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2018年12月 | ARCHIVE-SELECT | 2019年02月

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窪美澄      「アカガミ」(河出文庫)

2030年の日本。若者は恋愛の感情が殆ど無くなると同時に生きることへの意欲も著しく減退している。加えて、東京オリンピックが行われた2020年以降に生まれた人は最長40歳までしか生きられないという根拠は無いのだが、そんな本が発売され大ベストセラーとなる。

 こんな本に触発されて、自殺者が急増する。渋谷のスクランブル交差点に人だかりはあるが、よくみると若者はたった一人。いるのは老人ばかり。

 通勤も自転車や車。電車は自殺者のためによく止まり、時間が頼りにならないから使わなくなる。

 主人公のミツキは介護施設で働く25歳。死ぬことを希求し、服毒自殺を試みるが、たまたま居合わせたログという女性に助けられる。そのログからアカガミという国の見合いパーティの制度に応募してみないかと勧められる。

 このパーティの後教習所で教育が施されてミツキはサツキという男性をパートナーとして紹介される。もちろん断ることもできたが、成り行きでミツキとサツキはパートナーとなる。

 この制度。アカガミと呼ばれ、恋人、カップルとは言わずに「番い」と言い、セックスを「まぐわい」と独特な言い方をする。

 彼らは、恋をしたいとかセックスをしたいとかの欲望は無い。しかし、一旦パートナーとなるとそれらをやめようとしない。不適合という烙印を押されるのが恐ろしいからである。

 2人は、設備の整ったマンションが与えられ、生活費など一切の負担はない。いたれりつくせりの環境で2人は生活する。
 時間はかかったが、2人で常にいることで、相手を徐々に失いたくないという気持ちが募り、最後に2人は結ばれミツキは妊娠する。

 そして2人は病院設備が整った都心のマンションに移住させられる。ここでも、いたれりつくせりの世話を受ける。

 しかし、最後にわかるのだが、このアカガミ制度には国のとんでもない企みが込められていた。

 この小説では鋳型にはまった人間を国が求め量産をさせようとするが、その鋳型から外れた人間には容赦のない無慈悲な対応を国がする姿がする。国家という本性の恐ろしさに少しおびえる。

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柳美里     「JR上野公園口」(河出文庫)

今はシネコンがあちこちにできて、映画は手軽に見られるようになったが、ちょっと前まで、映画をみる人々が減少し、街にあった映画館がどんどんなくなり、地方の中小都市では、全く映画館が無くなり、映画を見ることができなくなった。

 私が以前住んでいた街でも、映画館はたくさんあったが、今や昔からある映画館は2つだけ、一つは映画大好きな人々が情熱で支えている映画館。

 で、もう一つの映画館が不思議な映画館。深夜営業が中心で、上映している映画はピンク映画のみ。一日4-5本上映というのが普通の形態。

 こんな、黴の匂いがむんむんの場末の映画館が今でもどうして健在なのだろう。誰が見にくるのだろう。
 調べてみると、ホームレスや崩れそうな環境の悪いところに住んでいる人たちが、夜寝たり暖をとるためにやってくる場所になっていた。映画館も100円とか、200円と特段に安い入場料で休む場所を提供していた。

 高度経済成長期は、誰もが明日への希望に輝いた充実した生活をしていた素晴らしい時代だったと誰にも刷り込まれているが、その時代に、青春を送ってきた私は、そんなステレオタイプ的思いには違和感を持つ。

 この作品の主人公、福島の相馬の出身、零細農業の生まれ。私たちの世代の少し前までは貧乏なのにやたら子供が多かった。主人公も7人兄妹の長男。とても農業だけでは食べて行けず、一家を支えるために出稼ぎにでる。出稼ぎは当時当たり前の風景だったが、そこから明日への希望がわいてくるような状態ではなかった。

 また私の実家の近くの村は、こんな貧しい山村では暮らせないと、山村全員で移住してくる人々がたくさんいた。与えられた野山を開墾して住むのである。

 本当に貧しい人々がいた。しかも、夢も希望のない人々。

盆暮れには帰っていた故郷へ、出稼ぎが長期化するにつれ、帰ることも無くなる。主人公は、長男が21歳で亡くなり、続いて妻も亡くす。故郷に帰っても、仕事は無いし、頼るべき家族もいない。故郷で住むことはできない。親族に自分は消える、もう探さないでくれと書置きして電車に乗り、上野駅にやってくる。そしてそのまま上野公園でホームレスになる。

 もちろん、今は特に建設など人手不足。危険を顧みなければ、日当1万5千円や2万円になる仕事はある。そういう人たちはドヤ街にゆき、ホームレスにはならない。

 ホームレスになる人は、もうそんな仕事をする体力も気力もない人々。死ぬまで生きていなければならないからホームレスになり、雑誌や空き缶を拾い、わずかな日銭で生活する。

 柳さんは、実に詳細にホームレスを調査している。死ぬまで生きねばならないからホームレスをしているというのは本当に悲しい。

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| 古本読書日記 | 06:10 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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武田泰淳    「新・東海道五十三次」(中公文庫)

1969年。まだ私が高校生の頃。毎日新聞の企画で、東海道を車を運転しながら、53次を最後京都まで旅する紀行記。紀行文の体裁をとっているが、一応小説ということになっている。

 武田泰淳、ユリコ夫妻が新しいマンションに移る、そのマンションでは、一台分の駐車場が付いている。しかし武田夫妻には車が無い。すると、他の住人が無駄に空けておくなら、権利を譲れとうるさく言ってくる。

 泰淳は車など買う金もないし、必要もないと思っていた。ところが妻ユリコさんが、もったいないと思い、俄然意を決して運転免許取得に挑戦、そして免許を手に入れる。すると車も欲しくなる。安い車を買い、泰淳先生は助手席専門であちこちでかけるようになる。

 そして、いよいよユリコさん運転で京都まで行くことになる。途中、53次の名所、旧跡を訪ねることになるから高速は使わず、一号線をひたはしる。

 いつも大きな顔をしている泰淳先生。妻の運転ということで、ユリコさんにひとかたならぬ気をつかう。機嫌を損ねられ放り出されたらどうにも困ってしまうから。旅館では必死に肩や体をユリコさんの命令に従い心をこめてもんであげる。

 岡崎で車がパンクする。ユリコさんジャッキをあてがいタイヤをはずし、トランクから別のタイヤを持ち出し、車体の下に体をすべりこませタイヤを交換する。その間泰淳先生は危険信号の赤旗をふるだけ。

 車輪の外側の金具をはめるときには、仰向けに寝転びタイヤを蹴り上げる。「四輪とも平均にしめあげないとあぶないから」と言って。全く役にたたない泰淳先生。

 1969年あたりでは、ラブホテルは珍しく、カップルが楽しむ場所は、さかさくらげのマークがある旅館だった。

 そんな秘密めいた場所がいかにも暗く怪しげな雰囲気だったのだが、あるときから派手な作りのラブホテル、モーテルが林立しだし、さかさくらげマークの旅館は姿を消した。

 泰淳ユリコ夫妻。道中の浜松では一般旅館では無く、モーテルに宿泊することにした。

アメリカに行く前、私はモーテルというのは、だいたいが高速道路の料金所エリアにけばけばしい姿で林立しているから、当然カップル専用のホテルだと思っていた。しかしアメリカで何回か出張で使ったが、そこは、長距離運転手や出張者が利用する簡易ホテルだった。

 1969年。日本でモーテルができた当初はアメリカのような使い方がされていたらしい。だから、武田夫妻が泊まったモーテルも、トラック運転手が主に使っていたようだ。だから通常のホテルのようにレストランも完備していた。

 これはモーテルのそもそものイメージを変えねばと思っていたが、車を駐車すると係りの人が看板を持ってきて、ナンバープレートを隠してくれたと書いてある。

 当時もやっぱり主たる利用目的は今と同じだと思った。 

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| 古本読書日記 | 06:07 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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島本理生    「イノセント」(集英社文庫)

 主人公徳本比沙也は23歳。実父は知らない。母親は比沙也が小さい時失踪し行方がわからず、義理の父と暮らす。芳紀という男性と結婚し、紡という子を産む。東日本大震災で芳紀を失い、義理の父にも暴行をうけ、その父から逃れるため東京に紡と逃げる。

 キャバクラで働き、その後美容院勤めをしている。気持ちは純なのだが、自らの経験と苦労から、男については高い壁、ふさいだ心を持つ。

 この比沙也に対して、2人の対称的な男性が絡む。
一人はイベント企画会社を立ち上げ成功している真田幸弘。もう一人はカソリック教会の神父である如月歓。

 真田については、長年女友達のキリコが表現している。
「真田君は、女には慣れている割には、女の気持ちがわかってない」タイプ。
比沙也には特別の思いがあり、恋にもってゆきたい気持ちはあるのだが、その思いを正直に言葉にしない。気持ちが素直に開かない。

 一方、如月は中学のとき、ストーカー事件に巻き込まれ、それがトラウマになり、みんなと上手く交際ができず、一人ぼっちのなか、カソリックの道にはいる。
 とにかく固い。比沙也の苦悩を全部引き受けて、解決してあげたいと思い行動する。

物語はこの比沙也をめぐり、二人の男の関係を軸に動く。
 心がなかなか開かれない比沙也と、色合いは全く異なるが、2人の男性とのぎこちない交わりが、美しい情感あふれる文章で鮮やかに描かれる。

 しかし、私自身恋の経験が少ないのか、年寄りのせいか、生きてゆく人間物語としての深さ広がりが乏しく感じてしまう。

 生まれた仙台で新しい人生を築こうと比沙也が仙台に旅立つ。それを一緒に支えねばと真田が車で追いかける。しかし、真田には企画会社の社長という立場があり、多くの社員を抱えている。どうして、仙台に会社を捨ててゆくことができるのか。更に新幹線には比沙也が乗るだけで、隣に愛息子の紡がいない。紡無しでも仙台行きはありえない。

 こういった大切な背景が物語から落ちると、中身がめっきり薄くなってしまう。

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羽田圭介     「黒冷水」(河出文庫)

 作家というのは、対談とか自作品について語るような場合はテレビにでることはあるが、バラエティとかクイズ番組にはあまりでない。以前、石田衣良なんかは出演したことが時々あったが、それくらいのような気がしていた。

 ところが、最近クイズ番組で羽田圭介をしばしばみる。特に才気走っているわけでもないし、知識豊富でもない。テレビで際立つような」特殊なキャラがあるわけでもない。テレビ局もよく起用すると思うし、当人も何の動機があって出演しているのかよくわからない。もう出演はやめたほうがいいのではといつも思ってしまう。

 この作品は羽田のデビュー作で、文芸賞受賞作品。この時羽田は驚くことに高校生で17歳である。

 主人公の正気は高校2年生で弟修作は中学2年生。互いに嫌い憎しみ合っている。修作は正気の不在なとき、正気の部屋をあさり、正気の秘密を暴き、それを武器に正気を追い詰めようとする。

 一方正気は、修作のあさりが雑のため、修作のあさりについて気が付いていて、それを逆手にとって、両親に修作のひどさを訴え、母親とともに修作を非難する。

 内容は、現代を象徴して携帯やPCが攻撃の機器として多用されるが、そう新鮮味のあるものではない。

 物語が独自性を発揮しているのは、青野という麻薬の売人から、修作が麻薬を手に入れ、常習者となっていて、それを知った正気が、修作を殴る、蹴るして、けがを負わせ、病院にかつぎこまれ、そこで正気はあと一発殴ったら、弟との対立はやめようと思って病院に向かうところ。そして物語は終了。つまり、2人は対立を克服し融和することをにおわせている。

 これで、物語が終わると思ったら、付録がある。やはり、兄弟がいて、兄が「黒冷水」という小説を書き、PCにファイルしていて、それを弟が読み、兄弟の対立、互いの憎悪が一段と激しくなる。もちろん、弟は麻薬常習者ではない。結局兄弟は互いを殺しあうくらいに憎悪が高まり、付録が終了する。付録というところが異色だ。しかし、この付録が何のために必要なのか、私は全然理解ができない。

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| 古本読書日記 | 06:38 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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橋本俊詔    「学歴入門」(河出文庫)

 タイトルからして面白そうな主張がありそうだと期待したが、内容は薄かった。

最初のところで、大学で何を学ぶかについて著者は言う。
 卒業後、学んだことが生き、使えることを学ぶべきであり、大学も職を得るために、有用な学問を学ばせるべきと。
 法学や医学、或いは工学、理学はその目的に価するが、私学を中心とする、経済、商学、社会学は内容が曖昧模糊として内容によっては必要性が無いものがある。

 マーケティング、人事、金融工学は即、仕事で役立つ。しかしアリストテレスの理論は学んでも、何も実践では役立たない。

 会社でも、アリストテレスより統計グラフ作成を指示したら、瞬時に作成する人材を求める。
 私の大学のゼミの同窓会がこの前あったが、最近の役立たない学科は廃止するというあおりを受けて、そのテーマ学科は無くなっていた。

 こんな論を展開する著者が、イギリスの大学事情について多くを割いて説明している。

イギリスではオックスフォード、ケンブリッジがその最高峰に位置付けられている。この2つ大学へは一部に一般校であるグラマースクールからやってくる学生もいるが、多くはパブリックスクールからやってくる。パブリックスクールは名前と異なり、完全に私学でしかも全寮制。オックスフォードもケンブリッジも全寮制であり、仕事のテクニックを学ぶことはなく、人格を養い、教養を深くすることを学ぶ。

 私は、仕事で少し海外ビジネスに携わったが、その経験から、より相手を深く理解し、信頼関係を醸成するには、一般教養が最も大切だと思っている。

 日本の文化文学歴史を知り、加えてシェークスピアもディッケンズもさらりであっても語れることが仕事上の関係だけであっても必須だと思う。
 外国語をしゃべれることは重要だが、それ以上に教養は大切だと思う。

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| 古本読書日記 | 05:59 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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橋本治    「若者よ!」(河出文庫)

 橋本は若者という時代は人生の中にはない、他人にはあるかもしれないが、少なくても自分には無かったと言っている。つまり、人生には大人と子供があり、子供が変化すれば大人になるということなのだ。

 橋本はずっと子供だったから、みんなで遊び、いたずらをすることに熱中して楽しい子供時代を過ごしていた。ところが、高校2年が終わるころ、誰もが急に変わった。遊ぼうと言っても誰も遊ばなくなった。みんな受験でそれどころではなくなったのだ。

 だから、橋本は一人で勉強せずに遊んだ。子どもなのだから。
 それで受験に失敗して、一年間予備校に通う。その時も、勉強は真面目にしなかった。
 で、結果は東大に合格する。

こういう、普通人と頭の構造が違う別世界に住む人はわずかだが確実に存在する。天才なのである。

 更に、橋本の生まれたのは1948年。団塊世代の先頭である。団塊世代はとにかく饒舌である。ほとばしるように次から次へと言葉が飛び出る。しゃべっていないと気がおかしくなるのだろう。

 それが天才なのか、別世界にいる人のためか、馬鹿な私には何が語られているか殆どわからない。

 若者というのは、ひねくれもので、ひねくれると家出をする。そして家に帰ってくるまでの期間が若者。家に帰った時から大人ということだそうだ。言葉はわかるが、全くイメージがわかない。

 橋本は、今までの人生が一瞬に変わり、5歳からまた始められる、あるいは始めようと思っている。橋本はいまだに子供なのだから、一生涯子供のままで暮らしていけると信じている。

 まったく書評を書いている私も何が何だかよくわからない。

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| 古本読書日記 | 05:42 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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青木雄二   「天下取ったる!人の巻」(河出文庫)

 著者の青木は、1000万部を売り上げた「ナニワ金融道」を描いた漫画家。漫画家になる前は、高校卒業後サラリーマンになったが5年で辞め、その後、パチンコ屋の店員や水商売など30種類の職業を転々とする。その時の経験を「ナニワ金融道」に生かしている。

 50歳の時19歳年下の女性と結婚。その前に50回以上の見合いをした。

今時めずらしいことに堂々とマルクス レーニン主義者を標榜し、資本主義を批判する。
「われ思うゆえに我あり」は間違いで「我ありゆえに我思う。」が正しいと主張する。
私がこの世に実在しているから、私は考えることができるということ。私が死に亡くなれば、無にかえってしまう。何も存在はなくなる。それが唯物論ということと主張する。

 一方「我思うに我あり」というのは観念論。人間の上位には神が存在。人間は神によって創られ。神の御心により存在するというのが観念論。存在しない神や霊魂が存在するということを前提とした生き方をする。

 自由、平等、博愛が民主主義、資本主義の原則。しかし、貧富格差は開くばかりで少しも平等ではない。それに比べれば、社会主義は収入は多少減るかもしれないが、みんなが平等の社会となり、人々は社会主義のほうが幸せと青木は言う。

 しかし、本当にそうだろうか。例えば北朝鮮は社会主義国家である。金正恩が庶民と平等とは思えない。中国、習近平と庶民が平等とはとても思えない。

 しかも、完全に言論の自由は封殺されている。金正恩を批判などすると、死が待っている。

日本でのマルクス主義を標榜する日本共産党、優秀なリーダーだからだろうが、それにしても政党の党首はある頻度では交代するもの。志位委員長絶対的存在なのか18年以上委員長の地位にある。

 もし万一共産党が権力を取ると、共産党以外の言論は禁止状態になり、委員長は権力の象徴として人民の上に神のように君臨するのだろうと北朝鮮、中国、日本共産党をみると想像してしまう。

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| 古本読書日記 | 05:40 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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年末の読書?

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予告通り、「海街ダイアリー」には図書カードを使いましたが、
「きらいになれない害虫図鑑」に残額を使ってしまったため、「鴻池剛と猫のぽんたニャァァァン!」は現金払いです。
ほしかったんだから、別にいいんですけどね。

「きらいになれない害虫図鑑」
少人数で大量の虫を世話しているそうです。きっと、正月なんてないでしょうね(=_=)
三連休は不可能とのこと。
虫たちに関して、正しい知識を持って恐れたり見直したりしてほしい、
という内容です。
餌に試行錯誤したり、山にムカデを取りに行ったり、プロジェクト感があります。

「ニャアアアン!」3巻
メガネの友人が再登場。いい味を出しています。
幼いアルフの鳴き声に「いつか話しかけてきたりして」と答えていたら、
無駄鳴きのひどい猫に育ったそうです。
うちのももこもよく吠えます(-_-;)

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天翔ける(夢を見る)犬

今年もよろしくお願いいたします。

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羽田圭介    「走ル」(河出文庫)

 語り手である主人公は高校2年生。ある日、押し入れから子供のころに譲り受けたビアンキ製の自転車をみつける。それで、明日は高校までこの自転車で行ってみようと午前2時半に家をでる。学校まで4時間。朝6時半に到着する。すでに多くの運動部が朝練をしている。

 まだ学校に入るのは早すぎる、もう少し自転車で走ってみようと思い、走りだすうち学校からどんどん離れ、埼玉県から群馬、そして栃木まで行ってしまう。野宿をしながら、食料はコンビニで調達。福島を抜け、山形に出、秋田までやってくる。そして、本州の果て青森に到着。そこから、折り返し盛岡まで来るが。そこからは、自転車をかつぎ普通電車で上野までやってくる。

 本来、冒険とか旅というのは、日常から脱し、非日常の世界に飛び出すことに目的がある。
ところが、主人公の旅は、全く一人でひたひたと見知らぬ町や村を走るのだが、それで寂しさや孤独感にさいなまれることが殆ど無い。

 しかも青森までの4日間、人々は風景として登場するが、会話をしたのはコンビニのおばさんにおにぎりの施しを受けたのと、交番の巡査に道を尋ねた2回だけ。

 その代わり、学校のガールフレンドや部活仲間とのメールや電話のやりとりが絶え間なく続く。住んでいる街からどんどん遠ざかるのに、思いは学校や部活、勉強のことが募るばかり。

 所持金が少なくなる。コンビニで金を引き出す。両親が心配して1万円を主人公の口座に振り込んでいる。

 少し前までは、携帯が無いから、連絡は公衆電話となる。その公衆電話を探し、電話をかけるが、相手が必ずいるとは限らないし、電話料金もテレフォンカードを使うから、長い話ができない。

 田舎に行けば、自分の口座のある銀行が無い。同じ銀行でしかお金は引き出せない。今はコンビニでどんな銀行でもお金が引き出せる。

 旅は非日常を味わうどころか、どんどん強く日常に絡み取られる状態になってしまう。

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| 古本読書日記 | 06:22 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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