又吉直樹 堀本祐樹 「芸人と俳人」(集英社文庫)
俳句という言葉は新しく、正岡子規が名付けている。
俳句の起源は、奈良・平安時代の和歌である。和歌は五七五七七の31文字で作られる。これが蓮歌、俳諧蓮歌となる。
俳諧蓮歌は五七五の長句が読まれ、これに別の人が七七の短句をつけ、それを三十六句つなげたものを歌仙という。この歌仙のうち最初に詠まれる五七五の句を発句という。
この発句について、子規が「発句は文学であるが、連句、歌仙は文学にあらず」と言って、この発句を子規が俳句と命名して、俳句革新運動を起こす。
歌仙の最初の句は発句というが、2つめの句は脇句といい、3つめは第3、その後は平句といわれ、最後の句は挙句といい、挙句の果てはここからでている。
松尾芭蕉の「奥の細道」は、歌仙の発句のみが書かれている。だから、彼の俳句にも、36の歌が連なっていた。
しかし、芭蕉は自らの句のオリジナリティーを高めるために脇句を切り落とし、作品として世の中にだしたのだそうだ。
それにしても、俳句はたった五七五を連ねるだけなのに、よく言えば奥が深いと思うが、何とも仰々しい。この本は俳句を学び、語るのに350ページもある。気楽に作れるものではないと重く感じ、俳句との距離が遠くなった。
たくさんの俳句が、この本では紹介されているが、次の2首が印象に残った・
俳人和田悟朗の作品
「空間にぶつかりぶつかり鹿駆けり」
空間は今。今今今を駈けている。今は駈けると瞬間に過去になる。今今今がずっと続いて連続写真のようにみえてくる。
足という題で集められた句から選ばれた句
「農家のね案山子の足にもサロンパス」
疲れた足への労りがまっすぐに心に突き刺さってくる。
ところで、俳句を書く時には、5.7,5で余白を作って書いてはいけないそうだ。余白をつくらず、一気に575と連ねて書かねばならないのが作法。面白いと思った。
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| 古本読書日記 | 05:59 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑