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2018年02月 | ARCHIVE-SELECT | 2018年04月

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鴻上尚史    「恋愛王」(角川文庫)

恋愛とは何かを問い詰めるエッセイ集。

鴻上が6歳のとき、叔父さんの結婚式に出席した。
トイレに行って、大人用の便器でうなっていたところに、男の人が目の前に立ち止まった。
叔父さんだった。だからあわてて
「おめでとう」と鴻上は言う。

すると叔父さんが小声でいう。
「恋をしろよ。」「え?」と怪訝に思う。叔父さんは更に言う。
「恋をしろよ。若いうちは、恋をいっぱい、せにゃあかん。いっぱいして、いっぱいして、だんだん現実というものがわかってくるんじゃ。だんだん自分というものが見えてくる。そしてだんだんと水準が落ちてくる。そして、水準が落ち切った日が今日だ。」

さらに言う。
「誤解してはいけない。尚史。僕は悲劇を語っているのではない。ましてグチを言っているのでもない。僕は人生そのものを語っているのだよ。」
含蓄がある、強烈な叔父さんの言葉だ。

しかし、叔父さんはまだ知らない。人生を語ってはいない。それはまだ結婚生活をしらないから、結婚後さらに落ちる日がくることを知らない。

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加藤千恵    「誕生日のできごと」(ポプラ文庫)

18歳になった主人公恵里は高校3年生で受験を控えている。恵里には龍二という同級の恋人がいる。
 龍二は卒業したら地元の大学を受験すると言っているから、恵里も地元の大学を受験するつもり。

 ところが突然、龍二は地元はいやだから東京の大学を受験すると言い出す。恵里は驚くが、龍二と離れたくなくて、両親を懸命に説得して東京の大学を受験することになる。

 それで結果、龍二は東京の大学受験をすべて失敗し、結局地元に残り、恵里は東京の大学に受かり、東京で大学生活をおくることとなる。

 恵里には、東京で切なく胸が痛い毎日が続く。寝てもさめても龍二を想い続ける。

この状況での文章が、いかにも痛いけな少女がいて、星が映った目に涙がいっぱい、少女漫画を彷彿とさせるような文章。これが最後まで続くのは、かなわない。途中で何回も読むのを挫折しそうになる。

 大学に入り遠距離恋愛になってしまう。しかし、ずっと相手を想い続けるというのは、現実には少ない。しかも、大学があるのは東京。生活は光に満ち溢れ、出会いはそこいらじゅうにある。東京は地元での思いを一気に吹き飛ばし、新しい学生を取り込む。

 恵里が素朴すぎ、引っ込み思案、人見知りして東京になじめないのならまだしも、入学式で隣に座ったさくらとすぐに会話して、友達になる。さくらは活発な子で、マキ先輩など他の人たちとも仲良くなる。

 地元で暮らしている龍二のことなど頭に浮かぶことなどめったにないのではという環境である。
 それがぐじぐじといつまでも龍二を追う。

そして案の定、20歳の大学2年のとき、龍二に電話したときに、龍二は居酒屋らしきところにいて、女の子の声が龍二の声に重なって聞こえてきて、龍二から「別れよう」と冷たく言われる。

 そして21歳の3年生のときに、自分で何かしなくてはと思い運転免許に挑戦する。そこで担当した木曾先生と恋に陥る。

 驚くのは、加藤さんの文章が、20歳までと21歳からとはガラリと変わる。21歳からは、いかにも明るい学生で溌剌としている恵里を前向きに描く。

 そして25歳のある日、高校の同級生同士が結婚するので、地元に帰り結婚式に出席する。そのとき龍二と出会う。
 龍二は恋人がいると言う。恵里は祝福する気持ちだけで、嫉妬や悪感情は全くない。
完全にふっきれて、明るく強く前に向かってゆくことをすでに決意している。

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| 古本読書日記 | 06:13 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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加藤千恵   「こぼれ落ちて季節は」(講談社文庫)

連作短編集。
結婚すること、結婚しないということと、結婚できないということはどういうことなのだろうか。

 佳奈美は、学校を終えてから、小さな出版社だが、憧れていた編集の仕事につくことができた。しかし編集とは名ばかりで、完全に営業の仕事だった。人間関係も労働環境もひどいものだった。2年我慢して、退職した。

 そして、今は学習塾に就職して事務の仕事をしている。学習塾も仕事は忙しいが、根気と時間を費やせば、ちゃんと終わってゆくもので、理不尽なことや予測外のことは起こらない。

 佳奈美は今は33歳。漠然と思い描いていたイメージではすでに結婚していて子育てが真っ最中のはずだった。

 友達に紹介されて、大地と付き合い始めたのは27歳のとき。大地は23歳だった。

大地はその間5回職場を変え、今も就職活動中。
 大地が口にする職場への不満は、傍で聞いているとひどいものだった。上司の横暴な態度。休みの少なさ。サービス残業の多さ。社内の人間関係の悪さ。どれを聞いても納得できるもので、会社を辞めてもしかたないと思わせる。
 しかし、こうも離職が続くと、会社の問題ではなく、大地に問題があるのでは、と思ってしまう。

それでも佳奈美からみると大地には問題は無い。でも結婚はできない。そして年齢だけがどんどん積み重なってゆく。

 そんな愚痴を、佳奈美は友達で結婚している葵に話す。そして葵に結婚する決意はどうして決めたのかと聞く。甘い愛の香りがするような回答があるかと思ったら、意外な言葉が返ってきた。

 「彼の仕事が転勤があり、その転勤することについて受け入れたからかな。」
結婚は、現状から完全に異なったステージに移行することだ。その移行を受け入れる決意があるかどうかで決まる。

 当然仕事をしょっちゅう変えるような男とは結婚はできない。転勤があれば、自分の仕事をすてても付いてゆく、付いていかなければ別居しても構わないという決意。

 ゆっくり考えればわかることなのだけど、勢いや盛り上がりで結婚を決意する。そして、異なったステージにぶつかり、衝撃を受け、失敗だったのではと考えるようになる。

 短編だけど、胸の奥にあるにこごりが疼いてくるような話である。

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鴻上尚史    「ドンキホーテのペディキュア」(扶桑社文庫)

ドンキホーテシリーズのエッセイ集。

鴻上は以前金曜日の深夜、ニッポン放送の「オールナイト ニッポン」をしていた。当時は少し低迷していたので、「10回クイズ」や「究極の選択」という企画をし、これがあたって「オールナイト ニッポン」は盛り返した。しかも「究極の選択」はその後本にもなって出版された。

 「究極の選択」はこんなもの。
「どっちを選ぶ?エロ本を母親に見つかるか。母親のでているエロ本をみつけるか。」

この「究極の選択」で
「生まれ変わるとしたら、どっちを選ぶ?顔がガッツ石松か。頭の中身がガッツ石松か。」
これをやめておけばいいのに、フジテレビのアナウンサーがガッツ石松本人に聞きに行った。
 ガット石松は猛烈に怒り、アナウンサーは出入り禁止となった。

日本文学が大好きなアメリカの友人に聞く。
「ソウセキ ナツメ」はどう思うかと。
「それはだれ?」と友人が聞きかえす。「え?漱石も知らないの」と驚く。

友人が言う。
「ナツメ ソウセキは知っているけどソウセキ ナツメを聞いたのは初めて」と。

日本人は、名前を決めるとき、苗字と合わさって輝けるような名前をつける。こんな大切な姓名を、西洋人にたいし名乗るときひっくりかえしてしまう。

 よくよくまわりを見てみると、こんな風にわざわざひっくりかえすのは日本人だけ。
キム ジョウンだってジョウン キムとは言わないし、シュウキンペイだってキンペイシュウとは言わない。みんな英名は姓と名も順で名乗る。

 どうして親が大切につけてくれた姓名をかってにひっくりかえしてまで、西洋にへつらうのか。納得できない日本人には。

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高山正之    「日本よ、カダフィ大佐に学べ」(新潮文庫)

先の大戦で日本人犠牲者は300万人と言われている。これに対しアメリカの犠牲者はどのくらいだったか。4年間戦って、太平洋戦争ではベトナム戦争と同じくらいだったそうだ。

いろんな数字があるが9万人というのが定説。アメリカが戦争で最も大きな犠牲者をだしたのが、米国内の戦争だった南北戦争で65万人。

 太平洋戦争でアメリカが最も犠牲者をだしたのが沖縄での戦いで1万2500人。

台湾をほったらかしにして、どうしてアメリカは沖縄を取りに来たのか。沖縄は昔からアメリカのアジア戦略、太平洋戦略で最も重要な拠点。ペリーが浦賀に来る前、戦略上重要な拠点として小笠原諸島と沖縄を占領して浦賀に向かう。

 小笠原諸島も沖縄もハワイやグアムのように分捕ることを目論んだ。沖縄がアメリカ領から逃れたのは、当時アメリカの南北戦争が苛烈になり、それどころでは無くなったからだ。

 しかし、アメリカは沖縄を最重要な拠点であるということはその後もずっと変わらなかった。だから戦後アメリカは沖縄を占領した。

 ベトナム戦争が泥沼化した。アメリカの戦費が膨大となり、大不況が押し寄せ、沖縄を統治する費用がでなくなった。

 そこでアメリカは日本にもちかける。沖縄を返還してもよいと。もちろん基地はそのまま。
日本は、アメリカに1000億円で沖縄を購入。更に「思いやり予算」と称して、沖縄基地の費用のかなりを負担している。

 「思いやり予算」という英語は「HOST NATION SUPPORT」。日本語にすると「男妾養育費」。まったくそういわれても仕方ない状態である。

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加藤千恵    「真夜中の果物」(幻冬舎文庫)

恋は、結構かん違いから始まるものなのかもしれない。そのかん違いを、情熱と努力で克服して最後は成就させる。

 卓也に初めて告白されたのは高校2年のとき。2年になってクラスが別々になった。帰りが一緒になったとき、「別々になったのが淋しい。前から好きだったんだ。」と告白された。
 私は好きな人がいるからと、即座に断った。

 不思議なことだが、告白された後のほうが、気を使わず仲良くなった。ちょくちょくみんなと一緒に遊ぶようになった。
次に告白されたのが卒業式のとき。式の後呼び出され、やっぱり好きだから付き合ってほしいと。そしてやっぱりごめんね。卓也のことは好きだけど、恋愛関係にはならないと思うの、と断った。

 それから10年。何十回というほど卓也に告白された。そしてすべて断ってきた。もうネタのようになってしまった。

 そして今日も居酒屋で、卓也に好きだと言われた。
「卓也さあ、いい加減にしなよ。あんたの彼女が聞いたら、絶対イヤな気持ちになるよ。」
「冗談でこんなこと言うかよ。おまえがつきあうと言ってくれたなら、すぐにでも今の彼女と別れるよ。」

 沈黙が続く。

何回も「俺がだれよりもお前を愛しているんだ。」と言われたことを思いだしている。そして暖かい幸せな気持ちが拡がる。
 ストーカーと紙一重なのだが、成就したら、2人は幸せに絶対なる。

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加藤千恵    「春へつづく」(ポプラ文庫)

揺れる思春期、中学生、高校生を描いたら右にでる作家はいないと言われる加藤さんの中学生を描いた連作短編集。
 個性的な登場人物が多いが、特に図書館司書自称1200歳という女性は面白い。

主人公の杏は中学2年生で母さんのみやこさんと2人暮らし。みやこさんは高校をでて家出をする。みやこさんの話だと、東京でミュージシャンと恋におち、杏が生まれたとのこと。

 みやこさんは、岡村靖幸の曲が好きで、いつも口ずさんだり、家で曲をかけている。それで、杏は岡村靖幸は知らないが、気が付くと岡村の曲を歌っている。

 そして驚いたことにみやこさんは杏の父親は岡村靖幸だと言う。杏も時々テレビで岡村を見て。これがお父さんかと思っている。

 ある日、みやこさんが最も苦手としているお祖母さんの家にみやこさんと杏が行くことになる。お祖母さんはみやこさんと杏と3人で住みたいと思っているが今は一人暮らし。みやこさんは絶対同居はいやと思っている。

 その日、おばあさんの家でみやこさんの妹夫婦、その赤ちゃんとみんなでお昼ご飯を食べる。お祖母さんが食事をしながらみやこさんの妹に言う。

 「ほら、みやこが家出して東京で一緒に住んだ松本さん。」
 「お母さん松本ではなくて松井さんでしょ。アルバイトをしているという。」
 「ほんとうにロクでもないダメ男。養育費もいれない。みやこも何を考えているんだか。」

杏はびっくりする。

帰りの車でみやこさんに確かめる。「私のお父さんは誰?」と。

みやこさんは聞いてないふりをしてはぐらかす。杏は思う。それでもいい。岡村靖幸の曲「完全な愛」。みやこさんと杏の暮らしはいびつだが、ここには「完全な愛」が確かにあるのだと。

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山本周五郎    「五瓣の椿」(角川文庫)

天保5年1月6日夜、江戸で薬や油を商う「むさし屋」のかみさんが住んでいた家が火事に見舞われ、焼け跡から3人の遺体がみつかる。

 「むさし屋」の主人が労咳を病んでいたため、病気を移されるのを嫌って、妻は別居していた。主人が危篤で死んでしまいそうな状態になり、主人は最後の願いで妻のところに戸板で運ばれた。しかし主人は運ばれている途中で息を引き取る。

 この妻、おしのの母親は、別居をいいことに、男を次々咥えこんでいた。主人は、入り婿で妻に何も言えず、家業に精をだし、懸命に働き「むさし屋」を大きな店にした。

 娘のおしのが年末、医者より父親の容態は重くすぐに亡くなってもおかしくない状態と言われ、大きな喀血をしたため、母親に正月は来るようにお願いし母親も受諾したのだが、約束は反故にされ、母親は男と旅行にでていた。

 息を引き取った主人が運ばれても、母親は男と隣部屋で酒を飲み、遊蕩にふけり、夫の死体をみることが無かった。娘のおしのがなじると、「この人はお前の父親でなく、別の父親がいる」と衝撃的な事実をおしのに言う。
 おしのは亡くなった父親が可哀想でならず、母親の家に火をつけ母親を殺し、さらに母親と遊蕩した男八人を、母親と男を結び付けていた手代の佐吉から聞き出し、そのうちの特に悪辣な5人を殺害する決意をして実行する。

 胸を簪で突き刺し、死体の横には父親が好きだった椿の赤い花弁が一片必ず置かれていた。

 4人を殺害し、最後にあい対したのが源次郎。この源次郎がおしのを抱こうとしたとき、おしのは「あなたは私の産みの親」と言い放つ。源次郎がひるむ。そしておしのは源次郎を殺すのをやめる。

 おしのがきっぱりと宣言する。
「殺せなかった」のではなく「殺さなかった」と。

 おしのは取り調べで、自分が不義の子でありしかもその父源次郎が娘を抱こうとしたことを言う。それが、江戸中に広まり、源次郎はこれから重圧のなか苦しい生活を余儀なくさせるのだ。

 物語は平凡だが、最後の「殺さなかった」というところは強烈な印象を与える。

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加藤千恵   「あかねさす 新古今恋物語」(河出文庫)

新古今和歌集から加藤さんがインスパイアーされた作品から、掌編を紡ぐ。
 
 「おのづから いはぬを慕う 人やあると、やすらふほどに、年の暮れぬる。」
西行法師の歌である。
 こちらから言わなくても、会いたくて訪ねてくれる人があると思って、何も言わずにためらっているうちに年が暮れてしまった。

この歌にインスパイアーされて加藤さんが創った掌編。

 千尋ちゃんとは合コンでしりあった。職場も近かったし、読書が趣味というのも自分と合っていたので、メールアドレスを交換して、今度飲みにゆこうと言うと「いいね」と千尋ちゃんが返し、そしてすぐメールで誘い一週間目には2人で居酒屋で飲む。それから、月2回のペースで会っている。千尋ちゃんは、誘ったら必ずきてくれる。

 「年末年始休暇は地元に帰るの。」千尋ちゃんが言う。
 「あまり遊んでくれる人もいないし。」
 それで言う。
 「俺も寝正月になりそうだよ。」
 「そうだよね。やっぱりそうなるよね。」

これは一緒にいれるということだろうか。一緒にいたいということだろうか。勘違いだったら受けるショックは大きい。だからどうしても確かめることができない。

 千尋ちゃんとの付き合いはいつもこんな感じ。恋愛の話もする。映画や本の話。学生時代の話。仕事の話といっぱいするが、それが自分に対しての好意のサインになっているのかまったくわからない。

 こんな状態で正月メールがくる。
「あけましておめでとうございます。昨年はいろいろお世話になりました。また飲みに行きましょう。良い年になりますように」

一所懸命考えて返信する。
「あけましておめでとう。昨年はお世話になりました。今年もよろしくお願いします。また飲もう」

 わかるなあこの関係。おもわず笑ってしまう。

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加藤千恵    「さよならの余熱」(集英社文庫)

加藤さんの小説は、確かに他の小説家の作品とは際立った違いがある。それが何なのか上手く表現できなくて、もどかしかったのだが、この短編集の解説で友人でもあり作家でもある西加奈子さんが的を得た表現をしている。

 加藤さんは西さんによく言う。
「私は普通のことしか書けないの。」

その言葉に続いて西さんが書く。

彼女の描くのは、恋の始まりの淡い高揚や、小さくて、でも鋭角な痛み、終わりを知っているのに終わることのできない、ささやかな絶望であったりする。それは我々の、言葉に表すのは困難な、でも、確実に存在する感情なのだ。千恵ちゃんは、ミクロの目で丁寧に掬いだし、きちんと対峙し、真摯に描こうとする。

 本当にその通りだと思う。
そして、この作品集に収められているどの作品も、今このときでも、日本のどこかではきっと起こっているありふれた出来事だと感じさせる。

 中学生の時、美術室でみんなと喋りあう。まだよくわからないから。
「ほんとに好きってどういうことなのかな。」好きって何?付き合うって何?

それから10年を経て、25歳になった主人公はササと同棲生活をしている。自分が一歩ひけば、謝れば、簡単に済むことなのに、どうでもいいようなことに口をとがらして刺すような言葉を発してしまう。とってもササのことは愛しているはずなのに・・・。

 そんなことが重なったある日、書置きがある。
「申し訳ないけど、しばらく留守にします」と。

今まで意識していなかった自分の愚かさと傲慢さが主人公に襲いかかってくる。

そして思う。
「わたしはササに甘え切っていたのだろう。何をしても許される気がしていた。甘え、言葉にしてしまえば、それは簡単なものだったのだ。簡単で、陳腐で、腹立たしいもの、つまらないもの。」
 「ササ、わたしのこと好き?」

そして、中学生のときみんなで語り合った同じ言葉を10年後にまた発する。
 「好きって何?」

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| 古本読書日記 | 06:20 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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加藤千恵    「あとは泣くだけ」(集英社文庫)

恋愛を含め人との関係が壊れる。あるいは突然、あの痛い思い出がよみがえるたいせつだった品がでてくる。もうその後は、泣くしかないという7編の短編集。

 加藤さんの紡ぐ物語。誰もが経験するわけではないが、どの物語も自分が体験しても不思議ではないと読者に思わせ共感を引き起こす。読者の心に寄せ合った物語ばかり。

 世の中にはそれなりに存在するのだろうけど、自分には現実感が乏しいのが「被害者たち」という短編。

 主人公の女性がひふみと出会ったのは、20歳の学生のとき。アルバイトで行った会社の初日、封筒の宛名をパソコンに入力していたら、どこからかわからないが、一行ズレて入力してしまっていることに途中で気が付く。絶望的になり茫然としていたとき、近付いてきたのが社員であったひふみ。

 ひふみはそれを瞬く間に直す。感動した主人公はひふみに恋心を抱き、2人は付き合い始め、すぐ同棲する。
 格好よく大人の社会人にひふみは見えたが、つきあうと感情がすぐでて子供っぽいところがあるが、それも可愛いと主人公は感じる。

 ことが起こったのは、主人公が大学の友達と飲みに行ったとき、男性が混ざっているのに女性しかいないと嘘をつきそれがばれたとき。ひふみは主人公を思いっきり殴りたおす。

 それから、何度も殴られ、時には足蹴にされた。最後は首を絞められた。このまま死ぬのかと思った。死んでも仕方ないとも思った。そして主人公はやせ細り、やむなくひふみの部屋をでることになる。

 そして主人公はその2年後、職場の先輩と結婚し落ち着いた生活を送っている。
それでも、主人公にはひふみとの記憶や想いでが途切れることなく心の中にある。

 台所からひふみからもらった賞味期限切れのわたりがにの缶詰めがでてくる。ひふみが心から飛び出してくる。あの頃にもどりたいと思う。

 「期限切れなんだけどひふみがくれた缶詰めがでてきたよ。」
心に住んでいるひふみが答える。
 「そんなのすてりゃあいいじゃん。」
 「でも、折角ひふみがプレゼントしてくれたのよ。」
 「缶詰めなんていつでも手にはいるじゃん。」

殴られたり、足蹴にされたところで、憎悪と恐怖がわきあがり、即別離となるように思うのだが、どれほど暴力を浴びても、あの人といたいというのが上手く飲み込めない。

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鴻上尚史     「ドンキホーテのピアス」(祥伝社文庫)

雑誌「SPA」に連載していたおなじみの「ドンキホーテ」シリーズエッセイ。

動物園では動物とのふれあいが最も見学者にとっての楽しみとなるが、ふれあっていると錯覚する動物の起こす行動は、人間が思い込んでいるだけで、動物には触れあうという感情は無い。だから、同じ種同士では、いたずらごっこなどしているように見えることはあっても、大概は見物者には関心がなく、寝ていたり休んでいることが多い。

 唯一、ふれあいだと思って見学者を錯覚させるのが、食べ物を与えるときである。このときは先を争うように食べ物を与える人のところに寄ってきて、見学者に甘えたり、阿る。

 知らなかったのだが、先進的動物園では、動物が食べすぎないように、飼料の販売機を時間を区切って移動させているのだそうだ。そこで、どれだけ見学者から飼料が与えられるか計算して、自分たちが与えるエサの量を決めているのだそうだ。

 動物は人間と触れ合うという感情は無いときっぱり否定されるのは、そうかもしれないが何となく寂しさを感じる。

 外国の人が、個性的であり、自分の意見や主張をしっかり述べるのは、キリストなりイスラムなり信じる神を持っているから。悩んだり、苦しんだりしたときには最後神によりかかり、神から啓示をもらえるという絶対的な基盤があるから、それを主張して、反駁されたり言い負かされたりしても、背後に神がいるから落ち込むことは殆どない。

 日本にはその寄りかかる絶対的なものがない。
かってはあった。お上の言うことが生きる基盤だった。それは社会秩序、規範と言い換えても良い。あるいは、世間の常識なのかもしれない。

 しかし現在はその秩序が崩れてきている。だんだんよりどころになるものがなくなり、思い切った意見、主張が言えなくなってきた。

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| 古本読書日記 | 06:23 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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加藤千恵    「いつか終わる曲」(祥伝社文庫)

60歳も半ばを過ぎると、青春や思春期の頃の記憶が殆ど薄れ、思い出すことは無くなる。それが、ごく稀なのだが、甘酸っぱさや切ない香りを伴って心の底から飛び出してくるときがある。そんな時、必ず引き金になっているのが歌だ。そして、もちろん小さな声だが、通りなどを歩いているとき、知らず知らずのうちに口ずさんでいる。

 この作品は、そんなメロディーや歌詞をモチーフにして加藤さんが掌編を描いた作品集。

恋なのかわからないような中学生の初恋。それから、絶頂期の燃え上がる恋、そして別れの痛手。
 そして、障害があったり、勇気がなくて告白できずに終わったことを思い出し、もし告白していたら、今がどうなっていただろうと妄想する。

 真剣だった恋や愛の思い出を懐かしく愛おしく思い出していると言うより、あんなことができた、或いはできなかったあの時代全部を愛おしく抱きしめたいという気持ちが上手く表現されている。

 それにしても、私が浮世離れしているせいとは思うが、どの掌編にも動機として最初に歌詞が載せてある。その歌詞は加藤さんのオリジナルかと思った。そのうち、作者にスピッツとか小沢健二が登場して、ここに載っている詞は実在したものだと知った。

 私が住んでいる街の隣の地方都市でも、最近ライブハウスが増えた。いつか、表舞台にたつことを夢見て、CDを自主制作して頑張っている人たちが増えているのだろう。

 全く存じ上げない、バンド。この作品が発表されたのが2004年。今でも、ステージに立てているバンドはどれだけあるのだろう。全員今でも必死に頑張っていてくれたらいいのにと心から思ってしまう。

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| 古本読書日記 | 05:58 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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ゆめこ10歳

一応「購入した犬」なので、誕生日がわかっています。
白いので、とっくに10歳を越えていると思っていたんですがね。

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さくらと濃さが違う。

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新入りの態度はでかくなるばかり。

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老い先短いのだから(わからんけど)、もっといいオヤツを希望。

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何でも食う若者。

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| 日記 | 11:27 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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加藤千恵   「点をつなぐ」(ハルキ文庫)

主人公みのりは大手コンビニチェーン会社に勤めて7年、29歳の女性。

 会社に入り、店長としてあるコンビニを任される。社会に放り出されいきなり店長。経営もわからなければ、たくさんいるアルバイトの管理も難しい。バイトは頻繁にやめたり、突然休暇をとる。穴があくと、新人店長であるみのりが埋めねばならない。休日もしょっちゅう出勤となる。

 普通に働いていても朝の8時から夜9時までびっしり。体と神経が休まる時間が無い。それで通勤は電車を乗り継いで1時間。

 大学時代からつきあっている彼氏がいるが、デートの時間をとることが難しい。何回か断った後、やっとデートをする。その日だって、約束時間に遅れる。

 彼が言う。
「わかっていると思うけど、このままじゃ付き合っていけない。みのりはいつも仕事ばっかじゃん。みのりは俺との関係をどう思ってるの。」
 疲れ切っているからだは、もうそんなことどうだっていいじゃんと言っている。しかし、それでは申し訳ないので、
「いろいろ申し訳ないと思う。わたし余裕なくなっているし、約束はキャンセルばかりだし、遅れてはしまうし。」
「気付いてはいるんだ。」
「でも、お店のバイトが一人やめるし、まだ新しい子ははいってきてないし、時間を作ったりできない。もうすぐ学生は夏休み。そうなると、学生はバイトをしなくなり、余計にシフトも変則になるし。」
「それってもう直す気ないってこと」
「・・・・・うん。」

そこから、生産性の全くないやりとりが続く。
そして、最後に彼が言う。
「別れようか。」
みのりも「ごめん」と謝罪。それは同意したということ。こんなことより早く帰って眠りたい。
 別れに衝撃もショックも受けない。ただひたすら体を休めたい。

電通の過労死自殺した高橋まつりさんもきっとこんな状態だったんだろうなと思う。確かに、超過労は恋も愛もそして人間性も壊滅させ、最後には物理的に破壊する現実がある。

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TOT

TOT=Tongue Out Tuesday というタグがインスタグラムにあるらしいです。

tot.jpeg

それだけです。

| 日記 | 07:00 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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鴻上尚史   「ドンキホーテのリボン」(扶桑社文庫)

劇作家、演出家の鴻上尚史が雑誌「SPA」に連載していたエッセイを収録。

私の青春の頃は、もちろん電話はあったが、下宿や寮で一台。呼び出してもらって初めて電話にでる。
 またこちらから電話をしても、相手がいつもいるとは限らない。
こんな状態だから、だいたい愛の告白や、デートの時間場所を決めるのはラブレターの交信になる。

 電話をして相手が不在だったり、手紙を書いて返事がくるまで、大丈夫だろうか、どこへ行っていたのだろうか、デートの申し込みにOKと返事をくれるだろうかともんもんと一夜を過ごすことになる。

 ほぼ私と同世代の鴻上は、このもんもんとした時間が強い確かな恋や愛を育てるのだと言う。今は携帯の時代。すぐ結果がでる。そんな時代は、盛り上がるのも早いが消滅するのもあっけなく訪れると言う。

 何か古オヤジの、凝り固まった偏見に思えるが、そうだったんだよなあと懐かしさも同時に湧き上がる。

 最近の若い男優は、少し鴻上がきついことを言うと、人生が終わったかのようにしょ気かえる。どうして男はこんなに弱くなってしまったんだろうと嘆く。

 この男優が面白いことを言う。
同じことを女性に言われても平気だそうだ。
「女性はあけすけなく、年がら年中、きついことを言う。あんたといると本当につまらなくて死にそうとか、あんたなんか生きてる資格なんかないよなんて。でもいつも言われているから慣れてしまって平気。だけど同性にはそんなこと言われたことがないからやたら傷つく。」

 そうかねえ。女性に言われても平気なんてことは無いと思うけど。でもしょっちゅうだとしょ気てる時間も確かにない。

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猫の本棚(漫画)

猫派です。
ボブは、TSUTAYAで新作扱いじゃなくなってから、DVDをレンタルする予定。

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一番新しいのは「ねことじいちゃん④」 十兵衛は先月発売。
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「猫絵十兵衛」のキャラクターとしては、耳丸・小春・真葛あたりが好きです。(すべてメス)
説明臭かったり、臭いセリフやキャラクターで無理に押し切ったり、微妙な回もありますが、面白さは安定しています。
「じいちゃん」は、島で暮らす高齢者の買い物の不便さを描く回があって、なかなかリアルでした。
ただ、デパートで高級な猫おやつを買ったとか、ホームセンターで猫ベッドを買ったとか、
『あれ? そこまで不便な土地でもないのか?』と思う部分もあります。
タマの世話をご近所に頼んで、遠出することも割とあるのかもしれないですね。

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最近ツボったのは、「悪のボスと猫。」
イオンの本屋に2巻しかなく、1巻は密林で注文。
一足先に眺めた母上は、「セリフが無いし、あまり面白くなさそう」と言った。
ククク、フハハ、フフフばかりで説明が無いから、読者の抱くボスやスナイパーのイメージが壊されずに済むのかな~なんて。
漫画でも小説でも、喋らせたり背景を説明したりすると、ぼろが出る(醒める)もんです。
2冊出した時点でネタ切れ感は無いのですが、作者のツイッターによると、売れ行きいまいちで紙媒体の連載が打ち切られたそうです。

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くるねこも揃えています。

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これも猫漫画。
4巻が欠けていますが、すでに6冊で文庫化されていて、全14巻の単行本の方は手に入りません。
扱いが雑だとこうなりますw
猫絵十兵衛以上に強引な、いい話で押し切ったような話もちらほら。わざとらしいと感じてしまう。
もう少し齢を重ねたら、「昔は気づかなかったけど、結構深い話なのね」としみじみ感じる境地に至るかもしれません。

| 日記 | 23:16 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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吉本ばなな    「ふなふな船橋」(朝日文庫)

よしもとばななさんが、また改名して昔の吉本ばななに戻したことは知っていたが、あまり気を付けていなくて、初めてこの本を手にとったら作者「吉本ばなな」になっていて何だかとても新鮮な感じを受けた。

 この物語、主人公の立石花の住んでいる部屋で夢をみるといつも花子という妖精が登場し花が声をかけると途端に目が覚める。その花子とお父さんの松本さんとの話や、梨の妖精であるフナッシー、豪快な奈美おばさんなど多彩な人々や人形が登場し、それぞれがユニークで面白い。しかし物語の骨は、花と恋人の俊介との恋物語である。

 主人公の花は15歳から船橋に住んでいて、フナッシーが大好き、本も好きで、28歳の現在、書店の店長をまかされていることもあり、船橋に強い愛着を持っている。

 恋人の俊介は、長野の老舗ソバ屋の息子で、今は船橋に東京支店長として住み、ネットでソバを販売しているが、いずれは長野に帰り、ソバ屋をつぐことになる予定。
 花は船橋は好きだが、いずれ俊介と結婚して長野に転居することになると覚悟はしている。

 ところがある日、俊介が別に好きな子ができたので別れて欲しいと花にお願いする。
花はその女性を知っている。俊介は体が弱く、その治療に通っている病院でボランティアに来ている早川さんだ。早川さんは、がっしりしていて健康的。虚弱な俊介には良い相手と思い泣く泣く俊介と別れる。

 その話を友達の幸子にすると、幸子は断言する。「俊介はまた必ず花のもとに帰ってくる」と。

 そして、その日がやってくる。

俊介は花に言う。
 「ずっと花が好きだった。早川さんとつきあっていても花のことがいつも浮かんでいた。花と結婚したい。」と。そして続ける。
 「早川さんと1か月会わないで、互いをみつめなおそうと宣言した。」と。
花は思った。私が受けると、早川さんと俊介は別れる。しかし私がNOといえば、俊介は早川さんに戻ろうとする。

 見つめ直す1か月は何なのだ。だから花はきっぱりと言う。「NO」と。
これでは、俊介は早川さんにも振られるだろうなと思う。

 いかにも老舗の息子で世の中どうにでもなるという甘さが俊介にはある。

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| 古本読書日記 | 05:48 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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加藤千恵    「ハッピーアイスクリーム」(中公文庫)

短歌集。

難しい言葉は一つもない。しかし、青春時代に感じる、切なさ、迷い、理不尽さ、いらだちが見事に表現されている。純粋だが、決して綺麗ではない、無骨といってもいいくらいの言葉が、ぐいぐい読者の心に入り込んでくる。
 加藤千恵を世の中に送り出し、短歌集としては異例の売り上げをあげた本。その驚くほどの輝く短歌の羅列を味わってほしい。

まっピンクの
ペンで手紙を
書くからさ
冗談みたく
笑って読んで

重要と
書かれた文字を
写してゆく
なぜ重要か
わからないまま

あなたへの
てがみはぜんぶ
ひらがなで
げんじつかんを
うすめるために

合格を
祈念している
場合じゃない
だってわたしは
恋をしたのだ

正論は
正論として
それよりも
きみの意見を
聞かせてほしい

投げつけた
ペットボトルが
足元に
転がっていて
とても悲しい

言葉しか
のこっていない
それでまだ
言葉だけなら
残ってはいる

いつどこで
誰といたって
あたしだけ
2センチくらい
浮いてる気がする
 そして歌人枡野浩一がこの短歌集には無いが、解説でとりあげた秀逸な作品。

思い出が
美しいのは
過去だから
どうぞよろしく
お願いします

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| 古本読書日記 | 06:30 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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鴻上尚史     「恋愛の1/2」(角川文庫)

恋愛と同じくらい大切なことなに、もっときちんと知りたいのに、ちゃんと語られないのがセックス。そのセックスについて正面から向かい合って語ったエッセイ。

私が社会人となった一年目になんと商業映画で、疑似ではなく本番のセックスシーンを撮った映画があった。大島渚が撮った「愛のコリーダ」である。

 この映画は、昭和11年に起きた阿部サダ事件を題材にしている。阿部サダが愛した吉蔵を愛しあった果てに、吉蔵を殺害して、なお吉蔵の男物をちょんぎってしまったという事件。
 阿部サダは「毒婦」というのが一般の認識。

しかし、2人は、そのセックス中に達したらお互いの首を絞めあって殺しあおうと約束する。

 この映画は、最初に二人が出会う場面があるが、後はひたすらサダと吉蔵のセックス場面が延々と続く。
 こんなに続くものではなく、途中で飽きてしまうのではと思ってしまうほど。しかし、2人はひたすら愛し合い、求め続ける。

 それから、男性の主人公だった藤竜也はそれなりに苦みばしって魅力があるが、サダを演じた松田瑛子は、顔つきも普通だし、スタイルも貧相であまり魅力的ではない。大島監督は、この映画でセックスとは何かを問うている。

 普通の女性松田瑛子を配して、セックスやこの映画で表現していることは、誰もが生活の中で普通に行っていること、殺害も誰にでも起こることと言っている。

 言葉を持ち話すことや考えることは、人間独自なこと。それは、生きることに秩序や制限を引き起こしている。

 セックスは本来動物に備わり、プリミティブなコミュニケーションをとる方法。制限や言葉を忘れて忘我、自由になることを実現する行為。そして、考えたり、会話する行為からの脱却の果てにあるのは死。だから二人が首を絞めあって心中しようとしたのはセックスの果ての普通の行動。サダは毒婦などではないのだ。

 映画作家の鴻上はすごいと思う。あんな暗くてとても興奮をもよおさず、つまらない「愛のコリーダ」をこんな風に深く、大きく解釈するとは。

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| 古本読書日記 | 06:28 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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加藤千恵    「卒業するわたしたち」(小学館文庫)

歌人加藤千恵さんの、瑞々しい表現がいっぱいの小説に出会い、気になってしまった。しばらく加藤さんを集中して読もうと思っている。

 卒業というのは学校だけに係る情景ではない。卒業という言葉が象徴的に交わされた場面を描いた短編集。

 二十八歳になる主人公の美弥が漫画を読んでごろんとしていると、母が急に大事な話があると突然言う。
 何か怒られるようなことをしたのかなと思い出そうとするが浮かばない。怪訝と不安を少し抱えて母親と向き合う。
 「お母さん、再婚しようと思うの。」
えっと驚く。急に平和な日々が遠ざかってゆくような気がする。

 美弥の両親は美弥が二歳のときに離婚している。お祖母さんの話では父親はだらしなく最低な人間だったとしょっちゅう言っていたが、美弥にはもちろん記憶はない。

 お母さんは、住民センターの事務職員として働き、実家の援助も受けずに美弥を大学までだしてくれ、その間全く不自由を感じたことは無かった。このまま母との暮らしが続くものと美弥は考えていた。まさか、自分が結婚する前に、暮らした部屋をでてゆくことになるとは。

 母に言われて、婚約者梅田さんとレストランで会うことになった。母がトイレで中座したとき、梅田さんが話す。
 「もう、ニ、三年からずっと結婚してくださいとプロポーズしてきたんだけど、その度に娘が心配だからと答えてくれなかった。」
 「美弥さんはもう二十八歳の社会人。何でそんなに心配なのかわからない。もう大人で事情だって理解してくれる年齢じゃないかと。」

 それで最近思い切って言った。
「もう美弥さんから卒業してもいいのでは。それでやっと納得してくれた。」

卒業は子供だけにあるものではなくて、母親にもあるのだ。今、美弥と母親は新たな人生に向かって卒業するときを迎えている。

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鴻上尚史    「道楽王」(光文社文庫)

バイク、気球、ワイン、歌舞伎、エステ、スノーボード、味噌汁、スキューバダイビングなど、35の道楽を体験した、鴻上の体験記。

 目的も旅程も決めないで、来た電車に乗り、ここで降りてみるかという駅で降りて、ふらつく。そんな、旅をする。スタートは連れが大阪に住んでいるので,JRでなく、上本町から近鉄で旅をスタートさせる。そして着いたのが伊賀上野。ここで下車する。

 伊賀上野は忍者のまち。散策しているうちに忍者屋敷に到着する。

結構面白かった。それでも、不思議だったのは、忍者がみんなピンクや紫の格好をしている。
何でこんな派手な格好。不思議だから聞いてみる。

 「どうして忍者服ってピンクや紫やらで派手なんですか。」
案内人がきっぱりと言う。
 「観光用ですから」実にすがすがしい回答。

それから案内人が説明する。忍者は重要な書類はみんな縁側の廊下の下に隠したと。
 「それじゃあ、隠したことにならないじゃない。皆知っているんだったら盗まれてしまうじゃない。」
 案内人が即座に言う。
 「そうだな。」と。そんな質問に回答するマニュアルが無かったのだ。この回答もすがすがしい。

 帰りに、忍者うどんを食べることにして「愛間亭」という有名なうどん屋にタクシーで向かう。なかなか見つからなかったが何とか発見。店は混んでいた。

 早速名物忍者うどんを注文する。
何の変哲もない素うどん。だと思って食べていたら天ぷらだのしいたけだのちくわがでてきた。なるほど、こいつらが忍者になってかくれていたのだと認識した。

 伊賀上野に行っても、あんまり忍者うどんは食べたくないなと思った。

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| 古本読書日記 | 05:59 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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梅崎春生   「怠惰の美徳」(中公文庫)

今の小説家というのは、時代小説を書いても、サスペンスを書いても、恋愛小説を書いても、前向きで颯爽としていて、弁舌もさわやか。そういう生きざまを書かないと、この文学世界から見放される。

 でも、我々世代になると、よくこれで飯が食えるなというくらい、ぐうたらぐうたらしていて、しかも描くのはそのぐうたら生活のみ。どこかに欠陥をかかえながら、仕方なく小説でも書くかという小説家が結構いて、それなりに読者もついていた。

 一昔前のこの作品集の作家梅崎春生はその典型。かの遠藤周作が師匠とあがめ、まねて「ぐうたら狐里庵」シリーズを書いたくらいだから、真のぐうたらを極めた作家である。

 朝8時に起きる。それから朝飯を食べ、そしてまた布団に入り込んで横になる。ぼんやりとものを考えたり、本を読んだり。そして昼一時ごろ布団から這い出て、昼飯を食べる。
そしてあわててまた布団に入り込む。三時ころしぶしぶ布団から這い出て、仕事を六時までする。それから夕刊などを読みながら、飲み物を摂取して夕食を9時ごろまでする。
 そして九時半には布団にはいり就寝となる。

 梅崎春生の友人にある作家がいた。ある日サントニンを飲み、お腹にいた回虫を駆除した。途端に小説が書けなくなった。ということは、小説は作家が書いていたのではなく、回虫が書いていたのだ。

 梅崎も身体の具合があまりよくない。精神的鬱も抱えている。肝臓も肥大している。その他にもいくつも身体に障害がある。
 しかし、この半健康的状態が、梅崎の人生観、世界観を創り上げている。もし、これが健康的になり何の障害もなくなったら、小説は全く書けなくなるだろうと梅崎は言う。

 こういうぐうたらをしているところを、自己肯定的に言い切る様が魅力的だ。

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| 古本読書日記 | 05:49 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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よしもとばなな    「すぐそこのたからもの」(幻冬舎文庫)

愛息チビちゃんとの、かけがえのない蜜月を凝縮した育児エッセイ。

チビちゃんを出産で取り上げたのは、ばななさんのお姉さんの友達の助産婦さんだ。

助産婦さんは、しょっちゅう産まれる前お腹にいるチビちゃんに話しかけた。
「ママは予定日の一週間前にコンサートに行くんだって、すごいね。でも、大事なコンサートみたいだよ。だから、それからちょっとしてから生まれてくると、いいのかもよ。」

 ばななさんとお姉さんは助産婦さんに言う。
「私たちでさえいろんないやな人に合うのだから『これからお産をするママたち』ばっかり扱っていたら、せっぱつまっている人たちばかりでつらいことばかり言ってたいへんでしょうね。」

 助産婦さんが言う。
「そりゃそうだけど、そうでもないよ。だって半分はいい人だもん。それで、赤ちゃんは全員いい人だから。つまり、いい人のほうがずっと多いんだもん。」

 よしもとさんは思う。
そうなんだ、あかちゃんはみんないい人なんだ。
産まれてくるときはみんないい人なんだ。

数え切れないほどたくさんの赤ちゃんをとりあげてきたこの人が言うのだから、きっとこの世界はいいところなんだと。素直にそう思うと。
 やさしく、暖かい、心のこもったエッセイだ。

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| 古本読書日記 | 06:35 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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長野まゆみ    「メルカトル」(角川文庫)

主人公のリュスは、生後まもないある晩に、とある港町の運河で発見された。流木に乗って漂っていたところを運よく通りがかりの船員にひろわれた。もっともこの船員はその時かなり酔っ払っていて自分ではとびきりの美女が運河で溺れていると飛び込んで助けたつもりだったのだが、実際には、朽ち果てた船首女神像を陸にひろいあげただけだった。その木像のウロにどこも傷つくことなく水にぬれもせずリュスはうずくまっていた。

 そしてリュスは、田舎の救済院に預けられた。誰からも養子として迎えられず、リュスは救済院で育ち今は17歳、一人でアパートで暮らす。

 そして現在は、港町ミロナの地図収集館に勤めている。

そのリュスに地図製作技師であるメルカトルという男から手紙が届く。これをきっかけに地図収集館にさまざまな女性がやってきて、リュスは色んな事件に巻き込まれる。本名ダナエ・ルーター、ショールの貴婦人、女優エルヴィラ・モンド、その女優と同姓同名で悩んでいる女性。それからエトナ夫人に、ハナ夫人。彼女たちに振り回されリュスは驚いたり、落ち込んだり。

 そして振り回されっぱなしの最後にエルヴィラがリュスに打ち明ける。
貴婦人もハナ夫人もエトナ夫人もすべてエルヴィラであったことを。

更に、ダナエや生意気な少年ミロルはエルヴィラの子供。何とエルヴィラはリュスの母親であることを告白する。そして父はリュスのアパートの部屋の階下に住むニキ氏だと。

 ニキ氏は映画監督をしていて、大根女優のエルヴィラに3人以上の異なった人に変化ができたら、今度の映画で主役で使ってやると宣言していた。それでエルヴィラが変装してリュスの前に現れたのだ。

 それにしても、ショックだったのは、リュスがエドナを好きになっていて互いに恋心が芽生えていたのに、兄妹では恋ができないじゃないかということ。でも安心。エドナは父親の連れ子でリュスとは血が繋がってはいなかった。

 長野さんは、少年を多く登場させ、透明感のあるファンタジーを紡ぐのが特徴だったが、この作品では一転女性をたくさん登場させているように見せかけている。少し今までの作品と色調が異なる。

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| 古本読書日記 | 05:54 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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小川糸     「卵を買いに」(幻冬舎文庫)

一年間の日記風エッセイ。
初めて飼った子犬ゆりねとの交わりと小説の取材ででかけたバルト3国のラトビア紀行が中心となっている。

ラトビアというのは、キリスト教或いはイスラム教などの宗教にこりかたまっている国かと思ったら、意外に日本と同じで多神教。八百万神がいる国なのだそうだ。だからクリスマスは盛大ではなく、お正月が盛大に祝われるそうだ。

 ラトビアには十得という生きてゆくために大切にしていることがある。「ねばならない」でなく「しましょう」というように表現される。

 これを小川さん流に表現するとこうなるそうだ。
「正しいこころで、隣人と仲良くしながら、誰かのために、まじめに楽しく働いて、分をわきまえ、清らかに美しく、感謝の気持ちで、ほがらかに、気前よく、相手をうやまう」

 なかなか欲張りで、どんな人なのか想像するのが難しい。

小川さんにそんな疑問をぶつけたらこういうのだろう。
「ここにそれを体現している人がいるんじゃないか。」と自分を指して。

私たちは会社のなかで、社会のなかで、変化することを求められる。変化できない人間は落伍者のような烙印を押されることがしばしば。そんないわれなき重圧に苦しんでいる人たちに対して、小川さんがガンジーの言葉を紹介している。

「あなたのすることのほとんどが無意味であるが、それでもしなくてはならない。そうしたことをするのは、世界を変えるためではなく、世界によって自分がかえられないようにするためである。」

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| 古本読書日記 | 05:52 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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東山彰良     「ラム&コーク」(宝島社文庫)

墓石販売業を営む新納家。社長である父親の判断で中国進出を企てようとする。そのため2人息子である礼と冴は中国を学びに彼らの幼馴染の大友翔子が講師をしている大学に強制的に行かされる。

 一方密入国者の林と羅は高利貸をしている瀬川公平のもとで取り立て屋をしていた。この瀬川は中国とのお金のやりとりをする地下銀行も経営していた。ここで得る手数料は表にだせないお金のため、銀行に預金することができない。

 それで林と羅は瀬川の孫娘に近付き、隠し預金のありかを探り出し、預金を略奪しようとする。
 この林と羅、礼と冴及び翔子との戦いが作品の読みどころ。

冴と翔子の会話の中で、翔子が幼稚園のとき何になりたかったか尋ねる場面があり「ショベルカーの運転手」と翔子が答える。
これは、物語からは、浮き上がっている変な答えだと違和感を感じた。だから、この変な回答が物語のキーワードとして使われると感じた。
 多分、翔子が墓石の蔵置場で、ショベルカーを運転して、墓石を落下させ敵を押しつぶすのではないかと思った

 そして案の定、クライマックスで移動式クレーンの操作を礼に指導されながら、動かし、敵である林に墓石を落とし、墓石の下に林を潰してしまう。

 思った通りだと快哉を叫ぶ。
最後の「墓石の下に人が死んでる」という言葉に反応して「墓石の下には死人がいる」なんて当たり前のことだろうという切り返しジョークが効いている。

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| 古本読書日記 | 05:43 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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真梨幸子    「アルテーミスの采配」(幻冬舎文庫)

アダルトビデオ業界の内幕を描いたサスペンス作品。
この物語によると、現在AV女優といわれる女性は3000人。そんなにいるかなあと思うが。

 AV女優になってしまうのには2つのタイプがある。

まずは、お金がなくて、手っ取り早くお金を稼ぎたいというタイプ。

それから、この物語のように、特定の女性をターゲットにして、AVタレントを抱えるプロダクションやその周囲の人たちがつるんで罠をしかけAVに出演するように追い込んでしまう方法。

 AV女優にはランクがある。一番上位が「単体」。大がかりな仕掛けとともに、主役を張る。プロダクション専属女優となり、出演料も百万円から二百五十万円。次が企画単体。

単体女優から少し飽きられ、専属プロダクションに所属せず、あちこちを渡り歩き、主役をはりたくさんの作品に出演する。出演料は三十万円から八十万円。そしてもっとも低いランクが「企画」型。捨て雑巾のように扱われ、名前もなくその他で出演する女優。十五万円から二十万円出演料。このうちプロダクションが中抜きするから「企画」タイプは手にする収入は数万円となる。

 AV女優ランクの特徴は、ランクは落ちることはあっても、上がることは無い。単体はせいぜい維持できるのは1か月。その落ちるスピードの速さはすさまじい。

 この物語のように、もともと仲の悪い少女たちを組み合わせ、アイドルグループを作り、内紛が起こり、グループを瓦解させ、芸能界で生きてゆくにはAV出演しかないと少女を誘導する。アイドルグループを作る時点から、AV業界に引き入れる筋道を作ってある。恐ろしい。

 そして、一たび足を踏み入れると、抜け出すことが困難な業界。しかも、AVは不特定多数の人々に見られる。このため家族を失い、友達も失い孤独になる。

 それに耐えられなくなり、死ぬことを思うようになったり、いらない女優をプロダクションが裏社会とつながり女優を殺して消す。その女優には多額の保険がプロダクションによって掛けられている。この物語が真実を暴いているとしたらとんでもない業界である。

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小林信彦     「にっちもさっちも 人生は五十一から⑤」(文春文庫)

この世界で、経済評論家、経済学者ほどあてにならない人たちはいない。横文字言葉をふんだんに使い、何でもわかっているように滑舌にしゃべる。バブル崩壊、リーマンショックもその兆候はすでにおきていて、大変なことが起きるとわかっていたと結果についてだけ、ああだ、こうだと解説する。わかっていたなら、何故起こる前に言わないのか。結局何もわかっていなかったくせにと思ってしまう。

 今、日銀の黒田総裁が再任されるということが話題になっている。異次元の金融緩和政策を更に継続し、デフレから脱却し2%のインフレを達成し、景気上昇にむかわせることを実現させるのだそうだ。

 しかし、私たちは過去の経験から、経済というものは人間がコントロールできないということを学んでいる。

 2%達成したら、それをどのようにして維持させるのか、そんなことは語られたことは無い。
 2%がはじけて、5%、20%、50%のインフレが連続して発生することが無いことをどういう手段で実現するのか。

 日々の買い物をスーパーに行ってする。そのとき羽がはえたように万札がとんでゆく。そんな事態になったら、多くの生活困窮者が出現する。

 2%インフレ政策などは、眉唾政策だと思っているべきだとこの本を読んで感じた。

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