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2018年01月 | ARCHIVE-SELECT | 2018年03月

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東山彰良   「ジョニー・ザ・ラビット」(双葉文庫)

ロックのリズムに乗るようにして物語が進む。言葉もロックとハードボイルドが混成しあって生まれてくる。私のような年寄にはついてゆくこと、理解することが難しい。読んでいて結構苦しい。そして、東山独特の箴言がちりばめられる。

 リスがどんぐりを奪い合い、相手を死なせるまで、必死に喧嘩をしている。それを主役であるうさぎのジョニーが見てつぶやく。
 「愛に飢えていると同じくらい、みんな敵にも飢えている。敵ってやつは神によし、人によし、リスによし、兎にもよしだ。」

 ジョニーが子供に囲まれ石を投げつけられる。そしてジョニーがまたつぶやく。
 「人間は偉大な文明を築いたが、こじつけの天才でもある。まるで無関係な事柄をびっくりするような理屈で結び付けてしまう。」
 こんなわかりにくい言葉がたくさんでてくる。

 この物語、うさぎであるジョニーが、飼い主であるドン・コヴェーロの殺害に手を染めたラッキー・ボーイ・ボビーを新たなジョニーの飼い主にしてしまう物語。

 ジョニーは神を持つということはうさぎには無い愛を持っている人間になりたいと熱望している。それはペットとして人間によって生かされるより、そこから脱皮したいという想い。そして人間になるということまでいかなくても、飼い主から脱却して本来のうさぎになるのだと思っているのだ。

 ラッキー・ボーイ・ボビーの手に落ちるまで、色んな危険な出来事をくりぬけてきた。多くの兎や動物が殺された。人間も撃ちあいによってたくさん死んだ。そして結局仇敵であるラッキー・ボーイ・ボビーを飼い主にしてしまった、

 そのたくさんの出来事に遭遇してジョニーがわかったこと。

 「どこでも同じなのだ。シクラメン通りでも、スズラン谷でも、人間の街でも。ツキに見放された男たちの悲しみは、どこでも変わりはしない。小便のときに出ちまう屁みたいに手に負えない人生を抱え、自分を損なうことでしか世の中を見返せないやさしいやつら。」

 人間になろうとしたジョニーと社会の底辺でうごめく人たちの悲哀がここに表現されている。難しい東山の作品は、この言葉を頭にいれて読めば、わかりやすくなるかもしれない。

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| 古本読書日記 | 05:54 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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中村文則    「惑いの森」(文春文庫)

ひねりの効いた味わい深い掌編集。どれも面白いが、中でも面白いと思ったのが「老人とネコ」。

 ネコがまたかよという雰囲気で不機嫌な顔をして、老人が皿でだした魚を食べている。老人だって同じ魚を食べる。しかし老人には卵焼きと味噌汁が別についている。
 魚を食べ終わった猫は外へといつものように出てゆく。

 その日も、老人は魚を皿にもって猫にだしてあげる。しかし老人は猫が見えない場所でうなぎを食べる。年金がでた日だから贅沢をしたくなったのだ。

 老人が突然倒れる。友達もいなければ、助けてくれる人もいない。もう死ぬしかないと思ったら、涙が溢れてきた。そこへ猫がやってきて、涙を舐める。そうか、最後に猫がいてくれたかと老人は想う。その気持ちは決して悪くはない。老人は「ありがとう」と猫に言う。

 もうだめと覚悟したとき、猫が飛び跳ね孤独老人用の緊急ボタンを押す。

 老人は病院に搬送され一か月後に退院して自分の部屋に戻る。

老人がいない間、隣の住人から猫は魚よりおいしいキャットフードをもらい暮らす。しかし老人が戻ってからは、また以前のように老人がだす魚を不機嫌な顔をして食べて暮らす。

 老人が猫に聞く。
「あのとき俺の涙を舐めたのは、魚の味が薄かったからか。」と。
この最後のところが、ぐっと効いて読者ににやりとさせる余韻を残す。

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| 古本読書日記 | 05:46 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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獅子文六    「海軍随筆」(中公文庫)

この作品、2003年7月に文庫として出版される。今は静かなる獅子文六、源氏鶏太がブームで、彼らの作品が文庫となって再出版されている。獅子文六といえば、西洋文化に造詣が深く、ユーモアにあふれた市井の作品を多く発表し、ある時期ベストセラーを連発した作家だ。

 獅子文六には、戦時中海軍を舞台に書いた小説「海軍」と、国策に従って、海軍の雄姿を描いたルポ「海軍随筆」の軍隊物を書いている。当たり前だが、この2作品獅子文六の特徴であるユーモアは全く影を潜め、本来の獅子は真面目な人だと思わせる作品になっている。

 それにしても、いくら獅子文六が静かなるブームになっているとはいえ、こんな戦争高揚作品を、今出版して誰が読むと中央公論は想像したのだろうか。兵隊になり戦った人の殆どはこの世から去っているし、またまだ生きておられても、本を読むような人はごくわずか。全く奇々怪々の出版である。

 潜水艦六号艇が新湊で遭難する。その数日前外国の某国の潜水艦が遭難する。その艇を引き上げたところ、司令塔の昇降口に死体が折り重なっていた。みんな我さきに逃げようとしたのだ。

 それにたいし六号艇は、遭難した2日後に海底から引き揚げられたのだが、佐久間艇長は司令塔に、長谷川中尉、原山機関中尉は、いずれもその部署に、下士官、水兵に至るまで、舵手は舵席に、水雷手は発射官室にー最後までその職務を守り従容として死んでいった。

 獅子は熱い心情をこめ、書き記す。
軍隊というのは、考えたり、思いめぐらすことを徹底的に排除する。上官の命令は、絶対で従うしかないように人間を改造する。

 某国のほうが人間として当たり前にみえる。こんな人間改造を成しえる軍隊に空恐ろしい恐怖を覚える。

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| 古本読書日記 | 05:49 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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宮本輝   「田園発港行き自転車」(下)(集英社文庫)

たくさんの人たちが登場する。そして、結構多くの人が亡くなる。病気で亡くなったり、滑川駅で脳梗塞で倒れ亡くなる絵本作家香川真帆の父親もいる。

 亡くなった人たちも生きている人たちも、みえないところで深くつながりあい、意識していることは無いが、支えあい暮らしてしる。そして、その支えあう源が故郷富山の海に連なる田園風景にある。

 宮本はこの作品で何を描きたかったのだろうか。

甲本雪子がやっている京都宮川の小さな小料理屋にある日、80歳にもなろうかという老人がやってくる。
 雪子は今までの浮いたり沈んだりの人生、そこに現れる人々の人生と重ね合わせて語る。

その老人が、数日後また現れ、丁寧に書き写した詩を手渡し、小料理屋を立ち去る。
 そこに書かれていたのは、アメリカの女流詩人エミリ・ディキンスンの詩が日本語と英語で書かれていた。
 
 もし私が一人の命の苦しみをやわらげ
 一人の苦痛をさますことができるなら
 気を失った駒鳥を
 巣に戻すことができるなら
 私の生きるのは無駄ではない

宮本は書く。
 この詩は、人間が無駄ではない生をおくるための答えの半分を教えてくれている。重要なのはその残りの半分だ。いや、半分よりもっと大きい。残りの、七割、八割、九割・・・
 何でもない平凡な詩だと当初は思えたが、日がたつにつれて、題もわからない詩のたった五行が真実にふれているものとして雪子の心に沁みいってきた。

そして同時に読者の心にもこの詩が作品を読むにつれ心に沁みいってきていることに気付かされる。

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| 古本読書日記 | 06:27 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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宮本輝   「田園発港行き自転車」(上)(集英社文庫)

本の表紙が郷愁を心に湧き上がらせじーんとくる。滑川も入善も生地も実際にある地名だが、この作品の中心となり、表紙の絵のずっと先に小さくかかる赤いアーチ型の橋、星降る夜にはゴッホの「星月夜」の光景が浮かび上がる「愛本橋」は宮本想像の橋だと思っていたが、調べると現実に存在していた。

 富山県は、西隣は北陸の古都金沢や温泉も豊富で多くの観光客がやってくる石川県、東隣は田中角栄の列島改造の恩恵をあり余るほど受け、発展をとげた新潟県の間に挟まり、あまり知られず少しくすんだ存在である。

 しかし、一たび訪れると、雄大な立山連峰を背に、清流が満々と流れる9つの川、そこに開ける広大な田園と、その先の富山湾、素朴な風景にとりこまれ、何回も繰り返し訪れたくなる、心の故郷のような土地だ。

 千春と佑樹が、生地駅前で大きな石から湧き水が流れ出ているのをみて、中年の駅員に聞く。質問はこの駅を訪れる殆どの観光客が、必ずその駅員に尋ねる質問だ。

黒部川扇状地でいちばんおいしい水が飲めるのはどこ?

 するとその駅員さんが、岩の湧き水を指さし、あの水が2番目に冷たい水だと機嫌悪そうにして答える。駅員さんの不機嫌な表情に押されて、皆小声で「せっかく一番美味しい水を飲もうとやってきたのに。」とちょっぴり恨みをこめて言って立ち去る。

 佑樹と千春は思う。

この大岩から湧き出る水が一番と胸をはらないところが富山人であって、あの中年の駅員さんの誠実さと、忸怩たる思いがよくわかる。嘘はつきたくないし、はったりも口にしたくない。それで不機嫌な顔になってしまう。これこそ富山人だ。

 ここを読んだだけでも、富山はいいところだなあと感じ入ってしまう。

この作品の登場人物は異常に多い。それら多くの人が、それぞれ関係ないように立ち上がるが、徐々に関係が紡ぎ出され、富山に収斂してゆく。

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| 古本読書日記 | 06:25 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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NHKスペシャル取材班 「老後破産 長寿という悪夢」(新潮文庫)

現在、一人暮らしで生活している高齢者の数は約600万人。この人たちの年金収入を調査したところ300万人が生活保護基準である年収120万円未満。そのうち70万人が生活保護費受給者。ということは凡そ200万人の人が少ない年金だけでギリギリの生活を余儀なくされている。この人たちが「老後破産」予備軍で、その数は年々急速に増加している。この作品は、そんなギリギリの生活に直面している人々の実態を調べた痛々しいほどのルポである。

 東京の六本木や表参道、華やかな繁華街の中に埋もれて孤独老人が住んでいる一角がある。築50年余りの古い木造アパートに80歳を過ぎた田代さんが住んでいる。

 収入は国民年金、厚生年金あわせて月10万円。家賃6万円で残りが生活費。
取材に伺った日は年金支給日の3日前。そのとき財布をひっくり返すと小銭がパラパラ。凡そ100円。これが全財産。

 食事はどうするかと思ったら、乾そうめんが2束あり、それを茹でて食べる。この乾そうめんで年金支給日までを凌ぐ。「ああ、うめえ」と田代さんが声をあげる。

 すでに電気代が支払えないので、止められている。
洗濯は台所のキッチンでする。使うのは食器洗い専用洗剤。これで、衣服を長い時間かけてゴシゴシ洗う。テレビはもちろん無い。外とのつながりはポケットラジオのみ。

 田代さんは現役の時はビール会社に勤めていて、やがて独立して居酒屋を経営したが失敗。人なつっこく陽気でたくさんの友達がいた。しかし、金が無いので、冠婚葬祭など社会的儀礼や、誘いや集まりに出席できない。それで、友達は全員離れてしまい、全く今は孤独。田代さんは、それが一番辛いと言う。

 田代さんと同じような境遇の人を取材すると、すべての人が「死にたい」と言う。

それだけ大変なのなら、生活保護を受けたらと田代さんに言うが、田代さんは渋る。もし年金受給をやめたとき、生活保護支給が受けられなかったら、あるいはそれまで期間があいたら、完全にアウトで野垂れ死にになってしまう。そんなことは無いと区の職員は言うのだが、恐怖がさきにたち、どうしても田代さんはうんと言わない。

 田代さんが夕食のそうめんを食べ終わったところで取材班がおいとましようとすると、田代さんは玄関の扉を開けたままにしてくれとお願いする。

 取材が夏だったから、少しでも風が欲しいこともあったのだろうが、玄関を締めると部屋は真っ暗闇になる。そうなると、どこになにがあるのかわからなくなり、必要な物が手にとれない。街の灯りが必要なのだ。
 こんな田代さんのような悲惨な事例が次々紹介される。闇は深い。

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| 古本読書日記 | 06:15 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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山田詠美   「4unique girls」(幻冬舎文庫)

会社時代、ごくまれに、仕事に少し疲れて、さぼり休暇をとることがあった。そのとき、昼間ビールを飲む。皆が会社でコマネズミのように働いている姿が浮かんでくる。そんな皆を想像して飲むビールは最高の味だった。まさに至福の一杯だった。

 山田詠美さんが、尊敬してやまない亡き作家森瑤子さんのことを思い浮かべながらエッセイを書く。そのエッセイを書きおえた午後4時、ジントニックをひとのみする。至福の午後4時のジントニックと森さんは言い、山田さんも同じ思いをこのエッセイで書く。

 山田さんが森さんに聞く。
「どうして午後4時なんですか。」
「だって堅気の人だったら午後5時から飲めちゃうじゃない。」
午後3時では、ただの自堕落な酒飲み。5時からでは、働いている人たちも酒を飲みだす。だからなんといっても午後4時が大切。

 なるほどなあ。午後4時は気付かなかった。
 今は、会社も退職して自由な身。今日から午後4時のカクテルを、至福の一杯を味わおう。

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| 古本読書日記 | 06:24 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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ももこ記念日

我が家に来たのが2003年なので、祝☆15年。

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ももちゃんは、6匹目の猫でした。
先住猫のりんご・晴彦・にぁー・ちこりが去り、はなこが来て去り、ゆめことさくらが来て。。。
あれ、マルチーズのみゆきが死んだのはいつだっけ。
ともかく、JKだったねえやが三十路に突入するだけの年月が流れた。

もやは、

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このおちゃめな姿は

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見られない。

ただし、逆三角形の顔は失われても、茶々丸とは相変わらず。

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↓↓↓

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そして、すっかり若き日のツヤとスタイルを失った彼。

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↓↓↓

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猫の日前日に、ビッグサイズの骨を買い与えられたさくら。
我関せずの茶々丸。

| 日記 | 23:16 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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東山彰良    「イッツ・オンリー・ロックンロール」(光文社文庫)

私が若いころのコンサートは、皆、椅子に座って楽しんだ。いつごろからか、コンサートでは、聴衆は座ることなくたちっぱなしで体全体でシャウトして、音楽を聴くというよりコンサートに参加するというスタイルに変わった。

 それにつれて、演奏するバンドマンも奇抜な服をまとったり、どぎつい化粧をして舞台へ登場。そして、ギターを舞台でたたき割ったり、投げたりするパフォーマンスが音楽そのものより重要な価値となってきた。その昔、ロッカーとして有名だった小説家は何とバンドが売れていた時代には、ギターが弾けなかったと告白している。

 こんな状態になるにつれて、ロックは一般的なものから特異なものにかわり、大コンサート会場から、ライブハウスが主要な演奏場に変わり、一部の熱狂的な人たちのものになってしまった。

 主人公のバンドが広島でライブをする。
最初は高校生3人組。登場するや空き缶やビール瓶が客席から投げられる。その一つがボーカルに当たり、彼らは3曲だけで演奏を終了。

 その後に登場した女性バンドが凄い。なにせバンド名が飛んでい過ぎる「原爆騎乗位」。
ボーカルの大女が最初にマイクを握って、叫ぶ。「十七センチ未満はお断り!」と。

 サビの部分で
「十七センチ未満はお断り!十七センチ未満はお断り!十七センチ未満じゃ満足できないの!」と叫ぶ。熱狂した観客が前へ前へとなだれ込んでくる。

 何曲目かの間奏のとき、観客が床を踏み鳴らす。ボーカルの大女が、四つん這いになって観客のドシン、ドシンという音にあわせ腰を上下に動かす。巨乳がいい感じに揺れる。

 そのボーカル。主人公のバンドが演奏しているとき、飛び込んできて、主人公の顔を胸の谷間に埋めさせる。それでも、姿勢を変えずに主人公は演奏を続ける。

 東山が少しデフォルメして描いているとは思うが、ロックが先鋭化してマニアックになっていることを想像すると、こんなとんでもないシーンもあるんだろうなと思った。

 こんな聴衆たちが、ライブではなく、同じ曲をどんな風になってCDで聞いているのだろうか。想像ができない。

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| 古本読書日記 | 06:33 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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天使の寝顔(偽)

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↓本家
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| 日記 | 00:54 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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篠田節子    「インドクリスタル」(下)(角川文庫)

 現在中国の人口は13億8千万人、一方世界2位のインドは12億9千万人。国連の発表によると数年のうちにインドは中国を抜いて世界一の人口を持つ国なるとのこと。

 篠田さんはこの小説を書きあげるのに5年を要したと語っている。
当初は生き神さまに少女のときに奉られたロサと、日本のビジネスマンとの不思議な交流を描くファンタジー作品にするつもりで書きだしたそうだ。

 しかし、インドの村を取材。電気も一部しかなく、水やトイレは当然のように無い。しかも女性は13歳で結婚、14歳で出産するが、恋はしたことが無いという現状。この作品のように、水晶を送り出すときに、品質を確認して、出荷水晶原石を指示して出荷させる。しかし、日本に帰って送ってきた品を確認すると、指示した品と異なった品物になっている。時には、数量が欠けている場合もある。

 問い詰めると、だれも知らんぷり。さらに厳しく追及すると、「採掘現場は劣悪な環境。安賃金でしかも手掘り。病気になったり、けが人も多数発生。一個や二個、抜いたり、品質の落ちる品を送ってもいいじゃないか。」と居直る。こんなビジネス環境に日本ビジネスマンは苦戦の連続。

 そんな姿を目の当たりにして、ファンタジーは無い。もっと本質を極めたリアルな小説にしようと途中で大きく内容を変えた。

 貧富の格差、男尊女卑、地方と中央、権力と服従、資本と搾取といった対立軸、更にカースト制における差別、部族間の対立、不衛生な環境、インフラの未整備など常に問題が噴出する国。

 篠田はエピソードレベルの描写ではなく、深く問題を追及、大きく俯瞰して物語を紡ぐ。その力量には驚嘆に値する。

 中国は、民主主義を否定して、共産党独裁で国を創ってきたので発展のスピードが速かった。しかしインドは民主主義を選択した。矛盾が随所に勃発するが、社会変革のスピードは遅い。しかし、ゆっくりであっても、やがて発展した見事な国なることを祈りたい。

 そんな思いが大きくさせた小説だった。

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篠田節子   「インドクリスタル」(上)(角川文庫)

主人公は山梨県で人工水晶を開発、製造する会社の社長の藤岡。社長といっても、娘婿で実権は義父が会長として君臨し、飾りに近い社長。

 そのため、海外にしょっちゅうでて、水晶の原石を買い付ける仕事を集中して行っていた。

 藤岡の会社では、惑星探査機用の超高品質水晶振動子の開発を依頼されていて、それに必要な透明度の高い天然水晶が必要であった。これまでは、ブラジルに天然水晶を求めて鉱山を回ったが、透明度の高い原石がまとまって入手できなくなり、新たな入手先を求めてインドの小さい村にやってきた。

 この村に入るところにある市の宿泊ホテルで、売春婦兼メイドをしている少女ロサに出会う。ロサは頭脳明晰で、特に一旦目にしたことはすべて即座に記憶するという特殊能力を持つ。
 このロサが藤岡とともにもう一人の主人公となる。

 ロサは村で、生き神さまにさせられ、その後当たり前のように男たちにレイプされ、売春婦に堕ちてゆく。

 藤岡は、ロサに強い個人的シンパシーを持ち、この素晴らしい頭脳を底辺社会に埋もらせるのはもったいないと考え、何とか彼女の今の環境から脱出させることを試みようとする。

 それに対して、最初の水晶発掘の商売相手となるチョードリーが言う。
「子供の娼婦救済組織があることは私も知っている。この国の文化を知らない、欧米流の理想主義だ。再教育など役にたたない。彼女たちはいったい何を学んで故郷にかえるというのだ。そうして少女たちを故郷に戻せば、それがNGOなり慈善団体の実績になる。しかし田舎では一度売春婦になった女は、永久に売春婦だ。もどったところで村に入ることはできない。結婚はできず、仕事はなく、家族にとっては恥さらしだ。即座に追い返され、生きる場など故郷には無いことを知る。そうしてバスと鉄道を乗り継いで、また都会に戻ってきて、元の仕事に就く。娼婦は娼婦以外のなににもなれない。娼婦に限らない。人生とはそういうものだ。」

 このインドを覆っている強烈な重圧から果たしてロサは脱却できるか、そんな関心を抱いて下巻に読み進む。

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宮下奈都     「羊と鋼の森」(文春文庫)

2016年本屋大賞受賞、その他にも幾つかの賞を受賞、直木賞候補にもなり、ベストセラーになった作品。素晴らしい作品と周りの人から言われたが、貧乏だからと文庫になるのをひたすら待って、ようやく文春文庫になったので手にとった作品。

 あれだけ、周りから素晴らしいと言われていたから、さぞかし感動的な場面が描かれているのではと読み始めたのだが、北海道の田舎の村と山を越えた街の話で、そんな感動的な場面は無く、地味で静か、少し拍子抜けした。

 それでも、宮下の筆致には感動した。感情にふりまわされることなく、静謐な、誠実な筆致で淡々と物語を紡ぐ。宮下にもともと備わっていた文体が表現されているのならまだしも、この文体を意識して創っていたとしたら、とんでもない力量のある作家であり、空恐ろしく感じた。

 主人公の外村は、山の村からでてきて、ピアノの調律学校に行き、そこを卒業して、山を越えた市にある小さな楽器店で調律師となって働く。その成長物語がこの物語のテーマだ。

 この作品を読む前、中山七里の作品を集中して読んでいた。中山の音楽演奏シーンの描写は、大げさで、これでもか、これでもかと10数ページをかけ畳みかけるように描く。それに比べこの作品では1ページあるかどうかで実にあっさりしている。え?これだけと本当に拍子抜けする。

 それから、何人か外村の師匠になるような調律師が登場するのだが、外村が山育ちで、人見知りがして、孤独で友達もないのか、すべて「~さん」で表現され、「~先輩」とか名前で呼び合うところが無い。だから、登場人物すべての名前がでてこない。このあたりの宮下さんの人間関係を描く部分は繊細だ。当然外村の呼ばれ方も「外村さん」。

 そこはかとなく、せつなく、埋められない距離がある。

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栗原裕一郎 豊崎由美   「石原慎太郎を読んでみた 入門編」(中公文庫)

書評家の栗原祐太郎と豊崎由美がライブハウスに集まった参加者を前に、石原慎太郎作品を語り合う対談集。おまけに、石原を交えた対談も最後に添えられている。

 のっけから、豊崎の石原大嫌いから始まり、雰囲気は石原を評価しないという雰囲気。石原批判の対談と思ったら、段々雰囲気が変化し、石原を評価する論調に変わる。

 私は石原の小説は面白いと思う。何しろ態度が傲岸不遜でいつも人を馬鹿にしているような言説をするから、敵や嫌いな人は多い。そのため損を石原はしている。

 芥川賞を受賞した「太陽の季節」。それまでは芥川賞はそんなに有名な賞では無かった。石原のこの作品は、完全に払しょく。芥川賞を大メジャーな文学賞に変貌させた。

 中学校のとき、この作品を読み唖然とさせられた。まだ戦後の匂いがわずかに残り、貧乏暮らしが世の中当たり前のような世界なのに、あまり自分と年が変わらない青年男女が、銀座で大金を無造作に払い、バーやダンスホールで踊り狂う。愛があるのかどうかわからないのだが、肉体関係をゲームのようにもてあそぶ。豪華ヨットで葉山の海岸でクルーズをして遊ぶ。

 こんな、皆暮らしに汲々している時に、金にあかせて遊びまくっている若者がいることに信じられない思いを抱いた。

 石原の衝撃的「太陽の季節」。ただ、石原は思ったら何でも喋りたい性格。それで、やたら思いついたことを書きすぎるところが多く、少し入り込むことができなかったが、その後にでた「幸福の遊戯」は事象だけを淡々と描き、想いの表出がなく、本当に素晴らしい作品だった。

 「憎悪の狙撃者」ノンフィクションノベル。警官から銃を奪い、その警官を殺し、更に銃砲店にたてこもり、警官や民間人に発砲した事件の小説。
 この小説、法廷で、裁判長から犯人が尋問される。

 悪いことをしたと思うかの問いに「思わない」と答え、じゃあいいことかね。という問いに「いいえ」と答える。じゃあどうして人を殺したのかと聞かれ「僕はしたいことをしただけ」と答える。

 「太陽の季節」で放埒、わがままし放題の若者を彷彿とさせる殺人者の答え。こんな殺人者が今はたくさんいるように思う。

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平安寿子    「言い訳だらけの人生」(光文社文庫)

  来年高校3年生、いよいよ大学受験に突入する息子が、大震災での震災学習を兼ね、ボランティアで震災地にでかけた。両親は内申書もよくなるということで、大賛成。

 たった5日間のボランティアだったのだが、息子は帰ってくると「大学には行かない」と突然宣言する。

 「震災復興を助けながら、漁師か農業をやる。」とんでもないと言うと「研修制度があるんだよ。学歴、年齢関係なし。やる気さえあれば、受け入れ家庭に下宿させてもらって、仕事を手伝いながら覚える。少しだけど手間賃ももらえる。移住して働いている人たちにもあった。楽しいって言ってたよ。会社やめて行ったんだって。彼女もできたから、結婚して、本格的に住人になるんだって。興味があるんだったら色々教えてあげると言ってくれた。」

 「たった5日間。良いところしか見えてないのよ。勢いで決めていいことじゃないでしょ。思い付きでやってみたらついていけなくて、すみませんでしたと投げ出してしまったらむこうの人もいい迷惑でしょ。」

 「おかあさんいつも言うでしょ。あんたはいつもフラフラしていて、考えがきちんとしないって。でも今の僕は違う。やるべきことができたんだ。」

 こんなことが突然おきたら。
必ず父親は問題を先送り。
 「今日はいいじゃないか。何も今きめなくちゃいけないわけではないのだから。一晩ゆっくり考えてみようよ。」

 それで一晩考えたってなにも状況は変わるわけではない。

 だんだん子供の正論におされ分が悪くなる。それでも母親は、金切り声をあげ反対する。そんなとき父親はうっかり言ってしまう。
 「それもいいじゃないか。」と。
その後、この父親と母親はどうなるのだろうか。

 それでも、夢では食べていけないんだよね。堅実な暮らしと稼ぎが右手で、夢や希望は左手に。これでバランスをとる。作品ではこんな風に書かれるけど、バランスをとることも難しいんだよね。

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永榮潔    「ブンヤ暮らし36年 回想の朝日新聞」(新潮文庫)

時々、雑誌や新聞の広告にあなたの「自分史」を書いて本にしませんかという宣伝がのる。男というのはナルシストが多く、自分は人生本当に頑張った、よくやったことを自分だけに留めておいてはならない。世間の人たちにこんなに頑張った人がいたことを伝えたいと思い込む。それに便乗した商法である。すべての経費はもちろん自分史を書く著者がもつ。

 正直、そんな本は読んだことはないが、つまらないだろうなと想像はつく。
普通は費用を全部自分で持たないと本などつくれないのだが、例外な男たちがいる。私こそスクープした記事を書き、世の中を動かしてきたのだと自負している新聞記者たちだ。

 この本。朝日に歯向かって、自分を貫き、朝日のだめになったところを鋭くついた本なのかと思って手にとった。そういう部分もないわけではないが、全くの自分史だった。
 正直言って、よくこんな本を出版したものだと思ったのだが、このつまらない自分史が「新潮ノンフィクション」大賞受賞作品だと解説で知って、驚愕した。

 著者永榮がかかわった雑誌で日本の大学ランキングをメディア発信度により順位付けをし毎年発表していた。このメディアに朝日と対極にある「正論」「諸君!」を除外した。そんな雑誌に論文を発表するような学者は価値が無いからということからだ。あるとき、そういう雑誌も含めてランキングをつけたところ順番が大幅に変わった。なるほど新聞社によって世論調査が異なることはあるのだという理由がわかった。

 今年も先日まで、日教組が行っている教研集会が開かれていた。今はどうかわからないが、学習テキストに共産党の機関紙「しんぶん赤旗」が全面的に使われているそうだ。そのことを記事で書こうと永榮がしたところ、そんなことは書かなくてよいと上司から否定された。もしこれが自民党の機関紙「自由民主」だったら上司は否定しただろうかと永榮は書く。

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東山彰良    「ファミリー・レストラン」(実業乃日本社文庫)

今まで、東山の作品は殆ど読んだ経験がなかった。ブックオフで10冊仕入れて、これから集中しようとこの作品から読みだした。

 強烈なスプラッター、ホラー小説。まあ、それは何とか受け入れられるのだが、中に大量の箴言が差し挟まれる。この箴言になかなかついていけない。キリストからプラトン、ヘーゲルにジェームスディーンの「理由なき反抗」にまでいたる。

 これから読む東山の作品が同じ調子だったらとてもついていけそうもないと心が暗くなった。

 「命より大切なものを持ちきれなくなったとき、手をつないでいたいと思えるだれかがそばにいてくれるのは、何てすてきなことなのだろう。すべての人にとどく物語が存在しえないように、すべての人にとどく音楽が存在しえないように、すべての人にとどく愛もまた存在しえない。それでも、わたしたちは伝えることができる。伝えつづけなさい。」

 個性重視。それが才能。と最近はいわれ、個性的でない人間をひてい排除する風潮が強い。しかし、個性ということよりまず、他人の主張をしっかり聞いて、手をつなげることができなければいけない。それがあっての個性である。伝える言葉を持てない人では個性は生きてこない。

 こんな重いことばが作品には羅列される。

「ふたつの正しさが衝突したとき、最後にものをいうのはどちらがより正しいかというのではなく、その正しさを貫きとおすためにどれだけ間違ったことをする覚悟があるかということなのかもしれない。もしこの世に正しいということがあるとすればその覚悟だけじゃないかしら。」

 うーんわかるようなわからないような。とにかく頭が重い。

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原武史   「松本清張の『遺言』」(文春文庫)

タイトルだけを見て、私も熱心に読んだ清張への文学、思想評論かと思い手に取ってみたら、清張の未完の遺作とされている、大日本帝国と新興宗教団体との戦いを描いた「神々の反乱」についてだけの評論のみでがっかりした。作者は、「神々の反乱」と「昭和史発掘」を重ね合わせて読み込むことによって、未完の「神々の反乱」の結末はどうなっていただろうかを想像し、読者に提示しようと試みている。

 大正天皇の妻貞明皇后が大正天皇が亡くなり皇太后となり、女官をたくさん引き連れて青山東御所に引っ越す。この女官は大宮派といわれ、昭和天皇の皇后を世話する女官を皇居派といわれる。貞明皇太后は昭和天皇が嫌いで対立する。そして昭和天皇の弟秩父宮をいつか天皇にしたいと思っている。そしてそれぞれについて世話をする女官同士も対立する。

 それにしても、女官とはどんな仕事をしているのだろう。前に本で読んだが、天皇、皇后というのは自分で服を着脱しない。風呂で体も自分では洗わないとのこと。これらを女官たちがするのだと。いったいどんな世界なのだろうか。

 現在でも行われる宮中祭祀は、元始祭(一月三日)、昭和天皇祭(一月七日)春季皇霊祭、春季神殿祭(春分の日)、神武天皇祭(四月三日)、秋季皇霊祭、秋季神殿祭(秋分の日)神嘗祭(十月十七日)、新嘗祭(十一月二十三日、二十四日)、それに歳担祭(一月一日)孝明天皇例祭(一月三十日)、祈年祭(二月十七日)香淳皇后例祭(六月十六日)明治天皇例祭(七月三十日)賢所御神楽(十二月中旬)、天長祭(十二月二十三日)、大正天皇例祭(十二月二十五日)これに毎月三回行われる旬祭がある。
 具体的に何をされているのかわからないが、本当に多い。

これに、身の回りの世話をする女官に囲まれ何も自らはしない。これが本当なら、雅子皇太后がノイローゼになり体調がおかしくなるのはうなずける。

 南北朝時代。現在は北朝は正当性が無いと否定されているが、戦争直後、自分こそ北朝の子孫で天皇に即位することができるという人がたくさんでた。熊沢という人がじぶんこそ正当天皇で熊沢天皇と唱えた。これをアメリカも押す。面白いことが過去にはあった。

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| 古本読書日記 | 06:14 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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猫に小判

あなたに私~♪ という歌詞の曲が昔アニメにあった。ポコニャンかな。

猫に
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小判
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前の首輪は、さくらが破壊しました。引っ張ると取れる安全首輪だから、取れて、噛みほぐされ。
イオンで新しい首輪を購入。

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ちなみに、茶々丸の首輪は写真展で買ったものが、まだ無事です。
毛に隠れてよく見えませんが。

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気持ちよさそうだこと

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足置き状態(;^ω^)

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妹の不満

鼻黒さんの後ろに注目

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寒いと潜る豚の図

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めくっても、少しくらいなら出てこない

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セクシィのかけらもない

エネルギーのあり余っているさくら(11ヶ月)は、たまに不満げ

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中山七里   「魔女は甦る」(幻冬舎文庫)

「さよならドビュッシー」で「このミスが凄い」で大賞受賞する2年前に、賞に挑戦したが、落選した作品。

 冒頭からすごい。埼玉県所沢市神島町集落から少し離れた沼地から、死体が発見される。この死体が異常で、肉片と骨がバラバラに飛び散った見るも無残な状態、思わず顔を背けたくなる。この死体の身元はドイツに本社のある製薬開発販売会社スタンバーグの研究者である桐生隆。

 更に、同じ時期、都内で少年による無差別殺傷事件を含め3件の殺人事件が発生する。そして、生後4か月の嬰児失踪事件、この事件を捜査にあたっていた警察庁から派遣されていた西條課長補佐が失踪。

 スタンバーグ社は戦前に日本進出し、ヒットラーとも結託していた、どことなく生物化学兵器などを開発していそうな、不気味な会社。その会社を中心に引き起こされる幾つかの事件。

 読者の期待に応えるような、社会派ミステリーにふさわしい真相が暴かれるのではと期待していたのだが、桐生殺害、嬰児拉致殺害、西條失踪殺害、すべての犯人はカラスだったというのが結論。その結果にあっけをとられたのと同時にガックリしてしまった。

 真相を暴いた、槇畑刑事と毬村美里のカラスとの格闘に多くのページを割いて、クライマックスとして盛り上げることに中山は躍起となっているが、白けたなあという想いが強く残った。

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中山七里    「さよならドビュッシー前奏曲」(宝島社文庫)

「このミステリーが凄い」で大賞を受賞した「さよならドビュッシー」でいずれも死んでしまう脳梗塞で倒れ片手を残して半身不随となった香月玄太郎とその介護士綴喜みち子が活躍するミステリー短篇集。最後の作品に名ピアニストで名探偵の岬が登場している。

 中山の作品には、犯人が犯罪を実行するように手引きしたり追い込んだりする、或いは自ら手を下さず、被害者が死んでしまうようにする黒幕が存在する事件を扱った作品が多い。

 玄太郎が脳梗塞で倒れ、緊急手術を受ける。その結果、言語障害と片手しか動かない障害が残ってしまう。
 それで、機能回復のためのリハビリをすることになる。玄太郎は言葉を取り戻すリハビリと、プラモデルを組み立てるリハビリをすることになる。時間はかかるが、玄太郎の執着心とやりきる気概から、旧日本軍の戦艦を創り上げる。その、作成過程で言語も取り戻す。

 玄太郎と同じ時間にリハビリをする同年代の患者領家壮平がいた。壮平は殆ど機能しない両足を使って懸命に歩行回復訓練をする。そして、この訓練には必ず息子の壮一夫婦がつきあって、懸命に応援する。その真剣な応援姿勢と頑張る壮平の姿に病院関係者も感動する。

 そして今日は、廊下の端から端までの10mの歩行に挑戦する。壮平は何回も崩れ落ち、そのたびに補助棒をつかもうとするが、壮一夫婦が棒につかまってはいけない、自分の力で立ち直り歩けと声をあげ声援する。崩れるたびに、手でなにかの合図をする。そして、あと1mのところで、壮一夫婦の声が一段と大きくなる。
 「あと少し」
 「あと少し」
 「あと少し」
そのときゴールに張ってあるテープを玄太郎が掴み投げ捨てる。

 玄太郎が言う。
「壮平さんは、壮一夫婦に殺される」と。玄太郎と壮平はモールス信号で互いにコミュニケーションをとっていた。

 壮平は京都で脳梗塞に倒れ、京都の病院で手術と治療を受けていた。その主治医が亡くなり、玄太郎と同じ名古屋の病院に入院、リハビリを受けていた。

 実は壮平には狭心症の持病があったが、壮一の妻は病院事務をしていて、診断書を狭心症なしに書き換えていた。
 狭心症の患者に、きついリハビリを繰り返せば、必ず発作がおき亡くなってしまう。

壮一夫婦は、金融先物取引で失敗、それを弁済するため、壮平の遺産と保険金をあてようとして、殺人計画をたてる。

 リハビリ中に病院で死ぬのなら、自らの手をくださず人殺しができ、犯罪とはならないからである。

 結構、世の中にはこんな犯罪にならないようにみせかけた犯罪がたくさんあるのではと思わず思ってしまう。

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| 古本読書日記 | 06:17 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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山崎マキコ   「さよなら、スナフキン」(新潮文庫)

物語の多くは、人々の悩み苦しんでいる姿を描きながら、その度合いには違いはあるが、主人公が回りの人々にも支えられながら成長し、人生の将来にむけて毅然と立ち向かっていくというような物語か逆に、そんなチャンスも与えられず、ひたすらはいずりまわりながら、人生の底に堕ちてゆく2つのスタイルに分けられる。

 この物語は、そのどちらにもはまらない、実にいらいらさせる、不思議な物語だ。主人公の大瀬崎亜紀は、大学は2つめ、3浪と同じ状態、しかも大学は誰もが認める3流大学農学部の学生。

 とにかく自分ほどダメな人間はいなくて、臆病者で、生活感が殆ど無い。どうしてこんなに自分はダメなのだろうと夜はじくじく思い悩み、明け方疲れて眠りにつき夕方起き上がるという自堕落生活を繰り返している。

そんな彼女が、バイト先の編集プロダクション会社のシャチョーに恋をする。シャチョーは、亜紀の生きざまがユニークと思い、小説を書いてもらい出版しようと亜紀に提案する。亜紀は何を書いていいか思いつかない。それで、社長の言う期限が迫り、やけくそになって自分の経験を書く。

 それがあたりベストセラーになる。しかも続編も同じようにベストセラーとなる。しかしシャチョーは、印税は社長のものにして、亜紀はアルバイト代6万円で日夜執筆、仕事に酷使される。これでは、過労死するのではと思いシャチョーの会社を去る。

 こんな作家を出版界が放っておくわけがなく、あちらこちらの出版社から、作品を出版させて欲しいとの依頼が破格の条件である。しかし、亜紀は自分は人生から落ちこぼれたダメ人間であると思い込んでいて、面談にいっても、作品創作の約束はせず、回答は後日ということにして出版社を後にし、その後回答をすることは無い。

 普通の物語なら、ここがチャンス。この機会を何としても掴むんだと意気込んで、人生を切り開いてゆくとなるのだが、こんな機会を亜紀は放棄する。どうしてと読者をいらいらさせる。しかし、このいらいら感は読んでいて決して違和感を覚えない。

 それは山崎さんの、徹底したアホと同化した、飛んでる表現に踊らされている私を含めた読者がいるからだ。

 「ねえ、大瀬崎の学校でどれだけばかなのさ。」
 「もうすっげーばかですよ。ウチのクラスの金島君は、ウェイトリフティング部の選手なんだけどぉー。椅子に高さを調整するねじがあるでしょう、そのねじをひねらずに、ちからまかせに高さを上下させようとするんですよ。で、顔を真っ赤にして、おかしいなあ、どうなっているんだろうと首をひねってるんですよ。」

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中山七里    「贖罪の奏鳴曲」(講談社文庫)

この作品の犯人は先天的に重い脳性麻痺を持って生まれた幹也。その幹也が弁護士御子柴に犯人だと暴かれた時に言う。

「表情も変えられない。喋れない。片手しか動かせない。人は絶対にこういう人間を疑わない。心は5歳児のように純粋で、世の中の悪に一点も染まっていないと思い込む。障碍者は誰も彼も純粋で、神様に一番近い存在と思い込む。馬鹿だよね。それも一種の差別だということに気がつかない。気づかないふりをしている。」

 こんな幹也をトリックを暴いて、犯人だとしてしまう作者中山には驚きを感じる。これだけの障害を持っている人は、いつも行動をだれかに見られ、支えられて生きていかざるを得ない。ということは、幹也の犯行を間近でみている人がいた。幹也の犯行を見て見ぬふりをしているか、犯行を誘導したり、幇助した人間、本当の悪がいることを暴いたストーリーを創り上げた中山の奥深さに、感服した。

 作品は、御子柴弁護士が、豪雨の中、殺人被害者を車で運び、入間川へ遺棄する緊張した場面からスタートする。

 そして渡瀬、小手川刑事は御子柴が犯人ではないかと追及する。しかし御子柴には鉄壁のアリバイがある。
 だから、このアリバイを渡瀬、小手川コンビがどう突き崩すかということに興味を持ち読み進む。しかも、御子柴は、中学生のとき女の子を殺害、少年院で長く過ごす。その少年院の描写に物語は多くの部分をさく。

 だから、どうしても御子柴を中心に読んでゆく。しかし、御子柴は犯人ではない。
何故、あんなに御子柴描写に多くを割いたのか。

 御子柴は悪徳弁護士のように言われ、とんでもない弁護士費用を請求する。その一方で金にもならない国選弁護人も引き受ける。

 人殺しをした経験を持つ人間は、被害者や被害者家族にいくら謝っても無意味。それより、生きることに追い込まれている社会的弱者を救済しつづけることが使命と御子柴は信じる。このことこそ御子柴が背負った十字架なのだということを作者中山は言いたいのだ。それでタイトルも「贖罪の協奏曲」となる。

 しかし、物語は贖罪という部分がやや薄く、浮かび上がってこないのは惜しかった。

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| 古本読書日記 | 05:41 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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角田光代     「世界は終わりそうにない」(中公文庫)

エッセイと三浦しをんや吉本ばなななど著名人との対談を収録している。

メールで(笑)と入れることがしばしばある。この(笑)にはいろんな意味と用法がある。なごむ場合もあり、自嘲する場合もあり、照れの場合もある。この(笑)があるとないとではニュアンスが大きく異なる。

 「体調を崩しました。」とだけ書けば、かなり意味は深刻な様相をはなつ。しかし「体調をくずしました(笑)」とすれば、「私ったら軟弱よね、でもすぐ治ったから心配無用よ。まったくトホホだわ。」(笑)をいれただけで、これだけのニュアンスが伝わる。

角田さんがアフリカのマリを旅して帰国。その報告をスリランカを旅していたときに知り合った友人に英語でする。
 で、はたと気付いたのだがこの(笑)が英語でどう表現したらいいのかわからない。

友人から、「新婚旅行だったの。」とメールがくる。「新婚旅行ではありません」の後に(笑)をいれ、何で新婚旅行でマリに行かねばならないの。それはないよね。そんなところへ新婚旅行になんか行ったら、旅行中ずっと喧嘩ばかりしていることになるよ。そんな意味をこめて(笑)をいれたかったのだが、わからないから「新婚旅行ではありません。」と紋切り型に答える。

 すると友達から「新婚旅行にはマリをえらばないよね。」返信があり末尾に「ha!」と文字がついている。
 「笑」は英語で「ha!」なのだ。

しかし「ha!」には、照れや恥じらい自嘲のニュアンスがない。乾いているし、どこか冷たい。それで角田さんは返事の末尾に「ha ha ha !......」と記して「笑」のニュアンスを出そうとした。でもやっぱり「笑」の感じがでない。

 「笑」に救われていることがおおいと角田さんは心底思う。メールでは大切な文字だ。

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| 古本読書日記 | 05:54 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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山田詠美     「賢者の愛」(中公文庫)

山田詠美が谷崎潤一郎の「痴人の愛」に触発され、谷崎に挑んだ、山田版「痴人の愛」。

谷崎の「痴人の愛」では、主人公譲治が、西洋の女性のようになるよう徹底的にナオミを調教しようとするのだが、ナオミのほうが譲治より老獪で、逆に譲治がナオミに翻弄されてしまうが、この作品では、調教、翻弄する側が徹底して直巳を調教し、それがどんな結末を迎えるかをストーリーとしている。

 主人公は裕福な家庭、父親は編集者、母親は医師の一人娘の真由子。その真由子の家の隣に2歳年下の百合が引っ越してくる。そして2人は親友となる。

 この百合がとんでもない女性。高校生のときに、真由子の父と肉体関係を結ぶ。そしてあるときその場面を真由子に見られる。驚き悲観した父親は自殺をする。

 さらに、真由子の恋人だった作家の沢村諒一を奪い、しかも子供まで身ごもる。生まれた男の子、真由子の希望が入れられ直巳と名付けられる。

 ここから、真由子が22歳年下の直巳を徹底的に調教して百合への復讐が始まる。じらす、引き付ける、そっけなくする、あらゆる心理的方法を駆使して直巳を手玉にしてゆく真由子。だけど、真由子と直巳が肉体関係を結んだのはたったの一回。

 それでも、そこに行きつくまでの、調教が山田節によりぞくぞくっとさせる。

しかし、一番恐ろしいのは百合。夫、澤村諒一が結婚しても真由子と関係をしていることに全く動じないどころか、息子直巳もいけにえとして淡々と真由子の前に差し出す。

 物語には百合、直巳との親子関係を示すシーンは全く描かれない。

真由子は直巳を手玉にとることで、百合に復讐をしていると思っているが、百合はその上をゆく怪女。その執念のすさまじさに感服する。

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| 古本読書日記 | 05:52 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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中山七里    「七色の毒」(角川文庫)

ミステリー短篇集。この中で驚いたのは「白い原稿」という作品。

出版社にポプラ社という会社がある。絵本や児童文学で有名な会社である。出版業界が縮小するなか、出生数が減少し、それにつれて児童用の本の市場も縮小して苦境にたたされている。それで一般文学に活路を見出そうとしてポプラ社小説大賞を創設する。この賞金額が破格で2000万円。確か芥川、直木賞は500万円だったことに比較しても。

 不可思議なことなのだが、この小説大賞4回まで受賞作品なし。そして第5回めで初めて大賞作品がでる。それがイケメン俳優だった水嶋ヒロの「KAGEROU」。私は水嶋ヒロの演じるシーンや作品は全く知らなかったが、名前は知っていた。

 それは、美人で人気のあった歌手絢香と結婚していたからだ。それで、世の中の流れ、ポプラ社の宣伝にひっかかり「KAGEROU」を購入。内容は殆ど忘れてしまったが読んだ記憶はある。

 私のようにひっかかった読者がたくさんいたようで、何と「KAGEROU」100万部の売り上げを記録した。

 このポプラ小説大賞。他の文学賞が、作家や書評家によって選ばれるのだが、何とポプラ社社員により選出するといううさん臭さがあった。

 それで、週刊誌が水嶋ヒロの受賞は、落ち目になった俳優が作家に転進しようとする水嶋と話題を作りベストセラーを実現したいポプラ社の思惑が一致したできレースではなかったかと記事を書いた。ポプラ社は2000万円の賞金もださないことを水嶋に了解させていたなどと言われた。

 その記事をそのままに、「白い原稿」で中山は描いている。それはないよなと思ったのは、妻が2作目を書けない主人公に悲観して、主人公を殺害してしまうところ。綺香がそんなことをするわけない。

 最近は水嶋ヒロもCMなどで起用され、それなりに活躍している。水嶋と絢香には可愛い娘が誕生して、夫婦は仲良く暮らしているとのこと。小説とは正反対の状況。よかったねヒロそして絢香。

 それにしても中山は凄い。ポプラ社は文庫も出版しそれなりの力のある会社。その会社を敵にするような作品を書くのだから。

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朱川湊人   「今日からは、愛の人」(光文社文庫)

仕事も家もなく、ネットカフェを渡り歩き、時には公園で寝泊まりして暮らしている主人公の亀谷幸慈。ある日女性にカツアゲされ弱っていた男を助ける。この男、過去の記憶を喪失していて、更に変なことを言う。「カツアゲしていたのは悪魔で、自分は元天使だ」と。

2人は一緒に行動しだす。そして、池袋でシメ子という女性に声をかけられ、シメ子が住んでいる家で一緒に暮らすようになる。その家は「猫の森」と言われていて、すでに、そこにはイカツイ男マロ、逆にポッチャリしている奥山ことオク、そしてイケメンのミチヤが住んでいた。そして亀谷とカツアゲされた男を含め6人が共同生活をするようになる。

 この作品ここまでがテンポも良く、ユーモア満載で面白いのだが、ここからが現実にはありえないパラレルワールドの世界が展開。話のテンポも落ち、やや重く、前半と同じ作品とは思えない調子となる。

 高田真咲という尾崎豊をモデルにした歌手が登場する。この尾崎をマロが殺してしまう。その場面、懺悔の部分は、本当にそう思えるかなあ。少しできすぎじゃないかと眉をしかめる。

 カツアゲされた男、ニックネーム、ガブリエルは天使、彼の力で、4人の男は現実に住んでいた世界をぬけだし、猫の森に住むようになった。主のシメ子は、売春をしていて、そこでのトラブルで殺されバラバラにされたが、同じ別世界で生きている。

 シメ子と4人の男は、現実には悲惨な生活を強いられ、友達も一人もいない。それが実際の世界で殺人を起こしたり、被害者になってしまう原因となっている。

 ガブリエルはそんな5人を別世界に集め、友達を作ったり、家庭を味合わせてあげる。
そんな味わいはまた元の世界に戻れば消滅するのだが、そのぬくもりはどこかに残っていて、幸せな暮らしを「猫の森」で経験できたと彼らの心にも温かさが生まれる。

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湊かなえ     「物語のおわり」(朝日文庫)

絵美は小さな山あいの町に生まれた。家は「ベーカリー ラベンダー」というパン屋をしている。山の向こうには何があるだろうと空想しながら、小説を読んだり書いたりすることが大好きな子だった。

 同級生で転校してきた道代も小説が好きで、道代は町をでて、大流行作家の松本流星の内弟子となる。
「ラベンダー」には、毎日パンを買いに来る高校生の公一郎がいた。公一郎は絵美に恋して、高校をでるときに絵美に結婚しようとプロポーズをしてそのまま北海道大学に入学する。

 2人は遠距離恋愛を育み、公一郎は北海道大学を卒業して、絵美と結婚してパン作り職人となる。

 一方道代は松本流星の家で作家をめざしてがんばるが、編集者と恋愛に陥り、流星の怒りをかい追い出される。流星は絵美の書いた作品を読み、才能があると認めて東京にでてくるよう勧める。

 絵美は、そんななか、生涯をパン屋で過ごすことが辛くなり、東京に行きたいと夫公一郎に訴える。
 しかし公一郎は松本流星が女性狂いであることを評判で知っていて絵美を引き留める。それでも絵美はやっぱり作家を夢見て、ある日家を飛び出して駅に向かう。その駅には公一郎が待ち伏せしていた。

 これが、実は絵美の書いた物語。物語は結末が無く突然終わっていた。物語のタイトルは「空の行方」。

 この「空の行方」が偶然人の手に渡る。
そして、その原稿が、人生に悩んだり、行き詰まっていて、それをのがれるために一人旅で北海道にきている人たちに手渡される。

 妊娠三ヶ月で癌が発覚した智子、父親の死を機にプロカメラマンになる夢をあきらめようとする拓真、志望した会社に内定が決まったが自信の持てない綾子、娘のアメリカ行きを反対する水木、仕事一筋に証券会社で働いてきたあかね・・・・。
 人生の岐路に立たされている人たちは、突然終わった物語の続きを懸命に考える。そして、考えた結末はそれぞれだが、考えた結末を土台にして将来に向かってあゆみだそうとする。

 そして最後の物語が絵美によって孫の萌に語られる。登校拒否になっている萌は今絵美おばあさんと北海道を旅している。

 あの時、駅で待ち伏せしていた夫公一郎。絵美をパン屋に連れ戻したのか。そうでは無かった。流星のところに行くのは危ない。大学時代友達だった男が出版社の編集者をしていた。彼に言づてしてあるからそこに行きなさいと住所と電話番号が書かれた紙を渡される。

 しかし、その日、2人はパン屋にもどった。それから何年かして作品を持って2人はその編集者のもとを訪ねた。そして作品は本になり出版された。しかし全く売れなかった。それが絵美の最初で最後の本になった。

 「作家の能力よりパン作りの能力のほうがあったんだ」と絵美はしんみり語る。
 素晴らしい物語の作り手だと湊に対し感じた作品だった。

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中山七里    「いつまでもショパン」(宝島社文庫)

  この作品びっくりするのだが、あの美鈴のピアノの先生である岬洋介がなんとショパン ピアノ コンクールに挑戦する。

  そのピアノ コンクールが開催されるポーランドのワルシャワでは、大統領専用機が爆破され大統領が殺されたり、コンクール会場で刑事が殺され指10本がもぎりとられたり、コンサート会場が爆破されたり、公園で爆破があったり、テロ事件が頻発する。そしてその犯人は通称「ピアニスト」というやつ人間で、ワルシャワに潜伏している。

 各国から賓客もきているし、会場が狙われているということで、コンクールを中止すべきという世論が沸騰したが、審査委員長であるアダム カミングスキの「テロには屈しない。コンクールは継続する。」という強い宣言のもとコンクールは続行される。

 岬は予選を勝ち抜き、8人とともに決勝まで進む。
決勝前日、ワジェンキ公園を散策していると、10歳の少女マリーと出会う。そのマリーが大爆発音とともにふっとばされ、片足を失い死んでしまう。

 大爆発音や殺人は、岬の持病である突発性難聴を引き起こす。
コンクール決勝で岬は課題曲であるピアノ協奏曲第一番を弾く。しかし、爆発音とマリーの無惨な死体が浮かび、途中で突発性難聴を発症する。演奏は乱れ、途中で榊は演奏をやめる。

 それで榊は舞台を降りるかと皆が思っていたら、わずかな静寂のあと、課題曲では無い「ノクターン」を弾きだす。それは、観客や審査員のためではなく、すべてはマリーのために奏でる。感動した観衆や審査員は立ち上がって長い拍手をするが、当然コンクールでは選外となる。

 当時アフガニスタンは戦争状態にあった。そしてポーランドは連合軍として軍隊を派遣していた。コンクール決勝日、アフガニスタン国境のパキスタンの町チャマンからアフガニスタンに入り食料品などを販売するバスがタリバンに拘束され人質となる。

 解放する手立てもなく、どうしようもないと思っていたときに、ネットを通じて、ショパンコンクールの榊の「ノクターン」戦場に流れる。その「ノクターン」が流れている間、タリバン兵士は空を見つめて何もしない。その間にバスはパキスタンに戻り、人質は解放される。

 その日、国際放送でパキスタン大統領から「ノクターン」の響きが人質を救ってくれたと奏者岬に感謝の意が表される。

 少しやりすぎと思わないではないが、クライマックスは読者を感動させる。

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