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2018年10月 | ARCHIVE-SELECT | 2018年12月

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冲方丁   「十二人の死にたい子どもたち」(文春文庫)

 廃業した病院に12人の子供たちがやってくる。子どもたちは、それぞれに生きることに絶望していて、目的は一斉に安楽死をすること。ところが、子供たちがやってくると12人ではなく、すでに一人死んだように横たわっている13人目の人がいた。

 この13人目の人をどう扱うか。無視して12人で死ぬと、警察が入り13人目の人が、安楽死した12人により殺害されたとして、12人に罪をきせる可能性があるということで、一人がそれは受け入れられないとして一斉自殺に反対をする。

 安楽死のルールは全員が一斉に実施するということになっているので、このままでは実行できない。それで、集まった12人は、13人目がどうして存在したのかを追求することとなる。

 その追求の過程は12人それぞれの思いが交錯したり、廃病院の構造が複雑でわかりにくく、集中して読み込まないと、なかなか理解するのは難しい。

 最近、精神障害や知的障害を持つ人たちが、強制的に不妊手術をさせることを義務付けていた法律「旧優生保護法」のもとで、子供を産めなくさせられた人たちに対する人権侵害が社会的に大きな問題となっている。この法律は1996年に廃止されているが。

 物語で集まった子供たちのなかに、生まれたことが、その子に不幸を背負わせていることになってしまっている子どもが何人かいる。それで、生きることに意味を感じず、安楽死をしようとしている。中には4歳で自殺を考えた子もいる。

 こんな中、子どもの一人、アンリが懸命の訴えをする。
自分たちのような不幸な子を産ませないために、不妊報酬制度、不妊した人に報酬を与えるという制度創設させようと訴える。道は険しいかもしれないが、今12人が一斉に死ねば、世の中の不幸な子どもたちの存在と問題に気付き、大きな変化が生まれることになると。

 この強い訴えが、集まった子供たちに変化を生まれさせる。
アンリの考えはひとりよがりだと。今自分が不治の病に陥っていても、いじめなどで絶望のなかにいても、やっぱり、死ぬまで生きようと。

 この物語の価値は、アンリの訴えが逆に安楽死をやめて、みんなが生き抜くことを選択」した変転にある。しかし、その変転を、読者が受け入れられるだろうか、少し首をかしげたくなる。

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柚月裕子    「ウツボカズラの甘い息」(幻冬舎文庫)

 少し前に、頼まれて、いくつかの会社の有価証券報告書を調べる機会があった。
驚いたのは、化粧品会社の原価の低さだった。売上高の四分の一、これで類推すると、販売価格の五分の一以下と思われる。なんだか、歓楽街にあるボッタクリバーを思い出す。

 美容にたいする女性の執着心というものは、男から見ると驚異である。60代になっても肌年齢は20代を維持する。こんな宣伝が巷に溢れている。安い材料に、カタカナのもっともらしい名称をつけ、高級品と思わせるような、高額な値段をつける。このカタカナに吸い付けられ、高ければ高いほど効果があると思わせ女性を飛びつかせる。

 この物語、懸賞オタクの主人公主婦文枝にある日ディナーショー券に当選したということで券が送られてくる。そのディナーショーが終了したところで、中学生時代の同級生加奈子が久しぶりと声をかけてくる。化粧品販売ビジネスを一緒にやろうと。

 その結果、文枝は大金と生きがいを手に入れる。しかし、加奈子とそのパートナーである男が、化粧品購入会員になった客に、化粧品会社が上場する、今投資しておくと上場時に大儲けできると持ち掛け、大金を投資させる。しかし、この上場話は嘘で、大金を集めたところで同級生は失踪、そして鎌倉の同級生の別荘でパートナーの男は殺される。

 主婦文枝が殺人犯として逮捕される。
しかし、文枝は殺人を頑強に否定。そして、警察には文枝が殺人をしたという証拠が無い。

 ここからの秦刑事と女性刑事菜月の真相追求の捜査が、鎌倉、東京だけでなく、岐阜、福井まで飛ぶ。スピードがあり、緊迫感一杯で見事な物語になっている。

 惜しいと思ったのは、2週間に一度の割合で、女性を集めて会員勧誘系商品販売をするのだが、どのようにして女性を集めるのかが語られない。広告を打つわけでもないし、チラシがまかれるわけでもない。このカラクリは詐欺につながる重要な鍵を握る。その説明が無いと物語の納得感がでない。

 また犯人は、パートナーを殺害する前に、別件で3人の殺人を起こしている。それだけ事件を起こしても絶対捕まらないとしているが、そんなに警察はずさんなものなのか、少し安直すぎる。この2点は残念だと感じた。

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藤野千夜   「少年と少女のポルカ」(キノブックス文庫)

 男子高校で、ゲイの子。美形で洗練された生徒に憧れる。男子高校なのに、性転換までしてスカートをはいて登校する子が登場する。
 藤野さんは、こんなあり得ないような人物を、見事に実世界に融合させる。その手捌きには、本当に感動する。

 この作品集の「午後の時間割」の主人公ハルコには、その人物造形のすばらしさには称賛の言葉しか浮かばない。

 秀逸な青春の情景描写。
「ハルコの春はどこにある。と誰かが『赤色エレジー』の替え歌を歌い、ハルコの春はなかったんだよー、とその歌を知らないハルコが出鱈目な節で歌い返している。三月だった。夜が仄白い光に追われはじめ、薄汚れた電柱に向かい別の誰かが嘔吐しているのをハルコは指さして笑った。・・・・・ハルコは冷たいアスファルトの地べたに尻をつけ、いつのまにか皺くちゃになった煙草を吸った。誰かがハルコを指さして笑っていたのでハルコも笑い返した。卒業証書をラーメン屋に忘れたと言った女には、じゃあわたしのをやる、と筒ごと放りなげた。」

 自分もあったなあ、こんな青春が。アスファルトに仰向けに寝そべり、私を何とかしろと言って絶対動こうとしない女の子、電柱に抱き着いて好きな男の子の名前を叫ぶ女の子を思い出してしまう。

 高校時代のテシロギに誘われて、ラブホテルにやってくる。
 最後の瞬間。テシロギのあそこが役立たない。
テシロギが言う。「ごめん」と。

 その後のハルコの言葉がおそろしい。
「その声があまりにもせつなかったので、ゴメンですみゃあ警察はいらないよとわざと言ってやった。」

 テシロギが可哀そう。なぐさめてやりたい気持ちがいっぱいになった。

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角田光代    「拳の先」(文春文庫)

ボクシング小説。「空の拳」の続編。大長編600ページを超える。

この小説は、一般的なスポーツ小説とは異なる。一般的スポーツ小説というのは、主体は選手である。試合を進行させながら、とった戦闘行為や戦術の背景と結果を作家の持てる言葉を尽くして描写させ、試合の緊迫感を際立たせる。

 この作品は、空也という出版社編集者の視点から、試合が描かれ、何であそこであんなことをということは後付けで描かれる。鋭利で緊迫感をもった描写もあるが、それは物語のごく一部。戦いではなくボクシングを背景に人生全体を扱い、結果物語に裾野の広さと深さが与えられている。

 物語のテーマは「逃げる」だ。

 鉄槌ジムの看板選手立花は、デビュー以来、勝ったり、負けたりはあったが、華麗な美しいスタイルで、頭角を現し、全日本選手権を争える手前まできていた。

 しかし、ここで、岸本という若くて、かみそりのような鋭いパンチを持つ強力な選手が現れ、連続KOで勝ち進み、ボクシング界期待の星となる。そして立花と岸本の試合が計画され実施される。

 立花は、岸本と最初は華麗なスタイルで戦い踏ん張る。ところが八ラウンドに突然、両腕をダラリと下げたままになり、結果岸本にメッタ打ちにあう。血がふきだし、九回にマットに沈み、そのまま病院に搬送される。いくつもの箇所が骨折。全治一か月となる。

 ケガが全快して、また試合が行われる。立花の戦闘スタイルが180度変わる。試合最初から、打って打って打ちまくり、猪突猛進する。

 岸本と闘ったとき、初回に強烈なパンチを浴びた。突然正体はわからないが、猛烈な恐怖が襲った。もう闘えないから、八回からは恐怖から逃れたくて、なされるがまま打たれた。

 それからの試合、恐怖がいつものしかかる。猪突猛進は恐怖から逃げたいから。

必死の思いでタイにもでかけ、すさまじいトレーニングをする。しかし恐怖から逃れられない。
 強くなれば、楽になれると信じていたが、強くなればそれ以上の苦難が待ち受け、苦難は大きくなるばかりで、決して楽にはなれない。

 タイのバタヤで、タイの世界チャンピオンとタイトルマッチをする。勝てるかもしれない流れのなかで、十一回人々の会話や、鳥の声が聞こえるようになる。穏やかな気持ちとなる。

 そして立花は思った。「俺は逃げ切った」と。

 ボクシングから逃げて違う場所に行くことができる。その場所でもまた恐怖に襲われるかもしれないが、そしたらまた逃げるのだ。

 鉄槌ジムに小太りのノンちゃんという小学生が練習にきている。彼は強烈ないじめにあっている。そのまま中学に行くと、また殆ど同じ生徒が中学にあがり、いじめは続く。だから、他の中学に行きたいと両親に訴えるのだが、父がそれでは何の解決にもならない。いじめに立ち向かえと。それで近くの中学校にゆき、変わらずきついいじめにあっている。

 主人公の編集者空也を通して、立花が言う。
「逃げなさい。懸命に逃げて、違う場所を見つけ行きなさい。」と。

 物語はここで終了。逃げきれた立花がその後どうなったのか。ノンちゃんは逃げ切れたのかはわからない。2人の幸せを心から願う。

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| 古本読書日記 | 06:14 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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村上龍 坂本龍一 「EV.CAFE 超進化論」(講談社文庫)

今一つの時代が終わろうとしていると感じている村上龍と坂本龍一が、この問題を6人の論客にぶつけた白熱の議論、対談集。
 吉本隆明と、サルの研究者である河合雅雄との対談を結びつけると面白い世界が見えてくる。

 人間以外の動物は、生まれた直後に歩いたり走ったりする。或いは生まれた直後は、親の介護が必要な動物もいるが10日も過ぎれば、歩き、走りだす。殆ど、育児の期間というものが無い。

 人間は頭部が大きい。育児が不要な状態で生まれるとなると頭が産道を通過できない。だから人間だけは、未熟児状態で生まれてくる。

 動物は、介護、育児の期間がわずか。ということは、動物は本能的に介護、育児が嫌い。
母性本能というけど、これは女性に備わっている本能ではなく、後付けでモラルとして創られたのである。

 だから、このモラルはこれからどんどん弱くなりやがて消滅する。少子化社会は当然のように進む。

 さらに人間以外は、相手構わず性交をする。ということは、母子はわかっていても、父親の特定はでいない。人間も将来、父親はすべての子供の父親となる。

 子供たちは人類の共通の子として保育士により育てられる。
読んでゆくと、これが想像の世界でなく、現実になるのではと思えてくる。

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| 古本読書日記 | 05:46 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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宵越しの図書カードは持たない(18’後半)

二千円分もらったのですが、千円分は下記の「マンガでわかる猫のきもち」に使いました。
一緒に写したのは、同作者の別作品です。(母が買いました)
お仕事系の本は、大きな本屋に行く気が起こらず。今回は漫画で散財。

IMG_9140.jpg

残りは、12月に「鴻池剛と猫のぽんたニャァァァン!」と「海街ダイアリー」の最新刊が出るらしいので、その足しにします。

この手の本は、とくに目新しい情報は無いです。
似た本はいくらでもあるし、雑誌でも特集が組まれるから、絵や切り口で差別化する感じですね。
なかなか味のある絵ですが、内容は特に頭に残らないという(;^ω^)

最近は、レンタルでよしながふみ「大奥」を続けて読みました。
他にレンタルで追いかけているのは「コウノドリ」と「信長協奏曲」です。

| 日記 | 18:28 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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勤労感謝の日

絲山秋子「沖で待つ」

勤労感謝の日だったので、それつながりで。
前回の感想はこちら。3年経っても、印象に残るところは同じですね。

IMG_9139.jpg

最近、「スクラップ・アンド・ビルド」も読んだんですが、どちらもバランスがうまく取れていると思います。
その辺にいそうなんだけど、考え方もわかるんだけど、なんかずれて印象が強い。
芥川賞受賞作って、そんなもんですかね。
葬式で母親にセクハラした上司をビール瓶で殴って退職した女性とか、
向かいの部屋を盗撮・盗聴して日記をつける女性は、
「キャラを濃くしすぎ。もっと、その辺にいそうな人物でいいのに」と思わせる。
トロ箱のプランターとか、星型ドライバーとか、生理の血でパンツが汚れたとか、
キャナルシティに大博通りとか、他の描写が細かく現実的。

勤労感謝の日は、ステーキガストでおばあちゃんと孫(男子)が仲良く食事しているのを見ました。
それもありでしょう。おばあちゃんを労っているってことで。
私は、給料が出たばかりだったので、じいやにおごりました。

| 日記 | 18:22 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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中田永一  「くちびるに歌を」(小学館文庫)

 毎度思うことなのだけど、恐怖ホラー作家第一人者の乙一が、どうして中田永一というペンネームを使って書くと、180度違うみずみずしい作品を創作できるのか全く不思議だ。とても同一人物とは思えない。

 トオルは家族とともに長崎の五島列島にある小さな島で暮らしている中学3年生。

 トオルの両親は、子供は一人でいいと思っていた。ところが生まれた子供は先天的障害自閉症を患って生まれた。両親は自分たちが亡くなると、この子を世話をしてくれる人がいなくなるということで、もう一人子供を造ることにした。それで生まれてきたのが主人公のトオル。

 トオルもそのことを強く自覚している。中学生のトオルは、学校が終わると、兄が働いている工場に行き、兄を家まで連れて帰る。

 そんな生活のせいかもしれないが、トオルは兄を含めた家族以外誰とも会話ができない。クラスでは自分をできるだけ消すようにしている。いないのも同然の存在。何か月もたっても、トオルの名前を知らない生徒がいる。

 でもトオルは兄がいるからめげない。兄といるときが一番幸せ。

そんなトオルが頼まれ物を音楽室に届けに行くと、合唱クラブの顧問柏木先生にクラブ入部志願者と間違えられ、もたもたしている間に入部届けを書かされる。

 お母さんが、友達が一人もできず、いつも孤立しているトオルの変化に喜び、兄の工場への引き取りは自分がやるからと、合唱部で頑張れ、そして友達を作れと励ましてくれる。

 トオルはひとりぼっちで皆からは孤立している。しかし合唱は、みんなと溶け合って、チームで行う。このコントラストを中田は見事に表現する。

 合唱部はNHKコンクールに向けて活動するが、内部対立が起きたり、それぞれの生徒が問題や悩みを抱えていた。そんな時、トオルは引き回し役を演じさせられ、摩擦やトラブルを解決してゆく。だんだんトオルが会話ができるようになり、そして合唱部に溶けてゆく。

 そしてたくさんの仲間ができた。

 柏木先生の指示で15年後の自分に対し手紙を書く。
中学を卒業すると、本土にわたる生徒ばかりになる。そして、殆どが島に帰って来ない。
仲間はみんないなくなる。

 トオルは15年後の自分に手紙を書く。兄と同じ工場で働いている。いつも兄と一緒。兄に感謝し、兄といるのが一番幸せ。

 手紙では、今と変わらない生活が15年後も続いている。しかし、合唱部での経験は、トオルにとってかけがえのない財産になり、明るく豊かな15年後のトオルを保証している。

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| 古本読書日記 | 05:51 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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小池龍之介   「考えない練習」(小学館文庫)

 著者の小池は東大を卒業し、住職の道にはいる一方、カルチャーセンターで座禅を指導している気鋭の住職。この作品は、「イライラ」「不安」がつきない現代の人たちに、「五感」を大切にして生きる方法を伝授、それにより不安悩みを解消することを教えている。

 文章にするから仕方ないとは思うが、なにこれと思うところがいくつもある。
話相手が愚痴を言ったり、自分を強烈に非難する。

 こんな時、即感情で反応してはいけない。こんな時は、冷静になり、なぜこの人はこんなことを言うのだろうかと表情や内容を、相手の立場にたって分析し、その上で、できる限り肯定も否定もせず受け入れてあげるという離れ業をしなさいという。

 もうひとつ何を言っているのかわからないが、冷静に分析して、そこからおもむろに言葉を発するなんてことは実際は困難である。相手を常に傷つけないように話すことを心掛け訓練することはありえるとは思うが。

 断捨離という不要なものを捨て、最低限、必要な物だけで暮らすということが心豊かに暮らすコツというのが最近流行している。
「お布施」というのは「捨てる」という意味だそうだ。

募金とかお布施、凡人は、その金がどんなことに使われるのか考えて、お金を寄付することを躊躇したり、寄付後悩むのだが、それが仏教でいうところの慢という心。

 慢は、それにより自分を感謝してほしいとか評価をしてほしいという欲求の心を言う。そんな思いでいると煩悩が深まる。
 何も考えず「捨てる」という行為をすることで、性格は自然に改善され、煩悩から離れ穏やかな生活が送れる。

 読みすすむほど、私には実現不可能なことばかり。煩悩にいたぶられる人生でも仕方ないと思ってしまう。

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中山七里   「静おばあちゃんにおまかせ」(文春文庫)

 警視庁一課の刑事、葛城公彦は、正義感いっぱいで事件への取組む姿勢も真面目なのだが、推理力、捜査力はそれほどなく、平凡な刑事。この公彦の裏に、将来法曹界に進もうと大学で法律を学んでいる円(まどか)がいる。難事件が発生すると、事件現場の状況を公彦と捜査し、少したつと円が見事に事件を解決する。

 で、円が名探偵かと思いきや、円の捜査を、円から聞き取り、20年前に高裁の裁判官を辞した元女性裁判官だった円のお祖母さん、静がいて、見事に解決するのである。そんな円と静香お祖母さんが活躍する連作ミステリー集。

 ミステリー愛好家にとっては、既知のことだと思うが、完全密室殺人事件のトリックでフェイクという手がある。そのことをこの作品集で私は初めて知った。なるほどこういう手があるのかと思わず唸った。

 中山はこの連作集で2回フェイクを使っている。

  東京スーパースカイタワーの建設現場。450Mの高さまで吊り上げられたクレーン操作室の中で、操作人が殺害される。隣のクレーンの操作人が犯人として捜査されるが、450Mもする高い場所では、クレーン間の移動でも風も強く、あまりにも危険が大きく現実味が無い。

 しかし、操作室に取り付けられているカメラには吊り上げられたクレーンの中にうつぶせで倒れている操作人が映っている。完全密室である。どうやって殺害したのか。ここでフェイクが登場する。操作室内にある石油ストーブの燃料を古い灯油にしておき、操作人を一酸化炭素中毒にかからせ、倒された状態にする。つまりカメラに映ったときにはまだ死んでいないのである。 

 管制室にいる人間が、このクレーンを地上に下ろし、操作人を刺し殺し、また吊り上げたる。この際映像を450Mの状態で漂っている映像に差し替えておいたのである。

 もうひとつは、南米の小国の独裁者である大統領が、自身の宿泊している東京の高級ホテルの部屋で銃弾にうたれ殺される。大統領の部屋は、不審者の出入りを、警護人がずっと監視している。出入口はドア一か所。

 突然、銃声が響く。あわてて警護人が合鍵で部屋に踏み込むと血を頭部から流して死んでいる大統領を発見する。これも密室殺人である。

 実は鳴り響いた銃弾の音は、携帯電話の呼び出し音だった。そんな大きな音が仕込めるのか疑問はあるが、大統領は銃声が響いた以前に殺害されていたのである。

 これは面白いと思った。

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我孫子武丸    「殺戮にいたる病」(講談社文庫)

東京や横浜でホテルに連れ込まれつぎつぎ女性が、殺害される。しかも、死体から乳房や女性器がえぐり取られ持ち去られるという猟奇事件が起きる。

 物語は犯人である稔、その母親である雅子、それに現在は退職しているが元刑事の樋口の視点、3つの視点で進む。

 最初に犯人の家族構成が示される。祖母、その子の夫と義娘の妻、それに息子大学生、そしてその妹、娘の5人家族。しかし、それぞれの名前は明らかにされない。

 そして、母は、息子の部屋を探索し血のついた肉体の一部や、SEXを撮影したビデオを発見し、息子が事件の犯人ではないかと疑う。

 母親雅子の独白の部分には息子との表現はあるがそれが稔だという表現は一切無い。しかし、稔の殺害場面と、母親のそれに呼応した独白場面が対で描写されるため、読者は完全に雅子の息子は稔だと思ってしまう。

 私など、純粋で誠実な人間のため、完全に作者安孫子にだまされた。

しかし、途中で、これ変だなと読み返した部分が一か所あった。稔がめずらしく大学を休むという。そこで雅子が「どうしたの」と聞く。
 稔が答える。
「・・・ちょっと熱っぽいから。どうせ授業は一つしか無かったし、前期は皆勤した講義だったし。一回くらい休講したって構わないさ。」
 学生がさぼるのに、休講したって構わないなんて言い方は変だなと、2回読み直した。休講は講師が使う言葉だ。その時、我孫子のこの小説は雑だな。こんな表現はあり得ないだろうと少し作者を卑下して読み飛ばした。

 幻惑されるのは、母という存在。祖母も雅子からみれば母だし、息子、娘からみれば雅子は母。我孫子はこの母をどっちの母を指すのか示さないこと。手がこんでいる叙述トリックを使った。

 そして最後数行だけで、物語はとんでもないドンデン返しを起こす。
何と、犯人稔は父で大学助教授、最後実母を殺害する。この時祖母の容子であり、最初に犯人をみつけたのが、大学生の息子信一であると2人の名前が明らかにされる。

 我孫子のこの作品は叙述トリックを使用した日本で最高傑作と位置付けられているそうだ。

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中村文則     「A」(河出文庫)

 大戦末期、原爆が落とされたり、大空襲で大量の日本人が本土で殺されていることを、戦場にいた兵士たちがすでに知っていたらどうだっただろう。

 多分、殆ど知っていただろう。そして、それでも戦場に残らされ、戦死するのが定めだろうと兵士たちは観念していただろう。
 もう戦場では、天皇のために命をささげるなどと考える兵士はいない。

そんな時、Aという兵士の前に、どろまみれの貧しい中国人の男が捉えられひきずりだされる。

 Aは刀を握らされている。そして上官4人が見張っている。その刀を振り下ろし中国人の男の首をはねろと命令されている。しかし、人間を殺すことはできない。刀が動かない。

上官が言う。
 「かしこくも、我々は天皇陛下から部下をお預かりしている。お前のように人を殺したことのない人間を前線にはだせない。人を殺せないと、お前も、お前の部下も全て死ぬことになる。これは理不尽な命令ではなく静かなる要求である。このシナ人を殺して自分を変えねばならない。臆病者が一人でもいれば全員に伝わる。上層部からは次々命令がきている。
我々は変わるしか道は無いのだ。」

 Aは刀を振る。しかし、首のところで止まってしまう。
それを絶対許さない上官の視線がAを突き刺す。もう首をはねないと自分が殺される。
追い詰められたAはそこで思い込む。殺害するのは日本人でなく、シナ人だ。このシナ人めと声をはりあげ中国人の首をはねる。

 上官はよくやったと褒める。そして言う。戦争が終わるとこの虐殺が非難される。しかし中国は虐殺人数を大きく膨らます。そして日本はそんな虐殺は無かったという。いずれにしても、今日の首切りが表にでることは無いから心配するなと。

 朝鮮人の女性が慰安所に連れてこられる。Bは、徴兵された直後に結婚し、新婚生活を味わうことも無く朝鮮の戦場に出兵させられる。

 日本は戦争で破壊され、大量の人々が殺されている。自分も最後日本に帰ることはできず、この朝鮮の地で死ぬことになる。

 もう妻のみならず、女性を抱くことはできない。そんな思いが慰安所の女性と7回も性交させた。

 物語の視点、戦争体験の無いのに中村は斬新だし、内容もずっしりと重い。

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中村文則   「悪と仮面のルール」(講談社文庫)

 久喜大財閥の子供として生まれた文宏は、父が60歳のときに生まれた子。その時、父親は孤児施設から香織という子を養女としてもらう。文宏と香織は同い年の子として育てられる。

 文宏が11歳になったとき父親によばれ、「久喜家には邪となる人間がいる。そして文宏はその邪である。そのために、文宏はこの世界を否定したくなるような地獄、圧倒的に無残な地獄に出会うことになる。その時香織も重要な役割を担う。

 その地獄は15の時一度、16の時二度現れ、18の時その真実を知ることになる」と告げられる。

 香織と文宏は親密になり、やがて体の関係を持つ。ところが、ある日から香織が近付かなくなる。それは、父親が香織を全裸にして嘗め回すように体をみつめることを始めたから。

 それを知った文宏は、父親を地下室に閉じ込め、食べ物を与えず、餓死させる。これが父親が予言した文宏15歳の時。

 ある本で読んだが、あらゆる生物は、その種の保存のために、一部に共食いのようなこともするが、本質的に同種の中では殺しあうということはしない。しかし、人間だけは、人同士で殺しあうことをする。

 文宏は愛する香織に対する父の悪辣な行為とともに、父を殺したことに苦悩する。それで、自分自身を滅亡させようと、新谷弘一という男そっくりに整形をして、新谷として生きようとする。これで、文宏はこの世から消滅したと文宏は考えた。

 しかし、人間をどう変えても、人殺しをした事実が、忽然と彼の心に浮かび上がり、彼を悩まし狂わせる。

 戦場で、敵の人間を殺す。あるいは、味方の人間が相手に殺される。こんな場面に遭遇すると、その人間は死ぬまでずっと苦脳し、トラウマは癒えることはない。

 原爆ができ、殺しあう場面をみることなく、戦争ができるようになった。
生物の摂理、本質である、同種での殺し合いは、苦悩、悪夢を引きずるが、核兵器は引きずらない。その代わり、人間は滅亡するための手段を手にいれた。

 この作品を読んでこんなことをズシンと感じた。

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辻村深月    「朝が来る」(文春文庫)

  可愛く、すくすく育つ朝斗とともにタワーマンションの高階層に住み、幸一杯の栗原の家に突然電話が鳴る。妻である栗原伊都子が受話器をとると、電話の相手は小声で「片倉ひかり」と名乗り、「私の朝斗を返してほしい。それが無理なら、お金を払ってほしい」と言う。
 実は、伊都子の夫が無精子病で夫婦は子供ができない事情があった。テレビで知った、特別養子縁組の世話をしている民間組織「ベビーバトン」に申し込み、そこで生まれたばかりの朝斗を紹介され、「ベビーバトン」のある広島から養子として引き取ってきたのだ。

 その際、通常は、子供を産んだ母親と引き取り先の両親とは、その後トラブルを引き起こさないため面談をしたり、情報を交換することは一切しない。しかし、朝斗の場合、互いの了解を得て、広島の栗原夫妻のホテルロビーで両者は数分間面会をしていた。

 朝斗を産んだ母親はまだ15歳の中学生だった。片倉ひかりと名乗った。その片倉ひかりが朝斗を引き取った6年後に突然「朝斗をかえしてくれ」と電話をよこしたのだ。

 ここから、片倉ひかりの不気味な要求に揺れ動かされる、栗原家族の物語が始まると思っていたら、栗原家の無精子病の発見過程や、実家との葛藤、「ベビーバトン」を知るまでの過程が淡々と描かれる。

 また片倉ひかりの中学生での妊娠から始まり、ひかりが栗原家に電話するまでの切なく、苦しい過程がたっぷりと描かれる。
 苦悩、困窮生活について相談できる人がだれもおらず、ひとりぼっちで希望のない日々を過ごす。

 ひかりは朝斗を産んだ広島に行く。そして新聞販売店に勤める。そこで知り合った同僚に借金の保証書を偽造され、そこからヤクザに絡まれるようになる。せっぱつまって、店のお金に手をだし、一部を返済して、横浜に逃げ、ホテルの清掃員となる。しかし、そこにもヤクザが現れる。

 思わず、何とか明日には返せるとヤクザに言い、追い詰められ朝斗の家に電話をする。

 栗原夫妻とひかりが会う。やつれたひかりを見て、夫が「君は片倉ひかりさんでは無い。
自分たちが広島で会ったひかりさんとは違う。」そこでひかりが失敗をする。朝斗は6歳だから小学校に通っているのではと聞く。しかし、まだ朝斗は幼稚園児だった。

 それで妻も「あなたは一体誰?なんでひかりだと名乗るの。」と。
 ひかりは追い詰められる。そして、言う。
「申し訳ありませんでした。私は片倉ひかりではありません。」と。
ひかりは夫妻と別れ、もう死のうと思う。

 ひかりに朝は来るの?
 そこから辻村さんは鮮やかなフィナーレを用意していた。感動の余韻がいつまでも消えない。

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宝積光    「史上最強の内閣」(小学館文庫)

 北朝鮮が、日本に向けた中距離弾道ミサイルに燃料を注入しだした。経済失速で支持率が低迷していた自由民権党の浅尾総理は、総理の地位を投げだし、この有事に対応するために用意されていた「影の最強内閣」に内閣を引き継いだ。この内閣は京都にあり、公家を中心とした実力派内閣だった。

 この内閣が成立した直後、北朝鮮の主席の長男が、成田空港で拘束される。こんな事件が確かにあり、即国外追放されたが、その長男が、引き取りにやってきた北工作員とともに日本に居座る。

 一気に北朝鮮との間に緊張が高まる。この複雑な事態を「影の最強内閣」がどう対処してゆくかが、物語の筋立てになっている。

 こう書くと、せっぱつまった緊迫の展開が全編にわたって書かれているのではと思うだろうが、中身はユーモアやジョークが満載で、拍子抜けのエンターテイメント小説になっている。

 この物語で強い印象が残ったところが2か所ある。
今は政治の無関心層が増大して、投票率は最低を更新しつづける。選挙のたびに、国民の最も大切な権利なのだから、投票にゆけとマスコミがこぞって呼びかける。

 宝積はこの物語で、無関心層が多いという社会は健全であると言う。国民の殆どが選挙や政治に関心がある状態というのは、一つの偏った思想に国民が一色に染め上げられている状態である。そうなってはいけないと。

 それから、戦後日本が平和を守ってこれたのは、憲法9条があったからではないと宝積は言う。

 戦争直後の昭和二十一年に「サザエさん」の新聞連載が始まっている。

「サザエさん」には、おじいさん、サザエさんの夫、そして息子たちが登場する。それは、当時の女性たちが戦争で失った人々である。失った人々に囲まれた生活は、当時の人々に眩しくみえた。人々はサザエさん一家の幸福な姿に憧れた。そしてサザエさんは今もみんなに愛されている。

 一部にこの国を戦争にむけようとしている勢力もいるが、サザエさんが親しまれている限りこの国は戦争はしない。

 根拠は薄弱だが、確かに大きな説得力をもっている。

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中山七里   「ヒポクラテスの誓い」(祥伝社文庫)

凍死、病死、交通事故死など、一見して死因が明らかと思われる死体を、偏屈者で知られる、法医学の権威、光崎教授の無理を通す、強引な指示により遺体解剖をして、殺人事件が暴露されてゆくミステリー連作短編集。

 さいたま市浦和区皇山町。かっては、田畑が広がる農業地帯。そこに、都会から住民が移り住み、今や新興住宅の街となる。農業で食べてゆくのはやっとの中に、裕福な人たちが移り住む。所有する車はハイブリッド車やセダン。その中に、いまだに農家がポツンとある。

 古い民家で、車は軽トラック。垢ぬけた暮らしぶりの新興住宅のなか農家の人々は委縮し、卑屈に生きる。

 そんな街の河原で、凍死体と思われる死体があがる。名前は峰岸徹54歳。傍らに焼酎のボトルが飲み干され転がっている。検視官国木田は焼酎に酔って河原で寝込み凍死したと判断する。

 しかし光崎教授がゴリ押しして死体解剖をすることになる。その結果、体内のアルコールに混ざってフルニトバゼラムという睡眠誘導剤が検出される。この誘導剤は服用すると、30分以内に眠りが訪れ、24時間寝たままになる。

 実は、当日峰岸は幼馴染の宇都宮、瀬川と酒を飲んでいた。峰岸は建築業で成功を収め富豪となっている。宇都宮は、同じく建築業を起こしたのだが失敗し、今は峰岸の会社で働いている。瀬川はサイネリアという花の栽培を中心として農業を営んでいる。

 解剖で峰岸ののどに花粉が粘着していたことがわかる。この花粉がサイネリアの花粉と一致。しかも、瀬川は50万円峰岸から借金をしていた。犯人は瀬川になるが、50万円で人殺しをするだろうか。

 実は宇都宮と瀬川は小学校のころ峰岸を苛めていた。時には殴ったり蹴ったりもした。

峰岸は2人にバーで50万円、100万円はチャラにしてやる。そのかわり自分の周りを四つん這いでワン、ワンと吠えながら3回まわり、チンチンをして靴を舐めろと命令し2人にやらせたのだ。

 プライドを傷つけた怨恨は、何年たっても消えるどころか、年を経るにつれ増大してくる。

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| 古本読書日記 | 05:35 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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中山七里    「スタート!」(光文社文庫)

黒澤、小津と並び称される映画界の巨匠大森が4年ぶりにメガホンをとり「災厄の季節」なる映画を撮る。物語は大森、そのスタッフとプロデューサーサイドとの対立を背景に、撮影現場で、傷害、殺人事件が3件起きる。対立と事件が軸になり展開する。

 「災厄と季節」のストーリーは判然とはしないが、主人公の若者が、殺人事件を起こし(夢の中のような気もする)、最後に殺害されるようだ。この若者が身体障碍者であることで、人権団体から障碍者差別だと強い抗議が起こる。これに対し、自らも老年により車いす生活をしている監督の大森が反駁する。

「障碍者を事件の容疑者にするとはなにごとだと。障碍者は殺意をもったら悪いのか。他人を憎んじゃいけないのか。恨むのだって、憎むのだって、まともな人間のすることじゃないか。
 体に障害を持っている人は確実に存在する。視聴者が見たら不快になるからと見せない。お前らみたいなのが抗議するから自粛するといって画面から消し去る。お前らのしていることは障碍者を護ることではなくて、障碍者の当たり前の思いを世間から隠してしまうことだ。」

 この大森の言葉に加えて、中山が物語の中で言っていることが、納得感があり重い。
「人間が心底残忍になれるのは凶器を手にしたときではない。大義名分を手にしたときだ。大義名分と己れの正義を手にした者は、誇らしげに他人を刺す。相手が言葉を持たぬ者でもかよわき者でもかまわない。己を突き動かす熱情が冷めるまで延々と牙をむき爪を立て続ける。」

 とりわけネット時代では、相手を叩きのめすまで牙をむく傾向が強くなる。

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| 古本読書日記 | 06:03 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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堂場瞬一   「黒い紙」(角川文庫)

物語は今から30年前、亡命希望の旧ソ連の兵士のパイロットが操縦する最新鋭戦闘機Su-25MMが島根の宍道湖に不時着するという事件から始まる。その不時着に大手商社テイゲンの糸山会長が旧ソ連のスパイとしてこの事件に関与していたという脅迫状がテイゲンに届く。

 この宍道湖戦闘機不時着事件は、1976年に函館空港に旧ソ連のベレンコ中尉が操縦する最新鋭戦闘機M-G-25が不時着。その後真相は何ら解明されず闇に消え、ベレンコ中尉は希望通りアメリカに亡命した事件を思いおこさせる。

 物語は作者堂場の推理になり、ロシア、アメリカを舞台に事件の陰謀、真相が明らかにされる国際謀略小説になるかと思って読み始めたら、全く中味は違った。

 この脅迫状について、テイゲンは警察に届けるわけにはいかないため、会社で契約している危機管理会社「TCR」に解決を依頼した。

 「TCR」の社長光永は、刑事を最近やめ、「TCR」に光永が引っぱった主人公長須恭介にこの解決の指示をする。その直後に犯人からテイゲンに10億円を要求する脅迫状がくる。

 物語は、糸山会長の横暴な権力の振る舞いで犠牲になった社員の恨みに基づいた脅迫。社内の派閥抗争が原因だったことが明らかにされる。

 また「TCR」はクライアントであるテイゲンのために活動せねばならない。社会不正義を暴くためにあるのではない。しかし、主人公長須はテイゲンの影の部分をみると、どうしてもそれを暴きたくなるし、そのための行動をとりたくなる。「TCR」の企業利益と正義感とのバランスがうまくとれない苦悩が一貫して物語に流れる。

 30年前糸山がソ連の亡命兵からソ連開発の最先端のCPUを入手。それを製造して販売しようと目論んだことが、脅迫として成立することなのか疑問が残る。

この脅迫で糸山は失脚する。そして糸山会長の対立派閥の殿山副社長が社長になる。これでテイゲンが生まれ変わるとはとても思われない。対立派閥が単に浮上しただけで、同じことは繰り返すだろう。

 何か、入り口は大きな国際事件に思えたが、中身は小さく、つまらなかった。

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| 古本読書日記 | 06:25 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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中田永一    「吉祥寺の朝比奈くん」(祥伝社文庫)

ホラー小説の時は乙一を名乗り、恋愛小説の時は、ホラー作家とは別人の抒情的文章を綴り、読者を離さない中田永一。
 この本は、恋愛作家中田永一としての恋愛小説短編集。

 主人公の朝比奈ひなたは、いきつけの喫茶店の店員山田真野に恋心を抱いているが、つきあうきっかけができない。

 ある日、いつものようにひなたが喫茶店でコーヒーを飲んでいると、他に一組いたカップルの客が大声をあげ喧嘩をしだす。怒り狂った女の子が椅子をもちあげ彼氏に投げようとする。その椅子が止めにはいったひなたに椅子が命中。ひなたの口か血がふきだし、前歯が折れる。そこで真野がひなたに駆け寄り懸命に介抱する。このことがきっかけでひなたと真野は携帯番号を交換する。

 公園でデートの約束をする。ところがやってきた真野は3歳の娘を連れてきた。

ひなたには5年前にバイト先で知り合った友達の哲雄先輩がいる。久しぶりに先輩から居酒屋に呼び出される。呼び出した先輩は女の子を連れてくる。先輩は結婚しているのに。

 トイレに行って戻ってきたら、先輩が女の子とキスをしている。思わず携帯で撮る。そのあと2人を尾行して、ホテルに入るところも撮る。

 真野がある晩、夫とは一緒にいられないと、ひなたのアパートに娘とやってきてひなたのアパートに泊まる。朝、部屋をでるとき正面玄関でなく、裏口からひなたに言われ出る。
 そこに真野の夫が待ち構えていて、ひなたは思いっきり殴られる。

 実は真野の夫は哲雄先輩だった。先輩はひなたに真野と不倫をするようにお願いしていた。真野の実家が大金持ちで、証拠をにぎれば大きな慰謝料がとれる。その何割かをひなたに報酬としてくれるということが約束されていた。

 ひなたは小劇団の俳優をしていたが、食うこともできないほど困窮していた。それで哲雄先輩の話に乗った。

 真野も怒り狂ったが、哲雄先輩の浮気写真を撮っていたことで、怒りはおさまっていた。
真野と哲雄先輩は別れた。真野は田舎の実家に帰る。しかし、芝居だったつもりが、ひなたにも真野にも別れが切ない。2人はアパートの部屋の前で強く抱きしめあう。

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| 古本読書日記 | 06:22 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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中村航    「世界中の青空をあつめて」(キノブックス文庫)

 ストーリーテラーの名手中村らしく、1964年の東京オリンピックと2020年開催予定の東京オリンピックをしっかり繋いだ物語になっている。

 東京での仕事で失敗し、失意の中、愛媛のミカン農家をしている実家に戻ってきた主人公の藤川和樹。実家で少しばかりミカン農家の手伝いをしながら、ぐうたらと過ごしていた時、祖父とみていたテレビで2020年に東京オリンピック開催が決まったことを知る。その直後祖父から55年前の手紙を託され、手紙の中で書かれている人たちの消息を調べてほしいとお願いされ、また東京に戻ってくる。

 調査に苦労はしたが、手紙に書かれている名前は55年前、開進第2中学校の5人の生徒だとわかる。更に、驚くことに5人は当時陸上部の生徒たちでその生徒たちを指導していたコーチが祖父だったことを知る。

 そして、その5人がそれぞれのメンバーや祖父にあてた手紙を書き、タイムカプセルとして校庭に、今は練馬総合運動場になっているが埋めた。

 埋めた年は最初の東京オリンピック開催が決まった年。オリンピックは5年後に開催される。ひょっとすればこの5人のなかから、出場選手がでるかもしれない。
 カプセルは55年を経て、掘り出され開封される。残念だが、5人からオリンピック選手はでなかったが。

 1964年の東京オリンピック。私は小学校6年生だった。まだ家にテレビが無く、近所の従兄の家に行って毎日みた。体操、バレーボールももちろん印象に残ったが、最も印象が強かったのが棒高跳びだった。

 競技開始から終了まで9時間以上かかった。バーが5Mを超えてから、アメリカのハンセンとドイツのラインハルトがどちらも譲らず、果てるともなく競技が続いた。確か夜10時近くまで行われたように記憶している。

 小学生は寝る時間だし、こんなに夜遅くまで他人の家でテレビを見ている。もうかえらなくちゃと思うのだが、画面に釘付けになり、家へ帰ることができない。秋は深まり夜は寒い。

 その中で死闘が繰り広げられた。

タイムカプセルには5年後に5人だけで小さなオリンピックを開こうと約束がされていた。
 この5人の中に、原田忠市という棒高跳びの選手がいた。有能でひょっとすればオリンピックに行けるのではと思われるくらいだった。

 そして、55年後、練馬総合運動場で開進第2中の生徒を含め、5人と和樹、祖父も含め町ぐるみの小さなオリンピックが開催される。

 和樹はなまった体を短い期間で鍛えて、棒高跳びにエントリーする。
バーの高さは3M50CM.棒高跳びはバーを越えてから落ちるまで、視界に入るのは秋の真っ青な青空だけ。つきぬける澄み切った空の色が鮮やかだ。

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| 古本読書日記 | 05:56 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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野村克也    「野村ノート」(小学館文庫)

野球好きだけでなく、企業人にも読まれ35万部を売り上げたベストセラー本。

野村はこの本で、野球人である前に人間として生きることを選手にたたきこむことを書く。人間関係をいかに円滑にすすめるかが、人間としてもっとも大切。これができないと一流選手には素質があってもなれないと。

 野村と言えば、輝かしい実績、IDと言われた戦法、解説で野球界に大きな名を残している。

 しかし、彼の強烈な一般的印象は、あのけばけばしい沙知代さんを妻にしたことだ。どんな女性と結婚しようが他人がとやかくいう筋合いはない。しかし、野村に首をかしげたのは、この沙知代夫人を世間に対し野放しにしたことだ。テレビ局も面白がって沙知代夫人を頻繁に登場させた。その傲慢で、世間から遊離した話しぶり、態度は世間から顰蹙を買った。

 そんな野村、妻をコントロールもできない人間が、大げさに「人間として生きること」などと、選手に説くこと自体、とんでもないブラックユーモアである。

 この本で一貫しているのは、野村は、自分ほど苦労し、実績を残し、人間的にも優れている人間はいないという自負だ。いろんな実績を残した選手も自分がすべて育てたということになる。そんな選手からは尊敬され感謝されるのが当然と思っている。

 野村が最も愛し、育て、ID野球の申し子と言われるのがヤクルトにいた名捕手古田だ。

古田があるテレビ番組にでる。野村との熱い師弟関係をしゃべってもらおうと、司会が懸命に古田に話題をふる。しかし、いっこうに古田が口を開かない。ああだ、こうだと司会が古田の言葉を誘う。極まった古田がたった一言「野村監督には感謝しています。」と。

 古田は野村に年賀状も送らないし、挨拶もしないらしい。野村は古田は人間的になっていないとこの本でなじる。しかし、おかしいのは野村ではないかと私は思ってしまう。

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| 古本読書日記 | 06:10 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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原宏一    「ヤッさんⅢ 築地の門出」(双葉文庫)

 食に対して卓越した知識と豊富な人脈で、ホームレスにも拘わらず、築地で働く人々の力強い相談相手であり、難問を解決するヤッサンシリーズの第3巻め。

 今回は今をときめく市場が築地から豊洲に移転することで生じる業者や、食堂の悩みがテーマとなる連作短編集になっている。

 2編目の「モーニン東京」。最近流行のテレビでの卓越した料理人や美味な料理を提供するレストラン紹介番組についての作者原の見解が鋭く面白い。
 カズさんというテレビ局の中年ディレクターにヤッサンの弟子タカオが聞く。そのときのディレクターの回答が原の考えだろう。

「カズさん、料理番組ってやったことがある?」
「ないな。料理人は使ったことはあるけど。」
「テレビに出てる料理人てどういう人なの」

「まあろくなもんじゃないな。テレビってやつは、料理の味よりキャラが大事なメディアだからさ。料理はそこそこでもキャラがたってる奴を優先してだすわけよ。だからよく聞くだろう。テレビで有名な店に行ったら、ろくでもなかったって。」

「けど美味しいって評判になって繁盛している店もあるでしょう。」

「世の中には、テレビによくでてる料理人の店って言われただけで、美味しく感じちまう人がたくさんいるんだよ。人は誰しも哀しいかな、イメージというものに弱い。イメージが刷り込まれてしまうと、たとえ途中で味が落ちたとしても、イメージに引きずられて、脳が美味しいと思い込んでしまう。味覚はそれほど感情に左右されやすいんだよ。」

「それでも、まともな料理人だっているんでしょ。」

「いやもちろんそういう例外もなくはないが、ごくまれな話でね。もともと料理に腕がたちキャラもたっているからとテレビでひっぱりだこにされた場合、本人がかん違いしてしまうんだな。料理番組ばかりじゃなくて、クイズ番組やバラエティ番組やらにも引っ張りだされ、チヤホヤされて楽に稼げる方へ流されちまう。厨房で地味に努力していることが馬鹿馬鹿しくなって、店も料理も弟子まかせになる。その先がどうなってしまうかわかるだろう。
 やっぱしテレビって怖いよね。最初はみんな店の宣伝のつもりなの。で、その宣伝で、一時期ワっとお客がおしかけるんだけど、そんなお客がいつくわけないじゃない。ほどなくしてお客がひきはじめたっと思ったら、いつのまにか店がたちいかなくなって、あんなに人気だった店がつぶれてしまう。そんな店がどれだけあることか。」

 うーん、なるほど。料理、食べ歩き番組はこれからは眉につばをつけてみないといけない。

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南英男   「助っ人刑事」(徳間文庫)

昭和27年、社会が騒然とするなか、破壊活動防止法が制定され、それとともに公安調査庁が設置された。公安調査庁には1000人を超える調査員がいるが、逮捕権はない。

 破壊活動団体の動きを調査し、破壊犯罪を未然に防ぐことをその役割としている。設置当時は、過激デモを中心に、破壊殺人事件が頻発していた。最近ではオウム真理教が起こしたサリン事件や三菱重工ビル爆破事件はあるものの、殆ど破壊事件は起きておらず、調査庁の予算減額の話や、調査庁そのものが不要ではないかという話が国会議員の一部で起こっている。

 この作品は、オウム真理教事件のその後を彷彿とさせるつくりになっている。

「マントラ」という新興宗教組織が、有毒ガスを使い殺傷するという事件が起き、長い裁判の結果、教祖の木本をはじめ13人に死刑判決が下り、2018年に2回にわけ死刑が執行される。

 「マントラ」は「プリハ」という新しい団体に継承されたが、それに不満を持つ城島が「魂の絆」を設立。さらにそこから「幸の泉」が別れる。

 この3派に、木本の家族の争いが加わり、死刑になった木本の遺骨を受けるべき人がはっきりしなくなり、遺骨は刑務所に保管されたままになっている。

 3派はそれぞれ家族も巻き込んで、この遺骨の争奪にしのぎをけずる。遺骨が争奪できれば、神格化されている木本教祖を奉ることができ、圧倒的に多くの信者を獲得できるからである。

 公安調査庁の人間は、こんな事案をしょっちゅう目の当たりにし、そのたびにとんでもないお金が動くことも知っている。しかも、同じ調査庁の人間関係より、こんな組織の人間との関係が強くなり、ズブズブにはまってしまう調査庁員もいる。

 この物語に登場する椿原調査員は、新興宗教団体の城島と組み、そこから大金をもらうことを条件にして、刑務官を手下にして、木本教祖の遺骨を収奪、他の死刑囚の遺骨を掘り出し入れ替える。

 狂暴集団と規定している団体を調査している調査員。よほど強い正義感と職務にたいする自覚が無いと、お金に目がくらみ、社会悪の団体にとりこまれてしまう。こんなことはよくあることのように思ってしまう。

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| 古本読書日記 | 06:08 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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星野博美   「みんな彗星を見ていた 私的キリシタン探訪記」(文春文庫)

 著者星野さんは千葉県房総半島の東岸の小さな町岩和田で生まれ育つ。その岩和田で1609年南蛮船が難破し、村人たちが懸命に救助し殆どの船員が助かる。そんな南蛮船がどういうものであったかを調べることからスタート、当時音楽演奏に主流な楽器だったリュートに魅惑され、リュートを習う。天正遺欧使節団の4人の少年がリュートの演奏を欧州で習得、演奏披露を秀吉の前で招かれ、行ったことを知り、当人は教科書で習ったくらいしか知らなかった、キリシタンの歩んだ道をたどる旅にいざなわれる。

 日本でのキリシタン迫害の歴史の資料はたくさん残っている。それは、日本にやってきたパードレ、牧師たちが、スペインやポルトガルに布教の状況を報告していて、それが残っているからだ。

 この中で、星野さんが最も感動し、衝撃を受けた本が神父、ハシント オルファネールの書いた「イストリア」である。他にも資料はたくさんあるが、迫害を経験している作者の本は無い。この本は、日本で捕縛され、鈴田牢に入れられ、最後には火あぶりで処刑された唯一の経験を持っているハシントが書いている貴重な本だ。

 1614年家康により公布された「伴天連追放令」。これにより殆どの宣教師は日本を脱出。
日本のキリシタンは拷問迫害され殺されてゆくのに、牧師たちは、彼らとともにするわけでなく、みんな日本を退去する。キリシタンには、牧師に対する怒りが沸き上がった。

 当時30-40万人のキリシタンが日本には存在。殺害されたのは4万人。牧師たちの裏切りをみて、キリスト教を唾棄した信者がたくさんいた。

 その中のわずかな牧師がキリシタンとともにという信念で日本に残った。その一人がハシントである。

 そのハシント生誕の小さな町、ラ・ハナを星野さんはこのノンフィクションの最後に訪れている。

 驚くことにハシントは小さな村で一番の有名人だった。訪ねた日の翌日、年に一度のお祭りハシント祭りが開かれた。ハシントは殉教者、聖者としてたてまつられていた。そして、日本は、ハシントを処刑した国として、嫌われる国だった、

 しかし、星野さんがハシントだけでなく、日本人のキリシタンが同時に4万人も処刑されたこと。多くの牧師が日本を逃げ出したが、日本のキリシタンと最後までともにいるとの決意で、殉教したのだと説明すると、村人の雰囲気が180度変わった。

 ハシントは最後、長崎県大村市と佐賀との境の鈴田川沿いにある鈴田牢に収監され、10畳しかない広さに33人のキリシタンとともに、寝るスペースもなく5年間暮らし、処刑された。

 今年、世界遺産にキリシタン遺跡が登録された。しかし、この鈴田牢跡は、登録申請もだされなかった。違和感と淋しさが残った。

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山本周五郎   「黄色毒矢事件 少年探偵春田龍介」(新潮文庫)

山本周五郎は大正15年「須磨寺付近」で作家デビューをしている。しかし、この後鳴かず飛ばずの時代がしばらく続く。その間飯が食えないので、本意ではなかったが、新潮社の編集者だった山手樹一郎の依頼で少女小説、それから数年の後少年雑誌用の探偵小説を書き糊塗をしのいでいた。このことは相当忸怩たる思いがあったようで、自叙伝にも当時のことを「稼ぎ原稿を今ひとつ書いている」と述べている。

 山本周五郎には、こんな少年少女ものが100篇あるそうだ。
 この本は1930年から始まった少年探偵もの春田龍介シリーズから6編を選び収録している。探偵推理ものから冒険活劇まで収録されており、その範囲は幅広い。

 正直、流して書いているというか、力がはいってないのが伝わってくるような作品ばかり。
それでも、最後に収録されている「ウラルの東」での、春田龍介少年が乗ったエレベーターの底がぬけ、その下には硫酸が満々とはいった桶がおいてあり、そこへ今にも落ちそうなところを回避する場面はさすが山本で迫力があった。

 タイトルとなっている「黄色毒矢事件」。
陸海軍の委嘱を受け、籏野理学博士が「超爆液」という液状火薬を開発する。その威力は目薬程度の量があれば、超弩級戦艦を木っ端みじんにするほどものすごい。この成分分析表が、博士の研究室の大金庫に保管されていたのだが、敵スパイに盗まれそうになる。

 籏野博士は、もともと体が奇形で背虫男のような体になっている。春田龍介が、一緒に外出するとき、壁にかかっている帽子の位置を少し上にあげておく。

 普通なら籏野博士は手が届かないのに、博士は簡単に壁から帽子をとり頭にかぶる。
ここで、春田龍介は博士が偽者だと見破り、事件が解決する。

 叱られるかもしれないが、このトリックが実にほほえましい。

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村上龍    「ポップアートのある部屋」(講談社文庫)

60年代を華々しく彩ったのは、ビートルズ、ローリングストーンズ、プレスリーのロックミュージックだ。しかし、それ以上に、世の中を変えたのがポップアートだった。

 リキテンシュタイン、ウォーホール、ジャスパー・ジョーンズなど、閉鎖された美術館をとびだして、あらゆる空間、場所がキャンパスになった。

 そんなポップアートに触発された村上が描いた12の掌編集。お前らに俺がわかるかというスノッブな村上の雰囲気むんむんの作品が詰められている。

 主人公の小説家の友達Sは、使っても使っても使いきれないお金を持っている。ある日、彼の邸宅に招待される。
 家の庭には、ディズニーランドまではいかないが、他の遊園地にあるジェットコースターを凌ぐ、錆びたジェットコースターがある。もう飽きたのだそうである。

 Sが小説家(村上を想像させる)に聞く。
 「出した2冊の本がベストセラーになったんだね。それでいくら金が手にはいったの。」
 「2百万ドルだよ。」
 「それで何を買ったの。」「家を買ったよ」「ほかには」「ベンツのスポーツタイプ。それから、オーディオセット、ビデオデッキ、ボルゾイを2匹。それから旅行にも行ったよ。南米とか東アフリカとか。」「映画会社は?」「持ってないよ」「クルーザーは」「ないよ」飛行機は」「あるわけないよ。たった2百万ドルだぜ。」
 「そうか、僕は全部もっているよ。」

 Sは、庭に美術館を持っていた。妻が後期印象派の絵画が好きで、集めていた。それを展示していたのだ。

 ところが、Sがカルトに少し狂って、その教えにより、庭のプールの水を煮沸。沸騰させた。そのプールの中に、妻が大切にしていたチワワが落ち死んでしまう。妻は激怒。美術館の絵画を全部売り払い、のっぺらぼうの顔と腕のない女性の像だけが残る。
 その像をSは眺めていると妻を思い出し落ち着くという。

そんなSから連絡がある。
 「今度、無重力の部屋をつくったからおいでよ。」と。
全く、村上にしか書けない小説である。

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有栖川有栖    「ダリの繭」(角川文庫)

推理小説作家有栖川有栖と犯罪心理学を教えている名探偵、火村英生コンビによるシリーズ4作目の作品。

 ダリの心酔者である、宝石販売会社社長の堂城秀一が、彼の六甲にある別荘から死体で発見される。この死体の状況が異常。

 実は、現代の繭と呼ばれる、「フロートカプセル」の中に浮かんだまま死体となっていた。この「フロートカプセル」。体温と同じ温度である特殊な液体が入っている。この特殊な内用液の影響で、殆ど無重力状態で浮かび、40分浮かんでいると、6時間熟睡したときと同じ状態になって甦ることができる。

 秀一をめぐって周囲にいる人間。弟の副社長をしている秀二。さらにその弟であり、広告会社に勤めている吉住訓夫。3人は腹違いの兄弟。それに、宝石デザイナーの長池伸介。さらに社長の美人秘書である鷲尾優子。優子は社長の愛人でもあると同時にデザイナーの長池とも付き合っている。過去には吉住にも言い寄られたが断っている経緯がある。

 事件を解く鍵は、いつも40分で固定されていた設定時間が、その日に限り50分と10分間延長してあったこと。時間設定の変更は難しく、社長の秀一しかできなかったこと。

 「フロートカプセル」の脇に犯人のものと思われる衣類がおかれていて、血が塗りつけられている。返り血にみえるが、明らかに後から塗り付けている。

 凶器がわからなかったが、衣類を発見した河原の草原の中から、小さな女神像が発見され凶器と断定される。

 この女神像は、鳥羽の土産物屋の主人が創ったもので、出来が悪く、3体が創られたが、3年間で2体しか売れなかった。そのうち一体は、会社の旅行で、長井が面白いと言って購入し、家に飾ってある。その像には吉住の指紋がついていた。

 3体のうち現在は1体が売れ残っている。もう一体は誰が購入したのか。
 この散らばったたくさんのトリックを、苦戦しながらも名探偵火村が紐解き、事件の真相に至る。

 現実にはありえない、「フロートカプセル」を登場させ、事件に使うのは、推理小説としては、ルール違反かなと思ったが、そのカプセルが謎と不気味さを物語から立ち上がらせ、少し時間はかかったが納得できた。

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斎藤明美    「高峰秀子の捨てられない荷物」(新潮文庫)

著者斎藤明美は、いくつかの職業を経て、「週刊文春」の記者となり、女優でエッセイストである高峰秀子の担当記者を長年つとめる。その間に、高峰の生きざまに感動し、高峰を敬愛、高峰も斎藤を可愛がり、子供に恵まれなかった、高峰、松山善三夫妻の養子となる。

 その斎藤が高峰、松山の姿を描いたノンフィクション。

高峰が松山と結婚したとき、今の金にして10億円は毎年稼いでいた高峰にはたった6万円しか貯金が無かった。
 高峰の故郷、北海道からやってきた、義母志げが14人の親族を引き連れてきて、高峰の出演料をすべて自分の手にいれ、義母も含め全員で分捕っていたからである。

 金持ちの御曹司との結婚を考えていた志げは、貧乏助監督松山善三と高峰が結婚すると報告したとき、落胆。「それなら私に留袖を作ってくれ」と高峰に言う。

 高峰はその金が無い。それで俳優の伊志井寛に相談する。伊志井夫妻は、持っていた振袖と留袖をお祝いとして高峰に贈る。
 これをもらった志げは「こんな人が使ったお下がりなんてばかにしている。」と怒る。
どうにもならない鬼婆である。

 高峰は17歳のとき、映画助監督をしていた黒澤明に恋心を抱く。
ある日、黒澤より「家に遊びにおいで」と声をかけられる。
鬼の志げが麻雀をやっていたとき、こっそり家をでて黒澤のところにゆく。

 ところが黒澤の家に到着すると、鬼の形相をしていた志げが待ち受けていた。そして大声で絶対黒澤との交際は許さないと叫ぶ。大女優である高峰にまだ助監督から監督になったばかりの黒澤などというどこの馬の骨かわからない男では、つり合いがとれないと思ったからの行為だ。その日から高峰は志げに1週間家に軟禁される。

 松山には悪いが、高峰と黒澤が結婚していたらどうなっただろう。想像するに、まあ長い間はもたなかったように思えてしまう。

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| 古本読書日記 | 06:13 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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浅田次郎   「わが心のジェニファー」(小学館文庫)

主人公のラリーは、ウォール街の投資会社のサラリーマン。上流階級に属する人間である。
ラリーは祖父母に育てられ、両親を全く知らない。

 ラリーが恋人ジェニファー、コロンビア大学をでた才媛で美貌の持ち主。ラリーが彼女に結婚の申し込みをすると、結婚の条件として、ジェニファーが大好きな日本に旅行して、その感想を報告することが言い渡される。そして丹頂鶴のダンスをみてくることが結婚の必須条件となる。変わったことをジェニファーが言うなと首を傾げ読み進む。

 日本にやってきたラリー。東京から京都へ。京都ではジェニファーがありながら日本女性と一時の恋を体験。その後大阪で大衆料理を堪能。温泉を経験せねばと別府にわたる。ここでオーストラリア出身の、20年間ひたすら温泉めぐりだけをしているおじさんに会う。

 そして、東京に帰り、数日滞在の後、ニューヨークに帰ろうとする。
ここまで、アメリカと日本の文化習慣の違いを際立たせ、浅田得意のユーモアや、箴言があり、これは外国人からみた日本を扱う物語なのかと思わせる。

 ところが東京に帰って、地下街でゲームをしている少年に会い、その少年に導かれて、少年が住むタワーマンションの部屋を訪れる。少年の母親が、東京を案内。そこで食べた鮨のウニに感動して、本場は北海道だと知る。そのウニの誘いもあったのだが、少年の母親が北海道の出身で、アメリカに帰る前に故郷の丹頂鶴のダンスを見に行ってほしいとお願いされる。

 ジェニファーから丹頂鶴のダンスを見てきてほしいとは言われていたが、日本は縦に長く、ラリーは西に向かったため、北海道に行く時間がなく、北海道行きは断念していた。

 しかし、ウニと母親のお願いに誘われ、釧路にでかけた。
ウニを含めて魚を目いっぱい食べようと、ホテルの推薦の炉端焼き屋にゆく。そこで編み物をひとりでしている老婆に会う。その老婆が明日、ラリーを湿原に案内して、丹頂鶴のダンスを見せてあげるという。

 そこからのクライマックスが素晴らしい。鶴を鑑賞にゆくまでの、仕掛けも見事。でも、そこは読んで確かめてほしい。

 編み物のおばあさんの言葉が印象深い。
「いいかねラリー。結果を求める人生に幸福はないんだ。こうして好きなことをしていればいい。」

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| 古本読書日記 | 06:01 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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小松左京 「やぶれかぶれ青春記 大阪万博奮闘記」(新潮文庫)

戦中。戦後の混乱期、旧制中学、高校を過ごした青春記と、大阪万博にブレーンとして加わった奮闘記を収めた本。

 小松は旧制中学校を終えると、親父の指示もあり旧制第3高等学校(現 京都大学教養学部)を受験し合格する。ようやく受験勉強から解放され、自由を謳歌していたとき、突然旧制の学校制度が廃止され新制の学校制度に変わり、驚くことに三高一年生の後、京都大学受験を受けねばならなくなった。大ショックを受けている。

 当時はバンカラが流行り、制服の上にコートをはおり通学するのが一般的な三高生のスタイル。学生の中に凄い猛者がいた。

 皆、食堂で食事後、薬缶や丼などをコートに包んで持ち帰る。そんな中に「黒マント」と言われた学生がいた。彼はまずい南京豆の混ざったごはんを食べ、馬の小便のごとき渋茶をゆっくりとすすると、やおら立ち上がりマントを翻す。すると、そこにあった、薬缶、茶碗、湯飲み、丼、皿、箸立て、醤油入れが一斉に無くなる。

 これに業を煮やした食堂のおじさんが、でかいスイカをさらに一段と大きくした、両手で持ち上げないとあがらないくらいの薬缶に切り替えた。

 これでは隠して持ち去るのは無理だろうと思っていたのだが、その薬缶をある日マントにくるんで持ち去ろうとする。ところが彼が「アチイ アチイ」と悲鳴をあげる。

 なんと熱いお茶がいっぱいはいった薬缶を股にはさんで両手で持ち上げていた。その熱さに耐え兼ね、股の間からお茶と同じ色をしている液体を漏らしていた。もちろん一緒にお茶もこぼしていた。

 小松左京が大学に受かったころ、父親の事業が失敗。一切仕送りがなくなってしまった。下宿代も授業料、生活費もかかる。とても、これらをアルバイトだけでは賄えない。どうしてお金を手に入れていたか長い間不明だった。小松は、そのことをこの自伝でも全くかいていないが、実は、小松は手塚治に憧れていて、当時漫画を描き、それを大阪の出版社に持ち込み、漫画本になり収入を得ていた。最初の漫画は「怪人スケレトン博士」。ベストセラーになっている。

 しかし、小松の漫画家時代は何故かわからないがタブーとなっている。

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