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2017年10月 | ARCHIVE-SELECT | 2017年12月

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黒柳徹子    「トットひとり」(新潮文庫)

NHK第一号の専属テレビ女優の一人だった黒柳徹子。多くの親しかった友達や関わりのあった女優、男優が亡くなり、唯一いまだに現役で活躍している黒柳が、亡くなったひとたちとのエピソードを交え、長いテレビ、舞台生活を描く。文章も、暖かく、面白く、素晴らしい珠玉のエッセイである。

 森繁久彌と黒柳が最初に出会ったのがNHK。黒柳が20歳そこそこ。森繁は40歳を少し過ぎたころ。1960年にNHKで「パノラマ劇場」が始まり、森繁と黒柳が共演する。二人でセットに並んででてゆくとき森繁がボソっという。「ねえ、一回どう?」。

 それから40年以上が過ぎ、森繁90歳のときにも、あるパーティの席で、森繁がやってきて「ねえ、一回どう?」と声をかけてくる。40年以上もの間、ずっと「ねえ、一回どう?」黒柳に誘いをかけてくる。

 森繁は本当にすけべだったようだ。
舞台の地方公演のとき、俳優はみんな同じ宿に泊まる。座長の森繁を寝かしつけるために、有名な女優以下総出で、布団をとりかこんで、洋服を脱がせてあげて、寝間着を着せ、「さあさあ、先生」なんて言って、ご機嫌をとって、甘やかし寝かしつけていた。黒柳だけ、何もしないでつったっていると、森繁が「君、可愛くないね」と言う。

 森繁は女性と夜を過ごすことが当然だと思っていたようだと黒柳は言う。

向田邦子が亡くなってから毎年開いていた偲ぶ会の20回目。そのパーティ会場で隣に座った森繁が、たくさんの有名な女優を指さし、「あの人も」「あれも」「そっちの人も」と言う。

 黒柳も驚く。

「徹子の部屋」の一回目のゲストが森繁だったので、25周年記念のときも森繁をゲストで呼ぶ。その時森繁は八十八歳。

 耳も遠くなり、気力もでない。殆ど生で放映するのに、森繁は「どんなお墓にする?」と繰り返す。黒柳が違う話題にふっても、すぐに「お墓ありますか?」とだらけてなってしまう。あきらかに、時間を流して適当にすまそうとしている。これでは番組にならないと、黒柳が叱責を受けること覚悟で、本番中に森繁を思いっきり叱る。

 「森繁さんしっかりやってもらわないと困ります。森繁さんがいかに素敵で魅力ある俳優であるか伝える番組なんです。これじゃ放送できません。ちゃんとしてください。」
 当然森繁から怒りが飛んでくることを黒柳は覚悟する。

すると森繁がすっと立ち上がり、「萩原朔太郎さんの詩をやってもいいですか。」と言い、朔太郎の「利根川のほとり」を、浪々と、滔々と、よどみなく、感情を込めて暗誦してみせた。

 圧巻だった。黒柳は涙がでてとまらない。森繁も涙をおとす。森繁の顔は輝き、若々しくなった。スタジオも感動が溢れ静まり返った。

 最高の「徹子の部屋」ができあがった。

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| 古本読書日記 | 05:56 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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坂東眞砂子    「花の埋葬」(集英社文庫)

夢と現実が混沌としている世界を描いた短編集。

 相談があるからと、実家から呼び出された主人公は有休をとり、故郷に帰って来た。駅から日に2本しかないバスに乗り、実家のある村にむかう。そのとき高校時代の同級生の晴子にバスの中で会う。

 窓から外を見ると5,6人の男が歩いているのが見えた。「あ、由紀夫くんだ。」と主人公が言う。

 由紀夫君は、小学校から高校までずっと一緒。毎日のように口喧嘩をしていた。互いに好きだったかもしれなかったが、恋愛関係一歩手前でずっとすごした。そして大学。二人は別々となり関係は無くなった。

 晴子が言う。「何言ってるの。由紀夫くんであるわけがない。由紀夫くんは5年前に亡くなっているの。」

 主人公の私はそれはおかしいと思う。この5年間、実家に帰る度に、由紀夫くんをみている。死んだなんて変。でもゆっくり考え直してみると、由紀夫くんは私と同い年だから35歳。でも出会う由紀夫君はいつも小学生から高校生の姿。

 と思って、隣の晴子をみる。高校生姿だったはずの晴子が、みたこともない中年のおばさんに変わっている。そういえば、晴子は中学生のとき、海で泳いでいて溺れ死んだのだ。征服を着て葬式にでたことを覚えている。

 それどころか、母親が言っていたが、今年の春から、バスが無くなったはず。私は今どこにいるのだろう。そんな時、次が降りる停留所だとバスが案内する。

 こんなシュールな短編が収録されている。

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坂東眞砂子    「快楽の封筒」(集英社文庫)

男と女の関係を「性」という視点から濃密に描く、官能小説短編集。

それにしても、坂東の女子大生についての描きぶりが実に切なく極端。
人生の選択が正しかったか、間違いだったかわかるのは、時間の問題。何年もかけてじわじわと認識する場合もあれば、選択直後に発覚する場合もある。

 主人公初美の場合は後者だ。
巴女子大は京都にあり、関西では名門の女子大だ。こじんまりとして、伝統があるなどの謳い文句に魅かれ初美は入学した。

 男という目障りな生き物の存在しない世界で、女子大生たちは、のびのびとしていると思い込んでいたが、現実は、水を絶たれた植物のように元気がなかった。男の目から遮断されていた女たちは、実に冴えなかった。西日本各地から集まってきた才媛たちのなかには、よくみると綺麗な顔立ちの娘も何人かいた。しかし、女同士の魅力競走から外れてしまったせいか、みんな野暮ったいのだ。キャンパスは老嬢の園のようだった。

 知的競走という点では、逆に女同士のなれ合いが先にでて、活発な学問の場というよりは、お茶飲み友達の延長のような会話しかなかった。

 女子大というと、男たちは例外なく、ピチピチの女子大生を想像して、心をときめかせる。
こんな男の夢を破壊するような坂東の描きっぷりはショックである。

 こんな女子大生は、少数派で、多くは、活発にキャンパスライフを謳歌していると信じたい。

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| 古本読書日記 | 05:52 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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藤岡陽子    「トライアウト」(光文社文庫)

新聞記者をしていた主人公の可南子。スキャンダルに見舞われ9年間の内勤のあと、突然辞令がでてスポーツ担当記者として前線にでることになる。

 この作品のタイトル、トライアウトというのはプロ野球の球団からクビを宣告された選手が、再度球団に雇ってもらおうと受ける入団テストのことを言う。この入団テストにかって、甲子園の優勝投手でプロに入ってからもそれなりの成績を収めた深澤投手がいた。

 この物語は、深澤投手、主人公の可南子、それに加えて可南子の一人息子孝太の人生再生物語である。

 深澤はトライアウトでどこからも声がかからなかった。それでも野球をやめることができない。黙々と練習しながら、野球への道を進もうとする。しかし、閉塞感に揺れる。

 可南子は取材中の片岡選手に寄り添うように歩いていたことを週刊誌に撮られる。しかも、その片岡が八百長で、撮られた翌日に警察に捕まる。更に、可南子は身ごもっていることがわかり、片岡の子ではないかとマスコミに思われ大スキャンダルになる。それで第一線の記者の地位を奪われ内勤となる。普通は新聞社を辞めるところなのだが、辞令を受け入れ働き続ける。

 そんな中、孝太が生まれる。可南子はその孝太を宮城県の地方都市の実家に預け東京で仕事を続ける。孝太は生まれた時の体重が4kg以上ある、大きな子。小学2年生であっても、3年生を含めても一番身体が大きい。2年生から地元の野球チームに入団している。いつも、元気に練習、試合と明け暮れて野球が好きで楽しくてしょうがないと思われる毎日。

 可南子が実家に帰ったある日、練習試合があって、孝太が絶対勝つと張り切ってでていったので、孝太の野球姿を初めて可南子は見に行く。試合になって、選手をみるとあれほど張り切ってでていったのに孝太がいない。

 見学に来ていた父兄のひとに聞くと、何と孝太はグローブを持ってライトフェンスにへばりついている。ボールがフェンスを越えたとき、外へ出て球を拾ってくる、ときに民家に球がはいったら謝る係をやっていると父兄から教わる。
 監督から徹底的に嫌われ、無視されているのだ。それでも野球を続ける。それは深澤が孝太に言った言葉が支えになっているから。

 「辛い時はその場でぐっと踏ん張るんだ。そうしたら必ずチャンスは来る。チャンスが来ない人は辛い時に逃げる人なんだ。」

 著者藤岡さんは、久しぶりにであった表現力と自分の言葉を持った作家だ。たくさんのページで思わずぐっと迫ってくる言葉に出会った。素晴らしい作家になると感じた。

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| 古本読書日記 | 06:14 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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坂東眞砂子    「異国の迷路」(新潮文庫)

坂東の原点ともいえる初期の短編集。

今主人公はミラノの駅で出張から帰る夫を待っている。反対側に列車が止まっている。ロンドン発イスタンブール行きだ。その列車をみて20年以上も前、バックパッカーとして、ロンドン行きの列車で一人で旅行していたときのことを思い出す。

 ローザンヌから乗ったロンドン行き列車は少し混んでいた。席を探していると、アラブ人夫婦だけが入っているコンパートメントをみつけ、夫婦の了解をとって一緒のコンパ―トメントで席をとる。

 長い時間がかかる。それでポツン、ポツンと話がはじまる。

夫が「女性一人の旅行などアラブでは考えられないことだ」と言う。では、奥さんは毎日何をしているのかと聞くと、一日家にいて夫を待っている。夫が帰ると身の回りの世話をして、夫の仕事のことや、愚痴や泣き言を黙って聞き続ける。それが、妻の喜びであり、幸せな夫婦なのですと言う。

 イスラム教では4人まで妻を持っていいことになっている。この夫も妻以外に別の妻を持っているという。妻の了解を得て別の妻をもつ。「でもそれじゃあ奥さんも嫉妬や不満がでるのでは。」と奥さんに向かって言うと、妻が喋ろうとするのを夫が引き取って

 「夫にも暮らしにも満足している妻は、嫉妬などという思いがでることは無いのです。」
夫が妻をみると、そうなのよという風にだまってうなずく。
 そこから色んな話題がでるが、喋るのは常に夫だけ。うるさいくらいにペラペラしゃべり続ける。その間妻は静かにずっと黙っている。

 そして今、よくしゃべる、うるさい男だったなあと思い出している最中、列車が止まり出張をしていた夫が降りてくる。そこから主人公は、夫不在の最中あったことや、思いつくことをのべつまくなし喋る。

夫は全く口がはさめず「うん、うん」を繰り返すだけ。
 主人公は、夫というのは妻のお喋りを黙って聞いているのが一番とそれ以来思っている。

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小川洋子 平松洋子  「洋子さんの本棚」(集英社文庫)

小川洋子、平松洋子、2人の洋子が、「少女時代の本棚」「少女から大人になる」「家を出る」など、女性の人生に沿った5つの段階が設定され、それぞれの時代で2人が読み、強い印象を受けた作品を互いに持ち合い、語りつくした対談集。

 2人の洋子さんは対象的だと思った。平松さんは、女性経営者のようで、常に多くの人に囲まれ、颯爽とされ、取材も積極的にこなし、旅にもしょっちゅうでかけ、アクティブなパワフルライフを送っている雰囲気が強い。

 小川洋子さんは、これとは正反対。驚くのは友達は殆どいないと言う。取材もまったくといっていいほどしない。旅にでかけることも殆どない。一日中家に閉じこもった生活をしているのだそうだ。よくそれで、あれほど、広がった世界、魅力的な物語を次々作れるものだと感服する。

 小川洋子さんには、たくさんの蔵書があり、いつも本で旅をしている。そこで、たぐいまれな想像力働かす。そして、本から掬い取る言葉の感性が素晴らしい。
 「残りのページが少なくなってくると寂しくて読み終わりたくないという気持ちになる。でもやっぱり先を読みたいという気持ちになる。」

 アンネの日記で、アンネがまだ隠れ家に入る前、友達の少女ジャックと「赤ちゃんはどこから生まれてくるのか」話題になる。実はジャックのほうが詳しく知っていて、胃袋からに決まっているじゃないと断言する。
 「完成品がでてくるのって、原料をいれたところからに決まってるじゃない!」

素晴らしい回答。私など同じところを読んでもさっと通り過ぎるだろうが、小川さんの掬い取る感受性に思わず大拍手をしたくなる。

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磯崎憲一郎   「電車道」(新潮文庫)

ある男は家族を捨て洞窟に住み付く。その後、私塾を始め、それが私立学校に発展してゆく。ある男は選挙にでて八票しかとれず、ムササビの幻影と恋の痛手を抱えたまま、電鉄会社を興し発展させてゆく。

 電車道というのは、相撲でわき目も振らず立ち合い後一気に相手を押し土俵の外にはじき出す。そのぐいぐい前に進んでゆく道を言う。

 二人の男が、何も無かった高台を、ぐいぐい電車道を走るように、一直線にどんどん多くの人が住み、行きかう町に変容させてゆく。その変容を、実にうまくはまるエピソードを駆使して、この100年をさっさかと楽しく描きだす。

 日本の最初の鉄道は明治5年開業の新橋―横浜間の29km。国鉄は機関車方式に固執していたのに対して、私鉄は、開業当初から電化方式を起用していた。電車は市街地から始まり路面電車だった。

 そんなものは当時の人は見たことが無かったから、運転手は人が線路にいるとみれば、しょっちゅう止まる。電圧も安定しなかったから立ち往生や暴走、運転手の脇見運転。人間や電車同士の正面衝突が頻発。馬車の時代は、そんなことは無かったのに、エレキの電車が始まり、危険が大幅に増えた。

 そこで、何と電車の前を走る告知人という人が登場し、「電車が来るぞ!」と路上の人たちに教えていたのだそうだ。

 昭和7年には、ヨーヨーが大流行した。授業をさぼってヨーヨーで遊ぶ小学生がでたり、霞が関の官庁街をさっそうと歩くスーツ姿の右手にはヨーヨーがぶらさがっていた。女子社員も上司の目を盗んで給湯室でヨーヨーをしていたし、酒場で酒飲みを楽しんでいる客もみんなヨーヨーをぶら下げていた。

 こんなエピソードをおりまぜながら、電車は都会の郊外をどんどんつきすすみ開発される。

 最後はバブル時に桐箱に入った一丁1000円の豆腐が売り出されたというニュースが読み上げられる場面がでてくる。このアナウンサーは読み上げていることが本当のことなのかわかって読んでいるのだろうか。

 それぞれの時代の風景が楽しく眼前に展開した愉快な作品だった。そして、最近はあまり読むことができない、文学の香りがした。

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夏川草介    「神さまのカルテ0」(小学館文庫)

信濃大学医学部を卒業した主人公栗原一止は、信州松本が大好きで、今は地域随一の総合病院本庄病院で研修医として働いている。指導医は大狸先生こと板垣先生。

 そんな栗原のところに、嘔吐が激しく本庄病院にかつぎこまれ救急部で診て、そのまま病状が改善されるまで一時入院の患者がかつぎこまれた。大狸先生は担当として栗原を指示する。

 患者は国枝正彦、72歳。

翌日には、体調も回復し、退院しても良い状態になったが、念のため胃カメラの検査をする。栗原研修医として初めての体験。カメラに真っ赤になった病変が写る。栗原は胃潰瘍と診断したが、大狸先生は「馬鹿、胃がんだ。」と答える。

 しかも、更に検査を行うと、身体のあらゆるところに転移していて、とても治療が望める状態ではないことがわかる。大狸先生は栗原が担当なのだから、患者への説明は栗原がしろと命じる。

 国枝さんは妻とともに懸命な栗原の説明を聞き、抗がん剤治療を開始する判断を一週間待って欲しいと答える。しかし、一週間たっても国枝さんは外来にやってこない。

 心配になり栗原は、国枝さんの家を訪ねる。国枝さん夫妻は恐縮する。そして一か月後に娘が結婚する。その晴れの舞台にどうしても出席し、娘を送り出してあげたい。しかしガン治療を始めると、出席できない。だから、一か月後から治療を始めたいと栗原に言う。栗原が一か月治療を止めると、その間に病状は悪化して、結婚式にでられないこともあるというが、それでも構わないと国枝さんは言う。

 国枝さんは、かっては教師をしていて、大の読書家。家にもものすごい数の蔵書がある。

そして言う。
 人間はそれぞれに一つの人生しか歩めないが、本にはいろんな人生が書かれている。本を読めば、たくさんの人生を経験する。それにより、相手のことがわかるようになる。相手のことがわかるということが優しさである。優しいということは弱いといことでなく、相手の気持ちがわかることなのだ。そして栗原にきっぱりと言う。

 「あなたは優しい」と。

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| 古本読書日記 | 06:10 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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綿矢りさ    「ウォーク・イン・クローゼット」(講談社文庫)

人間、特に男女は、外見、スタイルで交際できるかどうかが決まる。まあ、外見は自分自身についているものだし、仕方がないかと諦めることもできる。

 20代前半までは、着ているものには頓着しなくても、恋愛はできた。しかし、アラサーにもなると、そうはいかなくなる。

 男はもちろん、仕事で勝ち抜くにも、外見ではなく服装で勝負する。

「働いて手にいれた服に(ウォーク・イン・クローゼットの中で)囲まれていると、いままでのがんばった時間がマボロシじゃなかったんだと思って、ほっとする。この部屋でドアを閉めて考えごとしてると、まだやりたい仕事がいっぱいあるって、むくむく野心がわいてくる。私にとってきれいな服は戦闘服。」

 そう、私たちは服で武装して欲しいものをつかみとろうとしている。

どこか変に思う。本当の中身は服の向こうに存在するのに。自分を知ってもらうためには、服という大きな壁がたちはだかる。
 でも、しかたない。だって恋人のユウヤだってレストランでサーブしてくれている女の子についてこんな風に言う。

 「さっき水注いでくれた子、化粧も薄くて童顔で可愛かったけど、穿いてるデニムのサイズが間違っているね。腰骨のあたりの生地が浮いてるよ。仕事着とはいえ、ぶかぶかでみっともない。ジャストサイズはあと一インチ下だな。元デブなのかな?」

 山のように散財して洋服を買い込み、毎日勝負する。女性は本当に大変だと感じた。

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| 古本読書日記 | 06:05 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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国境の南、太陽の西

アルフィーの曲に「運命の轍 宿命の扉」というものがあり、歌いだしが「国境の南へ太陽の西へ」です。
夢のかけらを摑むとか、鏡に向かって叫ぶとか、彷徨う仔羊だとか、アツい感じの歌詞。
村上春樹の本でそんなタイトルがあったと、ずっと引っかかっていたのですが、ようやく最近読みました。

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そんなにアクが強くなく、現実から浮きすぎておらず、長編にしては読みやすかったです。
初期の作品で、村上節みたいなものが薄いのかと思ったら、「ノルウェイの森」や「羊をめぐる冒険」よりは後で、そんなに初期ってわけではない……かな。
なんとなく、白石一文の作品にいそうな主人公でした。
「彼女こそ運命の女性」と思う人と再会し、妻子を捨てる決心までしてしまう男。
そう言ってしまえばそれまでですが、情熱的というより理屈っぽい感じが。

「誰ともうまくやれないからこそ、きみとだけはうまくやっていける気がする。
結局、僕は君としか一緒にいたくない。
君だってとっくの昔に気付いている。僕と同じように、初めて会ったその瞬間に気付いていたはずだ」
「どんなことだってそうだけど、家族ってのも、僕に言わせれば『さほど』ってやつだね。
自分から楽しもうとしない限りどんどん醒めていくんだ。
妻も子供も自分の人生を賭けるほどじゃないっていう、そのごくごく当たり前の真実を知るのが、とにかくみんな怖い」
これが、白石一文の「翼」。

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「僕は、ある種の人々が大雨や地震や大停電をひそかに愛好するように、異性が僕に対して発するそのような強くひそやかな何かを好むのだ。
百人のうち一人か二人だけを極めて激しく引き付ける匂いも世の中には存在する。
それは特別な匂いなのだ。それが自分のための宿命的な匂いであるということが僕にはわかった」
「他人の目から見れば、あるいはそれは申し分のない人生に見えたかもしれない。
僕は彼女たち(妻と娘2人)には本当に何ひとつ不満がなかったのだ。家庭生活にだって何の不満もなかった」
(すべてを捨てて女性と行くのではなく)「この月の表面のようながらんとした、生命のない世界に踏みとどまったのだ」
これが本書。

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ちなみに、結末は全然違います。
「翼」くらい徹底的な悲劇だとさっぱりしますが、ドラマチック過ぎるかもしれない。
本書のように謎を残して終わるのもいいですね。

| 日記 | 00:25 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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坂東眞砂子    「葛橋」(角川文庫)

3篇収録の中編作品集。
本のタイトルにもなっている「葛橋」が最も面白い作品なのだが、エロチック過ぎて書評にはできないので次に面白い「恵比須」をとりあげる。

 主人公の寿美は、子ども2人と舅、姑、夫との6人家族。舅は元漁師。夫は役場に勤めていたが変わっていて役場をやめ今は漁師になっている。寿美は、漁港近くにある食堂にパートで勤めている。

 ある日寿美が食堂にでかける途中で、西瓜ほどの大きさで白っぽく、くねくねした形をしている卵の白身のようなものを拾う。
 家にもちかえると、舅がそれは鯨の糞だという。何だ糞かと思い捨てようとすると舅が捨ててはいかん、神棚に飾れという。鯨の糞は、恵比須と言われ家に幸福をもたらすものだからという。

 娘の克子の学校で3者面談がある。何ごともなく平穏に終わったとき、机に置き去りにされている「原色鉱物図鑑」が寿美の目に留まり、担任の清原先生が理科の先生だったことを思い出す。

 それで寿美が得体のわからない拾い物について清原先生に尋ねる。清原先生は物の形状など詳細を寿美に聞く。そしてそれは「龍延香」ではないかと言う。「龍延香」はレア物資で、高級化粧品に使われる。値段は金と同じくらいすると言われていると言う。

 家に帰り夫の勝彦に言うと、金と同じなら1億円、少なくても5千万円はするだろうと夫が言う。あれを買おう、贅沢しようと夢は広がるのだがどうやって売り先を見つけたらいいかわからない。

 化粧品会社に問い合わせする。するとキロ100万円が相場と言われるが、化粧品会社は個人からは購入しないと言う。キロ100万円。寿美の拾った物体は重さ8.7KG。ということは870万円。一億円からはどえらく下がった。それでも大きい金額である。

 寿美は骨董店が引き取ってくれるのではと思い高知市の骨董店に片っ端から電話する。3軒目の巴屋で反応がある。それで、物体を軽トラに積んで巴屋までやってくる。巴屋の主人は引き取るが値段は70万円という。1億円が70万円に萎む。

 寿美が文句を言う。巴屋の主人が言う。そんなに高値で売りたかったら自分でパリに行き売ったらと言う。主人は自らのコレクションの一つとして購入するだけ。

 ショックを受けた寿美は、高知市に住んでいる短大時代の友達と70万円が手に入るのだからと散財し、夜も飲み歩いて、友達の家に泊まる。

 朝方家から電話があり、夫の勝彦が海で遭難したことを知る。
慌てて帰宅すると、岩に夫が打ち付けられ亡くなっていると消防団員から言われる。何と自分は罪深く、悪い人間だと思う。

 うちひしがれていると、漁協の勤め人から、勝彦が5000万円の保険に入っていたことを知らされる。思わず寿美に笑みがこぼれる。

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貫井徳郎    「神のふたつの貌」(文春文庫)

神に会いたい、神の声を聞きたいと希求してやまない、牧師の子に産まれた早乙女輝。将来は父の後をついで牧師にならねばならないが、この世は殺戮はなくならず、悲劇がくりかえすにも拘わらず、神は何の手立てもしないし救いの手もさしのべない。神は信じるが、その存在については懐疑的な気持ちがぬぐえない。

 そんな中幾つかの死や、殺人がある。その核になるのが早乙女父子だが、本文中早乙女と書かれているところが、父をさしているのか主人公の輝をさしているのか判然とさせないで、読者を翻弄する叙述トリックが駆使される。

 そこが、わかった途端、謎解きはたやすくなり、ミステリーとしての興味は殆どなくなる。

貫井は、この作品を書くにあたってキリスト教を深く研究したか、それとも信仰深い信者ではないかと思った。そして、解明はされないが、キリスト教への疑問について真相にかなり迫っている。

 父が祖父から継いだ教会に朝倉という風来坊が、住まわせてくれとやってくる。一時期住まわせてやったが、信者からの強いクレームによりアパートヘ移る。そこから、母親との密会がはじまり、ある日朝倉の運転する車が交通事故を起こし、朝倉本人と同乗していた母親が死ぬ。

 母親の突然死はどういうことなのか。何故神は救ってくれなかったのか。一体死とは何なのか。輝は悩み追及する。

 そんな時に、古くから教会に通っていて、最も信仰が深い久永が答える。

交通事故の直前まで、母親はまさかこんな形で死を迎えるとは思っていなかっただろう。それでも母親自身がこんな死を望んでいたんだ。

 それから、アダムとイブの間違いにより、人間は神と異なる肉体と感情を持つようになり、神の持つ霊の波動と相容れないようになった。神の持つ波動と十分な交換ができなくなった我々はこの世の真理を把握することは難しい。この世に無意味な生は決して存在しないのだが、それを人間が理解することは難しい。それから、死というのは決して永遠の別れではない。輝の母親は肉体から脱し、再び神の御許に還っていったのだ。だから母親の死を悲しむことはないんだ。母親は消えてなくなったわけではないのだから。今は神の御許で、現生の役割を終えて、幸福感に浸っているのだ。

 ひたすら神を信じ、熱い信仰で、神の波動にできるだけ近くなるようにすることがより平和で幸せな生活を送ることになるようだ。でも、ぼんくらの私には全く理解できない。

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坂東眞砂子     「岐かれ路」(新潮文庫)

月別に描かれている江戸時代の浮世絵春画に坂東が触発され綴った12の短編集。

八代将軍吉宗の時代。朝廷の権力は根こそぎはく奪され、本来朝廷行事である大嘗祭などいくつかの行事も幕府に阿りやっと許可されるありさま。しかし、世の中、百姓は重い年貢の取り立てに喘いでいるなど、決して幕府は安泰ではない。左大臣八辻重遠のところにまで、年貢の軽減を直接訴えてくる百姓もいる。

 それで、徳川時代もそれほど長くは続かないと考える同志の公家もたくさんいる。

今日は、陣定の日。月に2,3度開催される公家の会合が行われる。朝廷が権力を持って入れば、国の統治や行政について決定する日である、しかし、今はそんな権力は全くないので、下世話の話や愚痴で終わる、公家たちが屈辱を感じる日である。

 この会議で、いつもは前に陣取り、あれやこれやとうるさく発言する右中将立科明胤が後方に控え隠れるように座っている。そういえばここ数回も陣定を欠席している。

大原にでかけ百姓の苦しい現状を調べると言ってからの欠席である。
 しかも面を上げずにじっと下をむいたまま。

重定がせっついてもなかなか顔を上げなかったが、しつこく命令するとやっと面をあげる。

驚くことに左頬に3つの生傷がある。2筋は頬を斜めに横切り、1筋は耳の付け根から下顎までしゃくれるように刻まれている。刀で切られた傷ではない。

 実は大原を御幸しているとき、出会わせた百姓のぬいを押し倒し、無理やり襲おうとする。当時は身分の違いがあり、このような場合女性は抵抗をしないのだが、ぬいは懸命に抵抗。

 大声をあげ、ひるんだ明胤の右頬を爪を立て思いっきり引っ掻いた。

重定が、明胤の傷をみて言う。
 「大原で一揆に遭遇したのか」
そして笑いながら
 「右中将は、間違った相手に戦さを仕掛けたとみえるな」と。

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坂東眞砂子   「鬼に喰われた女」(集英社文庫)

平安時代の怪奇、女性のエロスを「今昔物語」から題材をとり、10篇からなる短編集。

少し前に京都の伏見稲荷に観光で訪れた。山のようにある赤い鳥居を潜り抜けた。
今もそうかもしれないが、二月の初午の日となると、京の老若男女、貴賤の者から高貴のお方まで誘い合って伏見稲荷を参詣する習わしになっている。

 平安時代のある初午の日、近衛府に使える舎利人、尾張兼時、秦武員、茨田重方の3人が稲荷詣にきている。この中の重方は、全く信仰心はなく、参拝しながら舌をだしている男。そして、これはと思える女性にあったら、見境や恥ずかしさもなく声をかけ口説こうとする。

 その日も参詣途中、顔は笠の虫垂れに隠れて見えないが、その姿恰好から、えもいわれぬ色気と美しさが放たれていた女がいた。重方は、そこに魂を抜かれたように立ち尽くす。兼時、武員はまたはじまったとして先を行く。

 重方は女に惹きつかれるように近付く。すると、女が言う。

 「奥様をお持ちのようなお方が、行きずりの出来心でおっしゃることなぞ、誰が本気で耳を傾けるものでしょうか。」

 今でもこんな場面は世間では普通にあり、それに対し重方の物言いも常套句のようになっている。
 「ああ我が君。おっしゃる通り、とるに足らない女はおりますが、その顔ときたら猿のようで、心は物売りのようにさもしいやつでございます。女の家を出たいのはやまやまですが、後の心の綻びをつくろってくれるかたもございませんので、どなたかこころが魅かれるかたがあらわれるまで待っていたのでございます。」

 そこで、稲荷大明神に聞いてもらっても構わないが、やっと願いが届いて今を迎えた。と懸命に訴えて、住所を交換しようとする。しかし、女は連れなく、男をそでにする。

 それで、今度は稲荷大明神に自分の声を女に届けてほしいと切願する。そして、重方は女の胸の谷間に烏帽子を這わせる。すると、女は顔面をひっぱたく。その時、重方が見上げて女の顔をみる。

 なんとその女は彼の妻だった。
 そこから重方は、地べたに顔をすりつけ、ひたすら言い訳と謝罪を繰り返す。しかし妻はその懐に小刀を隠し持ちそれで重方を刺し殺す。

 血がこぼれるが、不思議なのだが地面が血だらけにならない。よくみると、白狐がこぼれる血をすっている。
 そして血が流れるのが終了すると、狐も女も忽然と消える。白狐が化かしていたのである。

世の中には、こんな場面が繰り返されている。胸に思い当たる人がいるようでしたら、伏見稲荷には行かないことをおすすめする。

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藤野恵美   「猫入りチョコレート事件」(ポプラ文庫ピュアフル)

  主人公の真島は、住んでいる江角市のタウン誌「えーすみか」のバイト編集者。このタウン誌の編集長が、真島にかける電話の第一声がすごい。
 「真島、テメエー、サボってんじゃねえだろうな!」
これで編集長は女性だ。

 それほど深刻でもない事件の推理短編集。

 真島が小林少年役で、中国人服を着ている胡蝶が名探偵役。

  「えーすみか」の編集部に女子高生の坂井美樹がやってくる。タウン誌の「あの人に会いたい」というコーナーを使いある人を探して欲しいというお願いを坂井がする。

 坂井が捨て猫を拾う。しかしアパートでは飼うことはできない。それで、近所にある空き家で隠れて飼う。

 その空き家が7年前火事になる。燃え盛る火の中、見知らぬ人が、火事の中に飛び込み捨て猫をダンボール箱に入れて救い出してくれた。その勇気ある人を探し出して欲しいというのがお願いだ。その人は宅急便の猫又運送の制服を着ていたことがわかっている。

 名探偵胡蝶は、即犯人は当時空き家の地区の配送を担当していた猫又運送の後藤であることを指摘する。しかも、後藤は当時起きた銀行強盗一億円強奪の犯人であることも指摘する。

 後藤は銀行から一億円を強奪。置き場所を捨て猫を飼っている空き家にする。その空き家が突然火事になる。びっくりして一億円を持ち出そうとして空き家にゆく。しかし消防放水で万札がびしょびしょに濡れ重くてもちだせれない。

 それで万札を地中に埋め、段ボールに捨て猫を入れ、火事現場からぬけだす。どうして段ボールを持ち出したか。猫又運送の伝票が貼り付けてあり差出人が後藤になっていたから。

 こんな軽くてわかりやすい小説が並んでいる。

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坂東眞砂子     「13のエロチカ」(角川文庫)

主人公のケイコは女性誌の編集者。

彼女には同棲しているフリーの編集者がいる。彼はフリーなので、殆ど家で仕事をしている。だから外出が中心である主人公にかわり、家事全般を引き受けてくれる。更に同じ種類の仕事をしているので気楽にお喋りもできるし、相談にものってくれる。お互い一緒にいてほっとするいい関係、友達のような関係を築いている。

 そんなこともあって、いい友達関係という特集を雑誌でくみ、3人の有名人にインタビューをする。その最後の仕上げが、作家、仏文学者、43歳の滝嶋琢彦で、今、彼のマンションを訪問している。肯定的回答を期待していたところ、少し変わった回答を滝嶋がする。

 「あなたのおっしゃる友達夫婦が成立するには、確かに男女の性差が希薄になるのが前提なのでしょう。・・・性差関係が希薄になってもたらされたことには、良い面、悪い面両方あるでしょう。良い面は家庭内にあって、男尊女卑の関係が薄れてきたことでしょう。悪い面は性的欲望の減少です。友達夫婦が増えているということと、セックスレスが増えていることには関係があるでしょう。・・・
 男と女はある程度距離が必要なのです。男として女として距離が無いと、刺激がないし、性的欲望も生まれない。ところが、友達というのはその距離が無い、刺激が無いことを意味する。性的欲望を感じないということになるのです。」

 そういえば、ケイコとフリーライターの同棲にも、性的関係はあるが、間遠くなり、快感も3回に1回しか感じない。残りの2回も飽いて途中でやめ、そのまま眠るようになってしまっている。

 男女同権、それはセクハラ非難や女性の権利実現の要求がどんどん強くなるということ。そしてその先にはセックスレス社会が待っているのかと思わせる短編集だった。

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北村薫     「太宰治の辞書」(創元推理文庫)

教科書で「走れメロス」を知り、それから「人間失格」を読み、太宰中毒になる。こんな経路を経て、太宰ファンは作られていくのだと思うが、この2作と同じくらい人気のある作品は「女生徒」ではないかと思っている。

 確かに読んでいて、楽しい作品ではあるが、いい年こいた大人が、思春期の女の子に扮して文章を紡ぐ。よくも恥ずかしくないものだと少し敬遠気味になる。

 まあ、それにしてもこれだけ女の子になり切って書けるものだと感心していると、この作品で、「女生徒」にはそのモデルとなる作品があることを知った。

 太宰のファンだった女学生有明淑が太宰のところへ日記を送る。この日記を太宰流にアレンジして「女生徒」という作品にして太宰は本にしている。

 この日記と女生徒は並べると、ほとんど同じ。これを太宰オリジナルの作品といっていいのか今でも論争があるようだ。

 太宰ファンの又吉直樹が、「女生徒」についてこんなことを言っている。

 太宰の魅力は何といっても一行で読者を引き付けるところ。
「いわばつかみというものをもっている作家さんじゃないかな。例えば女生徒に、これ、あの、『キュウリの青さから、夏が来る』という言葉がでてくる。これもう野菜のCMでやってもおかしくないですよね。」

 この部分、有明淑の日記では

 晩御飯、お肉を焼いたりして綺麗に作ってみる。キウリのサンバイもおいしくできた。『キウリの青さから夏が来る』といいたいような青さだ。
 初夏の青味は、胸がカラッポになる様な、うずく様な色をしている。

これが「女生徒」になると

 食堂でごはんをひとりで食べる。ことし、はじめてキウリをたべる。キウリの青さから夏が来る。五月のキウリの青味には、胸がカラッポになるような、うずくような、くすぐったいような悲しさがある。

 うーん。どうだろう。「悲しさがある」というところが文章で強く効いているからやはり「女生徒」は太宰の作品なのだろう。

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| 古本読書日記 | 06:17 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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アンソロジー   「わかっちゃいるけど!ギャンブル」(ちくま文庫)

つい最近、40年以上の時間を越えて、大学時代のゼミOB会があった。その時に同級生から「お前はパチンコばかりしていたなあ」と言われた。正直、そうだったかなあとも思ったがよく見ていたな、そんなふうに思われていたのかとも思った。

 手動ハンドルでパチンコ玉をはじく。指にパチンコだこができる。それがいつしか自動ハンドルに変わる。この時も驚いたが、一番驚いたのはチューリップ台がフィーバー台に変わったとき。

 あんなお金が飛んでいくおっかない台はやれないとか、パチンコは釘をみて技術で打つものとか言って、なかなかフィーバー台を打つことはなく、羽根物専門。しかし、あるとき思い切ってフィーバー台を打つ。それっきり羽根物台とはおさらばとなる。

 朝10時の開店前に並び、開店と同時に店に走ってはいる。そして、これぞと決めた台をタバコか車のキーで確保。自動販売機でコーヒーを買いやおらパチンコ玉を弾きはじめる。

 だらだらとパチンコ屋で過ごし店の外へでる。午後3時から4時。往来にはビジネス鞄をかかえて人々が行き交う。ビルの建設現場で働く人たちがいる。どこもかしこも皆、働いている。

 夕空がまぶたに沁みる。パチンコ屋と全く違った世界がそこにある。こんなことをしていていいのかなあと深い寂寥感が襲う。勝っても負けても、何だかこの寂寥感を無性に抱きしめたくなる。

 こんなエッセイを書いている末井昭は雑誌「パチンコ必勝ガイド」の編集長を創刊時からしている。

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桂望美    「僕とおじさんの朝ごはん」(中公文庫)

主人公の水島健一。妻子と別れ、ケータリングを職業として暮らしている。40過ぎの中年。
口癖は「面倒くさい」。スーパーで買ってきた総菜を並び替えてのケータリング。いかにもやる気ない。

 作品のタイトルとなっている僕がなかなか登場しない。中盤を過ぎるころやっと登場。
それが英樹。13歳で何回も手術を受け、病院以外の暮らしも知らないし、小学校2年のとき少しの期間学校へ通ったが、それ以外殆ど学校へ行ったことがない。

 健一が腰痛で、リハビリセンターに通っていたとき、この英樹とであう。

そして2人の交流が始まる。そこから、健一が変化してくる。英樹のために、心をこめて料理を作る。そして食欲の細い英樹が美味しいと言ってその料理を食べてくれる。英樹によって健一が成長する。40歳を過ぎても人間は成長できることを教えてくれる。

自殺願望者がSNSで知り合い殺人に発展する事件が最近起きた。死は人間への否定で、生きることに人間としての価値がある。そんな硬直的な思いが、この作品を読んでいて正しいのだろうかと考えてしまう。

英樹はあっちで病巣がみつかる、こっちで病巣がみつかるということを繰り返しすでに10回も手術を受け、今でも病院にいて、また別の場所で病巣がみつかり、手術をすることを医師より告げられる。

「僕は欠陥品なんだよ。僕は廃棄すればいいのに、部品を交換したり、傷んだコードをカットして何とか長持ちさせようとしてもさ、限界があるんだよね。・・・もう僕は僕を処分したい。そういうこと。・・・・
皆勝手なんだよ。医者たちもそうだよ。何度も手術で助けたのは自分らだと思っている。それで満足して僕がどんな思いで毎日を過ごしているかはどうでもいいんだ。僕が本当の意味で生きているかどうかを考えてくれたっていいと思うよ。僕の世界は病院とリハビリセンターだけなんだ。どこにも行けないし何も体験できなくて一日の殆どをベッドで過ごしていることが生きているということなの?・・・そんな生活をこれからも続けろとよく平気で言えるよね。僕はいま生きてる?違うよ。僕は死んでるようなものなんだ。」

物語の上のことなのだけど、重い中味だと思ってしまう。

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川端康成   「乙女の港」(実業之日本社文庫)

この作品は、主人公三千子をめぐって、美しい上級生洋子、克子が織りなす物語。その物語の舞台は外国の香りがわきたつ国際都市横浜のミッションスクール。昭和12年から13年にかけて当時の少女雑誌「女学生の友」に連載され、その後本になり大ベストセラーになっている。

 作品はS小説とも百合小説ともいわれている。Sとはシスターの意味。上級生の女の子と下級生の女の子が1対1のカップルとして交際することを描く小説。親しくすると言っても、同じ服を着たり、髪型を同じにしたり、交換日記や手紙のやりとりをする他愛もないもの。だけど親友同士というより、もう少し結びつきが強く、恋人同士と言ってもよい。

 当時は男女7歳にして席をおなじうせずと言われ、思春期の女子学生が恋愛をできる環境にはなかった。しかし感情の発露はとめることができないため、Sの関係が代わりに出来上がった。この関係は、たいがい学校を卒業すると消滅した。

 私の小さいころにも聞いた言葉、羅紗面(横浜で外人を相手にする妾)やアマ(女中のことを言うが、横浜では洒落てアマと言った)が登場してなつかしかった。

 それにしても、あの川端がよくもこんなS小説を書けたものだと感心していたら、実はこの小説、原案があった。この作品の下書きを書いたのは、日本で初めて女性作家として「乗合馬車」で芥川賞を受賞した中里恒子である。そして、主人公の三千子は中里がモデルで上級生の洋子も実在のモデルがいたそうだ。

 川端は中里の下書きに大分手を加えてこの作品を世にだした。

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阿川弘之    「食味風々録」(中公文庫)

コーヒーで素晴らしい風味があるのはインドネシア、セレベス島の高地で栽培されているアラビカというコーヒーだ。

 このコーヒーの産地にはたくさんのリスが生息している。リスはコーヒーの花の萎みかけが大好物。花の萎みかけの頃、すでにコーヒーの実は結実している。リスはうまく花だけを食することができなくて必ずコーヒーの実を一緒に食べてしまう。このコーヒーの実が消化されず、そのままリスの体内から排出される。どうしてわからないが、排出されたコーヒーの実が、風味も味も抜群に素晴らしいのだそうだ。アラビカ種は、リスのお尻からでた実なのだ。

 こんなことを阿川が作家向田邦子に言うと、向田は「ひじきの二度めし」というのがあると言う。
ひじきは、一回食して、排出する。そのひじきがこの上なく美味しいのだそうだ。二度目のひじきはただで、それで美味。これほど素晴らしい食材は無いと向田さんは言う。

 肉じゃがというのはお袋の味で大衆食としてはかかせない料理。伝統的な日本料理と思っていたが、実は肉じゃがは新しく、明治34年舞鶴で生まれた料理だそうだ。

 初代舞鶴鎮守府長官だった東郷平八郎がイギリスで食べたビーフシチューの味が忘れられず、じゃがいもと肉を使った日本風の料理を作るように命じてできたのが肉じゃがだそうだ。だから本当の肉じゃがを食べるのなら舞鶴にいらっしゃいということだ。

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浅田次郎   「ブラック オア ホワイト」(新潮文庫)

急死した旧友の通夜に参列した私は、同じく通夜の席で再会した旧友の都築君に誘われ彼の家へゆく。都築君はかなりの年月を残して商社を退職している。その退職までの彼の不思議な体験を私は聞くことになる。

 総合商社というのは「ア ジェネラル トレイディング カンパニー」と直訳される。つまり、日本の商社のように何でも扱うという商社は海外には無い。商社では役員まであがらない人は早死にをするが、役員になれば反対に長生きをするそうだ。そこに到達するまでに、大きく浮かんだり沈んだりする会社生活を送る。

 都築さんも、イギリスを皮切りにパラオ(観光)、インド、中国、日本をかけめぐる。その駐在時代、失敗を繰り返し、左遷されるが、我慢してまた前線で活躍できる機会を持つ。しかし、最後は日本で、海外からやってくる顧客の観光ガイド役に堕ちてしまう。

 その駐在時代の出張の時や旅行でパラオでのホテルで泊まると、黒いマクラにするか白いマクラにするか寝る前に聞かれる。黒いマクラにすると暗い底に堕ちてゆく夢をみるが、白いマクラにすると幸せな夢をみる。

 この物語、最初は夢と現実が離れているが、段々、距離が縮まり、最後は重なり合う。

 最後、都築さんはアメリカの権威のある医学者のダーニング夫妻を京都の老舗旅館に宿泊させる。

 その時、都築さんは灰色がかったくすんだ枕で眠り夢をみる。するとダーニング婦人が花売りを路上でしていて、それが武士の怒りにふれ、殺されそうになっている。そこに、都築さんが登場してダーニング婦人を守ろうとして武士集団に立ち向かう。そこで一旦宿の従業員に起こされる。ダーニング夫妻の部屋が騒がしすぎる。止めて欲しいと。ダーニング夫妻の部屋にゆくと、夫人の歓喜の声がなりわたっている。いくらなんでも、それを止めたりすれば、顧客であるダーニング医学博士と関係が悪化する。それはできない。そのときダーニング博士があらわれ、「ツヅキ、君は覗きをしているのか。」と言われ、部屋に慌てて戻り、夢の続きをみる。

 武士集団が逃げ、それを都築さんが追いかける。そこに雲水が通りがかり言う。
「追掛けると、返り討ちに会い殺されるぞ。」と。
「殺されたっていいよ。これは夢なんだから。」
「これは夢なんだからと言って、目がさめればこれは現(うつつ)だからと言っている。どちらも同じじゃないか。」と。

 朝目覚めると、驚くことにダーニング夫人が亡くなっている。夫が医学博士だから、心臓発作だと主張する博士の言い分が、疑問は残るが、権威で通る。その時、ダーニング博士は言う。

 「都築は日本で最も大切な友達となった。きっと私が帰国後、都築さんの会社にいいしらせが届くでしょう。」と。
 博士の大学から大量の医療器械の注文がくる。そして都築さんは博士のいるヒューストンに支社長としての内示がでる。

 しかし、都築さんはきっぱりと断り、会社をやめる。

 京都で聞いたという歓喜の声は、何とアーニング夫人の断末魔の声だった。その断末魔の声を出させたのは果たして誰だったのだろうか。夢と現実が重なる。

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横山増生    「ユニクロ帝国の光と影」(文春文庫)

このノンフィクション、ユニクロが2億2千円の賠償を要求して訴訟を起こした作品。訴訟の後、出版社の文春は、ユニクロの逆襲を恐れて沈黙を守る。そのユニクロを支援したのが何とあの権力大嫌いの朝日新聞社。AERAでユニクロの社長の柳井正が表紙を飾るほか、朝日新聞ではユニクロの全面広告を6回も掲載している。

 最近は当たり前のようになって、あまり語られることがなくなったビジネスプロセス改革方法としてSCMという方法がある。サプライチェーンのプロセスを徹底統合管理して最適なプロセスを構築するということだ。

柳井はアパレル業界にあってSPAというサプライチェーン改革を徹底して行い、現在のユニクロの繁栄を実現した。SPAとは製造小売りと訳される。商品企画から生産、流通、最終小売りまでを卸や商社などを介在せずに、自前のコントロール下において管理する。毎週、小売りの販売状況を把握して、売れ筋商品の増産、逆に減産を工場に指示する。このプロセスを常に強固なものに進化させてゆく。これがユニクロの繁栄を支えている。

 ユニクロは柳井であり、柳井は唯一ユニクロである。柳井以外はすべて家畜のような存在。
休職中の店長の80%は精神病を患っている。新入社員の半分は3年以内にやめる。あまりにも離職率が高いため現在は非公開としている。降格左遷は日常茶飯事。商品同様社員、アルバイトもSCMで対応する。いらなければ首切り。必要になれば大量採用。

 しかし柳井はそれを悪いとはゆめゆめ思ってはいない。こんな横暴なことをしていて会社は滅ばないのか。果たして後継者はいるのか。外野は余計な心配をしてくれなくてもいい。家畜扱いしてきたから、今や年間2兆円を超える企業になったのではないか。

 この本は、柳井を批判的に描くが、ここまで徹底してやりきらないと企業は発展継続しないのだという柳井の強烈な信念が溢れている。

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| 古本読書日記 | 05:45 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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湯本香樹実   「夜の木の下で」(新潮文庫)

主人公は、女子高校時代を今思い出している。それほど仲が良かったわけではないカナちゃんと主人公は、誰もがいやがった使用済みの女子生理用品を焼却炉まで持ってゆく役割を担っていた。一週間に一回、用務員の部屋から空箱のダンボールを持ってきてそれに生理用品を詰めて焼却炉まで持ってゆく。

 思春期は揺れ動き、憂鬱な時を過ごす。特に高校卒業後の進路だ。カナちゃんは、両親に「女は、4年生の大学なんかに行っても何もならない。」「短大だったら行かせてあげる。」と言われている。

 主人公は、それで将来食べていけるとは思っていないが、好きな絵画をしたいと思っている。でも本音は、無理だから国立大学に入って泊をつけて、いい会社に就職しようかとも密かに思っている。

 でも、カナちゃんは言う。出版会社に入って絵本をつくるのだと。そして主人公に絵を描いて欲しいなと。

 主人公も、カナちゃんも、あまりに非現実的なことを思い、そんな大きな壁が生理用品と一緒に「燃えろ。燃えろ。」と叫ぶ。

 そしてカナちゃんは有名私大に受かったが、短大にはいり就職。そこで知り合った人と結婚している。

 主人公は、国立大学受験に失敗して私大に入ったが、もう一度受験をして国立大に入り直し、大学院まで行くが、絵を忘れられずに未だに絵を描いている。こんな状態で、今までの人生の3倍を生きてゆかねばならぬという恐怖に慄いている。

 そんなとき、高校時代の同級生ノリコが死んでしまう。久しぶりにその葬儀の場で主人公とカナちゃんが出会う。

 行きたい大学に行けなかった。絵にしがみついて未だにふらふらしている主人公。そんな間に亡くなってしまう同級生がいる。

 「燃えろ。燃えろ。」と叫んでいた青春の揺動は、まだ燃え尽きず、心のなかにこびりついている。その青春の揺動を引きずって、長い人生をこれからも歩いていかねばと主人公は思う。

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| 古本読書日記 | 06:03 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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長野まゆみ    「いい部屋あります。」(角川文庫)

主人公の鳥貝一弥(これでかずやではなく、かずはるという名前)は大学進学のため上京し、部屋探しをする。部屋をみつける経緯も色々おかしなことがあり、それが最後に繋がり、ちょっとした感動を伴うのだが、とにかく部屋は見つかって、実家の荷物を東京の部屋に送るために故郷へ帰る。

 東京から新幹線と在来線を乗り継いで2時間、実家のある街は地方の小都市。最寄り駅の近くにたまたま駅で出くわした、女子高生と一緒に見つけた隠れ家のような喫茶店がある。彼女とは、受験のなか自然と別れたが、その隠れ家喫茶店には、東京で模試があるたびに帰りにちょくちょく立ち寄っていた。
 そして今も実家に帰ったときも立ち寄る。

この時の、喫茶店のママ、ミハルさんの独白。作品を読み終わったあと、何回も繰り返し読み直す。その度に、感動がどんどん深まってゆく。

 ミハルは今はおばさんだけど、一弥と同じ17歳の時があった。その17歳のとき人生の大きな障害となる出来事に遭遇。それを忘れるために、髪を切り、街の川原に捨てた。

 その髪は、過去に遡る流れに沿って流れた。それで、過去を忘れさるつもりだった。

 一弥が聞く。「それで忘れた?」

 「一時的にはね。大それたことをしたと思い込んでいたから、・・・今になってみると、あんなに思い詰めるほどではなかった。世の中にはいろいろな生き方があって、正解なんてものはないんだって、誰か教えてくれる人があれば、それでよかったのに。今でもふとしたときに思い出すのよ。教室にすわって黒板をみすえていたある瞬間に何を考えていたのか。それがたった今のことかと思うくらいにリアルなの。十七歳のときに、あしたになったらいく、と決めていたその場所に今さら行ってしまいそうになる。若い人にすれば、おばさんのそんな錯覚を、あつかましいにもほどがあると思うだろうけど、事実なのよ。去年とおととしどころか、去年と十年前、おととしと二十年前の区別がつかぬようになる。むろん、今は頭はしっかりしていて、あれはずっと昔の出来事だと承知しているから、実際に発つことはない。でも、そのうちに電車に乗るくらいはするかもしれないわ。

 ここからは想像だけど、いつの日か、去年も五十年前もたいしてちがわないように思えてきて、最後には昨日だけになるんだと思う。過去は丸ごと全部、きのう。膨大なかたまりなの。区別できるのは今日だけ。逆に言えばそれだけ今が大事ってことね。」

 この独白が、最後のクライマックスで際立ってよみがえってくる。それは読んで味わってほしい。ちょっぴり言うと、この時ミハルは一弥の母であることは知っていたが、一弥は知らない。

 長野さんの作品は、一語一語が素晴らしく、それがまた全体に共鳴しあうからたまらない。

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加藤廣      「利休の闇」(文春文庫)

茶室というのは、何であんなに狭くて、しかも入り口はにじり口といって、這うようにして小さな穴から入らねばならないのか、経験するたびにいつも不思議だと思っていた。このにじり口は、権力者である武士も、その象徴である刀を身体からはずして、武器なしでなくては茶室に入れない、貴賤もなく人はみな平等で、静寂のなか、お茶をたしなむために、備えられていると利休の著作には書かれている。

しかし、この本を読むと、山崎の戦いの中、秀吉のもとに馳せさんじた宗易、後の利休が秀吉が宿営していた妙喜庵で、秀吉から一夜で茶室を造れと命じられたが、十分な材料が無くて、それで仕方なく宗易が間に合わせに造った茶室が小さく出入り口をにじり口にしたのが真相だと言っている。茶室の出入り口をにじり口にした思想は、後付けで宗易、利休がひねりだしたものと作品は言う。面白いことをこの作品は言うなと思った。

 それから利休という名は、通説では、利休の身分が町人のため、皇室を含んだ茶会はできないということで、正親町天皇が命名したことになっているが、この小説では、利休をにっくき敵にしていた秀吉が命名したことになっている。

 利休の利は、鋭利、利口、利剣、利発の利である。だから利休ということは、鋭利、利発という鋭さが無くなり鈍麻な人間であることを意味する。逆に言えば、鋭利を捨てて、丸く穏やかな人を表すことでもある。

 宗易は利休を受け入れるが、秀吉も利休も鈍麻な人間の意味で命名したし、利休も同じ理由で命名されたと思っていた。最低の侮蔑を込めた命名。受け入れた利休の本心は辛く屈辱的だったと思う。
 もし、この作品の通りだとしたらではあるが。

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アンソロジー     「共犯関係」(ハルキ文庫)

色んな事件が起きる。その事件が、予め共犯でおこされたものや、結果として共犯になっていたもの、そんな共犯をテーマで書かれた短編を収録した作品集。

 主人公の僕が小学校5年生のとき、家族で旅行、その帰りの途上、外人の女性が運転する車がセンターラインを越え、僕の乗っている車にぶつかってくる。正面衝突。そして僕だけが奇跡的に命をとりとめ、他の家族は全員死んでしまう。

 僕は命をなくすことは無かったが、不治の病であるケストナー症候群に罹ってしまう。この病気は運動神経が筋肉に渡らなくなる病気。最初は何の症状もない。しかし急性期がやってくると、一気に筋力が衰え、3か月以内には完全に死んでしまう。急性期はいつやってくるかわからないが、少なくとも3年以内には確実にやってくる。僕は今から3年以内遅くとも中学2年生までにはこの世を去るのである。

 孤児となった僕は親戚である秋庭家に引き取られる。

秋庭家では両親、年上の女の子ひよりが、僕の運命を悲しんで、これ以上ないという親切で世話をしてくれる。学校でも、僕の病気のことはみんな知っていて、熱い優しさで気を使って接してくれる。

 そして中学2年になって、いよいよ急性期がやってきた。歩いていて、しょっちゅう力が抜け、突然倒れる。余命3か月。秋庭家の家族と一緒に、最後の旅行ディズニーランドにでかける。そのディズニーランドを最後の夜ひよりと抜け出し、新幹線で京都に行く。

 ある山の上の湧き水を飲むと難病が治る。その山の上までひよりが車いすを押して連れて行く。傾斜が厳しく、力一杯踏ん張らないと、ちょっと力を抜くと、車いすもろとも坂を転げ落ちそれだけで死んでしまう。やっとのことで頂上につき、ひよりが水を手の中に汲んできてくれてそれを飲む。ひよりが僕を強く抱きしめ「死んじゃいや。」と声をあげる。そして僕最初で最後のキスをする。

 ひよりの父親も医者に必死に訴える。
自分の手足を僕に移してくれ。僕を助けてくれたら、自分は死んでもいいと。

 ところが僕に奇跡が訪れる。不治の病が突然治ってしまったのである。
奇跡が起きた時は、秋庭家の全員が心からよかったとお祝いまでしてくれた。しかし、それから、僕との会話が少なくなり、態度もよそよそしくなる。懸命に支えてくれたひよりは全く声をかけてくれなくなった。学校でも誰も声をかけてくれなくなる。

 息の詰まる状態が続く。その先にとんでもないことが待っていて、一気に打開されたと思えるのだが、とんでもない真相が隠されていた。

 死を宣告された人がよみがえった時の戸惑い、混乱が見事に描かれている似鳥鶏の「美しき余命」である。

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| 古本読書日記 | 06:04 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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木内昇    「笑い三年、泣き三月」(文春文庫)

戦争が終わったばかりの昭和21年、浅草の劇場ミリオン座に拾われた古典漫才師善蔵、戦争孤児の武雄、映画青年の復員兵光秀、それに財閥令嬢と自称するふう子が織りなす、戦争直後の浅草を描いた作品。

 私の少年のころは、今と比べると皆貧しかった。テレビはなくラジオにかじりついていた。
その頃、笑って笑っていつも一番面白いと思っていた落語家が柳亭痴楽。彼が演じる綴り方教室が笑えて仕方がなかった。

 子供時代だから、何でも面白くてしかたない時だからとは思うが、それにしても今聞くと何が面白いのか全くわからない。よくこんな落語に夢中になったものだと今では思う。

 笑うということはどういうこと。この作品を読んで考えてしまう。

光秀が軍隊に入る。そして、巡洋艦龍田で、戦地トラック島を経由して南国の島ポナペ島におくられる。

 時折晩飯が済むと素人の演芸が行われる。ちっとも面白くない。笑えない。光秀は笑いとは何かを懸命に考える。変顔や奇妙な動きで笑いをとるのは安直で、本来笑いというのは間の妙でわきおこるもの。日常の不条理をポンとみんなに放り投げる。そこに突っ込みが絶妙な間ではいる。現実にはどうしようもできないことに、それを弾き飛ばす最上の手段こそ笑いと考える。

 その条理に従って、光秀が話を作って演じるが誰も笑わない。

ところが、部隊に敵の空爆により初めて犠牲者がでる。その犠牲者を前にして、皆が大声をあげて泣く。泣いたときには、犠牲者は腸は飛び出してはいたが、間違いなく生きていた。

 それから、皆はたわいもないことでも大声をあげて笑うようになった。誰かが水たまりにはまりよろけたとか、頭を木の枝にぶつけたなど、たわいもないことに皆が笑うのである。

 笑うという裏にとんでもない悲しさが存在する。悲しさや怖さを笑いでぬぐおうとする。
貧乏も笑いではじかせようとする。

 今は笑うことは難しくなっている。テレビでコント、漫才をみても、年齢のせいか白けて笑えない自分がいる。

 昔の笑いは、皆で笑えたが、その裏にどこか悲しみを抱えていた。

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山本幸久     「店長がいっぱい」(光文社文庫)

友々家。全国に120店舗を構える、友々丼(他人丼)のチェーン店。会社の左遷組、転職組、離婚した主婦、家出青年やら色んな店長がいる。そんな彼ら、毎日のように発生するトラブルとの戦いなどを描く奮闘小説。

 海野陸夫は大学受験に失敗、家でゴロゴロしていたが、受験勉強をする気にならず、モンキーという小型バイクに乗って家をでる。そしてビジネスホテルに泊まりながら、渋川駅までやってくる。そこで「アルバイト募集」の張り紙を目にして、応募する。

 面接にゆくと面接者は元サーファー「海野陸夫。名前がいい。水陸両用じゃないか」ということで即採用。それは友々家渋川店の店長の募集だった。

 友々家渋川店は、お客のいない店だった。さびれてゆく田舎町。たまの客は伊香保温泉にゆく人が立ち寄るだけ。商店もポツンといくつかあるだけ。空き家ばかり。

 そんな店に65歳の熊坂がアルバイトで勤めだす。彼は、全く仕事ができず、他人丼を創れば焦がすばかり。どうにも使えないバイトだった。ところが、彼は地元の太極拳友の会のメンバーで、その会員の人がやってくるようになる。更にその会員が地元の人を誘う。熊坂は仕事をそっちのけにして、カウンター越しに彼らと話をする。

 そしてやってくる人たちは冷酒やビールを楽しむ。周りには飲み屋が殆ど無い。完全に友々家は地元民のたまり場居酒屋になってしまった。
 だけどそのおかげで友々家渋川店は毎月売上を伸ばし、本社から注目されることになる。

しかし、熊坂以外のアルバイトから熊坂の勤務態度は最悪ということになり、熊坂を辞めさせるように圧力が陸夫にかかる。

 そんな時、熊坂が常連客下田と喧嘩になり、殴り合いをする。これをとめに入った陸夫を間違って熊坂が殴ってしまい、陸夫は倒れ意識を失う。熊坂はとっとと逃げる。

 幸い陸夫は大事には至らず、退院をする。この後、熊坂をどうするか陸夫は悩む。そしてモンキーに乗って熊坂の家の前まで行く。

 そこで、大きな田舎家で、ポツネンとオートバイを修理している孤独な熊坂をみる。そこで陸夫は決断する。誰が何と言おうと熊坂にはずっと働いてもらおうと。

 たくさんやってくる年老いた常連客の真実の姿が見えてくる。

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| 古本読書日記 | 05:53 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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宮本輝    「いのちの姿 完全版」(集英社文庫)

完全版となっているのは、宮本の過去のエッセイ集「二十歳の火影」「命の器」を継承してシリーズとして完結したエッセイ集になっているからだ。

 宮本は大学を卒業後、広告宣伝会社に就職。その会社時代、競馬を観戦に行った帰りに、倒れパニック障害と診断される。今でも発症するこの障害のために会社勤めができなくなり会社を辞める。

  まだ会社勤めをしているとき、得意先回りの後、書店に立ち寄り純文学系の有名な文芸誌を手に取り、一流作家の巻頭をかざる短編小説を読む。自分ならこれを百倍面白くして書けると思い、障害もあるため、小説家になろうと決心する。

 そして会社をやめ、幾つかの作品を書いては、文学賞に応募するも、一次選考にも残らない。小さい年子の子供2人を抱えどん底状態に陥る。

 誰の言葉かはわからないが、彼方の高い峰を目指す時、人は必ず谷の最も深いところに降りねばならないという言葉がある。
 宮本はそのときその谷底に落ちた状態だった。
それでも、宮本も妻も、まったくの絶望状態にありながらも、楽天的であり、必ず作家への道が開けると確信していた。

 小林秀雄の言葉。
「命の力には、外的偶然をやがて内的必然と観ずる能力が備わっているものだ。この思想は宗教的である。だが、空想的ではない。」

 内的必然を感ずるのではなく観ずるということ。宮本にはどん底にあってもやがて高い峰をかけあがる自分の姿が見えたのだと思う。

 宮本は「蛍川」「泥の河」を執筆しているとき、咳や血痰に悩む。執筆後病院に行くと肺結核と診断され、半年間の入院生活と三年余にわたる自宅療養生活を強いられた。

 宮本はこの難局を克服して、当代一流の大作家になった。振り返ってパニック障害、肺結核を乗り越えて作家になりえたことの背景を3つ上げている。その3つ目。

 悪いことが起こったり、うまくいかない時期が続いても、それは、思いもかけない「いいこと」が突如として訪れる必要としての前段階であるということを確信していること。

 才能があり、更に苦しい日々の研鑽と情熱、努力があってこそ言える言葉である。どちらも皆無な私にはひたすら重い言葉だ。

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