高橋克彦 「写楽殺人事件」(講談社文庫)
写楽というのは、北斎や歌麿のようにはじめから有名な画家ではなく、明治43年にドイツ人であるクルトにより紹介され、日本での浮世絵作家として有名になった。
しかも、絵を創作発表した時期が寛政6年5月から翌年2月の10か月だけ。その間140枚の浮世絵を発表。それも、すべて蔦屋という美術商を通じて。10か月間の活動が終わると、ぷっつりと写楽は消える。
このため、正体不明の作家となったのだ。
この作品では、写楽が誰なのかということで九つの説があり、それを詳しく紹介している。
写楽研究家の主人公津田は、ある古書物店主から、秋田欄画集50枚を手に入れる。その中に、写楽改昌栄というサインの入った浮世絵がある。また昌栄だけのサインの画も数点ある。
この昌栄は近松昌栄として実在した絵描きで、平賀源内の孫弟子だったというところまで津田の調査でわかる。
そこで、津田は、昌栄こそ写楽ではないかと考え、秋田まで調査にゆく。
田沼意次が腐敗で失脚。それの権勢下にいた源内をはじめとする画家達は、厳しい迫害を恐れて、秋田佐竹藩の庇護を求め逃亡する。その中に近松昌栄もいて、写楽の名を改め昌栄として浮世絵を描く。つまり写楽は昌栄であることが津田は間違いないと思うようになる。そしてこれは、日本美術史上の大発見と、本当ならなるはずだ。
ここまでを作品の半分以上を高橋は費やす。高橋は多くのエネルギーを使って写楽について調査し、写楽おたくとして、その調査研究を披歴したかったのだと思う。
その後に、事件がおきたり、浮世絵研究の権力闘争や、計略が描写されミステリーになってゆくのだが、何だかその部分はつけたしのような雰囲気。
高橋は自らが発見した写楽の正体を、一旦はこの作品で否定するが、最後に、これは間違いないと津田に熱っぽく語らせ、物語を終えている。
高橋の「どうだ、凄いだろう」という思いだけが伝わってきた作品だった。
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| 古本読書日記 | 05:50 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑