東山彰良 「ジョニー・ザ・ラビット」(双葉文庫)
リスがどんぐりを奪い合い、相手を死なせるまで、必死に喧嘩をしている。それを主役であるうさぎのジョニーが見てつぶやく。
「愛に飢えていると同じくらい、みんな敵にも飢えている。敵ってやつは神によし、人によし、リスによし、兎にもよしだ。」
ジョニーが子供に囲まれ石を投げつけられる。そしてジョニーがまたつぶやく。
「人間は偉大な文明を築いたが、こじつけの天才でもある。まるで無関係な事柄をびっくりするような理屈で結び付けてしまう。」
こんなわかりにくい言葉がたくさんでてくる。
この物語、うさぎであるジョニーが、飼い主であるドン・コヴェーロの殺害に手を染めたラッキー・ボーイ・ボビーを新たなジョニーの飼い主にしてしまう物語。
ジョニーは神を持つということはうさぎには無い愛を持っている人間になりたいと熱望している。それはペットとして人間によって生かされるより、そこから脱皮したいという想い。そして人間になるということまでいかなくても、飼い主から脱却して本来のうさぎになるのだと思っているのだ。
ラッキー・ボーイ・ボビーの手に落ちるまで、色んな危険な出来事をくりぬけてきた。多くの兎や動物が殺された。人間も撃ちあいによってたくさん死んだ。そして結局仇敵であるラッキー・ボーイ・ボビーを飼い主にしてしまった、
そのたくさんの出来事に遭遇してジョニーがわかったこと。
「どこでも同じなのだ。シクラメン通りでも、スズラン谷でも、人間の街でも。ツキに見放された男たちの悲しみは、どこでも変わりはしない。小便のときに出ちまう屁みたいに手に負えない人生を抱え、自分を損なうことでしか世の中を見返せないやさしいやつら。」
人間になろうとしたジョニーと社会の底辺でうごめく人たちの悲哀がここに表現されている。難しい東山の作品は、この言葉を頭にいれて読めば、わかりやすくなるかもしれない。
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| 古本読書日記 | 05:54 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑