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2018年07月 | ARCHIVE-SELECT | 2018年09月

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高峰秀子   「にんげん蚤の市」(文春文庫)

高峰さんが出会い大好になった人との豊かなエピソード満載の心温まるエッセイ集。

高峰さんは料理好き、夫の映画監督松山善三と夕食をするときは、料理を盛る皿や陶器に気に入った物を使いたいと思い、古道具屋通いをして、しこしこ集めていた。

 ある時、丸の内の新国際ビルで古物商をしている朧月夜さんにその陶器をみせると、近くに空いているショーウィンドーがあるから、そこで飾ってみたらといわれ、飾る。
 すると何人から、売ってほしいとか幾らするのかと声をかけられる。朧月夜氏からも勧められ、古物商をやってみたくなる。

 それには助っ人がいる。そして目を付けたのが、西麻布で茶道具店をやっている、若い店主セイちゃん。

 セイちゃんは昭和13年生まれ、江戸っ子チャキチャキ、日大獣医学部を卒業、獣医師の免許を持っている。大学を卒業して捕鯨船にのりこみ、折角修業した養子先の名門茶道具店をとびだし、鑑賞陶器にのめりこむ変わり種。しかし人間がまっすぐで、目筋もよく、キリキリシャンと明快で、適当にオッチョコチョイ。そこが高峰秀子と性が合う。

 古物商は簡単に商売ができない。セイちゃんに応援を頼む。ある日開店準備している店に行くと入り口にドーンと「古物商」「古物露店許可証」の2枚のプレートが貼られている。

 当たり前だけど、古物商、自分の持ち物だけ販売していたら、そのうち商売ができなくなる。だから仕入れをせねばならない。それでセイちゃんと競り市に行く。セイちゃんは、大きな風呂敷と鑑札証だけを持ってきてくれといわれ、セイちゃんが運転するバンに乗って競り市にでかける。

 競り市でセイちゃんが、小気味よく商品を競り落としてゆく。そのリズムの良さに感動して高峰さんも思わず大声をだしてセリに参加してしまう。

 古物商がやれたのも、すべてこのセイちゃんのおかげである。
このセイちゃんは、テレビ「お宝鑑定団」で鑑定士として登場している中島誠之助である。

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| 古本読書日記 | 06:02 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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星野博美    「愚か者、中国をゆく」(光文社新書)

1980年代の終わりに、出張で初めて中国に行った。今は薄れてきたが、共産、社会主義が色濃い時代だった。

 天津から香港まで朝九時発の飛行機に乗った。この飛行機が、後にも先にもこんな経験はしたことが無いが、何と定刻の40分前、8時20分に空港から飛び立った。

 8時に搭乗口に突然ロープが張られ、それ以降に乗ろうとする客を通せんぼした。思い出せば、もらったチケットに座席番号がふられていなかった。空いている席どこでも自由ということだ。途中で締め出された客はチケットを持っていても、それ以上は座席が無いからしめだされたのだと思っていた。しかし、乗り込んだ飛行機は半分も席が埋まっていなかった。

 全く不思議な出来事だった。今もって理解不能である。

 中国の列車の座席には、軟臥、軟座、硬臥、硬座、無座の5種類がある。社会主義が建前で、人間は平等という観点から、一等車とかグリーン車という呼称は使わない。しかし、5種類は軟臥から質が下がり、最低の無座は座席なしで乗り、座席が空いていたら座れるというチケットである。

 私が最初に訪れたときの中国では、駅で切符を購入するというのは、殆ど不可能だった。
購入できても硬座か無座だった。膨大な数の人々が、売り場に殺到。三日前からチケットは売り出されるのだが、三日前に行っても窓口でキップを求めると「没有」とつれなく言われる。

 そのころは汽車に乗るには、会社から、国営の旅行会社に依頼して、通常料金の4-5倍の金を払って入手するしかなかった。

 当時はチケット販売オンラインはまだ無い。だから、座席付チケットは、事前に停車する駅に配布される。その割り当て切符が無くなれば、チケットは無いということになる。
 ということは、チケットが売れ残る駅もでてくる。それを見込んで、硬座、無座のチケットを購入して列車に乗り、車掌から空席を割り当ててもらうという裏技を使う客も多かった。

 今は、こんなことは無くなり、駅でスムーズにチケットを購入できるようになった。

星野さんは、21歳、香港に留学していた夏休みにマイケルという英国人学生と香港からシルクロードで有名なトルファン、ウルムチまで汽車の旅をする。

 これがとんでもない旅で、乗換駅でチケットが入手できない。しかたなく硬座に乗ると、通路に乗客や、荷物があふれ、足の踏み場もない。これで2日とか3日乗り続けるから、大変。眠れない。食堂車にもいけない。トイレだけは我慢できないため、這うようにして行って帰ってくると、座席は中国人家族に占領されている。

 難行苦行でウルムチ、トルファンに到着。その後、ガンダーラ芸術の名所旧跡を訪ねる。しかし、感動はわかない。シルクロードに到着するまでに、いやというほど異国文明の洗礼を受け、疲れ切っている。もう異国は十分という想いが強かったのだ。
 この気持ちはよくわかる。

 それにしても、飛行機が定刻より早く出発しても、汽車のチケットが入手できなくても、大騒ぎにならない。また明日くればいいんだという社会、ここが理解できない。

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| 古本読書日記 | 05:55 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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永六輔    「坂本九ものがたり」(ちくま文庫)

 私が働いていた会社のある街に今は無いが、「フレンチ クウォーター」というスナックがあった。当時は元美人だっただろうと想像できる中年過ぎの女性がやっていた。そして時々旦那さんが店に出てきて、エルビスなどのロックナンバーを弾き語りしてくれたり、戦後間もない進駐軍基地での演奏について話してくれた。

 その人の名は桜井輝夫。彼は、ウェスタンバンド ドリフターズ結成メンバーの一人。そのメンバーにその後バンドリーダーになったいかりや長介がいた。今でも90歳近くなっても健在である。

 坂本九の姉八千代さんの夫の友達にこの桜井輝夫がいた。八千代さんに頼まれ、桜井がドリフターズの初代リーダーだった岸部清に坂本九を紹介した。坂本九はひどいニキビ面で、これでは歌手は無理と、岸部は坂本九をバンドボーイとして雇う。これが坂本九の芸能界いりのきっかけだった。

 それにしても永六輔、中村八大コンビで作詞作曲がされた坂本が歌った「上を向いて歩こう」は69か国で販売され、その売り上げ数は1300万枚と途方もない記録となった。

 ただ、永の書いた詩ではなく、「スキヤキ」という詩に変わっていた。その詩はこんな詩。
 なつかしヨコハマ
 なつかし芸者ベビー
 桜咲く木の下で
 芸者ベビーと
 もう一度
 スキヤキ食べたい
昔の外国人が描いた日本の印象がよくでている。

 さて、この本は不思議な本だ。というのは、永と坂本九は非常に仲が悪かった。坂本九は作曲家の中村八大は尊敬しなついていた。
 坂本の「上を向いて歩こう」の歌い方。
 ウヘホムフイテ アハルコフホフが非常に歌詞をバカにしていてふざけているように永には思えたからである。

 だから中味は、坂本が航空事故で亡くなってから、永が関係者を訪ねて取材した内容になっている。取材された人たちも、永と坂本が犬猿の仲なのにどうしてと、とまどっている様子がある。

 だから、中味が薄い。永に坂本九を語らせるには無理があった。

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| 古本読書日記 | 06:21 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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萩原浩    「金魚姫」(角川文庫)

 主人公の江沢潤は、仏壇、仏具販売会社メモリアル商会で営業社員をしている。会社は典型的なブラック企業。精神的に追い詰められうつ病になる。

 そんなある日、近所の祭囃子に誘われ、家をで、金魚掬いで、水槽のなかの一番大きい琉金を掬って、家に持ち帰る。
 その夜、ふと目覚めると、琉金はいなくなり、代わりに赤い着物をまとった美女が枕元にいる。この美女が登場してから、死人が見えるようになり、その死人の家に仏壇仏具墓石が売れる。

 この小説の面白いのは、萩原がミステリーの倒叙手法を用い、これがズバリはまっているところ。

 潤はこの琉金に「リュウ」という名をつける。なぜリュウは琉金になってしまったのか。そして、時々人間の姿になるのか。この背景を物語早々に萩原は明らかにしている。

 中国晋の時代、郡太守劉顕によって愛する許嫁を殺された楊娥という女性が、劉顕の無理やりな婚姻から逃れるため、中国鮒(ヂイ)の生息する沼に飛び込み琉金となり、千数百年ひたすら劉の子孫に復讐し劉一族の根を絶やすために今でも生き続けている。
 その琉金を潤は掬ってきたのだ。

ところがリュウには全く記憶が無く、どうして自分が千数百年も生きているのか、何で人間の姿になれるのかがわからない。
 だから、読者はリュウと潤の交流を通じて、どんな風にリュウが記憶を取り戻してゆくか興味深々となる。

 このリュウと潤の交流、行動が漫才コンビのように、萩原独特のジョークで描写され読んでいて楽しい。

 最終クライマックスで、潤とリュウは強く結ばれる。しかし、一緒には結局なれない。その結末は読者は読んでゆくうちに想像ができるのだが、そこが強烈でわかっていてもなお切なく悲しい残る。

 それにしても、ミネラルウォーター炭酸水がこぼれおちる表現に目を瞠る。
 ぴ   と
 ぴ   と   ん
こんな表現がところどころ登場する。
これは、ポタリ、ポタリと水がこぼれる表現にピッタリ。見事だ。

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| 古本読書日記 | 06:03 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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桜木紫乃     「ワン・モア」(角川文庫)

高校生のとき、医者を目指していた同級生柿崎美和、滝澤鈴音、八木浩一を中心に、係りある人々もいれて紡いだ連作短編集。

鈴音は市民病院に勤めていたが、父の死により滝澤病院を継いでいた。美和は、北海道の離島の診療所の勤務医。浩一は、医者になることができず放射線技師として市民病院に勤めている。

 鈴音に肝臓がんが見つかり転移もしていて、医師を続けられないということで、美和に滝澤病院を継いでほしいと要請があり、それに応えて美和は滝澤病院にやってくる。

 どの短編も、大きなことは起きないが、それぞれに痛いことをかかえていて、それへの対応にリアリティがあり、読者を離さない。

 「ラッキーカラー」が印象に残る。
市民病院で内科の神様といわれた看護婦楠田寿美子が、鈴音とともに滝澤病院に移ってきた。
 滝澤病院で胃癌になり胃の三分の一を摘出された赤沢という患者がいた。赤沢が退院するとき、5年たって転移も再発もなかったら寿美子を迎えにくると言った。

 寿美子は常に部下の看護婦に、患者が声をかけてくるが、それは入院によって起こる弱気がなせることで、普通の景色になれば、患者も変わるから、そんな言葉にのってはいけないと指導している。

 で、5年後に病院に寿美子あてに赤沢から封書がくる。5年たって転移も再発もなかったから会いましょうと。50歳を過ぎて中年太り盛り、他の看護婦への手前もあるし、でも揺れ動く。そして、赤沢の電話の誘いに無意識に「はい」と答える。

 そのとき寿美子は50歳直前の49歳。

 デートの日、母親の指輪をはめて遊ぶ。それが抜けなくなってしまう。仕方なく絆創膏で覆いデートに行く。その絆創膏を赤沢がみて、もう決まった人がいるのだと思ってしまう。

 ここでの、寿美子の想いの描写が実に深く素晴らしい。
「50を目前にした女の鎧は、そんなに簡単に外れない。そうやって生きてきたし、この鎧が守ってくれた日々に生かされてきた。恋なんて、と思った。人を好きになれただけで、赤沢のことが好きとわかっただけで、もう充分じゃないか。泣きたい気持ちをこらえるのを、得意中の得意としてきた。これ以上、なにを望むんだ。胸に溜まり続ける涙を叱りつけた。
・・・・・・しみいるような切なさだ。この心持ちが明日の自分を動かしてゆく。自分はまた立ち上がる。へこたれはしない。」

 まったく切なくて、悲しく、じーんと心に響く。虚飾を排し、赤裸々な叫びに感動する。

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乙一     「天帝妖狐」(集英社文庫)

少し前にこっくりさんという遊びがはやった。ひらがなのカードを並べておき、コインを人差し指で抑えるとそのコインが一人で動き出し止まる。その止まったところのカードをつなぎ合わせると、予言になる。こっくりさんの予言である。

 主人公の夜木。病気で学校を休んでいるとき、部屋でこっくりさんをする。すると同級生が4日後に死ぬという予言がでて、その同級生は4日後、水に溺れて死ぬ。

 また、こっくりさんをすると、今度は夜木自身が4年後に死ぬと予言される。死にたくないと声をあげると、早苗という女性の声が聞こえてくる。早苗の子どもになると、永遠の命をあげると。それで、早苗の子になることを宣言する。

 それから、夜木は、工作で指をけがしたり、顔にけがをしたり、肋骨を骨折したりする。その都度、代わりの黒く醜い部位ができる。とても他人にはみせられないので、包帯を巻き隠す。そんな不気味な姿では、家にいられなくなり、放浪の旅にでる。

 ある道で倒れうつぶせになっていたところを、杏子に見つけられ、そして杏子の家に連れていかれ、下宿をするようになる。

 夜木は、下宿させてもらうだけでなく、杏子の兄の斡旋で工場で働きだす。しかし、工場でオーナーの息子秋山と手下の井上に包帯の下を見せろと脅され、喧嘩になり、秋山、井上にけがを負わせる。クビを覚悟していたのだが、そうはならなかった。秋山、井上が復讐を目論んでいたからだ。

 秋山、井上の車がぶつかってきて、夜木は倒れ、彼らによって土中に埋められます。しかし、そこから抜け出す。このとき、人間の体で残っていた部分はぶちっと音をたててもぎれ、新しい怪物の部位に変化をする。

 そのまま夜木は妖怪となって、秋山の家に忍び込む。寝ている秋山の歯を握りまとめてひっぱがす。悲鳴をあげ、血だらけになった秋山の内臓をえぐりだそうとしたとき、秋山が「神様!」と叫ぶ。その声で破壊をやめ、秋山の家を後にする。

 夜木は、人間から人間扱いをされない。完全に疎外され、永遠の時間を生き続けねばならない。自分の姿を醜いと思わず、人間として唯一扱ってくれた杏子を思い出す。そして、元の人間に戻りたいと思う。

 永遠の命が大切なのか、命に限りがあっても人間として生きることが幸なのか。難しい。
でも、私たちは人間として生きるしか選択は無い。

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原田マハ    「暗幕のゲルニカ」(新潮文庫)

1937年パリ万博で、仏スペイン大使館より、スペイン館の壁に飾る縦349センチ横777センチの壁画作成をピカソが依頼される。そのころピカソは女性写真家のドラ・マールなど女性に溺れていて、殆ど絵画を作成しておらず、この依頼も断るかと思われていたのだが、そこにスペインの小さな町ゲルニカがドイツ軍に空爆を受け、人間のみならず町のすべてが破壊されたのを知り、ピカソは依頼を受諾する。

 しかも、今までは絶対秘密にしていた製作過程を写真家ドラに写真撮影を許可する。

作品「ゲルニカ」は、空爆絵画にも拘わらず、射撃、戦闘場面は全く描かれず、ひたすら倒れた牛や、腕をちぎられた女性など、被害者だけが描かれている。

 物語は、この「ゲルニカ」を創る過程と、万博に飾られた後、ヒットラーがパリに迫り、このままでは「ゲルニカ」が危ないと、ニューヨークのMoMAにスペインが民主化されるまで、避難させようとピカソの想いにより「ゲルニカ」がニューヨークに渡り、独裁フランコ将軍の政治が終了し、スペインのマドリードのプラド美術館に返還されるまでが描かれる。

 それと並行して、10歳のときにMoMAで「ゲルニカ」をみて震えるほど感動し、それによりMoMAのキュレーターになった八神瑤子の物語が描かれる。

 2001年9月11日、瑤子の夫イーサンは勤めているワールドトレードセンターで空爆テロにより亡くなる。この惨劇を目の当たりにし、更に当時の大統領はテロ破壊者の温床となっているイラク、アフガニスタンを世論の圧倒的な支持を背景に、たたきつぶすことを宣言実行する。しかしそんなことをすると被害を受けるのは結局はテロ破壊者ではなく、普通の人々が犠牲になるだけ。だからいまこそ9.11の悲劇の象徴であるニューヨークで戦争のむごたらしさを表現している「ゲルニカ」を飾ろうと決意する。

 この作品、いつもなら、史実を埋める部分の、想像の世界を描くところにたぐいまれな力を発揮するのが原田さんなのだが、想像部分が平凡で、同じことが繰り返され、凡庸な作品になってしまっている。これで終わるのかと思っていたら、物語の最終400ページすぎから急に物語に緊張が走る。瑤子がバスク独立戦線の過激派に拉致されたからである。さすがにクライマックスでの原田さんの想像力は、感嘆する。でも、400ページまでは眠気に襲われ読むのが少し辛かった。

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川上未映子    「あこがれ」(新潮文庫)

小学生でも、恋愛は成立するのか。現実には、好き、嫌いという気持ちだけが揺れるだけで、やはり恋愛という想いからはかけ離れている。だから、仲良くしていても恋愛という言葉はふさわしいようには思えない。

 友達より少し密で、でも恋愛まではいかない。そんな関係を川上さんは「あこがれ」という言葉で表している。

 主人公は小学4年生の麦彦。スーパーの片隅で、愛想が悪く、サンドイッチやサラダを売っている、ミスアイスサンドイッチは、麦彦にとっては「あこがれ」。

 学校からの帰り道いつもいっしょにいるヘガティ。お父さんが映画評論家をしていて、たくさんの映画DVDを持っている。だから、毎週金曜日はヘガッティの家まで行って、映画鑑賞を一緒にする。
 こんな関係。麦彦にとってのヘガッティ、ヘガッティにとっての麦彦はやはりあこがれだ。

 よく小説ではある設定。ヘガッティは父親と2人暮らし。母親は、ヘガッティが幼児のとき病気で亡くなっている。あるときヘガッティはネット検索していて、父は再婚で、前妻との間に一女がいることを知る。つまり腹違いの姉がいることを知った。

 ここから先、ヘガッティが何を考え、どんな行動をするか。
ヘガッティは事実を前にして、大きく揺れ動く。そして、どの小説でもするような行動をする。

 そこから、父親との関係がギクシャクしだす。父に対し嫌悪感ばかりが募る。そして、父親のアドレス帳から、前妻の連絡先、住所を知る。だから、姉がどんな人で、どんな生活をしているか見てみたい。できれば「おねえさん」と呼び掛けてみたい。

 で、麦彦に同行してもらい、姉に会いに行く。そうしなければ物語にならないから、鉄板行動になる。しかし、現実に本当にこんな行動、想いになるだろうか。見たことも、会話したこともない人を、大切な姉だと思い込むだろうか。この部分がいかにも作り事のようで、物語が動かなくなる。

 この物語が急に動き出すのは、ヘガッティに会った姉アオの次の言葉からだ。
「あなたは私に、妹ですと言ったけど、わたしはぜんぜんそうは思わない。だって関係ないんだもの。あなたは家に遊びにきたただの、どこかの知らない小学生の女の子だし、あなたのお父さんも知らない人でしかないし。これまでもそうだったし、これからもそう。あなたは妹ではないし、わたしはあなたの姉でもなんでもないよ。」

 普通は、こんな風に思うんじゃないかと思う。

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奥田英朗    「我が家のヒミツ」(集英社文庫)

どこの家族でも問題はある。殆どがありふれた問題なのだが、家族にとってはどう向き合うか大きな課題となることがしばしば。

 こんなどこにでもあるような家族に起きる問題を扱った6編の短編小説集。どれも、家族にとっては大変な問題なのだが、奥田のユーモアとウィットが素晴らしく楽しい。だけどその後は少し重い気持ちにさせる小説が収録されている。

 最後に収録されている「妻と選挙」にいかにも小説家奥田自身を卑下しているような、50歳の作家大塚康夫が登場する。NPO法人でボランティアで活躍する妻が突然市会議員に立候補するという物語である。

 今からどれほど前かわからないが、大塚はかっては売れっ子作家。特にユーモア小説の井端さん一家シリーズ3部作はベストセラーになり有名な文学賞も受賞、テレビドラマ化もされた。

 ところが、今は出版不況。さらに作品をだしても殆ど売れなくなった。初版数も半分になってしまった。以前は編集長や部長が頻繁に家にやってきたが、今は30代の社員がやってくるだけ。2万円もするような食事をしょっちゅうおごってもらったし、銀座のクラブでも接待を受けていたのに。

 今日はめずらしく担当者の松原の接待を受ける。銀座だけど、場所は居酒屋、2軒目はクラブでなくバー。そこでの会話は、殆ど出版不況の松原の愚痴。

 松原に今考えている作品について聞かれる。待ってましたとばかり大塚は犯罪小説の構想を話す。だけど松原はまったく乗ってこない。また、ユーモア小説に戻って、井端さん一家シリーズを復活させてほしいと言う。それは無理と言うと、仕方ありませんねと言葉がかえってくる。これで、もうこの出版社との縁はきれるのかと観念する。

 翌日、編集長から久しぶりに電話があり、松原と同じことを聞かれる。犯罪小説のことを話す。編集長が言う。「それでは単行本書下ろしにしましょうと。」

 単行本書下ろしというのは、売れている作家がするものだと思っていたが、締め切りなしで自由に執筆してくださいということらしい。これより落ちると、単行本を通りすぎていきなり文庫書下ろしとなる。

 旬な作家は、文芸雑誌や新聞、週刊誌にまず作品を連載をする。

 単行本、文庫書下ろしがすべて落ち目の作家のためにあるとは思わないが、小説の世界のカラクリを知り、大変な世界だと思った。

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| 古本読書日記 | 06:04 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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平山夢明    「DINER」(ポプラ文庫)

日本冒険小説大賞、大藪春彦賞、ダブル受賞作品。

主人公の名前がオオバカナコ。ここから読者をバカにしている。だから、分厚いけど、中味が薄い小説だろうと期待しないで読んだが、巷に溢れているハードボイルド、ノアール小説を突き抜けて深く凄い作品だった。

 毎日、変わり映えのしないグータラ生活をしていた主人公のオオバカナコ。闇サイトで見つけた変わったバイトをしている最中に、トラブルに遭遇。そこから凄惨な拷問を受け、殺されそうになり、最後はボンベロという男がやっている「DINER」というレストランでウェイトレスとして働くことになる。

 この「DINER」は会員制で、お客はすべて殺し屋。当然ボンペロも元殺し屋。カナコは皿を割ったりするようなちょっとしたヘマをしたり、ボンペロの指示、命令を実行するのを少しでも躊躇すると、その瞬間に殺されてしまうという状況の中、次々殺し屋たちがやってきて、騒動が巻き起こり、その度にカナコが大丈夫かと読者は緊張にせまられる。

平山が素晴らしいところは、堕ちてしまう、あるいはしまった世界を虚飾なく、ストレートに表現するところ。しかも、取り上げる比喩もなるほどとうならせるほど効果を発揮する。

 ボンペロがこのレストランはどういう場所なのか言う。
「ここに来る奴は、おまえも含め、みんなそれなりに理由があってのことだ。心当たりのまったくない洗い立てのシーツのような奴なんかいやしない。どのみち発狂するか、野垂れ死にするかが関の山の人間ばかりが堕ちてくる。ここはそういう人間が最後に働く場所なのだ。」

 カナコに殺し屋スキンが言う。
「子供が人目につかないところで殴られ、死ぬような目に遭わされているとするだろう。そんな目に遭い続けると、殴られる理由なんて考えられなくなる。無駄だからね。考えても考えても、納得できる答えなんかありゃしない。だから、ただそれは空から雨が降るがごとく、日が西へ落ちるがごとく、自分がそこにいたからなんだと受け入れる。人を殺すときも、たまたま自分にその条件が揃ったからなんだと考える。それ以外に感じることは塵ひとつない。」

 これでは救いようがない。しかし、救わねばと思って物語を創作すると嘘っぽくなる。
救いようがない事実をストレートに正直に描く平山に悲しいけど拍手をしたくなる。

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貴志祐介     「天使の囀り」(角川ホラー文庫)

20歳で小説家デビューした高梨。最近は出す作品すべてが売れなくて、落ちぶれてしまっている。その高梨が新聞社主催のアマゾン調査隊に同行して紀行文を執筆することになる。 

 調査隊は高梨の他、蜷川教授、赤松助教授、森助手、それに女性カメラマンの白井さん。

実は、高梨はそんな病気があるとは知らなかったが死恐怖症を患っていた。死がいつも心に浮かんでいて、死に取り込まれて死んでしまう恐怖を常に抱えている。ところが、アマゾンから帰還すると、高梨の恋人である精神科ホスピス医の北島早苗は高梨の変わりように驚く。

 異様に性格が明るく、前向きになっている。かつ、食欲や性欲も異常にたかまり、その衝動と行動は恐ろしいほどになる。そして、あれほど死を怖がっていたのに、簡単に自殺する。

 また、赤松助教授は、猫恐怖症だったのだが、アマゾンから帰ると、サファリパークにゆき、自ら虎に食べられることを望むように虎の面前に身を投げ食い殺される。

 子供を失うことを極端に恐れていた白井さんは、アマゾン帰還後、娘を抱いて心中する。
 さらに、アマゾン調査隊とは無関係な人たちまでもが、変わった方法で自殺する。

北島早苗やアマゾン調査を主催した新聞記者などが、調査をすると、自殺者たちはネットでオフ会として募集している「ガイアの子供たち」というセミナーに参加していることがわかる。

 このセミナー庭永先生が登場して悩んでいる人たちを悩みから解放し、前向きに希望に満ちた人生に変えると宣言して、いくつかのセッションを経過し、最後にまた庭永先生が登場して、参加者全員に幸になるためにはこれを食べねばならないと肉片を差し出す。

 セミナーに出席していた信一は、蜘蛛恐怖症だったのだがセミナー受講後は、蜘蛛を異常に好きになり、蜘蛛を集めて家で飼い、蜘蛛と死んでもいい気持ちになる。

 幼いときに火事で大きな火傷をおった女の子は、醜形恐怖症に陥り、外出もしなくなる。ところがセミナー後は重クロム酸ナトリウムというメッキ剤を盥にいれ、この盥に顔を浸し死んでしまう。

 北島早苗がこれらの変死に気が付き、セミナーに潜入してみると、驚くことに庭永先生は蜷川教授で、森がその助手をしていた。

 アマゾン調査隊は、高梨の不始末で食料が無くなり、ウアカリという猿を捕らえ、これを食していた。この猿にはブラジル脳線虫が寄生している。この脳線虫が人間の体内に入ると、脳を這い上がり、寄生する。この這い上がるときルートが決まっていて、快楽、性欲を刺激するルートを通る。このとき人間の脳には這い上がる音が鳥たちの囀りに聞こえる。

 そして、寄生した線虫は、寄生された人間が最も苦しんでいたことを最も望んでいた状態に変え、幸の極に達し死んでしまおうという気持ちを起こさせる。

 死ぬ恐怖におびえているより、どうせ死ぬのだから、幸一杯で死にたいということになるのである。

 で、作品を読んだ読者は、こんな死に方をしたいと思う以上に、その死にざまと、死を商売にしてしまう物語に冷たい恐怖だけを感じる。

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