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2018年11月 | ARCHIVE-SELECT | 2019年01月

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石井好子    「いつも異国の空の下」(河出文庫)

 今から40年前、会社に入り初めて海外出張をした。行先はヨーロッパのドイツ、フランス、スウェーデン。もちろん海外に行くことは人生初めての経験だった。

 こんな経験は2度とできないだろうと思い、いろんなところを回り見てやろうという気持ち。仕事そっちのけの出張だった。

 パリではクレイジー・ホース、それから今では無くなったが、モンマルトルにあったフレンチカンカン発症の店「ムーランルージュ」に行った。

 その時、店は違うが、日本の草分け的シャンソン歌手石井好子さんも、こんな店、こんな雰囲気の中登場し、戦後まもないころ歌っていたのだなと、感慨深く石井さんと重ね合わせてショーを鑑賞した。

 石井さんは、東京芸術大学声楽科を卒業。戦争が終了して、活動の舞台は米軍基地内でジャズバンドの一員として歌っていた。離婚した夫のつながりから得た仕事だった。

 それにしても驚くのは、彼女の意志もすごいと思うのだが、アメリカ統治下である日本から、留学するということ。昭和25年8月1日にサンフランシスコに向け旅立ったことだ。

 昭和25年に、こんなことをできる日本人は皆無。余ほど、お金もあり、権力を持つ家庭のお嬢さんだったのだろうと思っていたら、父は衆議院議長まで務めた石井光次郎、おじさんに東急の総帥だった五島昇がいた。

 石井さんは結婚に失敗している。この結婚は多分恋愛ではなく、父親が家柄を第一に見つけて押し付けたのだろう。

 このエッセイでも石井は書いているが、その免罪符として大金を用意し海外留学を認めたのだ。

 それから、石井さんが海外へ飛び出しても安心できると思ったのが姉朝吹登水子さんが、夫がユネスコに勤めていて、パリに滞在していたことだ。朝吹さんは、あのフランソワ・サガンを日本に紹介し、その訳者として名をなした方だ。

 石井さんはジャズを海外に旅立つ前は歌っていた。だから、アメリカ、サンフランシスコではジャズを歌っていた。あの巨匠ルイ・アームストロングとも共演している。

 しかし、ジャズは石井さんに合わなかった。そのあとニューヨークを経由してパリにむかう。そこでシャンソンに会い、自分の歌はシャンソンだと感じた。

 そして、パリの高級クラブで歌い、テレビやラジオにも出演するほどの人気歌手となる。
このエッセイから、パリ時代の石井さんの生き方、描写は光輝いていて、魅力いっぱいにあふれている。

 石井さんは、日本を旅立つときピカデリー劇場で当時の大歌手淡谷のり子などにより送別演奏会を開いている。司会は森繁久彌だった。

 パリにいれば、石井さんはきっと世界的大物歌手になっていただろう。しかし、4年半のパリ在留をやめ、日本に帰国する。きっと日本でもその存在は認知されており、活躍できると思っての帰国だっただろう。

 しかし、日本は様変わり。名前もしらない雪村いづみや江利チエミがシャンソン歌手としてスターになっていた。豆笠置シズ子と言われていた美空ひばりが一世を風靡していた。

 石井さんがいる場所は無かった。レコードも出したが全く売れなかった。
この現実は、石井に大ショックを与えた。

 ここから石井はアメリカ、キューバ、そしてパリへと活動の場を移すが、その時のエッセイは、最初のパリ時代のエッセイに比べ、精彩がなくくすんでいる。

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| 古本読書日記 | 05:58 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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有栖川有栖    「論理爆弾」(講談社文庫)

「ソラシリーズ」の第三弾。

このシリーズ、大戦後北海道が日ノ本共和国となり社会主義国として独立。日本とは戦争状態にある。それから、民間探偵が法律により禁止。あまり、あり得ないと思われる状態でミステリーがシリーズで紡がれる。

 この作品までに2作あるが、物語の前提がうまく消化できず、どうしてこんな前提が必要なのかわからないまま3作目を迎えた。
 やっとこの作品で、その前提が何のためであったのか、消化できた。

犯人をつきとめるのに、最も困難なのは、犯人が殺された被害者に何も関連が無い場合である。犯人の動機が、ただ人を殺してみたかっただけという場合。通り魔殺人のように同時に何人も殺傷した場合は犯人は逮捕しやすいが、日をおいて一件、一件独立して殺害を行った場合は犯人を発見するのは難しい。

 この作品は、主人公空閑静が失踪した母親の行方を追って九州の田舎深影村にやってきてから3日間に3人が襲われ2人が殺される。1人は側溝に突き落とされ命はとりとめたが、重傷をおう事件が起きる。更に5年前に一人が事故で処理されているが、崖から飛び降り死んだ人がいる。

 そして、側溝に突き落とされた人の家から、静に事件捜査の依頼がある。
探偵行動は法律禁止である。実際に、静の父は探偵活動がばれて、逮捕され刑務所に収監されている。

 静の捜査に緊張が走る。犯人を明らかにしても、それを言い出すことはできない。そんなことをしたら法律違反で逮捕されるから。この緊迫感が読者にはたまらない。

 更に、犯人単独では、事件は起きない状況。誰か共犯がいるはず。その共犯者が村の駐在所の巡査。彼は、日本と敵対する北海道日ノ本共和国の支援者ということで物語が収斂する。

 そうか、有栖川はこの物語のために、前2作を創ったのか。

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 このシリーズの次の作品(もう出版されているかもしれないが)が心待ちになる。

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有栖川有栖     「闇の喇叭」(講談社ノベルズ)

有栖川の、火村シリーズ、江神シリーズと並んで創られているソラシズシリーズの最初の作品。

 ソラシズシリーズは、第2次大戦が、現在のような終結のしかたをしないで別の終結の仕方をしたことで今とは異なった日本を舞台にしたパラレルワールドを描く。

 1945年8月、日本はポツダム宣言を受け入れ、天皇の終戦宣言を用意しようとしていた。8月以前は、アメリカ軍は、日本の多くの都市を空襲し、日本にはたくさんの死者がでた。しかし、その空襲は8月にはいるとピタっと止んだ。

 当時のアメリカ大統領トルーマンは日本が恐怖を抱いていたような本土上陸作戦を行うつもりは無かった。上陸して制圧するのは難しくないが、少なくとも多くのアメリカ兵が犠牲になることは間違いなく、それは避けねばならなかった。

 一方、戦争終了は遅らせたかった。日本の領土を狙って参戦してきたソ連に、日本に原爆を落とし、その威力をみせつけ、領土奪取をするとソ連がどうなるかみせつけたかった。

 それで、この物語は昭和20年9月6日に広島、9月9日に長崎に、止めは9月18日に京都に原爆を落とす。これで9月20日に玉音放送があり、戦争が終結される。
 この結果、北海道はソ連占領下のもとで独立。国境は津軽海峡に敷かれ、これ以降、日本と北海道独立後の日ノ本共和国とは、戦争終結協定は結ばれず、現在でも戦争状態にある。

 なかなか興味がわく前提である。

 この作品を読むと、戦後ソ連や北朝鮮、東欧諸国が上手くいかなかったのは、思想を一つで染め上げ、国の経済もその思想により国がコントロールする運営体制をとったことによると考えてしまう。

 戦前の日本は、思想は天皇崇拝で染め上げたが、経済は資本主義、民間にゆだねた運営体制をとっている。

 この体制は、自らの思想が唯一無二で正しいとして、国民だけでなく、他国に対してもその思想で染め上げようとする。これでは、どうしても戦争に突っ走りたがる。

 世界大国である中国が、戦前の日本の体制に類似しているように思うのは、私だけだろうか。

 作品では、今の日本は国家思想に従わない人間を逮捕して処罰する国になっている。その筆頭にあげられているのが民間の探偵。探偵業は法律で禁止されている。

 物語は隠れ探偵業をしていた両親、その一人娘の高校生の空閑純が、父親と危険な橋をわたりながら、殺人事件の真相を暴く物語になっている。母親は現在失踪中。父親も事件の真相を解明したところで、警察に逮捕される。残った純はその後どうなるというところで終了している。

 ミステリーとともに若者の成長物語にもなっている。

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綾辻行人    「最後の記憶」(角川文庫)

 アルツハイマー症候群は、幾つかの種類がある。アルツハイマーは一旦罹ると、病気の進行速度は抑えることはできるが、最後は必ず死に至る病気とこの物語では書かれている。

 そのアルツハイマーの中でも、最も恐ろしいのが「箕浦=レマート症候群」である。この病気にかかると、髪の毛がすべて白髪となり、印象の薄い記憶から順に消滅し、最後は幼いころの最も辛く、切ない記憶だけが残る。死ぬ直前には、その辛い記憶にずっと苦しめられる。

 このレマート症候群は、若年性アルツハイマーのひとつで、20代でも発症することがある。
 しかも、この症候群は、遺伝性の病気であり、先祖がこの病気にかかったことがあれば、子孫の半分が発症する。

 主人公の波多野森吾は大学院で航空力学を専攻する院生。母親の千鶴は、50歳の若さなのだが、アルツハイマーのレマート症候群に罹り、入院をしている。森吾には水菜子という妹がいる。ということは。2人のうち一人が、レマート症候群に罹る可能性が高い。

 波多野森吾は、いつ発症するか恐怖におののいている。
そんなある日、幼友達の唯に偶然出会う。唯はすでに社会人なのだが、2人は大学が同じ。
唯は、恐れていてもしかたないと、森吾を森吾の母親の生まれた町に連れ出す。

 ここで生産をやめて長い間放置されていた香水工場をみつける。実は、この廃工場には、扉をあけはいると異界がある。

 そこは、今日しかない世界。昨日も今日、今日も当然今日、明日も今日。そこに入れば、今日が永遠に続く。そこに森吾は入ってしまう。

 母には二の腕に大きな傷があった。そこは1956年の世界。
たくさんの子供たちが遊んでいる。そこで森吾はカッターナイフを持ち、子供たちを切りつける。

 森吾は知る。母の二の腕の大きな傷は自分がつけたのだと。そして、母の残った最後の苦しい記憶は、森吾にナイフで傷つけられたことだと。母の今日は、森悟が傷つけた日が今日となって毎日続いている。

 この部分の描写が恐怖感をそそる。一級のホラー小説である。

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有栖川有栖    「スウェーデン館の謎」(講談社文庫)

 ミステリー作家有栖川有栖は、新作のテーマを求めて、福島県裏磐梯のペンション「サニーデイ」を訪れる。そこで、サニーデイの隣家である、童話作家乙川リュウのスウェーデン館と言われている別荘に招待される。

 そこには、乙川リュウの他、妻のスウェーデン人のヴェロニカ、更にリュウの母育子、ヴェロニカの父ハンス、更に居候としてリュウの従弟の葉山悠介、それに客として挿絵画家姉妹綱木淑美、輝美姉妹。それから建設会社社長の等々力がいた。

 乙川リュウ夫妻とその両親は母屋に宿泊していたが、有栖川はサニーデイに、そのほかの客は30Mほど母屋から離れた離れに宿泊していた。

 食事の後、離れで、画家淑美の死体が発見される。更に妹の輝美が殴打され瀕死の状態に陥る。その夜、裏磐梯では雪が降り積もっていた。

 離れと母屋の間には3つの足跡があった。一つは離れで死体の見つかった淑美の母屋から離れへの足跡。あとの2つは、図体が大きく体重も重いリュウのものと思われる大きな足跡が往復で2本あった。
 リュウは淑美が殺害されたと思われる時間には、有栖川と母屋で酒を飲み交わしていた。

 有栖川は読者の盲点をつく。複数の人が集まり、殺害が行われた場合、読者は犯人が誰なのか、その言動、行動に懸命に注意を払い作品を読む。

 しかし、どうしても犯人になる人間をとらえられない。

 それは、個人を特定して犯人になりうるか読者は探求するからだ。もし、犯人が共謀して複数いたらどうなるか。複数いるならば、可能性、手口は大きく広がる。
 この作品はその盲点をうまくついている。こんなことを書いている私はミステリー読者のアマチュアだとつくづく感じてしまう。

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柴田元幸 高橋源一郎  「小説の読み方、書き方、訳し方」(河出文庫)

以前、古本で中上健次の「枯木灘」を買って読んだところ、ときどき読者が、赤ペンで、文章の横に線を引いてあった。教養書や新書では、こういう経験をすることがしばしばあるが。今時小説でこんな本に出合うとは驚きとともにどことなく懐かしく感じた。

 私たちが小さいころは、漫画など読まず、漱石や鴎外、芥川を読むように言われた。そこから、教養と人生の生き方を学べと。

 学生時代は塊として読書をさせられた。塊を代弁しているような作者の作品を日本、海外文学を問わず読めと言われ、その塊では、バイブルとされている作品があり、絶対読破して作品への肯定を語らねばならなかった。

 その重圧や頚城がいやだった。それが70年代最後まで続いた。

80年代に変わり、その重圧を解き放つ新しい作品、小説家が生まれた。村上春樹だった。それは、自由でアメリカの香り一杯の作品だった。生き方、考え方を押し付けてくるところは何もなかった。文章や、言葉、文体が主張より大切なものとなった。

 同じ村上でも、村上龍は、一見、高圧的で、反逆的行動、思想を押し付けられているような圧迫感がするが、龍もポップアート、ロックの時代の申し子で、読みだすと、作品のリズムに飲み込まれ、気が付けば夢中になり、読み終わってしまうという感じだった。

 それでも春樹では、これは何?不思議な言い回しと時々引っかかった。

そして、そのあと綿谷りさが登場した。綿谷りさは「~のように、ような」隠喩を多用した。こんな作品は一昔前では下手な文章の典型と言われた。しかし、その多用が物語にうまく溶け込んだ。風景描写が多く、以前のこれが私の考えという色合いは全く消えた。サラサラと読め、つっかかることは全く無い。

 それでもまだ、受験の問題では、作者の言いたいことを100字以内に要約しなさいとか読解力が大切という考えが蔓延している。
 メールでさらさらと文章を書いたり、思いを表現することが当たり前の時代、大切なこととは思うが、受験問題は少し焦点がずれてきているように思う。

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矢野誠一     「落語とはなにか」(河出文庫)

 高校の時、初めて落研を作った思い出がある。そのとき思ったのだが、落語の面白さというのは虚を実のように見せることだと。

 落語の小道具は扇子と手ぬぐいだ。
 扇子は、煙管、箸、棒、槍、刀、包丁、手紙、金づち、櫓、そろばんなど、それから手ぬぐいは、財布、煙草入れ、巾着、帳面など、場面、場面で自由に変わる、

 扇子の箸を使って、そばやうどんをすするところなど、名人芸に出会うと、よだれがでてきてしまう。

 「宿屋の富」という落語が好きで、高校のとき文化祭などで演じた。

あまりお金を持っていそうにない旅人が、ある宿に泊まる。宿屋の主人に進められて旅人が富くじを買わされる。なけなしのお金一分を取られる。その番号が「子の千三百六十五番」。

 旅人は当たるわけはないとは思ったが翌日、富くじ会場の神社にくる。
もうくじは終わっていた。そして「当たり番号は子の千三百六十五番だ。そこにはりだされているよ」と神社にいた人に言われる。

 ここからの旅人のしゃべりが、この落語のだいご味の場面。旅人が張り出した場所に行く。

 「なるほど・・・(と、張り出しをみながら)立派に書きよったなあ。一番が子の千三百六十五番か・・・。二番が辰の八百五十七番・・・。ええ番号が出たるなあ・・・。干支頭に竜虎か・・・。勢いのあるものが出てるなあ。(また読み返して)一番が子の千三百六十五番か・・・。そうそうわしも昨日宿屋の主人から一枚買うたる。待てよわしの買うたのが、(と懐から富くじをだして)子の千三百六十五番と・・・フーム、こりゃあ、当たらんもんやなあ・・。沢山のなかやで・・。二番が辰で、三番が寅か・・・わしのが子と・・千三百六十五番。当たりが子の千三百六十五番・・・。こら、アカン。これで一文なしのからっけつや。あれが、子の千三百六十五番と・・・(首をふりふり)こうなると涙がでるなあ・・。わしのんが、番の五十六百三千の子ぇ・・あかんこりゃあさかさまや。わしのが子の千三百六十五番。あーあほんのちょっとの差やがなあ。」

 普通は一目で確認は終わる。こんなにかからない。ありえないことをたたみかけるしつこさ。ありえないと思いながらも、知らないうちに話芸に引き込まれてゆく。これが私のような下手になると、誰もばかにしてそんなことあるわけないじゃないかと白けムードになる。

 虚を実に変えてゆく話芸が落語の神髄だ。
「愛宕山」、旦那についてきた幇間が、旦那が谷底に放った小判を、傘をひらいて降りて、小判を拾って、服を全部脱ぎ捨て、それを縄にして、生えていた嵯峨竹の先に結び付け、そのしなりで勢いをつけて旦那のところに戻る。

 こんなありえないことを、落語家は見事に演じる。

 「粗忽長屋」では、駆け込んできた隣に住む男が、自分を指さし、「大変だ。おまえは浅草の通りで行き倒れで死んでいた」と叫ぶ。「そんなことあるわけない。ちゃんと俺は生きているぜ。」と言い返すが、隣の男が死んでいた自分のことを微細に語る。そうすると自分は死んでしまったのかと信じるようになる。この過程が聴衆にはたまらない。

 落語には人情噺やいろんな種類はあるが、やはり虚を実にみせるのがその神髄だと思う。

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穂村弘  「あした世界が終わる日に一緒に過ごす人がいない」(河出文庫)

 この作品、恋人がいない作者が、出会いがあり、それから恋に発展し、そして別れがきてまた独りぼっちになってしまう過程を詩で描いた作品と思える。
 2人の心が完全にピタリとはまり恋が生まれた時の詩がぐっとくる。
    
 「それはよく晴れた真夏の」
 それはよく晴れた真夏の朝のこと
 ぼくたちが
 大きなスクランブル交叉点に通りかかると
 ひとっこひとりいなかった
 この交叉点に誰もいないなんてめずらしい
 めずらしいね
 うん
 あれやってみようよ
 あれ
 うん
 セックス
 ちがーう あれだよ、いまならできるかも
 そういってあなたは
 交叉点をわたって
 三千里薬品の前まで走っていった。
 手を振っている
 きらきらと
 それはよく晴れた真夏の朝のこと
 交叉点のむこうとこっちで
 ぼくたちは
 横断歩道の白いペンキの端に爪をかけて
 指先と両腕に力をこめて
 せーのっと
 スクランブル交叉点を
 持ち上げた

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坂口恭平  「TOKYO  0円ハウス 0円生活」(河出文庫)

 ホームレスというと、社会から完全に捨てられ、家庭や食堂、コンビニなどで生ゴミと出されたものをあさりそこから食べ物を獲得して生きてゆく、社会の最底辺で生活している極貧の人々というイメージがある。

 この本を読むと、そんなイメージが悉くくつがえされる。まず、彼らはホームレスではなく、彼らが自ら作った家を持ち、そこに住む。その家には、電気も通り、テレビなどの家電製品があり、簀の子が敷かれた風呂もどきもあるし、簡単な調理場もある。

 家というのは、2階建ての○○LDKという一般的なイメージがある。その規格で揃えられた家に、本来の生活に適合しているかは別に、入居し生活することになる。

 しかし、墨田川河原に創られた青いシートのかかった家は、まず、自分たちの暮らしがあり、その暮らしに適合した家を家人が手作りで創ってゆく。形、大きさもバラバラ。しかし、そこに本来の人間のありかた、理想の家があるのではないかと著者坂口は考える。

 それにしても、家の材料はどのようにして集めるのだろうか。

まずは、大きなビニールシート。これは花火大会鑑賞や場所取りのために敷かれたビニールシートが、花火大会が終わるとそのまま放置されるのが結構あるのだそうだ。それを拝借。

 電源は、ガソリンスタンドで交換された蓄電式バッテリーをもらってくる。廃棄されるバッテリーにはまだ電気が残存している。家庭用電気は100Vだが、自動車用バッテリーは12V。これでも家電製品は問題なく稼働する。

 材木や釘などの基礎材は、工事現場に行き、廃材になった材料をもらってくる。
大切なことは、バッテリーも廃材も黙って持ってくるのではなく、ちゃんと交渉して入手すること。それが、次につながる。

  そして、自分の暮らしにあった家をこしらえてゆく。

中には、捨てられた太陽光発電パネルを取り付けられた家がある。住人は太陽の動きに応じて、パネルの向きをかえ、めいっぱい発電能力を高めようとする。通常のパネルは、固定して取り付けられていてこんな芸当はできない。

 食費など生活費用はどうするか。彼らは金を稼いで生活している。その意味では0円生活というタイトルは間違っている。

 大きな収入源はアルミ缶収集販売である。アルミ缶は以前は70数円/KGだったが最近は126円/KGに業者買取価格が上がっている。

 最近はアルミ缶収集箱が、回収日の前日から置かれている。だから、未明に収集場を訪ね、缶を回収する。また、マンションなどの掃除人と話しをして、優先的に空き缶をまわしてもらう。

 やみくもに歩き回っても、たいした量は回収できない。大量に収集するためには、こうした努力がいる。これで6万―7万円月に金を稼ぐ。

 ホームレスの人が、役所の保護支援課に斡旋され、アパートに住む場所を変えると、殆どまたホームレスに戻る人はいないそうだ。だから、全員がホームレス生活を楽しんでいるわけではないと思うが、この作品は、確かに想像していたホームレス生活のイメージを覆す。

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土屋賢二   「そして誰も信じなくなった」(文春文庫)

 週刊文春に連載している「土屋の口車」を収録。

本業である、哲学や論文をパロってるエッセイが殆ど。実体験や、仄聞した話題から書かれたエッセイでなく、頭でひねりだしたパロディなので、大笑いする内容は少なく、小笑いや苦笑いを誘発するエッセイになっていて、感想が難しい。

 それでも、自らが考え出したことわざを取り入れた結婚祝辞スピーチはなかなか意味深で面白い。

 「ご結婚おめでとうございます。結婚が祝うべきことかどうか迷いました。結婚をして不幸になることもあれば、離婚をして幸福になることもあるからです。ですが、『迷ったら、たとえ間違っていても世間の習慣に従え』と言われるのに従います。『メリットのないものはない』と言われるとおり、結婚にもメリットはあります。『孤独死がイヤなら結婚するか、刑務所の雑居房に入れ』と言われるように孤独死は防げます。ただし、『孤独を恐れるものは結婚し、そこで初めて真の孤独を知る』と言われる通り、孤独からは逃れられません。
 更にメリットをあげると『長生きするには結婚しろ』とも言われます。私がこれまで何とか生きてこられたのも妻のおかげです。そういうように妻に言われましたので、ここでお伝えします。
 結婚のダメージを最小限でおさえる方法は、『幸せな結婚に必要なのは、距離と誤解』と言われる通りです。幸いお二人とも誤解しやすいように見受けられるので、幸せだとかん違いされるのも夢ではありません。ご健闘を祈ります。」

 それから、歳をとると物忘れが激しくなる。それは4段階に従い重症度を増す。
「第一に名前を忘れ、第二に顔を忘れ、第三にジッパーを閉め忘れ、最後にジッパーを開け忘れる」
 これからジッパーに気を付けなくっちゃ。

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有栖川有栖    「海のある奈良に死す」(双葉文庫)

 サブリミナル効果という言葉がある。

見たり聞いたりしたことを認知させないまま無意識的にその刺激に従い行動させるような方法とその効果を表す言葉である。1956年に制作された映画「ピクニック」で、場面、場面で「ポップコーン」と「コカコーラを飲め」という文字を瞬間的に文字で走らす。この手法により、ポップコーンは57%以上、コカコーラは17%以上前年より売り上げが伸びた。現在ではこのようなサブリミナル広告は消費者の意志をねじまげるものとして法律で禁止されている。

 この作品の殺人犯は、映像制作会社に勤務していて、被害者は準社員であり、殺害者の部下。

 殺害者は青酸カリのはいっているウィスキーを贈る。しかし、被害者はアルコールを飲まない。そのまま飲まずに、他人に渡ったら、大ごとになる。殺害者は絶対に被害者にウィスキーを飲んでもらわねばならない。

 どうやってやるのかわからないが、犯人はレンタルビデオ屋からあるビデオを借りてきて、これをダウンロードして、それにサブリミナルを仕込んである同じビデオにかぶせる。

 そのビデオには場面、場面で瞬間的に贈ったウィスキーボトルが走る。

 サブリミナルビデオをレンタルビデオ屋に返す。
そして、被害者に明日の映像作成のために、そのビデオ屋からサブリミナル映像になっている作品のタイトルを言い、必ず明日までにビデオを借りて観ておくように指示する。

 被害者は、ビデオ鑑賞後、飲めもしないウィスキーを無意識に飲んでしまう。
面白いトリックだし、名探偵火村犯罪心理学准教授がこのトリックに至るところが緊張感があり素晴らしい。

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有栖川有栖    「モロッコ水晶の謎」(講談社文庫)

 出版不況のなか、書店がどんどん消えてゆくなか、大阪の羽田野書林は、新規出店する書店がすべて成功。社長である羽田野浩資は名経営者として称賛されている。

 実は、この成功の陰に、水晶玉占いを行う占い師畝美苗がいた。新規出店を決める際、浩資は、畝に占ってもらい、畝が出店すべきというご宣託をもらうと出店を決断していた。

 この出店がことごとく成功していたのである。

 浩資の家で浩資の誕生パーティが開かれる。
参加者は10人。3人はアルコールがだめなのでオレンジジュース。7人はシャンパン。それぞれグラスを持って、浩資のあいさつの終わりに浩資が「カンパイ」の声をあげ、参加者が手に持った飲み物を飲む。

 直後オレンジジュースを飲んだ参加者の一人が倒れ、そのまま即死する。
その参加者の飲んだオレンジジュースだけに、浩資社長の家の納屋にあった除草剤が混入されていた。

 しかし、どう見分してみても、殺害者が殺したい人物に絶対毒入りジュースを飲ませるトリックがわからない。

 こんな状況で、名探偵犯罪心理学者火村が登場する。
名探偵はこの状況でどんなトリックを導き出すのかワクワクしながら読み進む。

 火村は犯人を特定する。もちろん犯人は自分が殺したいと思っていた人を殺害したことに成功している。

 畝の水晶占いがパーティ前に行われていた。
被害者は殺害者と同じ恋人にたいし鞘当てをしていた。
その相手は毒ジュースで殺される。恋人もジュースを飲んでいた。

 畝は、殺害者と恋人は将来別れると予言する。将来ということは、パーティ後も生き残る。
畝の占いは絶対で、殺害者も恋人も今後も生きることを示している。

 だから、殺害に犯人は成功していると火村は言う。
懸命に読んできたのに、そんな結論は無いよな。ちょっぴりがっかりした。

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朝井リョウ    「世にも奇妙な君物語」(講談社文庫)

 ちょっとしたミステリー ホラーの要素も含み、最後に想像を超えたドンデン返しがある短編集。第3話の「立て!金次郎」が良かった。

 主人公の金山考次郎は幼稚園の保育士をしている。年長組の担任であり学年主任である須永先生が金山にきつくあたる。

 金山のクラスに小寺学人君という園児がいる。声が小さく、引っ込み思案で気が弱い。

須永先生は金山を叱る。「お遊戯会でどうして学人君を主役にしなかったのか。」と。金山はとても学人には主役などできない。学人だってそんなことしたくない。無理にやらせることはないと応酬する。

 しかし須永先生は、園の行事は、子供のためにするのではない。観に来る親のためにするものだと。だから、主役、目立つことは、園児に平等にさせないと、親からきついクレームが来ると。

 これで秋の運動会に目立つ役をさせないと、園には対応できないほどのクレームが来る。そうなると、金山の立場は無くなるし、親たちのクレームにより担任をはずさねばならなくなると。

 須永の机をみると、エクセルでX軸に年の主要行事。Y軸に園児の名前。どういう仕掛けになっているのかわからないが、園児の名前をクリックすると、誰がそれぞれの行事で主役を務めるのか自動で飛ぶようになっている。

 須永先生はここまでしないとだめだと金山に詰め寄る。

そして運動会がやってくる。肝心の学人は足のケガをして出場ができない。でも、金山には秘策があった。当日、いつもきつい目でみる学人の母親や他の親たちがやけに金山に対し愛想がいい。金山を大声で持ち上げる。

 学人は本が好きだった。読書をいつもしていた。それで、たくさんの言葉を持っていた。
金山が担当しているチューリップ組の園児のかけっこが始まる。そこで金山は、司会の保育士のマイクをとりあげ、学人に渡す。その学人の一レース目が終わってのアナウンス。

 「一レース目は、風を突っ切るような、そんなスピード感がありました。みんなの頑張りによって巻き起こった風が、ここまで届いてくるようです。」

 もう園児の母親たちは金山に対し絶賛の嵐。金山は有頂天。須永にどうだ見たかと胸を張る。

 運動会の前日。園児の母親たちが集まっている。みんなが見ているエクセルには、X軸に主要行事。Y軸に保育士の名前。名前をクリックすると、金山は運動会では徹底的に持ち上げるという場所に飛ぶ。一方須永は、徹底的に貶める場所に飛んでいた。

 このブラックユーモアいいね。金山が須永に勝利したところで物語が終わらず、母親たちの作戦が書かれているところがひねりがあり上手い。

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綾辻行人     「殺人鬼 Ⅱ」(新潮文庫)

 物語の冒頭にⅠ巻で登場した「双葉山の殺人鬼」の紹介がある。これが読者に刷り込まれるようになっている。
  姓名:不明  性別:男性と思われる  年齢:不明 出生地:不明 身長:2M前後
  体重:120KG前後 性格:狂暴、残忍、冷酷 怪力

しかも、物語に入った直後、この殺人鬼が早くも登場して、冴島という刑事一家を襲う。

 その殺人鬼
「異形の肉塊。かって顔中にひどい火傷を負ったものと察せられる。爛れてぎらぎらになった皮膚に、泥とも垢とも血ともつかぬ赤黒い塊が、斑模様を描くようにこびりついている。中央に盛り上がった肉が、かろうじて鼻の形をとどめていた。・・・・2M以上もあろうかという巨体だった。」

 殺害方法は、腕や胴体に噛みつき体を食いちぎる、怪力で骨をボキボキと折り破壊する。
また主人公の少年真実哉がその正体をみるのだが、殺人鬼は沼に入ってゆき顔だけ水面上にでている。沼に住んでいる。

 綾辻は、叙述トリックの名手。どこかに、読者を錯覚させる叙述があるのではと注意して読むが、発見できない。それよりもスプラッター小説として表現は恐怖と血がねっとり、その凄さにこの作品は、ミステリーではないのではと思った。

 その後、殺人鬼が白河外科病院に現れ、事務員の冬木や、看護士のさやかが襲われ、真実哉の従弟和博を襲い死傷させる。

  白河外科病院での殺人鬼の殺害の描写が、冴島一家殺害の時と異なり不思議に思う。
巨大、異形な容貌、怪力の表現が無く、刃物や斧や木刀を使い殺傷する。しかも、植物人間の状態で襲われた誠二郎が、ベッドで横たわっているのだが、靴をはいている。と首をひねる表現が続く。

 物語のクライマックス。沼より「双葉山の殺人鬼」「ほんものの殺人鬼」という表現で殺人鬼が登場する。

 ここでまた綾辻にやられたとショックを受ける。物語には複数の殺人鬼が登場していた。
ちゃんと双葉山の殺人鬼は「双葉山の」とか「ほんものの」をつけて区別されていた。

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| 古本読書日記 | 06:33 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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吉村昭    「透明標本 吉村昭自選初期短編集Ⅱ」(中公文庫)

 吉村昭が文学界にその地位を築いた作品「戦艦武蔵」以前に書いた初期作品集2巻のうちの2巻目。いくつかは既読。

 吉村は、若い時肺結核に罹る。そして、ごく一時期行われたのだが、肋骨を抜き取り、肺を取り出すというとんでもない手術を受けている。それも、局部麻酔だけで行われ、発狂するような痛みを味わい、死の縁を歩く経験をしている。

 だから初期作品には、死というのが、深く、重くのしかかってくるような作品が多い。この作品集も死への深い洞察が描かれている作品ばかりである。

 この作品集の中では「煉瓦塀」の印象が強かった。

幼い喜代太、久枝兄妹の父は隣のコンクリート作りの建物の中で仕事をしている。その建物の中には、たくさんの種類の動物が飼われている。

 その中に10頭の馬がいた。実は馬には、ハブなど毒蛇の毒が少しずつ与えられ、そこでできた血清をとりだし、猛毒被害が発生する土地におくり、治療をするために馬は飼われていた。

 血清が体内の血に出来上がった馬は、殺戮場に送られる。馬は危険を察知して足を懸命に踏ん張り、殺戮場にゆくことを拒む。その殺戮場には最後の贅沢な食べ物として、ニンジンが数本おかれている。

 ある馬が明日殺戮場に送られることを知った喜代太は夜中に久枝を起こし、馬のたづなを引き、久枝と一緒に馬を連れ出す。久枝はどうしてかわからない。兄に聞くと「遠いところに行くんだ」と答えるだけ。

 一昼夜馬を2人で引き連れ、遠くまで歩く。夜になったので見つけた農家の小屋で過ごす。おなかが空くが我慢する。

 朝が来る。「さあもっと遠くへ行くぞ」喜代太が久枝とでかけようとする。その時持っていた手綱がすべって、馬が自由になる。その途端馬が走りだす。喜代太と久枝は懸命に馬をおいかける。しかし、とても捕まえることはできない。

 自由になった馬は、どんどん走り、やがてコンクリートの建物にはいる。そしてうれしそうにニンジンを食べる。

 悲しく、切ない物語である。

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| 古本読書日記 | 05:58 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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長野まゆみ   「冥途あり」(講談社文庫)

 長野家の家系史を辿ったような作品。もちろん小説だから、真実ではないことも織り交ぜているだろう。主人公もまゆみではなく真帆となっている。

 長野さんの作品は、大げさに感情をはきだしたり、感動を読者に強いるようなことはない。池に小さなさざ波をたてるように、きらめく言葉がさーっと通り過ぎる。それだけに、何気ない表現にドキっと胸を突かれ立ち往生することがよくある。

 主人公真帆の父は、東京生まれの東京育ち。これに嘘は無いのだが、実は、東京が空襲にあう日が多くなり、父は祖父の故郷広島に疎開した。

 そこで、父は原爆に会う。
長野さん、その時の様子を想像力を膨らませて描いているが、どこかぎこちない。それは長野さんは父が原爆のことを忘れたと言って語ってくれないからと小説に書く。

 私は戦後の生まれだが、幼いころはまだ戦争の匂いが残っていた。当時は、原爆被害を受けた人に近寄ってはいけないとか、被害を受けた人から生まれた子は、原爆症を発病するから付き合ってはいけないと、世間では言われていた。

 だから、原爆被害を受けた人は、そのことを口外しようとはしなかった。
当時から、もちろん原爆体験を伝えていこうという機運はあり、たくさんの被災体験記が語られただろうけれど、それより、やはり語ることはできない、口を噤むほうが一般的だった。

 今はそんな風評やデマは完全に払しょくされ、被害者が語り部となり次代に悲惨さを継いでいこうとしている。

 しかし、怒られることを承知で書くが、何か風評被害が払拭されてから、語られる言葉は真に胸に響いて来ない。私だけの思いだとは思うが・・・。

 真帆(長野さん)のお父さんは、原爆被害をどうして語らなかったのだろうか。

 真帆の祖父は、船に乗り、日本各地の港をめぐっていた。真帆の兄が、必要になって原戸籍謄本を取り寄せたら、驚くことに7通もあった。

 調べてみると、祖父は、めぐる港、港で戸籍を移していた。
戸籍ロンダリングというらしい。頻繁に戸籍を移すことにより、真帆の父やその兄弟の徴兵を懸命に逃れようとしていたのだ。

 もちろん、戦後祖父もそんなことを一切口を噤んで言うことは無い。

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| 古本読書日記 | 06:12 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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宮部みゆき    「希望荘」(文春文庫)

 大財閥の会長の娘と結婚した主人公杉村。その娘と離婚し失職。そこで東京北区に私立探偵事務所を開設。その杉村が挑むミステリー連作中編集。

 本のタイトルになっている「希望荘」も面白かったが、圧倒的に面白かったのは「砂男」。

手打ちそば処の「伊織」は山梨県桑田町の県道沿いにある。東京から帰郷してきた巻田夫妻が2人で切り盛りしている。味も、雰囲気も素晴らしく繁盛している。

 巻田夫婦は東京の会社で知り合い、会社を辞め妻典子の故郷に夫広樹とともに帰り「伊織」を始めた。
 夫婦仲は良く、更に夫広樹は懸命にそば打ちをする真面目な性格。それを妻典子も支えていた。

 ところがある晩、典子が倒れ、救急車で病院に搬送される。そのとき広樹は不在。典子によると「夫の広樹は女を作り、失踪した。」とのこと。

 広樹は、中学2年のとき家が焼け、母と妹を亡くす。父は離婚していていなかった。家族をみんな無くしていた。その火事は広樹が家に火をつけることで発生したのではと火災時疑われた。

広樹は結婚前にそのことを告白。典子はそれでも広樹を愛し、人柄を信頼していたので、家族の反対を押し切り結婚する。
 その後2人に子供ができるが、その子供を産むか産まないかで2人に亀裂が走る。そしてとどのつまり広樹は「俺は人殺しだ。人殺しに子供はいらない。」と叫び、2人は離婚することを決意する。

 しかし、田舎で離婚となると、典子に非があるように世間で言われる。これを一方的に広樹に非があるようにさせねばならない。

 さらに不思議なことに主人公杉村が広樹を調べると、広樹は中学生から大問題児で、入学はしたけど、学校には来ず、卒業写真も無いまま卒業。それから、パチンコ店員キャバクラの呼び込みなどをして底辺のような暮らしをしていた。

 全く、典子が知り合って結婚したやさしい広樹とは違う。いったい夫広樹は誰なのか。人殺しをしたというのはどういうことなのか。

 この物語は、戸籍を互いを消したいという人同士の間にたち、戸籍を消し、新たな戸籍をつくる闇サービスがあることを教えてくれる。

 ただ、車の免許やパスポートは写真が貼付されているため、戸籍を作り替えても、違法が露見される可能性が強い。
 免許やパスポートを所持していない人が、戸籍を変えても、問題が無いということになる

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| 古本読書日記 | 05:54 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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高村薫    「四人組がいた。」(文春文庫)

 市町村合併で完全に取り残された山奥の寒村。そこの郵便局兼集会所にやってくる元村長、元助役、郵便局長、キクばあさんが巻き起こす騒動を強烈なユーモアで描く連作小説集。

 完全にノックアウトされたのが「四人組 村史を語る」。

その昔は、村はキャベツ村といわれ、暮らしはキャベツを栽培することでなしていた。しかし、キャベツは価格が安い。それで、売値がキャベツの10倍もする西洋野菜ケールを耕作地の半分を使い栽培することになった。

 この決定をした村議会。キャベツなんかは、トンカツの付け合わせか漬物になるか、形が全く無くなる餃子の中身になるくらいとキャベツをみんなでけなす。

 その夜、ワッサ、ワッサと怒り狂ったキャベツが畝から飛び出し、体に一杯のアオムシをつけて行進をしだした。

 村中の数万、数十万のキャベツが、旧バス道で合流し、川の流れのようになって、村の山の頂を目指す。その頂上がキャベツのピラミッドのようになる。

 そこでの表現がおったまげる。

「彼らは天空に向かって呪うように叫び続けていた。我々への感謝を忘れた人間どもに復讐を!我々をトンカツの付け合わせとしてしか見ていない人間に復讐を!餃子だのお好み焼きの、原形をとどめないまでに切り刻んで我々を切り刻んで食いつぶす人間どもに復讐を!我々をニワトリや豚のエサにし、畑の肥やしにする人間どもに復讐を!そして彼らのシュプレヒコールはやがて轟轟たる大合唱に変わった。
 立て万国のキャベツよ!今ぞ日は近し!目覚めよ我が同胞!暁はきぬ!いざ戦わん!
いざ奮い立て!ああ、キャベツ、キャベツ、キャベツ!」

 この突き抜けた表現。完全にわたしはノックアウトされた。

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| 古本読書日記 | 06:15 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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桜木紫乃     「霧」(小学館文庫)

 私が今住んでいる地方都市、長い間国会議員を輩出。その議員が引退して、別の議員が引き継ぎ彼も長い間国会議員を務めていた。
 最初の国会議員は、彼の功績を称えて、市役所前に銅像まで建っている。

国会議員にもそれなりに力はあったのかもしれないが、市を牛耳り、利権を全部わが物にしていた一族がいた。

 市長をはじめ、主な市関連団体のトップはその一族が占めていた。更に、その一族は建設土建業と輸送業を持ち、すべての公共事業が一族の企業に落札するようにしていた。

 民主党が好きというわけではないが、今は民主党系の市長に変わり、何回か選挙をやったが、一族系の候補者はことごとく敗退し、一族支配はかなり無くなってきている。

 この物語は、昭和30年代後半から40年代はじめまでの北海道根室を舞台にしている。

昔からの名門企業河之辺水産には3人の娘がいた。長女は、根室の輸送を牛耳っている大旗運送の長男に嫁ぐ。次女はそんな政略結婚に反対し、自分の意志で生きることを志し、何と15歳で芸者の世界に飛び込む。更に三女は、お金で支配している信用金庫の長男と婚約させられている。

 次女は自由に生きるはずだったのだが、結局暴力団でもあり、建設業界を牛耳っている相場組組長と結婚する。

 物語はすべて次女視点で描かれる。次女は、長女の生き方を嫌っている。長女は夫を国会議員に当選させ、根室で権力を増大し、根室を牛耳る、そのために、妹の3女を金貸しに嫁がせようとしている。

 そんな視点から描かれるから、長女は悪の源のように思われるのだが、社会は次女が見ている、経験していることしか描かれないから、本当に長女が悪い人間なのかはわからない。
 長女には長女の経験している社会があるのだから。

しかし、彼女たちの意志、思いとは全く関係なく、みずからの意志は殺され、地方都市の濁流の中に、3人の女性は飲みこまれていく、救いようのない世界は、視点はだれであれ、変わらないということは物語は語っている。

 現在でも、こんな世界、地方都市は確かに存在している。

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| 古本読書日記 | 05:44 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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山田詠美 「明日死ぬかもしれない自分、そしてあなたたち」

爺やの感想はこちら

あとがきで「山田詠美が書いたサザエさん」と長島有氏が評しています。
「禁じられた遊び」や「ある愛の詩」を見て泣く女性や、
「人と人はちゃんと会って話さないと駄目だ」と語る男を、語り手にしている。
三兄弟にそれぞれ相手を用意し、最終章で恋がどうなったかをまとめる。

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村山由佳・宮本輝・宮下奈津・橋本紡・角田光代などなど
「こういう設定、こういう展開、覚えがあるな」と他作者の作品をぼんやり思い出し、
「でもこれ、山田詠美なんだよな」と再確認。
言うほど山田さんの作品を読んだことないんですがね。
そもそも、「私は十五の時から娼婦だった」「黒人のリックはベルベットの舌を持つ」みたいな、
性愛と酒の匂いがする本だったら、最初から読んでいませんが。
(そういうイメージの作家さん)
センスの良さや鋭い言い回しはあると思いますが、この作者らしいかって言うと、そうでもないのかなと。

書名からして「誰にでも起こりうること」「死の乗り越え方の一例」という感じなので、
奇抜な内容である必要はなく、「ああ。一段落したな」と読後感がよければいいのです。
いい話です。

| 日記 | 20:59 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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さっちゃんの成長

さっちゃんon茶々

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茶々onさっちゃん

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昨日の作品

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今日も元気

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| 日記 | 16:01 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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有栖川有栖     「幻坂」(角川文庫)

大阪は近代以前は「大坂」と呼ばれ坂の多い街といわれた。大坂は蓮如上人が坂が名所としておさかと呼んだところから大阪となったそうだ。

 その中でも、天王寺の上町台地にある生玉寺町と台地の西麓に広がる下寺町をつなぐ7つの坂が最もたくさんの史跡があり「天王寺七坂」として有名である。浪速の小説家、織田作之助が描き、谷崎潤一郎が「春琴抄」で扱っている。

 有栖川はこの七坂を題材として、7編の短編集に仕上げている。

 有栖川は論理を際立たせるミステリー作家で、文章はストレートでどちらかというとかわいている。
 ところが、この作品では、しっとりと重く、余情を残す文章で作品を作り上げている。有栖川もこんな情感のある文章を創れるのだと少し驚いた。

 しかし、物語の内容が平凡。いくら華麗な文章で包んでも、こんな薄い内容では、白ける。

「愛染坂」。
主人公の作家、青柳慧はミステリー作家で3作目で大きな賞をとったのだが、それから躓いた。全くアイデアが浮かばなくなり、4作目が書けない。

 悩みの中愛染坂を歩いていると、久石美咲という女性にファンだと声をかけられる。そして自分も小説家を目指していると。

 この美咲と文学教室の講演で再び出会い、そして2人は恋に陥り一緒に住む。しかし関係は8が月間で破綻する。

 美咲の小説が賞をとり、美人作家として爆発的に売れだす。その間全く青柳は書けない。流行作家とダメ作家の同居生活。青柳は卑下し、鬱屈の毎日とても持たない。
 だから、2人は別れる。

ここまでは、作家夫婦の苦労、苦悩が描かれ面白いのだが、別れた美咲が自殺する。それがたった一行。え!どうして?
 それは無いと思う。たった一行なんて。どんなに叙情を尽くしても、これには唖然。

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| 古本読書日記 | 06:43 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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有栖川有栖   「真夜中の探偵」(講談社文庫)

この作品での現在の日本。第二次大戦でアメリカに負けたのだが、1945年8月15日に敗戦になったのではなく、戦争はまだ続く。

 結果、北海道は独立。日の本共和国となり社会主義国家で、日本と戦争状態にある。1945年9月には京都にもアメリカの原子爆弾が落とされる。

 日本と日の本共和国は対立状態にあるのだが、実は裏で秘密協定でつながっているのではと作品では語られる。それはブラキストン・コンフィデンシャル(BC)と言われているが、実際は不明だ。

 さらに、民間の探偵活動が法律により禁止される。警察は権力に結び付き、権力の意向により、取り締まり捜査の手を抜き、犯人を捕まえない。ところが民間の探偵が真相をつかみ、犯人をみつけだす。これはたまらないということで活動禁止にするわけだ。

 しかし、かなり違和感がある。民間の探偵など、浮気調査くらいをするだけで、とても事件捜査をして真相をつかむなどという大がかりな捜査能力は無く、市場も小さく、政府が法律まで作って禁止するような状況ではない。

 大上段にふりかざした前提。これと発生した事件との関連が、間接的にはあるのだろうが、ふりかざすほどの強い結びつきが薄い。
 こんな大げさ前提なしに、普通のミステリーとして書いたほうが、アリバイ崩しのトリックに読者も集中できたのではと思う。

 もうひとつバランスに欠けた作品だった。

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| 古本読書日記 | 06:40 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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高村薫     「冷血」(下)(新潮文庫)

井上克美の裏求人サイトにアクセスして、犯罪コンビとなった戸田。ATM強奪に失敗して、その後無計画にコンビニ強盗を2軒で行い、12万円ほどの金を奪取。それから、思い付きで一軒家を襲おうと思いが一致。現金を置いていそうもない歯科医一家に押し入る。

 お金を盗むのなら必要のない歯科医の親を井上がいつも持っていた「根切り」で、父母を殴り殺す。ここからが全くおかしいのだが、戸田が子どもの殺害は自分がやると宣言、井上も一緒に2階の子供たちを殺害に行くかと思いきや、彼は一階に残り、キャッシュカードを探したり、貴金属品をかき集める。互いの行動に関心が無いのである。

 事件担当検事から、合田警部は、報告書は事件の構成要件を満たすようにしてくれとの要請を受ける。検察の訴追書は、供述内容や物的証拠に加えて、犯人の動機が書き込まれねばならない。

 しかしいくら問い詰めても「何も考えていなかった」「勢いでやった」「深い考えはなかった。」しか犯人からはでてこない。

 井上も戸田も当面の生活には困らない金は持っている。大きな借金もない。だから、金にひっ迫して、犯行に及ぶという想定にあてはまらない。キャッシュカードを使い引き出したお金1200万円を2人で等分。それだけの金があるのに3か月の逃亡の間、4-50万円しか減っていない。更に800万円余の価値がある貴金属品はすべてコンビニのゴミ箱に捨てる。

 井上、戸田とも高校をでて就職。いくつかの職業を転々とする。その間に、2人とも殴打事件を起こし、実刑で服役。

 普通の人は、生活基盤を持ち、社会的生活を送る。その枠からはずれ、井上、戸田のような浮遊する生活をする人がいる。私たちは、そんな人たちを私たちの規範、考えで理解、評価をする。

 この作品では、合田警部は、その規範を何とか取り外して、彼らの行動、衝動を理解しようとする。

 しかし、高村の想像力、言葉を持ってしても、表現不能なのである。言葉の弱さを知らしめる物語である。

 合田の粘り強い被告とのやりとり。その情熱が通じ、井上が死刑になるまで、合田に手紙を書く。合田もそれに答える。それでも、言葉が無く、2人はうまくつながらない。

 井上のたくさんの手紙の中に、被害者への謝罪や後悔の言葉は何もない。何よりも私たちは、殺害した人々への謝罪と反省を求める。

 深い溝がある。切なさとやるせなさだけが残る。

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高村薫     「冷血」(上)(新潮文庫)

カポーティの傑作「冷血」は実際にカンサス州で起こった、農場主一家4人の殺害事件を捜査関係者や加害者2人を含め事件関係者に綿密に取材し、事件に至る過程から、加害者が死刑に至るまでを描いている。

 このカポーティの作品を深く読み込んで、高村は、同じように歯科医家族4人の殺害、加害者も2人の事件を創造して、綿密に事件に至るまでの過程、捜査、裁判、死刑に至るまでの過程を描く。カポーティの作品を参照しているとはいえ、自らの創造力、作家力を十分に使い、難しい過程を描き切ったことは称賛に価する。

 作品はまず、事件が起きる過程を長く描く。

裏就職サイトにすぐお金が手に入るということを、就職情報を載せた井上克美、それに即応じた戸田吉生。

 2人で相談してATMを襲い、金を奪取しようとするが失敗。その後、井上がパチスロに凝っていたので、景品交換所を襲うとするが、警官がいたため断念。それで、コンビニに対象を切り替え現金を奪取。2軒襲うが、一軒6万円程度の金しか手に入らない。

 そして町田の住宅街で、強盗に入っても家にはお金は無いだろうと思える歯科医の家にはいり、両親と子供2人の4人を殺害する。

 この時、キャッシュカードを手に入れ、暗証番号を母親を脅し聞き出し、それにより、その後16回もATMにゆき1200万円のお金を引き出し、井上と戸田で2分して600万円ずつわけあう。さらに、貴金属800万円余を手に入れる。

 ここまでが第一章で、いよいよここから警察の捜査が始まる。

高村は、一気に犯人逮捕をさせないで、捜査の経過の在り様を想像して詳細に描く。

 現場検証。現場付近の地取り。歯科医やその家族と社会の人間関係捜査。ATMの防犯カメラ解析。カメラに映った車の捜査。歯科医のカルテの調査。犯人の足跡から履いていたと思われる安全靴の入手経路捜査。

この綿密な描写、読者は犯人を知っているため、結構いらいらする。
結局、犯人が使用した車から、井上、戸田が浮かび上がり逮捕に至る。

 この物語が不可思議なのは、例えば戸田は神戸で事件発生後捕まるのだが、その時の所持金が558万円。つまり3か月で42万円しか使っていないこと。しかも、捕まったときには、新聞配達人の職についていたこと。

 お金は必要ではなかった。それなのにどうしてコンビニを襲ったり、4人も人殺しをしたのか。しかも、殺害、強盗計画を綿密に練り上げたわけでなく、殆ど行き当たりばったりに事件を起こす。

 本当に不可解。この疑問を抱いて下巻を手に取る。

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村山由佳   「ワンダフル・ワールド」(新潮文庫)

 五感の中で、最も表現するのが難しいのが匂い。村山さんはこの匂いに挑戦して見事に表現で成功している。更にいつも思うのだが、セックスに対しての表現が実にうまいこと。淫靡にならず、欲情的にならず、それでも的確に読者に向かって紡ぎ出す。

 この作品集のなかでは「サンサーラ」がよくできていると感じた。

 主人公の香奈は、朝の電車での出勤途上、心臓が突然暴れ出し、呼吸が苦しくなり、出勤できなくなる。それから、そんな症状が突発てきにでて、会社どころか家からも出れなくなる。

 病院で診察してもらうと、体のどこにも異常はない。病名は「過呼吸症候群」と診断される。この病気は精神的ストレスにより発症されると説明を受ける。

 会社は当然のように退職となる。

 何とか薬の力を借りずに外出するように頑張る。8か月を過ぎると近くのコンビニまで出かけられるようになる。

 その少し先に「白蛇洞」という骨董品屋がある。中国を中心に悠久の歴史のある品を扱っている。香奈は小さい時から、その店に行って、主人の扱う品物の来歴、古い時代のことを教えてもらうのが大好きだった。あの頃の主人は40歳くらいだったか。

 その主人に頼んで、雇ってもらう。主人は「あせっちゃいけないよ」と優しく穏やかに語ってくれる。発作もおこらず安らぐ日々が流れる。

 その主人は、香奈は不思議に思うのだが、小さい時に出会ったまま今でも40歳の姿。全く年をとっているように見えない。

 ある日主人が言う。
「決めてあるけど、この店をたたんで、別のところに行くよ。それはうんと遠いところ。」
「同じように人目をつかないような店になるんでしょ。だったら店番がいるでしょう。私もついていく。」
・・・・・・
「安心して。あなたのために、私うんと長生きしてみせる。たとえ死んでもまた生き返って店番してあげる。」

 永遠に愛していたい。そんな真剣さがじわっと心にしみてくる。

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| 古本読書日記 | 06:04 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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篠田節子    「蒼猫のいる家」(新潮文庫)

 動物と関わるときの、人間のあほらしさ、愚かさを描きだす作品を中心にした短編集。

ペットブームなのだろう。最近テレビで動物を中心に据えた番組をよくみる。その際、ペットに溺愛して、ペットは今こう思っている、こんなことをしたがっていると、ペットを擬人化して演出しているシーンを多々見る。

 私の家では犬、猫ともに二匹ずついる。どのペットも可愛い。しかし、ペットが人間のように、あるいはそれ以上に考え、気持ちを表現する泣き声、表情を創るとは思えない。

 犬でも猫でも、その本能で行動していて、人間が思いいれているような複雑な行動はしていない。
 この作品集も犬、猫など動物が登場する作品がいくつか含まれているが、篠田さんは、動物に感情移入せず、動物のもつ特質を冷静に、客観的に描き出し好感が持てる。

 どの物語も篠田さんらしい素晴らしい作品に仕上がっているが、いつ読んでも篠田作品で感服するのは、会話の部分の表現にリアリティがあるところ。

 収録作品「イーラー」から。ファミレスでの社長と接待を受けた邦夫とのの会話。ちょっと年代が上の男の女性に対する評価が生き生きとなされている。

 「うちのなんて、あれは女じゃなくて、カンナですね。そう、命を削るカンナだね。疲れて帰って、女房の顔みてまた命が削られる。女房でなけりゃいいだろうと思ったら、若い女だって同じですよ。頭でっかちで、要求ばかりが多い。気をつかってやってこっちが大汗かいてサービスして、それで当たり前みたいな顔でふんぞりかえられる。おまけにバックだ服だとねだられて別れてみれば、財布はかるく心は重くってことになる。体を癒してくれて、一緒にいると明日への活力が体の底からわいてくる、そんな女はもういなくなってしまったんだね。いつの間にか、女はこちらが気力を十分にして奉仕するものに変わってしまった。
疲れた男なんぞ、ふん、と鼻先で笑って足蹴にあれるだけで。」

 「うちのだって似たようなものですよ。女房に命を削られるなんて我々の世代じゃあ当たり前の話ですからね。癒してくれと言おうものなら、甘えったれるなと一蹴されて終わり。一言いえば三言なんてものじゃない、二十倍くらいになって返ってきますよ。だからと言って外の女だって、社長の言うとおり、癒してくれるわけじゃない。そりゃすっきりはしますよ、物理的には。しかし充実感だの活力だのくれる女はどこ探したっていやしない。なんだかんだと言っても結局は金、みたいのが見え見えで。女送っていった帰り道なんか、俺。いつまでこんなことやっているんだ、げっそり空しい気分になったりして。」

 切ないねえ。でも、飲み屋で隣の席から、今にも聞こえてきそうな会話だ。

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| 古本読書日記 | 06:17 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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石ノ森章太郎   「章説 トキワ荘の青春」(中公文庫)

章太郎は高校を卒業して上京し、最初に住んでいたアパートをでて、漫画家を目指して豊島区椎名町にあった、漫画家ばかりが住んでいる「トキワ荘」の2階にやってくる。

 そこは寺田ヒロオを筆頭に、藤子不二雄、ツノダジロウ、赤塚不二夫などそうそうたる漫画家が住んでいた。昭和30年だった。

 そのころの雑誌は、すべて月刊雑誌。雑誌には漫画も掲載されたが、小説と混在していた。章太郎も作品が掲載されていたのが「漫画少年」そこから「少女クラブ」の別冊にも掲載された。自転車操業のように毎月2つの雑誌に漫画を載せた。

 ところが「漫画少年」「少女クラブ」の出版社が行き詰まり倒産し、その後次々たくさんあった月刊漫画雑誌が廃刊となる。

 章太郎は、漫画はみんなから見向きもされず、廃れると思い詰める。それから、漫画家というのは男が一生かけてやる職業ではない。漫画大好き少年だけが描くもの。こんな思いが強くなったのは章太郎23歳のとき。最早章太郎は少年では無かった。

 章太郎は、漫画から脱却するために、外国への旅にでかけた。アメリカを放浪し、そのあとヨーロッパに渡り放浪し、マカオ、香港を通って、羽田にもどってきた。

 帰ってきたら、廃れるだろうと思っていた漫画はマンガに変わり、雑誌は週刊に切り替わろうとしていた。
 月刊雑誌に2作連載するのにも苦労していたのに、これからは週で追いかけまわされることになった。

 こんな状態になると大変で、時々、締め切りまでに間に合わせれない作品がでて、雑誌に穴があきそうになる。そうなると編集者は、漫画家のたまり場になっているトキワ荘にやってきて、何とか穴埋めのために漫画を描いてくれと頼む。

 赤塚不二夫は当時、ストーリーものの少女漫画を描いていたが、あまりパっとしていなかった。

 穴埋めのためには、ストーリー漫画を考えている時間が無い。やけになってギャグ漫画を描く。

 その雑誌が販売される。自分の描いた作品を赤塚がみる。すると驚くことに漫画の最後に「つづく」とある。
 ギャク漫画作家「赤塚不二夫」が誕生した瞬間である。

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井伏鱒二    「七つの街道」(中公文庫)

昭和31年、文芸春秋の依頼により、7つの街道を回る。そのときの旅行記。

最高に面白かったのは、芭蕉の「奥の細道」紀行に従って、芭蕉が廻った東北の道をたどったときのエピソード。

本当は、もう少し長いのだけど、井伏が以下のことを紙に書いて、行く先々でその土地の方言に変えてもらったところ。
 「あれは何という山ですか。あそこの丘の上にのぞいているあの山。大変いいじゃないですかね。昔、ここに芭蕉が来たそうですね。」

 まずは、石巻で。
 「あそごは、何つう山だべ。あそごの山のウイ(うえ)さででェるあの山。とってもええ山でがいんか。むかす芭蕉がこごさ来たッツうけね。」

 そのあとは岩手の一関
 「あいづ、なんツゥ山だべ。あぞこの丘の上さ出はってるあの山。何ツウいい山ダベニエ。こごさ芭蕉さんが来たったッえ。」

 最後は山形県酒田
 「あれは何てう山だんでろ。あっこの丘の上さのぞいてるあの山。とっても、ええ山でねか。むかす、こごさ芭蕉が来たけんども、」
 私の大学が東北地方だった。寮生活での会話を思い出した。

私の小さいころはスポーツと言えば野球だった。

井伏が宮城県の寒風沢島を訪れる。小学校校庭で生徒が野球をしていた。小さな島で校庭も狭い。だから外野は海の上で、船に乗って守る。ボールが取れないと船を漕いで取りに行く。

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高山文彦    「麻原彰晃の誕生」(新潮文庫)

 オウム真理教教祖、先に死刑執行をされた麻原彰晃、本名松本智津夫の生い立ちから、地下鉄サリン事件を起こすまでの遍歴を綴ったノンフィクション。

 悪の教祖と誰もが見ている。驚いたのは、彼の周辺をあたると、隠す素振りは無く、関わりあった人は彼についてよくしゃべる。しかし、大事件を起こした人だから、どうしても超変人としてみんなが語る。確かに、変人ではあるが、そのことが大事件を起こすことの背景にあったのかはよくわからなかった。大事件をおこしたから、変人だったと語っている部分も感じる。

 1987年「オウム神仙の会」が名前を変え「オウム真理教」という宗教法人となった。

80年代後半は。チェルノブイリ原子力発電所事故や、ノストラダムス終末予言により、空前のオカルトブームが起こった。快楽と恐怖が共存しながら終末へとむかう。それに拍車をかける雑誌「ムー」をはじめ、オカルト関連雑誌や本が書店に所狭しと並んだ。

 麻原彰晃は、当時の多くの人々自身の投影だったように感じる。

岩手県釜石市に流れ込む甲士川に餅鉄よばれる鉄の原石がある。これを奇蹟の鉱石と称して麻原はヒヒイロカネと呼ぶ。
 ヒヒイロカネを得たことが、麻原を大きく変える

 このヒヒイロカネを使い、シャクティーパットという方法で麻原は奇跡を起こす。仰向けになった信者の額に親指をこすりつける。このとき信者はヒヒイロカネを持っている。しばらくすると、尾骶骨あたりにあるクンダリニーと言われる生命の根源エネルギーが覚醒され信者は完全に瞑想状態にはいる。尾骶骨あたりが火にあぶられたように熱くなり、そのうちに夢心地になり完全に悦の状態になると麻原のセミナーを受講した人たちが言う。

 麻原はヒヒイロカネにより、幽体離脱をしたということも喧伝する。

サリン事件を起こす少し前、事件により自分は警察に捕まるが、そこを離脱して、自分は解脱者メシアとなり、地球の支配者として再び登場すると信者に宣言している。

 麻原は、俗人ではなく、自分こそ真のメシアであると、最後は信じ切っていたのだろう。

今の世の中、十分注意をしていないとまた麻原のような人を生んでしまう。
 なにしろ奇蹟の鉱石ヒヒイロカネはアレフと名をかえて、信仰のもととして崇めている宗教集団が今現在存在しているのである。

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