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2018年07月 | ARCHIVE-SELECT | 2018年09月

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又吉直樹 堀本祐樹   「芸人と俳人」(集英社文庫)

芸人である又吉が、俳人堀本から、俳句の基礎知識、技法を学びながら、選句、句会、吟行までステップアップしてゆく過程を、対談形式で描く。

 俳句という言葉は新しく、正岡子規が名付けている。
俳句の起源は、奈良・平安時代の和歌である。和歌は五七五七七の31文字で作られる。これが蓮歌、俳諧蓮歌となる。

 俳諧蓮歌は五七五の長句が読まれ、これに別の人が七七の短句をつけ、それを三十六句つなげたものを歌仙という。この歌仙のうち最初に詠まれる五七五の句を発句という。

 この発句について、子規が「発句は文学であるが、連句、歌仙は文学にあらず」と言って、この発句を子規が俳句と命名して、俳句革新運動を起こす。

 歌仙の最初の句は発句というが、2つめの句は脇句といい、3つめは第3、その後は平句といわれ、最後の句は挙句といい、挙句の果てはここからでている。

 松尾芭蕉の「奥の細道」は、歌仙の発句のみが書かれている。だから、彼の俳句にも、36の歌が連なっていた。

 しかし、芭蕉は自らの句のオリジナリティーを高めるために脇句を切り落とし、作品として世の中にだしたのだそうだ。

 それにしても、俳句はたった五七五を連ねるだけなのに、よく言えば奥が深いと思うが、何とも仰々しい。この本は俳句を学び、語るのに350ページもある。気楽に作れるものではないと重く感じ、俳句との距離が遠くなった。

 たくさんの俳句が、この本では紹介されているが、次の2首が印象に残った・
俳人和田悟朗の作品
 「空間にぶつかりぶつかり鹿駆けり」
空間は今。今今今を駈けている。今は駈けると瞬間に過去になる。今今今がずっと続いて連続写真のようにみえてくる。

 足という題で集められた句から選ばれた句
「農家のね案山子の足にもサロンパス」
疲れた足への労りがまっすぐに心に突き刺さってくる。

 ところで、俳句を書く時には、5.7,5で余白を作って書いてはいけないそうだ。余白をつくらず、一気に575と連ねて書かねばならないのが作法。面白いと思った。

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| 古本読書日記 | 05:59 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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福澤徹三    「侠飯⑤ 嵐のペンション編」(文春文庫)

このシリーズの魅力は、物語の中で柳刃が創る、よだれが出そうな料理の数々の絶品レシピ。この作品でも、たくさんの秘伝の料理がレシピとともに登場する。

 ステーキはメイラード反応を起こさせるように調理せねばならない。メイラード反応とは肉を加熱することで糖とアミノ酸が反応して焼き色がつくこと。メイラード反応を起こすことで肉の表面が褐色となり、香ばしさと旨味がでる。

 しかしこれが大変。

ステーキはまずアルミホイルで包み、弱火で焼く。焼いた後同じ時間休ませる。これを何回か繰り返すことで、中の肉がレアのまま暖かくなる。そして、最後に強火で焼きメイラード反応を起こさせ完成。
 普通は最初に強火で焼き、その後弱火にして完成させる。火力の順序が逆なのである。
しかし、こんな焼き方をするステーキハウスは見たことが無い。

 今回の舞台は、奥多摩にあるペンション。主人の皿山からして不思議な人物。アルバイトの主人公和斗にペンション運営をまかせ、妻が病気になったからと何日もペンションを空ける。主人公和斗も定職を持たないフリーター。ここに柳刃をはじめ、風変りで一癖ありそうな面々が宿泊客として、或いは夜の居酒屋客として集まる。さらに近くの料亭「鮒口」の傲慢な主人が絡む。

 これに、5億円の銀行からの強奪事件が時効を迎える日と重なり合う。

美味しいそうなレシピもうれしいが、結構事件を解決するミステリーとしても、中味がそれなりに凝っていて楽しく読める。
 まだまだ続きそうな予感をさせる柳刃シリーズである。

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| 古本読書日記 | 05:53 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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黒川博行     「悪果」(角川文庫)

 大阪今里署のマル暴担当刑事堀内は、暴力団淇道会が賭博を開帳するという情報を得て相棒の伊達らとともに、現場を押さえ27人を現行犯逮捕する。取り調べから明らかになった金の流れをネタに、業界紙編集者の坂辺と組み、逮捕者を強請り、金をむしりとろうとする。その過程で、坂辺が交通事故にみせかけ殺害される。

 そこから、ヤクザがうごめきはじめる。ヤクザとそのヤクザを動かしている黒幕を捜索していく過程と警察とヤクザの対決が物語の大筋。

 面白いのは、捜索は犯罪を暴露し、犯人を逮捕することを目的にせず、あくまで、そこで得た内容をネタに刑事である堀内、伊達が犯人を強請り、金を強奪することが目的であるところ。

 とにかく黒川は警察の悪臭、腐臭の実態をよくつかんでいてその細部にわたる表現が鋭い。

 堀内が北淀署に配属されたとき地域課の会計担当の指示で印鑑を自費で2つ作らされる。
署にはこうした三文判が数百保管されており、会計の指示で、カラ出張費や参考人の旅費、日当や実際に払われることのない協力者の謝礼金のための偽領収書や偽伝票を作らされる。

 ノルマがあり、伝票は一件4万円から5万円で、平クラスだと月3件、警部補だと5件、警部になると7件。

 これで集められたお金は、上納金となり、刑事課長、副署長、署長のヤミ給与となる。この金額が署長になると月100万円を超える。飲み代、ゴルフ代、署長公舎の家具、什器、家電製品、カーテンから味噌醤油まですべて署が丸抱えする。

 上がこんな状態では下も腐りきる。

警視正、警視といった上級幹部の餞別資金は、署で作ってプールしている裏金と、それから管轄の商工会が集金したる餞別金で膨大なお金になる。何しろ署長を2回もやれば家が建つ。

 暴力団は飲食店のお守金として一定の金額をとればそれ以上は要求しない。しかし警察がその代わりをするとなると、警察官、刑事の飲み代はすべてただ。加えて、年がら年中、協力金だとか感謝金などと名目をつけ、お金を徴収する。暴力団より警察のほうが、飲み屋、クラブからの評判は悪い。

 この作品では、一人として正義の登場人物はいない。

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| 古本読書日記 | 06:24 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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荒木源    「早期退職」(角川文庫)

 リストラで退職寸前まで追い込まれた主人公が、それをはねかえして会社の病巣に対し立ち上がり、その病巣を撃墜するという、池井戸の作品を連想させるような物語。しかし、池井戸のレベルに比べれば低く、中味は薄い。

 それでも、自信に満ち溢れ部下5人を引き連れ、しかも自分は創業者一族の社長を除けば最も地位の高い専務に信頼されていると信じていた主人公が突然、その専務に呼び出され、早期退職募集に応募してくれと言われ、そこからの主人公の苦悩については、なかなかリアリティがあり感心した。

 主人公の辻本は52歳で、それなりの規模のもつ菓子メーカー「エンゼル菓子」の営業課長。最も信頼されていると信じていた織原専務に呼び出され、早期退職募集に応募するよう要請される。
 酒を浴びるほど飲み、倒れ込むようになって家に帰る。翌朝、スマホで50代再就職と検索してみる。

 のっけから
「中高年は賃金が高い割に生産効率は低い。あなたは会社にとってそういう存在であることを自覚せねばなりません。」と表示がでて。がっくりする。そして
「今の時代50代で隠居生活というわけにはまずいけませんから再就職先を探すということになります。
 ですが、自分に大した価値がないことを決して忘れてはなりません。ここを間違えると次の仕事は見つかりません。仕事内容や給料に関して、思い描くことと現実のギャップに驚くかもしれませんが、こだわりを捨てて、大胆に妥協する必要があります。」

 そして現実例として、銀行マン、1000万円を超える年棒が、老人ホームの経理部門で仕事につくが600万円になる。アパレル営業の人がフォークリフト運転手になり600万円から300万円になり、車のディーラーからガソリンスタンド店員になり550万円から200万円になる。

 もちろん特殊能力があり華麗に転職し大幅給料がアップする人もいる。こういう人たちは「~方」と呼ばれ、通常の退職者は「~人」と呼ばれる。

 暗澹としていると、「セカンドライフで夢実現」という表現で希望、救いの対処方法がでてくる。
 鮮やかな新鮮野菜とのどかな田舎の写真をみせ、のんびりスローライフを満喫し、本来の人間をとりもどしましょう。
 この魅力満載の言葉に主人公はぐっとよりかかりそうになる。

とても、のんびりなどという生活が実現できるわけではないが、弱り切った気持ちに希望を与えるには甘いささやきだ。

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| 古本読書日記 | 06:35 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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黒川博行    「勁草」(徳間文庫)

 今回の物語は、世の中にはびこり、なかなか犯人を逮捕できない「オレオレ詐欺」を扱う。

「オレオレ詐欺」というのは、今は最も大きい暴力団の資金源になっている。暴力団は詐欺グループを支配し、そこから詐欺で得たお金だけを収奪する。

 詐欺は幾つかのグループにより、機能的に行われる。
掛け子:詐欺の電話をかける者、出し子:ATMにお金を引き出す者、受け子:お金を受け取る者、道具屋:闇の携帯電話や架空口座を準備する者、見張り子;受け取ったお金をもって逃げないように見張る者:掛け子、出し子、受け子などを集めてくるリクルーター。

 そして、重要になるのが名簿屋。名簿屋は企業を退職したり、多重債務者、株取引経験者の名簿を集め、さらに、集めた名簿の家庭を訪問し、家族構成情報を収集し、誰を詐欺のターゲットにするか決める。

 受け子などのグループを統括するのが番頭。
今回の物語では、キーパーソンになる名簿屋は高城で、番頭にあたるのが橋岡と矢代。

 高城のもとで動かされているグループにはわずかな金が与えられる。橋岡と矢代は、賭場で大きな金を失い、損金を支払わねばならなくなる。

 橋岡と矢代は、高城がでかい金を持っていると思い、お金を借りようとするが断られ、思い余って高城を殺害し、遺体を東京郊外の森の中に埋める。

 そして、高城の事務所に侵入し資産をつかむ。預金が、4つの銀行に分散して八千万円。株が1億7千万円。合計2億5千万円ある。その通帳、証券証書と届け出印を手に入れる。

 面白いのは、詐欺集団の手口が巧妙化すれに連れて、銀行や証券会社も詐欺事件を防ぐために、どんどん防御方法が高くなること。
 だから、詐欺で集めたお金を銀行や証券会社から引き出すのがどんどん困難になってくる。

 銀行の窓口に通帳と届出印をもって出金しようと橋岡がするが、それだけでは出金はできない。口座名義人であることを証明する物がいる。それは、ATMカードの暗証番号か免許証。暗証番号は橋岡は知らないし、自分の免許証をだしても名義人と異なる。にっちもさっちもいかなくなる。

 証券会社は、株を売った金は現金では渡さず、登録された口座に振り込むという。当然登録口座は高城の口座だから、そんなところに振り込んでもどうしようもない。

 銀行では、通帳と印鑑で20万円/日で金を引き出すことができた。引き出さねばならないお金は8千万円。これを4行で毎日80万円ずつ引き出しても100日もかかる。
 そんなことを窓口で毎日すると、銀行が不審者として、警察に届ける状態になる。
詐欺で獲得したお金を、自分たちの詐欺が原因で引き出せないというジレンマがなかなか面白い。

 黒川の作品はミステリーではなく、犯罪者視点から物語が創られ、犯罪者の行動、気持ちの動きがいろんな場面で、生き生き描かれそこがたまらない魅力である。

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| 古本読書日記 | 05:54 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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宮部みゆき  「過ぎ去りし、王国の城」(角川文庫)

自分の人生は充実していて、幸せな人生だったと感じている人も世の中にはいるが、逆にあれが無ければ、あのときあんなことをしたために、ずっと不幸で切ない人生になってしまったと悔やんでいる人もいる。そんな人は、年がら年中、あの時のことを思い出し、胸をかきむしる切なさに憂う。

 この物語では、今の不幸な状態を、その不幸が起こったときに戻って変え、今の不幸を変えたいと思っている2人が登場する。

 一人は、主人公と物語で一緒に活躍する珠美。珠美は母親を6歳のとき交通事故で失い、そこから学校では徹底的にいじめられ不幸な人生を歩みはじめる。だから交通事故の手前に戻り母親を死なせず、母親のいる人生を歩みなおしたいと考えている。珠美は絵を描くのが楽しく、絵ばかり描いて生活している。それから漫画家を目指して頑張ってきたが、ずっと有名売れっ子漫画家のアシスタントに甘んじ、なにがきっかけだったのか物語ではよくわからなかったが、突然漫画を描くことができなくなる。
もう一人は失職し地の底を這う生活をしている佐々野。

 珠美と同級生の主人公真は、銀行で順番を待っているときに、ある展示された絵を拾ってくる。その絵は古城に女の子が一人窓にたってたたずんでいる。その絵が不思議で、見ている人のアバダーを絵上に描き、そこを指で押すと、絵の中に入りこめるのだ。真は絵が不得意のため、珠美にアバダーを描いてもらい、絵に入り込む。また、珠美も入る。

 入った絵に、先客として佐々野がいた。
そして、城にいる女の子は10年前に突然失踪した当時9歳の伊音という子だとわかる。
伊音の家庭も不幸の極みの家庭で、そのまま家にとどまったら殺されるような状況。それで現在19歳になった伊音が、9歳の伊音を保護するために、城の絵をかきそこに閉じ込めたのだ。その絵を真が拾った。

 真、珠美、佐々野は伊音の人生を変えれば、自分たちの人生も変えれるのではと思い、伊音を救出しようとする。

 しかし、その過程で、自分たちの人生は変えられないことを知る。でも、不幸な伊音の人生は変えてあげねばと珠美は強く思う。

 そして、嵐が逆巻く城に油性ペンを持って珠美が必死に向かう。ここが読みどころ。
油性ペンで珠美は、伊音や困窮の母親たちを支援するNPOの「桜ちゃんハウス」の連絡先を書く。

 その決死の行動があり19歳になった伊音は、現在の不幸な人生を変え、高校を卒業して今は「桜ちゃんハウス」で働いている。

 伊音の人生は変えられた。しかし、真、珠美、佐々野の人生は変わらなかった。でも、新しく、力強く3人は人生を歩み始めた。

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| 古本読書日記 | 06:14 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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高峰秀子   「私の梅原龍三郎」(文春文庫)

高峰秀子は、大正13年に北海道函館に生まれている。生家は「マルヒラ砂場」というそば料理の料亭をしていた。4歳の時に母親が病死、父親の妹しげの希望により、しげの養女となる。

 しげは17歳のとき、函館にやってきた活動弁士萩野市治と駆け落ち、市治は活動弁士を廃業、興行ブローカーとなり家には全く寄り付かず、しげは針仕事で生計をたてた。

 こんな事情で、高峰は父親を知らないで育つ。父親が欲しかっただろうし、憧れが強かった。

 梅原龍三郎は高峰にとって父親代わりだったように思う。高峰の龍三郎への気配り、世話はこの作品を読むと、度が過ぎている。夫の松山善三も梅原の艶子夫人も内心は穏やかではなかったのではと思ってしまう。

 イタリアとスイスにまたがっているマジョール湖の畔のベンチで休んでいるとき、艶子夫人が暑い、暑いを連発するので、高峰が何事かと思い、夫人を大木の陰に連れてゆく。艶子夫人が、ふうふう言いながらほどいたしょいあげの、帯のかわりに、新聞紙にくるんだ弁当箱大の100ドル紙幣札が汗を吸って固まっていた。

 艶子夫人いわく
次々画商がやってきて、絵画の前金だとおいてゆく。しまうところがないので、帯にしょっている。こんなものを背中にしょっていると重くて と言う。

  当時の1ドルは360円である。4、5百万円を常に体に巻き付けていたのである。
全くびっくりする。

 梅原には2人の娘さんがいる。その娘さんの旦那さんに、柏戸か加藤一二三がいいと言っている。加藤一二三は最近有名で人気のある将棋のヒフミンのことである。

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| 古本読書日記 | 06:12 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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はらだ有彩 「日本のヤバい女の子」

サラッと読めました。
昔話の新解釈や現代訳を期待していたら、思ったよりもポエムでした。
かぐや姫の「あなたの心臓の音でダンスを踊るよ」なんて、
オバちゃんには理解できない。。。

セルフィー棒を持って旅をし、長い人生を楽しもう(八百比丘尼)
たまには仕事を休んで、海外の土産物屋で予備のお皿を購入しよう(皿屋敷のお菊)
等々、ヒロインたちに寄り添うわけですな。

「化粧したらいけるのに」とか「自称『虫好き』なのに蛇にビビるってww」とか、
余計な意見を言う男は無視していいよ(虫愛づる姫君)
これは、比較的現代にあてはめやすい話かもしれない。

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女性を応援するような調子で書かれています。
結婚とか、押し付けられた役割による生きづらさとか、よくあるネタですな。

馬と結婚してヤっていることが親にばれ、馬(夫)を殺された女性の昔話から、
「死んだ家族と架空の配偶者を絵馬に描いてあの世で結婚させるといった
冥婚の風習は各国にあるけど、余計なお世話かもね。
『ハッピーな結婚の形』はそれぞれだし、結婚しなくたっていいんだし。
王子様とヒロインが、面倒なことを避けて籍を入れないままだって……」
と話は広がる。

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こういう語り口に「で、なにが言いたいの?」と突っ込まず、
「あー。わかる。そういうのもアリだよね。
そんな昔話があるんだ。知らなかった。面白そう」
そんな風に読むといいですね。

『日本のシンドい男の子』という続編があります。 ←嘘です。
ツラいだと、寅さんだな。

| 日記 | 11:53 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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高峰秀子 松山善三  「旅は道づれ ツタンカーメン」(中公文庫)

この夏の暑さは異常。毎日熱中症で亡くなる人が多くでる。このエッセイによると、エジプトのアスワンは、真夏気温が55度にもなる。そこで。通常仕事は朝5時に開始し、10時にいったん終了。次の仕事開始は夕方5時だそうだ。

 日本も事務所内の仕事はエアコンがあるから勤務時間は今と同じでいいかもしれないが、外回りや屋外作業は、そのうちエジプト時間にしなければならないかもしれない。

 古代のエジプト人は、現生で生きている期間はあまりにも短く儚いと考え、死ぬと永遠の命が与えられるパラダイスと考えていた。

 それで、どんな階層の人であっても死後はミイラとなって埋葬される。ミイラは遺体になってからミイラ作りの専門家に引き取られおよそ70日間で作られる。

 王や貴族など最高位の人は、「死の家」に遺体は移され、ミイラ師はまず曲がった刃物で鼻の孔から脳髄をとりだす。次に鋭利なエチオピア石の刃物を使って、開腹し、すべての臓腑をとりだす。その臓腑をヤシ油で清め、遺体の内部も香油と葡萄酒で洗い清める。動脈内部に薬品が注入され、遺体は一定の時間、塩水に浸される。遺体が固くなると、水分を完全に抜く。それからモツヤク、肉桂、砕いた蓮の実、香油、香料を腹の中に詰めて縫い合わせる。そして遺体を天然ソーダに漬けて70日間おけば完成する。

 70日たつと、遺体はソーダ水からひきあげられ、美容師が死化粧を施し、唇と爪、手と足の裏に色を塗る。最後に上等の麻布を裁って包帯状にして体に巻き付ける。遺体の上には宝石や装身具が置かれる。

更に一緒に贅沢な生活を行ってもらうため、高級料理が一緒に埋蔵されたり、寂しがらせてはいけないと王妃、女官、軍人、数人の小人と犬一匹が殺され、生贄として埋められた。
 また取り出した臓器は別の箱に保管された。

こんなミイラと保管臓器がエジプト博物館で見られるとのこと。
すごい展示物とは思うが、あまり見に行きたいとは思わない。

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| 古本読書日記 | 06:42 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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高峰秀子   「旅日記 ヨーロッパ二人三脚」(ちくま文庫)

高峰秀子が三船敏郎と共演した「無法松の一生」が昭和33年のベネチア国際映画祭でグランプリを獲得した。この時高峰は34歳。30歳で松山と結婚するが、結婚後4年間に次々名作に出演、押しも押されぬ大女優になった。

 高峰は5歳で子役映画デビューをする。それから、おびただしい数の作品に出演している。多忙すぎて、小学校にもまともに通えなかった。だから、一般常識も覚えず、漢字や計算もまともにできないと告白する。

 しかも、東京で養母に育てられる。この養母が金に固執し、高峰の収入はすべて養母が手にいれ高峰には渡さない。こんなこともあり、高峰はぜいたくな生活を送ることができず、養母とは犬猿の仲になる。

 高峰は、ゴージャスなイメージの大女優と、無知、無教養でがらっぱちの実像との落差が受け入れられなかった。それで、素の自分をエッセイで残した。この素が、読者にはたまらない。女優高峰よりエッセイスト高峰を多くの読者同様、私もこよなく愛する。

 このエッセイ。高峰が脂ののりきった全盛時、ベネチア映画祭に出席。そのまま7か月夫松山とヨーロッパに滞在。そのときに綴った日記である。

 最初から度肝を抜かれる。ヨーロッパへゆくエアフランス機にのると、すぐにお酒と贅沢な食事がサーブされる。この量の多さに辟易とする。そして・・・

 「味も一流だが量もたっぷりで、せまい椅子に座ったきりで動きもならず、ウンチにも行けずどうしてこれだけ食べられるのか。」
 うんちなどしないのではと思われていた大女優がこんなことを書く。この作品ではウンチ、ウンコが3か所も登場する。

 今は文章はパソコンで書き、漢字は変換するから、どれも規格にはまったような同じ文章になる。しかし、この作品は手書き。ある日の日記。

 「少し寒いので小さい部やにかわる。・・・ひるにホテルからでかける。
コリガンの安うりがあってワンピースを二つ買い、前から欲しかったダンヒルのつめみがきセットを買った。
 夜はホテルで食事。部やはややましになったらしい。」

「安うり」「部や」「つめみがき」。ワープロ時代では書けないこんな文字が並ぶと気持ちがどことなく和む。

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| 古本読書日記 | 06:39 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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田中康夫   「33年後の、なんとなくクリスタル」(河出文庫)

田中康夫は、高校では優秀な生徒で、卒業後は東大を受験。しかし、第一次試験で落ち、その後予備校で一浪後、一橋大学法学部に入っている。

 何があったのかわからないが、大学4年の時、事件に巻き込まれ、停学を1年間くらい就職に内定していた日本興業銀行へは入れなかった。

 1980年、この停学期間に予備校時代をモチーフにして創作した「なんとなく、クリスタル」が芥川賞候補作になるとともに、爆発的に売れ100万部を突破、この作品に登場する、高級なブランドを身に着け、とても学生身分では入れないような高級レストランを男性に導かれ出入りする女子大学生。当時、この本から「クリスタル族」と名付けられた。

 それにしても、田中の父は信州大学教授だったのだが、予備校生であれ大学生であれ、息子である田中が、クリスタル族といわれるような生活ができたのか、当時作品を読んで、本当に不思議に思った。

 この作品は、主人公である田中康夫と1980年当時、一緒に遊びお付き合いをしたもう一人の主人公百合を中心にその後の2人の人生を追い、33年後にどう変わったのかを描く。

 1980年の2人の気分と行動
「なんとなく気分のよいものを買ったり、着たり、食べたりする。そして何となく気分のよい音楽を聴いて、何となく気分の良いところへ散歩しにいったり、遊びに行ったりする」
 まったくゴージャスな暮らし。しかし、10年後に自分たちはどうなっているのだろう、という不安が「喉の渇き」「サースティ」となり横たわっていた。

 百合は学生時代モデルとして活躍していたが、卒業後にはモデルをやめ、化粧品会社に就職した。彼女は、豊かさを人々に届けることを信念にして、会社をやめ、ロンドン大学に経営を学びに2年間自費留学。そして帰国後ファッション関係にとどまらず、様々な広告業務を支援する会社をたちあげ、その延長で南アフリカにゆき、捨てられた高級眼鏡を配給ではなく、安価であっても購入してもらう「流通型」システムを企画実行した。

 33年をかけて彼女の信念になった言葉。「微力だけど無力じゃない。」経済活動と社会貢献を結び付け必死に頑張っている。

 私たちの世代の次に登場した、田中のような種族は、全く宇宙人だった。
私たちの時代は「連帯を求めて。孤立を恐れず」が信念だった。しかし田中の時代には「自立を求めて、連帯を恐れず」となった。個人の個性自立が最も大切な信念になった。

 33年たっても、バックボーンはよくわからないが、田中のみならず、男に寄りかかり贅沢三昧をしていた女性たちも今でも「クリスタル族」の生活ができている人がたくさんいる。うらやましい限りだ。

 田中には神戸の震災の時のボランティア活動を綴った「神戸震災日記」がある。
この作品を読むと、震災の当日、田中はやはり神戸のホテルに女性といたとのこと。田中の下半身のしまりのなさに唖然とした。

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絲山秋子     「薄情」(河出文庫)

田舎には3種類の人間がいる。ずっと田舎に住み、生涯を終えてゆく人。一旦東京など田舎をでるが、Uターンして帰り田舎に住み着く人。それから、都会など、よそから田舎に移住してくる人。

主人公の宇田川静生は、都会に出て田舎に帰った人。おじさんが神社の神主をしている。おじさんから後継者として指名を受けているが、おじさんが中々引退しない。稼ぎが無いので、初夏から秋にかけ、群馬の嬬恋村のキャベツ農家にアルバイトをしてしのいでいる。

 平成の大合併で、かって町だったところが市に繰り入れられた。しかし、市になっても、町と旧市街はくっきりと分かれる。その境には草原や畑が続き、民家は殆ど無い。

 そんなところに都会から移住してきた木工職人の鹿谷が変人工房なる工房をつくり住み着く。
鹿谷の家には、いろんな人たちがやってくる。土地の人、都会から移住してきた人、宇田川のようにUターンしてきた人。居心地がいいのである。

 宇田川の高校時代の一級下だった蜂須賀が東京から会社をやめ田舎に戻ってくる。宇田川を頼りにして、相談にきたりする。だから付き合いらしいこともする。

 しかし、ある日変人工房にゆくと蜂須賀が来ていて、その仕草から、鹿谷と恋愛関係にあることがわかる。すると、宇田川は変人工房には近付かなくなる。
 驚くことに、宇田川だけでなく今までしょっちゅう立ち寄っていた人たちも全く足をむけなくなる。

町の地の人の楽しみは噂をしあうこと。多少の真実はあるかもしれないが、あることないことを目いっぱい膨らましてしゃべりあう。そして、変人奇人を創り出し、排除の対象にする。
 こんな評判なところに出入りしているこが知れると、その人も変人扱いされるからでる。

宇田川は0を肝に銘じて生きる。せいぜい1までである。感情や想いを外にださないか、感じないようにして生きる。5や6で、行動をすると、「東京でもどりだから」と排除されるから。

 内容はデフォルメされているが、田舎生活の本質をピシっとついている。

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村田沙耶香     「消滅世界」(河出文庫)

 どのくらい未来の話かわからないが、物語の時代は、夫婦のセックスは近親相姦と言われ忌み嫌われ、そこから生まれた子どもは汚れたものとして思われている。人工授精の技術が進化し、子どもはすべて人工授精によって産まれるようになった。

 人々はセックスを嫌い、セックスの対象はアニメのキャクターになる。セックス未経験、知らない人たちが殆どとなった。

 それで、物語で理解できないのは、家庭というのが人間暮らしの基盤となっている。恋愛感情が無いのに結婚をする。恋はキャラクター人形としたり、家庭の外に存在するのが当たり前となる。だから夫の恋人が家に遊びに来たり、恋人をいれて食事を楽しんでも違和感が無い時代となる。

 そして夫婦は、計画を立て、人工授精の日を決め、そこで子どもを創る。
読み進むにつれ、家庭、家族は何のために存在するのか、無理すぎと感じが強くなる。これはやはりおかしいと思っていると、とんでもない世界が提示される。

 その時代には、実験未来都市として千葉がえらばれていた。主人公夫婦は、その千葉に生活拠点を移す。

 千葉では、毎年クリスマスに人工授精が行われる。だから子どもはみんな8月に一斉に生まれる。

 主人公夫妻の妻はクリスマスに人工授精をするが、妊娠中に流産する。夫は人工子宮を植えられ、同じクリスマスに人工授精をする。そして、胎児は夫のお腹で育ちとうとう8月に子どもを出産する。

 出産された子どもをすべて「赤ちゃんルーム」に集められる。キャベツはキャベツであって、それぞれに名前をもっていない。まさに赤ちゃんも赤ちゃんであって、一切名前は無い。

 大人の女性は赤ちゃんにとってすべてお母さんであり、男性はお父さんである。子どもはすべて誕生日は同じで、バラバラの誕生日は無い。

 どんな機械装置かわからないが、クリーンルームという装置が開発され自らの状態をタッチパネルで入力すると、体の中の性欲をクリーンアップすることができるようになる。

 そういえば山田詠美の作品にも工場で子どもが生産されるというものがあった。作家には同じ未来が見えているのかもしれない。

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高峰秀子 松山善三  「旅は道づれ雪月花」(中公文庫)

高峰秀子主演の最大のヒット作、日本映画史上でも最大級のヒット作になったのは「二十四の瞳」である。松山善三は否定しているが、何の変哲もない瀬戸内海に浮かぶ島が、瀬戸内海屈指の観光地になったのは「二十四の瞳」の影響によるのは間違いない。

 すごいのは、「二十四の瞳」は創作であり、架空物語にも拘わらず、小豆島の観光地は「二十四の瞳」により作られている。

 まずは、高峰秀子扮する大石先生と12人の子供たちの銅像ができる。除幕式にはもちろん高峰は呼ばれる。子どもが少なくなり映画の舞台に使った分校が廃校となる。その、閉校式にも高峰は呼ばれる。なんの建築物としての価値はないボロ校舎なのだが、「二十四の瞳」のロケが行われたというだけで、観光名所として残っている。今でも土産物の中心は「二十四の瞳」の文鎮や絵葉書。ロケーションの間高峰秀子が宿泊していた旅館の部屋は「瞳の間」と名付けられている。


 高峰秀子は大女優だったが、素顔ははすっぱ、がらっぱち。相手の想いなど無視して、言いたい放題。変な心使い、気使いが無いので、常識を突き抜けた表現をすることがしばしば。それが高峰のエッセイの魅力になっている。若いころ麺類が大嫌いだった。それについての表現が高峰しかできない、完全につきぬけている。

 「若い頃の私は、ソバ、ウドン、スパゲッティなど、とにかく細長くニョロニョロしたものが大嫌いだった。あんな小包のヒモみたいで味も素っ気もないものを、他人はなぜ美味しそうにズルズルと吸い込むのか、全く気が知れぬ。あの細長いものが喉を伝わり、胃に落ち込んでトグロを巻く図を想像するだけで、わたしは、ゲエ!と顔をしかめたものだった」

 そばが嫌いなことを、これ以上で表す文章をみたことはない。考えることを飛ばした、感情むきだしである。

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江上剛   「庶務行員 多加賀主水が悪を断つ」(祥伝社文庫)

第七明和銀行高田支店庶務行員多加賀。銀行では最も下っ端。銀行の中、外を掃き清めたり、銀行にやってきて戸惑っている人を助けたりする仕事をする。

この第七明和銀行内に多加賀を中心に「第七明和銀行を改革する仲間の会」という秘密のグループがある。そこに、高田支店の生野香織と椿原美由紀がいる。

 多加賀は銀行で、最も客に近いところにいて、街にも浸透している。だから、住民からの相談事が多い。商店街のシャッター化、保育園の騒音、催事の協賛金など。

 これらのトラブルを、香織、美由紀と相談して、悪人に夜、霧のなか、狐のお面をつけて懲らしめ放逐する。

 そんな時、第七明和銀行の吉川新頭取の息子が失踪し、頭取の元に現在保有している国債30兆円を売りさばけ、そうすれば息子は解放されるという脅迫が届く。そして、この真相をつきとめるために多加賀と香織、美由紀が動く。

 現在の日本の国際発行残高は1000兆円を超える。これは日本のGNPの2倍以上。こんな借金大国は世界に無い。

 銀行の資金は、この国債を購入するために使われ、マイナス金利や円安になろうが、資金を企業に貸し付けるまでにならない。だから、市場にお金が供給されない。

 江上はこの金融緩和政策に反対している。だからこの物語でもヤベノミクスと称し、アベノミクスは完全に失敗していると語る。

 それで、最後には、吉川頭取に国債売りを決断し実行させる。これが呼び水となって、日本国債が一斉に市場で売られ、国債は暴落する。

 しかし、日本経済のファンダメンタルは確固としているため、混乱は一時期は起こるものの大事には至らず、銀行の資金は中小企業に回り経済は正常に戻るというところで物語は終わる。

 江上の描くような心配の無い状況に落ち着くだろうか。迎えた不況に、中小企業に資金需要は生まれるものだろうか。私はかなり懐疑的である。

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住野よる    「また同じ夢を見ていた」(双葉文庫)

奈ノ花は小学生。自分は利口で、他のクラスメイトはバカだと思っている。思いのままに行動するし、遠慮なくしゃべる。だから、周りから浮き上がっている。浮き上がっているのはみんなが馬鹿だからと思っている。しかし、無視されているわけでなく、挨拶もすれば声かけもする。

 学校には友達はいないが、奈ノ花には学校の外に大切な友達がいる、いつも一緒に行動している猫。それから、アバズレと奈ノ花が呼んでいるおばさん。そして、一人住まいをしているおばあちゃん。それと、おばあちゃんの家に行ったとき、いつも二股の道を左に行ったのだが右にゆきその先のビルの屋上で出会った高校生の南さん。南さんは屋上で手首を傷つけていた。その手首には他にもいっぱい傷があった。

 実は、友達3人は、自分のようにはなってはいけない、今のままでいると自分のようになってしまうと心配している。3人は未来の奈ノ花だった。

 奈ノ花の隣の席に桐生君がいた。桐生君は引っ込み思案で思ったことが言えない。動きもとろい。ただ、見せないのだけど授業中絵を描いている。見ようとするとお尻の下に隠す。

 この桐生君のお父さんが、スーパーで万引きをする。そして、その日から桐生君は学校に来なくなる。6日後に登校してくるが、悪グループの子から「おまえの父さんは泥棒なの」と面と向かって言われる。しかし、桐生君は何も言い返せない。

 だから、奈ノ花が口角泡をとばして言う。
 「泥棒っていうけど、何も証拠がないじゃない。仮にお父さんが泥棒だったとしても、その子が泥棒なわけがないじゃない。」そんなことを言っていたら、逃げるように桐生君は学校からでてゆき、また登校してこなくなる。

 奈ノ花は学校から連絡ノートやプリントをもって、桐生君の家にゆく。桐生君は部屋にひきこもり出てこない。奈ノ花は部屋のドア越しに言う。
 「黙ってちゃいけない。戦わなくてはいけない。いくじなし。」
すると桐生君が大声で言う。
 「帰れ!奈ノ花が一番嫌いだ」と。

おばあちゃんに桐山君の態度は理解できないと訴える。おばあちゃんが言う。
「絵を描く人は、凄く繊細なんだ。傷つきやすくて、人より弱くて。でも世界がまっすぐ見えるんだ」

 おばあちゃんには若い時、恋した絵描きの恋人がいた。だけど恋人の繊細、弱さがわからず、それで別れた過去があった。

 アバズレさんは、今の奈ノ花だった。小学生の時、周りがばかだから友達にならなくてもいいんだ。だから周りも近付いてこなかった。でもそれでいいと思っていたら、いまの寂しい状態になった。

 幸せとは何だろう。奈ノ花はそこから桐生君のところに行って、ドア越しに懸命に謝った。
そして、また桐生君の絵をみたいんだと懸命に言った。

 その後2人は学校に走った。何も言えなかった桐生君がみんなの前できっぱりと言った。
「僕の幸せは、僕の絵を好きだって言ってくれる友達が、隣の席に座っていることです。」

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高峰秀子     「にんげん住所録」(文春文庫)

高峰が今まで出会った人々のエピソードを綴ったエッセイ。

私も小学生のとき見たことがあるが、昭和13年作品、山本嘉次郎監督作品の「綴り方教室」。
ボロい家で、ガタガタと音をたてながらチャブ台で一生懸命作文をしている主人公を演じる高峰秀子。

 山本監督はアドリブをいれることが多い監督。
その時、「左手の甲に蚊がとまった。その蚊をピシャリと叩いてまた綴り方をやってよ。」と。

すると、助監督の男の人が大声をあげる。
「おおい衣装部の人、黒い絹糸ある?」
この黒い絹糸を前歯でピっとかみ切って、助監督は、長い指先で器用に糸をたぐり、蚊を作って、高峰の手の甲にそっと置く。

 この助監督こそ、その後世界の巨匠となる黒澤明だ。

 この後、「馬」という映画を撮った。

冬、センエキという病気にかかった馬の花風を青葉の温泉地にむけ主人公のいね(高峰)が吹雪のなかを家を飛び出す。そして、夜半、凍りつくある家に到着する。そして、疲れ果てたいねは倒れ込む。2-3回テストが繰り返された後、黒澤が神棚のろうそくに火をともし、垂れたろうを手にとり、それを高峰のまゆにぬってあげる。吹雪の凍てついた様子をだすためだ。

 当時の映画はもちろん白黒で薄暗い。それが映画で確かに映し出されるかわからない。
黒澤の発想の卓抜さと、執念を感じるエピソードである。

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高峰秀子編    「おいしいおはなし」(ちくま文庫)

高峰秀子が編んだ、食べ物、食事について書かれているエッセイ集。

井上ひさしが書いているが、昔は、おかずにしろご飯にしろ、残すことは、絶対してはならなかった。そんなことをしたら、親父やおふくろにぶったたかれた。ご飯は、一粒残らず食べ終えても、茶碗にしつこくこびりついているものがある。だから、必ず食べ終わった後、お湯をいれて、こびりついたものをきれいに削ぎ落して、お湯を飲んだものである。

 こんな時代に比べ、今は嘆かわしいと井上は言う。
冷蔵庫に入っているアイスクリームは最初の日は有難がるが、2日目になるともういらないとなる。ショートケーキは半分残す。バナナは一口かじってもういらないとなる。シュークリームの皮はいらない。

 だいたい、洒落た高級レストランや割烹。ゆっくりと味わって休み休み食べていると、ウェイターや仲居さんがやってきて、「お済ですか」と聞かれ、あわあわ返答ができないでいると、しれっと半分も食べていないのに、皿を下げてもっていってしまう。

 井上は犬が嫌い。犬にくれる食べ物は自分が食いたいくらい。しかし、芝居で使った犬が家にいる。嫌いだから、ときどき捨てに遠くまでつれてゆく。しかし、どんなに遠くへ連れていっても、必ず家にもどってくる。

 時に、遠くに連れてゆき戻ってくると、犬のほうが早く帰っていて、主人をおでむかえする。これでは主人が犬を捨てにいったのか、犬が主人を捨てに行ったのかよくわからなくなる。

 そんな犬に娘が余ったチョコレートをあげている。そのチョコレートを井上が獲って自分で食べてやろうと犬のまわりをぐるぐる回る。
 すると、娘が言う。
「そんな周りをぐるぐる回ったって犬からチョコレートはもらえないよ。犬の真正面にいって、お手とちんちんをしないと。」

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| 古本読書日記 | 06:29 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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高峰秀子 松山善三   「旅は道づれアロハ・ハワイ」(中公文庫)

松山、高峰夫妻によるハワイ滞在記。一九八二年出版された。だから滞在は七〇年代後半と思われる。当時はハワイはもちろん日本人旅行者が多くおしよせたが、セレブか芸能人を除けば、まだ新婚旅行やパックツアーで訪れる人が殆ど。

 この滞在記で書かれていることは、今では、そんなに目新しいものはない。しかも、二人は英語が殆どできず、日系の人とは多少交わるが、二人の暮らしでの行動が作品の中心となり、異文化交流で興味をそそる出来事に遭遇していないため、これは面白いと思われる事柄はあまりない。

 マックでは無いと思うが、最近ハンバーガーを食べさせる店で高さ10CMにも及ぶ巨大ハンバーガーを提供する店がある。

 あるハンバーガーショップでこの巨大ハンバーガーに夫婦がであう。松山はどうして食べるのかわからなかったが、なんとか頬張ろうとして、口を目いっぱい広げる。すると「コキ」と音がした。顎の蝶番にひびがはいってしまった。その後は、口は5ミリしか開かなくなる。食事はジュースなど液状のものをストローで差し込むだけになった。

 南方の国々では、ダイエットという文化は無い。体をぶくぶく太らせ、その太さで権力を維持するため威圧する。
 カメハメハ大王の愛妻カアフマヌは一日五-六回食事をし、新潮190センチ、体重140キロあった。
 何しろ食事中従者がつきっきりで、彼女の胃をたたいて、食欲を刺激したというから凄い。

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湊かなえ    「ユートピア」(集英社文庫)

さびれてゆく地方の田舎町。そんな町には三つのタイプの人たちがいる。

その町で生まれ、そして育ちずっと生涯町で暮らす人。この物語では先祖代々からの仏具屋を引き継いだ堂場奈々子。
 それから、町にある工場に勤める会社員。いずれ、転勤辞令がでれば、町を去る人。物語では光希、それから、こんな素晴らしい自然豊かな町はないと都会から移住してきた人。知人の宮原健吾に誘われて、やってきた星川すみれ。

 物語は、町の存在を、全国にしらしめようと祭りの企画を立ち上げる(本当は自分の創る陶器を販売する)すみれにたいし、それぞれに違和感を感じながらも、ついてゆく光希、奈々子たちと、昔から根付いている人々との葛藤が描かれる。

 それに、資産家の老人を5年前殺害して、逃げている犯人芝田の事件がさしはさまれる。

実は健吾は芝田とともに老人を殺害し、新しく町が住人を呼び込むために造成した土地に埋めた。健吾は死体がほりだされないよう、その土地を購入し、住居と工房を作り、すみれと生活を始めた。もう一つ健吾が町に戻ってきたのは、老人が所有していた金の延べ棒を探すためだった。

 こんな背景が物語の終末で、いろんな出来事に伴い一気呵成に明らかにされる。
面白いのだけど、すみれ、光希、奈々子の田舎を舞台にした、それぞれの揺動や、田舎生活で生じる摩擦が老人殺害事件と共鳴していない。
 どちらかに絞って物語を創り上げたほうがよかったように思える。

また9000人しかいない寂れた町に、個人商店がいくつも存在したり、すみれの企画に、あふれんばかりの人がやってきて、店に行列ができるところなどは、あまり想像ができなかった。

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黒川博行    「てとろどときしん」(角川文庫)

大阪府警、黒木巡査部長と亀田淳也刑事の黒マメコンビが活躍する、6編の警察小説集。
黒木はわかるとして、亀田がマメとよばれるのはその体型が豆狸にそっくり。しかもよく喋り、明るく躁鬱の鬱を母親の胎内に置き忘れて生まれてきたような男。
 物語ではこのマメちゃんが名探偵役になり、事件を解決してゆく。

本のタイトルになっている「テトロドトキシン」とは、ふぐの肝に含まれている猛毒のことを指す。

 思い出したころに、ふぐの肝を食べ、猛毒にあたり、命を落とすという事件がある。不思議だったのだが、どれほどおいしいかしらないが、命を賭けてまで、ふぐの肝を食べる人がいて、それを提供する料理屋があること。

 この作品を読むと、養殖ふぐはテトロドトキシンを持っていることは無く、通常食すトラふぐにも、多少の毒は含まれていても、人を死にいたらせるほど毒は持っていないのだそうだ。

 この物語で安井という男が「うな善」のふぐを食べて死んでしまうのが最大の謎となっている。

 死ぬためには、致死量の猛毒テトロドトキシンを人工的に作り、これをフグの卵巣や肝に注入しておかねばならない。しかしこれが難しい。卵巣、肝をすりつぶしここに希釈液の苛性ソーダとエーテル液を注ぎ振り交ぜてやっとできる。

 こんなことは普通の人ではできない。で、殺害者は猛毒を持っているクサフグから注射を通して、テトロドトキシンを手にいれ、これをトラふぐに注入する。

 クサふぐは小魚で、不要な魚として、港や市場に無造作に捨てられている。
 意外と、フグで死亡というのはかなり殺人事件が含まれているのではと思った。

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高峰秀子    「台所のオーケストラ」(文春文庫)

高峰が推奨する料理のレシピとそこに使っている材料にまつわるエピソードを書いたエッセイ集。

 レシピをみて不思議に思ったことは、殆ど調味料に砂糖が使われていないこと。醤油や塩だけでは、しょっぱい料理ばかりになりそれほどおいしくないだろうと想像してしまう。

 砂糖は天平時代、鑑真和上が天皇への上奏品としてほんのわずか献上したのが、日本に伝わった最初と言われている。高価な貴重品だった。

 私が少年のころは、お菓子は祭りとか記念日に食べるだけで、普段はまったく無かった。しかし甘いものが食べたい欲求が強く、よく砂糖をこっそり舐めた。それが見つかるとぶんなぐられるほど怒られた。

 高峰さんも書いている。砂糖が使われ出したのはここ3-40年。それまでは貴重品で家庭に必ずあるもではなかった。だから、お歳暮などで砂糖がくるとお母さんがものすごく喜んだと。

 高峰さんは、砂糖を調味料で使うなどということはとんでもないことと体に染みついている。だから、調味料に砂糖を使わない。

 ちなみに塩は、弥生時代に岡山あたりで、海水からとりだす製法が始まった。
塩は、古代エジプトで死体を70日間塩漬けすることでミイラにした。ミイラというのは「塩漬け」という意味とのことだ。

 古代ローマでは、塩は貴重で給料は塩で支払われた。
給料の英語サラリーはSALTからきている。

 高峰さん、パンケーキがいつのまにかホットケーキと言われるようになって寂しいと書いている。しかし、そのホットケーキは今はまたパンケーキと言われるようになった。ホットケーキは死語になった。

 大根はどんなに食べても決して腹をこわすことはない。それで「何を演ってもあたらない」ということから「大根役者」という呼び名ができた。

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高峰秀子   「巴里ひとりある記」(河出文庫)

高峰秀子は、私が幼少の頃は映画全盛時代の銀幕の大女優で、みんなの憧れだった。
谷崎の「細雪」。木下恵介監督の「二十四の瞳」「喜びも悲しみも幾年月」など、可愛らしさが際立っていた。

 高峰のエッセイはいくつか読んだが、憧れの清純派スターが、結構複雑な家庭の出身で、不良ではないが、自己主張の強い、言葉使いも蓮っ葉で、実像はかなりみんなが想像していた高峰と異なることを知ってびっくりした。

 この作品の巻末に徳川無声との対談が収録されているが、地の高峰が満開で面白い。
「そりゃ、人間だからパチンコもやりたいしさ、なにも偉そうな顔してえばることないんだけど、まわりがさせないのよ。あたしのほうだって例えば、買い物に行ってさ、高く売られりゃ、何だコンチキショウと思うし、いやにまけてくれりゃ、相手がばかに見えっちゃたり、どっちにしたって素直になれませんよ。」

 こんなしゃべりを昭和20年代に見せられたら、ファンはショックどころか、死んでしまう人もでたんじゃないかと思う。

 この作品は、昭和26年に、仕事の多忙さにいやけがさして一人でパリ、その後アメリカ、ハワイをまわってきた7か月間の海外滞在記をエッセイにしている。

 当時は海外への旅行はまだ船旅が一般的だったのだろう。高峰の飛行機も、オキナワ、ホンコン、バンコク、カルカッタ、カラチ、ベイルート、ミニィ、ブラッセルと機体も途中で変わりヨーロッパははるか遠いところだった。

 滞在記は言葉ができないから、だいたい現地在住の日本人と行動をしているので、目をみはるようなことはおきず、それほど興味をそそられるところは無かった。

 ただ、私も経験があるが、とにかく日本との電話が遠い。しゃべって返事が返ってくるのに、1分ちかくかかる。だから、切れたのではと思い、もしもしばかり互いに言い合う。こんな場面はそうだったなあとなつかしく思った。

 高峰はアメリカに着いたとき、パスポートの不備で2日間監獄に拘留される。風呂もシャワーもあるし、シーツは毎日かえてくれる。いいところだったよとあっけらかんとして言う。

 映画で見た時より、エッセイの高峰のほうがはるかに魅力的だ。

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| 古本読書日記 | 05:52 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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江戸川乱歩 「十字路」

爺やの感想はこちら

「奥さんの自殺原因に心当たりは?」とくれば、
愛人がいたことを早々に白状しておく。
女中が話を盛って警察にチクる前に、先手を打つ。

「この婦人靴に見覚えはないか?」とくれば、
「古靴屋で似たのを買ってきただけだろ」

「目撃者がいる」とくれば、
「精神薄弱者なら、法廷で証言できないはず」

ああ言えばこう言う。なかなか容疑者がねばります。
容疑者の自殺を許すという結末の話は、あまり美しいとは思えず、
「実は、決め手となる証拠がない話なのでは?」
という意地悪な見方をしたくなる。この作品は、言い逃れは無理そうですが。
(松本清張「喪失の儀礼」は脱力した)

IMG_9135.jpg

第一の犠牲者は刃物を振り回す狂人だし、
第二の犠牲者はよろけて頭ぶつけただけ。、
容疑者を強請ったことで、第三の犠牲者になった探偵は、
自業自得というか、あんまりかわいそうに思えないw
イヤな奴を書くのが巧いですね。

ぶつけてから、脳内出血で死ぬまで時間がかかるというネタは、
「屍活師」でも何度か使われました。

| 日記 | 22:09 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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黒川博行    「離れ折紙」(文春文庫)

ガラス工芸品、絵画、日本刀など美術品をめぐる6編のミステリー小説集。

タイトルにもなっている「離れ折紙」とは、刀剣鑑定で有名な本阿弥家が極めた鑑定書のことを折紙といい。本来刀剣は鑑定書とセットであるべきものだが、折紙を紛失したり、大事なものではないとかん違いして捨てたりしてしまった鑑定書のことを「離れ折紙」という。

 本のタイトルにもなっている「離れ折紙」も面白い作品だったが、特に印象に残ったのが「老後ぼったくり」。

 大阪西天満で美術商を営む立石のもとに、昔からたくさんのコレクションを持ち込む蒲池より、大量のコレクションが持ち込まれる。立石は美術品買い取り時、値段交渉は一切せず、言い値で買い取ることで有名。だから売人もふっかけることは一切しないようになる。

 さて、立石に美術品を持ち込む蒲池は民自党で派閥を形成、その長として君臨。経企長官や政調会長を歴任した大物政治家大迫亨が起こした大迫家の資産管理や美術品管理を行う大迫恒産を任せられている。つまり、蒲池が持ち込む美術品は大迫財閥が所有しているコレクションなのである。

 そして今回の品は52点と大量で、立石は5000万円で購入する。蒲池は、今回の代金の振込先を、大迫の孫が結婚するということで、振込先を変えてほしいと新たな口座番号を書きおいて立ち去る。

 それから3か月、販売は順調で三分の一の美術品が売れる。ホクホクしているところに神奈川県警の辻井という刑事が訪ねてくる。

 実は、蒲池が持ち込んだ52点はすべて蒲池が盗んで立石に販売したもの、盗品であることを知らされる。ずっと、立石は蒲池と取引をしていたので、立石も盗品だと知っていて購入したのではと、大迫の弁護人が立石を告訴する準備をしていると言う。

 全く善意の第3者であるはずの立石が動揺する。盗品を販売していたとなると、立石の評判はガタ落ちとなり、廃業を余儀なくされる。だから、どうしても告訴は取り下げてもらわねばならない。

 ここから、俄然物語は緊張してきて、立石は誤った工作をしようとする。それがさらに緊張をたかめ、面白い仕上がりになっている。

 黒井は美術品売買のカラクリを実によく調査している。たくさんの専門用語が飛び交うが、簡潔に説明がなされ、全く違和感なく読めた。

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| 古本読書日記 | 05:24 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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黒川博行     「燻り」(角川文庫)

小悪党が主人公となる犯罪小説短編集。「思いついた」「やってみた」「うまくいったとおもったら、更に上をいく悪党がいて、とんでもない奈落に落とされた」という話。

「燻り」とはうだつがあがらないこと。何をやってもうまくいかず、運がないこと。チンピラの意味。中味とピッタリあっている。

 澤井は空き巣専門の泥棒。何回も捕まり、刑務所と娑婆をいったり来たりしている。6年前空き巣で捕まり、8年の実刑判決を受けたが、5年6か月で仮釈放となる。出所後反省して、保護司の人が紹介してくれた工場で働きだしたが、日給6700円でいやけさし、工場勤めをやめ、元の空き巣で食いつないでいる。

 6月17日、ある屋敷に侵入。43000円の現金を拝借。そこで、家を去ろうとしていると、ドアチャイムが鳴る。宅急便である。判子を探して、荷物を受け取るとこれが商品券。
 これはついてると、商品券も拝借して家を後にする。

ある日の朝、突然警察がアパートにやってくる。20日前の6月17日の昼間何をしていたのかと聞かれる。20日前のことなど覚えていない。朝起きて、日雇い人斡旋場に行ったが、仕事にあぶれ、それからハローワークに行き、アパートに帰ってきただろう。と答える。

 ゴミ廃棄場からもらった新聞をみると、澤井が空き巣を働いた6月17日の同時刻に、ある資産家が殺害され、40万円の現金、定期預金証書や株の預かり証が盗まれるという事件が起きていたことを知る。

 また刑事がやってきて、今度は警察に連れていかれる。

そして、家屋侵入方法が澤井と同じ方法をとっていること。また、居酒屋「永楽」に澤井が入り浸っていること。さらに、大家と畳を折半で入れ替えることを約束し、6月20日にそのお金19000円を澤井が払っていること。何にも働いていないのにそのお金はどこから入ってきたのかと厳しく追及され、完全に澤井は追い込まれる。さらに宅急便の配達人に面通しされ、犯人は澤井に間違いないと言われる。

 本当に、これだけの状況証拠が揃っている、ついていないと澤井は心底思う。
 実際にこうなると、やっていないと言い続けることは難しいんだろうな。冤罪はこうやって生まれる。

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高峰秀子    「まいまいつぶろ」(河出文庫)

高峰秀子結婚直後に出版したエッセイ集。エッセイスト高峰秀子が誕生した記念碑的作品集だ。
 高峰秀子が子役の時から、結婚するまでの映画俳優人生を綴っている。

昭和26年、女優に忙しすぎて、仕事がいやになり半年間パリに逃げたときの思い出が印象的。

 パリの住居は、6階建てのペンション。1フロアーに2世帯が住んでいる。エレベーターもあるのだが、上り下りは階段を使う。階段には電燈がついている。この電燈が点灯して1分間すると自動的に消える。夜、1分間で自分の部屋まで到着すれば問題ないのだが、途中で消えるとスィッチを探すのに往生する。むだに電燈が点いていると、管理人のおばさんがこまめに消して歩く。

 電気の節約である。あのフランスでもそんな時代があったのかと驚く。
 実は、当時フランスはスイスから電力を購入していたのである。水力発電所を作りたくても電力を起こす急峻を流れるような川が無かったのだ。
 それでフランスは原子力発電の大国になったのか。

 フランスでは夫婦に女の子が生まれると、毎年女の子の誕生日に真珠を1個プレゼントするのだそうだ。そんな小さいうちから真珠をプレゼントしても女の子は喜ぶとは思われないように思ってしまう。

 その1個1個が毎年積み重なった、結婚する頃、18歳になると、その真珠を使って美しい首飾りを創るのだそうだ。いかにもフランスだと思わせる素晴らしい習慣だ。

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水木しげる  「水木サンの幸福論」(角川文庫)

水木さんの傑作「ゲゲゲの鬼太郎」。水木さんの本名は武良茂。名前の茂が幼いころ上手く発音ができなかった。「げげる」と発音。ここから「ゲゲゲ」は生まれた。

 幼いころは殆どしゃべらなかった。気ままで自分本位。好きなことだけにとことん熱中。
外へでれば、目の前に海が広がり、山も野原もある。動物がいる。虫もいる。魚もいる。草や木も生きている。明るい太陽が輝き、闇もある。目に映るものすべてが、驚きに満ち、輝いている。水木さんには驚く力、見る力が普通の子どもの3倍はあった。

 だからしゃべる暇がなかった。両親は茂は知恵おくれじゃないかと思い、小学校の入学を一年遅らせた。しかし型破りではあったがバカではなかった。

 戦争でラバウルにゆき、そこで終戦。帰国してから「ゲゲゲの鬼太郎」まで貧困が続く。それが長かった。1965年「少年マガジン」に掲載され爆発的な人気を博しやっと漫画家として独り立ちした。そのときすでに水木さんは43歳になっていた。

 戦後特に、紙芝居の漫画を描く前の2年間はどん底だった。傷痍軍人(水木さんはラバウルの戦闘で腕を片方無くしている)として全国をまわり、お金を恵んでもらい何とか食べていた。そして最後は神戸、兵庫区に行きつく。そこで、崩れかけていた家を自分の貯金と家から無心して頭金20万円をつくり購入、アパート経営をはじめる。

 変な住人しかいなかった。空き巣夫婦にストリッパーとその夫。

あるときその場末のストリップを見に行く。夫が横で下手なラッパを吹く。やおら桶にはいっている奥さんが着ているものを脱ぐ。そして後ろを向いて座るだけで終了。兵隊のときのラッパを思い出し切なさが募る。

 そのアパートは水木通りという通りにあった。紙芝居の弁士、勝丸さんと組んで仕事をしていた。勝丸さんは、水木さんのことを本名の「武良」で呼ばず、いつも「水木」と呼んだ。
 いちいち訂正するのが面倒になり「水木」でいいやとしたのがペンネーム「水木しげる」が生まれた。

 波乱万丈の生涯や、手塚治虫についての話など、興味が尽きないエピソードが満載の一冊である。

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| 古本読書日記 | 06:17 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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黒川博行    「大博打」(新潮文庫)

黒川がしばしば好んで描く誘拐小説。この誘拐で犯人が要求したのが変わっていて金塊2トン。お金にして32億円相当。

 誘拐されたのが倉石泰三。アイボリーという格安チケット販売の創始者だが、72歳で西宮の老人ホームから拉致される。そして身代金要求の相手が息子の達明で、アイボリーを引き継いで社長をしている。

 この物語の進行方法が変わっている。
刑事のひとりである主人公わたしの一人称で、捜査の過程が進む。そして交互に、犯人の誘拐から身代金略奪しようとする過程が犯人一人称のおれで展開する。

 それで、捜査をする刑事の指示する川嶋がわたしをはじめとしてみんなに嫌われていて、もうひとつ捜査に力が入らないし、切れ味の鋭い刑事もおらず、だらだらとした捜査が続く。

 犯人が何をしているのか、読者はすべてわかっている。いつ、捜査陣は犯人に詰め寄り、緊迫した場面がやってくるのかと期待して読み進むのだが、とんちんかんな捜査ばかりで、いっこうに犯人に近付かない。

 それでもと想い読み進むのだが、結局犯人は捕まらず、迷宮入りとなる。

更に驚くのは、この作品で事件の真相を暴く、名探偵の役割を果たすのが、誘拐された泰三。
泰三だけが真相を知り、誰にも暴露せず墓場まで持ってゆくという決意であるから、当然事件は解決しない。

 この小説の描かれたころは、大阪府警は不祥事が次々発覚。士気は最低に落ち込んでいた。そんな府警のだらけた雰囲気がよくでていた。

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| 古本読書日記 | 06:14 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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黒川博行     「蜘蛛の糸」(光文社文庫)

読み始めて、なんだこれは、しょうもない短編集だなとまず思った。

半分以上は、色ボケに狂った小説家や高校教師が、スナックやラウンジの女にひっかかり、金だけ散財させられ、ていよくあしらわれる物語。「蜘蛛の糸」というのは、バカな男を引っ掻けるために垂らされた糸で、それにしがみつき奈落の底に落とされるばかな男たちを扱っている。

 読んでいるうちに、バカらしい内容なのに、関西人の本能である、街でであっても、単なる挨拶ではなく、とにかく相手を笑わせねば満足しないというサービスがいたるところに描かれていて、その表現に感動し引き込まれてしまった。

 趣味にのめり込んで、警察の仕事など全く力の入らない主人公の巡査伴進平が勤務を終えて帰ろうとしているところに電話がはいる。

 あるマンションの工事現場のてっぺんに飛び降りようとしている男がいる。その男が伴を呼びつけるように要求していると。
 いやいや現場にかけつける。電話をしてきた上司である田島が、天辺に近い骨組みにしがみつきながら飛び降りをしようとする男を見張っている。

 伴は幼稚園のとき初恋の子にせがまれて、栗の木に登り栗の実をとってほしいとせがまれ、木に登り切ったところで蜂に襲われ、木から落ち骨折する。そこから強度の高所恐怖症になる。

 へっぴり腰でやっと田島のところに到着すると、自殺を目論む男は由良木というが、その男が伴を呼んでいるという。伴には由良木なる知り合いはいない。

 伴は蒼白になりながら、やっとのことで由良木の近くに迫る。そうすると由良木が言う。
「やっと来たか。ヴァン・ヘルシング」という。これを伴進平と勝手に田島は聞き違えていたのだ。

 由良木は自分をドラキュラだと思っている、ヴァン・ヘルシングはドラキュラの手下でドラキュラが対決する敵を倒すのに加勢する男である。由良木は飛び降りるのでなく、舞い飛ぶことができると信じている。

 2人を助けるために、大型クレーンにとりつけたゴンドラが用意される。2人はゴンドラの乗る。伴には命綱がつけられている。ゴンドラが下がってゆくと、7階あたりで宙吊りになってしまう。もうだめだ、耐えることは不可能。どうなる伴・・・。

 その描写がギャグも満載、見事で感動さえする。

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