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2018年03月 | ARCHIVE-SELECT | 2018年05月

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祝☆一周年

さくらが我が家に来たのは、去年の5月1日です。

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4/14(金) はなこ永眠
4/30(日) 浜松城公園の譲渡会で、ジャガイモみたいな子犬が3匹。
「ほかにも希望者がいます。審査をして、里親を選びます。すぐにお届けはしません」
と言われ、一応申し込み。
5/1(月) ねえやが仕事から帰ると、怪獣がいた。
日中じいやが「今日のお届けでもいいですか?」に軽くOKした結果。
OKしておきながら、ペットシーツもケージも出していなかった(;´・ω・)

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スリッパなんて興味ない


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それなりに仲良くなりました。

| 日記 | 14:08 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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ゆめこの夢はもう枯れた

某「荒地の魔女」風のたるみ具合。

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原田マハ    「モダン」(文春文庫)

モダンアートの聖地、ニューヨーク近代美術館MoMAを舞台にして、さまざまな人々の希望や夢或いは反対に苦悩、人生での決断を描いた短編集。

 2011年3月5日から5月8日まで開館10周年を記念して、福島近代美術館でアンドリュウ ワイエスの世界展が開催されていた。
 その世界展での目玉となる絵画がMoMAに所蔵されているワイエスで最も有名な作品「クリスティーナの世界」である。

 2011年から遡った3年前、福島近代美術館の長谷部伸子からMoMAに日本にはワイエスのファンが多くいて、美術館10周年を記念してワイエス展を開催したいので、「クリスティーナの世界」を始め、MoMAに所蔵するワイエス作品を貸与してほしいというメールが届く。
 それは、同様なメールが世界各地から届くメールと変わりないものだった。ただし追伸部分を除いて。
 追伸には
「画中の『クリスティーナ』が、草原の中、不自由な体をどうにかひきずって向かう先に、私は、私の故郷、ふくしまがあるのだと勝手に信じています。」

 作者ワイエスは生まれながらに虚弱体質で、その生涯を殆ど自宅か別荘とその周囲で暮らした。

 そして、別荘の近くに住んでいたクリスティーナ オルソンに出会う。クリスティーナは難病であるシャルコー・マリー・トゥーズ病にかかっていて、足が不自由だった。しかし、すべてのことは自分でやりきり、常に前向きに生き抜いた。その姿にワイエスは感動し、世間からは「不憫な女性」として扱われていたが、ワイエスにより永遠の生命をクリスティーナは吹き込まれた。

 長谷部伸子の追伸に感銘したMoMAは、「クリスティーナの世界」を始めワイエスの作品を貸与することに決めた。

 展示会が開催されてほぼ一週間後の3月11日に大地震と原発事故が発生した。福島近代美術館館長から「クリスティーナの世界」は無事。地震、原発事故の被害も全く無く、このまま最後まで展示会をやり遂げたいので、予定通りの期間貸与を認めて欲しいとのメールが届いた。しかしMoMAは理事会で撤収を決め、日本人の美術部員である主人公の杏子に引き取りのため出張させる。杏子は伸子の追伸に感動していて、問題が何も起こっていないのだから、貸与をそのまましておくべきと思ったが、理事会の決定には逆らえない。

 雪がちらつく中、美術館に杏子は到着する。出迎えた伸子はどこか冷たく愛想が無い。それに比し、館長は遠くからわざわざ来られたことや、「クリスティーナの世界」を貸与してくれたことに、熱い感謝の意を示し、原発からも遠く離れていたので、この美術館は地震の被害もなく、お預かりした絵画はすべて無事であったことを報告する。

 伸子の目の前でガイガーで放射能汚染がないか調べた時には杏子は気がひける。

 仏頂面の伸子に、杏子がもてあまして家族のことを聞く。「母と娘との3人」と伸子は言う。そして展覧会最初の日、娘が母と2人で鑑賞にやってくる。娘は「クリスティーヌの世界」の前でずっとたたずんでいた。そして、帰り際に「いっぱいクリスティーヌとお話した」と目を輝かせて言ったと伸子が言う。そして伸子は涙を堪えながら、
 「クリスティーナは自分で決めてここにやってきたんだ」ときっぱりと言う。

 杏子は成田空港で、MoMAにメールをする。
「クリスティーナは絶対に福島にもどってくる。」と。帰ってすぐ企画提案する。そして、その時の福島の相手は、長谷部伸子であると。

 ここで物語は終わるが、「クリスティーナの世界」が再度福島で展示されていたら嬉しいと心から思った。

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| 古本読書日記 | 05:59 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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高野和明    「ジェノサイド」(下)(角川文庫)

この作品は、山田風太郎賞、日本推理作家協会賞、このミステリーが凄い第一位、週刊文春年間ミステリーベスト1と大きな賞を4つも獲得している人気の大作である。

 発想も素晴らしく、アフリカ コンゴ、日本、アメリカの3か所を軸に展開するスケールも大きく、全編躍動感にあふれ、卓越したエンターテイメント小説になっている。

 本を読み終わりその余韻のなかで、幾つか考え込んでしまった。

人類は、科学の発展で、世界をどこまで解析ができ、自分たちの力のコントロール下にしたのだろうか。もちろん、多くのことが科学的に認識ができるようになったことを間違いないが、しかし、長い間かけても征服できない、ガンを始めたくさんの病気はあるし、地震をはじめ自然災害に対しては為すすべもない状況にある。

 イメージになってしまうが、科学は全メカニズムの20%ほどしかまだ解明できていないように感じられる。

 こんな地球に、80%のメカニズムがわかり、コントロールができる新しい超人類が登場したら我々はどうなるのだろうか。多分我々からみれば新しく生まれた超人類は神の存在となるだろう。

 この物語では、アフリカのピグミーから、2人の超人類が誕生、3歳と8歳の姉弟が登場し、世界を制覇コントロール下に置こうとしている大国アメリカの権力者と闘い、最後に蹴散らす。

 超人類は、生まれた時の姿形が異形のため、障碍者やのけ者として扱われることが普通。作品には2人しか存在していないことになっているが、現実には捨てされてしまった超人類がいたのではと物語を読んで思った。この2人のような超人類が増加してくると、超人類は人類を支配下に置くのだろうか。それとも、人類が過去の類人猿を皆殺しにしてきたように、人類も超人類により抹殺されてしまうのだろうか。物語の続きを読みたくなる。

 それから、他にもあるように思うのだが、同一種で殺戮しあうのは人類のみと一般に言われている。国家間、民族の対立、宗教対立など人類が誕生して以来、絶えることなく戦争殺戮が続いている。

 この物語では、そんな殺戮、憎悪を扱っている一方で、名誉欲も金銭欲もなく、純粋に10万人が世界で不治のある病と闘っているひとたちをひたすら救うことを一心に、新薬を開発する若き創薬研究者が登場する。
 こういう人々が存在することに人間というのは素晴らしく、誇りをもっと持っていいのだとこの作品は勇気付けてくれる。

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| 古本読書日記 | 06:08 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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高野和明    「ジェノサイド」(上)(角川文庫)

ジェノサイドは大量虐殺、皆殺しという意味なのだが、この物語では2つの意味で使われている。

 一つは文字通り、敵対する民族などを皆殺しにするという意味。

 それと、新しく進化した人類が、従来から生存していた旧人類を皆殺しする。そういえば、北京原人もピテカントロプスも現在のわれわれ人類が登場するのと入れ替わりにその存在は無くなっている。

 この物語では、特に後者を中心に扱っている。

元グリーンベレーで、今はイラクで民間傭兵会社に所属しているイェーガーに新しい任務が下りた。その内容に危険を感じたイェーガーは任務を断ろうと思ったが、息子が原因不明の重篤の病気で、その治療費用をうみだすため、任務の実行を承諾する。

 南アフリカで新たに3人の傭兵が加わり、第一次アフリカ大戦の最中にある、東コンゴに向かう。
 任務は、東コンゴのピグミー族が患っている致命的病気を除去するため、ピグミー続を皆殺しにする。それと、かってみたことのない生物に出会ったらしとめて、体の部位を持ち帰ること。

 このかってみたことのない生物というのが新しく発生した人類。アメリカで通信に使う特殊な暗号も瞬時に解読するし、数日学べば他言語もすべてマスターするという超能力を有する新しい人類。こんな人類が登場すると、旧人類やアメリカそのものも消失させられる。それで、この生物に遭遇したら殺せということになる。

 面白い発想だし、文章もわかりやすく、興奮しながら読めて楽しい。

ただ、人殺しができる条件として、精神的距離、物理的距離が大きく離れていることをあげ、精神的距離の乖離についての説明で、関東大震災のとき、日本人が在日朝鮮人を集団で襲ったことを事例としてあげている。日本人が朝鮮人を一段と低い民族とみなしているから、平気で襲い殺すことができたという。この部分が数ページにわたり長い。

 そして、物語から少し浮き上がり、なぜここまで関東大震災朝鮮人襲撃に高野は拘ったのだろうかと少し違和感を覚えた。

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| 古本読書日記 | 06:06 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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松本清張  「喪失の儀礼」

1/3まで読んだ感想

以前に読んだ「遠くからの声」のあとがきで、「嫁姑の仲の悪さを心理トリックに使った作品」として挙げられていました。
なかなか嫁も姑も出てこない( ̄▽ ̄;)

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今のところ、刑事たちが勘で、読者からすれば事件に関係なさそうな人を追いかけまわしています。
こじつけじゃないか? 証拠もないのに職場まで刑事が来るなんて! そんな感じ。
被害者の趣味が現代俳句で、歌仲間のところに刑事が行っていますが、作者の得意ネタというだけじゃないかと。
捜査会議で、
「眠らせた被害者を浴室まで運んで、洗面台で橈骨動脈を切り、死体を再びベッドまで運んで寝かせるのは、女には無理だろう」
という常識的な意見が出ると、なんだかほっとしてしまう。
それくらい、刑事の勘ばたらきがしっくりきません。

被害者は喫茶店へかかってきた電話でホテルを指定され、偽名で一人でチェックインし、そのホテルの部屋で殺害されます。
携帯電話のない時代なので、部屋番号を犯人に連絡する外線をかけたんじゃないかと思った。
が、いったん部屋から出てロビーやレストランで落ち合えばいいわけで、これはたぶんカギにはならない。

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最後まで読んだ感想
残り数ページで怒涛の推理。容疑者たちは自殺。最後の文章は、「有力な物的証拠は見つからなかった」。
いいんだろうかw そのパターンだと、何でもありになってしまいそうだな。

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犯人(かもしれない)は脊椎カリエスの旦那を日常的に介助している女性で、「女の力で意識のない被害者を運べるか?」という疑問は解消できるのかもしれない。
作者の趣味だろうと突っ込んだ俳句ですが、事件の動機となる加害者と被害者のつながりは別のもので、怒涛の推理では回収しきれていないという印象です。
犯人(かもしれない)女性の詠んだ歌で曼殊沙華が血の海をイメージさせるとか、刑事たちが捜査中にひき逃げに遭遇するとか、いろいろ結末に向けてのヒントは盛り込まれています。
で、ホテルからの電話は全然関係ありませんでした。

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貴志祐介   「悪の教典」(下)(文春文庫)

上巻で失踪したとされている、蓮実が殺害した早川、彼の携帯電話を持っていることを安原美禰にみられる。これで早川殺しがばれてしまうことを心配した蓮実は、美禰を屋上に呼び出し、飛び降り自殺にみせかけ殺害する。

 ところがその場面を、生徒である永井あゆみにみられ、あゆみがクラスのなかでしゃべったため、蓮実は殺害がばれることを恐れ、クラス全員を殺害することを決意する。

 文化祭の前日の準備中に殺害を実行する。その際、美術の教師である久米を自殺にみせかけ殺害し、生徒には久米が殺害者であるように装う。

 そしていよいよ殺戮実行に着手する。
 下巻400ページを超えるなかで、ほとんどは殺戮描写に費やされる。その描写がだれることなく、緊張感をもって描かれる。さすが貴志の筆力と感心させられる。

 全員殺戮したと思ったのだが、片桐怜花、夏越雄一郎が死体の下に潜り込み、殺害を免れ、飛び降りをした安原美禰も奇跡的に命だけは助かった。

 怜花と雄一郎は心神喪失しながらも、蓮実が犯人であることを供述。蓮実を愛している美禰は黙秘を貫く。

 警察は精神不安定の怜花と雄一郎の供述をそのまま信じることを逡巡したが、殺害時にAEDに録音された音声で蓮実が犯人であることが判明した。

 追い込まれた蓮実は、自分こそ心神喪失に陥っていると精神病患者を装う。
面白いことに、わずかな人数を殺害すると、証拠があれば警察は逮捕するが、多くの人間を殺害すると、精神的病を疑い、簡単に逮捕にはならない。

 しかし、下巻の殆どを費やす殺戮シーンは、少々くどく感じ、食傷気味になった。

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| 古本読書日記 | 06:10 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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貴志祐介    「悪の教典」(上)(文春文庫)

晨光学院町田高校の英語教師、蓮実聖司はイケメンでさわやかな弁舌、生徒だけでなく、PTAや同僚教師からも信頼され、憧れの存在だった。
 しかし、本来の姿は、他人を理解しようとせず、ひとりよがりで、全く共感心情を持たない、冷たい人間だった。

 蓮実が14歳のとき、熊谷先生が亡くなる。そのとき、蓮実が外出をしていたので、息子を疑った両親が相談していたところに帰ってきて、両親を刺し殺す。そのとき、蓮実が凄いのだが、自分の背中を刺し、血まみれになって強盗に襲われたと騒ぎ、警察捜査から逃れる。

 これをきっかけにして、次々人殺しを行う。頭脳明晰で、同じ殺し方をしないから、一度も疑われることなくきりぬける。何しろ物語によると、町田高校転入前までに30人を殺しているというからまさにサイコキラーである。

 この学校赴任前の学校でも4人の自殺者がでているが、それも蓮実の殺人である。蓮実の完全犯罪はその卓抜した頭脳からできているところもあるが、殺すということに全く心の揺れ動きが無く、バッサリと刺し殺し、平然としているその態度にもある。

 この上巻でも、蓮実と生徒である安原美禰に体の関係がある(実際にあるのだが)と疑っている真田先生を飲酒運転を装わせ女性を轢かせ、学校を懲戒免職にさせる。モンスターペアレントである清田を、家に並べて灰皿代わりに使っていた水がはいっているペットボトルの水を灯油に変え、家を全焼させ殺す。

 同じく前の学校の4人の自殺は蓮実が殺したのではと疑っている数学教師の釣井を電車の中で首つり自殺にみせかけ殺害。

 カンニングを邪魔されたと蓮実に恨みを抱いている早川を殺害し学校の庭に埋め、失踪とみせかける。

 殺すということに精神的ハードルが低く、ほんのちょっとのことで殺しを行う蓮実に読者を驚愕させるが、冷静になって最近の惨殺事件を振り返ると、蓮実のような人間は架空の創造物ではなく、現実に存在していると思いぞくっとする。

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松山巌   「須賀敦子の方へ」(新潮文庫)

少し前に、大竹昭子の「須賀敦子の旅路」を読んだ。この本では、須賀がイタリアに渡り、そのイタリアで過ごした場所を歩き、須賀の著書及びイタリアでの関係者の取材を通じて主にイタリアにおける須賀を掘り起こしていた。

 一方この作品は、生い立ち、戦争体験、キリスト教洗礼、女学生の生活など、彼女が初めてフランスに留学するまでの日本での人生を描く。

 著者松山は毎日新聞での書評を通じて、須賀と親交を深めていて、数少ない須賀を知っている一人である。しかし、須賀の生い立ちから青春時代について、本にするために聞き込んだことも無いだろう。だから、須賀の数少ない著書を頼りに青春までの人生を書いてはいるが、殆どは松山の想像で作品は成り立っている。

 須賀は宝塚で生まれ、6歳の時宝塚小林聖心女子学院小学部に入学。戦後、新しくできた聖心女子大の一期生として学ぶ。その一期生には国連高等難民弁務官を務めた緒方貞子がいる。

 また、聖心女子大では学生自治会の委員長をするかたわら、慶応大学の須賀が師と仰ぐ松本先生が主催するキリストカトリック教左派組織に入り活動する。この左派同盟には有吉佐和子がいた。

 有吉が朝日の特派員としてローマオリンピックの取材に来たとき、当時イタリアにいた須賀と会い、何でこんなところにくすぶっているのかと問い詰め、須賀が訳した翻訳原稿を持って、帰国していた須賀と一緒に出版社をあちこちまわる。しかし、どの出版社でも本にすることはできなかったそうだ。

 須賀は、イタリアで日本文学をイタリア語に翻訳し、文学全集を出版した。実はこのとき庄野順三の「夕べの雲」を大好きな作品として翻訳し出版しようとしている。

 庄野順三には著名な作品がいくつかあるが、私が最も好きな「夕べの雲」を須賀が出版しようとしたエピソードはうれしかった。

 須賀は松本先生から、戦時中であってもヨーロッパ特にフランスでは戦争への抵抗運動がキリスト教信者が中心となって行われていたことに衝撃を受ける。自分たちは唯々諾々とお上の言うことに従っていただけなのに。

 そして、彼女が敬愛するサン=テグジュペリが言うように「伽藍を土台から創る人になりたい。」という信条をもとに、フランスへ留学したいと強く思い、慶応大学院を中退してパリ大学に留学をする。

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貴志祐介     「硝子のハンマー」(角川文庫)

株式上場を間近に控えた介護サービス会社の社長が撲殺される。社長の部屋はビルの12階。社長が殺された時間前後に、防犯カメラに出入りする人は誰も映っていない。しかも出入口は完全施錠。窓もはめ込み式で開閉できず、しかも、専門的でわからないのだが、10mmの厚さのある超強化ガラス2枚の間に約3mmのポリビニールプチラールの膜を挟み拳銃でも打ち抜くことはできない状態。完全な密室状態。

 これでどうやって撲殺ができるのか。

2つ前提条件がある。社長は最近未破裂動脈瘤で倒れ、開頭手術を受け、頭にちょっとした衝撃を受けても簡単に倒れる可能性があること。

 更にこの会社では、介護ロボット、ルピナスAを試作、開発している。このルピナスAは300KGまでの人間を持ち上げ運ぶ。しかも、障害物を認識すれば、衝突を避けるために速度を落とし、手前で自動的に停止する。

 完全密室に侵入することなく、殺害をどのようにして行ったのか。この殺人犯はビル清掃会社の社員。
リモコンを使い、眠り薬を飲まされ熟睡している社長をルピナスAに抱えさせ、窓際まで運ばせる。そして頭の先端を窓ガラスにピッタリとくっつけさせる。そこで、持ってきたボーリングの玉を、頭にくっついているガラスに懸命に打ち付ける。開頭手術を行ったばかりの頭がその衝撃で割れ傷つき、そして社長は床に投げ出され死んでしまう。
 頑丈な窓ガラスは、付いた埃を拭えば、全く元通りになる。全く想像もつかない破天荒なトリックである。

 作品は日本推理作家協会賞を受賞している。

この物語で、ルピナスAについて介護評論家が語る場面がある。
「機械に介護されるということをお年寄りたちはどう考えるでしょうか。フォークリフトで持ち上げられ、運ばれ、置かれる。介護する側からすれば効率もあがり良いことでしょう。しかし、介護される側からみれば、人間をモノのように扱われ、尊厳や心の問題はどうなるのでしょう。」

 現実を尊厳とか心の問題とか抽象的な言葉で矮小化して、ふんぞりかえる評論家が確かに見受けられる。

 しかしお年寄りも、持ち上げたり運んでくれ腰を痛めてしまう介護職員に、申し訳ないという気持ちがいっぱいである。

 きれいな言葉で本質を糊塗とするのではなく、厳然たる現実をみて議論はなされないといけないとこの作品を読んで感じた。

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| 古本読書日記 | 05:51 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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高野和明   「K・Nの悲劇」(文春文庫)

現在少子化が大きな社会問題になっている。年間生まれてくる胎児は凡そ100万人。

しかし、その裏で34万人が中絶によって殺されている。日本の死因で最も多いのはガンではなく、中絶である。5人に一人は中絶によって殺されているのである。

 犬、猫が安楽死させられる数は30万匹弱。つまり人間の胎児殺しの方が犬猫殺しより多いのである。中絶が亡くなれば、一時的かもしれないが、少子化という問題は無くなる。

 この小説に登場する磯貝という精神科の医師は、元々は産婦人科の医師だったのだが、途中で精神科医師に転向している。

 磯貝が産婦人科医師のとき、妊娠二十一週の女子高生の中絶手術をした。二十一週ともなると掻把というわけにはいかなくなる。子宮を収縮させ通常の分娩に従い、胎児をとりだす。摘出した胎児は30センチほどだが、手もあり足もあり、完全なる人間となってとりだされる。しかし、とりだしたときには心臓は止まっている。その姿をみると、誰だって殺人をしていると思ってしまう。

 この少女が、退院後一週間たって精神科にやってくる。水子の泣く夢に悩まされたからだ。それで磯貝は産婦人科から精神科に転向した。

 この作品は、実質殆ど仕事がないフリーライターの主人公夏樹修平が、妻果波を妊娠させたが、とっても出産費用や子育て費用が創れないということで、妻を説得したかたちをとり中絶を決心する。しかし、中絶手術のとき妻は大声をあげ叫び失神し、中絶は一時見合わせとなる。

 その果波には、中村久美という3年前に仙台の神社で倒れ亡くなった女性が取り憑く。
久美は妊娠したが胎盤が剥がれる、胎盤剥離にかかり、神社で悲観してそのまま倒れ亡くなる。もちろん胎児と一緒に。

 物語は憑依というのは世の中にはなく、あくまで精神病として医学的に治そうとする磯貝と、最初は磯貝の意見に従うが、果波の憑依をされたと思われる言動に憑依は現実にあると信じるようになった修平との葛藤が軸になってホラータッチで描かれる。そして結果は判然とせず終わる。

 しかし、やはり本当の軸は、一時の快楽に溺れ子供を身ごもるが、特にその後の男がとる責任逃れ、女性と一緒に子供を育てようとする覚悟の無さ、酷さを語っている。

 死因の断然一位は中絶での胎児殺しである現実を我々は認識せねばならない。

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村上春樹 柴田元幸    「翻訳夜話」(文春新書)

翻訳者の第一人者柴田元幸と大作家でありかつ翻訳も手掛ける村上春樹の翻訳について語る講義、対談集。村上が訳さず柴田が訳すオースター、村上が訳すが柴田は訳さないカーヴァーを競訳した短編も収録。

 小説を書くことと、翻訳することの違いについて語る。

例えば三菱商事で南米からエビを輸入する仕事に従事していて、成績抜群の人がいる。で、この人が病気で倒れる。そうすると、必ず別の人がその仕事を担当して、成績は多少落ちるかもしれないが、仕事がなくなることはない。前の担当者が三菱商事にとってかけがえのない人ということにはならない。

 村上春樹が亡くなり村上春樹の小説が発表されなくなる。確かに文学界にとっては少しの損失はあるかもしれないが、それで文学界がひっくりかえるほどの影響を被るわけではない。淡々と文学界は存在しつづける。つまり、村上春樹は文学界にとってはかけがえがない存在とは言えない。取り替えは可能ではないけれど、特には困らない。

 これに続けて村上が言う。
「僕が翻訳をやっているときに、自分がかけがえのないと感じるのね。不思議に。」
厳然としたテキストがある。そして読者がいる。間に橋渡しをする翻訳者村上がいる。もちろんカーヴァーだってフィッツジェラルドだって訳せる人はたくさんいる。しかし、村上が訳すように訳せる人はいない。だから翻訳者である村上はかけがえのない存在だと、村上は思ってしまうと言う。

 村上が作品を執筆途中で亡くなってしまう。それは村上は悔しいとは思う。でも、そうなったとしても誰も何も思わない。それは村上一人の責任なのだから。しかし、翻訳はとても小さな世界ではあるが、翻訳者である村上が責任の一旦を担っているという感触がきちっとある。誰かと何かと確実に結びつけている。つまり「かけがえのない」存在ということになる。

 翻訳者の役割、自負が伝わってくる村上の主張は。

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三崎亜紀      「手のひらの幻獣」(集英社文庫

読みこなすのが結構難しい作品。相当集中して読んでいないと、何が書かれているのかわからなくなり、その都度前に戻って読み直さないといけない。集中力が最近とみに無くなった私には辛い作品である。

 10万人に1人という割合で特殊能力を持つ人間がいる。特殊能力というのは、心の中にある動物のイメージを具体化し、そしてその人間の姿形がイメージした動物になり現実の世界に表出する能力。

 普通は表出した動物は、表出を解くと消えてなくなり元に戻るのだが、超一級の表出者がいて、この表出者が、自らのあらん限りの力を使い生み出した存在を表出実体と呼び、それは表出者の命と引き換えに生まれ、想像がつかないほどの破壊力を持つ動物となる。

 この表出実体は、イメージを解いても消えることはなく、存在しつづける。

戦前は、人体実験施設で、この表出実体を武器に使おうと生み出す実験が行われていた。しかし、出来上がった表出実体が、味方の軍艦や潜水艦を覆われている特殊合金製の檻をくぐりぬけ、破壊してしまうため、軍隊が出動して、表出実体を破壊したことがあったという伝説が語られている。

 戦後は表出実体を創造することは法律で禁止された。それで、表出者は全国の動物園に派遣されて、動物に変換して動物園での見学物になるだけの存在になっていた。

 ところが、戦前に生まれた表出実体に冷凍保存がされていたものがあり、これをまた武器に転用しようと、同盟国の指示により、解凍しようとする新たな施設が創られ、実験が行われるようになった。

 解凍された表出実体が、外にでて社会破壊を起こさないように、この施設の安全管理に表出者である主人公日野原柚月と高畑が任命される。

 柚月が属している会社の社長はけた外れの能力を持つ表出者だった。しかも凍裂という特殊な破壊力を持っている。そして、柚月と交わりをしたことがある、柚月が愛する大切な人だった。

 解凍の研究所の開所式に、この施設の社長(実は柚月の社長の妻)は解凍した表出実体を来賓者の前でお披露目をしようととんでもないことを考え実行する。しかも、禁止されていた並列表出という技術を使い2体表出させる。

 そうしてこの2体が当然暴れ出す。この2体に対し、社長が凍裂の能力を駆使して対決する。
 この戦闘場面が物語のクライマックス。果たしてどちらが勝ったのか。怖くて柚月が目が開けられないところで物語は終わる。

 作者、三崎が言う。
私たちは制限された檻のなかで人生を送る。もし、その檻を打ち破った世界はどんな世界が現れるのだろう。それを柚月に挑戦させ、眼前に提示させようとする。図書館の本が意志をもって暴れまわったりする。この後続きの作品で柚月を借りて三崎は檻を破った世界がどんな世界か、読者に描いてみせてくれるのだろう。期待いっぱいではあるが、老年の私ではついてゆけない気がする。

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つんく♂    「だから、生きる。」(新潮文庫)

1995年つんく♂がプロデュースしたモーニング娘の「ラブマシーン」がミリオンセラーを達成したとき、忙しさも異常だったが、つんく♂絶頂期の時だった。

 どこに行くのも付人がついてきて、ほんのちょっとしたことでも、自分がやることは殆どなくなった。理由はいろいろあったとは思うが、つんく♂は当時引っ越しばかりをしていた。とんでもない多忙のなか、何で引っ越しをくりかえしできたかというと、すべてはスタッフがやってくれたからだ。つんく♂は、体だけ引っ越し場所に行けばよいだけ。それで、時々自分の住まいがわからなくなって混乱することもしばしば。真夜中仕事をしていて、少し腹が空いたなと思うと、同じマンションに住んでいるスタッフを内線電話でたたきおこし、スーパーやコンビニに行かせ、食料を買ってこさせる。

 スタッフは完全に奴隷化していた。

 奥さんが出産で入院する。しかも赤ちゃんは双子で管理入院である。奥さんがつんく♂に「エビチリ」が食べたいという。
 つんく♂は20年以上スーパーに行ったことはなかった。それで帽子を目深にかぶって、やっとの想いでエビチリを買い、病院に持ち帰り、奥さんにさしだす。

 奥さんは驚く。
あのつんく♂がスーパーに行って、レジを通って買い物をしてきたと。そしてこれほど嬉しかったことはないと思った。
 奥さんの姿に喜んだつんく♂は、それから自分で料理をつくり、病院に持ってくるようになった。

 喉頭がんでつんく♂は2回も手術をする。声帯も全摘出して声を失い、歌うことはできなくなった。そんなつんく♂をいろんな人々が支える。TOKIOもそんな人たち。そして、最も献身的に支えてくれたのが奥さん。

 つんく♂は病気をすることで、自分が多くの人々に支えられ今があることを知る。

奥さんはつんく♂との結婚を決意したのは、つんく♂が人生で一番大切なことは何かと奥さんに聞いた時、奥さんはとっさのことで答が上手くでてこなかった。
 そのときつんく♂が、きっぱりと言う。
「それは感謝の心だ」と。

 つんく♂の育った家では、父親が「感謝」が大切と言っていたからだ。

つんく♂が奥さんに言った「感謝」は単に父親の受け売りだったかもしれないが、今は「感謝」が心に深く沁み込み、本当に大切な言葉になった。

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山本甲士    「はじめまして、お父さん」(双葉文庫)

福岡に近い地方都市に住み、売れないフリーライターをしている主人公白銀力也のところに、かっては売れっ子俳優で、引退してからは居酒屋チェーンを起こし大成功をなした合馬邦人から、
「居酒屋チェーンの経営を退き、バハマに移住をしようとしているが、移住前に4人の人に会っておきたい。それに白銀力也に同行してほしい」
との依頼が舞い込む。

実はこの合馬は昔女優をしていた力也の母親と過去愛人関係にあり、そこでできた息子が力也、つまり合馬は力也の父親である。母親は合馬がテレビにでる度に力也に「卑怯者の顔をよく見ておきなさい」というのが口癖だった。

会いたい4人。

 一人目は石原美樹。合馬のマネージャーだった女性。合馬が追突事故を起こしたとき、身代わりにさせた。しかし、嘘がばれて合馬が俳優を辞めねばならなくなった。

 二人目は合馬が愛人に産ませたが、発達障害を患っている井戸浦良。十代半ばのときに宿泊していたホテルに合馬を訪ねてきたが、追い払ってしまった。

 三人目は市川。居酒屋チェーンの店長として頭角を表すが、合馬の盟友だった専務と対立。合馬は市川の主張が正しいと思ったが、専務に迎合して市川を追放する。

 四人目は小学生の時、無理やり急坂を自転車をブレーキをかけることを禁止して降下させ、足に致命的なケガをさせてしまった曽根。

 合馬は、この4人に心から謝罪し、その償いとして一千万から二千万円のお金を彼らに渡そうとする。
 しかし登場する4人は、お金持ちとは決して言えないが、希望を地道に実現しつつ心豊かな人生を送っている。謝罪だけでいいと言う人もいれば、合馬の勝手な思い違いもあったりして、すべての人からお金の受け取りを拒否され、強烈なショックを受ける。お 金が幸せの土台であり、お金が最も大切という彼の信念が破壊される。

 4人目の曽根のエピソードが胸に沁みる。
「交通事故で人をはねた。50代の女性で、けがで足に後遺症が残った。その女性を見舞いに行ったとき、あなたが懸命にブレーキをかけてくれたから命拾いをした。本当にありがとうと言われた。」

 本当に人間というのは、同じことでも物の見方考え方は違うと心底思った。

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| 古本読書日記 | 06:17 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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高野和明    「幽霊人命救助隊」(文春文庫)

 主人公の裕一は2度の受験に失敗、世の中を悲観、それで首つり自殺をする。昇天する途中の山の頂で、昇天できずに彷徨っている別の3人の死者にであう。

 その3人は裕一同様、市川服毒、八木短銃、美晴飛び降りと、いずれも過去に自殺をしている。

この彷徨う4人のところに、突然神様が舞い降りてきて、49日間に100人の自殺志願者を自殺させないで救ってあげたら、4人を天国に導いてやると言われる。

 これは大変。まず自殺志願者をどうやって探すのか、幽霊がどうやって志願者とコミュニケーションをとって、自殺を思い止めさせるか。どうするのかと思って読み進める。

 幽霊には、自殺しようと思っている人は黄色の信号が被さって見え、自殺実行決意した人は赤の信号が被さって見える。

 また幽霊は、自殺志願者の心の中に入り込み、自殺志願者の心のうちがわかる。そして特殊なメガホンを持ち、それを使って叫ぶと志願者だけに声が届くようになっていた。

 黄色や赤の信号をまとっている人は、新宿など大きなターミナルへゆくと、群衆のなかに容易に見つけることができる。

 この作品は、自殺しようとする動機にはどんなことがあるのか読者に提示している。自殺者は交通事故死の3倍で、年約3万人もいる。いじめなどが原因で、社会は少年少女、思春期の若者の自殺に焦点があてられるが、これらの年代の自殺者は300人程度で少なく、圧倒的に多いのは中高年、老年の自殺者。

 自殺の原因で多いのは、病苦、そして生活の困窮、家族の問題である。

4人の自殺回避の策は、これはという奇策があるわけではなく、鬱などメンタルな問題があれば、優秀な診療内科医院を、窮乏については、役所、弁護士などを紹介するという王道をゆく。

 4人は説得しながら思う。自分たちも4人と同じような幽霊が現れ、自殺の直前に説得してもらったら自殺をせずに済んだと。
 だから百人の救出を達成、天国から神様が迎えにきても、彼らは拒否し、更に幽霊のままで自殺志願者を救うことを決意する。
 テーマの重さとは異なり、筆致は軽妙でユーモア満載。しかし内容は深い。

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| 古本読書日記 | 06:10 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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貴志祐介    「青の炎」(角川文庫)

現在、同じ貴志の「悪の教典」を読んでいるが、主人公の教師である蓮実聖司と、この作品の主人公である高校2年生の櫛森秀一がよく似ていると感じる。

 2人とも、学業成績がピカ一で、恰好もよいイケメン、誰からも憧れを持たれて不思議は無いのだが、自分の思いどおりにいかないと、気が済まないたちで、とんでもない行動を起こす。

 人間は社会的動物であり、コミュニケーションをすることで、相手の存在や、思いを知り活動を行う。
 この2人は、感情が冷酷で、一見コミュニケーションをしているようには見えるが、本質的にコミュニケーションができない。ひとりよがりで、他人を認めない。

頭脳明晰だから、秀一の殺人は完全犯罪を目指して周到に計画され、実行がなされる。そして、その殺人は事故として秀一の思惑通り処理される。「悪の教典」の蓮実もすでに上巻の段階で30人を殺しているが、逮捕されてはいない。

 殺人方法は完璧だった。しかし、秀一の他人をないがしろにする、コミュニケーションがとれないところから綻びが生じる。

 幼馴染の石岡、憎悪の対象である秀一の行動をじっと追っていて、殺人が秀一の犯行であることを知っていた。

 そして石岡が、そのことで秀一を強請る。追い詰められた秀一は石岡を殺害する決意をする。しかし、この殺人は最初の練られた殺人と異なり、粗っぽい隙だらけの殺人となり、秀一は逮捕される。

 最初の殺人は10年前に母が離婚した曽根が秀一の家にもどり居つき、母のお金を強奪したり、暴力を母や妹に振ること、それから逃れたくてなされる。櫛森家の財産は祖父がすべて曽根に渡している。ということは、秀一は窮乏な生活が強いられているはずなのに、車が3台もはいるガレージを家は有しているし、酒はバーボン、自転車は高級車と贅沢な生活。面白い作品なのだが困窮が底辺にある殺人のはずなのに、実際の暮らしとの間にギャップがあり、違和感が残る。

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高野和明    「6時間後に君は死ぬ」(講談社文庫)

心理学を学び大学院受験浪人している山葉圭史は、将来非日常な出来事を体験する人のその体験を見ることができる。

 この本は短編作品集なのだが、本のタイトルにもなっている作品は、美緒という女性が六時間後にナイフで胸を刺されて死ぬ姿が圭史に見え、それが防ぐことができるかが時間の流れとともに、スリル感が増幅してくる物語。最後に収められた作品は、やはり同じ圭史と美緒の物語なのだが、3時間後に予言者の圭史が亡くなるという筋立て。緊張感がどんどん高まり、なかなか読み応えのある物語に仕上がっている。

 この2作ももちろん面白いのだが、私が気に入ったのは2作目の「時は魔法使い」だ。

29歳になる主人公朝岡未来はプロットライターをしている。あまり世の中に知られている職業ではない。それはプロットライターでは生計が成り立つことがないからである。

 小説の筋立てやテレビ番組の企画を書く仕事である。採用されれば、報酬が数万円程度ある。筋立てや企画書が修正につぐ修正がなされることがしばしば。その労働は金にはならない。それでも、目指している脚本家になるために、通り道と考え頑張っている。

 だからいつも財布の中味はピーピー。今の全財産は九千円。これでは生活できない。未来は意を決して、新宿の風俗店に勤めることを決める。そのとき公衆トイレにはいりさめざめと泣いた。

 いったい今何をしているのか。何のための人生だったのかと思い。

それで、風俗店に勤める前に自分が過ごした家があったところに行ってみようと思い立ちでかける。すでに両親は無く、実家のあった場所には古ぼけたビルがたっていた。

 未来は9歳のときにかくれんぼうをしていて、神社にあった防空壕に隠れていてそのまま失踪してしまい、2日後にその防空壕から発見されるということがあった。未来はその2日間の記憶が全く無かった。

 未来は街の風景は20年前と全く違っていたが、防空壕はそのままあり、懐かしくなり中にはいってゆくと少女がいる。「かくれんぼうをしている」と少女が言う。その少女は20年前の未来だった。
 未来は9歳だったときの自分を連れ出し、一緒に買い物をしたり、風呂に入ったり、食事や美容院に行ったりして楽しく過ごす。

 その途中で未来が9歳の未来に聞く。
「みきちゃんは大人になったら何になりたいの?」と。未来が答える「女医になりたい」と。

今の未来がぐっと詰まる。可哀想に20年後は、明日の生活にも困るような状態になっちゃうと。
 そして、また防空壕に帰らねばならない時がある。その時、9歳の未来は一緒にいるのが29歳の自分であることをすでに見抜いていた。

 9歳の未来が言う。「もうお姉さんとは会えないの。」今の未来は思う。こんなみじめな自分に会っても仕方がないじゃないか。
 しかし言う。「会えるよきっと。」
9歳の未来が言う。
 「よかった。また会おうね。だってお姉さん優しいんだもん。」

よかったね29歳の未来。そしてめげずにがんばれ!と本の中の未来に声援をしている私がいる。

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| 古本読書日記 | 05:57 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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あなたの背中に時間が見えた

TBT(Throwback Thursday)は、過去写真を投稿するときにつけるタグだそうな。

momo331.jpg

まだ目が輝いていたころのももこ嬢。

現在16歳。認知症も入ったのか、夜中の鳴き声(喚き声?)がひどい。
飼う側の平均年齢が上がり、眠りが浅くなったのかもしれませんが。

IMG_1240.jpg

タイトルは、アルフィーです。
過ぎ去りし日々が輝くとき あなたの背中に時間が見えた(愛の鼓動)
です。
痩せた肩は僕のせいさ(誓いの明日)もある。
「ミュージシャンはなぜ糟糠の妻を捨てるのか」という本があるらしいですね。←話がそれていく

IMG_1241_201804182310481d3.jpg
今でも可愛いとは思うんですよ。
茶々丸ほど食い意地が張っていないし、スリムだし、野性味が残ってる。

| 日記 | 07:58 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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貴志祐介     「雀蜂」(角川ホラー文庫)

推理作家の梓林太郎は、師として仰いでいた松本清張が、しょっちゅう電話してきて、梓が執筆している小説の中味や、小説にしようとしているアイデアを聞いてきた。それを梓が教えると清張は梓が教えたアイデアやストーリーをそのまま小説にして発表したと嘆いている。梓は、清張の小説は清張ではなく自分が書いたものだと言う。

 こういう身代わり作家を使った小説は結構ある。遠津周作だったと思うけど、世の中には遠藤周作が3人いるとどこかで書いていた。

最初は、あの作家は、俺のアイデアを盗んで書いているという錯覚から始まる。そして、それが嵩じてゆくと、錯覚が真実となり、あれは自分が作家に取りついて、書いているとなり、いや、そうではない自分こそがその作家であり彼は嘘の存在となる。

 だから、この本のように自分が当人だと信じ、出版パーティなどにもでかける。

この物語は流行作家の安斎智也に、小説家を目指している安斎知也(ともの字が異なる)が乗り移り、自分こそ安斎智也であると信じ、安斎智也を雀蜂を使い殺そうとする。

 物語の白眉は、何といっても智也がスズメバチの襲来に、知恵と体力の限りを尽くし、戦い抜くところだ。実は智也は以前オオスズメバチに刺された経験がある。そのオオスズメバチに再度刺されると死に至ってしまう。この緊張感が、スリリングな気持ちを高めさせる。

 貴志は、この小説のためにハチの行動、生形態を深く研究して、その成果をあますところなく小説に叩き込む。
 その熱意は凄い。しかし結末がいかにも安直。落差が大きくがっかりした。

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| 古本読書日記 | 06:20 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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高野和明 阪上仁志    「夢のカルテ」(角川文庫)

40代も半ばを過ぎていた知り合いが担当していた課に20歳の新入女子社員がはいってきた。その女子社員は、彼を憧れるようにまとわりつき仕事だけではなく、私事すべてに頼った。それほど風采もあがらず、魅力的とは思えない彼に恋心のような感情を彼女が表すか不思議でしょうがなかった。当然戸惑いながらも彼は久しぶりに表れた恋愛に喜びわきたった。しかし、わずかな期間でその蜜月のような関係は理由もなく消えた。

 この作品を読んで、この関係がどうして起きたのか氷解した。その新入社員の父親が彼女が幼いときに、事故で死亡していた。彼女は父無しで母親の手によって育てられた。彼女はずっと父親がいないことに強い寂しさを感じていた。父親が欲しかった。自分の心の欠落を埋めるために上司を求めたのだ。

 本当は恋愛ではないのに、欠落が恋愛のような行動になってしまうことを「転移」と言う。

 この物語は、カウンセリングを仕事にしている夢衣のところに、射撃事件で自分を狙っていた銃弾が自分を貫いて、全く関係ない母娘の母親に当たり母親が死んでしまう。それからその場面が眠る度に必ず現れ、苦悩している刑事が相談にやってきたところから始まる。

 実は夢衣は、他人の夢の中に入るという不思議なことができた。そして、悩む刑事の夢に入り込み、事件の真実を摑み解決し、刑事の悩みを解放した。更に、夢衣と刑事は出会ったときから、互いに惹かれあい、恋愛関係に迷いながらもはいってゆく。

 その後2人は、夢衣のカウンセリングを使いながら3つの困難な事件を解決する。その部分も卓越していて面白いのだが、何といってもその事件解決の過程で変化してゆく2人の恋の物語が素晴らしい。

 夢衣は、自分の恋愛感情は心の欠落、転移から起きているもので、本当の恋愛ではないのではと思う。そしてそれは、相手の刑事にも伝わる。

 最初の出会いから、欠落に対するこだわりが絶えずあり、一旦2人は別れる。しかし最後は苦悩を克服して恋は成就する。それが、それぞれの事件の解決過程で克服され、共鳴しあってなされる。

 実によく練れていて、味わい深い小説になっている。

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| 古本読書日記 | 05:57 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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海堂尊   「スリジエセンター1991」(講談社文庫)

この作品、1991年の出来事を描いている結構古い作品。海堂作品では珍しく、長い間文庫化されないで残っていた作品である。この文庫とほぼ同時に文庫かされた「スカラムーシュ・ムーン」が殆ど今を扱っているのだが、「スリエジセンター1991」と繋がっていて面白い。

 「スカラムーシュ・ムーン」で、大阪府村雨知事の野望に乗じて、ワクチンセンター設立を目論む彦根新吾は。この作品では東城大学変わり者医学生として登場する。また、彦根が利用をしようとした天城資金の天城が、この作品の主人公となる。また天城の心臓手術を受ける日本最大の自動車会社のスギモトモータースの会長杉本も登場する。

 医学的な専門的なことで、自分で書いていても殆ど内容が不明なのだが、狭心症を繰り返す患者が両下腿静脈瘤を発症、これに対し行われる手術というのが冠状動脈バイパス手術。この手術に使うのが大腿部の太い静脈である大伏在静脈。しかし再発するケースが結構ある。そして、大伏在静脈は一度使うと、二度目は無く、手術での対応ができない。

 一方ダイレクト・アナストモーシスという手法は肋骨裏側の内胸動脈を使い、両下腿静脈瘤は完全に治すことができる。

 しかしアナストモーシスは超難度の技術が必要で、日本でできるのは、東城大の佐伯大学病院長がモンテカルロから招聘した天城教授しかできない。この天城は金亡者のような医師で、手術費用は患者の所有財産の半分を頂く。そして、その費用で、モンテカルロの高級ホテルのスィートルームを居住地にして、毎晩カジノに出入りする生活をしている。

 佐伯病院長は、この天城を使い、天城をトップにしたスリジエハートセンターを設立して、病院の利益を更に増やそうと考えている。

 「白い巨塔」のように、色んな欲望、策略が渦巻き、佐伯の野望は挫折し、引退においこまれる。そこも作品の読みどころであるが、佐伯の挫折の原因にはもっと大きな物語が背景にある。

 天城は公開2回、非公開1回、計3回のアナストモーシスを使った手術をする。この中には危なかったが何とか成功したスギモトモータースの杉本会長に対する手術もあった。

 3回目の公開手術は国際心臓外科学会の会場で行われた。

この時、患者が悪性過高熱症にかかり、三十九度二分まで上昇。麻酔科の医師が用意しておくべき解熱剤ダントロレンが用意されてない。

 天城はうろたえ手術に対する自信が無くなる。そして最初のステージで失敗。手が震え、天城はもう無理と手術を諦めようとする。この時、手術助手を務めていた、天城の敵だった高梨医師が、強烈な叱咤をする。

 これで目覚めた天城が、患者に向き合い、最後の力をふり絞り、リカバーをする手術に成功する。会場は大拍手で埋まる。

 これでスリジエセンターは実現と思ったのだが、天城は3回目の手術は失敗だったと佐伯に辞表を提出して日本を去りモンテカルロに戻る。そして、突然死をする。

 この天城の最高峰の技術を使った手術が、物語の主軸になっていて、感動を与える。

 少し、大病院のどろどろした争いを描きすぎ、天城の物語の印象が薄くなったのが残念。

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| 古本読書日記 | 06:09 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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沢木耕太郎    「銀の森へ」(朝日文庫)

朝日新聞紙上に毎月連載されていた沢木の映画評を収録。90作品の映画評が収められている。

あとがきで沢木が書いているが、この映画評では、読んでいる人が、ぜひこの映画をみてみたいと思わせるように書くことに腐心したと。

 沢木が心憎いのは、ほんの少し思わせぶりにストーリーや見どころを書く。しかし、絶対に最後のクライマックス部分は書かない。
 そのおもわせぶりのところの描写が卓越していて、どれも素晴らしい作品で見ないと損する気分にさせる。

 しかし、90作品もみれば、どの作品も素晴らしいなんてことはあり得ない。この映画評はいけない。もっとだめなものはちゃんとだめと書いてもらわなければ。

 この映画評の姉妹本。「銀の街から」に、唯一けちょんけちょんにけなされている映画があり、びっくりした。

 それが宮崎駿作品の「風立ちぬ」である。すべてが素晴らしい作品ばかりという本のなかでは移植で際立っている。へそまがりな私は「風立ちぬ」だけは見なければと思ってしまう。

 この本での映画評は、すべての作品が、紙上連載中に封切られたり、その時代に創られて映画であるが、その中に1作品だけ旧作がある。

 ヘップバーン主演の超有名作品「ローマの休日」である。沢木は映画館で、ビデオで何回も繰り返し見ている作品で、細部にわたるまで、頭に刷り込まれている。

 そんな作品のどこを今さら見て、批評しようとするのか。

沢木は、この作品のどこかに落ち度や瑕疵がないかと眼を皿のようにしてみる。全く瑕疵は無いと思えたところで、唯一の瑕疵を発見する。

 ヘップバーンがスペイン広場でアイスクリームを食べる場面。そこでちらっと映し出される時計の針が、ヘップバーンが演じるアン王女がそこにいることは絶対に無い時間を指している。

 沢木はその発見に快哉を叫ぶ。
その発見に沢木はすごいものだと思う前に馬鹿じゃないのとつぶやく自分がいる。

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垣谷美雨    「老後の資金がありません」(中公文庫)

  3年前義父が亡くなった。朝亡くなり、そのまま遺体を葬祭場の安置場所に移し、午後から葬儀屋と通夜、本葬について打ち合わせを行った。結婚式のように打ち合わせと式、披露宴まで期間があれば、色々考えたり、調べたりする時間はあるが、通夜葬儀の場合は翌日、翌々日に行われ、時間が無く、手際よく決めないといけない。葬儀屋の問いに少しでも躊躇すると、葬儀屋が困るという顔をして、どんどん決めて下さいと催促する。

 棺桶など、品物のどこに差があるのかわからないが、この作品のように最低で4万円から、150万円くらいまである。どうせ荼毘にふされると焼いてしまうものなのに、何でこんなに高いのかと疑問がわく。4万円でも高価と思うが、葬儀屋の担当者が4万円を選ぶ人はおりませんと、きっぱりと言う。

 見栄と世間体が働き、葬儀屋に導かれるまま12万円とさせられる。

  祭壇、30万円から始まり200万円まである。消耗品ではなく、使いまわしするのに何でこんなに高価なのか。しかも、葬儀屋は120万円が一般的ですと言う。

 もう、考える隙がなく、流れるように葬儀屋の言葉に従って決められてゆく。

  式場使用料10万円、遺影写真3万円、骨壺2万円、焼き場までの送迎バス4万円、枕飾り3万円、安置料2万円。戒名代が30万円、お経が僧侶3人で40万円。結局お墓、仏壇までいれ300万円以上がかかった。

 この物語の主人公篤子の義理の両親は、都内で老舗の和菓子屋をしていたが、後継者がいなくて店を閉め、娘家族がいる鎌倉に家を作り引っ越してきた。このとき、都心の家土地を処分し2億円を得た。

 それから義父母は、豪華客船で世界一周をしたり、豪華な食事など贅沢三昧をする。しかし舅がその数年後肺気腫を患い、そのケアが大変ということで、豪華なケアマンションに夫婦2人ではいる。そのときの一時金が2000万円。そして住居費が38万円/月でこれに食費など生活費は別途かかる。

 これで、入居時には手元にあった二億円はすべてなくなり、国民年金と鎌倉の義兄夫婦と主人公の家からそれぞれ9万円/月補助することやりくりしてきた。

 ということは、義父の葬儀費用は、義兄夫婦、主人公夫婦が負担ということになる。

 しかも主人公夫婦は長女の結婚式で、相手がスーパーを手広くやっている経営者の息子で、世間体を気にして600万円の式をする、その半分300万円を負担せざるを得なくなる。当たり前のように長女は一銭の負担もする気がない。

 1200万円あった預貯金が300万円にあっという間に減る。更に、契約社員だった主人公が契約更新をしないと会社から告げられる。そして、夫までがリストラで馘になる。
 主人公夫婦は、老後安泰と描いていた構想がすべて消失する。

 ここから物語は大きく動き出す。
 現代では、誰にでも起きても不思議の無い内容。思わず自分は大丈夫なのだろうかとぞっとしてしまう。

 それにしても葬儀屋というのは暴力バーのごとき、弱みにつけこんで、言いたい放題の値をふっかけてくる。

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沢木耕太郎     「銀の街から」(朝日文庫)

高校時代は本当にたくさんの映画を観た。後で数えたら700本を超えていた。友人の家が映画館を経営していて優待券をわけてくれたからである。大学時代もこう高校時代ほどではなかったが、それなりの数の映画をみた。

 しかし、社会人になってからは全くというほど観なくなった。仕事や仕事仲間にとりこまれたからである。映画は2時間くらい終わるまでにかかる。それが大いに無駄な時間と思えるようになるからである。ごくたまに、嫁さんに誘われ観にはいったが、殆ど始まりと同時にいびきをかいて寝入ってしまい、嫁さんにいやみをたらたら言われることになる。

 この映画評は、朝日新聞から依頼された沢木が毎月1回、3年に渡り紙上に書いてきたものである。

 この映画評を書いていたときかどうかはわからないが、ある雑誌で、映画評論家の大家淀川長治から指名されて沢木が断り切れなくて対談することになる。沢木はもちろん映画は好きなのだろうが、それでも淀川からみればひよっこ同然の俄か評論家。殆ど沢木は聞き役と化す。

 その対談で淀川は沢木に念を押すように何回も繰り返す。
「映画を見捨てないようにしてください。」と。

沢木はこの連載の途中で、朝日新聞紙上に小説を連載することになった。朝日新聞では、一人で2つの連載を載せることはできないという不文律により、映画評は終了する。

 すると、他の仕事に比重がかかり、映画に愛情いっぱいあふれた映画評だったのに、全くといっていいほど映画をみなくなる。

 飛行機にのると、映画がかかる。
そのとき、いつも淀川の「映画を見捨てないようにしてください」という言葉がよみがえる。

 そして思う。淀川さんが指摘されたように、自分は映画を見捨ててしまったかと。
でもその直後彼はつぶやく。
 「映画を見捨てたのではなく、映画に見捨てられたのだ」と。

 私も完全に映画から見捨てられてしまったとしみじみ思う。

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北野武    「新しい道徳」(幻冬舎文庫)

今朝の新聞でも、新しい道徳の教科書30冊が教科書検定に合格したというニュースが掲載されていた。

 それにしても道徳の教科書ではやたらに動物が使われる。
「くまさんも挨拶がしたから、みんなもくまさんのように挨拶をしましょうね。」となる。しかし、熊が挨拶したり、道徳を守るという意識は全くない。

あたり構わず大便をしたり、片足をあげ小便をする。動物の道徳に従えば、人間だって至るところで大便をしたり、小便をしたりできることになる。

 これでは「どうして犬はいいのに、人間はだめなの」という質問がでる。
だから、人間にはどうして道徳が、動物たちと違って必要なのかを先生たちはまず教えなければならない。
 この本質が教えられなければ道徳教育にはならない。

教科書にでてくる動物たちは、楽しそうにお花畑や可愛い森に住んでいる。しかし、実際の動物たちは、動物園や養鶏場、牧場にいる。

 ニワトリは狭いゲージに入れられ、ひたすら卵を産むことだけが要求され、産んだ卵は人間が食べてしまう。乳牛は産んだ子牛と引き離されて、毎日乳を搾られ、乳がでなくなったら殺されて、やはり最後には人間に食べられてしまう。

 熊もライオンも動物園では檻の中での生活から一生逃れられない。
「動物たちはかわいそうです」ということから教える教科書はいまだかってない。

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中山可穂    「男役」(角川文庫)

レスビアンであることをカミングアウトした中山さん。この作品は女性の花園である宝塚を扱っているから、さぞいつもにまして艶めかしい世界が描かれているのではと想像していたが、そういう場面はでてこなくて、淡泊な作品になっている。

歌舞伎は男が女役に扮して演じ、宝塚は女優が男役に扮する、同性だけで演じる舞台。日本以外では無いように思う。

 宝塚の男役は徹底的に男に成りきることを目指す。だから男役トップスターになれば、他の女優から愛される的になる。男性に成りきっているから、30歳前後で引退した男役のスターは男性との恋ができず、寂しい人生をその後おくることになるとこの作品でも描かれている。

 この作品、かって「黒薔薇のプリンス」と称された宝塚の男役扇乙矢が、セリ上がりの途中で一緒に乗らねばならなかった相手役の娘を演じる女優チャメが乗ることができなくて、あわてて操作者が安全装置を起動させたが、働かず、乙矢が舞台とセリに挟まれて圧死してしまったことから始まる。
 そして、この乙矢がファントムという名に変わって、「オペラ座の怪人」のように、劇場に棲みつき亡霊となる。

 時は経て、ファントムが演じた「セリビアの赤い月」が、宝塚の男役トップスター如月すみれがサヨナラ公演と永遠ひかるが新人公演で演じられることになる。
 しかも永遠ひかるの祖母は、乙矢が亡くなった時、娘役を演じたチャメ。

チャメは、乙矢とともに宝塚を去り、その後50年間、宝塚の舞台は一回もみていない。
しかも現在は認知症も患い、普通の生活が営むことができなくなっている。

 この作品、少しひいてしまうのは、永遠ひかるが新人公演舞台でセリフを忘れ喋れなくなったときファントムが乗り移り永遠ひかるを救ってあげるところ。それから認知症を患っているチャメが家をでて、新幹線に乗り、宝塚までやってこれたところ。

 クライマックスのためには必要な場面とは思うが、すこしリアリティに乏しく無理スジだと思ってしまう。もう少し納得感のあるストーリーを創ってほしかったと思う。

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内館牧子    「終わった人」(講談社文庫)

私の住んでいる市の隣の地方都市でも、最近は朝からやっている居酒屋がある。この居酒屋が夜よりにぎわっている。老人や会社を退職して行き場を失った人たちがやってくるからだ。

この物語にあるように、退職した人が声をあげて言う。
「会社に行ってたときは、朝まで飲んだ。退職してからは朝から飲んでる。」と。

 物語は大手銀行から子会社に転籍させられ、63歳の定年をもって退職した男性を主人公として扱う。その取扱いは世の中で喧伝されている典型的な退職人間。少し、ステレオタイプの作品のように感じる。

 私は、真面目に会社に勤めたが、正直勤めは心底いやだった。ぐうたらな毎日が送れるならば、すぐにも会社勤めをやめたかった。だから、退職して一人自由になったときはほんとうにうれしかった。そして、毎日ぐうたら生活をしているが、少しも不満足とは思わない。

 趣味や、仲間や目的を持たなかったらみじめな老後になると、定年後人生を脅かす本が花盛りだが、人生は色々、多方面から見つめるべきと思う。

 それから、勤め人生が終わると、やたら多くなるのが同窓会の誘いだ。この間、びっくりしたのだが、とうとう保育園の同窓会の誘いまでされてしまった。

 こんな同窓会に出席すると故郷の良さを感じる。そして、今の生活を終えて、故郷に帰ろうかと思う。もちろん、妻には反対される。だけど、老年を迎えた夫婦。家にいても会話が無い。妻のご機嫌をとるために、食事や洗濯をする。その惨めな姿が、妻のいやけを増幅する。それで、詰まった結果が故郷は暖かい、離婚してでも帰ろうということになる。

 そんな思いに対して、主人公の娘が言う。
「故郷は遠くにあって、遠くから思うからいいとこなんだよって、お父さんの好きな啄木も言っているでしょ。東京に住んで、たまにやってくるから特別にみてくれるんだよ。だけど戻ってきてしまえば、特別じゃなくて、普通になって、誰も特別な人として扱ってはくれないよ。」

 その通りだと思う。東京にいても故郷に帰っても、寂しい生活が待っている。

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| 古本読書日記 | 06:10 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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新田次郎    「ある町の高い煙突」(新潮文庫)

主人公の関根三郎は、秀才で英語もでき、東大を受験して合格。三郎は、当時田20町歩、山林数十町歩を常陸入四間村に所有地を持つ大地主関根家の養子となっていて、両親がいない関根家の幼女みよの許嫁となっていた。

 この入四間村から一山越えた所に、1500年代から銅が試掘されている赤沢鉱山があり、当時スウェーデンから招かれていた鉱山技師チャールズ・オールセンに村を代表して、英語ができるということで、「銅がとれる山で毎日煙がでているが、悪い影響がでることはないか」三郎が尋ねることから物語が始まる。明治36年のことである。

 明治37年、38年には日露戦争が起こり、銅の需要は急増して、それに連れ、赤沢銅山は拡張に拡張木原組の木原吉之助に経営が移り、木原銅山と改称され、村が煙銅で覆われる事態に陥る。

 それに連れ、山林は枯れ、田圃の稲や畑の作物も育たず、蚕もダメになり、村は存続の危機に陥る。村では、東大合格をしていた三郎に入学を断念させ、村の代表として三郎に木原組と交渉にあたらせる。

 当時は、古河の足尾銅山、住友の別子銅山に大公害が起こり、多数の死者が発生、山林、田地田畑が耕作不能となった。田中正造が天皇に対応を直訴するまでに至っていた。

 木原銅山では、三郎や会社側の技術者が高い煙突を建てることが検討されていた。
しかし、高い煙突では更に被害が広範囲にわたるのではないかという疑問。吐き出された煙は、ある程度までの高さまでは達するが、その後逆転層という層にぶつかり、また地上に戻されるのではないかという疑問があり、対応がとられなかった。

 その後、第一次大戦が起こることが確実となり、更に銅の需要が拡大されることが予想された。

 どうしようもない時にあの技術者のオールセンから三郎に手紙が届き、スウェーデンでは煙害被害を防ぐために、高い煙突を建設し対応したことが書かれていた。

 その手紙をよりどころに社長である木原吉之助が社内の反対を押し切り、煙突の建設の決断を下す。煙突は156mもあり、膨大な費用もかかる。

 これで、煙害が防げないとなると、木原組は倒産となる。そんな中での背水の陣の決断だった。

 そして、この決断は正しく、公害の除去が実現した。大煙突は今でも現存している。

 ここで描かれている木原組というのは現在の日立製作所の原点にあたる。
もし吉之助の英断が失敗していたら、今の日立は存在していなかったかもしれない。

 新田の文体は稚拙だが、真摯でひたむきさが溢れ、しらないうちに引き込まれている自分に気がつく。

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池永陽    「北の麦酒ザムライ」(集英社文庫)

幕末の1865年、薩摩藩はまだ外国渡航が認められていないとき、五代友厚ら引率者4名に19人の藩士をイギリスに送り出す。

 そしてその19人のその後の人生については「薩摩藩英国留学生」という書物にまとめられている。すべての留学生が、明治維新のなか活躍し、りっぱな業績をあげたことが書かれているが、この物語の主人公で最初に日本でビールを作った村橋久成だけは「悲惨な末路」と書かれている。

 この作品は、悲惨な末路となった村橋久成の一代記を扱っている。最初のビールの醸造は札幌で行われ、現在のサッポロビールとなるわけだが、このブランドで描かれる北極星は北海道開拓団の団旗のシンボルマークとなっていた北辰旗からきている。

 この物語は本のタイトルと中味があっていない。当然タイトルからは、薩摩藩士が遥に遠い北海道の地で悪戦苦闘しながらビール創りを行い、色んな危機をのりこえ最後に成功する物語だと想像する。

物語にはイギリスのパブで出会ったビールに感激した村橋と、ドイツに何度も密入国してビール製造技術を学んだ中川清兵衛が登場するが、ビール開発製造の場面があまりない。

 唯一、ドイツでは酵母は生き物であり、この酵母の働きを促進するため、シンバルやトライアングルを打ち鳴らすということが清兵衛から語られ、最初のビール製造時、発酵がうまくいかなくなったとき、木槌で桶を叩きならすということで窮地を脱すると、あまり科学的でないストーリーの部分ででてくるだけ。

 後は、村橋が会津藩士の娘で高級娼婦に堕ちた由紀との恋物語が主体のテーマとなっている。
 ビール開発の悪戦苦闘記を期待していただけに肩透かしを完全に喰らった。

 最初に創られ販売されたビールは高級酒として今の貨幣価値で一瓶3700円だったそうである。今は第3のビールなら缶コーヒーの値段で飲める。

 古き時代をしのんで一気飲みなどと称して、ビールを粗雑に扱ってはならない。

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