと、中身を薄くしてしまったことが悔やまれる。

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垣谷美雨    「後悔病棟」(小学館文庫)

 余命幾許も無くなった癌患者。自分の人生を振り返ると、必ず浮かぶのが、あそこであんなことをしたために惨めな今があるとか、あそこでの自分の間違った行為により、あいつに取り返しの無いことをしてしまったとそんなことが悔恨の念として浮かんでくるばかりになる。

 神田川病院で末期患者を担当している医師の早坂ルミ子。ある日、病院の繁みに放置されていた不思議な聴診器を手にいれる。

 この聴診器を患者の胸にあてると、末期患者の心の叫びが聞こえてくる。しかも、患者にもルミ子にも目の前にドアが現れ、そのドアをあけ中にはいると、患者が悔やんでしまっている時代に戻ることができ、そこでああしていたらと患者が思っていることを実行して、人生がそれでどう変わったのかを辿れる体験ができる。現実の世界の一分間が、ドアの中では10年。わずかな時間で人生がやりなおすことができる。

 女優になりたかったが、大女優であった母親の猛反対で、女優になる道をあきらめた患者。

娘の結婚を、相手の粗暴な行動や家庭の貧困状態をみて、大反対してつぶす。その後娘は「絶対結婚しない」と宣言。独身のまま40歳を超えた娘を抱えた母親。

 中学生のとき、先生の財布からお金を女の子が盗む現場を友達と目撃。先生は友達を犯人と思い込み追及。友達が自分がやったと自白させる。そのとき、真犯人を先生に言わず黙ってしまった。それにより、友達は最低の高校にしか行けなくなり、荒れて高校も中退。その後友達は消息が不明になるなど。

 こういった後悔に悩んでいる人が、後悔しないような行動をとったらどうなるか。

垣谷さんの物語では、別の方法をとっても、人生は今とあまり変わらない人生になっていることを物語で描く。
 それが安心材料になり、患者は安らかに亡くなってゆく。

やっぱし、そうなるのだろうと私も読んで安心する。

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梯久美子   「昭和20年夏、僕は兵士だった」(角川文庫)

 戦争における、死刑の相当する罪の大きなものは2つ。

一つは徴兵忌避。この方法には3つある。徴兵検査の前に、自ら体を傷つけ、障碍者となる。検査の時に醤油などを大量にのみ病気のふりをする。召集令状がきても、出頭せず、逃亡をはかる。

 この3つのうち、逃亡が最も罪は重く、捕まえられると重刑を課せられる。

二つ目は、敵の捕虜になること。捕虜になりそうになったら自ら自決して死なねばならない。

 俳優三国連太郎は、女性と召集命令を拒否し逃亡。母親の密告により、大陸に逃げようとしていたところを、釜山でみつかり、日本に連行される。

 重罪を覚悟していたが、母親が自ら進んで密告したということで、逮捕はされず、中国へ出兵が命ぜられる。昭和18年のことである。

 三国は鉄砲も満足に撃てず、だめ兵士だった。三国の軍は、2つに分かれ精鋭はガダルカナルに行き全員が死ぬが、三国は残る。

 一般に戦争における日本兵士の死を後になって語るとき、熱狂や陶酔、そして美化がある。しかし三国は言う。
 多少なりとも美化できるようなことに出会ったことはないと。戦争での人間の死にざまっていうのは、勇敢でもなければ美しくもない。死後どんなに功績がたたえられたとしても、みじめで悲しいものだと。

 漫画家水木しげるはニューブリテン島に派兵させられる。兵站はアメリカにより断ち切られ、武器も食料も絶たれる。釣った魚がのどに詰まり窒息死したり、野草をたべ強烈な食あたりになり悶絶死したりする兵士がたくさんでる。食料もつき、餓死者がつぎつぎでる。

 そして中隊長から、敵に突っ込み玉砕しろという命令がでて、実行される。殆どの兵が死んだが、水木は死なずにすむ。

 昭和天皇が死に、時代が平成になったとき、やっと戦争から解放され、心が静かになったと水木は言う。

 戦争は天皇のもとで始められ、兵士は天皇という名のもといじめられ、天皇のためと叫びながら死んでいった。理不尽。だから本音は天皇への怒り、恨みがいっぱいだった。その怒りの矛先が無くなった。

 現在は天皇を尊敬し美化する風潮ばかりになった。だからとても声高には言えないが、水木の気持ちは多くの国民の共有した本音であったことは確かだし、その事実は非常に重いと思う。

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平野啓一郎    「本の読み方」(PHP文庫)

 平野は多読、速読を無意味な読書方法だと批判する。それは、目を通しているというだけで何にも頭の中には入ってこず、読むはしから、右から左へ突き抜けるだけと言う。

 まったく自分の今の状態そのもので、ご指摘の通りだと思う。

そして、スローリーディングこそ得する読書、損をしない読書だと主張する。
物語には必ず「伏線」があり、書き手は仕掛け、工夫を施す。それをきちんと把握しないと、読み手には読書はつまらないものになる。
 熟読して、ここはというところがあったら、傍線をひいたり、ページを折る。疑問があったら再度前に戻って確認をする。

 わからない言葉をニュアンスだけで解釈せず、常に辞書を横に置いて調べる。
こんな読書態度でなければいけない。

 それから、平野はよく作品を理解するために、声をだして読む、これは、声に頭が集中して何も残らないということで否定する。黙読に読書は限るという。

 また、文体を習得するために、写本をする人がいる。これも書くことが目的になって、優れた文章を会得することにはならないと否定する。

 そして、平野のいうスローリーディングをすると、どれほど物語が深くみえてくるか、実践をいくつかの作品でする。 
 漱石の「こころ」と鴎外の「高瀬舟」のスローリーディングした結果での理解には感心した。

 特に「高瀬舟」。鴎外のすきももらさないシステマティックの筆の運びについてはなるほどと思った。

 この物語は「安楽死」と「献身」を基本テーマとしている。

 二親を亡くし、喜助と弟2人暮らしをしていると描写される、ということは、弟の殺人は喜助しかありえないということになる。ここで、親族や両親がいて、安楽死の是非がいろんな見方で語られたら、テーマがぼける。そこで事件の関係者は2人しかいないことを提示する。
 
そして弟が重い病にかかり、もう働くことはできない。喜助は弟に献身的に支えるが、弟もそこが苦痛で、早く楽になり喜助をこの苦労から解放させてあげたいと切に望む。

 殺人ということは、その行為だけをみれば、不正義かもしれないが、作品ではその行為が正義であり弟への献身だと読者は思う。

私は、そこまでの読み込みはしなかったが、喜助の行為は理解できると思ってこの作品を読んだが、それは鴎外の読者を自分の思うところへ導くために、仕掛け、論理的積み上げをきちんとしているのだということをこの平野の本で知った。

 と言って、平野が主張するほどに仕掛けがあり、工夫があり熟読する価値のある本が現在そんなにあるだろうかとも一方では思ってしまう。

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芦沢央     「罪の余白」(角川文庫)

 愛する一人娘が学校の4階から身を投げて死んでしまう。妻はガンで他界していない。警察は事故か自殺という形式的内容で捜査をする。

 こんな状況のとき、父親はどんな行動をとるのだろうか。そこを、芦沢は徹底してほりさげる。

 事故ならば当然、その背景を調べることなく、捜査は終了する。自殺であっても、その原因は明らかにされても、誰かが手を下したわけではないから、多少の余韻は残ろうが、誰かが逮捕され、罪を背負うということもない。

 これでは、娘は救われない。
この物語は、こんな状況に陥った40代の行動心理学者の安藤の物語である。

 それにしても、女子高生というのは、どこかのグループに所属しているという確信が、何よりも大切に思うものかと驚く。

 咲は、誰よりも自分は美しく、才能もあり、芸能界にはいりタレントとして活躍したいと強く思っている。しかし、母親から反対され、タレントへの道が開かれない。真帆は、咲の美しさに感動して、スターとして崇め、咲にすべてをささげるほどの気持ちを抱いて、咲とともに行動をする。ここに主人公の加奈が加わり、3人のグループが作られる。

 しかし、真帆は咲が加奈に肩入れすることを面白くないと感じる。そして、咲と一緒に加奈をつまはじきにする行動をとる。

 はじきだされた加奈の受ける衝撃の強さがすさまじい。もう、人生をすべて否定されたと落ち込む。

 父親の安藤は、加奈のパソコンから、咲、真帆のはぶせ、いじめが娘加奈の飛び降りの原因であることを知る。
 平凡な作品は、安藤が咲や真帆の仇をとることになるのだが、芦沢はもう少し深く考える。

愛娘を失った安藤は、これ以上生きていてもしかたないと考え、死ぬことを選ぶ。
 そして、加奈の日記を背景にして、これを世間にばらすと言って咲、真帆を追い込む。

 咲はそんなことをされたら、自分のタレントへの道は閉ざされる。それで、安藤をベランダから突き落とすことを考え真帆と一緒に実行する。
 安藤は、これで咲、真帆は殺人犯になる。喜んでベランダから落ち、娘加奈のもとへゆく。

 物語には、誰とも交わらず、孤独な学生生活を送る笹川という生徒が登場する。どこかのグループに属せないと生きていけないという生徒が大勢だが、自らの意思により、グループには入らないと決めた生徒は、ちゃんと学生生活を送ることができることを芦沢はこの作品を通じて読者に訴える。

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宮下奈都    「静かな雨」(文春文庫)

 文学界新人賞で佳作に選ばれた、宮下の処女作品。

勤めていた会社をやめた主人公の行助は、卒業した大学で募集していた助手に応募し、講師をしている先輩のお蔭もあり採用される。しかも、拘束時間は固定しているが、仕事の開始終了時間は自由。行助は、朝7時に大学へ行き、3時には学校を出る勤務にする。

 学校からの帰り道、パチンコ屋の空き地でたい焼き屋台をみつけ入る。このたい焼きがすこぶるおいしい、だから毎日立ち寄るようになる。

 このたいやき屋をしているのが若い女の子でこよみという。

 こよみは行助がくると、三本足の椅子を2客だしてくれ、一緒にこよみ特製のコーヒーを味わう。
 三本足というところに重要な意味がある。実は、行助は片足が麻痺で使えず、松葉杖をついている。つまり、行助は、動く足と動かない足、それに松葉杖の3つの足を使って生活をしている。

 ある日、少女がひき逃げされ、それを避けようとハンドルを切った車に、バイクが突っ込み、その衝撃でバイクの運転手が放り出され、こよみの体の上へ落ちる。その衝撃でこよみは意識不明のまま病院にかつぎこまれ、意識がもどらないまま3か月と3日が過ぎる。

 目覚めたこよみは事故以前の記憶はあるが、今日起こったことは明日にはすべて忘れてしまうようになる。

 行助はこよみを何とかしようと、自分のアパートに呼び、一緒に暮らすようになる。
行助が足が不自由なこと、こよみが記憶障害と互いに不自由なところは重なるが、肝心な互いにたいする気持ちが遠のき重ならない。

 そんなある日、雨のなかで満月が見える夜がある。2人で寝ながら満月と雨を見上げる。
満月がきれいだと行助は思う。その満月が、雨に消える。すると、こよみが涙をうかべる。
 満月はちゃんと記憶の中にあるのだが、ものすごい速さで消えていってしまうと。

美しい満月は、行助にとってのこよみ、こよみにとっての行助。今日の記憶が何も残らなくて、すごい速さで飛び去って行っても、満月、互いに対する記憶は残る。

 行助とこよみが、重い障害をもちながら互いに重なりはじめた瞬間だ。

宮下が素晴らしい作家になることが予感されるみずみずしい作品である。

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梯久美子     「昭和の遺書」(文春新書)

 昭和ほど、遺書が書かれた時代はなかった。やはり、戦争があったからだ。出征は死を覚悟して戦場へでかける。だから、家族や許嫁、恋人に遺書をしたためて家をでる。特攻隊も死んで散り行く。戦場で、もう死ぬしかないという状況になる。すると、遺書をしたためる。戦争が終わって、戦争裁判があり、死刑を宣告された戦犯がでる。処刑前に遺書を書いたり、時世の句を詠む。そんな戦争によって書かれた遺書が満載のルポである。

 美文調で、格好がつきすぎていて、本音がでていない。観念的な遺書ばかりである。

 そんな遺書より、やはり最近のイジメにより自殺した子供たちの遺書の方が、感情をあらわにして、まっすぐ心に突き刺さってくる。

 昭和61年2月1日、東京中野富士見中学校2年生でいじめにより自殺した鹿川裕史君の「生き地獄」という言葉は、その悲惨に全国の多くの人々に衝撃を与えた。絶望的なのは、いじめられっ子を懸命に守らねばならなかった先生が、葬式ごっこに加担し、いじめっ子と一緒になって鹿川君をいじめていたのだから、鹿川君の逃げ場は、全く無かった。

 鹿川君の自殺から2年後、富山で中学一年生の岩脇博子さんが4階のベランダから飛び降り自殺した。その遺書が強烈で魂が揺さぶられる。

「ねえ、この気持ちわかる?組じゅうからさけられてさ、悪口いわれてさ、あなただったら生きていける? 私もうその自信ない。せっかく育ててくれたお母さん、お父さんには悪いけどさ。お母さん、お父さん、ありがとう。本当にありがとう。でも、みんなは、たかが、いじめくらいでと言う人もいるけど、私のは、そんなに甘くない。ありがとう、私にやさしくしてくれたみんな、ここまで育ててくれたお母さん、お父さん。
 私は、この世が大きらいだったよ。
私はあなたたちを許さない。一年三組〇さん、〇さん、〇さん、〇さん、〇さん、もう誰もいじめないで・・・・」

 「この世がだいきらいだったよ」という言葉は本当に胸に痛い。この遺書を読むたびに悲しくなってどうしようもなくなる。

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中森明夫    「女の読み方」(朝日新書)

 80年代というのはよく話題に登場するが、90年代というのはあまり登場しない。80年代はバブル絶頂期。それがはじけて90年代が始まる。実感なき景気回復が始まる2000年代までの空白の10年間。90年代はどんな時代だったのか。「週刊スパ!」で篠山紀信の女性写真とともに描かれた中森明夫のコラム。登場した100人の女性とともに、そのコラムを収録。90年代をふりかえる。

 作家の林真理子が登場している。
 林真理子は、「ルンルンを買っておうちに帰ろう」で衝撃的なデビューを飾った。彼女には、林真理子教なる熱狂的信者が生まれた。

 林真理子は、コピーライターから始まり、エッセイストになり、そして直木賞も獲得。地位も名声も財力も手にいれた。

 しかし真理子信者は確信していた。彼女は、結婚だけはできないだろうと。自分は林真理子と違い、何も手にはいれなかったけど、林真理子には不可能なやさしい夫と家族は手に入れた。その一点こそ林真理子に対する優越感だった。

 バブルに酔いしれた80年代はいつ終了したのだろうか。
 「株価が暴落した日」「湾岸戦争が始まった日」「ベルリンの壁が崩壊した日」と答える人がいるかもしれない。

 真理子信者、ファンには申し訳ない。
やはり、それは林真理子が結婚した日だ。と、中森明夫は言っている。
時代に敏感な人は違うなあと思う。目のつけどころがユニークである。 

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梯久美子   「世紀のラブレター」(新潮新書)

 明治から平成まで、近現代史を彩った男女の類まれな、あられもない恋文を辿るノンフィクション。

 推敲を重ねて名文、名物語を生んだ作家であっても、ラブレターとなると気持ちだけが全面にでて、これがあの文豪がつづったとは思えないような文ばかり。

 特にあられもないのが、斎藤茂吉。輝子という夫人がありながら、何と52歳のときに25歳の弟子のふさ子に恋をする。

 「ふさ子さん!ふさ子さんはなぜこんなにいい女体なのですか。なんともいへないいい女体なのですか。どうか、大切にして、無理してはいけなひと思ひます。
・・・・
ああ、恋しくてもうだめです。・・・今ごろはふさ子さんは寝ていらっしゃるか。あのかほを布団のなかに半分隠して、目をつぶって、かすかな息をたてているなどと思ふと、恋しくて恋しくて、飛んで行きたいやうです。ああ、恋しいひと、にくらしいひと。」
 長年連れ添った夫婦、どちらかが一人残り、先に逝ってしまった連れのことを今でも恋しく思う気持ち。それを、赤裸々に詠った詩人茨木のり子の詩も狂おしい。

       「部分」
日に日を重ねてゆけば。
薄れてゆくのではないかしら
それをおそれた
あなたのからだの記憶
好きだった頸すじの匂い
やわらかだった髪の毛
皮脂なめらかな顔
水泳で鍛えた厚い胸廊
丁字型のおへそ
ひんぴんとこぶらがえしを起こしたふくらはぎ
爪のびれば肉に食い込む癖あった足の親指
ああそれから
もっともっとひそやかな細部
どうしたことでしょう
それら日に夜に新たに
いつも取り出せるほど鮮やかに
形をなしてくる
あなたの部分

飾り気のない、直截的な文章。その直截さに驚いてしまう。

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梯久美子  「原民喜 死と愛と孤独の肖像」(岩波新書)

 原民喜、45歳で鉄道のレールの上に横たわり列車により轢殺。45歳の自死するまでわずか出版された本は2冊。そのうち1冊は自費出版。もう1冊広島の被爆体験を描いた「夏の花」、戦後あふれるように書かれた原爆作品の殆どは読まれなくなり、今の世から消え去ったが、ずっとよみつがれてきた作品である。

 そして梯のこの作品により、原民喜は多くの人たちの関心を呼び起こし、またまた「夏の花」がたくさん読まれるようになった。

 原爆や大空襲の物語や体験記は、政治的イデオロギーに結びついたり、表現が感情的だったり、誇張するものが多いが、「夏の花」は、ありのままの被爆体験を簡潔で澄み切った文章で描く。だから、読み継がれ、読者の胸を打つ。

 原民喜は、他人との会話ができない人だった。ずっと孤独だった。何とか話ができる父、次姉を原爆で失った。さらに彼に衝撃を与えたのが愛する妻貞恵を結核で失ったことだった。

 貞恵と一緒に病床で過ごした時間が一番幸な時だった。貞恵が、だんだん呼吸が静かになり、この世から去った時、原民喜は自分もすぐに死のうと思った。

 その直後に被爆。人間として、作家としてこの体験を書かねばならない。その後で愛する貞恵のもとへ行こうと考えた。

 「夏の花」を描き「三田文学」で発表。「三田文学」を通じて、遠藤周作と親友となる。街で偶然しりあった祐子さんに淡い恋心を抱き、遠藤の明るさもあり、よく祐子さんと遠藤、原民喜3人で遊ぶ。その期間1年の後、妻貞恵への元へと旅立つ。

 死ぬことへの迷いはなかったし、怨恨や人生への淋しさもなかった。17通の遺書がそれぞれの人に対して残された。そこには貞恵のもとへ旅立つことと、相手の人への感謝だけが書かれていた。

 遠藤は、原民喜について「生きていて美しい人だったし、死んでも美しい人」だと書いている。

 遠藤はキリスト教の信者である。遠藤はキリストについて、「疲れ果ててくぼんだ眼。その眼はやさしい。しかしキリストは、奇蹟はおこせなかった。何もできず、無力で痩せて小さかった。ただ彼は、苦しんでいる人を決して見捨てることは無かった。女たちが泣いているとき、そのそばにいた。老人が孤独のとき、そのそばに腰かけていた。奇跡は行わなかったけれど、奇蹟よりも深い愛がその窪んだ眼にあふれていた。」と書く。

 遠藤は原民喜との交流によりキリストについて深く知ることができた。

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石井光太   「地を這う祈り」(新潮文庫)

 アジア、アフリカ地域のスラム街、そこに居つく物乞う人々の写真に、説明を加えた作品。

 この作品を手にとる2冊前に石井の「レンタル チャイルド」を読み、想像を絶する内容に驚愕。嘘とは言わないが、少し内容を膨らました眉唾なものもあるのではと思っていたが、「レンタル チャイルド」を証明する写真が、この作品に掲載されていて、本当にたまげてしまった。

 「レンタルチャイルド」の冒頭、スラム街で、裸になってペニスをしごいてもらっている50歳くらいの全身イボで覆われている男が登場するが、このイボ男の写真が載っている。

 そして最後にこれも信じられない内容だったが、死んだ妻をリヤカーに布でくるんで、街をお金を恵んでもらうために3日間歩き回る。この、死体と夫の写真も載っている。すさまじすぎる、ため息しかでない。

 とんでもないルポライターだ石井は。

 スリランカの激しい内戦の村で、じいさんと水頭症で頭が異様に大きくなっている幼児にであう。

 石井に「この子の病気を治すために、帰国したら募金をつのって、そのお金を送ってほしい」と頼まれた。

 水頭症の子とじいさんの関係も不明だし、お金を作っても、治療に使うかはっきりしないので、そんなことはできないと思って日本に帰る。

 すると、じいさんから手紙が来る。「お金は集まったか。お金を送ってくれ」と。しかし何もせずに放って」おく。

 2年後にまた同じ催促状が届く。まだ、幼児は生きていたんだと驚いたが、やはり放っておいた。それからは催促状はこなくなった。

 4年後取材でスリランカにゆく。ガイドが内戦のあの村に行こうと提案してきたが、催促状に応えなかったことが胸にわきあがり、事実を話して再訪はやめる。

 ガイドが言う。
「そりゃあ、じいさん、幼児に良いことをしたじゃないか。少なくても、死ぬまでいつかはお金がおくられてきて、治療ができるという夢を持ち続けられたのだから。」

 すごいなあ。そんなことも幸福ということになるのか。

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| 古本読書日記 | 05:59 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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石井光太 「レンタル チャイルド 神に弄ばれる貧しき子供たち」(新潮文庫)

 この作品は本当にルポなのか。ノアール小説ではないのか。もしルポだとしたら、現実ははるかに小説を超えた暗黒世界が存在する。

 舞台はインドのムンバイ。冒頭から驚愕する。
石井はインドの物乞いをルポするために、ある男を紹介してもらう。その男に会うため、スラム街にある彼の住まいにでかける。その家に着くと、呻くような変な声がする。家に入る前に壁の穴から家を覗く。

 すると体中イボに覆われた50歳くらいの男が裸になり、むきだしにしたペニスを30歳くらいの男にしごかれている。イボ男は快楽に身をゆだね口をあんぐりしている。

 この30歳男、名前がマノージで物乞い現場を案内してくれる男だ。

物乞い女たちは、殆どが赤子を抱いている。この方が、実入りがいいからだ。この赤子は、かっさらってきたり、捨てられている子、それに売春やレイプをすれば、子供ができる。その子らをマフィアがあてがって物乞いをする。

 その赤子が少し大きくなると、女の子は売春をするが、男の子は使い物にならない。すると彼らは目を潰されたり、腕や足を切り取られ、障碍者となり物乞いをする。

 石井がすごいと思うのは、そういう女性や障害者にされた子を救おうとしてマフィアに立ち向かおうとするところ。しかし、どうみたって救えるわけがない。無理やりどうにかしようとすると子供が叫ぶ。目をつぶされようが、腕を切り取られようが、それをしたマフィアを「パパが好き、パパはい人」と叫び石井の言うことは全く聞かない。この場所、組織からはみだされるということは、即、死ぬことになるからだ。

施設こそが幼児児売買の巣屈になっている。売春やレイプにより生まれてくる子は、産まれて即、施設に売られる。
 殆どの子供は、マフィアや少女売春組織に売られる。たまに、養子としてもらわれることになるが、いろんな名目をつけて、とんでもない金額を養父母に請求する。

 この作品の最後が想像を絶する。妻が病気で亡くなる。それをリヤカーに乗せ、物乞いをするのである。この物乞いが一番金になる。どんなに死臭をまきちらそうが、生きてゆくためにはやめることはできない。

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| 古本読書日記 | 06:19 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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小関智弘   「町工場巡礼の旅」(中公文庫)

 小関さんの工場に発電関係の大手企業から、試作部品を削る、普通の旋盤加工では困難な部品作りの仕事が仲介業者経由で入った。多くの町工場で、制作不能として断られた仕事がまわってきたのである。これを小関さんが苦労しながらも、部品製作に成功した。

 この体験を小関さんが専門雑誌に寄稿した。

 これを知った大企業は犯人捜しに躍起となり、小関さんの会社をつきとめ、仲介業者はよびつけられ、こっぴどく叱責を受けた。大企業の大事な部品が、吹けば飛ぶような町工場で作られていることが知れ渡ることはメーカーの恥になるというからだ。

 その後、この騒動、設計開発部門から「あの町工場のおかげで試作がうまくいっているのに」とたしなめられ、再び仲介業者がよばれ言われる。
 「町工場の旋盤工を接待したい。そして、旋盤現場も見学させてほしい」と。

もちろん、そんな接待をどうしてうけられようかと小関さんはきっぱり断った。大企業と町工場の関係がよく表れているエピソードだ。

 それにしても、町工場の現実は青息吐息だ。世の中過労死が大問題になっているが、町工場は疲れるほど働きたいと仕事を渇望している。

 それにしても町工場の底力はすごい。
東京医科歯科大学から写真をみせられる。牛の心臓である。これを一回り小さくして、チタン500グラムの鋼材から、厚さ1ミリに切削して、人工心臓の形状のものを作ってほしいとの依頼がある。そんな複雑な形状のものは無理に思えるのだが、それを見事に作る。

 タイでは金型のことを「オータ」というらしい。これは町工場が集積している「太田」からきているそうだ。

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小関智弘   「働くことは生きること」(講談社現代新書)

 小関さんのいくつかのプロフィールを検索してみると「作家・ノンフィクション作家」紹介されている。しかし小関さんは、自らを「旋盤工、作家」であると誇りをもって紹介する。

 高校を卒業して、住んでいる界隈の大田区の町工場に工員として就職、それからプロの旋盤工として、大田区の町工場を渡り歩き、2002年70歳直前まで、旋盤工で働き、そこで工員を止める。

 その間、直木賞、芥川賞の候補にも選ばれている。そして、日本ノンフィクション賞をあの山際順司の「スローカーブをもう一度」と同時受賞をしている。一流の作家である。

 こんな力のある作家だから、しょっちゅう編集者に旋盤工はやめて、作家に専念すべきと迫られていた。しかし、小関は頑なに断り、最後までどちらも独立した仕事と宣言して、2つの職業を貫いた。

 それが良かったと思う。作家は2足のわらじを履いて作家を通常スタートする。そしてどこかで、続けてきた別の仕事をやめ、作家に専念する。

 それでも、別に趣味があったりして、他の多くの人たちと交流があれば、人間のあり様や社会の歪みなどをリアルに描けるが、他の人との交わりも、出版社の編集担当者だけとなると、過去の経験蓄積が枯渇すれば、突然作品の魅力が無くなる。

 小関は町工場の旋盤工。小さい工場のプロ職人として味わいのある生き方をし、職人独特の経験に裏打ちされた言葉を吐く。

 井田さんという、町工場のベテランの板金職人とであう。小関が言う。
「ワッパまわしはこたえますよねえ」
井田さんがいう。
「そりゃ、働くってことが楽なはずはないんだ。働くということは、まわりを楽にさせるということなんだよ。これはよぉく肝に銘じておくことだな。お前さんが働けば、それだけおふくろさんが楽になる。わたしなんぞは、女房子供のほかに年寄りもいるんだ。これだけまわりを楽にさせようってんだからね。働くってことは辛いことさ。」

 こんな言葉は、職人さんからしかでてこない。小関さんの作品にしばらくはまってみようと思っている。もっとたくさん、職人さんの言葉を聞きたい。

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水谷竹秀     「脱出老人」(小学館文庫)

 フィリピン移住に最後の人生をかけた日本人たちのジェットコースターのような人生をルポしたノンフィクション。

 水谷が開高健ノンフィクション賞を受賞した「日本を捨てた男たちフィリピンに生きる困窮老人」は迫力もあり、中身も深かったが、同じようなテーマを扱っている本作品は、出版社から要請されたのか、とにかく取材を行い、それをそのまま書こうとして、目的も不明で、受賞作品に比べると、内容が薄い印象が残った。

 「癒しを求めて」「極上のセカンドライフを楽しむ」「ゆったりと海外生活」
こんな誘い文句に歌われ。東京ビックサイトで毎年開催される「海外ロングステイフェア」は長蛇の列ができる参加者がやってきて、大盛況だそうだ。

 事実、著者水谷が行ったフェアでの入場者は9452人で1万人が目の前。

 以前はスペイン、オーストラリアに人気があったが、最近は近場のアジア、それも英語が通じて、日本からも近いということでフィリピンの人気が高くなっている。

 で、フィリピンが移住天国なのだろうかと思って読んでみたが、日本とそう変わらないのが実態だということがわかった。

 現在は、単身世帯数が、夫婦と子供の家族世帯数を超えた。孤独死は2012年東京で4472人あった。

 フィリピン移住のきっかけは、多くの場合、日本でフィリピンバーに通いつめ、そこで知り合ったフィリピン人女性と結婚して移住というのが多い。孤独な老後を送りたくないという欲求とともに、フィリピンに行く。そのため30歳、40歳年の差での夫婦というのは当たり前。フィリピン女性も夫に愛を感じるのはまれ。日本老人のお金に頼るための結婚。フィリピンに着くと、妻の一族が、老人にすべてのっかかってくる。こんなはずないと思って別れると無残にも放りだされる。

 うまいことやっているなと思ったのが。秋田県大館出身の夫妻。
大館は大雪の地。老人になって雪かき、屋根からの雪落としがたまらない。それで、雪の降る季節だけはフィリピンに移住。雪のない季節日本で生活する。

 なかなか興味ある生活スタイル。しかし、地方都市の高齢化の進捗は早い。そんな中老齢の人たちが雪かき作業をする。そのみんなが辛い作業をしているときだけ、移住してみんなに雪かき作業をしてもらい、雪の無いときに戻ってくる。ちょっとみんなから恨みを突き付けられないか心配になる。

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小関智弘   「働きながら書く人の文章教室」(岩波新書)

 旋盤工・作家である小関が、作家という職業に軸をやや移して綴ったエッセイ。
私が30代の頃、夢中になった作家がいた。鷺沢萌である。

 「少年たちの終わらない夜」「帰れぬ人々」から始まり、作品が出版されるたびに飛びつくように読んだ。彼女が35歳の若さで自殺したときには、茫然となり会社を休んでしまった。

 その鷺沢が初めて書いた作品が「川べりの道」だった。鷺沢がベストセラー作家になってからだが、突然小関のところに彼女から封書が届いた。実は「川べりの道」は小関の小説「羽田裏地図」に触発されて書いたと手紙に記されていた。

 思い出した。鷺沢も町工場の街大田区で生まれ育っていたことを。
山本周五郎も藤沢周平も、街の風景や、暮らしている人々を丁寧に書いた。麻布、新宿、赤坂とだけ書いて終わりの最近の小説とは違う。

 そして、鷺沢も小関も街を浮かび上がるように丁寧に書く。小関は、「川べりの道」を所収している、鷺沢の初の文庫「帰れぬ人々」の解説を鷺沢に頼まれ書いている。

 鷺沢は「川べりの道」を高校生の時に書いている。そして処女作にも拘わらず芥川賞候補作品となっている。

 2004年の話だが、文学雑誌「文学界」に全国から送られてくる同人雑誌の数が月140冊を超えた。おそらく今でも同じくらいの数が送られてきていると思われる。「文学界」だけでこの数である。全国では300以上の同人雑誌が創られているのではと想像できる、

 小関も1959年「塩分」という同人雑誌を4人ではじめる。途中途切れた期間もあったが今でも継続しているという。

 世の中には、散文であっても、小説であっても、発表したい、評価しあいたいという文学熱は本当に熱いものがある。

 岡山に「ゆず」という同人雑誌がある。そこに「ヴァンパイア・ラブ」という激しい性愛を描いた作品が載っている。芥川賞作家の金原ひとみの作品である。驚くことにこの作品を書いたときの金原は15歳だった。

 プロレタリア文学というのがある。これが私は嫌いだった。労働者の実態を書いているようだが、それは最終的には労働者対資本家の闘争に導くための描写だった。
 小関は、そういう覆いをとって、本当に働く人々とその街を描く作家である。

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朱野帰子    「わたし定時に帰ります」(新潮文庫)

 今、話題沸騰、ベストセラーのお仕事小説。

主人公の東山結衣は32歳、IT企業で、企業のウェブサイトやアプリをデザインしている。結衣がこのIT企業に就職したのは、社長の萩原が「長時間労働が当たり前のこの業界で、いち早く労働時間改善に取り組んでいること」を知ったから。

 だから、結衣は入社して10年、定時で帰ることをモットーとして実行している。
しかし、同じチームで働くメンバーからは、わがままといたって評判が悪い。特に同年齢の三谷は、結衣の態度を強烈に憎んでいて、わざと、就業終了時間間際に仕事を頼んできたり、

わけのわからないことで絡んできたりする。結衣が教育係をしている来栖は、仕事過多に耐え切れずしょっちゅう「会社を辞める」と愚痴をこぼしている。

 さらに、結衣の上司晃太朗は、結衣の元恋人。しかし結婚より仕事を選ぶと宣言し、別れてしまう。

 このチームのリーダーに晃太朗と前の会社の社長だった福永が、入社してつく。この福永がとんでもない「ブラック上司」。
 自らは何もしないのに、できもしない仕事を他社からとってきて、これを無理やり結衣のチームに担当させる。

 どうみても実現不可能なプロジェウト。これでも結衣はどうやって定時帰社を実行するのか。実行したらすごいと思って読んだら、結局石黒という有能な社員と一緒になって徹夜、24時間働き、クライアントの要求にこたえる。

 え?ちょっとそれはないんじゃない。まあ、一応社長に福永の横暴と働き方の改革を訴えてはいるが。

 お仕事小説としては、面白い。

少し弱いのは、定時に会社はでても、その後の生活、時間の使い方にあまり魅力が無いところ。そこを、もう少し練って充実の5時から生活を描いたらインパクトがもっとあったのに。

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芦沢央    「許されようとは思いません」(新潮文庫)

 恩田陸や伊集院静が絶賛しているミステリー作家芦沢の短編集。どの作品も、人間が事件を起こす心理を見事に描き、更にトリックも重層的で、味わい深い短編になっている。

 本のタイトルになっている「許されようとは思いません」も素晴らしかったが、やっぱり冒頭の「目撃者はいなかった」が素晴らしかった。

 主人公の修哉は、入社3年目だが、いつも営業成績は定位置の最下位。それが前月は真ん中あたり。最下位から上にあがって下から5位になった。奇跡である。部長の山岸からも、自分が3年目の時には、叩き出せなかった成績だと修哉を讃えた。

 修哉はうれしいのだが、どうしてもそんな手ごたえ実感が無い。もしやと思って伝票を見直す。最後から2番目「株式会社ハッピー・リフォーム受注テーブル材11客、単価35000円」

 驚く。注文は1客のみ。35万円も余分に注文をとっていることになっていた。

この伝票ミスが無ければ成績はいつもの定位置最下位。正直に話そう。しかし、部長には褒められるし、このミスがわかれば、周りから叱責、非難を浴びせられる。それで、どうしても正直に言えない。

 困り切った修哉。運送会社の社員に変装して、軽トラで自分の会社の倉庫に行き、11客のテーブル材を引き取り、自腹で385000円を渡し、ハッピー・リフォームに行き、1客を渡し、代金35000円をもらい、ハッピー・リフォームをでようとする。

 道路にでようとしたところで、ワゴン者に乗用車がぶつかり、ワゴン車が横転する。ハッピーリフォームの社員が飛び出てきて、修哉にけが人を助けて、警察の聴取に応じるよう言われるが、そんなことをすれば自分の不正行為がばれる。だから事故は無視して、自宅へ帰る。

 夕方小さな記事で事故のことが新聞に載る。そこで乗用車を運転していた隅田という男性が死亡したことがわかる。

 翌日、隅田の妻が修哉を会社に訪ねてくる。
「自分の夫が亡くなっている。警察はワゴン車の運転手の証言しか聞かない。ぜひ、警察に行って目撃したことを証言してほしい。」

 しかし、それはできない。断る。

翌早朝、警察が訪ねてくる。隅田の妻が、修哉が目撃者だと警察に言ったなと思い、聴取に応じる。
しかし警察は2日前の昼に近くのマンションで不審火があった。その時間何をしていたかと見当違いの質問。その時間は、テーブル材をハッピー・リフォームに届けた時間。それは言えない。だから、自分の部屋にいたと答える。

 すると警察は「おかしいですね。修哉さんがその時間マンションの前に立っていたという目撃者がいるんですが」と。

 思わずゾクっとする。

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鎌田慧  「鎌田慧の記録6 虚像の国」(岩波書店)

 針小棒大、誇張もあるだろうが、ほんとかよと思われる事実が紹介されている。この作品は90年代に出版されているから、今は少し違うかもしれないが・・・。

 トヨタの現場では、有給休暇の取得は3か月前に申請せねばならないそうだ。3か月単位に勤務予定表を作成するのである。ぎりぎりの人員で現場を回しているから、突然の休暇は困るのである。

 ある人が突然休暇を取らざるを得なくなった。彼は、朝、工場へ出勤する。そして、彼以外は全員出勤していること、そして彼が休んでも生産ラインに支障がでないことを確認して、自宅へ帰り休暇となる。

 同じように、突然休暇せざるを得なくなった別の人が、会社に休暇のお願いをする。休暇の理由を会社の人から根掘り葉掘り聞かれ、休まないように指示される。結果、長いやりとりになる。話をしているうちに、玄関に会社の車が止まり、生産現場に連れていかれた。

 また別の人。その人は、車体のショックアブソーバーを取り付ける仕事をしていた。その仕事に就いて8か月、「頸肩腕症候群」になり、3週間の安静治療が命じられたが、会社が許さず、作業後会社の車で通院、しかしついに動けなくなる。「急性硬直椎項筋痛」になる。

 軽作業に回してほしいと会社にお願いするが、認められない。
やっと医師が間に入り、新しい仕事に移った。フェンダーカバーを作る仕事の手伝いである。

その、職場は「号試場」と言われていた。この職場は病弱者のみ集めていて、会社の組織として正式に認められていない。
 だから、会社幹部が見回りにくると、逃げたり隠れたりして、見つからないようにする。
職場の忘年会や行事には呼ばれることはない。社内報も配布されない。

 鎌田がトヨタ高岡工場に季節工として働いていた前年、高岡工場では20人以上が自殺したそうだ。その年の6月には3人の自殺者がでた。

 その労働者が、今はロボットに切り替わってきた、どうしても、人間しかできない仕事だけが人間の現場として残る、すると、ロボットに囲まれて人間が一人だけ働いているグループがたくさんできる。

 そんなとき、その人が夜間現場で突然倒れる。しかし、ロボットには人間が大変なことになっているという認識ができない。その人は、倒れたまま息を引き取った。

 今や、AIということで、工場現場だけでなく、事務や営業サービス現場まで、AIによって仕事が行われることが実現一歩手前にまできた。
 職場で倒れても、救助してくれる人がいない。背筋が震える。

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石原莞爾   「最終戦争論」(中公文庫)

 戦前、大日本帝国軍の軍人であった石原莞爾が、昭和15年に京都で行った講演「人類の前史終わらんとす」を文章に起こし翌年出版された本である。

 大きな戦争は、その歴史的変遷をへて、究極は統一連合体が完成され、世界平和が最終的に構築される。現在はその過程にある。

 戦争はかっては、兵士対面式で、たとえ銃器があっても、簡単には終結せず、持久戦が主たる形態だった。
 しかし航空機が開発され、大量破壊兵器が登場することにより、短期決戦型に変化した。

そして、石原は今や(昭和15年)、戦争により世界は統一するところまできているという。

その盟主を争うのは、世界の4つのブロック。ヨーロッパ、東亜、アメリカ大陸、それにヨーロッパと他ブロックの緩衝地域の役割を果たすソ連。しかしヨーロッパは多くの国々の集合ではまとまらない。ソ連はスターリンの統制主義が内部崩壊して、盟主にはなりえない。

 従って最後の世界戦争は、東亜同盟対アメリカ大陸との決戦となる。その決戦に備えるために、満州事変を起こし、満州国を設立、更に日中戦争に突入した。

 石原は、また法華経、日蓮宗の信者。現在は日蓮宗でいうところの正法、像方、末法のうち、末法時代に入っており。1919年(大正8年)から48年後の、1967年までには世界が統一されると主張する。

 当然、当時の日本は自由主義ではなく、言論の自由は殆どなく、石原が言うところの統制主義。これに対しアメリカは自由主義。最終決戦は自由主義対統制主義で争われる。

 現在の世界覇権も自由主義と中国言論統制の統制主義との争いとなっている。そして、統制主義のほうが近年力を増進し、勢力も拡大している。アメリカも自国第一主義をおしつけ、世界締め付けにはいっている。それでもアメリカ国内は、自由は堅持されている。

 しかし、政権交代の無い中国のほうが統制がとれていて勢力は世界的には強くなっている。日本も、言論統制時代が再燃されないように、我々は頑張らねばならない。

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知念実希人    「時限病棟」(実業乃日本社文庫)

 ベストセラーになった「仮面病棟」に次いで、病棟シリーズ3作目。

  「リアル脱出ゲーム」というゲームがある。アニメの登場人物と協力して、絶体絶命の危機から脱出するゲームである。

 この物語は主人公の倉田梓をはじめ5人の男女が廃院に拉致され、クラウンからの謎の指示の謎を解いて、廃院から6時間以内に脱出せねばならない「リアル脱出ゲーム」の物語である。

 舞台になっている廃院は、違法腎臓移植を行っていて、それがばれてしまった、あの仮面病棟」と同じ田所医院である。

 拉致の前提となる事件がある。

 景葉医大外科医の芝本は、「リアル脱出ゲーム」の企画立案者として大学時代から有名。ここに注目した映画監督の狭間が、実写版の「リアル脱出ゲーム」を田所医院を舞台にして創ろうと芝本に声をかけ映画製作をしていた。この田所病院で、狭間が転落死をする。そして数日後、芝本が車で海へ飛び込み亡くなる。2つの事件とも、事故死または自殺として処理され事件にはならなかった。しかし、3流雑誌専門のジャーナリスト祖父江が、狭間の転落死は事故でなく、芝本が起こした殺人として、雑誌に書き、それが話題となった。

 拉致された5人のなかには、芝本の親族もいた。この5人に最後は祖父江まで加わり、芝本の死が自殺ではなく、殺人と断定し、6人の中の犯人を突き止めるという、「脱出ゲーム」が展開する。

 そして、芝本殺人の犯人が明らかになる。しかし、知念はさらに、その黒幕を暴露するという合わせ技を用意していた。

 田所病院は、違法腎移植を行っていた病院。そのための腎臓提供者患者を田所病院内の患者だけにとどまらず、ネットワークを拡大し集めていた。そこに群がった人物が黒幕。

 合わせ技はよくできている。しかし、内容は軽く、簡単に仕上げている。今後粗製乱造にならなければいいがと心配になる。

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石原慎太郎   「わが人生の時の会話」(幻冬舎文庫)

 弟石原裕次郎との「最期の会話」など。長い人生の中で邂逅した人々との会話を中心に39編の人生論的エッセイ集。

 石原慎太郎、裕次郎兄弟のお父さんは、汽船会社(山下新日本汽船)の幹部で、小樽支店長をしていたときに兄弟は生まれた。
 当時の汽船会社の支店長というのは社会的ステータスも高く、地方の支店長ともなれば名士として遇された。

 戦時中、街の灯りは消え、飲み食いどころは殆どが閉店していた。その中で東京会館のバーは細々ながら営業していた。

 お酒は、特に洋酒はまったく入ってこなかった。そんな時、石原兄弟のお父さんは、海外からのつてがあり、スコッチなどをバーに隠し持っていって渡していた。

 お父さんの流れで、慎太郎も戦後まもなくから、東京会館のバーに通うようになった。
親子2代、同じバータテンダーと付き合った。

 ある日、慎太郎がバーに行くと、父親の話題になった。

 その日、バーは内装を模様替えしていて、開店時間が遅れた。石原の父親は、バーの前で店が開くのを待っていた。

 模様替えが終了し、バーテンダーが扉をあけ、父親をバーの中に招き入れようとしたとき、父親が足元の白い布に足がひっかかり転びそうになる。バーテンダーが駆け寄ると、布は越中ふんどし。ふんどしの紐がほどけて、ズボンの中をつたって落ち、裾からとびでて、それに引っかかったのである。

 父親は、全くきにせず、ふんどしをバーの玄関に捨てたままで、バーにはいりお酒を飲みだした。

 そのころは、洋装をしていても、パンツではなくふんどしの人が多かった。
さすが、プライドを重んじる石原のお父さん。堂々としている。

 慎太郎は書く。
「ふるちんで飲むカクテルの味はどんなだったろう。」と。

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よしもとばなな   「小さな幸せ46こ」(中公文庫)

 よしもとばななはどんな小さな出来事でも、感受性が強く、右に左に少し揺動する。しかし、最後は前向きにびしっとどうするかを決める。

 揺動は決して難しい言葉は使わず、短い文章で、畳み込むように描写する。そこが、ぐっときてたまらない。

 よしもとさんがメダカを飼っている。まだ1mmくらいの赤子もいる。知識がなかったので親メダカと一緒に飼っていたら、ある日気が付くと大人のメダカが全部子供を食べてしまっている。

 それで、また赤子のメダカを仕入れて、今度は別々の水甕で飼う。
1mmくらいのメダカだが、元気に泳ぎ毎日大きくなっているのが観察しているとわかる。

 少し大きくなったなと思ったところで、大人のメダカを同じ甕に放つ。最初は食べようとするが、じゃれるだけで、子供メダカとは離れて、大人も子供も懸命に休むことなく泳ぐ。

 人間は長い人生のスパンで今は何をすべきかと考えそれでバランスを取ろうとする。
メダカは犬や猫のようなペットと違い、媚びたり、抱かれたりしない。人間のように長く生きることはない。だから、精いっぱい今を頑張って生きようとしている。そんなけなげなメダカによしもとさんは感動する。

 よしもとさんの隣家に幸一杯の5人家族の家がある。一人息子さんは、結婚しているが近くに住み、夫婦一緒にしょっちゅう実家にやってくる。娘さん2人は家庭の雰囲気がいいのかなかなか結婚しない。

 年老いたご両親。お母さんが少し認知症を患っている。まだら模様の過去の話を娘さんが懸命に聞いている。お母さんが、ごはんをこぼしたり、お椀をひっくりかえしたりする。そのたび、娘さんが、「いいのよ」と優しく声をかけ、きれいに片付けてあげる。

 食事が済むと、お父さんが優しく言う。
「来週が彼女の誕生日なんです。そして2か月後に私の誕生日が来ます。その2か月間歳が一緒なんです。2か月間がとても幸せです。」と。

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筒井康隆    「残像に口紅を」(中公文庫)

 作品は、主人公で作家の佐治が友人の評論家の津田に言われて、音読み、訓読みのうち、音読みが世の中から一音ずつ減っていき、減る都度、物語を紡ぎ、最後まで完成できるか挑戦する作品である。

 この際、何点かのルールがある。「ず」が無くなれば、同じ音読みの「づ:も無くなる。あるいは「お」が無くなれば「う」で音読みする「そうじ」「行こう」にある「う」を使う言葉も無くなる。

 減る音は、津田が決めるが、使う頻度の少ない音から指定される。と言って最初から「あ」が無くなる。

 「あ」が無くなると結構辛い。普段口にしている「ありがとう」が言えない。「感謝します。」のような、かなり重く違和感が残る表現になる。また、「8時にあいましょう」と言えなくなる。それで「8時に邂逅しましょう」とすごい表現になる。

 夫に普段声をかけるとき「あなた」と口癖のように言うが、これができないから「もしもし」と声をかける。

 「三十二」が使えなくて「四を四倍してそれを二倍したひとたち」なんて苦しい表現になる。

 半分以上の音が減ったときに、津田が残った音を使って、ラブシーンを描けといい、佐治が好きだった女性を紹介する。

 筒井は、もともとラブシーンを描くのが上手くない。それでも、少ない音の言葉を使い、筒井なりに頑張った描写になっている。「ちぶさ」が使えないので「丘」や「お椀」になっているところは苦しい。

 それでも、筒井はさすが。半分以上音がつかえなくなっても、殆ど違和感なく読むことができる文章を紡いでいる。言葉の神さまである。

 そして、最後まで挑戦。最後の一文字「ん。」で物語は終わる。
人を食ったような変種のSFである。

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| 古本読書日記 | 05:57 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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若竹七海   「御子柴くんと遠距離バディ」(中公文庫)

 若き刑事御子柴君短編シリーズ第2弾。青春刑事物語ということで、文章は軽やかでユーモア満載なのだが、中身は、殺人がどの短編でもあり、仕掛けも2重、3重の物語が多く、

読み応えのある作品集になっている。

 先日我が家に、ある廻る寿司屋チェーンで最近まで店長をしていたご夫妻が来られて、夕食を一緒に楽しんだ。

 その店長の仕事がものすごい、店舗で社員は店長も含めてたった2人。バイトは80人を抱える。もちろんシフトやバイトの出勤日もあるから、常時80人いるわけではない。店長は、365日殆ど出勤。数日しか年間休暇は無い。

 朝九時半に出勤、そこから店が閉まる23時まで働き、そしてバイトと一緒に店の掃除後片付けを一時間する。

 その後、明日の材料注文を地域本部にする、そして、内容はわからないのだが、毎日本部に大量の報告書を作成して送る。店をでるのは朝午前3時。家に朝4時に帰り、ひと眠りして8時に起き、朝食をとり出勤する。

 奥さんとは職場結婚。新婚旅行など論外。奥さんと旅行したことは、最近やっとした信州一泊旅行が初めて。これで年収は400万円。子どももいて大変な暮らし。

 この物語も、カフェ ダイニングのチェーン店の店長の物語。寿司チェーンの店長と労働環境は同じだ。入社時研修で一緒だった2人が、職場環境を頑張って変えようと誓い合う。その一人が再研修という収容所のような人間改造所に送られる。そして再教育研修に耐えられず自殺をする。

 それを知ったもう一人は、自分も同じ道を歩まざるを得ないと思い、暗澹となる。そして同じように収容所にいれられ、そこで亡くなる。

 警察は自殺として処理するが、彼の両親は納得できず、警察に執拗に殺人と訴えるが、一旦結論がでると、全く動かない。

 それで、チェーン店の幹部に刃は向かう。

しかし、こういうブラック企業では、摩擦、矛盾に対応するために、警察OBの天下りを受け入れている。そんな実態を重ね合わせて、短編集にも拘わらず、物語が出来上がっている。

 物語の構築力に感心する。

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| 古本読書日記 | 06:00 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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戸部良一他   「失敗の本質 日本軍の組織的研究」(中公文庫)

 この作品は、歴史学者や組織論など6人の権威ある知識人による、日本軍の失敗について分析、主張を紹介している。

 1984年出版の本なのだが、現在でも売れ続け、70万部を超すベストセラーになっている。
それは、ビジネスマンや企業経営者が組織運営のあるべき姿や、大震災を通しての貧弱な対応を目の当たりにして組織はどうあるべきか多くの人たち、学びたくて手に取っているからだ。

 私は、すでにビジネス現場から離れているので、あまり感じ入るものは無かったが、印象に残った点がそれでも2点あった。

 インパール作戦というのがあった。これは、征服したビルマ(ミャンマー)からインドに侵攻してビルマとの国境都市インパールを手にいれ、その後インドへ侵攻しようとする作戦である。

 当時、日本はアメリカとの戦闘により、最前線基地ガダルカナルを失い、戦況が暗転した時で、反転攻勢にでる突破戦が欲しかった。

 この作戦は、現地軍司令官であった牟田口中将より起案された。しかし、ビルマからインパールまでは、アラカン山系が控え、さらにジャングルで、道も険しく、兵站も造れないということで、どこからみても無謀としか思えず、反対する意見が多数を占めた。

 牟田口中将は、無謀とも思えるこの作戦をなぜ実行しようとしたのか。

 牟田口は盧溝橋事件のきっかけを作っていた。この事件をきっかけに支那事変が起こり大東和戦争まで拡大した。今、自分の力でインド侵攻を果たし、大東和戦争勝利に決定的な影響を及ぼせれば、国家に対し申し開きができる。だから、何があってもこの作戦は実施せねばならないと思っていた。

 みんなが反対していたのだが、盧溝橋事件のとき、牟田口の上司だった河辺方面軍司令官が、牟田口の顔をたててやってくれの一言でこの無謀な作戦は実行された、

 更に驚くことに、ビルマかたインドまでの、兵站、食料などの補給は不可能という意見に
牟田口は、不必要。3週間耐えればインパール征服ができる。征服しさえすれば、生活に必要なものは手にはいると。

 似たような話は今でも日本企業ではありそうだ。

 大戦で、日本敗北が決まったのが、フィリピンでのレイテ作戦失敗である。海外での最後の砦である、フィリピン占領死守のために、陸海軍の戦力の8割を投入してアメリカ再奪取阻止のために戦う。ここで敗戦すれば、アメリカは沖縄をはじめとして日本本土に侵入してくる。

 しかし、8割の戦力を投入しても日本は敗れる。特に海軍は壊滅的打撃を受け、もはや戦闘不可能な状態になった。

 軍部は、ここにおいて、日本は敗戦するという認識に至った。

 ここで、どうして戦争は止められなかったのか。この後、沖縄、東京大空襲、広島、長崎など全国で大量の犠牲者が発生した。戦闘戦略も無謀だったが、敗戦タイミングもひどかった。

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| 古本読書日記 | 06:03 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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松岡圭祐    「高校事変」(角川文庫)

 矢崎総理が武蔵小杉高校を訪問、見学している最中、武蔵小杉高校が100人を超えるテロ集団に襲われ、集団が総理をはじめ、高校の教師、生徒を人質にして、立てこもる。この襲撃で、生徒や教師などたくさんの犠牲者がでる。

 手のうちようの無い状況のなか、2年生の優莉結衣がテロ集団にたった一人で立ち向かい、最後にテロ集団から、人質たちを解放するという物語。この優莉の父親は半グレ集団のリーダーをしていて、たくさんの殺人事件を起こし、死刑となりすでに処刑されている。

 テロ集団に立ち向かい、ハラハラドキドキの危ない場面をぎりぎりのところで、かいくぐる。その方法、科学的な知見を使うところは感心する。

 しかし、なかなか気分がのってこない。
どうして、こんな大げさなテロを起こしてしまったのか、そこがぼやけていて納得感が無いからである。

 その背景が、終末近くなり明らかになる。

 柚木国務大臣が、矢崎総理の失墜をもくろんで、高校人質事件を引き起こしたのだ。
総理代行を行う柚木国務大臣が人質現場に入り(これが何の妨害もない)矢崎総理と話をする。

 実は、柚木大臣は、事件解決のための閣僚会議で、事件の一週間前矢崎総理が、この事件が起きることを知っていて、そうなってもひるむことなく強行突破をしろと大臣に指示している録音CDを閣僚に聞かせる。

 更に、大臣は矢崎総理に会ったとき、目の前で、テロリストの罪をいっさい問わないという法務大臣あての指揮権発動書にサインをするよう殺されることがわかっている総理に迫る。

 だから強行突破をして、犠牲者が多くでて、テロリストを無罪放免しても、その責任は矢崎総理にある。そして、そのことを確信していた秘書官の星野が言う。

「慰安婦と称された女子生徒らが性的被害にあったとなれば、総理は世界から非難を浴びます。人質自己責任論も、総理自ら人質になったことで、無責任な発言とみなされます。また武装勢力に狙われているのを自覚しながら、有事には武力行使しかないと意志表示をしたため、外交による拉致問題解決能力も疑われます。さらに武力で高校奪還もできなかったため、憲法改正議論も後退します。領土問題解決もできません。」

それを受けて柚木が言う。
 「あなたは国の権威を失墜させた。消費税も10%へアップ。出入国管理の改正。私は全部ひっくりかえし、圧倒的に国民から支持を受けます。」

 すごい黒幕。実は録音CDは、過去の膨大な矢崎がしゃべった録音CDから言葉を拾いあつめ柚木が作成したものだった。

 総理を追い落とすため」そこまでするかなあとは思ったが、ある納得感は持った。このシリーズ2作目が用意されつつあるそうだ。

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| 古本読書日記 | 06:14 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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