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2019年04月 | ARCHIVE-SELECT | 2019年06月

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中島京子   「彼女に関する十二章」(中公文庫)

 主人公の宇藤聖子は50歳。息子の勉も一人立ちし、今は夫と2人暮らしで、税理士事務所にパートで働いている。女性としての印もなくなる「閉経」も迎えている。

 そんな時、たまたま、昭和28年に出版された伊藤整の大ベストセラー「女性に関する12章」に出会う。この本により当時世の中で「~に関する12章」という言い回しが大流行した。

 この小説は、伊藤整の「女性に関する12章」をたどりながら、主人公の「宇藤に関する12章」を現在、それから50歳なるまでの過程を照らし合わせた、物語になっている。

 伊藤の12章では、最初に目の前に現れる異性には憧れは抱いても愛情は持てない。しかし、それから出会う異性たちは、最初に出会った異性の記憶の上に積み重なってゆくと書かれている。

 幼稚園や小学生の時初恋を経験したというが、それは恋ではない。しかし、その時の異性がその後の選ぶ異性を決める。

 私は老人の域に達した人間だから、伊藤の主張に全面賛成だが、今は、幼年でも恋は生まれているだろうとは思う。

 昭和28年当時で、いくら愛し合って結婚して、生涯この人と添い遂げると思っても、男性は他の女性を必ず求めるものという伊藤の主張に世の女性陣はショックを受けたそうだ。

 それは伊藤のいう「男には可能な限り至る所に子孫を残そうとする健康的本能」があるからだ。

チンパンジーはその典型で、一匹のオスが十匹以上のメスが関係する。子孫を残すためには、一匹のメスに対し一回の交渉で大量の精子を送り込まねばならない。それでチンパンジーの睾丸はどでかい。

 それとは逆にゴリラの場合は、一匹のメスに複数のオスが群れる。だから、この場合オスの睾丸は小さい。

 人間は、チンパンジーとゴリラの中間に睾丸の大きさは位置する。ということは、男も女も自由に、交渉相手を変えられるということだ。

 伊藤の主張を現在に引き写せば、こんな結論になると物語では語られる。

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丸谷才一   「袖のボタン」(朝日文庫)

 丸谷才一のエッセイには、普通のエッセイにみられるような、身辺雑事や家族、あるいは自分の行動、夜の交遊など、読者に媚びるようなエッセイは全くない。薄汚い生活臭の披露などきっぱりと手を切っている。それでいて、読者をひきつけてやまない。

 とにかく博識なのである。しかもそれは雑学ではなく、西洋文学、日本文学、文化人類学の3つの基盤から成り立っている。

 もちろん、丸谷才一といえども、知らないことは多々ある。すると、彼は手元に辞典をおいて即調べる。その辞典がまた色んな種類の辞典だらけ。とにかく知らないことを知っているかのようにひけらかさない。

 このエッセイでも、日本語がタミル語に根ざしているのではということで、その事例をオックスフォード版「ドラヴィダ語語源辞典」をめくり紡ぎ出す。詩人釋迢空の迢空の意味は何だろうと「諸橋大漢和」をひもとく。

 戦後、「プロだから」という言葉が流行したそうだ。ある技術、能力に秀でている人それをプロの人として尊敬するようになった。

 そして特に野球を含め、スポーツ界では、今はプレイヤーとかアスリートなどというようになってきたが、やはり選ばれた人ということで「選手」という呼称が一般的になった。

 今は何でも数値化して、変化や状況を説明するようになった。
この数値化というのは、西洋で生まれ、野球を通じて、日本にはいってきた。
打率、打点、勝率、防御率。それから、ストライクゾーンを九つに分け、投手の球筋、球種のくせを統計化して戦略をたてたりする。

 丸谷さんは、数値化文化は野球が元となっているとこのエッセイ集で主張する。

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阿部昭    「天使が見たもの 少年小景集」(中公文庫)

 少年は、学校をでて、いつものようにあちこち道草をして、暗くなってから家に向かう。母親は近くのスーパーでパートで働いている。母親のいない家に帰り、一人でいるのがいやなのである。

 その日、いつもなら、家の外にでて彼を待っている母親の姿が無い。しかも、家は灯りがついていない。鍵のかかっているはずのドアが閉まっていない。灯りをつける。こたつに入りうずくまっている母親の姿がそこにあった。母親は勤めに行かず、朝からこたつにはいったままだったのだ。その母親をよくみると、口からたくさんの血をはいっている。目は見開いたまま、手足は固まっている。母親は死んでいた。

 母親は息子に、いつか父親を捜してあげると言っていた。一緒に街を歩きながら、通り過ぎる男の人を指さし、どの人がいい?と息子に聞く。だから、息子は、あの人、この人が父親になってくれたらといつも想像していた。息子は父親というものは、子供が生まれた後、母親が探して見つけてくれるものだと思っていた。

 母親はスーパーに働きにでてから生活が乱れだした。母親はそのころにはめずらしく大学を卒業していた。スーパーのパートの人たちは殆ど中卒のひとばかりだった。大卒といったって、仕事現場はきびきび動き、正確な能力が求められ、母親はそれができず、完全に無視され、その仕事のひどさをパート仲間から上司に訴えられていた。いつ、馘首されても仕方がない状態におかれていた。

 母親は、心臓に病気を持っていた。ときどき発作をおこし、その都度アルコールは厳禁と医者から言われていたが、やめられずアルコールを浴びるように飲んだ。

 疲れ切って、やぶれかぶれな母親に、息子は「自分が新聞配達をして、家をささえる父親になってあげる」と母親に言っていた。

 母親がこたつで死んでいたのを発見した息子は、母の勤めているスーパーにゆき、ビルをよじのぼり、屋上から地面にむかって身を投げた。

 少年の手には、紙きれが握られていた。その紙には、ここに連れてかえってほしいとアパートの家までの地図が、スーパーからやく250mと正確に書かれていた。「約」を「やく」としているところが、生々しい。

 この物語は実際の事件をもとに書かれている。実際、母親の死因も自殺だった。
阿部昭が私は大好きだった。異常な挿話や、過度な悲劇的表現もなく、物語をありのままに淡々と紡ぐ。

 しかし、その静謐な文章のどの場面も、ぐっと心に入り込んでくる。

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原田マハ    「ロマンシエ」(小学館文庫)

 ロマンシエとはフランス語で小説家のこと。
原田さんはある対談集でこの作品について語っている。

 キュレイターの仕事でパリに長期滞在していたとき、歴史のあるリトグラフ工房idemに出会う。

 idemは100年以上も前からリトグラフを作成している。ロートレック、ピカソ、シャガールから始まって、サヴィニャック、デヴィッド・リンチ、ジャン=ミッシェル・アルベロラ、ウィリアム・ケントリッジなど錚々たる芸術家のリトグラフを作り出してきている世界最高峰のリトグラフ工房である。そして、制作には100年前に使われていた機械が現在も稼働している。

 そのidemを原田さんが訪れ古い素朴な機械と職人たちにであい、原田さんはこの工房を舞台にして小説を書こうと思いつく。そしてオーナーのパトリスに話を持っていたところ、了解するどころか、小説を執筆するための部屋まで貸してくれた。

 小説の最後に東京ステーションギャラリーで「パリidem工房作品展覧会」が開催される。この展覧会開催のために、場所選びから、作品の選択、作品の包装から輸送、据え付けまですべて行ったのがなんと原田マハ自身。

 その経験が物語としての下地になっている。だから、主要な登場人物以外は実在の人物や場所がそのまま登場している。

 原田さんは、idem工房を訪れた時、物語の最後の文章が浮かび、物語はその言葉に向かってひた走る。
 「大事なのは、自分にすなおになること。自分の気持ち自由にすること。好きだ!と叫びたいなら叫ぶこと」「そして君が叫んでいるその場所。決して世界の端っこなんかじゃない。」

 そして最後の感動的な言葉が記される。
 「君が叫んだその場所こそが、ほんとの世界の真ん中なのだ。」

この作品は、かって大ベストセラー作品となった片山恭一の「世界の中心で、愛を叫ぶ」を彷彿とさせる。

 しかし、片山の作品では、愛を叫ぶために世界の中心とされている宇和島まで行かねばならない。しかし、原田さんの作品は、自由で人生を突っ走り、そこで愛を叫ぶ、その場所こそが世界の中心。世界の中心は、懸命に生きる人とともにそれぞれで存在している。

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石井好子   「パリ仕込みのお料理ノート」(文春文庫)

 ジョセフィン・ベーカーはスペイン人の父と黒人の母から生まれた混血児だった。石井さんが戦後まもない昭和25年、アメリカ、フランスに渡航したころ、ジャズからシャンソンまでを歌う大歌手となっていて「カジノ・ド・パリ」や「フォリ・ベルジュール」の大舞台にたち、“琥珀色の女王”とか “黒い真珠”と呼ばれていた。

 ジョセフィン・ベーカーはフランスの小さな村にあるお城ミランド城を購入。貸別荘や3階をホテルにして運営していた。そこには、戦災孤児となった、海外の子供たちを収容していた。

 ジョセフィンが日本に行き、講演をしたいと申し出た。ところがジョセフィンは、報酬も旅費も一切不要という。私が役立つようだったらどこにでも行くから。私を好きなように使ってほしいと申し出た。

 もちろん大きなコンサート会場でも公演をしたが、小さな養護施設でも歌声を披露。全国を駆け回った。

 但し、公演には一つの条件がついた。日本の孤児を養子としてミランダ城に連れて行けること。20人が暮らす養護施設にゆき、そこで2人の孤児を養子にしてフランスに連れて帰った。

 昭和10年2月のこと、ジョセフィンはニューヨークの舞台に呼ばれ、アメリカに渡る。タクシーに乗ろうとすると運転手が褐色のジョセフィンを見て、こんな女を乗せたくないという。そこをつきそいの日本女性沢田さんが無理にお願いしてタクシーの了解をもらう。

 ホテルに着く。空き室は無いとことわられる。それが11ホテルも続く。中には空き室ありとの看板を掛けているのに、たった今満室になってしまったと断るホテルもあった。

 仕方なく、沢田さんは自分のアパートに連れて行きジョセフィンを泊める。

  ジョセフィンは最大の屈辱に耐えながら、懸命に練習をして、白人歌手をしのぐシャンソンを披露。万来の拍手を浴びる。

 そしてフィナーレ。出演者全員が舞台にあがる。その時ある白人歌手がジョセフィンに命令する。
 「君はホテルに帰れ。フィナーレは我々白人だけでするから。」
とっさにジョセフィンは、舞台中央にかけあがり、大声で叫ぶ。
 「あなたたちのその白い皮膚の下には黒い心がある。そして私の黒い皮膚の下には真っ白な心がある。」

 ジョセフィンを支えていた沢田さんが言う。
「そのときほど美しい、すばらしいジョセフィンを私はみたことがない。」と。

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知念実希人    「仮面病棟」(実業乃日本社文庫)

 物語の舞台となる田所病院は療養型病院である。

療養型病院とは身寄りのない一人暮らしの老人やホームレスの人たちが病気になり収容されたり、介護が家庭でできなくなり、収容された人が最後死ぬまで面倒をみる病院である。治療費が負担できないホームレスのような人たちの治療費は公費となる。そんなわけで、不必要な治療をしたようにして、役所に水増し請求をし、公費を詐取する病院も少なくないと巷間言われている。

 こういう病院は、内科的治療が基本で、外科的処方は一切行わない。必要が生じれば、総合病院に患者を移送する。

 しかし、田所病院には手術室がある。それも隣り合わせで2つある。田所が手術をするのである。
手術は必ず2つの手術室で同時に行われる。ということは2人患者が必ずいることになる。そのことは、医院長の田所と2人の看護師しかしらない。患者は秘密のルートで手術室に運ばれる。

 慢性的腎疾患患者がいる。患者は週3回の人工透析を死ぬまで続けなければならない。しかし結局は合併症も引き起こし死にいたることが多い。

 これを克服する治療法は腎臓移植しかない。しかし、実情は移植を待っている人の数に対し、ドナーの数はわずかしかいない。しかも移植には腎臓の適合が条件になるし、摘出した腎臓を素早く移植することが求められる。

 田所は、亡くなっても全く世間から関心のない人々を集め、彼らから腎臓を摘出、腎臓移植を必要とする患者に移植することを実行する。

 ホームレスや死だけを待つ社会で不要となっている入院患者は常に満杯の65人。これだけいれば、患者に適合する腎臓所有者は必ず存在する。

 移植は裏ビジネスとして法外が手術費を請求し、大きな収入がある。
移植は、腎臓を摘出する医師と、移植を行う医師と2人で行われる。

物語は当直で総合病院より主人公の速水が派遣されてきた日、この病院で若い女性拉致監禁事件が発生することから始まる。

 そして、色んな事件が起き、田所病院の裏ビジネスが明らかにされ、思わぬ事件の真相がわかる。その過程にスリルがあり、展開も大きく面白い。

 知念は発想の奥行、幅が深く広く展開も早くスピーディだ。ただ、能力なのか、無理をしているのか発想のすばらしさに比し、文章が薄く軽い。そのため、人物がしっかり描かれていない。だから、もう一つ魅力にかける。

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安部譲二    「つぶての歌吉」(朝日文庫)

 安部は、西部劇映画の大ファンだったのだろう。サンフランシスコの港で上陸した主人公の歌吉が目指す1600kmも離れたサンタフェ。これは映画「サンタフェへの道」を彷彿とさせるし、サンタフェから北部アメリカまでのワイオミングを通る道は「シェーン」を思い起こさせる。また最後に歌吉と探し求めたフランソワーズと出会うべき場所トゥームストーンの町はジョンフォードの名画「荒野の決闘」の舞台になった町。歌吉は途中アメリカの第七騎兵隊に加わりスウ族と戦うが、この騎兵隊は映画で有名なカスター将軍が率いている。

 こんな西部劇の中に、まだ江戸幕府時代の若者を投入させたら面白い小説になると、ワクワクしながら安部は作品を創りあげたと思う。しかも、その日本人はヤクザに属する、入れ墨入りの侠客。

 主人公の侠客つぶての歌吉は、乗っていた船が難破して、太平洋を漂流していたところをアメリカの船に救助される。

 事務長のアンリが、けん銃を手入れしていた時、銃が暴発。瀕死状態になる。船長に呼ばれ歌吉はアンリのところへ行くと、アンリより「サンタフェにいる娘にこれを届けてほしい」とガラス玉(実際はダイヤモンド)を渡される。その娘フランソワーの行方を追って、西部開拓の真っ只中のアメリカを駆け回る。

 発想は面白いのだが、中味は安部の自己満足に終わっている。

まず歌吉が生きていない。当然、言語、文化、慣習に彼我の差があり、それにより摩擦や混乱が起きるはずなのだが、江戸時代歌吉が当時のアメリカに溶け込み、全く摩擦や混乱が描かれない。別にわざわざ江戸時代の日本人にしなくても、普通の米国青年でも良い物語になっている

 西部独特の、小さな町の居酒屋情景が通り一遍でしか描かれず、戦闘場面が別にアメリカ西部が舞台でなくても通用する。

 西部劇大好きの安部の気持ちだけが空回りしている。
 アイデア倒れの作品になってしまっている。

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知念実希人    「リアルフェイス」(実業乃日本社文庫)

 美容形成外科医の天才が2人いる。柊貫之と神楽誠一郎。柊が神楽の師匠である。
2人は、形成外科の天才は、美容を超越し、芸術家であると信じている。
彼らの行う療法は、形成といい、一般の整形外科とは全く異なる。

天才の特徴は2つ。

一つは、どんな顔または身体の特徴も、別の人間に変えてしまう。
もう一つは、芸術家として、完成した人間のデスマスクをとり、作品として、残し保管する。
ということは、天才は必ず形成しなおした人間を殺害する。

 だから、形成をやめればいいのだが、麻薬患者のように、ある時間が経つと、どうしてもまた完璧な形成処置をしたくなり、それを抑えることができない。

 神楽はそれにより、無差別殺人をおこし、4人の女性を殺害する。そして指名手配される前に、タイに逃れる。
 その神楽を追うようにして柊がタイに行く。

 タイで柊が神楽を柊に作り替え、偽装パスポートを使い日本に再入国させ、柊の名前で形成外科医院を始める。形成外科は自由診療で保険がきかないし、形成代金も定まった単価は無い
形成外科を依頼する人間は、富豪の関係者が多く、手術費に糸目をつけない。

 大企業二階堂グループの総帥が癌にかかり、余命数か月となる。どうしても死ぬ前に、苦労を掛けた先妻幸子に会いたいと熱望する。それで、再婚した40歳近くも年の離れた莉奈を幸子に変えてほしいと柊に依頼する。その料金は3千万円。

 ある日柊の別荘で爆発が起きる。柊を除いて、柊が施術したクライアントが全員死亡する。柊も誰かに頭をたたかれ骨折し、意識不明となる。
 柊が意識を回復。そして、驚く。自分の顔が、連続殺人犯の神楽になっている。
警察によると、柊の別荘に神楽が現れ、別荘を爆発させたということになっている。

 別人を完璧に作ることができるということが、作家知念の想像を広く、大きく膨らませている。

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佐高信     「原発文化人50人斬り」(光文社知恵の森文庫)

 3年前、自治会長をいていた時、中部電力の火力発電所見学に連れていかれた。しかし、発電所での中部電力の説明は、太陽光などの再生可能エネルギーの不安定な発電能力や、火力発電のCO2など地球環境破壊の物質の拡散を説明して、いかに原子力発電が有用な方法なのか、その安全確保にいかに中部電力が懸命に取り組んでいるかの説明に終始した。

 正直、この見学旅行のすべての費用は中部電力が負担したのではと思った。

佐高信の本は、実体を追求せず、風評だけで決めつける傾向があるから、十分注意せねばならないと思うが、しかし中部電力の姿勢をみていると、原子力発電再開あるいは、既存の原子力発電所の設置には、想像を超えるお金がばらまかれたのではと思われた。

 数千万円のお金が、設置場所の個々の地権者に支払われた。さらに、政治家、原発推進派の科学者、それに文化人、タレントに糸目をつけないお金が流れた。

 数千万円が目の前に積まれれば、それを拒否できる人は少ない。原発は札束で関係者を引っ叩くことによって作られてきた。

 この本で取り上げられている、中国電力上関原発立地に反対する「上関原発音頭」は胸の奥までズシンと鳴り響く。

 町長選挙で50万
 旅行に誘うて1万円
 チラシを配って5千円
 名前を貸すだけ1万円
 印鑑集めりゃ金と酒
 ちょいと顔だしゃ寿司弁当
 金が欲しけりゃ中電さ
 これじゃ働く者がバカ
 原発推進ヨヨイガ ホイ
そして2番が、ずしんと堪える。
 人間滅びて町があり
 魚が死んで海があり
 それでも原発欲しいなら
 東京 京都 大阪と
 オエライさんの住む町に
 原発どんどん建てりゃいい

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網野善彦   「日本の歴史をよみなおす(全)」(ちくま学芸文庫)

 ポルトガルの宣教師ルイス フロイスは18世紀半ばに日本にやってきて35年間日本に滞在する。その間に「日欧文化比較」という本を著す。

 この本の第二章「女性の風貌、風習について」で日本の女性について記述する。
その内容が、にわかに信じられず大嘘ではないかという記述が多くある。

「日本の女性は処女であることを重んじない。それを欠いても名誉は失わず、結婚に全く支障はない、」「西洋においては財産は夫婦共有なのだが、日本では夫婦別々の所有となる。時には妻が夫に金を貸して、利息もとる。」「日本では離縁は不名誉にはならず、普通のように行われる。そして再婚もできる。そして妻が夫に離縁を要求することもしばしば。」「女性同士で出歩いたり、旅にもでる。」「日本では堕胎は普通に行われる。子どもを産んで育てられないときは首に足をおいて窒息死させる。」

 とんでもない偏見だと瞬間思うが、じっくり調査をすると、これが事実となって浮かび上がってくる。

 日本では夜這いが昭和30年ころまで普通のこととして行われている。中味はわからないが、昭和30年に夜這いによる事件が起き、警察の取り締まりが強化されこの風習がなくなる。

 お祭りや仏教の行事法会のとき、神社仏閣にお籠り。男女雑魚寝をして、神や仏の前でセックスを楽しむ。だから、どんどん子供ができる。子どもは7歳までは神の子。ということはまだ人間ではないからと生まれた子を殺す。

 明治維新直後、明治の初めは離婚率が極端に高くなっている。江戸時代に統計はないが、当然離縁は高かったと想像される。離縁状は法律により男が作成するが、かなりの量が妻に要請され書かされたものが多い。

 本来、唐より中国の法律、風習が日本に移入される前は、女性の社会での活躍は一般的なことだった。女系天皇も生まれた。しかし、中国が完全家父長制度で男系社会のため女性の地位や活躍が縮小されてゆく。それでも、南北朝時代までは、名主には多くの女性がみられ、行商、特に魚屋は女性が多数を占めていた。しかし、理由は定かでは無いが、南北朝時代後は、ほとんど社会での女性が活躍する場が無くなった。

 もし、中国の制度、文化を強制導入しなかったら、日本は世界で最も女性が活躍する国になっていたかもしれない。

 余談だが、中国制度が導入されるまで、日本では氏制度はなく名前だけが付けられていた。
中国から氏制度がはいり苗字をつけるようになった。この苗字は、天皇より賜るものだった。
だから天皇には苗字が無い。

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司馬遼太郎    「春灯雑記」(朝日文庫).

 日本、世界の歴史を基盤にして、現在日本が直面する問題の克服方法や将来の在り方を中心に書かれたエッセイ集。

 文明というのは、国境を越え、征服という形で広がり、そして根付く。7世紀世界では2つの大文明があった。一つはローマ文明。ローマ帝国は征服という形で、ヨーロッパの殆どを配下に収めた。そのローマ文明が、西洋文明の基盤となり今でもその根底をなす。

 もうひとつは中華文明。中国は、広大な土地に多くの民族が群雄割拠していたが、三国時代、南北朝時代を経由して、隋、唐に統一された。

 日本は他国から、猿真似国と今でも言われている。隋、唐時代、手をこまねいていると、他の国々のように中国に征服される。それで、日本は国家作りのため中国を取り入れようとして、中国に日本人を派遣する。遣隋使、遣唐使である。遣唐使は西暦630年から894年に廃止される二百数十年続いた。命をかけ中国にわたり、文献を購入。お金で中国を学び、そして、真似をして律令制を中心とした国家を創った。

 中国の「詩経」に刺激され、日本語で作られた名詩を編纂して「万葉集」が創られた。史書に刺激され、日本でも必要ということで「古事記」「日本書紀」が編纂され日本語の基盤が創られその後の文学生成のレールが敷かれた。

 それから約千年、日本は武家支配制度が確立し、外国の直接的影響を受けず時代は流れる。

そして明治維新。この時も、西洋に征服支配される前に、多くの欧米人を高額の給料で雇い、懸命に西洋の制度文明を取り入れようとする。また、官費留学生も大量に派遣した。そして西洋の制度と同じ統治、軍事体制を敷いた。

 千年以上の時間をかけて作られてきた文明を数年で移植するというとんでもない革命を日本は行った。積極的に猿真似をすることで、征服されたり植民地化されるのを防いだ。

 大変なのは、外国語を日本語にすることだった。日本語には概念の無い言葉ばかりだった。だから膨大な新語が創造された。「神」「宗教」「哲学」など。

 この膨大な新語により、外国語を国の言語にすることを免れた。

日本人が英語を苦手にしたりしゃべれないのは、明治に外国語を新日本語に変換することによって生じた。
 本当に良かった。日本語が無くなり、日本人が中国語や、英語をしゃべる国にならなくて。

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井上章一     「美人論」(朝日文庫)

 江戸時代までは、下層の人々はともかく、結婚は、家長が決定して、それに従うのが絶対だった。恋愛など殆ど入り込む余地は無かった。

 明治になり、政治家や経済人が洋行するようになる。日本では夫人のことは「奥様」と呼び、家の奥の部屋に閉じ込めておいて、外へ出るなどとんでもないというのが明治の上流階級の一般的考え。

 ところが、西洋にわたると、多くのパーティーが開かれ、その際外国人は夫婦で出席するのが当たり前。そして、夫は誰でも見目麗しい美人を連れていて、夫人が美しいことに夫が誇っている。

 これを見て、政治家や経済人は、結婚相手は家柄でなく、美人を求めるようになる。そういう美人は芸者に多い。だから、上流階級の夫人は芸者上がりの女性が多くなる。

 明治の女学校に授業参観日がある。しかしこの授業参観の目的は授業を見学するためにに行くことではない。上流階級の人が、嫁探しに行くことである。ここで、美人を見つけ、あの娘を嫁さんにすると決める日である。先生も心得ていて、その日になると、自分のクラスで推薦する美人を決めていて、彼女を集中して指したり、目立つようにする。

 そして授業が終わると、校長室にその生徒が呼ばれ、上流階級の人と面談が行われ、結婚が決まる。だから、女生徒の中途退学が頻繁に起こった。
 ということは、逆から見れば、女学校は不美人ばかりが最後まで勉強をする。この時代不美人に生まれると、家では、この娘は容姿では生きていけないので、教育をきちんと受けさせようということになる。だから、当時の大卒の女性は不美人ばかりとなる。
 江戸から明治に変わり、この変化に社会は怒る。女性が特権階級の強みが通用しないから。

それで、明治時代は、美人は教養もなく、性格も悪く、ひどい女性として徹底して非難し、不美人は教養も高く、性格も穏やかで、優しい女性ばかりと不美人礼賛論が社会を覆う。

 これが戦後になると、どんな女性にも美しいところがある。すべての女性が美人であるし、美人になる要素を持っていると女性全員美人論が多く語られるようになる。美人も不美人も確実に存在するにも拘わらず。この全員美人論は、化粧品、美容機器を販売する会社がマーケットを拡大するために意識的に採用した戦略なのだそうだ。

 いずれにしても、ある時代までは、男性が女性を選択する、その流れのなかで、美人、不美人が語られてきた。

 しかし、今や、女性が社会進出し自活もできる世の中になった。そうなると、女性が男性を評価、選択する時代になった。世の中にはその選択からころげおち、結婚も恋愛もできない男たちがあふれている。もう女性の美人、不美人など語っている時代では無くなった。

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桜木紫乃     「裸の華」(集英社文庫)

 舞台上での事故で骨折したストリップダンサーの主人公ノリカ。引退を決意して、新たに札幌でダンスショーをメインとした店を開く。竜崎という、不動産会社の社員から紹介された2人のダンサーはノリカになつき、ノリカに憧れ素晴らしいダンサーになる。しかし、一人は画商の主人の子を身ごもり、もう一人は映画女優にスカウトされる。店が軌道にのってきたところで、閉店せねばならなくなる。

 多分、40歳は超えていると思われるノリカは、札幌を去りケガをした舞台に戻り、ストリッパーとして再出発を決意する。

 このノリカをストリップダンサーとして仕込み、一流ダンサーに育てのが彼女の師匠静佳。行方不明だったが、札幌の店のお客が居所を突き止め、ノリカに教える。

 ノリカは昔の舞台に帰る途中で、静佳に会う。
静佳は温泉で一人ストリップ小屋にいた。

 その舞台は不定休。お客が集まれば始まる。お客はいる気配はない。名前はオペラ座。もうやっていなかもしれないと思ったが、ベニヤ板に入場料3000円と書かれていたので、チケット売り場の小窓に3000円を持って差し出そうとする。誰もいそうにない。呼び鈴を振っても反応が無い。窓口をたたく。すると、窓にかかっていた布切れが揺れて、チケットがでてくる。それを購入して、ノリカはオペラ座のドアをあける。

 ここからの描写が素晴らしい。長くなるが付き合って欲しい。

「細い廊下を三歩進んで右に折れた。唐突に行き止まりになった廊下を挟み、『便所』と『劇場入り口』の紙が貼られた引き戸が向かい合っていた。視界のどこにも窓はなく、ひどいアンモニア臭が漂っている。ノリカは息をとめて、入り口のドアを開いた。今度は黴の匂いだ。
 ノリカが開けるのを待っていたかのように蛍光灯が瞬いた。畳3枚分の舞台を取り囲み、大人が10人も入ったらいっぱいになりそうな客席には座布団が等間隔に5枚並んでいた。
・・・・・

 客席の両側には数枚、日活ロマンポルノのポスターが貼ってあり、古い演歌歌手のサイン入り色紙や『オナニー禁止』『放尿、脱糞には罰金を頂きます』と言った注意書きもある。それらの紙はみな退色して角がめくれあがっていた。
 ・・・・(突然灯りが消え、舞台にスポットライトが灯る。赤が8つに青が4つ)

しばらくすると、舞台の下手の床に画用紙大のラジカセが滑りでる。細い女の手がプレイボタンを押す音が大きく響いた。ひとり小屋、ひとり舞台、客もひとりだ。スピーカーからエレキギターのイントロが飛び出す。ベンチャーズの「二人の銀座」だった。
・・・・
 裾捌きの緩急と見返りの際にみせる肩先の色気は紛れもなく師匠だが、すっかりやせ細り鶏がらそっくりになってしまっている。
・・・・

二曲目は「キャラバン」。
 赤い長襦袢の襟元がはだけると、そこだけぽっこりと膨らんだ原と垂れてしなびた乳房が見え隠れする。ノリカは目を逸らさぬように努めた。かぶり席で生身の女を見る者には、その体の歩んできた人生を見届ける責任がある。」

 緊張と息詰まる研ぎ澄まされた文章が続く。

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大崎善生  「いつかの夏 名古屋闇サイト殺人事件」(角川文庫)

 2007年8月24日から8月25日の真夜中に起きた、名古屋で女性が車に拉致されて、そのまま殺された事件を大崎がルポした作品。

 被害者は31歳の磯谷利恵。犯人は金強奪の目的で闇サイトで知り合った主に3人の男たち。

 大崎は公判を傍聴したり、事件を扱った刑事たちにも取材ができたのだろう。殺害の状況が残酷でリアルだ。

 利恵さんは、手錠をはめられ車に押し込められた。犯人たちは、財布から現金を抜き取り、刃物をつきつけて、キャッシュカードの暗証番号を聞き出す。利恵さんは恐怖におびえながら「2960」と告げる。利恵さんが語った暗証番号はもちろん嘘で、犯人を「憎む」を示している。

 もう利恵さんには用がないと、犯人が強姦をしようとするが、懸命に暴れ防ぎ、強姦は諦め、殺害にかかる。
 首をガムテープで覆い、そして紐で首を巻いて両端を犯人たちは引っ張り合うが死なない。それでハンマーで頭を思い切りたたきつけ、頭蓋骨が割れる。それでも利恵さんは死なず、
「お願い、殺さないで」と声をあげる。

これに逆上した犯人は狂ったように利恵の頭を凡そ30回もハンマーで叩き、利恵さんを殺す。
 ルポは利恵さんと母富美子さんとの、愛情こもった生活を丹念に描き、いかに犯人が非人間かを際立たせている。

 このルポでは、2つの今までにない大きな出来事を取り上げている。

富美子さんが、犯人たちの死刑を求めて署名活動を始めたこと。今までは犯人の立場や人権を守るため減刑とか、再審実現で署名を集めることはあっても、被害者が極刑を求めて署名活動をすることは見たこともない。しかも、この署名が33万を超えたのである。裁判所に提出されたが、もちろん証拠物件としては採用はされなかったが、いっぱいつまった署名用紙の写真が裁判では映された。

 かって永山則夫連続射殺事件から導き出された法則で、一人殺せば最高刑は無期懲役。2人殺せば無期か死刑、3人以上殺せば死刑が踏襲されていた。ところがこの裁判では驚くことに、3人で1人を殺したのに、自首した1人は無期だったが、残った2人に死刑判決がくだされた。そして、この判決はマスコミをはじめ社会から圧倒的な支持を得た。結局は上告され覆されたが・・・。

 現在は、死刑というのがいかに残酷で、国際的にも死刑の存在する国が減り少数になっていることで、死刑を非難する本は多数あるが、この作品は、逆で、被害者目線からルポを行い、画期的な内容になっている。

 事の是非はわからないが、大崎の執筆姿勢の英断と勇気に拍手を送りたい。

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綿矢りさ    「手のひら京」(新潮文庫)

 谷崎潤一郎の「細雪」を彷彿とさせる、京都奥沢家の3姉妹の揺れる思いを描いた物語。作者の綿矢さんは京都生まれの京都育ち。京都人の気質や、四季折々の情景が鮮やかに描かれ素晴らしい出来栄えの作品になっている。

 長女の綾香は、すこし引っ込み思案で、恋愛も縁遠くなっている。次女羽依の会社の同僚宮尾を羽依から紹介してもらいぎこちないがお付き合いを始める。

 次女羽依は、入社研修で、上司になる前原に好感を感じ、付き合いを始める。しかし、前原のぞんざいで、ふてぶてしい態度に嫌気がさし、互いに連絡をしなくなり、その期間6か月。もう別れたと判断し、同僚の梅川と付き合いを始める。この後、異常な前川の嫉妬とパワハラ、ストーカーに苦しみ、梅川との関係もおかしくなりそうになる。

 3女の凛は大学院に進み、その後、窮屈な京都を離れ、両親に内緒で、大手食品メーカーに就職内定をもらうが、家族全員が京都より外にでたことがないということで、東京での就職に猛反対を両親から受ける。

 それぞれの姉妹が、やっかいなことに遭遇するが、それを、頑張りとしなやかさで乗り越えてゆく。

 綿矢さんは、感性鋭い作家。一歩踏み込んだ個性的な表現が多くちりばめられ、その表現に出会うだけでも、読み手は感心し幸になる。

 綾香と宮尾の初めてのレストランでのランチデート。
 お決まりの趣味はなんですか。スポーツはお好きですか。から始まり、ぎこちないが和やかな雰囲気になる。そこをこんな風に表現する。

 「分別ある大人同士の会話として、ところどころ相手を褒めながら、和やかに会話は進むが、その一方で綾香は、自分たちはまるでおたがいのお尻の匂いを嗅ぎあってる、散歩の道でばったりでくわした犬同士みたいだ、という思いもあり、気恥ずかしさをおさえるのが大変だった。」
 想像を超える表現。

凛が、親に京都を離れることに反対され、直後秋の京都を自転車で回る。その時の紅葉の風景描写も見事。
「もみじの葉は真っ赤な色に注目されがちだが、赤ちゃんの手のひらに喩えられこともあるけど、花弁と呼びたくなるほど美しい葉先は繊細に尖り、柔らかい印象はない。心にある形の何かに似ている、痛み、憧憬、羨望。一枚拾って手のひらにのせると、紅葉の葉が皮膚に溶け込んでいきそう。凝縮した赤がきゅっと小さくて目に染みる。」

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| 古本読書日記 | 06:22 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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佐高信   「メディアの怪人 徳間康快」(講談社アルファ文庫)

 徳間康快、戦後の怪人。山口組田岡組長を陰で支える。早稲田大学時代共産党へ入党。その勢いで読売新聞に入るが、過激な組合運動で読売新聞をやめさせられ、その後印刷会社を買収して「アサヒ芸能新聞」を発刊。しかし失敗して自ら2流雑誌と標榜する大衆週刊誌「アサヒ芸能」を出版。これをベースに徳間書店を設立。さらに、倒産した遠藤実が経営したミノルフォンを引き取り、五木ひろしを育て徳間音工を設立。そしてこれも倒産寸前の映画会社大映を永田雅一よりひきとり、さらに宮崎駿に頼まれスタジオジブリを設立「もののけ姫」を作り、宮崎駿を時の人にさせる。

 この作品はそんな怪物徳間康快の生き様を描く。
と、思いきや、佐高は徳間と親しい関係にあったのだろうか。殆どが、いろんな雑誌や出版本からの読みがき。構成もバラバラで、全く徳間の人間が浮かび上がってこない。

 かなり多くの枚数を、読売で同じ労働運動を指揮した、活動家鈴木東民の人生に割く。労働運動は徳間としただろうことは想像できるが、現実東民と徳間の具体的な生々しい関係があったのか書かれてないので、何のために東民が登場したのかさっぱりわからない。

 スタジオジブリは私たちには最も身近でその設立経過を一番知りたいところだが、宮崎駿と徳間の繋がりが殆ど描かれていない。

 佐高が信望する鈴木東民を書きたいために、徳間をだしに使ったような作品。
 こういう安直な作品を出版してはいけない。

徳間が可愛がった作家は、梶山季之、西村寿行、それに大藪春彦。西村寿行の「君よ憤怒の河を渡れ」で高倉健、中野良子を起用し、日本でもそこそこ観客を集めたが、中国で大フィーバーを起こし、高倉健はこの映画で、中国での大人気俳優となる。

 徳間はこれで大儲けしたと思ったのだが、映画は中国の配給会社買取で、その金額はたったの百万円。どんなに中国で売れてもそれ以上の金は入ってこなかった。

 徳間書店ではエンターテイメント文学賞として大藪春彦賞を実施している。今はどうかしらないが、徳間の文学賞の中で一番高い賞金をだせということで受賞作品は500万円が与えられる。

 食い足りない作品だった。破天荒な徳間の生涯を知りたい。他に徳間を描いた作品は無いのだろうか。

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| 古本読書日記 | 06:19 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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森瑤子    「デザートはあなた」(朝日文庫)

 主人公は大西俊介。39歳で独身。世界最大の広告代理店のテレビ企画制作部に籍を置いている。ここからは、私に知識も縁もないからわからないが、彼が現在所有しているのがイタリア製のオートバイ、ドゥカティ450デスモ、別名をシルバー・ショット・ガンといい1971年製のモデル。車は3台、まずポルシェ991カレラ、2000台限定のスピード・スター。他に四輪駆動のステーションワゴンとカエル顔の小型スポーツカー、シボレーのS10ブレザー。

 更に最高級のコンドミニアムに住む。いくら世界一の広告代理店に勤めるといっても、彼の給料だけでは、これらの管理維持はできない。

 彼の祖父が400坪の畑を今の都心に持っていた。ここに高級コンドミニアムを建て、そのすべての財産を大西に残した。
 大西は富豪となり、セレブの暮らしを享受することができるようになる。

それにしても、世界一の広告代理店というから会社の名前は想像できる。過労死自殺をした女性社員が所属していた会社である。

 この小説には、あの広告会社の猛烈な仕事ぶりは大西には無縁なのか全く描かれていない。それより、女性に夕食を料理し楽しむために、会社を休んで数々の高級料理の大西の調理場面が描かれる。過労死がでるような職場環境と大西の暮らしが乖離しすぎていて実感が沸かない。

 大西には山口奈々子という恋人がいるが、そのほかに女性はよりどりみどり。奈々子がだめでも、コンドミニアムに女性を誘い、夜を過ごす。

 高級料理と素晴らしいワインやリキュールを楽しみ、最後の「デザートはあなた」の決め文句で相手を指さしベッドに誘う。

 都会では、こんな優雅な毎日を送る人たちがいるのか。でるのはタメ息ばかりである。

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佐高信 寺島実郎   「この国はどこで間違えたのか」(光文社知恵の森文庫)

 時々、ネットに鳩山元首相のニュースが登場する。鳩山元首相は、その発言が、中国、韓国によりそい、結果日本を貶めるになり、その都度「売国怒」「日本に帰国するな」「宇宙へ行ってしまえ」とネットで強烈に非難される。

 鳩山元首相は東大卒なのに、どうしてこんなに日本を逆撫でる発言を軽々しくするのだろうと不思議に思っていたが、この作品を読んでそのルーツがよくわかった。

 寺島は実は鳩山とは長年の友人同士だ。

 寺島は、戦後日本をアメリカが統治。そこで完全に洗脳されて、世界をアメリカを通してしか見なくなった。それが、日本が間違えた転換点になっているとこの本で主張する。

 民主党が政権を獲得した時、鳩山元首相や小沢元幹事長は、アメリカを飛ばして、民主党議員全員引き連れ中国に行き、主席になることが決まっていた習近平と握手してもらった。

 寺島はその当時言っていた。日本、アメリカ、中国は2等辺3角形の関係にせねばならない。当面は米軍基地日本駐留は認めるが、その基地の管理運営は日本で行うことをアメリカに主張して勝ち取り、少なくてもアメリカ保護領から脱却する。中国とアメリカとの関係は等距離にする。むしろ、中国は近隣なのだから、中国に少し偏るべきと。

 そして、アメリカから世界を見るのでなく、中国や韓国から世界をみてみる視点が大切。
そうなれば、いかに日本が戦争中に彼ら虐げ、虫けらのように扱い殺したかが認識でき、違った価値観を取得できると。

 寺島は鳩山に口を酸っぱくしてずっとこのことを言い続けたとこの本で言っている。
そうか、鳩山元首相は、この刷り込みによって、今の発言があるわけだ。

 佐高も寺島も情熱をこめて主張する。それなら、言うだけではなくて、新党でも結成して国会に乗り出せばいい。そして、それがどういうことになるか実行すればいい。

 佐高はともかく、少なくても寺島は鳩山元首相の発言と行動は正しいと宣言すべきだと思う。

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朝倉かすみ    「好かれようとしない」(講談社文庫)

 デートだってしたことがある。一回だけだけど、男と寝たこともある。しかし25歳になる主人公の風吹は、恋に夢中になることは苦手。だから、恋なんてするくらいなら地味で構わない。

 そんな風吹が、エジプト旅行から帰り、アパートに到着すると、スーツケースの鍵を無くして、スーツケースが開けられない。アパートの大家さんから鍵屋さんを紹介してきてもらう。下町の鍵屋なんて、年の経たおじさんがやっているのではと思っていたら、若いハンサムな男性がやってきた。その鍵屋の男性に風吹は一目ぼれ。

 そこから物語は始まり、二人がやっと恋人同士になるまで、何と300ページをこえてその過程を描く物語。

 燃える気持ちは抑えられない。だから、玄関の鍵を隠し持って、ドアが開けられないと鍵屋をよびよせたり、ドアの補助鍵を取り付けると大家を説得して鍵屋に来てもらう。

 しかし、風吹が通っているベリーダンス教室の先生40歳になるヒロエ・Oが浮気をしていて、その相手が鍵屋らしいと知る。バーで鍵屋とヒロエ・Oが接吻しているところを目撃した。

 それどころか80歳になるとする大家のボーイフレンドが鍵屋だという話まであり、大家もそれを認める。
 そんな、燃えたり、冷めたりしながら、鍵屋と風吹が恋人同士になる。

 最後、風吹と鍵屋が居酒屋にゆく。そこでぎこちない会話が繰り広げられる。「趣味は」血液型は」「星座は」というお定まりの質問がずっと続く。
 そのうち質問が発展する。
「映画とか好き」
風吹は即答する。
「好き」
「じゃあ、ドライブは」
「好き」
「公園で日向ぼっこ」
「好き」
「ただぶらぶら歩くだけでも」
「好き」
風吹の「好き」の返事が、だんだん大きくなる。

初々しさが全編をおおう、楽しい恋の物語だ。

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| 古本読書日記 | 06:05 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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垣谷美雨   「うちの子が結婚しないので」(新潮文庫)

 主人公の友美は28歳のアパレルメーカーに勤める。今は、販売店に配属され、店頭販売を担当している。

 父は、大手商社に勤めていたが、子会社の通販会社に出向、もうすぐ定年がくる。母の千賀子はIT会社でシステムプログラムを組む仕事をアルバイトでしている。

 28歳というのが少し現実的ではないが、両親は恋人もおらず、結婚を全く考えない友美に不安を感じ、婚活をしようと説得する。そして、友美も独身のまま、親がいなくなる状況に不安を思い、両親に同意する。

 今は親婚活といって、親が子どもに代わり、子供の写真、プロフィールを持って、婚活する商売が流行っている。

 そこで、千賀子は親婚活に申し込み結婚相手を探し、友美は一般の婚活会社に申し込み、相手を探すこととなる。

 友美が参加する婚活パーティ。必ず、絶世の美人が参加している。男性は、女性の人間性とか気立てなどを見ず、全員が美女に集中する。その女性が、友美が申し込むパーティにいつも参加している。婚活パーティを渡り歩くさくらなのである。

 親婚活。友美と両親の身上書を書いて、主催者に送る。その後、参加者と両親の身上書が友美の家にも送られてきて、そこで婚活当日、互いの身上書が交換でき、相手の身上書を持ち帰って検討し、相手と会ってみようということになれば互いに連絡しあって見合いとなる。

 この身上書の交換が実現するのが難しい。見合い同士の前に、親が互いに納得せねばならない。

 まずは、子供以前に親同士が良い関係が築けるか。親の職業、出身大学が互いにふさわしいか斟酌される。結婚の条件として、親の介護をみてもらえることが条件になったり、すでに2世帯住宅ができあがっていて、親と同居が見合いの条件になったりする。

 その条件が合致して、見合い同士の学歴、収入、勤め会社が検討される。
平凡な経歴の友美の家族となると、なかなか相手から身上書の交換とならない。

 また交換が実現しても、交換相手から、見合いが断られたり、見合いで付き合いが始まっても、結婚の決意までは到達しない。
 だから、千賀子は8回の親婚活に応募する。

 恋愛では、当人同士が結婚を決めれば、家族の環境など一切関係なく当人同士の意志が最優先となる。親婚活では、家庭、家族が相手とつりあうかという厳しい条件がさらに加わる。

 親婚活の困難を克服して結婚までつながれば、苦労はするが、当人同士親同士互いに知っているから、結婚その後の暮らしは穏やかで安定したものになる。

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住野よる   「よるのばけもの」(双葉文庫)

 主人公の安達は中学3年生。彼は、夜になると、足が6本、目が8つ、4本の尻尾をもつ化け物に変身ができる。しかも、2つに分かれて分身もつくることができる。

 安達が、化け物になって夜の学校に忍び込む。誰もいないと思った教室に矢野さつきがいる。

 実は矢野さつきはクラスで虐められ、徹底して誰からも無視されていた。もちろん虐めには積極的に加わらないが、安達も矢野を無視していた。

 クラスは3つの派に分かれる。「いじめをする派」「大衆派 いじめはしないがいじめられないように常に気をつけている」「いじめを受ける派」

 矢野は朝教室に入ると、必ず大きな声で「おはよう」と言う。しかし、誰からもあいさつは無い。しかし、矢野は虐められても、無視されてもいつも笑っている。

 夜、教室で矢野と会話している化け物になった安達に、矢野は安達に「安達がモーツァルト派かヴィバルディ派」かと聞いて以来、会うたびに安達に対しいろんなことについて何派と聞くようになる。

 安達は、常に、いじめをうけないように、いじめをする側からきらわれないように最新の注意を払っていなくてはならない中学校生活の窮屈な状態がいやになる。そしてこんな状態がいつまで続のだろうと嘆く。

 そして、最後に安達は矢野に問われる。
本物の安達は夜の安達、それとも昼の安達と。

 答えられないが懸命に考える。そして、次の日の朝、矢野が大きな声で「おはよう」と教室に入ってくる。
 そのとき安達は「おはよう」と返す。

 クラスのみんなが、安達に対して引く。
今後どうなるかはわからないが、その夜安達はお化けにもならず、ぐっすりと寝た。

 昼夜にかかわらず、いろんな事件が起こるが、すべて安達の視点で描かれるので、安達が思ったように、当時者たちが思っているかがわからないからモヤモヤ感が残る。しかし、それでも安達は悩み、窮屈さの中から、思考を繰り返し最後にそれらを乗り越える勇気ある決断をする。だから悔いは無い。安達の懸命さが胸を打つ。

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大庭みな子    「津田梅子」(朝日文庫)

 この次に発行される5千円札に登場する津田梅子の生涯を描く。大庭みな子が津田塾女子大のキャンパスに眠っていた、梅子とアメリカでの寄宿先ランマン家の夫人デブリン アンマンとの生涯を通じてやりとりした膨大な手紙を発見。それを丹念に大庭が読みこなし、この作品はできあがった。

 津田梅子は明治4年、北海道開拓使次官であった黒田清隆の発案による、女性をアメリカに留学させるとの募集に、清隆が梅子の父仙と関係があり、仙が応募。5名の留学生の中に梅子は選ばれる。何とこのとき梅子の年齢は6歳。もちろん最年少の留学生である。

 それから11年間、幼少から思春期をアメリカで育てられる。それで、梅子は死ぬまで日本語が少し不自由だった。

 留学した5名の女性のうち2名は、政府の帰国命令で帰国したが、梅子、捨松。繁子の3名は学校の卒業ができるまでと延期を申請、それが認められ遅れての帰国となる。この3人の友情は固く、後に梅子が女性のための英語塾を開くのに、他の2人は熱く支援してくれている。

 明治時代は、女性が就職して食べていける道は全く無い。また、そのころの結婚は、相手は親が決め、女性はそれに従うしかなかった。梅子は、この慣習に反発。女性でもちゃんと教育を受け自立できる社会を作らねばならないと考える。

 井上薫の夜会で、伊藤博文に再会し、その後、家をでて伊藤の家に寄宿。その間、家庭教師やアルバイトで学校の講師をしていたが、決意して再度アメリカへ留学。

 帰国して、女性のための私塾開設の運動を起こす。そして幾多の苦難をのりこえ、明治33年7月に「女子英学塾」を開設にこぎつける。

 この作品で感動したところは、100歳で生きておられた、第5回生で梅子の指導を受けた岡村品子さんに大庭がインタビューしたところ。

 梅子が素晴らしいと思うのは、この品子さんが小学校卒だけでありながら、自宅に寄宿させ、個別に教育をしたところ。意欲ある女性に対しては門戸を開いていた。

 品子さんの学んだ塾は、一般の家で寺子屋の雰囲気。2階だての家屋で、品子さんは2階の一部屋が与えられ、隣の部屋が梅子の部屋。

 一階は8畳と6畳の2間。ここが教室。一人、一人に情熱をこめて教えていた梅子の頑張りを彷彿とさせる。

 女性の社会進出にはよく平塚雷鳥や市川房江の活動によってなされたと言われるが、本当の実現者は、彼女たちのような市民活動家でなくて津田梅子のような女性だったとこの本を読んで思った。

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奥村宏 佐高信   「企業事件史 日本的経営のオモテとウラ」(教養文庫)

 戦後以来起きた企業にかかわる大きな事件を分析しながら、「会社本位主義」の弊害を抉りだす。

 日産のカルロス ゴーンが逮捕され大きな話題となっている。有価証券報告書に記載されている彼の収入が虚偽ということで、最初逮捕されたが、現在は会社の金を彼個人や家族のために使った背任罪のほうに捜査は移っている。

 金額の多寡を別とすれば、かなりの企業で会社のお金を社長が私的に流用することは行われている。日本の会社の会計処理には使途不明金という科目がある。アメリカなどには無い科目だそうである。使途が不明などということはあり得ないからである。各企業は社長の個人的費用を使途不明金として処理し税金を払う。

 かっては、会社のスキャンダル、裏金をかぎつけ、これを処理して企業からお金をむしりとるフィクサーがいた。暴力団も関わり、大きな資金源ともなっていた。

 しかし暴対法が創られ、企業への脅迫が禁止され、フィクサーや暴力団の活動が難しくなった。

 だからと言って企業の不正やスキャンダルが減ったわけではない。ということは誰かがフィクサーの代わりになっているはず。
 大金をつかむことができるのをむざむざ見ているのはいけないと、今この役割を演じるのは政治家だそうだ。必要であれば、政治家が暴力団、フィクサーを使いせしめたお金を分配する。こんなおいしい商売は無い。政治家がどうしてやめられないかよくわかる。

 未公開株の公開、増資による株の購入。公開会社と証券会社がタッグになって社会に購入をあおる。

 この株を政治家に優先的に割り当てる。政治資金規制が厳しくなってきたため、形を変えた政治献金である。証券会社は、値上がり幅を最初から設定し、株をいつ売ったらいいか、政治家に指南する。これで、政治家は大きな金を手に入れる。

 〇月〇日9時に株公開と発表される。その時間に一般の投資家が、株購入を申し込んでもすでに売り切れと証券会社から伝えられる。

 ゴーン事件にも、すでに手を突っ込んでいる政治家がいるのだろうか。この本を読むと想像してしまう。

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佐高信    「自民党と創価学会」(集英社新書)

  前回紹介した佐高信、テリー伊藤の共著「お笑い創価学会」が驚くことに30万部を売り、ベストセラー本となっていた。一強権力安倍首相を批判した本を出版してもまずベストセラーにはならない。

 創価学会を批判する本の出版は難しい。まず、マスコミ大手の読売新聞、毎日新聞は新聞の印刷を聖教新聞を印刷している会社に委託している。さらに、実際はどうか知らないが、創価学会を批判すると、その途端にいやがらせや脅迫電話やメールが殺到。恐怖におののいて、とても批判する本など出版できない。

 その恐怖を跳ね返し、出版すれば、学会員が出版社を脅迫するために、購入して読む。それでベストセラーになるのかと思わず納得してしまう。

 公明党は平和と福祉の党だと標榜している。

 世界に一か国、軍隊を持たず、永世中立国を守っている国がある。中米の小国コスタリカである。
 この施策を実現したのが、アリエス・チャンセス元大統領だ。公明党の浜四津元代表はこのサンチェスとコスタリカを理想とする人間として讃える。

 彼女は、首都サンホセの公園、民主主義広場にたつモニュメントの詩を歌いあげ宣言する。

 「この民主広場で、
 子供たちもうたい、詩人もうたい 
 画家は絵を描き、
 恋人たちが散歩する
 ここでは、決して軍靴の音は聞こえない
 聞こえるのは、ただ自由の声、
 ほら、この街並みに
 そして、国の隅々にまで聞こえるだろう
 自由を築いた民衆の声が・・・・」

 浜四津が声をあげる
「やればできるのだ
 地球の環境保全も、核兵器の禁止も
 世界の非武装化も
 やればできる!」
しかし、その舌の根も乾かないうちに、新安保法制に賛成している。
それを怒っているのだ佐高信は。

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テリー伊藤、佐高信  「お笑い創価学会 信じる者は救われない」(知恵の森文庫)

 駄本なのだろう。こんな本は感想を書くに値しないだろう。しかし、時々駄本とはわかっていても、こういう言いたい放題の批判本を読みたくなる。

 現在の自分が世の中の動きに関心が薄いことが原因なのか、とんと創価学会の活動に接することが無くなった。2-30年前の創価学会の活動は活発だった。

 少し弱みをみせると、しつこいくらいに学会に入信するよう説得された。それでも、振り切ると、最後は「地獄に落ちる」など悪魔のように罵倒された。

 最近あまり創価学会の活動が見えなくなったと思ったら、池田大作元会長、10年前に大きな病気を患って以来、表舞台からその姿を消したのが要因かもしれない。

 それにしても、池田元会長の世界の著名人との対談、それから顕彰の数はおびただしい。
モスクワ大学、フランス学士院などから名誉博士号を受ける。
胡錦涛元中国共産党国家主席とは2回、ゴルバチョフ、コスイギン、チャウシェスク、国連事務総長、それに各国の有名な学者、科学者と対談。

 それがどれだけ価値のあるものか知らないが、国連栄誉表彰や平和貢献・事務総長賞などを受賞している。

 これだけ、世界で重要な人物にも拘わらず、殆ど肉声を聞いていない。

 この作品で紹介されているが、あるインタビューで池田元会長は次のように豪語している。
「私は、日本の国主であり、大統領であり、精神界の王者であり、思想文化一切の指導者・最高権力者である」

 それほどの人物なら、もっと人々の前にお出になられ、自らの信仰を堂々と語ればよかったのに。

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木宮条太郎   「弊社より誘拐のお知らせ」(祥伝社文庫)

 作者木宮は「時は静かに戦慄く」で第6回ホラーサスペンス大賞特別賞を受賞している作家である。

 この物語では、元々江戸時代創業の製紙会社奥羽製紙が秋田パルプと名前を変え製紙事業を続けてきたが、不況の波をかぶり、大胆なリストラを行う。黒字の製造部門を秋田パルプに残し、すべての営業部門は、秋田パルプから切り離し、倉庫を持っていた千葉に移し千葉サプライという会社が設立される。

 捨てられた千葉サプライのトップについた小柴は、製紙販売に見切りをつけ、産業素材なら何でも扱う商社に切り替え、建設資材、電材、産業用センサーまで仕入れ販売をして、業績を伸ばし、停滞している秋田パルプを凌ぐ存在となる。

 そこに、秋田パルプと千葉サプライを合併させるというプロジェクトが進行する。しかし、因縁の両社。反対する社員が多く、プロジェクトが進行しない。

 そんな中、秋田サプライで合併について説明する会合がもたれ、どちらにも顔がたつ、千葉サプライの創業者、すでに引退して久しい小柴が説明に秋田に行くことになる。

 ところが、この小柴が千葉から秋田に行く途中で、何者かに誘拐される。そして、犯人は千葉サプライに7億円の身代金と合併プロジェクトの即時停止を要求する。

 千葉サプライは東証2部に上場している。有価証券報告書の規定では、「災害に起因する損害、または、業務遂行上で発生した損害」その額が前期純利益の30%を超えた場合は記載することが義務付けられている。
 身代金の7億円は30.01%に相当する。

会社では、身代金を支払う必要があるのか。小柴は、今は会社を離れた人。身代金は小柴が払うべきではないか。あるいは、小柴の持っている財産をすべてだし、不足分を会社でだせばということが議論される。

 7億円のうち、犯人の指示により2億円が現金で用意され、それの犯人の受け取り、小柴の解放まで、それなりに緊迫した展開が続く。

 しかし、最後ががっかり。

実は、この誘拐、小柴の狂言。小柴が会社社長を退き、家に引っ込んでも、入れ代わり立ち代わり、会社について会社から相談に来る。それがわずらわしくて仕方がない。自分たちで考えて決断し会社経営をしてもらわねばならない。狂言誘拐を小柴がしたことがわかると、さすがに誰もこなくなるだろうというのが動機。

 しかし、小柴のような人はまずいない。会社をトップまで極めた人は、会社を退いても、現役の会社幹部が自分のところへ相談や報告に来ることを当然と考えている。それが楽しみで仕方ないのである。誰も相談に来ないなんて状況は、社長まで務めた人は考えられないのが一般的である。
 物語の狂言誘拐は現実的でない。

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| 古本読書日記 | 06:19 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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鎌田慧   「大杉栄 自由への疾走」(岩波現代文庫)

 大杉栄は、東京外国語学校時代、下宿先で、谷中村の鉱毒事件を知る。そして、この事件の追求運動に同宿していた学生が参加していたのに触発され、自らも運動に参加する。さらに左翼系の新聞「万朝報」を購読。そこで、堺利彦や幸徳秋水を知り、社会主義者、アナキストに傾倒してゆく。

 大逆事件で、秋水ら12人が死刑にされるが、この時、大杉は同じ活動家の山口狐剣の出獄歓迎会で赤旗を振ったかどで2年半の刑期で投獄中により、大逆事件に連座されることは免れる。

 出獄したときは、尾行はつけられるし、集会は官憲により止められ、出版物は即発禁処分となり、締め付けは一層厳しくなっていた。同志の数も激減していた。

 それで、最初はマイルドな雑誌「近代思想」を発刊したが、それでは手ぬるいと「平民新聞」を発刊する。即発禁処分となったが・・・。しかしめげずに第2号を刊行する。その巻頭の論文「秩序と紊乱」がこの本の作者鎌田の魂を揺さぶる。

 「人類の多数が。物質的生活と精神的生活との合理的発達に必要なるあらゆる条件を奪われ、科学的研究や芸術的創造によって得られた享楽を夢にだも知らざる、その日稼ぎの駄獣的生活に堕す。これ即ち『秩序』である。
 人類の多数が、男は機械のごとく働き、女は大道に淫をひさぎ、子は栄養不良のために斃れる。これ即ち『秩序』である。
 雇い主の貪欲なる怠慢のために、或いは機械の破裂や、或いはガスの爆発や。あるいはまた土砂崩れ、岩崩れの下に毎年数千万の命を失う。これ即ち『秩序』である。
・・・・・過去一切の祝聖されたる価値の転覆、新しき思想と新しき事実との大胆なる創造。これ即ち『秩序』の『紊乱』である。
 かの『秩序』の為に殆ど死せんとし死すべかりし命を、この新しき思想と事実に捧げて、まさに来らんとする社会的大革命への道を拓く。これ即ち『秩序』の『紊乱』である。」

 この思想を基軸にして、鎌田は社会の実態をルポする。私は大正、昭和の初めと現在までの歴史的発展の検証と俯瞰的に物事を見つめることが大切と思うが、昨今の過労死問題、トヨタの絶望工場を取り上げ、彼には大杉栄時代と今の日本は変わっていないようにみえる。

 地獄のような底辺に暮らす、虐げられている人々の群れが大量にいる。その視点をひたすら信じ、現在を無理に断罪しようとすると、主張は空を舞い、孤立化は深まる。

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| 古本読書日記 | 06:15 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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玉村豊男   「有悠無憂 ゆとりあればうれいなし」(朝日文芸文庫)

 玉井は味わいのあるエッセイを創る、エッセイストであるし作家でもある。東京を離れて、今は長野県小県郡東部町に住居を移し、農業をしながら執筆活動をしている。

 玉村の畑の近くに熊がでた。しかし、玉村は犬を3匹飼っているので、あまり心配していない。今困っているのはウマだ。

 玉村の家の隣の私有地でウマを飼っている人がいる。自分の家は別にあり、毎日エサやりにだけ家から通ってくる。十分な量の食料になっていないのか、ストレスが溜まるのか、囲ってある柵からとびでて、周りの畑の農作物を荒らす。

 警察に届けるも、馬を取り締まる法律が無いと断られる。馬を飼っている男は、ウマに乗って街を歩く。そして馬を電柱になどに止めて、居酒屋で酒を楽しむ。馬には駐車違反の罪は問えない。

 玉村が出演したテレビ番組で、玉村が犬を引いている像が創られ登場する。番組が終了して、しばらくして、この像、記念にどうぞと番組プロデユサーから贈られてくる。高さ60cmもあり、置き場所が無い。困って庭に放置する。雨で、黒塗りが取れて、白黒のまだら模様になる。鳥の糞があちこちにこびりつく。

 仕方ないので自分の像を、自分で粉々に砕く。
その時、玉村は
「あのプロデユーサー、処置に困って贈ってきやがったんだ」と、怒りが沸き上がる。

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| 古本読書日記 | 06:05 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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森崎和江    「海路残照」(朝日文芸文庫)

 八百比丘尼伝説というのがある。重い病を患っていた海女が、ほら貝あるいは場所によっては人魚を食べたところ、完全に病が癒え、その後800年、癒えたときのまま老いることなく生きたという伝説である。癒えた海女は、多くの子孫にも先立たれ、それから生まれた村をでて旅をする。その間にたくさんの男と知り合うが、そんな男たちもすべてその死を見送り、最後津軽に着き、死に絶える。

 生まれた村は福岡県の玄海難の庄の浦、そこから同じ伝説がある、若狭の小浜、輪島、舳倉島、そして津軽十三・松前と伝説の地を訪ねる旅をエッセイにしている。

 この旅程の中でもうひとつの伝説が拾われる。
「うぶめ」の話。うぶめは、生きて生まれることができなかった赤子のことである。そんな赤子は海に流される。そして、海に流されながら懸命に「おぎゃあ」と鳴き声を発し続ける。

 海はそんな赤子だけでなく、膨大な数の亡くなった人たちが漂っている。海に生きる人はその漂っている人や赤子を拾い上げてきて、生きている家族より大切に祀る。

 赤子や漂っている人たちは、誰かが拾ってくれるのをずっと待っている。何百年と、拾い上げてくれるまで年老いることなくそのまま、まるで八百比丘尼そのものである。

 また、海はお母さんのお腹の中の羊水である。子供は、満ち潮の時でしか生まれない。満ち潮の力により海から体外に産まれてくるのである。

 こんな人間の根源に関わるいにしえからの伝説を、行く先々の人々から聞き、そして深く思索する。

文章が、実に美しく鮮やかである。その美しい文章の波に乗り、私も伝説の村を旅する。

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| 古本読書日記 | 05:58 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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嬉野雅道    「ひらあやまり」(角川文庫)

 これは、なかなかストンと心に落ちてこない作品だ。
筆者は、北海道テレビの多分人気番組だろうと思うが「水曜どうでしょう」という番組の担当ディレクター。もう50代半ばであるが会社の地位は平社員。

 仕事中は、自分の席には殆どいないで、会議室の一角にカフェを開いて、接客をしている。多分名物社員なのだろう。自由奔放なことを、周囲がどうみているかよくわからないが、諦めているのだろう。しかし当人は意気軒昂である。それにしても、北海道テレビがよく許しているものだ。

 嬉野からみれば、全員が殆ど年下なのに、地位は同等かそれ以上の人しかいない。
彼は作品で、声がかかればすぐに参集して、素晴らしいドラマ、番組を作る仲間が数人いて、その過去の成果と彼らとの熱い絆を作品で誇るように語る。

 福屋渉という部長が嬉野に語る。

福屋は酪農家の長男で、実家には100頭もの牛を飼っている。実家は弟が継いでいる。
例えば、エサやりが大変。牛も人間と同じでみんなそれぞれに個性が違う。図体がでかくて気性のあらいやつとか、おとなしいやつとか、とにかくずるいやつとか、要領の悪いやつとか、性質が一頭一頭違ってくる。

 もうえさを食べたのに、食べてないふりをして、もう一度ねだってくる奴。別の牛のえさを横取りする奴。
 目配りを十分して対応しないと、でてくる牛乳の品質にバラつきがでる。

福屋はどんな牛の性格も否定しない。好きだ、嫌いだ、馬があわないという相性は問題にせず、困ったやつもいるけど、それが当たり前のこと、これを大前提に会社でもみんな受け入れてやる。

 これを聞いた嬉野。人間もこのように管理されねばならないと書く。

 部長はどうして普段仕事をしないで会社でカフェを勝手に開いている嬉野にこんな話をしたのだろう。部長は嬉野は異常に変わっている牛なのだが、受け入れてやるよと言っているのだろうか。諦めの境地で言っているのを。嬉野は自分の都合のいいように受け取っているのではないか。

作品は嬉野自身の自己評価、視点からのみで、嬉野自身を語っているが、周囲も本当に嬉野を受け入れているのだろうかとやはり思ってしまう。

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| 古本読書日記 | 06:07 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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